幼馴染と平和な学校生活を謳歌したい   作:外崎 赫一

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 またしても長くなりました……。

 追記:ひよりパパの名前が判明したので変更しました。


6.「動乱の5月」

 4月も後少しで終わりを迎える下旬。今日の3時間目の授業は我らが担任、坂上先生の担当する数学だ。授業開始のチャイムが鳴る少し前に坂上先生は紙の束を持ってやって来た。

 

「すみませんが、急遽予定を変更して今から皆さんにテストを受けてもらいます」

 

「「「「「えええ〜〜〜!?」」」」」

 

 チャイムが鳴り終わると同時に坂上先生が言う。学生の僕達にとって抜き打ちテストは心臓に悪い。告知もなしに行うのは学校側の意図を感じさせる。

 

「抜き打ちとかマジかよ!」

 

「こ、心の準備が……」

 

「赤点取りたくねぇ……!」

 

 テストに対する愚痴が飛び交うが、なんやかんやで取り組む姿勢は見せているCクラスの生徒達。龍園君の暴力による独裁政治がここで活きてきたといえる。暴力制裁は命令に逆らわなければ行使されることはないので、彼の命令通り真面目に取り組んでいれば何の心配もないのだ。少しおちゃらけるくらいなら許される。

 

(悪い点取ったらヤバイ……)

 

(真面目に取り組まなきゃ、制裁される!)

 

(来月のポイントのためにも、クラスの足は引っ張りたくねぇ……!)

 

 皆きっと心の中ではこんなことを思っているのだろう。ある生徒は顔を青くしながら、ある生徒はガタガタ震えながらテストに臨もうとしている。これだと逆に実力が発揮できなくなりそうだが、大丈夫だろうか。

 

「突然の小テストで申し訳ありません。皆さんのお気持ちはわかりますが、これは成績表には反映されないので安心して下さい。だからといってカンニングは厳禁ですがね」

 

 成績表()()反映されないらしい。疑り深くなっている僕はその言葉が物凄く気になった。『に』ではなくわざわざ『には』を使っているのが引っ掛かる。他にも評価される項目が存在することを暗に示しているのではないかと、そう思えてくる。何にせよ、この小テストに全力で取り組めば悪い結果には至らないはずだ。

 

「あくまでも今回のテストは今後の参考用です。落ち着いて取り組むようにお願いします」

 

 坂上先生の説明で、緊張していた生徒もある程度の溜飲は下がったようだ。顔色を悪くしている生徒は居ない。問題用紙が行き渡り、テストが始まった。

 

 一通りの問題に目を通してみると、一科目4問、全20問で各5点の計100点満点の問題形式となっている。最初から順番に問題を解いていくが、見ただけで答えがわかってしまうような簡単な問題ばかりだ。これなら受験前の中学3年生でも解けてしまうだろう。入学試験の時ですらこんなに簡単な問題は出題されていない。しかし、最後の3問、18問目から異様に問題が難しくなった。

 

(何だこの問題……まだ習っていない範囲の内容じゃないか)

 

 ラストは理科、英語、数学の3問から出題されている。理科は化学の応用と思われる問題で、化学変化によって起こる作用を記述せよと書かれているが、まだ習ってもいないような長ったらしい名前の物質についての問題なのでわかるはずもない。英語に関しては知らない単語が6割の約300語の長文の問題で、読み解くことすら困難だ。最後の数学の問題は図形の面積を求める問題になっている。

 

 理科、英語に関しては知識不足な僕では無理難題ではあるが、数学は残りの時間を全て費やせばギリギリ解き終わりそうだ。正解かどうかは置いといての話だけれども。授業が終わるまでの残り約30分、僕は脳をフル活用しながら数学の問題に取り組んだ。

 

 問題文と睨めっこし続け、解答用紙に数式を書いては消し、書いては消しを繰り返す。残り5分を切ったところでようやく納得のいく答えに辿り着き、急ぎ足でペンを走らせる。

 

 解答欄の枠を満遍なく使い、残りの小さな空白に答えを書き入れたところで丁度チャイムが鳴った。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「最後の問題、メッチャ難しかったよな〜」

 

「スッゲーわかる、それ。てか、俺は半分くらいしか解けなかった気がするぞ」

 

 突然の小テストから解放された昼休み。Cクラスの生徒達はテストの話題で盛り上がっていた。

 

「氷知氏、最後の3問は解けましたか?」

 

「理科と英語は無理だったけど、数学だったら一応解き終わったよ。……合ってるかはわからないけどね」

 

 金田君に話し掛けられて、僕もテストについての話をしている。

 

「僕は全然わかりませんでしたよ。あの問題はこれから習う範囲の出題でしたし、恐らくほとんどの生徒は解けていないでしょう。学校側の意図が図りかねます」

 

 俯き加減に眼鏡を整えながら喋る金田君。解けなかったことが余程悔しい様子だ。正直、最後の3問は入学したばかりの高校生に出来る範疇じゃないと思う。

 

 金田君と会話した後は、アルベルト君とも話をした。彼曰く、「英語以外の問題は文章を読むことすら難しかった。数学はもはや何を言っているのか理解出来なかった」とのことだ。嘆くように言われた時は思わず苦笑いが出てしまった。日本人とアメリカ人のハーフである彼は、アメリカに在住していた期間の方が断然長く、両親が日常的に英語で会話をしていたという。そのため日本語にはまだ慣れておらず、国語は天敵らしい。

 

 そして、午後の授業は流れるように過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよ明日から5月かぁ。ポイントはどのくらい残ってるんだろうな……」

 

 夕方の7時過ぎ。食堂でひよりちゃんと食事を済ませて寮に戻ってきた僕はベッドに倒れ込んで呟いた。

 

 明日で何かが大きく変わる予感がする。プライベートポイントだけじゃなく、もっと他に重大なことが明かされるような気がしてならなかった。

 

 ソワソワしていた僕はシャワーを浴びてパジャマに着替え、コンロでお湯を沸かす。沸騰したお湯をマグカップに注いで、軽量スプーンでサラサラとした粉の入った袋からを少しの粉末を掬い上げ、マグカップに入れて別のスプーンでかき混ぜる。そうして完成したのはミルクココア。明日に備えて早めに寝たいため、コーヒーや紅茶などのカフェインの含有量が高いものは避けた。

 

 卓上にマグカップを置き、飲みやすい温度になるまで冷めるのを待つ。その間に所持ポイントの残高を確認した。画面に表示されているポイントは74263pr。この1ヶ月はなるべく昼食を弁当で済ませて、その食材もスーパーに置いてある無料食品を使って食費を節約していたので、食費を抑えることは出来た。食費以外の出費は、カラオケの割り勘と本、飲み物くらいに限っている。それ以外には部屋に敷く用のカーペットを買ったくらいだ。本以外にあまり物欲がないというのもあって、月3万もあれば不自由なく過ごせるくらいには余裕があった。万が一、来月のポイントが支給されなかったとしても、これから2ヶ月程度は普通に耐え凌げる。

 

 特に意味もなく5桁の数字の映った画面をじっと見つめていたが、そろそろ飲み頃になっただろう。カップの縁を触ってみるが、火傷するほどの熱さはない。もう平気そうだと判断し、取っ手を摘まむ。カップに口を付けて少し上へ持ち上げると、温かくて優しい甘みが口の中へと染み渡った。

 

「……うん、おいしい」

 

 コクッ、コクッと何回かに分けて、喉までミルクココアを流し込み飲み干す。最後に溶け切らずに底に溜まっていた粉の塊が喉を通過した。他の人は不快に感じるかもしれないが、僕はこの最後に来るドロッとした後味が結構クセになっている。

 

「ふぅ……落ち着いたぁ」

 

 空にマグカップを洗い、逆さにして水切り台の上に置いたらベッドに向かった。一連の流れで既に時刻は9時を回っている。

 

(明日はどんなことが起こるんだろうか……)

 

 一抹の不安と期待を抱えながら、意識はまどろみの中へと落ちた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 朝の4時半。セットしておいたアラームで脳が覚醒する。いつもより寝心地が良かったので、身体が軽く感じる。朝のルーティンをこなしに行く前に、ポイントの残高確認をすると―――

 

 

 

「残ったのは半分と少しかぁ……」

 

 

 

―――74263pr(プライベートポイント)から133263prに、59000pr増加していた。

 

「支給されたのは59000pr。評価で言うと41000pr相当の減点をくらったって解釈で良いのかな?」

 

 他クラスはどうなっているのかも気になる。試しに一之瀬さんと橋本君に今月支給されたポイントの額を聞いてみることにして、それぞれにメッセージを送った。

 

「Dクラスはどうなのかわからないけど、支給される額は少ないだろうな……」

 

 先日、教室内にゲームを持ち込んで遊んでいる生徒が居た。アレは相当な減点対象になると思うが、日常的に繰り返していたのなら残るポイントはごく僅かなものになりそうだ。監視カメラの存在に気付いていない線も考慮できる。

 

 だとしたら、彼らは今までどんな学校生活を歩んできたのか甚だ不思議に思う。当たり前のことが出来ない、それでこの先やっていけるのか? それなら、どうして彼らはこの学校に入学することが出来たのか? 疑問は考えれば考えるほど湧き上がってくる。

 

「やっぱりこの学校は不可解な点が多い。見えないルールがいくつも隠されてる」

 

 考え続けて出した結論はそれだった。そもそも、希望通りの進学先を100%叶えるという謳い文句からして怪しさ満点なのだ。入学しただけでそれが叶うのなら、この3年間は無駄なものになってしまうじゃないか。ここは腐っても政府直営の学校なのに、そんな横暴がまかり通るはずがない。優秀な人材を育むことが目的なのに、これでは矛盾が生じてしまう。

 

 もう一度、現在のポイントの額を眺める。この一ヶ月、評価を下げるような振る舞いは一度だけしかしていない。個人評価ならば、その一回でここまで支給額が減るとは考えにくい。逆に、Cクラス全体の評価がこのポイント量なのならば納得だ。最初こそは酷い有様だったが、4月後半には龍園君による支配で一応は危機感を持った皆が模範的な振る舞いをし始めたので、必要以上の減点は抑えられたに違いない。

 

「あっ、そろそろ行かなきゃ」

 

 時間を見ると5時を過ぎている。やはり朝は時間の流れが速く感じてしまうものだな。そう思いつつも、僕は体育着に着替えて外へと繰り出した。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 朝の運動を済ませて部屋に戻り、朝食の準備をしつつ携帯を確認すると、メッセージが2件届いていた。開くと、早朝に送ったメッセージの返信が来ている。

 

 

【一之瀬 帆波】:おはよう! ポイントのことなんだけど、こっちは支給額が8万と少しくらいだったよ

 

 

【橋本 正義】:おはようさん。確認してみたが、俺は支給額が少しだけ減ってたな

 

 

 内容からして、二人は僕よりも支給額が高いようだ。橋本君の『少しだけ』というのが1万以内なら、所属クラス別に考えると支給額が高い順からA、B、Cということになる。

 

「だとすると、評価が高い順にクラスも分けられてたのか……?」

 

 立てた仮説が正しいのなら、Dクラスは一番評価が低い生徒が集められているクラスになるわけで―――

 

「でも、それだと辻褄が合わないんだよなぁ……」

 

―――Dクラスに、櫛田さんや平田君などのしっかりしている生徒が所属していることと噛み合わなくなる。

 

「どうなってるんだ?クラス分けって。何か条件でもあるのかな?」

 

 ますますわからなくなってきたぞ。成績とかは関係なかったりするのだろうか。頭の中がモヤモヤしてきた。

 

「これは学校に行ってみないとわからないよなぁ……」

 

 取り敢えず朝食を取らなければ。栄養が脳に行き渡らないと、考えられることも考えられないし。

 

 作ったツナサラダと、ピーナッツバターを塗った食パンを食べ、学校に行く準備をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊吹さんにも聞いてみましたが、支給額は同じようでした」

 

「今月のCクラスは59000prが平等に支給されたってことだね。クラス単位で評価されるっていう仮説は的を得ていたわけだ」

 

 エレベーター内でひよりちゃんとポイントについての議論をする。ある程度のポイント支給額が減ることは覚悟していたのか、彼女が困っている様子はなかった。

 

「でも、この先どうなるんでしょうか。澄春くんのお話によると、AクラスとBクラスは私達よりもポイントが多く得られたそうですから、クラスによって支給額が違うのには理由があるかもしれません」

 

「そうだね。価値だとか評価だとか、クラス分けの理由も全貌がわからない以上、学校側が新しい情報を知らせてくるんじゃないかな。ポイントの支給額が10万を超えた生徒が1年生の中に居ないってことは、減点方式で支給額を決めているんだろうし可能性は高いよ」

「何故そう思ったんですか?」

 

 エレベーターが1階に到着し、寮の外を出て校舎に向かいながら話を続ける。

 

「減点方式なら、どのクラスも支給額が段々と0に近づいていくから、生活が大変になってくるでしょ? それを解消するために、何かポイントを増やせるイベントみたいなのがあるんじゃないかなって」

 

「イベント、ですか?」

 

 ひよりちゃんはコテンと首を傾げた。こういう天然なところがまた可愛い。

 

「ほら、何ていうか……そう、テストで良い点を取れば新たにポイントが支給されるとか、かな」

 

「なるほど……一理ありますね。今日は澄春くんがホームズみたいです」

 

「ハハハ、僕はただ思ったことを言っただけだよ、可愛い助手君。名探偵ホームズの名推理には遠く及ばない陳腐な推測さ」

 

 少し笑って返すと、彼女は柔和な笑みを浮かべてこう言った。

 

「澄春くんも可愛い探偵さんですね♪」

 

「解せぬと言いたいところだけど、中性的な顔なのは自覚してるから、あながち間違ってないのかな?」

 

 小さい頃、女の子と間違われたことがあるにはあったが、今は体格が細マッチョだから顔以外を見れば男とわかるくらいにはなっているはずだ。背も高いし、もう間違われることはないと信じたい。男装とか言われた日には落ち込む自信がある。

 

「それにしても、いつもより校内が騒がしいですね」

 

 学校に着くと、廊下では生徒達がポイントについての会話をあちらこちらでしている。Dクラス方面からは嘆くような声が聞こえてくるが、支給額が相当に低かったのだろう。

 

「マジで支給額減ったよな。龍園さんの言ってたこと当たってたわ。龍園さんマジ感謝だわ」

 

「だよねー。あのままの態度続けてたらDクラスみたいに0になってたかもしんないし、助かったよな」

 

 ん? 今、Dクラスが0って聞こえたけど……。

 

「皆さんおはようございます。これからホームルームを始めます。今から重大な発表がありますが、その前に何か質問などはありますか?」

 

 その時、丁度坂上先生が教室に来て、Cクラスの皆に向けてそう聞いてきた。その手には筒が握られている。

 

「先生、4月の時よりも振り込まれたポイントが少なかったんですけど、やっぱりこれって何か理由があるんですか?」

 

 一人の生徒が挙手して質問すると、坂上先生は少し感心したような表情で返答した。

 

「ええ、大いにあります。これから説明する内容と密接に関係していますので、よく聞いて下さい」

 

 いつもより上機嫌な態度で、坂上先生は説明を始める。

 

「この学校では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。このCクラスは遅刻、欠席こそは少なかったですが、授業中の私語、取り組む姿勢、端末の使用などを加味した結果、今月のCクラスの成績は59000pr分の評価となりました」

 

 それを聞いて、Cクラスの生徒達はホッとした様子を見せた。4月中に龍園君が動き出していなければ、振り込まれるポイントはもっと減っていたことは自明の理だ。命令されることに不満はあっても、従ったことによって利益が生まれたのだから、Cクラスの生徒からの彼の評価は上がったことだろう。龍園君に羨望や尊敬の眼差しが注がれていることからもはっきりわかる。本人は少し得意気に「フン」と鼻を鳴らしていた。満更でもない様子だ。

 

 生徒間でそんな無言のやりとりが行われている間に、坂上先生は筒の中から一枚の厚紙を取り出して広げ、せっせと黒板に貼り付けていた。

 

「これは今月の各クラスの成績です。皆さんが持っているpr(プライベートポイント)とは別に、この学校では他にもcl(クラスポイント)というものが存在します」

 

 紙には、AクラスからDクラスまでの名前と、その横に数字が表記されている。

 

 

 

 1年生 各クラスポイント成績

 

 Aクラス:940

 Bクラス:840

 Cクラス:590

 Dクラス:0

 

 

 

「月に振り込まれるprはこのclの数値×100となっています。4月はどのクラスも1000clでスタートしましたが、この1ヶ月でここまでの差が出ました」

 

 今度は数値に驚く生徒や()()()()生徒が現れた。それにしても、クラスごとに()()()()()()()()

 

「これを見て気付いた人も居るでしょう。この学校では、優秀な生徒達の順にクラス分けがされています。最も優秀な生徒はAクラスへ。逆にダメな生徒はDクラスへ、と」

 

 その言葉に、さっきまでしていた笑い声は消えた。この後に続く言葉は、Cクラス全体によく響き渡るだろう。

 

「気になっている人が多いと思うので、ここで敢えて言っておきます。このCクラスには、普通よりもやや劣った生徒達が集められています」

 

 坂上先生の発言はCクラス全体に大きな動揺をもたらした。

 

「それって、俺達がAクラスやBクラスの生徒よりも劣っているってことですか!?」

 

 誰が言っただろうか。静かになった教室内に、憤りの声が反響した。少なくとも自分たちが劣等生のレッテルを貼られている事実はCクラスの生徒達には看過し難いことである。暗雲の立ち込める天気のせいか、普段よりも暗い教室内で、たちまちクラス中から抗議の声や怒りの声が爆発した。これでは説明どころではなくなってしまうと、坂上先生が静かにするよう注意しようとする。

 

 

 

―――だが、それよりも早く、クラスの喧騒を鎮めた暴君が居た。

 

 

 

 ダン!と彼が机を強く叩くと、それまで騒いでいた生徒達は声を荒げるのを一斉にやめる。

 

「おまえ達、少しは静かにしやがれ。それとも、人の話も満足に聞けない猿どもしかこのクラスには居ねぇのか?」

 

 Cクラスの王である龍園翔が苛立ちを隠さず、やけに低い声で罵倒混じりの()()()()()()。それ以降、騒ぎ立てる生徒は一人も居なかったということをここに記しておく。

 

「坂上、続けろ」

 

 目上への敬意など全く払わずにCクラスの王が促すと、坂上先生はそれに対しては何も言わずに説明を再開した。

 

「ゴホン。……ですが、それは現時点での皆さんの評価に過ぎません。clの多い順にランク付けされている以上、clが最も多いクラスが最も優秀なAクラスになるわけです。まだまだ上のクラスへと昇格出来る可能性は残されていますので、頑張って下さい」

 

 ここで一旦区切る坂上先生。筒からもう一枚の厚紙を取り出した。

 

「さて、続いてですが……これは先日行われた小テストの結果です」

 

 新たに張り出されたのは、Cクラスの生徒40名の名前と点数が記載された用紙。一部を除いて、軒並みの生徒は60点前後の点数に集中している。

 

(僕の点数は……90点か。一応、回答した問題は全部正解だ)

 

 最後の数学の問題も何とか合っていたようだ。因みにだが、点数の高い順に上から名前が並んでいる。僕の名前は上から2番目に書いてあった。

 

「ひよりちゃんは95点かぁ、やっぱり凄いなぁ……」

 

 彼女の学力はかなり高い。それに、沢山本を読んでいるからなのか知識量が半端ない。そんな彼女でも満点が取れない難易度のテストを現段階で実施したということは、やはり学校側が何か企んでいるのだろう。嫌な予感しかしない。

 

「この学校では、中間テスト、及び期末テストで1科目でも赤点を取ったら退学になります」

 

 下から5番目の生徒の名前の上に赤いラインを引いて言った。

 

「「「「「はあああああああ!?」」」」」

 

 先生が新たな燃料(テストで赤点を取ったら退学になる事実)を投下したことで、成績下位の生徒達が叫び出す。

 

「た、退学って……そんなのありですか!?」

 

「この学校のルールですので、仕方ありません。退学したくないのであれば、真面目に勉強すれば問題ないはずでしょう」

 

 赤点組の中で一番点数が高かった生徒の山脇君(……だったかな?)が声を荒げると、坂上先生はしっかり勉強していれば問題ないという風にさり気なく返答した。

 

「最後に一つ、お伝えしなければならないことがあります」

 

 そう一言告げると、坂上先生はここで初めて険しい顔付きになる。

 

「皆さんは、この学校が誇る進学率と就職率の高さを目的にこの学校に入学したことでしょう。……ですが、世の中そんな上手い話はありません。何事も情報が全て真実ということはないのです。この学校に将来の望みを叶えて貰いたいのならば、Aクラスに上がるしか方法はありません」

 

 絶句。今のCクラスの生徒の状況を単語一つで表すならば、これが一番しっくり来る。僕もその一人……かは微妙なところだ。まぁ、そうだよね、くらいにしか思っていない。入学するだけで将来が約束されるというのは怪しさ満点の話にしか聞こえないのだ。父さんが刑事の職に就いていた影響なのか、この手の話は鵜呑みにしないようにしていたこともあって、あまりショックには感じなかった。

 

「Aクラス以外の生徒には、この学校は何一つ将来を保証しないでしょう。入学して浮かれていたところに水を差すようで申し訳ないことですが、これが現実です」

 

 まだ理解が追い付けていないのか、生徒からの反応は全くない。

 

「まずは中間テストまでの残り3週間、しっかりと勉学に励んで下さい。全員が赤点を取らず、退学を回避してくれると私は信じています」

 

 最後に先生は「期待していますよ、Cクラスの生徒諸君」と言うと、授業5分前のチャイムが鳴るのと同時に教室から居なくなってしまった。現実を突き付けられたCクラスの生徒達には、鐘の音が聞こえていたのだろうか。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 結局、午前の授業はクラス全体がどんよりとした雰囲気に包まれたまま進んで行き、昼休みに入ると流石に皆はいくらか元気を取り戻していた。しかし、「ポイントが残っていただけマシ」とか「Dクラスはポイント0とか終わってるよなw」などという、半ば現実逃避のような会話が繰り広げられている。

 

 不安なのは、自分達よりも下(Dクラス)の生徒が居ることに優越感を見出して()()()()()()()生徒が少なくないことだ。この一ヶ月でCクラスの生徒の顔と名前は覚えられたので、該当者の目星は付いている。特に顕著なのが、山脇君達のグループと、真鍋さん達のグループだ。

 

 山脇君達のグループは授業中の居眠りや態度の悪さが目立っており、真鍋さん達のグループは授業中の携帯弄りや私語が多かった。今となっては改善されつつあるが、龍園君が居ない時に陰口を叩く姿も見られたことから、少なからず彼の支配に不満を抱いているのがわかる。

 

「不安だなぁ……」

 

 自然と溜息とともに本音が漏れる。表面上、Cクラスは統制が取れているが、実際には反乱分子が渦巻いているようなもので、いずれ崩壊することは目に見えている。その時、彼はどう対処していくのだろうか。

 

 そう思い、黙々と弁当を食べながら周囲の会話に耳を傾けていると、廊下の方から言い争う声が聞こえた。

 

「おい、テメェ今なんつった!?」

 

「ハッ、これだから理解の出来ねぇ猿は困るぜ」

 

 聞き慣れ過ぎている会話で、声だけで誰なのかわかってしまう。クラスの皆も「またかよ」みたいな呆れた顔で、すぐに気にせず元の会話に戻っている。このくだりはもう10回以上聞いているのだから、そろそろ終わりにして欲しいところだ。そして、とうとう僕の前の席の伊吹さんが痺れを切らしたのか、苛ついた様子で立ち上がる。そのまま教室を出て、声の主の方へズカズカと歩いていくと、食って掛かるように怒った。

 

「龍園、時任、あんたら二人、いつまでそんなことやってるわけ!? 凄く迷惑なんだけど! 静かにしてくんない?」

 

「あ? 伊吹か。俺様はこの学習しない猿を指導してやってるだけだぜ?」

 

「龍園……テメェ、マジでブッ飛ばす!」

 

 それに対し、煽る声と怒声が廊下からしてくる。このままだと暴力沙汰になりかねない。廊下には監視カメラがあるのに……。そうわかっていても他の生徒が止めに入らないのは、単に巻き込まれるのが嫌だからだろう。伊吹さんは例外だ。

 

「それをさっさとやめろって言ってるのがわかんないわけ? 私から見たらどっちも同じようなもんよ」

 

「俺が龍園と同じ雑魚だって言いてぇのか、伊吹!」

 

「ククク、それは聞き捨てならねぇな。おまえと同列に並べられるのは心外だぜ」

 

 ああ、ドンドン事態がカオスになっていく……。

 

 収拾がつかなくなりそうになってきたので、僕は弁当を片付けて事を止めに入ることに決めた。

 

「廊下で騒ぐのはやめて貰えるかな? 伊吹さんも気持ちはわかるけど、あんまり熱くなり過ぎないでね。これ以上騒ぎを大きくしたらクラスの評価に響くと思うから、それをわかってて二人がまだ続けるなら僕は止めないよ」

 

「おうおう、今度はテメェがしゃしゃり出て来んのか? その女みてぇな顔で言われてもカッコつかねぇな。それとも―――」

 

 騒ぐのをやめるよう促すと、時任君は言葉とともにこちらに握り拳を構えてくる。俺を止めたいならかかってこいよと言わんばかりの体勢だ。

 

「チッ……まったく、喧嘩っ早い猿だな」

 

 龍園君としても評価を下げられるのは得策でないと感じているようで、手を出す様子はない。面倒臭そうに頭に手を当てて時任君を睨んでいる。

 

「聞こえてんぞ龍園。生憎、俺はクラスのことなんざどうでもいい。Aクラスに上がるだとか、そんなものに興味はない。今はおまえをブチのめすことが最優先だからな」

 

「ほう? 前に散々ボコられた割には、まだやる気あんのか? とんでもねぇマゾヒストだな」

 

「あ゛ぁ゛ん?」

 

「ククク……」

 

 頼むからこれ以上煽らないで欲しい、龍園君。ここまで露骨に煽っている理由は大体わかったが、人の目に付く所でやらかすのはやめてくれ。Cクラスの印象が悪くなってしまう。

 

「氷知、あの馬鹿はなんであそこまで煽るわけ? 余計に時任を怒らせるだけなのに……」

 

 いくらか冷静になった伊吹さんが小声で聞いてきた。僕達の目の前では蛇と猿が睨み合っている状況だ。先に猿が噛みつきそうだが、蛇は舌を出しながら隙を伺っている。

 

「それが龍園君の狙いなんだよ、伊吹さん。……あれが見える?」

 

「……そういうこと? ……やっぱアイツのこと嫌い」

 

 小声で話しながら龍園君の後ろを指差すと、伊吹さんは龍園君の狙いがわかったようだ。毒を吐いていたが、そこは気にしないことにしよう。

 

 僕が指を向ける先には石崎君が携帯を持ってスタンバっている。ほぼ間違いなく、時任君を嵌めるためだ。何度も彼を煽って少しずつ怒りのボルテージを上げさせて、暴力行為に及んだ決定的瞬間を石崎君に撮影させる。その映像を脅しの材料として使い時任君を従わせるか、そのまま証拠として排除する算段なのだろう。しかも立ち位置的に、龍園君は監視カメラから背を向けるように立っている。

 

「どうした? さっきから威嚇してばかりで、他には何もしてこねぇのか? ……あぁそうか、突っかかったのは良いが、今になって俺様との差を思い知ったから怖くなったのか!」

 

「………………んな」

 

「あぁ? 良く聞こえねぇな。とうとうチビッちまったのか?」

 

「………ざ…けんな」

 

 チンピラのような物言いで捲し立てる龍園君。それを浴びせられた時任君の怒りはもう爆発寸前まできている。

 

「まともに喋れないくらいビビってんのか? それなら―――」

 

 龍園君は悪辣な笑みを浮かべながら、時任君の耳に顔を近づけて囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――今のおまえはタダのイキがってる『腑抜け』だ。笑えるな」

 

 

 

 その言葉は、彼の箍を外すには十分過ぎるものだった。

 

 

 

「―――ッ、ふざっけんなぁ、龍園!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドスッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オイオイ、邪魔してんじゃねぇよ、氷知……」

 

 見ていた誰もが龍園に届くと思っていた拳は、直前で氷知が受け止めていた。しかも同時に、周囲に気付かれないように時任の九尾に一撃叩き込み、気絶させて無力化している。その一瞬の流れを捉えていた者は、下手人である氷知の他に()()しか居なかった。他の生徒には、殴りかかろうとした時任が拳を受け止められたと思ったら、いつの間にか気絶していたようにしか見えていない。

 

「流石にこれはやり過ぎだよ、龍園君。君の思い通りに事が進んでいたら、最悪の場合、一人の人間の人生が終了したかもしれないんだよ?」

 

 冷ややかな目で龍園を見るが、当の本人は全く気にしている様子がない。

 

「ハッ、どうだかな。使えない駒は今消しておくに限る。これから逆らうかもしれない奴への見せしめにもなって、一石二鳥かと思ったんだがなぁ?」

 

「そんなのじゃ長くは続かないよ。暴力政治は終わるのが早いって歴史が証明してる。せめてもう少し穏便にやらないと」

 

「……フッ、一応は考えておいてやるよ」

 

 あまり期待出来そうにない返事を聞くと、氷知は白目を剥いている時任を見て龍園に聞く。

 

「それはそうと、アルベルト君借りるよ?」

 

「好きにしろ……」

 

 もはや呆れているのか、龍園からの返答は素っ気なかった。若干頬を引き攣らせているように見えるのは気の所為だ。

 

「Alberto,help me carry!」

 

 

「OK」

 

 騒ぎが大きくなる前に、氷知とアルベルトは気絶した時任を保健室へと早急に運んで行った。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 オレ――綾小路清隆は昼休みに購買でパンを買い、教室まで戻って来ると、廊下で他クラスの男子が言い争いをしている現場を目撃した。オレの他にもクラスメイトの何人かはそれを遠巻きに見ている。途中で青いボブカットの女子が注意をしていたが、片方の男子は一向に鎮まる気配はなく、何時殴り合いが起きてもおかしくないような鬼気迫る状況となっていた。

 

 別段、オレには関係ないことなので、無視を決め込んで教室に戻ろうかと考える。その時、もう一人の生徒が騒ぎを止めに入った。一瞬、顔からして女子生徒かと見間違えてしまったが、男子用の制服を着用しているのだからきっと男子だ。それに、目測だが背はオレより高そうだし、体格も制服越しからでもわかるほど細く引き締まっている。うん、顔だけ女子の男子だな、何だそれ。自分でも何を考えているのかわからなくなってしまったぞ。

 

 その(推定)男子生徒も止めようとはしている様子だが、逆に刺激してしまったのか、怒鳴っていた男子生徒が拳を構えて戦闘態勢に入る。だがその男子と言い争いをしていた長髪の男子が何かを言うと、そちらに向き直ってメンチを切っていた。なんというか、短絡的な男子だな。性格が須藤に似ているし、厳つい顔をしているから、これからは心の中で須藤(ヤクザ)と呼ばせてもらうことにしよう。

 

 長髪の男子に煽られたからなのかどうかはわからないが、須藤(ヤクザ)は今にもキレそうな様子だ。それを見た長髪の男子はというと、悪そうな顔で何かを言っている。須藤(ヤクザ)の耳元で何かを囁いたかと思えば、直後に須藤(ヤクザ)が「ふざっけんなぁ、龍園!」と叫んで殴りかかった。

 

 ドスッ!!と大きな鈍い音がすると、(推定)男子がその拳を受け止めており、須藤(ヤクザ)はガクッリと項垂れている。

 

(さっきの動き、異常なくらいに速かったぞ)

 

 その時、確かにオレは見た。

 

 拳を受け止めた男子生徒が、同時に須藤(ヤクザ)の九尾へ拳を叩き込んでいたのを。

 

 ほんの僅か一瞬の出来事で、思わず見逃すところだったが、ホワイトルームで鍛えられたオレの動体視力は確かに捉えた。

 

(あの身のこなしは、戦闘のプロでもなければ出来ない芸当だ。……まさか、ホワイトルームからの刺客か?)

 

 驚きが疑念へと変わっていく。だが、オレと同じ4期生の中にあんな印象的な顔立ちの男子は居なかった。では、高円寺のような天然の天才なのか?

 

 ホワイトルーム生であるかどうか疑いは晴れないが、もし違うのならば、オレを打ち負かしてくれるかもしれない存在を外の世界で見つけられたのかもしれない。

 

 オレが内心で歓喜している間に騒動は収まったようで、オレが気になっている男子と、サングラスを掛けた黒肌の巨漢の生徒が、気絶した須藤(ヤクザ)を二人がかりで運んで行った。

 

 その後、同じく騒動を目撃していた櫛田にその男子生徒の名前を聞いてみると、『氷知澄春』というCクラスの生徒らしい。話によると、イケメンランキングで6位、可愛い男子ランキングで2位、歌の上手い男子ランキングで1位の、現在学年問わず女子達の間で注目されている男子だそうだ。そんなランキングがあるとは知らなかったが、それによるとオレはイケメンランキング5位だったので嬉しかった。ただ、根暗そうランキング上位に入っていたのはショックだったが。

 

 氷知の性格は穏やかで、平田のような温厚な生徒らしい。この時点でホワイトルーム生である可能性は限りなく0に近づいたが、もしかしたらオレのように()()()()()だけの可能性も捨てきれない。拳を受け止めていた時に、一瞬だけ鋭い目付きになっていたのが印象に残っているからなのか? あの目は相当の場数を踏んできているとオレの第六感は言っている。

 

 とにかく、オレは氷知澄春という男に興味が湧いた。後ろめたいことがなければ、是非とも仲良くしたいものだ。他クラスとの交流は難しくなってしまったが、Dクラスにしか友達が数人しか居らず、隣人とすらまともに仲良く出来ていないオレは、友情に飢えているのかもしれないな。

 

「優しくしてくれる友達が欲しいな……」

 

 机に突っ伏し、ボソリと本音が漏れる。

 

「何か言ったかしら、綾小路くん?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 隣の席の堀北に睨まれた。彼女は性格さえ良ければ完璧だと思うんだが……性格がなぁ……。

 

「……何か良からぬこと考えていなかったかしら?」

 

「いや、ホント、そんなこと考えてないからな!?」

 

 結論。平田のように優しい友達が欲しいです。いや、ホント、切実に。

 

 そんなオレの虚しい願望は、暗く立ち込めた雲の向こうには届かなそうだ。

 

 更にこの後の放課後、職員室に呼び出しを受けることになるとは全く思っていなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 昼休みに起きた騒ぎを無理矢理収め、放課後。

 

 いつものように図書室へと足を運んだのだが、中に入ると視線が一斉に向けられた。恐らく昼休みの出来事が知れ渡ってしまったのだろう、早くも止めに入ったことを少し後悔しそうだ。好奇の視線から逃れるように館内の奥へと足を踏み入れると、既に彼女が所定の席で黙々と活字に目を走らせていた。

 

 昨日読んでいる途中だった本を本棚から引っ張り出して隣に座ると、ひよりちゃんが本を閉じてこちらを見てくる。少し困り気に眉が下がっているが、やはり心配させてしまったのだろう。

 

「昼休みは大丈夫でしたか?」

 

「心配されるようなことは何も起きてないよ。怪我もしてないし、この通り元気だよ」

 

「では、何故寂しそうな顔をしているんですか?」

 

「……え?」

 

 自分でもわかっていなかったこと。それは、表情の変化だった。眉間を揉むと、張り詰めた感覚が緩和されたような気がする。知らぬ間に憂いを抱いていたことに、自分もまだ感情の制御が出来ない子供なんだなと、何とも言えない気持ちになった。

 

「……少しこっちに寄って下さい」

 

「……うん」

 

 椅子を寄せると、少し香水特有のほんのりとした甘い香りが漂う。距離が近くなったことを意識して心拍音に意識が傾き、脈動がやけに大きく感じられた。

 

「ここに横になって下さい」

 

 ポンポンと彼女は自分のスカートを叩く。横になれということは、そこに頭を置けという解釈で合っているだろう。しかし、距離感がいつもより近いのがそれを躊躇わせる。異性として意識している人の膝に頭を乗せるというのは中々にハードなことで、僕のメンタルが持ちそうにない。

 

「……」

 

「……えいっ」

 

 なんて思っていると、急に抱き寄せられて半ば強制的に横にさせられた。

 

「……重くない?」

 

「大丈夫ですよ。しばらくそのままでいて下さい」

 

 そうは言われても、羞恥心が半端ない。彼女の太腿の柔らかい感触が布越しに僕の頬へと伝わってきて、熱を帯び始める。ソファに横たわっている時よりも心地が良くて、鼻孔をくすぐる香水の匂いが野原いっぱいの花畑を連想させた。この状態でいると、段々と思考が散漫になっていくような気が……あっ、これ……ヤバイ……。

 

 視界が少しずつ狭まっていく。半分以上が黒で塗り固められたように見えなくなった時、ひよりちゃんと目が合った。彼女は安堵した様子でこちらを見つめている。穏やかで温かな微笑を向けられ、思わず見惚れていた。いや、いつも笑顔に見惚れているのだから今更なことか。薄い桜色の唇が酷く艶かしく見えて、自然とそっちに視線が寄せられてしまう。少しずつ大きく見えてきているのは錯覚なのだろうか。甘い吐息も薄っすらと感じられるのだが。

 

 ぼんやりとして黒く染められていく視界の中、最後まで僕の瞳に映っていたのはその桜色だけで、意識は魅惑の桃源郷に委ねられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うぅん……」

 

 目が覚めると、知らない天井ではなく、滑らかなカーブの膨らみがまず最初に目に入った。

 

「膝枕の寝心地はどうでしたか?」

 

 馴染み深い声が耳元をくすぐる。それによって、僕が今まで何をまじまじと見ていたのか理解してしまった。顔が熱くなるのを感じ、思考が鈍る。

 

「さいこうでした」

 

 意識せずに返答が口から出た。それを聞いた彼女はニッコリと聖母のような笑顔で僕を抱き起こす。

 

「それなら良かったです。もうそろそろ閉館の時刻になるので帰りましょうか」

 

 背筋を伸ばして欠伸をした後に時計を見ると、長針と短針が互いに逆を向いて0と6の数字の上にそれぞれ重なっている。

 

「本はよく読めた?」

 

 言外に、僕が膝上に乗っていて邪魔にならなかったかを聞いた。

 

「とても捗りましたよ。いつもこうしていたい気分です」

 

「……それだと僕が本を読めないよ?」

 

「その時は澄春くんが膝枕して下さい♪」

 

 今度は僕がするの? 落とさないか心配で仕方がない。して良いのなら喜んでするけど、本はまともに読めなそうだ。主に精神面の問題で。

 

「ひよりちゃんが言うのなら、別に良いけど……」

 

「ふふっ、そうですか」

 

 言うのが少し憚られた。実際にやっているところを想像してしまい、少しだけ意識が飛び退きそうになったなんて言えない。

 

 胸中の思いを隠すように席から立ち上がると、近くから、ぐぅ〜〜とお腹の鳴る音が。前回のように僕ということはない。では、この音はどこから?

 

「わ、私です……」

 

 やっぱり、我慢してたのでは? いつもより(膝枕で)カロリー消費が激しかったから、鳴るのが早くなったんだろう。……これって僕の責任では?

 

「……今日の夕飯、僕が全部作るから」

 

 僕以外に聞こえた人が居ないとはいえ、人前で恥ずかしい思いをさせてしまったのだ、これくらいはしなければならないだろう。いや、させて下さい。僕の良心の問題だ。

 

「良いんですか……!?」

 

「もちろん! とびっきり美味しいの作るから、楽しみにしててよ」

 

 普段の夕飯は役割分担して作っているが、お腹を空かせている彼女にやってもらうのは申し訳ない。さっきの膝枕のお返しとして、僕の全力の手料理を振る舞おう。あわよくば、自分が作った料理の感想を教えて貰いたい。自分で作った料理を食べても普通の味にしか感じられず、他の人からの意見が欲しいというのもある。

 

 これからやることも決まったので、すぐに図書館から出て寮へと戻った。

 

 さて、何を作ろうかな?

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「お味はどうかな?」

 

「……凄く、美味しいです。程良い甘さがクセになりますね」

 

 今回はクリームシチューを作ってみたのだが、気に入ってもらえたようだ。

 

「これ、隠し味にハチミツを入れましたか?」

 

「良くわかったね。コクと甘みを引き立たせるために、チョビっとだけ加えてみたよ」

 

 隠し味に気付いてくれたのは嬉しいな。

 

「お母さんが作ってくれるクリームシチューも、ハチミツが入っていたので何となくわかりました。……もしかして」

 

「お察しの通り、彩理(あかり)さんから作り方を教えてもらったんだ。下手に自分の好きなように作るよりも、ベテランの人から伝授したレシピの方が良いと思ってね」

 

「……通りで、どこか懐かしい味がしたんですね」

 

 そう呟きながらも彼女はスプーンを口に運び続ける。彩理さんは、ひよりちゃんのお母さんの名前だ。ちなみに、お父さんの名前はかつみという。二人の顔が見れなくなって早くも1ヶ月が経過したが、恋しく感じているのだろう。

 

「僕の作ったやつはそれを少しアレンジしているけどね。輪切りにしたソーセージやコンソメも入れてるよ」

 

 材料の都合上、完全に同じ具材を揃えることは出来なかったので、自分なりに工夫をこらした。本来の味を失わせず、なおかつ美味しいと思えるように。

 

「お母さんのよりもサッパリとした味わいで、澄春くんらしさが出てます」

 

「……それは、悪い意味で言ってるわけじゃないよね?」

 

「私のために澄春くんがこんなにも美味しく作ってくれたんです。おかわりしたいくらい、この味が好きです」

 

 な、なんて嬉しいことを言ってくれるんだ……。『この味が好きです』って笑顔で言われたら、泣きそうになるじゃないかっ。

 

「そう言ってくれて、僕は今、とっても幸せだよ」

 

 これ以外の言葉が出なかった。『ありがとう』とか、他にも言える言葉は沢山あるのに、こんなキザなセリフが自然と口から出てしまう。

 

「澄春くんが笑ってくれて、私も幸せですよ」

 

「〜〜っ」

 

 ……シチューよりも、とろけてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やけに甘く感じたクリームシチューを食べ終え、食器を片付けていると携帯から音が鳴った。

 

「龍園くんから、クラスグループのチャットにメッセージが来てますね」

 

 

【龍園 翔】:来週の月曜の放課後から勉強会を開くことにする。基本は全員参加だ。今回の小テストで70点以上だった奴が教える側に回れ。部活のある奴はそっちを優先しても構わんが、赤点を取っても俺は何もしてやらん。退学したくなければ、精々テスト勉強を頑張ることだな。Aクラスに上がりたいのなら、大人しく俺の指示に従えよ?

 

 

 龍園君は、命令口調ではあるが中間テストに向けての方針をしっかり説明している。最後の言葉を信じるならば、このCクラスをAクラスまで押し上げようとしてくれているのだ。本心がどうであろうと、彼はCクラスのリーダーとしての役目を果たそうと動き出した。

 

「私達は教える側のようですね」

「そうなるね。皆しっかり勉強してくれると良いんだけど……」

 

 正直なところ、我の強いクラスメイトが真面目に勉強に取り組んでくれるのかという不安がある。Cクラスの面々は個性的な性格の持ち主が多く、勉強しなければ退学になるかもしれないリスクを負っていても自分勝手な行動に走る可能性を捨て切れずにいた。

 

 中学時代までが決して楽しかったとは一概に言えない日々を過ごしてきた僕は、それが気掛かりで仕方がないのだ。一時期は人間不信になりかけていたせいで、余計なことだとわかっていても脳裏にあの光景が今も焼き付いて離れない。

 

「きっと大丈夫ですよ。あの頃のようなことは起きたりしないでしょうから」

 

 僕の気持ちを汲み取ったのか、頬にふんわりとした白い手が添えられる。伝わってくる温もりが、頭の中で渦巻いていた靄を消し飛ばしてくれた。そして彼女の瞳には絶対的な安心感があったからこそ、何も案ずることなく受け入れられる。

 

「今は私があなたの傍に居ますので、心配しないで下さい」

 

 少し強気な表情で、僕に向かってそう告げる。その後すぐに後ろを向いて「では、おやすみなさい」と言うと、彼女は何かを隠すように急ぎ足で部屋を後にした。

 部屋から出ていく時の彼女の耳元が赤くなっているのが、僕の目にはしっかりと映っていた。

 




 取り敢えず、参考までに現在のアンケート票数を載せておきます。

 (20) 綾小路清隆
 (19) 鬼龍院楓花
 (18) 坂柳有栖
 (12) 神室真澄
 (8) 佐倉愛里
 (4) 堀北学
 (4) 橘茜
 (3) 朝日奈なずな
 (2) 堀北鈴音
 (2) 南雲雅
 (1) その他

 鬼龍院先輩が人気過ぎる件。どうにか1章で登場させたい。坂柳さんと神室さんは確定です。綾小路君は言わずもがな(もう登場しちゃってるし)。

 第1章はあと4話くらいで終わらせて、番外編を1つ上げたいですね(序盤は曇らせ全開になりそうですが)。
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