幼馴染と平和な学校生活を謳歌したい   作:外崎 赫一

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若干のギャグテイストでお送りします。



3.「今日も世界は平和だ」

 買い物を済ませ、レジ袋を両手に(ひっさ)げた帰り道。空は黄金(こがね)色から徐々に深い紺の闇へと侵食されていく。

 

 ひよりちゃんの隣では一之瀬さんが深く考え込むようにしながら街灯の点き始めた夜道を歩いている。僕の述べた仮説が現実味を帯びてきたことで、これからどうすべきか悩んでいる様子だ。

 

 しかし、ここまで思い詰めたような表情をされてしまうと罪悪感が出てくる。もしかすると、彼女は既にBクラスの中核を担っている人物なのかもしれない。そう考えればここまで悩むことにも辻褄が合うだろう。これが勘違いだとしたら、余計に拗らせてしまうことになるので確認をとる必要がある。

 

「一之瀬さんは凄く悩んでるみたいだけど、もしかしてBクラスをまとめる委員長的なポジションだったりする?」

 

 僕が問い掛けると、彼女は考える素振りを止めてこちらを見た。

 

「うん、そうだよ。だから、こういうことはすぐにクラスの皆と共有するべきだと思うんだけど、どうやって伝えようかなって……」

 

「クラスメイトとは全員と連絡先の交換は出来てないの?」

 

「まだ何人か交換出来てないかな。グループチャットも作ってあるけど、全員がメッセージを見てくれるとは限らないし」

 

「要するに、全員に伝えられる確実な情報伝達をしたいんだね?」

 

 僕の問い掛けに一之瀬さんは無言で頷き返した。僕の解釈が間違っていなければ、彼女はクラスメイトを第一に考えているからこそ、こうして悩んでいるのだろう。来月のポイントが減額される可能性があるのならば、浮かれて散財している生徒は来月の生活に支障を来す恐れだってあるのだ。少しでもそういう可能性があるのならば、クラスメイトと情報共有をして損害を最小限にしたい気持ちはわかる。

 

 そうなれば、僕も見習ってCクラスの皆に伝えた方が良いけれど、入学初日なのもあって大半のクラスメイトのことをあまりよく知れていないし、会話も出来ていないのだからそれは難しい。クラス内での地位を確立してもいないのにそれを伝えても「は?何言っちゃってんのお前?」と一蹴され、その日から僕はクラスの日陰者としての地位が確立されることになるだろう。

 

 逆に、初日でクラスメイトからの信頼を勝ち取り、委員長としてクラスをまとめる役割を任された一之瀬さんは凄い人なのではないだろうか。ここは敬意を払って、思ったことを伝えてみよう。

 

「それなら、全員に伝えられるように明日の朝のホームルームで言うのはどうかな? 担任の先生から許可を貰うなりして、教壇の上に立って伝えれば皆きっと話を聞いてくれると思うよ」

 

「そっか、その手があったね! 氷知君に聞いてよかったよ!」

 

「いやいや、そんな褒められるようなことは言ってないよ。僕が言わなくても、一之瀬さんならきっとすぐに考え付いたと思うよ」

 

「そ、そうかなあ? ……とにかく明日やってみるね!」

 

「その意気だよ。何もしないよりも、何かやった方が必ず成果は得られるものだからね」

 

「うん! 精一杯頑張ってみるよ!」

 

 元気だなぁ。彼女のこういう人柄がクラスメイトからの信頼を勝ち取れた理由なんだろうね。

 

「……」

 

 あ、あの、ひよりちゃん? どうしてずっと黙っておられるんでしょうか?

 

「……」

 

 無言のままジト目で見つめられるのは辛いです。知らない間に、僕は何か悪いことをしてしまったのでしょうか?

 

「……一之瀬さんとばっかり話して、私のことは構ってくれないんですか?」

 

 ぷくーと頬を膨らませてそう言われた。ぷいっとそっぽを向いて、すっかり拗ねてしまっている。

 

「これは氷知君が悪いかなぁ? 椎名さんは放っておいてずっと私と話してたもんねぇ?」

 

 ニヤニヤしながら一之瀬さんが言った。全部僕が悪いの!? 相談に乗っただけなのに、それは酷いんじゃないでしょうか?

 

 結局、寮に戻るまでひよりちゃんの機嫌は直らなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 エレベーターが4階で停止し、僕達は一之瀬さんと別れた。その間際に連絡先の交換は済ませておいたので、Bクラスがどうなるのかは彼女から次期に連絡が来ることだろう。一緒に夕飯を食べませんか?とひよりちゃんが誘っていたが、クラスメイトとの先約があるらしく、「ごめんね」とやんわり断られてしまった。

 

 この学校生活で初めて出来た友達というのもあって、断られたことに彼女はしょんぼりしていたが、僕が頭を撫でてあげるといくらか機嫌は直ったみたいだ。「人気者の一之瀬さんも色々と忙しいみたいだし、また今度誘おう? まだ初日なんだから、これからいくらでもチャンスはあるよ」と励ますと元気を取り戻してくれた。

 

 そして、現在時刻は午後7時。

 

 僕の部屋でひよりちゃんと一緒に夕飯を食べている。事情を知らない人が傍から見ていれば「このリア充め!!」とか言いそうだが、僕達にとっては食事を共にするのは至極当然、当たり前のことになってきている。

 

 小学校からの付き合いの彼女とは、両親が高校時代からの仲というのもあって、家族ぐるみで食事をする機会が多くあった。向かい合って椅子に座り食事をすることは、もはや日常の一部と化しているのだ。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 ほとんど同時に食べ終わると、食器を片付けて僕が流しで洗う。洗った食器はひよりちゃんが布で水を拭き取り、水切りかごに置く。ここまでが様式美となっている。

 

 食器の片付けが終わった後はシャワーを浴びて寝るくらいしかないが、高校生ともなれば異性と一緒にというのはハードルが高過ぎると思うのだ。中学の頃、「一緒にお風呂に()()()()()()?」と恐ろしい提案をされたことがある。中学生といえば思春期に入る時期で、大多数が異性を意識し始めるお年頃だ。いくらマイペースだからといって、そこまで踏み込んでくるか!?と僕が混乱したのは良い思い出だ。今思えば、大人達が止めようとしなかったのも変だったと感じている。

 

 じゃあ結局、一緒に入ったのかって? それは流石にはっきりと言えないことの一つだ。中学時代に異性と一緒に風呂入った、なんてクラスメイトにでも話した日にはどうなるか?

 

 答えは単純明快、男子から嫉妬と恐れの視線を向けられ、女子からはケダモノ扱いされて学校に居場所がなくなることだろう。つまり、そういうことである。

 

 話を戻すが、シャワーと就寝は流石に同じ部屋では無理だ。なので、今日は一緒に過ごせるのはここまでとなる。

 

 しかし、まだ彼女と一緒にいたいという気持ちがあるのも確かだ。だからこそ、僕はこんなことを言ってしまう。

 

「そろそろ部屋に戻る? それなら送っていくけど」

 

 これは僕の我儘だ。昔の出来事もあってか、段々と彼女に依存してしまう傾向がある。

 

「はい。この時間に一人だと心細いので、お願いしますね」

 

 それでも彼女は、そんな僕を快く受け入れてくれる。

 

 

 本当に、ひよりちゃんには感謝しかないよ。

 

 

―――いつも僕の傍に居てくれてありがとう。

 

 

―――いつも僕を支えてくれてありがとう。

 

 

 言うのが恥ずかしくて未だに口にしたことはないが、いつかしっかりとこの思いを伝えると心に決めている。

 

 

 今はまだ、その時ではない。

 

 

 来たるべき日に、必ず―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――心から君のことを愛していると、伝えたい。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 高校生活2日目の朝。

 

 端末にセットしておいたアラームが鳴り、目が覚める。時刻は5時で、太陽もまだ半分も出てきていない状態だ。こんな時間に何をするかというと、朝のランニングである。体力をつける為に、雨の日以外は毎日欠かさず行うことにしている朝のルーティンだ。

 

 洗面所で顔を冷たい水で覆いサッパリしてから、予め学校側から支給されている制服と同じワインレッドの体育着に着替えた。部屋を出た後はエレベーターは使わず、非常階段の方から1階まで降りて寮の外に出る。

 

 準備運動をしてから、昨日訪れた公園の外回りを周回して待つこと数分。待ち人は現れた。

 

「おはようございます、澄春くん」

 

 高いソプラノの声が僕の名前を呼んだ。言わずもがな、その待ち人はひよりちゃんである。走りやすいように髪型をポニーテールにしており、普段とは違った凛々しさを感じる。

 

 彼女は昔から運動が苦手で、体力が人一倍なかった。それを少しでも克服するために、中学の時からずっと一緒に走り続けている。

 

 走る時間は15分間、大体3kmを目安にしている。最初こそは10分で1km行くか行かないかくらいだった彼女だが、3年間毎日走り続けたことにより、女子の全国平均より上のタイムは出せるようになった。50m走は12秒台だった中学1年の頃から急激に伸びて、中学3年の秋には8秒台前半を出せるようになっている。それが出来たのは、これまで一度も音を上げずに、最後まで走り続けた根性があったからだと僕は思う。

 

 因みに僕の50m走の自己ベストは6.2秒だ。体力テストは3年の時点で全て最高得点の10点を取れるようになり、校内で僕より高い身体能力を持つ生徒はいなかった。入りたての中学1年の時こそは、それはそれは悲惨な結果を出していたのだが、そこから文字通り血の滲んだ努力をしてここまで上り詰めたのだ。

 

 太陽は眠い目を擦るかのように薄い雲に覆われて、そんな少しばかり弱い朝日を体に浴びながら走る。日が昇りきっていないために、朝の春の空気はまだひんやりとしており、走るたびに冷たい感触が肌を撫でた。走れば走るほど体は温まっていくので、相対的に春のそよ風は冷たく感じられる。

 

 僕の隣を並走する彼女はそれを心地よさそうに感じながら綺麗な髪をなびかせて、ペースを落とさずに足を動かし続けている。15分走り終えると、スーハーと息を整えながらゆっくりと歩く。走り終わって急に足を止めるのは体に悪いからだ。歩いて公園を一周したら、用意しておいたタオルで汗を拭き取り、しばしの休憩に入る。

 

 ある程度経ったら今度はストレッチを始めた。これを行うことにより、意識が完全に覚醒するので朝特有の気怠さをなくし、スッキリした状態で登校出来るようになる。

 

 一通り朝の運動が終わり、寮に戻る前に自販機の所まで行って飲み物を買うことにした。どれを買おうか種類を見ていると、あるミネラルウォーターの所で目が留まる。

 

「ここにも無料のものがあるのか……」

 

「ポイントが枯渇した人のための救済措置、なのでしょうか……?」

 

 真偽は定かではないが、これでポイント額の変動説は僕の中ではほぼ確定的になった。後少しでも怪しい部分が見つかれば、確信が持てるところまでは来ている。問題なのは、変動するのが個人なのかクラス全体なのかがわからないところだ。

 

 普通に考えれば個人評価が妥当だと思うが、未来ある若者を育成することが目的の学校で協調性を養わないというのはどうにも納得がいかない。いくら優れていようが協調性のない者は社会に出れば、周囲とのコミュニケーションの取り方がわからず、孤立して才能を持て余すだけの存在になってしまうだろう。

 

 中学時代に培った経験がそう物語っている。

 

 

―――人は独りでは弱いから群れ、集団を形成する。

 

 

―――集団に独りで抗い立ち向かうのは極めて困難なことであり、対抗するにはこちらも仲間が必要である。

 

 

 僕の脳裏に不意に()ぎったあの人の言葉で、暫定的な結論は出せた。物的証拠は明らかに不足しているが、自分の中では納得のいく結論だった。

 

 ポイント変動があるのなら、クラス単位で評価されることはほぼ決定的だ。社会で生き残るには、協調性なしでは話にならない。連帯責任という不条理な決まりだって存在する。誰かが一人でも集団の足を引っ張れば、その全員が損害を被る。この高度育成高等学校を社会の縮図として見做すのならば、毎月支給されるポイントはクラス単位での評価になる可能性は極めて高い。

 

 これらは全て僕の仮説に過ぎないことである。

 

 だが、この仮説が事実として存在したとするならば、僕達は既に学校側から見えない試練を用意されていることになる。違和感に気付き、どれだけ早く真実まで到達出来るのかを試されているのかもしれない。

 

 今すぐSシステムの全貌を暴くことは不可能だが、クラスで協力すればある程度の解明は出来るだろう。しかし、この肝心のクラスメイトが皆個性的な人ばかりで、馴染めるかさえ不透明なところである。まずは交友関係をどうにかしなければスタート地点にすら立てないのだ。

 

 クラスで影響力のある人物、それこそリーダーや参謀にでもなれば解決なのだが、あのクラスをまとめる役割を担うのは正直御免被る話だ。クラスメイトから頼られるのは悪くないが、面倒事を押し付けられるのは嫌である。

 

 なので、まずは身近な人から話し掛けて今月はポイントを使い過ぎず、モラルに欠ける行動は慎むようにと呼びかけることから始めていこうと思う。連帯責任でポイントが変動すると仮定して最悪の場合、学生らしくない振る舞いを続けていれば来月のポイントは0になってしまう恐れもあり得なくはない。一之瀬さんのようなクラスの中心人物でもなければ、カリスマも持ち合わせていない僕にはこれくらいしか対策は取れない。他に何が出来そうかは追々考えていくことにしよう。

 

 手に持った無料飲料水を口に流し込みながら、僕は考えをまとめていった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 朝の7時45分。朝食を済ませ、制服に着替えた僕はひよりちゃんと一緒に学校まで歩いていた。

 

「今日は部活動の説明会があるみたいだけど、行く?」

 

「一応、どんな部活動があるかは興味があるので行こうかと思っています。澄春くんはどうしますか?」

 

「僕も行くよ。Sシステムについて何かヒントが得られるかも知れないからね。それに、クラスの誰かと交流もしておきたいと思ってるんだ。そのために伊吹さんやアルベルト君も誘うつもりだよ」

 

「そうですか。私も、伊吹さんとはお話したいと思っていましたので」

 

「同性の友達は居ると気楽だもんね。後は他のクラスの人とも交流出来れば万々歳なんだけどなぁ」

 

 そんな内容の話をしながら学校に到着した。廊下を通ってCクラスに向かうのだが、A~Dクラスまでの廊下は一直線である。その都合上、Cクラスの教室に行く前に必ずDクラスの教室の横を通るのだが、その時にチラッとDクラスの教室の中が見えて思わず立ち止まりかけた。

 

「どうかしましたか?」

 

「ああ……いや、なんでもないよ」

 

 僕の表情の変化に気付いたひよりちゃんに心配されてしまった。きっと今、僕は引き攣った笑みを浮かべていることだろう。

 

 Cクラスの教室に入ると、既に半数以上は登校していた。他のクラスメイトと話す生徒も居れば、机の上に突っ伏して夢の世界に旅立ってしまっている生徒も見受けられる。まぁ、Dクラスよりはマシかなと思いつつ自分の席に座り、隣の友人に挨拶した。

 

「Good morning,Alberto.(おはよう、アルベルト君)」

 

「Good morning,my friend.Your face is so tight, what's wrong?(おはよう、マイフレンド。やけに顔が引き攣っているけど、何かあったのか?)」

 

「Ah...That's right, I saw the inside of the D-class classroom a while ago, but there were people who brought in game consoles and were playing proudly.(あぁ……それがね、さっきDクラスの教室内が見えたんだけど、ゲーム機を持ち込んで堂々と遊んでいる人達が居たんだよ)」

 

「What's that!? Is there such a person in D-class? D-class is Majiyabe.(え、ナニソレ。Dクラスってそんな人達が居るの? Dクラス、マジヤベェ)」

 

 マジヤベェで笑いが堪えられなくなった。サングラス掛けてて表情がわからないから、余計におかしくてもうダメだ。前の席でコッソリ僕達の会話を聞いていた伊吹さんも、机に顔を伏せながらプルプル震えている。ツボにハマってしまったのだろうか?

 

「Say the last word again,please?(さっきのもう一回言ってみてくれない?)」

 

「OK.D-class is Majiyabe.」

 

「ははははは!! ……マジで笑っちゃうからやめろアルベルト!」

 

「Sorry,Majiyabe.」

 

「わはははは!!」

 

 笑い過ぎてキャラ崩壊してるよ、伊吹さん。それにしても、アルベルト君はジョークが上手くなったね。龍園君ですらさっきから「ククク……」と笑いが止まらない様子だし、そのうちCクラスのマスコットキャラクターになっているかもしれない。

 

 ……って、そういえば言うの忘れるところだった。伊吹さんには昨日言ったから覚えてるだろうし、アルベルト君に伝えるのでいいかな。

 

「By the way, I had something like this yesterday...(そういえば、昨日こんなことがあったんだけどさ……)」

 

 僕は昨日あった出来事を簡潔に話し、来月は支給されるポイント額が変わる可能性が高いのでなるべく節約した方が良い、といった感じの内容を伝えた。英語で説明するのは難しかったが、本人は時折頷きながら話を聞いてくれていたので、大体のことは察してくれたようである。

 

「Yes,I understand.Thank you for telling me.(ああ、わかった。教えてくれてありがとう)」

 

 彼はコクリと頷き、その言葉の後に「今月は無駄な出費を控えるようにするよ」と英語で言った。僕が言いたかったことはしっかりと伝わっているようなので、後は他に言わなくても大丈夫だろう。そこで丁度、始業のチャイムが鳴り始めたので、僕達は授業に集中することにした。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 午前中の授業が終わったが、授業初日もあってかほとんどの時間がガイダンスと勉強方針に関する話だった。午後の授業も同じような流れが続くのだろう。

 

 先生達はとてもフレンドリーで、明るい人が多かった。普通に授業を受ければ、話は面白いので楽しい時間となるに違いない。()()()()()()()()()()の話であるが。

 

 Cクラスの大半の生徒は真面目に話を聞かず、机の上に足を乗せてつまらなそうにする人や、談笑したり、下を向きながら携帯を触っている人が多かった。典型的な不良の行動を見せつけられて民度が低いなと感じたが、それを言ったところで聞いてくれそうにもないし、挑発行為と思われて喧嘩になるのは更にマズくなるので何も言わずにいた。伊吹さんやアルベルト君、意外なことに龍園君もだが、彼らは真面目に授業を受けているようだった。

 

 一番変だと感じた点は、軽く学級崩壊をしているのにも関わらず、先生達が一切気にした様子も見せずに授業を進めていたことだ。最初こそは授業に集中しない生徒は少数だったのに、これのお陰で騒いでも注意されないのをいいことに、段々と授業を放棄して騒ぎ始める生徒が増えていった。教室で堂々とゲーム機を持ち込んで遊ぶよりはまだマシな方だけど、明らかに悪化の一途を辿ってしまっている。

 

「このクラスには馬鹿なヤツが多いな……」

 

 侮蔑の表情を浮かべながらそう呟いていた龍園君がやけに印象に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日――』

 

 可愛らしい女性の声のアナウンスで、思考の淵から現実へと戻された。

 

 教室の時計を見ると、昼休みに突入してから早くも15分が経過している。考え過ぎると時間を忘れてしまうのが僕の悪い癖だな。

 

 またやってしまったと思いつつも、僕は昼飯を確保しにコンビニへと向かったのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 放課後になり、伊吹さんやアルベルト君も誘って部活動説明会の会場である第一体育館へと赴いた。黒い肌と巨体を持つアルベルト君は特に目立ち、周囲から視線を集めている。昔もこういうことがあったのか、本人は慣れている様子だったが。

 

 それにしても、沢山の生徒が集まっている。一年生と思われる生徒は100人以上この場に出揃っていて、ガヤガヤとした喧騒が体育館内に響く。もうすぐ所定の時刻に差し掛かる頃合いだ。

 

「一年生の皆さんお待たせしました。これより部活代表による入部説明会を始めます。私はこの説明会の司会を務めます、生徒会書記の(たちばな)と言います。よろしくお願いします」

 

 時間になると、司会の橘先輩の挨拶の下、体育館の舞台上に部の代表者がズラリと並んだ。体格の良い強面で柔道着を着た先輩から、綺麗に着物を着こなす気品の良い先輩まで、それは様々だ。

 

 いくつかの部の紹介が終わり、着物を着た女子の先輩が部の紹介を始めると、ひよりちゃんがキラキラとした眼差しでそれを見ていた。どうやら茶道部に魅力を感じたようである。

 

「私、茶道部に入りたいです」

 

 茶道部の紹介が終わると、彼女はムンッとやる気を見せながらそう言った。きっと、着物を着てみたいのとお茶の淹れ方を学びたいのだろう。

 

「凄く良いと思う。それに、ひよりちゃんが着物を着こなしながらお茶を淹れてるところ、僕は見てみたいかな。とっても絵になると思うよ」

 

 僕は出せる限りの優しい顔で彼女を見ながら言った。

 

「はいっ。その時を楽しみにしていて下さいね」

 

 ニッコリ笑顔で返され、僕はゆっくりと頷いた。こういう顔を見ていると、心が浄化されていくのを感じる。

 

「イチャつきやがって……そういうのは他所でやれよ」

 

 伊吹さんには呆れられてしまったようだが。アルベルト君には「Honobono?」と一言だけ言われて、呆れられているのかどうかはよくわからなかった。

 

 僕達が話している間も部の紹介は続き、説明を終えた先輩達から順に、舞台を降りて簡易テーブルの並んだ場所へと向かっていく。恐らくだが、あそこで入部申請の受付を行うのだろう。

 

 一人、また一人と徐々に舞台上に立つ数は減っていき、あっという間に最後の一人だけが残された。全員の視線がその男性に注がれる。身長は目測で170cmくらいで、服越しからでもわかる鍛え上げられた細身の身体に、サラリとした黒髪。鋭い目つきにシャープな眼鏡を掛けたその生徒は、黙りこくったまま壇上に立ち続けていた。

 

「がんばってくださ〜い」

 

「カンペ、持ってないんですか〜?」

 

「あははははは!」

 

 一年生から、そんな野次が飛ばされる。しかしそれでも尚、壇上に立つ先輩は微動だにせず立ち尽くしている。まるで何かを待っているかのように、その場から一歩も動かず、口さえも動かさない。

 

 そうしているうちに、体育館内に変化が起こり始めた。誰かに命令されただとかそういうものじゃなく、話してはいけないと感じてしまうような恐ろしい静寂。弛緩していた空気は張り詰めた空気に塗り替えられ、その静寂だけが場を支配した。

 

 誰も彼もが口を開かずに、静まり返った空間が続くこと数十秒。ゆっくりと全体を見渡しながら壇上の先輩が遂に口を開き、演説を始めた。

 

「私は、生徒会会長を務めている、堀北学と言います」

 

 なるほど、この人は生徒会長だったのか。最近の生徒会長は強者の風格がなければ務まらないものなのだろうか。

 

「生徒会もまた、上級生の卒業に伴い、1年生から立候補者を募ることとなっています。特別立候補に資格は必要ありませんが、もしも生徒会への立候補を考えている者が居るのなら、部活への所属は避けて頂くようお願いします。生徒会と部活の掛け持ちは、原則受け付けていません」

 

 柔らかい口調のはずなのに、こちらには突き刺すような緊張した空気しか感じられない。この生徒会長の場を支配する気配が更に、より一層重苦しいものへと昇華(?)される。

 

「それから―――私たち生徒会は、甘い考えによる立候補を望まない。そのような人間は当選することはおろか、学校に汚点を残すことになるだろう。我が校の生徒会には、規律を変えるだけの権利と使命が、学校側に認められ、期待されている。そのことを理解できる者のみ、歓迎しよう」

 

 一切の淀みなく演説を終え、生徒会長は真っ直ぐに舞台を降り体育館を出ていった。

 

 姿が見えなくなっても尚、誰も言葉を発しないのは、彼にそれだけの存在感と影響力があったからこそなのだろう。普通の人にはこんな芸当は出来ない。この学校の生徒会長は本当に凄い人なのだと実感させられた。

 

「皆さまお疲れ様でした。説明会は以上となります。これより入部の受付を開始いたします。また、入部の受付は4月いっぱいまで行っていますので、後日を希望される生徒は、申込用紙を直接希望する部にまで持参してください」

 

 のんびりとした口調の司会者の橘先輩のお陰で、張り詰めた重々しい空気はゆっくりと消えていった。ああ、空気が美味しいなぁ。意識せずに呼吸を止めてしまいそうになるような緊迫した空気はもう御免だ。

 

「あっ、それじゃあ茶道部の受付に行ってきますね」

 

「いってらっしゃい。僕はここで待ってるから」

 

「わかりました。すぐに戻りますね」

 

 茶道部の受付に向かったひよりちゃんを待つことにして、僕は後ろを振り返った。

 

「二人はどうする? 何か入りたい部活とかあった?」

 

「特にない。最初は陸上部に入ろうか悩んでたけど、先輩が暑苦しそうだったから入るのやめる」

 

 お労しや、陸上部の先輩。部員を確保するどころか、暑苦しさのせいで逆に入りたくなくなった生徒が一人、ここに居ますよ。

 

「I didn't have any club activities that I wanted to join.(特に入りたい部活はなかった)」

 

「そっか。二人共、部活は入らないんだね」

 

「そういうあんたこそ、入る部活とかないの?」

 

「僕はもともと、何か目ぼしい情報がないか確かめることが目的だったからね。特に入りたい部活とかはなかったよ」

 

 それに、運動部とかに入ったら放課後の行動が制限されて、満足に図書館にも行けなくなるだろうからね。

 

「お待たせしました、皆さん。部活の申請は終わったので帰りましょうか」

 

 それから談笑しているとひよりちゃんが戻ってきたので、僕達は体育館を出た。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 それから数日が経過したある日。

 

 いつものようにひよりちゃんと登校すると、妙に教室が騒がしかった。その発端となっているのは男子の集まっている場所からだ。一体、何を騒いでいるのだろうか?

 

「おはよう、何かあったの?」

 

 席に座って事情を知っていそうな伊吹さんに聞いてみることにした。

 

「おはよ。……今日、水泳の授業あるだろ? それでクラスの男子(バカ)共が騒いでんだよ」

 

 普段通りの男勝りな口調で伊吹さんは呆れたように言うと、溜息を吐く。

 

「えぇ……そんなこと、教室でやってて良いのかなぁ?」

 

「おまえ、こういうのすること自体に否定はしないのかよ?」

 

「だって、高校生って思春期真っ盛りじゃないか。男子だってそういう(うわ)ついた話の1つや2つ、出てくるものだよ? ……ただ、教室内で大声で騒ぐんじゃなくて、グループチャットでやってもらいたかったけどね、こういうの」

 

「……それは同感」

 

 それでも、なるべくこういったことはやめて欲しいけどね。

 チャットは履歴が残るし、学校側に監視されているだろうから結局同じことだし。

 

「この数日で新たにわかったことだけど、教室の天井に監視カメラが沢山あるでしょ? あれで全部見られてるだろうから、このままだと来月が心配かな」

 

「……私は気付いてたけど、なんでそのことを他の奴に言わないわけ?」

 

「言っても問題はないと思うけど、僕としては自力で気付いて欲しいからだよ。第一、言おうが言うまいが僕一人に全部の責任が問われることでもないからね。『この世のすべての不利益は当人の能力不足』。僕の読んでる漫画でこんな台詞があるんだけど、まさにそれだよ」

 

「……あんた、意外とそういうところあるよな」

 

「自覚はしてるよ。中学じゃ他人に情報を教えても、良いことがあった試しがなかったから。大体それがトラブルの種になってたんだから尚更だよ」

 

「そうかよ。ところで、その漫画ってどんなタイトルだ?」

 

「『東京喰種(トーキョーグール)』だけど。今度読んでみる?」

 

「そうする」

 

 あの漫画、世界観とか結構好きなんだよね。主人公のカネキ君の境遇にグッと来る描写が多くて、何度涙を流したことか。アニメはオープニングに凄くハマったし。

 

「いや〜、早く水泳の授業にならねぇかなぁ〜。女子の水着姿が気になるぜ〜」

 

「俺も俺も〜」

 

 声を抑えた様子もなく、そんな言葉が教室内で飛び交う。今日の水泳の授業は女子からの欠席者が多く出そうだな。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 昼休みの終わる少し前。

 

 次の授業は男子達が待ちわびた水泳の時間だ。僕達は水着に着替えるために更衣室へ移動していた。

 

 汗臭くてむさ苦しい男だけの部屋だが、これを耐えれば身体を包み込んでくれる水の感触にありつけるのだ。今は我慢する時である。

 

「氷知氏、その背中の傷は……?」

 

 服を素早く脱ぎ、腰にバスタオルを巻いてから競泳パンツを履き終えた僕に話しかけてきたのは、おかっぱ眼鏡が特徴の金田(さとる)君。彼は初日からSシステムについて疑問に思っていたようで、3日前に意見交換をしてから仲良くなった。監視カメラの存在にも気付いていたことから、洞察力は高い。

 

「これかい? 何ていうか……名誉の負傷ってやつかな」

 

 金田君が言っているそれは、僕の背中の右肩辺りから左腰辺りにかけて斜めにザックリと付いた長い切り傷の跡を指しているのだろう。これは今から丁度2年前に出来てしまった傷なのだが、色々とヤバイ内容の出来事に巻き込まれた際に負ってしまったのだ。他の人に聞かれたら、名誉の負傷や男の勲章と答えるしかない一生の傷である。自分で言うのもアレだけど、痛々しい傷なんだよね。もう触っても痛くもなんともないけれどさ。

 

「そ、そうですか。……深くはお聞きしませんが、過去に相当な出来事があったのでしょうね」

 

「今は、そういうことにしておいてくれないかな。……いずれ話すときが来れば教えるよ」

 

 僕の身体に刻まれた傷跡はそれだけじゃない。腕の部分にも切り傷が数十箇所ある。

 

 これらは一時期山に籠もって修行していた時に出来たもので、一つ一つの傷は小さいが、沢山あるとなんとも言えない。クラスの皆に見られたら距離を取られそうだけど、ライフガードを着ていくのは違う意味で注目されそうなので腹をくくることにしたのだ。

 

 他の男子より一足先に更衣室を出た僕は、タイルの敷き詰められたプールサイドで皆が出てくるのを独りで待つ。女子の方は着替えに時間が掛かるようで未だに出てくる気配がないが、2階の見学席にはチラホラ見受けられた。思っていたよりも見学者の人数は少なく、全員が女子で5人だけ。男子はもれなく全員参加のようだ。これが思春期の力か。

 

 あまり待つこともなく、男子更衣室の方から声がしてきた。最初に出てきたのは意外なことにアルベルト君と龍園君と金田君と……後は石崎君(で名前合ってるかな)の4人だった。

 

 金田君を除けば中々強面揃いのメンバーが集まっており、石崎君(?)は龍園君を睨みつけながら歩いている。近くにいれば身体が凍えるような恐ろしく険悪なムードに金田君は怯えている様子だが、それをアルベルト君が優しくフォローしている光景がなんとも暖かい。BL、ではないのだろうが、見学席に座る女子達が妙に色めき立っているのが怖い。こういうのを腐女子っていうんだっけ?

 

 何はともあれ、二人が仲良くなるのは良いことだ。金田君は勉強出来るタイプなので、英語の理解についても問題なさそうで、早速英会話が聞こえてきた。いや、順応早過ぎない? 早くも意気投合したようで、気付けば握手まで交わしてるよあの二人。アルベルト君が握る力の加減を間違えたのか、金田くんは痛そうにしている様子が見えたが。……うんうん、青春だね。

 

 それを皮切りに、他の男子もぼちぼち更衣室から出て来た。まだ女子は現れそうにないか。

 

 なーんて思っていたら、女子更衣室方向から女子の声が耳に届いた。そろそろお出ましのようだ。

 

「く、来るぞッ!?」

 

 何故身構えたし。露骨過ぎると絶対零度の視線を浴びて撃沈するのではなかろうか。

 

 女子達が姿を見せると、大半の男子達が極光に包まれて消滅したような幻覚が見えた気がした。目を擦っても誰も消滅なんてしていないし、アニメの見過ぎによるものだろう。……僕も他の男子に負けず劣らずテンション上がってるんだなぁ。

 

 男子達からの欲望にまみれた視線を浴びて、女子達は絶対零度の視線でたった一言「キモッ」と呟いたのが聞こえる。それにより大多数の男子はショックにより見事に撃沈した。僕は、何を見せられているのだろうか……?

 

 そんな茶番を眺めていると、僕の後ろから声が掛かる。

 

「さ〜て、一体誰でしょう?」

 

 耳元で囁かれ、ビクッと背筋を伸ばしたと同時に視界が真っ暗になった。……あの、当たってるんですけど、背中にアレが。

 

 生理現象を抑えるため、下腹部辺りに意識が集中しないようして、頭を空っぽにする。

 

―――ああ、今日も世界は平和だなぁ……。

 

「…………ひよりちゃん」

 

「正解ですっ」

 

 何も考えずに言葉を発するのは凄く難しかった。

 

 視界を遮っていた小さくて柔らかい地母神のような手が退けられ、むず痒い表情になって後ろに振り返ると、そこには天使ひよりエルが降臨なさっておられましたとさ。はい、おしまい……終わるわけあるかっ。

 

 その水着姿を見て危うく意識が飛びかけるところだったが、なけなしの理性がギリギリのところで繋ぎ止めておいてくれた。……鼻血とか、出てないよね? 何気なく鼻を擦ってみたが、赤い液体は付着していない。極めて正常、健康体だ。

 

 ふぅ…と一息してから、彼女の姿を眺める――いや、この身長差だと見下ろすという表現が合っているな。とにかく、ある部分に意識を持っていかれないように、視線を制御した。

 

 傷一つない、透き通るように綺麗な白い健康的な肌に、少し触れただけで崩れてしまいそうな程にか弱く見える華奢な身体。出るところは出て、出ないところは細く引き締まっている、とても艶めかしいスタイルに魅せられる。美少女の完成形といえる文句の一つも出ないナイスボディに、僕は声が出なかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 次は水泳の授業ということで、私達は屋外プールの女子更衣室に移動しました。

 

 私の横では伊吹さんがテキパキと服を脱いで水着に着替えています。こういう時は抵抗のないスレンダーな身体が羨ましくなりますね。私はまだ、制服を脱いでブラのホックを外し終わったところなのですが……。

 

「……ジロジロ見るなよ」

 

 おや、伊吹さんに見ていたのが気付かれてしまいました。

 

「すみません、ちょっと伊吹さんの身体つきが羨ましかったもので……」

 

 私が素直にそう述べると、伊吹さんがお返しとばかりに私の胸の辺りをまじまじと見てきます。ちょっとこれは恥ずかしいですね……。

 

 私の裸体は異性ならお父さんと澄春くんだけにしか見せたことはありませんが、同性に見られたことがあるのはお母さんだけでした。同年代の同性でも、私は裸体を見られてしまうことに恥ずかしさは感じるようです。

 

「椎名、おまえ綺麗な肌してるな」

 

「えっ?」

 

 男勝りな口調の伊吹さんに言われると、更に恥ずかしくなってきました。それを隠すように私は後ろを向いて着替えを続けます。背後からは伊吹さんが、してやったりという顔をしている様子が伺えました。ちょっと悔しいです。

 

 少し苦戦しましたが、なんとか着替え終わって振り返ると、伊吹さんが壁に寄り掛かり腕を組みながら立っていました。

 

「着替え終わったか?」

 

「はい。……もしかして、私が着替え終わるまで待っててくれたんですか?」

 

「別に。ただ、一人で行くのは嫌だったから。それだけ」

 

「……優しいんですね。ありがとうございます」

 

「ちょっ、違うから……! 別に、あんたを待ってたわけじゃないから……!」

 

 私がお礼を言うと、彼女は満更でもない表情で必死に弁明してきます。それを見て、ちょっとした仕返しが出来たと心の中で喜びました。

 

「お待たせしましたね。それでは行きましょうか」

 

「お、おう……」

 

 既にほとんどの女子の皆さんは外に出てしまっているので、早く更衣室から出なければなりませんね。それまで待っていてくれた伊吹さんに感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊吹さんと一緒にプールサイドへ向かうと、何故か男子の皆さんは意気消沈していました。何かあったのでしょうか?

 

「椎名、あんたは知らなくていい」

 

 訳知り顔で苦笑する伊吹さんに聞いてみましたが、(かたく)なに答えてはくれませんでした。

 

「ほら、氷知のとこ行ってきたら? ……あっちで何か、独りで黄昏(たそが)れながら真顔になってるけど」

 

 そういえば、澄春くんが見当たらないと思っていましたが、私達の逆側のプールサイドに居ました。

 

 彼に近づいてみますが、一向に気づく気配がありません。それを見て少し、悪戯(いたずら)してみたくなりました。

 

 澄春くんの背後に回ると、彼の細く引き締まった体格が目に映ります。背中には痛々しい大きな切り傷が2年前と変わらずに残っていました。

 

 この傷は、彼が私を守るために負ってしまった傷跡です。お医者様からは一生残ると言われた程の深い傷跡を見て、私は悲しくなってしまいます。

 

 でも、彼がこの傷を負っていなければ、私は今頃この世に居なかったでしょう。

 

 

 だから、彼の隣には私が居なければならないのです。

 

 

―――今の彼があるからこそ、私は生きている。

 

 

 そのことに、私は深く感謝しています。

 

 

 でも、悲しいのです。

 

 

 澄春くんが、自分のことよりも私のことを優先していることが。

 

 

 彼には私の前だけでいいので、もう少し我儘になって欲しいのです。

 

 

 彼を支えたい、彼に頼られたい、彼から甘えられたい。

 

 

 そんな願望(想い)が、私の中にはあります。

 

 

 だからなのでしょうか。

 

 

 あの時、一之瀬さんと楽しそうに話している澄春くんの顔を見て、嫉妬してしまったのは。

 

 

 私はもう、彼なしでは生きていけない駄目な人になっているのかもしれません。

 

 

 嗚呼、いつかこの思いをしっかりと伝えたいです―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――この世の誰よりも、あなたを深く深く愛しています。

 

 

 その時は、しっかりと受け止めて下さいね?

 

 

 そんな想いを募らせながら、後ろから彼の目を塞いで、極めて上機嫌になった私は彼の耳元でそっと囁きました。

 

「さ〜て、誰でしょう?」

 

 不意に耳元に息が掛けられた彼はビクッと背筋を伸ばしました。ふふふ、とっても可愛いです。彼の背中に胸が当たってしまっていますが、澄春くんになら全然構いません。むしろ、この感触を堪能してもらいたいですね。

 

 こうやって彼の背中に胸を押し付けるのは、彼の背中に傷が出来てしまったあの事件の後に一緒にお風呂に入って以来、実に2年ぶりです。それだけで、彼の体の温もりと存在を感じていられます。

 

 恥ずかしいと感じてきたのか、私の心拍が早まっているのを感じます。彼の心臓の鼓動も、段々と早くなっていきます。

 

 ……緊張しているのは私だけではないみたいですね。その事実にホッとしました。

 

「…………ひよりちゃん」

 

「正解ですっ」

 

 彼に私の名前を呼ばれるたびに、胸が高鳴ります。どうしようもない程に恥ずかしいです。彼に聞こえていないか心配になります。

 

 慌てて彼の目から手を離すと、澄春くんはクルリとこちらに振り返ってきました。目は閉じていて、口もだらしなく波線を描くように閉じています。

 

 私の前では、もっと崩れた表情を見せても良いんですよ?

 

 少しして落ち着いたのか、彼はふぅ…と息を吐くと、今度はしっかりと私を見てきました。顔、胸、腹、脚という風に視線を巡らせ、視線が固定されないように頑張っているのがわかります。一体、私の身体のどの部分が気なるんですか?

 

 私もそれに応じるように彼の肉体を眺めます。6つに割れている立派な腹筋に、少し控えめな大胸筋。小さな傷跡がいくつも出来ている腕も、彼の努力を物語っています。

 

 私の瞳に視線を合わせると、澄春くんは瞬きすらせずに動かなくなりました。彼の黒い瞳には、私がどう映り込んでいるのでしょうか。

 

「よーしお前ら集合しろー」

 

 そう思っていると、担当の先生が大声で集合をかけました。それにハッとした澄春くんに手を引かれ、私達は皆さんのところへと向かいました。

 

「見学者は5人。他のクラスと比べれば少ないから、まあいいだろう」

 

 私達のクラスは比較的に見学者が少なかったことに、先生は驚いているようでした。

 

「早速だが、準備体操をしたら実力が見たい。泳いでもらうぞ」

 

「センセー、俺あんまり泳げないッス……」

 

 一人の男子生徒が申し訳なさそうに手を挙げます。

 

「安心しろ。俺が担当するからには、必ず泳げるようにしてやる」

 

 

 

 それから、全員で準備体操を始め、50mほど流して泳ぐように指示されました。

 

 3年前の私ならば50mも泳げずに終わってしまったでしょう。ですが、毎朝の彼とのランニング(逢引)で、あの頃の私とは比べものにならないほどの体力が付きました。お陰で50m泳ぐことなど何のその、です。

 

「取り敢えずほとんどの者が泳げるようだな。よし、では早速だがこれから競争をする。男女別50M自由形だ」

 

 突然の先生からの競争宣言に、クラスの人達がざわめきます。

 

「1位になった生徒には、俺から特別ボーナス、5000ポイントを支給しよう。一番遅かった奴には、逆に補習を受けさせるから覚悟しろよ」

 

 先生の発言に、歓声と悲鳴の両方が上がりました。少なくとも、最下位は絶対に取らないようにしなくてはなりません。そうでないと、毎朝付き合ってくれた彼に申し訳が立ちませんので。

 

「女子の方は人数が少ないから、5人を3組に分けて、一番タイムの早かった生徒の優勝にする。男子はタイムの早かった上位5人で決勝をやる」

 

 私は1組目になり、すぐにスタート台の上に立ちました。笛が鳴り飛び込むと、一人は飛び込みに失敗したのかあまり加速しておらず、他の3人はそこまで速くありませんでした。

 この組で私が一着で50mを泳ぎ切るのは造作もないことです。

 

 予想通り一着でゴールして、タイムは29秒ほどでした。

 

 プールサイドから上がり手を振ると、澄春くんも笑顔で振り返してきてくれました。彼の笑顔はいつも私に元気を与えてくれます。それがただ、今はとても嬉しいのです。

 

 その後もレースは続き、最終的には27秒台を出した伊吹さんが女子で優勝し、私は総合順位3位でした。やはり、胸の抵抗がない方が速いのでしょうか。総合で1位が取れなかったのは残念でしたが、最下位にはならず、彼の笑顔も見れたので良しとしましょう。

 

 次は澄春くんの番ですよ。頑張って下さいね。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「惜しかったなぁ、ひよりちゃん」

 

 彼女の泳ぎを最後まで見守っていたが、僕の思っていた以上にひよりちゃんは泳ぐのが速かった。毎朝ランニングした甲斐があったね。

 

 総合順位3位ではあったが、それでも十分に凄い。これは僕も負けていられないな。

 

 総合で1位、取ってやるぞ!

 

 

 

 第一レースは龍園君が接戦の末に1位をもぎ取り、第二レースは時任君というこれまたいかつい(ツラ)の生徒が1位でゴールした。……てか、あの長いロン毛で1位になれるとか、龍園君は運動神経良いな。僕の過去を知っている以上、油断ならない存在ではあるが、今回は競争相手としてよろしく頼もう。

 

 続く第三レース、僕の出番だ。

 

 笛が鳴ると同時に飛び込むと、減速しないように絶え間なく足を動かして腕を回すクロールで挑む。タイムは25秒、余裕の1位だ。

 

 しかし、その後の第四レースで波乱の展開が巻き起こった。なんと、24秒台で暫定1位をアルベルト君が叩き出したのだ。あの巨体から繰り出される大ぶりの水を掻く動作は、彼の肉体を凄まじいスピードで水面に押し出した。横のレーンに余波が来るほどの威力に、クラスの男子は息を呑む。

 

 あの(おとこ)を超えられる奴が居るのか、と。

 

 

 

 第五レースも終わったが、第五レースの優勝者は棄権を申し出た。本人曰く、勝てるわけがない!とのことだ。

 

 だが、他の男子は違う。僕も、龍園君も、時任君も、それで勝負を諦めるような男ではないということだ。別に、棄権した生徒を臆病者と言いたいわけじゃない。時には退き際を考えるのも戦略なのだから、勝てないとわかっていながら挑む愚策を選ばないのは英断だと僕は考える。

 

 勝てない、そうわかっていようとも、己の勝利を信じて疑わないバカ共だけが、この決勝に立っているのだ。当然、そのバカには僕も含まれているのだが。それでも、絶対に勝つことは不可能というわけではないのだから、勝機はまだ残っている。

 

 

 

 スタート台の上に立ち、目を閉じて笛が鳴る瞬間を静かに待った。

 

 笛が鳴ったのを耳で捉えた瞬間、目を開けずに飛び込む。その後はただ只管(ひたすら)に腕と脚を動かした。海で泳ぎ続けるサメのように。

 

 サメは泳ぐのをやめたら死ぬ生き物だ。だから、死ぬまで泳ぐのをやめない。

 

 それに倣って、僕は必死に泳ぎ続けた。絶対に止まってはならない。25m、折り返しのところまで来たが、全員がほぼ拮抗していた。

 

 ほんの僅かだが、僕がリードしている。この折り返し地点で減速すれば僕の負けだが、燃え盛る闘志がそれをさせなかった。

 

 アルベルト君より僅かに速く折り返して、彼の巨体から繰り出される余波を凌ぎ切る。余波で体勢を崩した龍園君と時任君はスピードが落ちていく。

 

 実に危ないところだった。彼の全力の折り返しで発生した波の揺れはレーン全域にまで届き、水面を大きく震わす。

 

 その影響で、波の揺れの発生源であるアルベルト君も僅かながら体勢を崩した。それでも尚減速しないのは、彼の体幹が非常に丈夫であることを証明していることに他ならない。

 

 

 その鍛え上げられた身体に敬意を表するよ。

 

 

 だがしかし、勝つのは僕だ。

 

 

 残り10m。

 

 更に腕のギアを上げ、腕の回転数を限界まで増やした。

 

 

 残り5m。

 

 彼に追いつかれ、平行に並んで泳ぐ。

 

 

 残り3m。

 

 それでも負けじと、脚を更に大きく震わせる。

 

 

 残り2m。

 

 

 残り1m。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 結果はタッチの差で僕の優勝。

 

 そのタイム、23秒32。

 

 Dクラスの高円寺君という生徒には、後0.1秒届かなかったようだ。悔しい。

 

 でも、凄く楽しかった。こうして全力で身体を動かせるのは、本当に楽しい。

 

 プールサイドから上がり、アルベルト君と固い握手を交わした。

 

「Nice fight!Nice muscle!」

 

 彼は「良い戦いだった! 良い筋肉をしているな!」と言っているようだ。

 僕も同じように、「Nice fight!Nice muscle!」と返し、お互いに笑い合った。

 

 授業が終わった後、先生から5000ポイントを受け取ったが、その時に「水泳部に入らないか?」とメチャクチャ勧誘され、丁重にお断りした。鬼気迫る表情だったから結構怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしてもアルベルト君、泳ぐ時はサングラスじゃなくてゴーグルに付け替えてたけど、中々にシュールだったなぁ。

 

 こうして水泳の授業は終わった。女子の水着姿を見た感想? 殆どひよりちゃんしか見てなかったからノーコメントでお願いします。

 

 

 

 

 

================

高度育成高等学校学生データベース

 

氏名:椎名ひより(しいな ひより)

クラス:1年C組

学籍番号:S01T004735

部活動:茶道部

誕生日:1月21日

 

 

評価

 

学力:A

知性:A

判断力:D

身体能力:B

協調性:D

 

 

【面接官からのコメント】

 物静かな生徒で、提出された情報によると幼少期から一人を好む傾向が強かったが、小学時代に氷知澄春と関わりを持ったことにより、徐々に改善されている。友人と呼べる存在は殆ど居ないようではあるが、その原因は資料によると中学時代に巻き込まれた事件が大きく関係していると思われる。学力、勉強に取り組む姿勢や知性には問題が見られないため、協調性や友人を構築する力を身につけ社会への対応力を上げていってもらいたい。

 

【担任のコメント】

 協調性のないところには改善を期待しますが、学力は高く授業への取り組みも真面目です。




 キャラ設定を考えている中で、矛盾が生じる説明があったので修正しました。ご了承下さい。
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