トレーニングを終えたある日…
「これは…?」
桐生院が見つけたのはベンチにぽつんと置かれているオレンジ色の目覚まし時計。
最近彼が「目覚まし時計が部屋から消失した」と不思議そうに話していたのを思い出した。
まさかとは思いつつもその時計を鞄にしまって明日見せてみることにする。
明日はURA決勝だ。
天気は快晴、芝の状態は良。
第一回URAファイナルズ決勝は絶好のコンデションの中開幕する。
俺はトレーナー席で豚汁をすすっていた。うまい。
ところで俺の部屋にあった目覚まし時計は果たしてどこに行ったのだろうか。何か嫌な予感がする。
脳裏にこびりつく不安を振り払って顔を上げるとウマ娘たちがゲート入りするところだった。
この三年間、このレースのために努力を続けてきた。そんな彼女らの表情はどこか壊れたロボットのようで…
「オイ、"三回"までだよな?目覚まし時計」
ふいに声をかけられてぎょっとする。この声は———
「ゴルシ様だ」
声の方を見るために俺は豚汁を置いて立ち上がって。
豚汁を置いて立ち上がって。
豚汁を置いて立ち上がって。
豚汁を置いて立ち上がって。
「!?っ、なんだこれ!?」
立ち上がったところから動作が先に進まない。席を立つとその前の状態に戻っている?
「なぁんだオメーじゃないのか」
「目覚まし時計がどうしたんだ?」
会話だけはできるらしい。ゴルシは不思議そうにこちらを見て、
「あれか、オマエまだ今回は使ってないのか。すげえじゃん。やっぱキタサン?」
「何のことだかわからないけど俺の目覚まし時計ならちょっと前にどっか行ったよ」
ゴルシは「うげえ」とでも言いたそうな表情をした。
するとスマホに通知が来たので「ちょっと失礼」チャットアプリを開くと
「桐生院からだ…前無くしたとおっしゃっていた時計ってこれじゃないですか?女神像前のベンチに落ちてました」
「オイ」
「?」
「コース見てみろ」
そうだ、ゴルシと話してるうちにとっくにレースは始まっていた。
が、様子がおかしい。
ウマ娘の数が明らかに18人より多い。
「あれは…トレセンのウマ娘も他のウマ娘も適正距離関係なくごちゃ混ぜになってる」
「URA登録ウマ娘が全員いる。アタシを除いてな」
彼女らはすさまじいスピードで走っているが…なんと形容するのが正しいのか…
コースの終わりがない。まるでトリックアートを利用した永久機関の概略図のような。
すると彼女らの体の輪郭がブレた。位置が入れ替わり、人数がさらに増える?
「なんか増えてるぞ」
「やっぱりな…目覚まし時計の使い過ぎで世界がおかしくなっちまったみて―だな」
「なんで目覚まし時計が?」
「あれは枕元に置いて眠るとその日の朝に時間を戻せんだよ。使いすぎるとおかしくなるから三回までしか使わない約束になってる」
「そんな効果が…」
「そんなことよりどうすんだコレ?世界が壊れたら次に進めなくなっちまうぞ」
「…目覚まし時計をとってくる」
「桐生院のとこか」
俺とゴルシはミークの応援席に向かった。道中の応援席に居た他のトレーナー達もさっきの俺のように同じ動作をループしている。
何で俺とゴルシは普通に動けるんだ?
「俺なんで動けてる?あと君も」
「あ?ゴルシ様が動けてるのはそりゃあ深ーい訳があるワケよ。オマエが動けてるのもアタシのおかげよ」
ハッピーミークの応援席はここら辺のはず…
遠目から桐生院の横顔が見えた。
彼女は何かにとりつかれたようにコースを見つめている。終わりのなくなったコースを。
そして手元には俺の目覚まし時計が。
「ほんとにゴルシの冗談とかじゃないっぽいな」
「狼少年ってよく言うけどよ、アタシはいつでもマジだからそれには該当しないぞ」
同じ動作を繰り返す他のトレーナー達の脇を抜けて桐生院のもとへ。
少し緊張する。どうやって切り出したものか。
「おい桐生院」
口をついて出た言葉は。
「目覚まし時計ってそれか?」
口が勝手に回る。俺の意思とは無関係に。
俺の意思とは無関係に?
「その目覚まし時計は———」
「トレーナーさんの、ですよね?」
そう。それは俺の目覚まし時計。
「いや、違う。俺はオレンジ色の目覚まし時計なんて使ってない」
「そう。それは俺のだ」
「どこで見つけたんだ?」
「見つかってよかった。どうして目覚まし時計なんて落としたんですか?」
?
俺は桐生院の質問に三回答えた。三回答えた?
答えたのは一回だろ。三個浮かんできただけか?
何が起こってる?
桐生院からの答えは一つだけ。目覚まし時計を落としたわけじゃない。
「いやさ、朝起きたらいきなり目覚まし時計がなくなってて」
「あえて落とした」
「落としたわけじゃないんだ」
???
なんだ?これ「オメーさ、ブレてんだよ。存在が」
どういうことだ?
「そんな訳ないだろ」
「確かにな」
「ブレてる?」
「手元見てみろ」
手元を?
手のひらを見るとなんの変哲もない自分の手が。
着ている服はいつものスーツで
着ている服はいつものジャージで
着ている服はいつもの黄色いシャツで
「そうか」
「なんとなくわかったみてーだな。世界は結構やばそうだぞ。ホラ、今オマエのトレーナーとしての可能性が全部同時に存在してる」
ありがち?な展開かはわからないが別の世界の自分と重なってるような感覚がある。
こんなに突拍子もないことをすんなりと納得できるのもその影響なのか。
自分という存在が干渉できる範囲が広がったような全能感がある。
『賢さが1200+上がった!』『スキルポイントが───pt上がった!』
「なるほど」
「あん?」
俺は準備運動を始めた。いつもの彼女らのトレーニングルーティーンをなぞって体をほぐしていく。
俺の、トレーナーの役割はなんだ。
唯一つ。彼女らを導くこと。
それは先を示し、時にはゴールを用意すること。
ゴルシは何かを察したのか、表情をパッと明るくさせて。
「おっまえ本当におもしれーやつだな!選んで正解だった!」
「行ってくる」
俺は観客席からフェンスを飛び越した。
降り立つは芝の円環。彼女たちの終わらないレースへ。
『コンセントレーション』『千里眼』『先手必勝』『鋼の意志』『彗眼』『余裕綽々』『注目の踊り子』
世界が引き伸ばされた。
だがいつぞやのタキオンが作ってくれたVRのシミュレーションよりもまだ遅い。もっと速く走らないと…
もうすぐ第──コーナーだ。無限に拡張するレース距離、だが数値が確定していないのでスタミナ切れはなく、皆一様に走り続けている。
最後尾までの距離がわからない。だけど。
『弧線のプロフェッサー』『曲線のソムリエ』『円弧のマエストロ』
更に加速する。これでようやくタキオンのシミュレーターのときぐらいの速度だ。レースに追いつくにはまだ足りないか…?
直線に差し掛かる。
『大局観』『レースプランナー』『キラーチューン』『ハヤテ一文字』『スプリントターボ』
スキルもメチャクチャだ。だがありがたい。一歩一歩がさらに加速した感覚がある。
「見えた!」
彼女らもまた姿がブレていた。位置関係も顔も衣装も定まらない。先頭集団と最後尾の差もほとんどない混戦状態だ。
『ウママニア』『アクセル全開!』『アガッってきた!』『努力家』『ギアチェンジ』
集団の最後尾に差し掛かった。いつも遠くから見ている背中、色とりどりの勝負服を追い越して前へ。傍から見ているレースは一瞬だった。眼前を一陣の風のように過ぎ去っていく一瞬の煌めきが彼女たちだと思っていた。走ってみるとわかった。レースはほんの一瞬。それが永遠のように感じられる。それはライバルも同じように走っているから。
先頭から二番目、そこには姿も位置も変わらない純白のウマ娘が居た。ハッピーミーク!
最終コーナー、運命の分岐点がもうすぐだ。
もっと前へ、足を動かせ!
『狙うは最前列!』『怒涛の追い上げ』『決死の覚悟』『疾風怒濤』『全身全霊』
周りを気にする余裕はない。このレースで一番前、先頭に出ることだけを考えて走る。もはや人間、いやウマ娘にも出せる速度じゃないことはわかっている。時空の歪みがかなり進んでいる。
突然、分厚い壁にぶつかったような衝撃が来た。ソニックブーム?関係ない。更に更に加速する!
今誰が一番だ!?前には誰も見えない!俺が一番だ!
ゴールは目の前、だけどこれじゃあまた桐生院は目覚まし時計を使ってしまう。
今の状態でミークを勝たせても世界は元通りにはならない。と思う。
俺は何を……
「サプライズゴルシちゃんだ!!!!」
後頭部が爆ぜた。
気がつくと俺は女神像の前に倒れていたらしい。
全身が鉛というより地球になったんじゃないかというくらい重い。感覚も薄れている。
黄昏時、トレセン学園の女神像前は静寂に包まれていた。
「よお、トレーナー。地球ごっこか?」
「御名答」
ゴールドシップだ。
「オマエの目覚まし時計をよ、ここの噴水に落として金の目覚まし時計にしてやろうと思ったんだが」
彼女は少し笑って
「離れ離れがそんなに寂しいなら返してやるぜ?ゴルシちゃんも鬼じゃねえ」
「ありがとな、最後、俺は諦めかけた」
「なんの話だ?」
やっぱりメタ発言はおもしろくねえよなぁ?
オマエもそう思うだろ?
そこで読んでる『トレーナー』