「はじめまして! 私はDクラスの櫛田桔梗です!」
桜が疎らになってきたある日の昼休み、一人の女子生徒がこのCクラスの教室へとやって来た。
「今日は皆さんと友達になりたくて来ました!良かったら連絡先を交換して下さい!」
その女子生徒――櫛田桔梗さんは明るく自己紹介をした後、早速近くに居た男子生徒達と連絡先の交換を始めた。この子、行動力が高いな。
何より、全体的に怖そうな生徒の多いこのCクラスで、全く物怖じせずにガンガン皆に話し掛けているところが凄い。一切の嫌悪感を感じさせない
―――何故、僕は彼女のことを警戒しているんだろう?
「こんにちは! 櫛田桔梗ですっ、氷知くん……であってるかな?」
「ッ、そうだけど……よろしくね、櫛田さん」
「うんっ! よろしくね、氷知くん!」
僕が思い悩んでいる間に連絡先交換は済んで、彼女は次に龍園君に話し掛けている。何を思ったのか、龍園君は櫛田さんのことを睨みつけているが、大丈夫だろうか。
「龍園くん、だよね?」
「……あぁ」
「良かったら連絡先を交換してもらえませんか?」
「……フン、好きにしろ」
何か危ないことが起きるわけでもなく、二人の連絡先交換は終わった。彼もまた僕と同じように、彼女に何か感じるものがあったのかもしれないな。その後も櫛田さんはCクラスの生徒に次々と話し掛けては連絡先を交換していく。
「Cクラスの皆さん、ありがとう! 他にまだ私と連絡先を交換してない人が居たら、遠慮なく私の連絡先を教えてあげて下さい! それじゃあ、またねっ!」
笑顔を振り撒きながら、彼女はCクラスの教室を出ていった。まるで嵐のように去っていったなぁ。
そんなことを思っていたら、携帯の着信音がピコン!と鳴った。確認すると、個人チャットのメッセージが1件、龍園君から来ている。隣の席なのに、何でわざわざチャットを……と思ったが、プライベートに話したらマズイことなのかもしれないと考え付き、メッセージを見た。
【龍園 翔】:櫛田桔梗とかいうあの女、お前にはどう見えた?
いきなり何を聞いてくるかと思ったら、そんなこと?
【氷知 澄春】:質問の意図がよくわからないよ
そう返信すると、右横からチッと舌打ちが聞こえた。態度悪いね。
【龍園 翔】:何の理由もなく全員と友達になりたいだのほざく奴が本当に居ると思ってんのか?
【氷知 澄春】:そういう人も世の中には居るんじゃないの? 僕はあんまり信じられないけど
こんなメッセージを送って横の顔を伺うと、不機嫌そうな表情から一変して楽しそうな――いや、不気味な表情をしている。
【龍園 翔】:詳しくその話を聞かせろ
【氷知 澄春】:世の中に100%の善人なんて居るわけがないんだよ。人生に最適解がない限り、絶対的な善人も悪人も存在しない。そういう風に作られてるものだよ
これはある人からの受け売りだが、聖人と呼ばれる存在でも間違いは犯してしまうものだし、どんなに凶悪な奴でもアリを慈しむくらいの心はあるのだという。
【龍園 翔】:なら、櫛田はどちら側だ? 善人か? 悪人か?
【氷知 澄春】:どちら側でもあると思うよ。なんなら全ての人に当てはまることでもある。僕達が見ている表側は善人でも、裏ではストレスで
「クハハハハハハッ!」
僕がチャットを送り終わると同時に、龍園君はさもおかしいとばかりに笑い出した。当然、クラスの視線は彼へと集中する。
「……ククク、こんなに笑ったのは久し振りだぜ。やっぱりテメェは面白い奴だな」
【龍園 翔】:せいぜい、これからも楽しませてくれよ?
不穏なメッセージを残し、クラスの雰囲気を変な風にしたまま、龍園君は教室から出ていってしまった。
「龍園の野郎、なんなんだよ! いきなり馬鹿みたいに笑いやがって……!」
「なんか気持ち悪いよねー」
「陰気なロン毛がイキがってんじゃねぇぞ!」
その後の教室内は、彼に対する悪口で溢れ返っている。本人の前では口に出していないところを見ると、報復されるのが怖いのだろう。昔の中学と全く同じ光景を見させられていて嫌な気分になる。
過ごしづらい昼休みを送り、その日の放課後。
「おい龍園! ツラ貸せやゴラァ!」
石崎君が龍園君に呼びかける。彼はそれに素直に応じ、真っ先に教室を後にした。その時に龍園君が獰猛な笑みを浮かべていたのを僕は覚えている。
翌日の朝。
石崎君が顔面を腫らし、ガーゼや絆創膏を貼った状態で登校してきた。こっ酷くやられたようで、元気がない。
「よう、雑魚ども」
「りゅ、龍園さん……」
龍園君が随分な挨拶で教室に来ると、石崎君は彼のことをさん付けで呼んだ。石崎君の目には龍園君に対する反抗の意志が欠片も見えず、完全に屈服させられてしまったのが見て取れる。
だが、これは龍園君にとって始まりの下準備に過ぎないということを、僕達はこれから思い知ることになるとは考えてもみなかったのだ―――
次の日は、小宮君と近藤君が同じように酷い有様の顔で登校してきた。彼らもまた、龍園君の傘下に下ったらしい。
更に次の日。
アルベルト君が元気がなさそうに登校してきた。挨拶をしても返ってくる返事は心細い。
学校が始まってから2週間後、とうとう彼が本格的に動き出した。
「―――俺は龍園翔。このCクラスの王になる男だ。今日からお前達は俺の命令に従え。文句があるヤツはかかってこいよ」
SHRが終わって放課後になるとすぐに教壇に立ち、数人の男子生徒を従えた彼は宣言する。その中にはアルベルト君も居り、僕は少し衝撃を受けた。彼のような生徒をどうやって従えることが出来たのかは知らないが、正面から挑んで龍園君が勝てる相手じゃないのは確かだ。どんな手を使ったのかが気になる。
「ふざけてんじゃねぇぞ、龍園!」
当然、独裁政治を宣言する龍園君に納得する生徒は殆ど居ないわけで、今の時任君のように反発する生徒は現れるものだ。
時任君は龍園君に殴りかかるが、それを他の男子達が押さえ込む。もれなく龍園君の傘下に入った生徒達だ。
「一人相手に数人で抑え込むなんざ、卑怯な手を使うじゃねぇか! 自分一人の実力じゃ怖くて勝てねぇのかよ! サシで俺とタイマンしやがれ!」
「あ? そんなもん受け入れるわけがねぇだろうが。数は力だ。それに、他の奴を従える力も実力のうちに入るだろう? ククク」
そう言いながら、僕の方に視線を向けてくる龍園君。実力……か。数の暴力というのは戦いにおいてかなり有利なものだ。多対一の戦いはこれまでに何度も経験してきたが、どれも苦戦を強いられるものばかりだったからこそ、身に染みるほどにわかる。
為す術もなくただ殴られ続ける時任君を見ながら、僕は冷静に考えていた。目の前で行われていることを止めようとは思わない。むしろ都合が良いと思っている。どんな手段であれ、この我が強いクラスをまとめる存在が居なければクラスとして成り立たないからだ。遅かれ早かれ、クラスを統治または支配しようとする生徒は現れただろうから幸いである。
僕は暴力が嫌いだ。しかし、それは一概に嫌いというわけではない。自分や大切な人が暴力を振るわれるのと、自分が暴力を振るうことが嫌いなだけである。非常に傲慢で身勝手な考えであることは理解しているが、自分にとって何の関係もない人が関係のない奴――ましてや警戒すべき対象に暴力を振るわれようと、どうも思わない。そっちで勝手にやってくれというので片付く。僕が暴力に訴えるのは、話し合いで解決が困難な時と、自身と大切な人を守る時だけである。
「他に歯向かうヤツは居るか?」
時任君を下した龍園君は嘲笑うようにクラス全体に問い掛ける。そして一人、席から立ち上がる者が現れた。その人物とは伊吹さんである。彼女は席を立つと教壇へと歩いていく。それに対して龍園君は他の生徒に下がれと指示すると、一対一で伊吹さんと向かい合った。
「龍園、あたしはあんたのことが嫌い。だから、従う気は……ない!」
言い終わると同時に、彼女から唐突に繰り出される素早い右脚の蹴り。それは真っ直ぐに彼の顎を捉えようとするが、寸前で掴まれて失敗に終わった。
「おいおい、そんなヤワな蹴りじゃ俺には当てられねぇな? 出直してこいよ、伊吹」
逆に、龍園君から一切の容赦ない平手打ちが伊吹さんの頬目掛けて襲い掛かる。
バチン!
それをモロに食らった彼女はよろめき、追撃で繰り出された膝蹴りを腹にもらい、最後は横に蹴り飛ばされてしまった。男女関係なしに暴力を躊躇いなく行使する龍園君の姿に、クラスメイト達は戦慄している。ひよりちゃんは彼女を心配そうに見ているが、伊吹さんはまだ
「グッ……」
鋭い眼光で彼を睨みつけているが、それをハンと鼻で笑った龍園君は愉快そうな笑みを浮かべている。
「まさか、この程度で俺に歯向かおうとしたのか? その意気は褒めてやるが、実力が乏わなければただの愚行だぜ。……もう一度聞くが、これを見てまだ歯向かおうとするヤツは居るか?」
龍園君の言葉で、今まで悲鳴や騒ぎ立てていた少数の生徒も沈黙した。教室内に完全な静寂、無音が訪れる。
「沈黙は肯定と見做すぜ。これからのCクラスは俺が管理、支配する。許可なく他クラスとの交流は金輪際を以て禁止とし、完全なる情報統制を敷く。それから全員、俺の連絡先を登録しておけ。しなかったヤツは反抗の意思ありと見て、制裁を加える。今すぐ俺の前に並んで携帯を出せ」
その言葉で、従っていなかった生徒達はすぐさま列を形成し、一列に彼の前に並び携帯を出して連絡先を交換していった。その横では龍園君の傘下の男子が目を見張らせており、これだけ見ればアイドルの握手会のようにも見える。実際には連絡先強制交換会なのだが。
「氷知、おまえは既に俺の連絡先を持ってるだろ。そこで無様に倒れてやがる伊吹と、時任とかいうヤツに俺の連絡先を教えておけ。後でそいつらの連絡先も俺に教えろ。いいな?」
列に並んでいなかった僕に指示してくる龍園君。クラスメイト達の視線が僕に向けられるが、今は気にせず彼の指示に無言で頷き、二人に彼の連絡先の登録をさせて、ついでに時任君と連絡先の交換を済ませた。二人の連絡先をチャットで送ると『よくやった』とメッセージが返って来る。僕はついでにあるメッセージを送信して、返信を待たずに携帯をポケットに仕舞い込んだ。
「……」
無言で睨みつけられるが、相手がひよりちゃんでないのならば動揺することは全くない。こういうのは先に弱みを見せたほうが負けなのだ。クラスの視線を無視して、僕は教室から出た。
◇◆◇
図書館に着くと、本棚からある小説を取っていつものように奥の座席に座る。本のページをパラパラと捲り続けること5分程度。一人の少女が本を持って僕の隣の座席に座った。ここで僕は一旦ページを捲る手を止める。
「大丈夫だった? 何もされなかった?」
「何事もありませんでしたよ。龍園くんが全員と連絡先を交換した後は解散になりましたから」
隣の少女――ひよりちゃんに視線を合わせず声を掛けると、普段と変わらないおっとりとした返事が返ってくる。本当に何もされていないようで安心した。視線を向けると、既に本の世界へと飛び立っていってしまっている。
この時間は彼女にとって唯一の安息であることを知っている身としては、この時間がずっと続いて欲しいと切に願う。ひよりちゃんにとっての図書館は聖域であり、それを何人たりとも汚してはならないのだ。もしも害をなす者が現れた時には僕が排除すると心に決めていた。中学では図書館で静かにする人が全く居なくて、
それに比べて、ここの図書館は素晴らしい。圧倒的な広さの敷地面積を惜しみなく使った巨大な書物の宝庫ともいえるこの場所は、とにかく蔵書の数が多くポピュラーな本からマイナーな本まで何でも置いてあるのだ。卒業までにどれだけの本が読めることだろうか。とにかく、彼女にとっては読むものに困らない天国のような場所で、物静かな所で心置きなく本が読める聖地なのである。
そんな最高峰の設備が整っている図書館の奥隅で、ひよりちゃんは『そして誰もいなくなった』を静かに熟読していた。この小説は『ミステリーの女王』と呼ばれたアガサ・クリスティー著作の名作ミステリーだ。入学式当日のバス内では『ABC殺人事件』を呼んでいたが、引き続き同じ著者の本を呼んでいるようで、彼女の脳内ではアガサブームが到来しているのかもしれない。
かくいう僕も同著者の『予告殺人』を今読んでいる最中なので同じことが言えよう。これが読み終わったら、今度は『オリエント急行の殺人』を読もうかと考えている。今の所は全部殺人事件絡みだが、いずれは恋愛小説も探して面白そうなのを見つけようかと思っている所存だ。卒業までに最低でも千冊以上は読んでおきたい。好きなだけ本が読めるこの3年間を無駄にしてはならない。
安らぎの一時を享受しながら暫し黙読していると午後6時の鐘が鳴った。壁の時計は長針が2周し、ふと窓ガラスの外を見やると深い海の色と日の光がせめぎ合っている。もうすぐそれも終戦となりそうなのを確認して本を閉じ、元の棚へと戻した。座っていた隣の席では、読了後なのか本を机の横に置き、静かな寝息を立てながらスヤスヤと眠っている銀髪の美少女が居る。今日は予想外のことが起きて疲れてしまったのだろう、だがその寝顔はとても幸せそうだ。何の夢を見ているのだろうか?
もう少し見ていたいが、閉館の時刻になってしまうので仕方なく起こそうとすると、不意に腕を取られた。体が引き寄せられ、鼻と鼻が触れ合う寸前まで近付く。思わず顔を赤くしてしまいそうになる至近距離で、トドメとばかりに寝言を呟かれた。
「……おんぶして連れて行ってください……」
呟いた後の口はニッコリと弧を描き、まるで待ち望んでいるかのようにも見える。おんぶ、か……。最後にしたのは何年前だったかな。察するに彼女は昔の夢を見ているようだ。起こすのが可哀想になってきた僕は、ひよりちゃんを椅子からゆっくりと離して立ち上がらせ、揺らさないようにして慎重に背負い込んだ。更に、自分と彼女のスクールバッグは両肩に掛けて重装備になる。彼女の両腕は僕の首をがっちりと抱擁して離さないでいるので落ちる心配はなさそうだが、それでも不安なので手首の下辺りを制服越しに優しく掴んだ。
幸いなことに、館内に居る生徒はもう僕達二人だけだったので他の生徒に見られることはなかったが、唯一残っていた司書の人には驚かれてしまった。僕の背に身を預けて眠るひよりちゃんを見ると、事情を察してくれたのか「仲良しなのね」と温かい言葉を掛けてもらって、事案にはならずに館外へと出ることが出来た。ありがとう優しい司書さん。
街灯だけが照らす薄暗い夜道を歩いて寮の近くまで来る頃には彼女も目を覚まし、背中から降ろした後は今日の本の感想を伝え合いながら寮へと続く短い道を歩いた。その時の月の光が、彼女の瞳を優しく彩っていたのが印象深い。
◇◆◇
時間は飛んで、翌日の放課後。長い髪を垂らしたCクラスの生徒、龍園翔は屋上へと続く階段をゆっくりと上っていた。
(氷知の野郎、面倒くせぇことしやがって……)
何故、彼が屋上に向かっているのか。その理由は昨日の氷知澄晴が彼へ送った一通のメッセージにある。
【氷知 澄春】:話したいことがあるので明日の放課後、屋上にて待つ。決着を着けよう
このメッセージを見た直後に、龍園は送り主の顔を見ると一瞬だけ表情が変わったのが確かに見えた。
(あの時のヤツの目は、いつもの女みてぇな弱っちい目じゃなかった。獲物を狩る獅子のような鋭い眼光が、ほんの一瞬だけ俺には見えた)
あれがヤツの本性か?と龍園は考えるが、氷知の普段の目が脳裏にチラついてその考えは消える。
(いや、あれは無意識に出た威嚇行動だろう。それだけヤツが俺のことを警戒しているとも考えられるわけだ)
少しずつ彼の中で考えは纏まっていく。そして考えれば考えるほどに、龍園の好奇心は高まった。未だ見ぬ男の正体を早く拝んでやりたいと思えば、自然と足を動かすスピードが上がっていくのを感じる。彼の氷知に対する興味は尽きないようだった。
(それに、宝泉とかいう1つ下のガキがすぐに鳴りを潜めたのにも腑に落ちない点がある。アレを沈めたのがヤツなら、ますます興味が湧いてくるぜ)
中学時代、龍園翔は名の知れた不良だった。不良達の間では『不屈の暴君』と恐れられており、その名の通り執念にも近い不屈の闘志で数々の敵を下してきた猛者である。独裁的な振る舞いで、歯向かう者は容赦なくプライドをへし折り、屈服させ、従えてきた。
2年生の時点で3年生諸共中学を手中に収め、3年生になると他の不良校にまで手を伸ばし、ある時に巷で噂になっていた
―――曰く、灰色の髪に黒い目をしたバケモノ。
―――曰く、通っていた中学を半年で支配した。
―――曰く、本性を見たものは完膚なきまでにプライドをへし折られる。
―――曰く、凶悪殺人犯を単独で叩きのめした。
―――曰く、彼の傍にはいつも銀髪の美少女が居る。
などと数々の噂が流れており、最後のは龍園にとってぶっちゃけどうでもいい噂ではあったが、他の噂については事実ならば是非とも手合わせ願いたいと彼は思った。
龍園翔という男は最初から強かったわけではない。初めこそは喧嘩で相手に何度も負け続けて地を舐めてきたが、要領を覚えると次第に勝ち始め、やがて地元で彼の右に出る者は居ないとされるほどの強者になった。
その強さは誰よりも負け、誰よりも場数を踏んできたからこそあるのだと本人は自負している。正攻法で勝てない相手には
だが、そんな龍園にも懸念はあった。
(ヤツに付いた通り名は……『
あくまでも自分は挑戦者であり、王者ではない。負かされたなら次に勝てばいい。どんな手を使ってでも、ヤツを従える。龍園にはそんな確固たる強い意志があった。全ては自分のため。どんな奴が相手であろうとも最後に勝つのは自分であるということを、彼は信じて疑っていなかった。
余談ではあるが、氷知本人は自分に通り名が出来ていることなど全く知らない。
(生意気にも俺に喧嘩を売ってきた石崎も、俺より力は強かったアルベルトも、最後は俺の下についた。今日だってそうだ。氷知がどんなに強くても、最後に笑うのは俺だ)
そして、龍園は屋上の扉を開ける。
彼の目線の数メートル先には、氷知澄春が普段とは明らかに違う鋭い目付きで立っていた。
「やっと来たね、龍園君。用件は……言わなくてもわかるよね?」
「……どうやら、素直に俺に従う気はないようだな」
龍園の言葉に氷知は軽く笑って言い返す。
「ハハッ、そりゃそうだよ。僕を従わせたいのなら、まずは実力を示してくれ」
「いつもとは少し口調が違うな。そっちがおまえの本性か?」
「違うね。いつもの僕と本質は何も変わってないよ。ただ、今は真剣に物事を進めたいだけで、そう見えるだけだよ」
「フン、別にどうでもいい話だ。今日はおまえを従えるために来たんだからな」
「従えるため、か……」
氷知は目を細めると、彼の後ろの屋上の入り口を見ながら言った。
「チッ……勘付いてやがったか」
ただ一言「出て来い」と龍園が言うと、屋上の入り口から3人の男子が現れた。
「石崎君に小宮君、近藤君か。アルベルト君は呼ばなかったのかい?」
「当然、アルベルトにも命令はした。だが、おまえとは戦いたくないと断固拒否してたぜ。情に厚いことだなぁ」
「完全に掌握はしきれていないみたいだね」
「うるせぇ。後であいつにもたっぷりと躾けこんでやらねぇとな」
龍園のCクラスの王としての活動はまだ始まったばかりだ。クラスを掌握し終えるにはもう少し時間が掛かる。目の前に居る男も自身が掌握すべき対象であるのだから。
「そうか、頑張ってね。……ところで、一人で来なくて本当に良かったのかい?」
「あぁ? 屋上にも監視カメラがあることはとっくにわかってる。これは必要経費だ。おまえを手に入れるためのな」
「クラスの評価下がるよ?」
「知ったこっちゃねぇな。どのみちCクラスを支配するのはこの俺だ。誰も文句は言えねぇ」
キッパリと言い切った龍園。多少の犠牲は厭わないという考えで氷知の懸念をかなぐり捨てていく。
「随分と強硬手段に踏み切るね。そんなに僕の存在が心配かい?」
「元はと言えば、テメェがここに呼び出したのが原因だ。今日でおまえを俺の下に従えさせれば終わる話なんだがな」
「そういえばそうだったね。……そろそろケリ着けようか」
氷知と龍園の両者が睨み合う。どちらも動かず、互いに隙を探り合っている。
「やれ」
だが、先に動き出したのはどちらでもなく、龍園がこの時のために連れてきた石崎、小宮、近藤の3人だった。
「龍園さんの命令だ。悪く思うなよ、氷知」
そう言って、拳を構えて駆け出す石崎と、それに続くように迫る小宮と近藤。同時に3つの拳が氷知へと襲い掛かった。
◇◆◇
「やっと始まったか」
「……そうみたいですね」
「Oh...he is so speedy.」
屋上の入り口前では3人の男女が屋上の様子をコッソリと覗き見ていた。言わずもがな、伊吹、椎名、アルベルトの3人である。放課後になると真っ先に教室を後にした氷知と、遅れてそれに続くように出ていった龍園を伊吹は怪しんでいた。氷知の態度が今日はどこか余所余所しく感じたのが発端で、気になって追いかけようとすると椎名とアルベルトも一緒に行くと言い出したのだ。その結果がこれである。
「何アレ……氷知のやつ、身体の動かし方が気持ち悪いくらい滑らかなんだけど……」
伊吹が若干引き気味になりながら呟く。氷知は3人の拳を腰から後ろに90度以上曲げて回避していた。2歩後退りするとそのままの勢いでバック回転を一回。綺麗な着地を決めると今度は逆に相手の懐へと潜り込む。
一瞬で目の前に氷知が現れたことに石崎は驚くが、すぐに彼の顔面目掛けて拳を振り抜いた。しかし、それは勢いを殺さず軌道だけを少し変えるように弾かれ、氷知の後ろから迫っていた小宮の顔へと
「ホゲッ……」
俗に言うフレンドリーファイアで小宮は後ろへとよろめく。そしてその隙を突いた裏拳が彼の九尾を捉え、為す術もなく倒れた。
「ふざけんな! 小宮の
間を置かず、氷知の背後に回った近藤からの右脚蹴りが彼に迫る。拳ではまた躱されると考えたのか、攻撃手段の切り替えが早い。このまま行けば脛の裏辺りにヒットしてしまい、氷知は左足を掬われてしまうだろう。
しかし、氷知はその蹴りを後ろが見えているかのように左膝を上げ、自身の靴の踵部分に近藤の爪先の小指だけがぶつかるように調整して相殺した。踵に比べて爪先はぶつけると痛い部位であり、特に小指をタンスの角にぶつけた時の痛みは想像を絶するものである。掠っただけでもかなり痛い。
「うおっ、いってぇ……!」
当然、痛い思いをしたのは近藤の方で、右足を抱え込んで蹲る。それを見逃すはずもなく、踵からの後ろ蹴りが彼の顎を捉え、近藤は声も出すこともなく気絶してしまう。
「マジかよ……」
これまでの間ずっと拳を振るい続けていた石崎だったが、全て避けられるか捌かれるかで対処され、相手に当てるどころか逆に利用されてしまったことに恐怖を覚えていた。まるで攻撃が当たらず、幽霊を相手にしているようだと感じる。気付けば仲間二人は倒され、残るは自分一人。恐怖心が掻き立てられ、目の前の相手に思わず足が竦んでしまった。氷知がゆっくりと前に一歩動く度に石崎は何歩も下がる。そうしているうちに彼の背中に固い何かがぶつかった。
「りゅ、龍園さん……!?」
後ろを向けば、自身の従う王である龍園が冷めた目で見ている。
「どうした石崎、やれ」
今はその言葉がとてつもなく恐ろしく感じられた。龍園が自分には何も期待していないように思えて、石崎は怖くなり下を向きながら投げやり気味に前へと駆け出す。
「うおおおおおおっ!!!」
恐怖による怯えから無意識に目を瞑ってしまい、前に居るかもわからない敵に向けて何度も殴る動作を繰り返すが、ただ空を切る感触だけが返ってくる。前を向き、目を開くとそこには誰も居ない。彼が後ろを振り向こうとした瞬間、何かが視界の隅にそっと映り込み、そこで石崎の意識は途絶えた。
「存外、呆気なかったね」
素早い手刀を背後から石崎の首筋に叩き込んだ氷知がつまらなそうに言葉を発する。
「何を勘違いしてやがる。本番はこっからだぜ?」
「……僕の体力を少しでも削ろうとしたのかな? それが目的だったのなら残念、肩慣らしにもならなかったよ」
「言ってろ。そのスカした面、今から歪めてやるよ」
配下は倒れ、残された王がとうとう動き出す。ここからは正真正銘の一対一。互いの実力をぶつけ合うだけだ。
睨み合ったまま互いに一歩ずつ前へ踏み出す。その挙動一つ一つが重々しいと、見ていた伊吹は思った。
互いの距離が1メートルもなくなると、二人は同時に駆け出す。龍園は腕を引いて拳を打ち込む構えになり、氷知も同じように腕を引くが拳を作らず掌底の構えで迎え撃った。
パシン!と音を立ててぶつかり合う両者の右手。押し合っているが、優勢なのは氷知の方だった。大きな手で龍園の拳を握り潰さんとばかりにギッチリと掴んで離さない。ミシミシと音がするくらいの力で握られて振り解けないと判断した龍園は、左脚の蹴りを氷知の腹に当てて無理矢理引き離そうとするが、氷知が右足を後ろに引いて半身になったことによりスレスレのところで躱される。
その時に氷知は右腕も後ろに引いていたので龍園はバランスを崩されて前のめりになり、逆に氷知からの膝蹴りを腹に受けた。お返しと言わんばかりのカウンターだ。それを当てたタイミングで氷知は握っていた右手を広げ、龍園の右拳を解放する。支えを失ったことによって龍園は平衡感覚がなくなり、後ろに何歩かよろめくとすぐさま距離を取って体勢を立て直す。
「ウッ、クソが……バカみてぇな握力してやがる」
悪態をつく龍園の右手は赤く腫れていた。相当強い力で握り込まれたのがわかるほど、くっきりと跡が付いてしまっている。痺れて感覚がなくなった右手は力が入らない。
「これで暫くは右手を自由に使えないね」
「だからどうした。それで勝負が着いたとでも言うつもりか? 俺はまだまだやれるぜ」
「無理だね。これ以上続けるなら次は関節外すよ?」
そう言って氷知は龍園が反応するよりも先に彼の肩に手を掛けた。
「チッ……今日のところは降参しといてやるよ」
これ以上の続行は不可能と判断し、龍園は潔く負けを認めた。
「本当は話し合いだけで終わらせるつもりだったけど、君が一人で来てくれないからややこしいことになった。こっちは戦う気なんて全然なかったのに」
「……なら、さっきまでのことは必要あったのか?」
「君らを無力化して話を聞いてもらおうかと思ったんだけど、別の意味に捉えられてたみたいだね……」
はぁ、と溜息を吐く氷知。その目は普段の優しそうなものに戻っている。
氷知は多少の小競り合いは許容範囲として、あくまで対話による決着を着けようと考えていた。だが、それを龍園は暴力でケリを着けるものだと勘違いしてしまったために生じた認識の齟齬である。
「最初から戦うつもりはなかったのか?」
「君のことだから素直に話は聞いてくれないと思ったし、多少の暴力に甘んじる覚悟はしてたよ。でも、石崎君達は完全に無駄骨だったかな」
少し呆れた口調で淡々と話す氷知。彼の真意を聞いた龍園は乾いた笑みを浮かべた。
「……ハッ、こっちが損しただけじゃねぇか。もっとメッセージをわかりやすく送れよ。『決着を着けよう』が話し合いだとは普通思わねぇだろ」
「それは君の感覚がおかしいだけだ。常識的に考えて、何でも暴力で解決するなんてこと、まかり通るわけがないよ。僕は出来るだけ穏便に済ませたかったのに……。次の日から石崎君達が僕に怯えるようになったらどう責任を取ってくれるんだい?」
「それはおまえが悪い。怖がられたくないなら何もしなければ良かっただけだろうが。自業自得だ、俺の知ったことじゃねぇな」
「薄情だなぁ。けしかけてきたのはそっちの方なのに。……まぁ、交渉決裂したらどちらにせよ実力行使は厭わないつもりだったけどね」
二人の間に険悪な雰囲気はなくなっていた。なんなら龍園は少し機嫌を良くしているくらいだ。
「はぁ、結局行き着く先は同じじゃねぇか……で、おまえの用件は結局何だ?」
「僕はどうでもいいけど、ひよりちゃんには一切手出ししないことと、僕と彼女の他クラスとの交流の許可を約束してもらいたい」
「そんなにあの女ことが大事なのか? 所詮、テメェも女のケツを追い掛ける野郎だったってことだな」
「答えになってないね。……それで、約束してくれるのかな?」
「……却下すると言ったら?」
龍園が試すようにそう言うと、氷知は途端に目付きを鋭くさせる。
「そんなの、さっきより酷いことになるだけだよ。もしかしたら歩けなくなるかもね」
「最初から認めさせる気満々じゃねぇか。穏便に済ませるって話は嘘かよ」
「龍園君が素直に認めてくれれば穏便に済むことだろう? 簡単じゃないか」
「チッ……仕方ねぇ、認めてやるよ」
「うん、ありがとう。言質は取ったからね?」
ニッコリとした、それでいて有無を言わせぬような威圧感のある顔で、氷知は懐から携帯を取り出して龍園に見せた。画面には録音中という文字が表示されている。
「代わりに少しくらいはクラスのために協力するよ」
「……少しかよ」
録音を終了させた携帯をポケットに戻し、「じゃあ、やることは終わったし僕は帰るよ。頑張ってね、Cクラスの王様」と言って氷知は屋上から姿を消した。
◇◆◇
「あぁクソ、勝てなかったか……」
負けた。それ自体は特に悲観することでもない。だが、ヤツに一度も攻撃を当てることが出来なかったのがどうも気に食わねぇ。そもそもヤツが本気で来ていなかったというのもあり、余計に腹が立つ。
氷知の野郎にやられた右手は今もジンジンと痛みが残っている。もう少しすれば痛みは引くだろう。腹にも一撃もらったが、吐くほどの威力でもなかったから右手と比べれは大したことはねぇ。もしもヤツが最初から全力でかかって来ていたなら、右手は本当に使い物にならなくなっていたかもしれない。
「ヤツを倒すにはどうすればいい……」
思わず赤く腫れた右手を握り締めた。今の俺にはヤツを倒せる明確なビジョンが見えてこない。しかし、いつか必ずヤツを倒すと俺は心に決めた。どんな手を使ってでも、俺の前に屈服させてやる。
その時を楽しみに待っていろ、氷知澄春。
―――最後に勝つのは、俺だ。
アンケートの結果、主人公の過去は『本編で徐々に明かしていく』が93票、『過去編(第0章)を作る』が8票で、大差がつきました。
ただ、本編だけではわかりにくい部分があるので、章が一つ終わるごとに番外編を1話ずつ投稿することにしました。番外編は家族関係の話を中心にやっていきたいと思います。
ー追記ー
途中の文章で不自然な箇所がいくつか見られたので修正しました。ご了承下さい。