・男主視点。
――空条承太郎だって、涙を流す親友のために胸を貸すはず。
ある日の放課後。バイトも無く、いつもなら旧図書館に行くところだが、今日は違う。
真っ直ぐに家に帰り、支度をして外に出る。……途中で承太郎と合流して駅に向かい、電車で隣町へ。
承太郎にはあらかじめ、何も聞かずについて来て欲しいと伝えてある。目的地に向かうまでに、俺達の間には会話が無かったが、こいつが相手なら沈黙は苦にならない。
目的地の最寄り駅で降りて、駅から歩くこと数分。
「――教会?」
「……あぁ」
「…………お前、前にクリスチャンじゃねえって言って無かったか?」
「あぁ。言った。……キリスト教徒なのは、俺じゃない。俺の身内だ」
「身内……」
小さな教会の敷地を歩き、建物の中に入る。幸い、聖堂には誰もいなかった。……普段は首に掛けて服の中にしまっているネックレスを、外に出す。
「……ロザリオ、か。お前、本当にキリスト教徒じゃ無いんだよな?」
「違う。これは亡くなる前に祖母が俺の母親に譲った物で……母が亡くなった時、遺書と共に俺に託された物――祖母と母の、唯一の形見だ」
首から外したロザリオを片手に握り、祭壇に続く道を進み……祭壇の前で跪く。握ったロザリオを胸に抱き、目を閉じた。
俺は神の存在を信じていない。だが、キリスト教徒だった母の事なら、信じている。……普段俺が祈りを捧げている相手は神ではなく、母だ。
ふと、背後に気配を感じる。跪いたまま振り向くと、イージスが勝手に出て来ていた。……彼は困ったように笑い、俺に寄り添っている。
俺もきっと、同じように笑っているのだろう。それから前を向き、再び目を閉じた。
……しばらく祈って満足した俺は、イージスを引っ込めて立ち上がり、振り返った。何も言わずに待っていてくれた承太郎に笑い掛ける。
「待たせて悪かった。……帰ろうぜ」
「っ、……もう、いいのか?」
「?……あぁ」
何故か動揺している承太郎に首を傾げつつ、用は済んだからと出口に向かう。……すると、先に扉が開いた。
「……おや。礼拝に来られた方ですか?」
「……はい。ついさっき終わって、これから帰るところです」
「そうでしたか」
現れたのは、この教会の神父だった。柔和に笑う男性だ。……そんな彼が、俺を見て目を見開く。
「……失礼。つかぬことをお伺いしますが」
「何ですか?」
「あなたは、去年の今頃と今年の春頃にも、こちらに礼拝に来られたのでは?」
「!?……確かに、その時期にもここに来ましたが……神父さんとお話したのは、今日が初めてですよね?」
「えぇ。直接話した事はこれが初めてですが、実はあなたが祈る様子を見た事がありまして……その時のあなたの雰囲気が印象的で、覚えていました」
まさか、そんな事で覚えられているとは思わなかった。雰囲気が印象的って、どういう事だ?
「失礼ながら――とても哀しげで、今にも消えそうな……そんな雰囲気を纏っていました。それでいて、他者を拒絶しているような空気もあり……神父としては恥ずかしい事に、私はその空気に圧倒され、ついぞ声を掛ける事ができませんでした」
…………なるほど。思い当たる節は、あるな。
「……その時のあなたと、今のあなたがすぐには結び付かず、一瞬別人かと思いましたよ」
「はは、そうでしょうね……その時の俺には――彼が一緒にいなかったので」
「!」
急に自分の話になって驚いたのだろう。目を見開いている。
「……ご友人ですか?」
「はい。頼りになる、親友です」
「そうでしたか……あなたの雰囲気が様変わりしていたのは、ご友人のおかげだったんですね。……ご友人も、こちらの宗派の?」
「いいえ。……実は俺も、祖母と母はクリスチャンですが、自分自身は違いまして……」
「それでは、何故こちらの教会に?」
「――春頃が母の命日で、今日が祖母の命日なんです。……訳あって本人達の下へ墓参りに行く事ができないので、代わりにここで祖母と母に祈りを捧げていました」
―――
――――――
―――――――――
教会からの帰り道でも、俺達の間に会話は無く、夕方に自宅の最寄り駅まで帰って来た。
俺は承太郎を自宅に招き、テーブルを挟んで向かい合って座る。……その時、あのイルカのぬいぐるみが目に入り、それを手に取った。前に承太郎も言っていたが、確かに柔らかい物を触っていると落ち着く。
……うん。今なら、話せる。イージスを呼び、念のために防音のバリアを張って、口を開いた。
「――俺が素顔を隠そうとする理由は、あのクソ野郎から……実の父親から、逃げるためだ」
その言葉を皮切りに、俺は自分の過去を語る。
今世の俺は、中学生までは両親と共に3人で暮らしていた。……近所に住む人達からは、仲の良い家族だと思われていただろう。
そりゃそうだ。あのクソ野郎は、外ではそう見えるようにしろと、俺と母に命令していたからな。
その分、家の中では酷いものだ。クソ野郎は俺にも母にも暴力を振るい、暴言を吐いた。それが何年も繰り返されたせいで、俺も母も心を折られ、抵抗を諦めていた。
しかし途中から、父親は俺への暴力を止めた。……その代わりに、母への暴力が増えた。
母が俺を庇い、身代わりになったのだ。
自分の事はいくらでも殴っていいから、俺を傷つけるのは止めて欲しい、と。そう言ったその日から、母への暴力が増えた。
俺は、母に守られた。……情けない事に、俺が母を守る事はできなかった。母に言われるがままに隠れて、暴力を振るわれる母の悲鳴を聞きながら、震える事しかできなかった。
俺にできた事と言えば、片っ端から本を読んで知識を身に付けて、母のためになる事をやるだけ。
自分が生き延びるためにも、母のためにも、本は必須だった。当時の俺は携帯を持っていなくて、パソコンを使う事も禁止されていたから、本から知識を得ていたのだ。
俺が通っていた小学校には大きな図書館があって、本がたくさんあった。時間が許す限り、本を読み続けた。……幸い、俺の目付きの悪さを怖がって、誰も近づいて来なかったからな。読書に集中する事ができた。
そんな事をしているうちに中学生になり、俺は学校の教師や父親に隠れて、バイトを始めた。……とある計画のために、金が必要だったのだ。
今思うと杜撰な計画だが……俺は、母と共に父親から逃げる計画を立てた。
金を貯めて、奴から逃げた後に俺と母の2人で住める物件を探して、そこに住めるように。母と話し合って、2人がそれぞれ別の場所で働いて、金を貯めた。
……母が働いて得た金は、そのほとんどが父親にむしり取られていたが、俺がバイトしている事は必死に隠したし、母も黙っていてくれた。
そのおかげで、順調に金を稼ぐ事ができた。
当時の俺は余計な金が掛かるからと、高校に行くつもりが無かった。だが、母はそれに反対した。"俺の将来のためには、中卒程度の学歴では駄目だ。せめて高校まで行って欲しい"と。
俺は渋々納得して、母と2人で住む予定の場所から近い高校を受験しようと思った。……それが、今通っている高校だ。
金の節約のために、俺は特待生入学を狙う事にした。この高校では外部からの入学、それも特待生となると試験は相当難易度が高い。
それでも必死に勉強した結果、入試に合格し、学費全額免除も勝ち取った。……その日、母は父親にバレないように、俺を祝ってくれた。
金も充分貯まったし、良い物件も見つけて、高校受験も成功した。あとは、父親の目を盗んで母と共に逃げるだけ。……中学を卒業した日に、俺はそう思っていた。
――卒業式の翌日に、母が首を吊って自殺するまでは。
「な、……自殺?」
「そう……あのクソ野郎も、俺も家にいなかった時に、母さんは1人で死んでいた」
驚愕する承太郎を前にして、俺は淡々と続きを語る。
「最初に母さんを発見したのは、俺だった。あの人は自分の部屋で、死んでいた。……俺は頭が真っ白になって、気がついた時には自室に閉じ込められていた。
俺が母さんを見つけた後に、あいつもすぐに帰って来て、俺は邪魔だからと、自分が良いというまで部屋から出て来るなと言われたのだと……落ち着いた時に、それを思い出した」
「…………」
「……それから、自室の机の上に、何かが置かれている事に気づいた。――母さんからの、遺書だった」
遺書には、勝手に死んでしまった事への謝罪と、自殺した理由が書かれていた。
どうやら、母の心は既に限界を迎えていたらしい。クソ野郎からの暴行に、稼いだ金のほとんどをむしり取られ、働いた事が無駄になる……そんな日々のせいで、本当はいつも死にたかったのだ、と。
だが、愛する息子である俺がいたから。せめて俺の卒業式を見届けてから死のうと、そう思っていたらしい。
俺が1人で金を稼ぎ、逞しく生きている様子を見て、俺なら1人でも大丈夫だと、安心したそうだ。
それから、小学校と中学校で楽しめなかった分、父親から逃げた後は、高校生活を楽しんで欲しい。幸せに生きて欲しいという、母の最後の願いが記されていた。
遺書の最後には、母が祖母から譲ってもらった高価なロザリオと、父親に知られないようこっそり隠しておいた、母が稼いだ金の一部の在処も書かれていた。
おそらく父親は、母の遺品を全て売り払う。そうなる前に回収して欲しい、とも書かれていた。奴は祖母が亡くなった時も、母が必死に止めたにも関わらず、その遺品を全て売り払ったから、と。
まさか、そんな事まで本気でやるのか?と、さすがに半信半疑だった。しかし――あのクソ野郎は、本気でそれをやりやがった。
母は自分の所有物。母の持ち物も自分の所有物。死んだ後もそれは変わらない。だから売って、金にする。……クソ野郎はそう言っていた。
こうして、俺に遺された母の遺品は、今も首から下げている高価なロザリオのみとなった。……祖母の遺品でもあるから、これは本当に大切な物なのだ。
母の遺書には、"困った時はロザリオを売って金にして欲しい。これは相当な価値のある物だから"と書かれていていたが、売るつもりは毛頭無い。
クソ野郎の所業は今でも許せねぇが、当時の俺にとってはチャンスだった。奴が母の葬式や、遺品を売り払う手続きに掛かりきりになっている間、俺は放置されていたから。
その間に隙をついて逃げ出し、行方を眩ませ……そして、今に至る。
「……俺は元々住んでいた場所から逃げ出して以来、その地域には行ってない。
どうしても、小さいガキの頃に暴力を振るわれた記憶が呼び起こされて、あの野郎を前にすると体が震えて仕方ない。……奴に関する記憶が甦るような場所には、近づきたく無いんだよ」
「……さっきも、神父には"訳あって本人達の下へ墓参りに行く事ができない"と言っていたな。それが理由か」
「あぁ。……母と祖母の墓がある場所に行けない代わりに、2人の命日にはあの教会に行って、祈っていたんだ」
「……それで、そのクソ野郎がシドを探しているのか?」
「…………分からない。だが、念のために素顔を隠している。奴は俺が前髪を下ろして、眼鏡を掛けた状態を見た事が無いから、見つかってもすぐには分からないはずだ」
「そう、か」
承太郎は眉を下げて悲しそうにしているし、イージスは俺の肩を抱いて今にも泣きそうだ。
「……とまぁ、これが今世の俺の昔話。どうって事は無い、ありきたりな暗い話だ。……承太郎の前世と比べたら大した事ねぇよ」
「――そんな訳あるか!!」
そう言って怒鳴った承太郎に、思わず肩を震わせた。承太郎はそれを見て一言謝り、話を続ける。
「……大した事がねえだと?ふざけるなよ。話をするだけでそんなに震えてるくせに」
「……震えてる?」
「馬鹿野郎が。よく見ろ」
隣に来た承太郎が、俺の両手を掴んだ。自分の手を見ると……確かに、震えている。気づかなかった。
「だからイージスも、お前の肩を抱いて安心させようとしてんだよ」
「……そうだったのか。ありがとう、イージス」
「無理しないでね?本当に……」
「あぁ。……なぁ、イージス」
「うん、何?」
「……俺のスタンドの力が、護る力になったのは……もしかしたら、根底に母親を守れなかった事への後悔があったせいかもしれない。俺はずっと、母さんに守られてばかりだったから」
母に守られてばかりで、俺は何もできなかった。あのクソ野郎を前にして震えるだけで、何もできなかった。
小学生の時は、まだいい。だが中学生になってからは喧嘩に慣れたし、体もそれなりに成長したから、俺が身代わりになる事もできたんじゃないか?
そうすれば、母もまだ耐えられたのでは?――あの時、自殺する事も無かったかもしれない。
俺は、母さんを守れなかった。
「……それが、親という生き物だ」
「え、」
「――親が子を、身を挺して守る事は、当然の事だ。……その後悔は、お前が背負う物ではない」
俺を見つめてそう言った承太郎の目は、まさしく親が子を見る目そのもので。
「
「承、太郎」
「……お前の母親は、お前がずっと後悔し続けるよりも、お前が幸せになってくれた方が喜ぶはずだ。もしも私が同じ立場にいたら、私だって徐倫に対して同じ事を思う。
遺書にもそう書いてあったんだろう?……高校生活を楽しんで欲しい。幸せに生きて欲しい、と」
「……それは、」
「でもなあ、シド。お前の母親の気持ちは確かに分かるが、俺はそいつにちょっと言いたい事があるぜ」
「はっ?」
急に、6部承太郎が3部承太郎になった。変わり身早過ぎだろ。
「お前が母親から見て逞しく見えたとか、1人でも大丈夫そうに見えたとか、遺書にはそんな事が書かれていたらしいが……当時のお前は、中坊のガキだぞ?
そんなガキを、暴力を振るう父親の下に1人置き去りにして勝手に死ぬなんざ、いくら心が限界だったとしても、普通は母親がやってはならない事だと思うぜ。
……まぁ、前世で妻と娘を守るためとはいえ、離婚してしまった私が言える事では無いと思うが……いや、それはともかく。
だからお前は、もっと母親に文句を言っていいんだ。ずっと母親に守られていた事に負い目があったとしても、言っちゃ悪いが相手は死人だ。
今生きているお前が、死人に好き勝手に文句を言っても、誰にも咎められないだろ?」
「……そんな、でも――」
「――母親に死んで欲しくなかった。……そうだな?」
言葉を遮られ、そう問われた俺は、小さく頷く。……そうだ。当然だろ。俺は母さんに死んで欲しくなかった。
「お前は自分だけじゃなく、母親と共に逃げたかった」
「っ、……あぁ」
「母親の死体を見た時……裏切られたと、そうは思わなかったか?」
「あぁ……あぁ、思った!」
「何故勝手に死んだのか、どうして自分に何も相談してくれなかったのかと、本当は母親にそう言って怒りたかったんじゃねえのか?」
「――そうだ!俺は、俺はあの人に怒りをぶつけたかった!!」
一度怒鳴れば、もう止まらない。俺は今まで溜め込んでいたものを、全て吐き出した。
本当はいつも死にたかった?知るかよ、そんな事!俺が逞しく生きてる?1人でも大丈夫?ふざけるな!!全っ然大丈夫じゃねぇんだよ!!
母さんが側にいないなんて嫌だった!もっと一緒にいたかったのに!!一緒にあのクソ野郎から逃げようって、約束したのに!!
何でだよ!何で勝手に死んだ!?ふざけんな、くそっ、くそが、嗚呼――
「――俺を置いて逝くなよ、母さんの馬鹿野郎!!うあぁ、あ"あ"ああ……っ!!」
そうやって思い切り泣き喚く俺に、承太郎は服が濡れても構う事なく、胸を貸してくれた。……背中を撫でる手付きが優し過ぎて、もっと泣いた。