最初はエアグルーヴを泣かせたいなと思ったんですけど、書いてたら勝手にベクトル変化して全く別方向に話がシフトしていったのでいろいろと変なところがあるかもしれませんが、そこはどうかドラ〇もんのような温かい目で見守ってください。
※キャラ崩壊、解釈違いなどを含んでいる可能性がありますので閲覧の際はご了承ください
「気を付け! 礼!」
「「さようなら~」」
放課後。授業が終わったウマ娘たちが教室から出ていく。真っすぐ帰宅する者もいれば、トレーニングの準備に向かう者、はたまたトレーナーとのミーティングと、ウマ娘によって行動は異なる。
ここトレセン学園では、レースでの勝利を目指すウマ娘たちが日々努力を重ねている。その在り方は千差万別。各々が自分なりのやり方で上を目指している。
基礎的な筋トレであったり走り込みであったり、はたまた映像を見ながらのレース研究だったりとその方法は様々だが、皆勝つために真剣に行うというところは共通しているだろう。
しかし、やはり大前提としてトレーニングには的確な指示を出すことのできるトレーナーの存在が不可欠だ。
トレセン学園に所属するトレーナーたちは皆一流。全国でもトップレベルの難易度を誇る試験に合格しなければ資格を得られないということもあり、他の学園よりも数段レベルが高い。
だがそんなトレーナーたちと言えど、全員がなんでも完璧にこなせるかというとそうではなく。
「全く、何をしているのか……」
私は今トレーナーの元へと向かっている。理由は単純で、トレーニングの時間になってもトレーナーが現れなかったからだ。会長のダジャレに比べればマシだが、こうも度々やられては困る。
廊下を進み、階段を登り、着いたトレーナー室のドアを開けて軽く見回すと、案の定机に突っ伏して眠っているトレーナーの姿が目に入った。
「はぁ……またか」
ため息を漏らしながら近付き、やや大きめに声を掛けながら体をゆする。
「ほら起きろ! もうトレーニングの時間になっているぞたわけ!」
「んぐっあっ?!」
情けない声を上げてトレーナーが飛び起きる。驚くのはわかるが、毎回こんな感じなのはいかがなものかと思う。
「起きたか? なら早く準備をしてトラックまで来い。私は先に言ってウォーミングアップをしているからな」
「あ、ああもうこんな時間か、済まねえなエアグルーヴ」
トレーナーが申し訳なさそうにそう言ったのを確認してから、私はトレーナー室を後にする。
もうすっかりこのやり取りが当たり前になってしまったが、あんまり良いものではないだろう。できることならもっとしっかりして欲しいものだ。
「これ以上続くようなら、一度喝を入れてやらねばな……」
そんなことを呟きながら、私は運動場へと歩くのだった。
私が今のトレーナーの指導を受けることになったのは半年前のこと。
成績が振るわず参っていた私に、彼から声をかけてきたのだ。
『次のレース、俺の指示で走ってみないか? 必ずいい結果にしてやるからさ』
そう言ってきた彼の表情は真剣そのものであり、本気で私のことを案じていくれているのが伝わった。だからこそ私は、一時的にトレーナーを変更する形で彼の指導を受けることになったのだ。
本来、トレーナーを変える場合は慎重な話し合いが必要になる。トレーナー同士の関係性の悪化はもちろん、急な練習メニューの変化によるパフォーマンスの低下なども懸念されるからだ。
しかしその頃の私にそんなことを考えている余裕は無かったし、私の成績が落ち込んでいることに責任感を感じていた当時のトレーナーも自分よりはと、彼の提案を承諾した。
結果として、私はその次のレースで三バ身差で一着という好成績を残し、彼の言葉は現実のものとなった。
『おめでとう、いい走りだったよ』
ターフから戻った私をそんな言葉で迎えてくれた彼とは、既に信頼関係が生まれつつあったと思う。
その日から彼は正式に私のトレーナーとなり、今もその関係は続いている。
成績も順調、コンディションも悪くない。トレーニングメニューも申し分なく、私自身も成長を実感できる内容となっている。
ただ一つ難点を挙げるとするならば……
「彼の態度がだらしないんだ…………」
「いや、何故それを私に言うんだ」
生徒会の雑務中、珍しくサボらずに仕事をしているナリタブライアンに話を振ると、彼女は心底どうでもいいといった反応を返してきた。
「仕方ないだろう、会長に私の個人的な悩みなど話せるか」
「……ならなんで私ならいいと思ったんだ」
「お前にはいつも苦労させられているのだ、たまに私の愚痴を聞いてくれてもいいだろう」
「はぁ…………」
深いため息をついたブライアンは、それでも一応話を聞いてくれるらしい。私はここぞとばかりに、日ごろ思っていることを口にする。
「確かにあいつのトレーニングメニューは理にかなっている。状況に応じて適切な選択をしてくれているのもわかるし、その点は私だって感謝しているんだ」
「ならいいじゃないか。最近のあんたの成績が良いのは私も聞いている。そのトレーナーのおかげなんだろう」
「しかしだな、だからと言って普段の態度が中途半端では困るのだ」
「それも女帝の矜持ってやつか?」
「ある意味ではそうとも言える。私は皆の模範となるべき存在だ。私の担当であるならば、それ相応のふるまいをしてくれなければ困る」
「ほう」
「私以外のチームメンバーに対してもそうだ。接しやすいようにフランクな態度を取っているのはわからなくもない。だがそれにしたって度が過ぎている」
「というと?」
「やたらと煽ったりふざけてからかったり、かと思えば必要なことをしゃべらなかったり、変に思わせ振りな態度を取って皆を困らせたりとな」
「ぶっきらぼうで愛想が悪いやつよりはマシだろう」
「それはそうだが……それで不安に思っている子もいるからな。控えてくれないかと思っている」
「ある意味では贅沢な悩みだな…………」
その後もいろいろとトレーナーのことを話した。書類のチェックを行いながら、それなりに長い時間そうしていた気がする。
ブライアンは意外にも作業をきちんと行いながら私の話を聞いていた。私はそれが珍しかったからか、はたまた話しやすかったからはわからないが、書類の量が多かったこともあって思ったよりも話を広げていた。
毎日のように練習に遅刻すること、練習メニューの提示が毎回ギリギリなこと、休日にすることになった打合せにも何度も遅刻していること。
話し始めると案外止まらないもので、いつの間にか普段は気にしないような事まで難癖をつけて愚痴にしていた。
「挙句の果てに、この間遅刻を咎めにトレーナーの家まで赴いたら部屋が散らかっていて酷いものだった。服は脱ぎっぱなし、埃は溜まり、不要になった書類が乱雑に散らばっていたりと酷いありさまだった」
「部屋なんぞプライベートな空間だろう。あんたが気にするな」
「いや、見ればお前でも驚いただろう。あそこまで行くと流石にどうかというレベルだ。自分でも言っていたが、まとめたり整えたりといった作業は苦手のようでな。そのせいで他のチームメンバーのスケジュールを混同して危うくレースの登録に失敗しそうになったこともあった」
「…………それは駄目だな」
「だろう? 私からも言ったのだ。何も全てを完璧にする必要はないから、最低限の管理はしっかりと行えとな」
「それで言って何か変わったか?」
「あまり変わらん。だからこうして愚痴をこぼすほど呆れているというわけだ。部屋も一向に綺麗にする気配がないから私自ら掃除しに行ったしな」
「掃除をしに行ったのか?」
それを聞いたブライアンは何故か口角が上がる。
声は漏れるほど笑っているわけではないが、面白くて仕方ないと言った感じだ。
「な、なんだ、何がおかしい」
「おっと、顔に出ていたか。すまないな、随分トレーナーのことを心配しているんだなと感心したまでだ」
「なっ……心配だと? 別にそんな……私はただあいつがだらけていると様々なところに支障が出るから、それについて……」
思わずそう返すが、自分で言ってて段々言い訳臭くなっていることに気付く。
そんな私の言葉が面白いのか、ブライアンはしてやったりといった感じで笑う。
「そのお節介も相変わらずだな。にしてもまさか、かの女帝様がまさかトレーナーにここまでご執心とは。随分と面白いな」
「っ! ブライアン、お前……!」
「世話を焼いて部屋に押しかけて、まるで通い妻じゃないか。私でなくとも『お幸せに』と言うところだろうよ」
「誰が通い妻だ!!!」
声を荒げるがブライアンはますます笑うばかりだ。
「おっと図星か? まあいい。それだけそのトレーナーのことを想っているのなら、直接言ってやった方が良いだろう。変にため込むなんてあんたらしくないしな」
ブライアンはそう言うと書類をまとめて立ち上がる。どうやら任せていた分はきっちりこなしたようだ。
「流石にこれ以上他やることはないだろう?」
「あ、ああ。今日はもう自由にしても問題ない」
「なら私は少し走ってから帰る。あんたも早いとこ終わらせてトレーナーに一言言いに行くんだな」
そう言い残したブライアンはすぐに走り去っていってしまった。一人残された私は悶々としたまま書類を捌くことになったのだった。
「一週間規則正しく生活?」
「そうだ」
後日、私はトレーナーに対してそんな提案をした。
「ここのところ貴様の態度が目に余る。遅刻に資料の管理不足、おまけに自堕落な私生活。それらを直して欲しいということだ」
「それは申し訳ないと思ってるしできることなら俺も直したいんだが……なんで一週間なんだ?」
「それは簡単だ。今現在こうしてだらしのない生活を送っている貴様に、いきなり私の理想通りのスケジュールを組んで行動しろと言っても無理なのはわかりきっているからだ」
「うっ……それはもうおっしゃる通りで…………」
「だろう? だからまずは短期的に達成可能な小さい目標を設定することとした。一週間どうにもならないなら長期的な改善は見込めんからな」
「はい…………」
見事に肩を落とすトレーナー。本気で落ち込んでいるわけではないだろうが、変に勘違いされるのも良くないだろう。
「しっかりしろ、別に貴様が無能だと言っているわけじゃない。トレーナーとしての能力は私も高く評価しているんだ」
「そうか?」
「ああ。だからあと少し細かいところをしっかりしてくれというだけだ。貴様がだらしないと、私まで変なイメージが付きかねんからな」
「まあそりゃあ確かになぁ…………」
実際に最近では後輩からよく心配されたりもする。『先輩のトレーナーさんってちょっと抜けてますよね』だの『先輩ってなんであの人をトレーナーとして選んだんですか?』だの、受け取り方によってはトレーナーの普段の態度を馬鹿にしているとも取れる。
結果が伴っているならそれで良いと思う者もいるかもしれないが、私はそれだけでは満足しない。学園の副会長、ひいては皆に模範たる女帝の責務として、相応の態度を取るべきだと考えている。
「このままでは私がいくら頑張ったところで貴様の悪評が立ちかねん。貴様とてそれは不本意だろう」
「……まあな。俺は別になんて言われてもいいんだが、お前にも迷惑がかかっちまうのは間違いないな」
(こういうところで自分よりも私のことを考えてくれるのは素直に高評価なのだがな…………)
であればなおのことしっかりして欲しいものだ。
トレーナーは私の提案にいろいろと思考を巡らせていたようだが、やがて意を決したのか口を開いた。
「よし分かった。他ならぬお前の頼みだ。俺も覚悟を決めるよ」
「本当か? なら良かった」
「あ、ちなみに一週間経ったらどうするんだ? 維持するのか? それともまただらけていいのか?」
「今だらけてる自覚はあるのではないか、たわけ。しかしまあ、それはその時に考えることにしよう」
「俺の一週間の様子を見て決めるってことか?」
「ああ。継続できそうならしてもらうに越したことはない。もし厳しそうなら……それはまたその時考えよう」
「わかった。頑張るよ」
こうして、トレーナーは一週間、規則正しい生活を送ることになったのだった。
一日目、トレーナーは別人になったかと錯覚するほど見違えた。
身だしなみも綺麗に整え、遅刻もなく余裕のある行動。自分で提案しておきながらここまでまともになるのかと驚いてしまったほどだ。
「なんだ、やればできるではないか」
「まあな」
してやったり、という表情のトレーナーだが、その姿は理想そのもの。ここまでできるのなら始めからやれという話ではあるが、約束を守ってくれているわけなので怒るに怒れない。
「この調子で頼むぞ。できることなら一週間以上続けてもらいたいぐらいだが」
「あー……それはどうかな。結構疲れんだよな、真面目にやんの」
「ならこの一週間で慣れることだな」
そうは言ったものの、きっとどこかで崩れていつもの姿に逆戻りするのだろう、そう思った。
何せこれまで多少の注意では全く響かなかったのだ。やる気になってくれたのは嬉しいことだが、長続きはしまい。
と、そう思っていた私だったが、トレーナーは思いの他上手くやり、特に何事もなく真面目なまま一日が終わってしまった。
「ふぅ、なんだか疲れたなぁ~」
そう言いながら伸びをするトレーナーはなんだかいつもの数倍頼れる存在に見える。
「な、なあ、トレーナー」
「ん? なんだ?」
「いやその……純粋に疑問なんだが、何故今までこのスタイルでやってこなかったんだ? 見たところ普通にそつなくこなせているようにしか見えないのだが……」
「そりゃあ疲れるからに決まってるだろうよ。俺器用じゃないからさ、あれもこれもしっかりやれないのよ」
「やれているではないか」
「いや、一週間持つかわかんねぇよ? 普段と比べたら重労働もいいとこだし」
いつも通りふざけて言っているのか、本当に大変なのかはわからなかった。しかしこのままトレーナーの態度が改善したままやって行ければ、とは思った。
以前よりトレーナーとしての腕に信頼があったのは間違いない。でなければ私の成績は伸びなかっただろうし、私以外のチームメンバーも集まらなかっただろう。
だからこそ以前より『態度に目を瞑れば凄い』という評価に納得がいっていなかったのだ。その懸念が無くなった今、彼はトレセン学園内でも指折りの実力を持ったトレーナーであることを確信できる。それほどに私はこの男に信頼を寄せている。
「ふっ……頼もしいではないか」
「ん? なんか言ったか?」
「なんでもない。それよりも約束は一週間だからな。すぐに元通りになってもらっては困るぞ」
「ああ、わかってるよ」
こうして、約束の一週間のうち、一日目は極めて順調に終わった。
二日目、流石に他のウマ娘たちもトレーナーの変化に気付き始めた。
昨日もトレーナーの変化に驚いていたチームメンバーはいた。が、皆大して気にしていなかった。
というのもうちのトレーナーはかなりの気分屋であり、コロコロと態度が変わる。突然新しいことをやり始めるのは日常茶飯事なので、それに慣れている面々は『いつものことだろう』と軽く流していたのだ。
しかし二日連続となれば話は別だ。
私は普段通りトレーニングをこなしていただけだったが、他の者は皆トレーナーに対して積極的に相談事を持ちかけていた。
自分のコンディションや練習メニュー、これからのレース計画に関しての提案や、目標の具体的な設定。普段からしていることのさらなるブラッシュアップを行っているのだろう。
トレーナーに感化されて皆のモチベーションが上がっているようで、チーム全体としての雰囲気も非常にいい。特にうちのチームはトレーナーのお人好しでかなりメンバーの数が多いのだが、そのほとんどがやる気に満ち溢れていると感じるほどだ。
「へぇー、それはとてもいいことね」
「ああ、わざわざ約束を取り付けたかいがあったというものだ」
トレーニング後、よく話をするサイレンススズカにトレーナーの話をした。
淡々とレースをこなす印象があったのでそこまで気にしないのかと思いきや、意外にも食いつきが良かった。やはり彼女もトレーナーとの関係性は重要視しているらしい。
「それにしてもエアグルーヴのトレーナーさんって、あのいつも眠そうにしてるトレーナーさんよね? 」
「うっ……お前にもそう思われていたのか。まあ、そのトレーナーで合ってる」
「へぇ~、なんだかあんまり想像つかないわね。そもそもあんまり話したこともないからかもしれないけど」
自分の担当とは別のトレーナーの認識などそんなものだろう。というかうちのトレーナーの場合は多少話して内面を知ったところであんまり良い印象は受けないだろうが。
「でも、ちょっと残念ね」
ふと、スズカがそんなことを口にする。
「ん? どういうことだ?」
「いえ、その……エアグルーヴとトレーナーさん、とてもバランスが取れているというか、二人で一人みたいな印象があったというか……」
「?」
「えっと、悪い意味じゃないんだけどね。二人ともキッチリしっかりしていたら、多分疲れちゃうと思うのよ。でも、二人はお互いにいい部分が噛み合っていて丁度いいんじゃないかって、思ってたの」
「いまいち要領を得んな。要はあいつがだらけていた方が良かったんじゃないかということか?」
「うーん、そういうことになっちゃうかしら? そういう意味ではないのだけど……ごめんなさい」
「謝るほどのことではないだろう。感覚的なことは言語化が難しいだろうしな」
とはいえ、少し引っかかるものはあった。
スズカの言わんとすることはなんとなく理解した。要は私が真面目である分トレーナーが多少緩いほうがバランスが良い、という印象があったのだろう。
確か世の中にはそう言った関係性は多くあるはずだ。お互いの長所で相手を補完し合う関係は理想的だし、何より簡単にできることではない。スズカから見てそう映っていたということは、それほど相性が良さそうに見えていたということだろう。悪い気はしない。
しかし、全員がそう思ってくれるわけではないのだ。
トレーナーのことをあまり好意的に見ていないウマ娘がいる、これは紛れもない事実だ。もちろんスズカのように良好な関係性だと感じている者もいるのだろうが、やはり大半はトレーナーの態度を良く思っていなかった。
だからこそ私は、それを改善せんと一週間という期限付きの提案をしたのだ。
その後スズカとはすぐに別の話題になり特に深く話すことはなかったが、少し考えてみる必要もあるかもしれないと思いながら、その日は帰宅した。
その後、トレーナーは順調に生活を送っているように見えた。
三日目は何を聞きつけたのか他のチームのウマ娘が個人的な相談を持ってくるほどになり、四日目はそれを受けて他のトレーナーが話をしに来るようになった。
相談を持ち掛けたウマ娘曰く、『少しのアドバイスで悩みが解決した』『トレーニングメニューの問題点を一目で割り出してくれた』『話しただけで精神的な不安が無くなった』など、とにかく好評だった。
ここまでならば、ただ一人のトレーナーが真面目になっただけの話で終わっただろう。何事もなく一週間経てば、一人のトレーナーが成長したというだけの話で済んだ。
ところが実際にはそんな上手くいかなかった、とある問題が起きたのだ。
五日目。
最初に異変を感じたのは担当しているウマ娘の中の誰でもなく、他のチームのとあるウマ娘だった。
コンコン
「失礼する、エアグルーヴを探しているんだが、どこにいるか知らないか?」
その言葉の通り生徒会関係の要件でエアグルーヴを探していたナリタブライアンは、彼女の担当のトレーナー室を訪れていた。
しかし入室直後、その表情は一変することとなる。
「?!」
「ああブライアンか。エアグルーヴはここにはいないよ。今はスズカと併走トレーニングでトラックにいるはずだ。生徒会の用事かい?」
「い、いやそうなんだが……あんた顔が酷いぞ?」
ブライアンが驚くのも無理はない。何故なら彼女が見たトレーナーの表情はとても健康なヒトのものではなかったからだ。
虚ろ気な視線、目の下の隈に、体調不良のせいか血色は青っぽく、唇も肌も掠れている。一見髪や服装が整えられているからこそ、肌や顔の不気味さがより引き立っている。
誰がどう見てもまともな状態でないのがわかるだろう。
「あんた……なにしてるんだ?」
「ん? 俺か? 今は担当してる子たちの来週のトレーニングメニューを練ってるところだよ。もう少ししたら大きいレースも増えてくるし、調整の日程が…………」
「そうじゃない! 私が聞いてるのはなんでそんなボロボロになってるのかってことだ! 一回鏡で自分を見て来い!」
怒りの混じった言葉。たとえそれが心配から来るものであったとしても、その迫力と威圧感は怪物と称されるにふさわしいものだった。
だがトレーナーはそんなブライアンの剣幕にひるまない。作業の手を止めず、淡々と言葉を返すのみだった。
「ああ、そのことか。エアグルーヴとの約束でね。一週間だけきっちりスケジュール組んで規則正しく生活してくれってさ」
「説明になっていないぞ。何故規則正しく生活してそんな姿になる」
「そりゃあ俺が不器用だからだよ」
そう言うとトレーナーは一旦手を止め、ブライアンへと向き直る。
「お前なら少しはわかってくれるんじゃないか?」
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味だよ。あんまりどうこう言うのもあれだけど、お前も結構直感的に動くタイプだろ?」
「だとしても今のあんたのようにはならん。絶対にだ」
「まあ、それもそうか」
トレーナーはそういって冗談めかすが、浮かべた笑みには生気が感じられない。
「いやね、俺って本当に不器用でさ。事前に計画立ててその通りに過ごすって、それ自体がもう結構なストレスなんだよ」
「だとしてもおかしいだろう。あんたのことは結構聞かされるが、だらけていても腕はいいという話だ。例え規則正しくあれこれやるのが苦手だったとしても、そこまで酷いことになるとは思えない」
「腕がいい……か、ありがたいね。けど、俺が不器用なのは本当だよ。できないんだ、効率よく。だから普通のヒトがやってるみたいにしっかりやると、いろんなとこに負担が出てこうしてボロボロになっちゃうってわけだ」
「それを避けるためにだらけていたと?」
「ああ」
「多少真面目になった程度でそこまで変わるか? 今まではどうしてたんだ」
「今までは別に大したことなかったからね。ただ、ちょっと真面目になったらみんな思った以上に俺のこと頼るようになっちゃってさ、ちょっと予想外だったよねそこは」
エアグルーヴと約束をしてから今日までの五日間、トレーナーだけでなく担当してたウマ娘たちにも変化が起きていた。
今までだらしなかった自分のトレーナーが急に真面目になったらどうなるか。トレセン学園に所属できるほど熱意にあふれたウマ娘たちならば、当然その変化に感化されてより精力的にトレーニングや各種活動に専念するようになる。
その結果何が起きるかと言えば、トレーナーに対する負荷の増大だ。
そもそもトレーナー業務というのはかなりハードルが高い。チームメンバー全員のポテンシャルとコンディションの把握に始まり、それを踏まえた適切なトレーニングメニューの作成。一見知識があればなんとかなりそうなこれら基本的な仕事ですら、一般人では想像もできないような苦労がある。本人たちが申告するよりも正確に脚質適性や得意距離を判断し、それに合った戦略を取るために必要や筋力、判断力を養成しなければならないのだ。
それに加えてウマ娘たちは学生としてのテストでは成績を維持しなければならないという制約があり、更には移ろいがちで複雑なメンタルのケアまで行う必要が出てくる。場合によってはそこらのカウンセラーなど比にならないほど悩みの相談に乗り、ウマ娘がレースで全力を出せるように常に気を配り続けなければならない。
そしてチームを率いるということはそれを複数人同時に行いつつ、本番のレースで相手となる他のウマ娘の情報収集まで行わなければならないのだ。
少し指導するだけで圧倒的な才能を発揮し勝ち抜けるような、そんな理想的なウマ娘ならまだいいだろう。だがそんな者はごくごく一部だ。ほとんどは全力で努力を重ね続けても思うような結果が出ずに学園から消えていくのだ。そうならないために、トレーナーは自身の全力を持って皆を導かなければならない。
レースはエンターテイメントではあるが、当の本人たちからすれば真剣勝負そのもの。できることは何でもやり、利用できるものは何でも使ってようやく結果が出るか出ないかというスタートラインに立てると言える。
だからこそ、それを支えるトレーナーは常に全力だ。
「チームメンバーに対しての指導っていう一点においては、今までもふざけてたわけじゃなかったよ。だから俺がやる気出したところで特に変化はないだろうって高を括ってたんだけど、意外とそうじゃなくてね」
「変化があったということか?」
「まあ、そういうことになるね。類は友を呼ぶっていうし、みんな俺と同じような緩めの性格してるかと思ったんだけど、やっぱりトレセン学園に来るだけはあるよ。俺がちょっと気合入れ始めたらそれにつられてどんどんモチベーションが上がってさ、その分忙しくなっちまった。おかげで寝る時間がなくなってね、このザマさ」
「その顔でどうやって担当の奴らと会ってたんだ。何も言われなかったのか?」
「いやぁ、メイクってのが思いの他便利でね」
「メイクだと?」
「ちょっとコツ覚えれば簡単に誤魔化しが効くんだよ。結構前に面白がってゴールドシチーのメイクアップ講座に参加したんだが、それが思った以上に役に立ってさ」
「何故そんな器用なことができて自己管理は不器用なんだ…………」
少なくとも教えた本人もそんな用途でメイクを使われるとは思っていなかっただろう、そうブライアンが返すとトレーナーは苦笑する。
「俺もこんなことに使うとは思ってなかったよ。そもそもこういうのあんま好きじゃないしな。ああ、情けねぇ話だよ全く。どうやら俺は思ったよりも体力も根気も足りてなかったらしい」
「ならさっさとそのことをエアグルーヴに白状するんだな。あんたが倒れでもしたら元も子もないだろう」
「いや、無理だな。っていうか嫌だな」
「?」
意外な即答にブライアンは首を傾げる。トレーナーは当たり前と言った感じで作業を再開するが、その満身創痍の様子を見れば誰であろうとそう提案したことだろう。
「無理って……皆に事情を話せばそれぐらいは……」
「やだよ。この一週間はやり抜くって決めたんだから。ここでやめたり妥協したりはできねぇ」
「そんなくだらない意地を張ってる場合か? あんた今にでも倒れそうだぞ? いくら激務だと言ってもそんなになるまで根を詰めるなんて明らかにやりすぎだ」
「だとしてもやらなくちゃいけないんだよ。トレーナーってのはそういう無茶も時にはしなきゃならないものだと俺は思ってる」
「無茶だと?」
「ああそうだよ。大人ってのは、時に無茶をしないといけないもんだからな」
「それで私たちウマ娘のためになると?」
「じゃなきゃトレーナーやってるのに無茶なんてしないよ」
「じゃあその無茶を通した結果あんたが倒れたとして、それであのエアグルーヴが納得すると思うか?」
その言葉に、今まで淡々と作業を続けていたトレーナーの手がピタッと止まる。
「あいつはあんたをそんなボロボロにするためにそんな約束を持ちかけたわけじゃないはずだ」
「…………」
「それにもし本当にあんたが体調を崩してみろ、あんたの療養中は誰がチームの面倒を見るんだ? しかも仮に三日やそこらで治ったとしても、その後に待ってるのはあんたに無理をさせた罪悪感でメンタルがボロボロになった女帝様だ」
「…………凄いな、そう言われると容易に想像できるよ」
「だろう? これでもあいつとはそれなりの付き合いがあるからな。どうなるかはわかってるつもりだ」
「流石はナリタブライアン……いや、どっちかっていうと生徒会副会長か。納得いった気がするよ」
普段は一匹狼で近寄りがたいとされているナリタブライアン。時として彼女が生徒会の副会長を務めているのに疑問を抱く者もいる。
そんな者たちでも今のやり取りを聞けば、彼女が強さや実績だけではないことを理解するだろう。
「このまま続けるのはあんたのためにも、チームのためにもならない。大人しく断念するんだな」
「…………そうだな。お前の言う通りだよ。なんだか情けねぇな」
「恥じることはないだろう。私たちウマ娘のためにここまでできるトレーナーもなかなかいない。あんたの場合は数が多すぎただけだろうよ」
「そうかもな…………」
決心が固まったのか、トレーナーはスマホを取り出して何かを確認した。
「そろそろエアグルーヴの併走が終わる時間だ。直接行って白状するよ」
「そうか。なら私も行こう。元々はあいつに用があったんだ」
トレーナーは立ち上がり、ナリタブライアンも部屋を出るために扉の方へと向き直る。
ドタッ
「!!」
音に反応して反射的に振り返ったナリタブライアンの目に映ったのは、力なく床に倒れたトレーナーの姿だった。
「お、おい! しっかりしろ! おい!」
慌てて近寄り抱えるようにして身体を揺するが、完全に意識を失ったトレーナーが反応を返すことはなかった。
「っ……ん…………」
「気が付いたか?!」
「あれ……ここは…………」
「保健室のベッドだ馬鹿者! 覚えていないのか? 貴様は過労で倒れたんだぞ?!」
トレーナーは倒れた後、ナリタブライアンによる迅速な判断の元すぐに保健室へと運ばれ、簡易的な処置が行われた。
騒ぎを大きくしないために他のチームメンバーには伝えないように配慮したナリタブライアンは、エアグルーヴにだけ連絡。すぐさまエアグルーヴはトレーナーの元へと駆け付けた。
状況が状況なので元々の要件は後回しにすることを決めたナリタブライアンは、何故トレーナーが倒れるほど無理をしていたかをエアグルーヴに説明すると
『トレーナーが起きたらしっかり話すんだな』
と言い残して退室。
当のトレーナーは過労という原因がはっきりしていたので対処が適切であったこともあり、そこまで深刻な状態でなかった。しかしエアグルーヴだけは彼が起きるまで様子を見続けていた。
「全く……貴様はどこまで私に迷惑を掛ければ気が済むのだ…………」
「あーわりぃ……やっちまったか俺」
「そんな軽く済ませてしまっては困る! 下手をすればもっと大変なことになっていたかもしれないのだぞ? 何故こんな状態になるまで黙っていたんだ!」
「…………」
トレーナーは数秒間何も言わなかった。それだけ彼にも様々な思考や葛藤があったのだろう。
だがいつまでも黙っているわけにはいかないのはわかっていたようで、しばらくした後ゆっくりと口を開いた。
「嫌……だったからかな…………」
「はぁ? 何を……」
「一週間って約束したからさ……お前にかっこ悪いとこ……見せたくなかったんだと思う……」
「っ…………」
今度はエアグルーヴが沈黙する。一言二言出そうになった言葉もあるだろうが、彼女はそれを飲み込んだ。
「そう……なのか。それは、すまない…………私のせいで……」
「お前のせいじゃない。俺の能力不足と意地の問題だ。お前が謝る必要はどこにもないだろ」
「しかし私が約束なんか取り付けなければこんなことには……」
「だから、それも元々俺がだらしないのが問題だろ? お前はそれを指摘して何とか改善してくれないかと思って、俺のことを考えて譲歩した上で一週間という期間を設定してくれたんだ。なら、それを達成できなかった俺が全面的に悪いだろうが」
「そんなことは……」
「お前は評価してくれてたんだ、俺のこと。だから一週間ぐらいならしっかりできるだろう、一週間できればもっと長期的に直すことも可能だろうって思ってくれたわけだ。なのに俺はその評価と期待に応えられなかった。完全に俺のせいだよ」
「それは…………それは違う!」
声を荒げ、無理やり言葉に割って入るエアグルーヴ。その瞳には僅かではあるが涙が浮かんでいた。
「ブライアンから聞いた。貴様が無理をしていたことを」
「無理なんてそんな……」
「それだけじゃない、本当は他の者からも聞いていたんだ。皆口を揃えて言っていたよ、貴様を頼ったら事態が好転したとな。それも二・三そこらではない、何十という数だ。私に来ていない話も考えたらもっと多いのだろう」
「それは……」
「私は知っていたんだ、貴様の負担が増えていることを。それを知りながら、何も気付かず、手伝えなかった。私は貴様に助けられてばかりだというのに…………」
彼女は知っている。トレーナーという仕事がどれだけ大変かを。
彼女は知っている。目の前にいるこの男が、どれだけウマ娘たちのことを想っているのかを。
「元々貴様のトレーナーとしての力はとても素晴らしいものだ。だからこそ私もあの時の不調から抜け出すことができたし、今もこうして走り続けることができている。そして多くのウマ娘がそのことを知っている」
「別にそこまでのことは…………」
「そもそも他のチームメンバーであった私に直接提案しに来るほどのお節介だ、そうだろう? 他のチームの誰であろうと、頼られれば貴様は喜んで手を貸す。そしてそれが増えれば増えるほど、貴様の負担になる」
「だから、その負担についていけなかったのは俺のせいで…………」
「なら何故今までと変わった?」
「っ!」
「何故一週間という約束を課してから貴様は忙しくなった? 他ならぬ約束の影響だろう?」
「別に……それは……その……」
言葉に詰まるトレーナー。その態度こそが一番顕著に原因を表していることに他ならない。
「私は……私は別に貴様に無茶をして欲しかったわけじゃない。しかし、事実として貴様に無理をさせてしまった。私が一番貴様のことを知っていたつもりだったのに……」
「だとしてもエアグルーヴのせいではないだろ? 俺の自己管理不足が原因だよ。確かに約束してから忙しくなったのは事実だけど、なら忙しくなった分調整をしなきゃいけなかった。にも拘わらず調子に乗ってあれもこれも手出したのが良くなかったんだ」
「なら聞くが、貴様は断ることができるのか? 私たちウマ娘からの真剣な頼みごとを忙しいからと断れるのか?」
「……それは…………たぶん…………できないな…………」
ばつが悪そうにそう答えるトレーナー。実際問題こうして倒れてしまっているのだから反論のしようがないのは彼もわかっているのだ。
「だとしても……だとしてもお前のせいじゃないよ。それは……譲れない」
「なら私も譲れん。負担をかけてしまったことに変わりはないのだからな」
今回の出来事は、偶然起きてしまった事故のようなものだ。
エアグルーヴがトレーナーに対してしっかりして欲しいという希望は至極真っ当なもの。対してトレーナーが今まで以上に頑張り、無理をするほどウマ娘に対して真剣に向き合うことはある意味理想的だと言える。
トレーナーがここまで多忙になってしまったのは、本人含め予想外の事態だったのだ。
これはヒトとウマ娘に限った話ではないが、対人関係におけるその人物の雰囲気というのはコミュニケーションを取る上で非常に重要だ。いつもだらしがなく態度が緩すぎるよりも、真面目で話しやすいほうが皆も頼りやすい。
ましてや女帝と謳われるエアグルーヴのトレーナーが真面目で頼りになるとあれば、ほとんどのウマ娘が反応するだろう。セカンドオピニオン的に利用する者、チームが決まらず悩む者、デビューに向けて励む者など、普段であれば同級生や先輩に尋ねるようなことをより確実な相手に聞くことができるのなら、誰でもそうするはずだ。
更にはチームの雰囲気というのは簡単すぎるほどに周囲に伝播する。ウマ娘同士はチームが違っても仲が良いなんてことは当たり前だし、場合によっては半ば偵察のような形で他のチームに顔を出すウマ娘も珍しくもない。何か変化があれば想像の何倍も簡単に話は広がっていく。
そんな中何十人というウマ娘たち全員に真摯に対応すれば、誰でも無理をするしかない。いくら優秀だったとしても、数が多すぎれば物理的な不可能が生まれる。
「どうすればいいかな……これから…………」
「そ、それは……私に言われてもだな…………」
お互いに妥協はできそうにない。相手の立場や信念を考えると、そう易々と諦めろと提案はできない。
しかしだからといってこのままではあちこちに支障が出てしまう。それはエアグルーヴだけでなく、彼がトレーナーとして担当しているチームメンバー全員にまで及ぶだろう。
「とりあえず約束の件はなしでいい。そもそも貴様はトレーナーとしての仕事はやってくれていたのだから、別にこれまでと同じように戻ったとしても私は構わない」
「けどなぁ、俺もいろいろ思うところがあるわけなんだぜ? だからこそ今回の約束を期に一念発起して真面目にやってみようとしたんだ」
「だが、それで無理をしてしまっては本末転倒ではないか。せめてもう少し融通をきかせるとかだな……」
「まあ、そりゃそうなんだけどさ…………」
話し合っても議論は平行線。具体的な解決策も出ない。
このまま中途半端なまま元に戻らなければいけないのかと思われたが、そうではなかった。
「あ……」
「どうした?」
トレーナーが突如何かを閃いた。
しかし妙案ではなかったのか、言いよどんでしまう
「なんだ? 何を思いついたのだ」
「いや、俺が管理とか調整とかできないなら、それをエアグルーヴにやってもらえないかなぁって思ったんだけど……よく考えたらエアグルーヴには生徒会の仕事とかもあるから、流石に頼めないなって」
「私が……?」
確かにそれならばトレーナーとしての負担は減るだろう。エアグルーヴも掃除を始め整理整頓やスケジュール管理などは得意な方ではあるので、適材適所の形にはなる。
だが周知の通り彼女は生徒会副会長。会長であるシンボリルドルフが優秀な為何とかなってはいるが、同じく副会長のナリタブライアンがサボり気味であることも相まってその仕事量はかなりのものだ。
本業であるレースに生徒会の仕事、更にはトレーナーの補助まで行うとなれば、その負担は軽い物ではない。というかそもそも現段階で普通の生徒とは比べ物にならないほど忙しい生活を送っているのだから、トレーナーとしては頼りづらいことこの上ない。
「いいではないかそれで」
「へ?」
しかし当の本人であるエアグルーヴから返ってきた返答はあっけないものだった。
「何故もっと早く言わなかったのだ。私が貴様を手伝えばいいだけではないか、たわけめ」
「ちょ、ちょっと待てって! お前本気か? ただでさえ忙しいのにそこに俺のあれこれ手伝うことになるんだぞ? いくらお前でもそんな……」
「案ずるな。どこかの怠け者トレーナーと違って私は少しばかり忙しくなっても、きついと判断すれば意地を張らずに誰かしらに相談できるからな」
「うっ…………」
「それに、貴様は一つ勘違いをしている」
「勘違い?」
「ああ。どうも貴様は自分の仕事を私にとっての厄介事のように考えている。そうだろう?」
「いや、厄介事って言うか……そりゃあトレーナー業務が増えてその手伝いなんて、お前のいろんな部分に支障が…………」
「だが見方を変えれば、私が貴様を手伝うことによって成長できると思わないか?」
「成長? どういうことだ?」
「簡単なことだ。他のウマ娘の指導をする貴様を手伝うのだから、おのずと自分の走りのヒントが見えてくるだろう。何せ同じウマ娘なのだからな」
その言葉にトレーナーは不意を突かれたかのように驚いた。どうやら完全に盲点だったようだ。
様々なウマ娘を指導した経験はトレーナーとしての力に蓄積されていく。そしてそれはトレーナーに限った話ではない。ウマ娘同士で行う走りに対しての意見交換なども、十分すぎるほどに成長材料となるだろう。
もちろん全てのケースに当てはまるわけではない。あるウマ娘によって良い走り方が、他のウマ娘にとっては全く合わないことも往々にして起こりえるからだ。
だがそれでも他のウマ娘の走りに関わることが、エアグルーヴの言うように走りに関してのプラスになることは間違いない。
「それにだ。私が理想の女帝たれと気を張っているのは、トレセン学園に通う全てのウマ娘の模範となるためだ。貴様の影響で他のウマ娘が助かるならば、皆の先頭に立つ者として喜ぶべきことだろう」
「まあ、そうだな?」
「貴様を助けることで自分にも、そして他のウマ娘にもメリットになるのであれば、私がやらない理由はない」
「でもなぁ……それでもやっぱり罪悪感というか、心苦しさがあるというか…………」
「全く強情な奴め」
やはり複雑な表情をするトレーナー。彼には彼でいろいろと思うところがあるのだろう。
説得はなかなか難しそうだが、エアグルーヴは何かを思いついたのか、口を開いた。
「なら、私からの恩返しをさせてくれ」
「お、恩返し? どういうことだ急に」
「貴様が私の担当となった時のことは、覚えているな?」
「あ、ああ。もちろん」
「あの時の不調から私を救い出してくれたことの恩返しがしたい。だから貴様を手伝わせろ」
「そんな……俺は別に大したことはしてないし、勝ったのだってお前の実力だろう?」
「そんなことはない。私が今もなおレースを続けていられるのは、間違いなく貴様のおかげだ」
「いや、でも…………」
「ええい面倒くさい! 大人しく恩を返させろと言っているのだ! それとも貴様は一度売った恩をいつまでも思い返せと言うのか!」
「えっ……ちょっ……ええぇ…………」
「貴様がウマ娘たちに尽くしたがる変態だということは出会った時から理解している! そしてそれが治らんこともな!」
「変態って…………」
「だからせめて少しは融通を効かせろ! 私を頼れ! でなければ元に戻れ!」
ここまで強く言うのは彼女が誰よりもトレーナーのことを理解しているが故。こうでもしないと、このまま話が進まないのだ。
トレーナーもエアグルーヴの言葉に覚悟を感じ取ったのか、降参といった感じで両手を上げた。
「わかったよ、お前に頼ることにする。その代わり無理すんなよ?」
「貴様にだけは言われたくないものだな」
「それはごもっともなんだけど……一応な?」
「ああ、わかっている。それに、どうせ無理をしようとしても貴様が止めてくれるのだろう?」
「そりゃあもちろん」
「であれば何の心配もいらんではないか、全く」
こうして、二人のすれ違いから起きた事件は幕を閉じた。
信頼はより固いものとなり、トレーナーは今までよりも規則正しく真面目な雰囲気を、エアグルーヴは更なる成長の機会を得ることとなった。
「なんだかいろいろ話せてすっくりしたよ、ありがとな」
「それは私も同じだ。本音を答えてくれて感謝している」
「時間大丈夫か? 随分と取らせちまったけど」
「気にするな。流石にそろそろ戻らねばならんが、大したことはない。貴様の方こそ体調は大丈夫か?」
「あーそれは多分大丈夫だけど、他の予定がな……。まあ、それは明日から何とかするよ。今日はぐっすり寝る」
「それがいい。それでは私はそろそろ」
「ああ、他のチームメンバーには適当に話しといてくれ」
そうしてエアグルーヴは保健室から去り、トレーナーはしばらく休んだのちに自宅へと帰宅した。
数日後、トレーニング用のトラックにはエアグルーヴと、他のチームのウマ娘の相談に乗るトレーナーの姿があった。
「はいはい、次の子は?」
「は、はい私です! 最近どうにもタイムが伸びなくて……それで……」
「ちょっと走ってみて、全力で。そんな長くなくていいからスタートから500mぐらい」
「は、はい!」
そう言われたウマ娘はすぐに体制を整えると、勢いよく走りだした。
熱意があるだけあってかなり真剣だ。しかも見た限りではしっかりと走れているように見える。
が、やはりプロから見ると違うようで。
「ど、どうでしょうか……?」
「結論から言うと上手く地面を上手く踏めてないね。脚の筋肉もう少し鍛えたほうがいいかもなぁ」
「脚の筋肉……ですか?」
「そう。見た感じ身体の動かし方とか全体的なフォームは問題なさそうだから、足がついた時の地面の蹴り方がネックになってるんだと思う。君の体格だともっと強く踏まないとしっかり加速できないんじゃないかな」
「強く踏む……なるほど……」
「ああいやいや、変に意識しなくて大丈夫。一言に強く踏むって言っても意識して即できるようになるもんじゃないよ。場合によっちゃ変に意識しすぎでフォームが崩れる可能性とかもある。だからそうだな…………いろいろあるんだけどとりあえず競歩形式で芝を歩くのをしばらくやって欲しい」
「競歩ですか?」
「歩きと走りの違いって分かる? 定義的なやつ」
「違いですか? 定義ってなるとちょっと正確には……」
「脚を動かしている時に左右どちらか片方でも足が地面についているのが歩き、両足がついていない瞬間があるのが走り、っていうのが一応違いね。競歩って言ったのは、勢いに任せて地面を蹴るんじゃなくて一歩一歩踏み占める感覚を身体にしみ込ませるための練習なんだ」
「なるほど……ありがとうございます!」
「それから基礎的な筋トレで足回りを鍛えるメニューを追加したほうがいいね。今は何をやってる?」
「足回りだとラダーを使ったものを何種類かですね。それ以外は特に」
「じゃあスクワットとかがいいかな。ただ変に鍛えようとすると逆に筋肉付きすぎちゃって無駄に脚の回転数だけ早くなっちゃうかもしれないから、負荷はかけすぎないように気を付けてね」
「はい! 本当にありがとうございました!」
「しばらくやって伸びなかったらまた来てね」
「はい! 頑張りまーす!」
アドバイスを受けたウマ娘は元気に駆けていった。その様子を見ていたエアグルーヴは思わず笑みをこぼす。
「流石だな。よくあれだけでわかるものだ」
「一応プロだからね俺も。つってもあの子は比較的わかりやすかったから」
「そうか? 見ているだけでは全くわからなかったが」
「レース中の微妙な感覚とかフィーリングの部分ならともかく、それ以外なら大体わかるよ。なんたって常日頃からいろんな子を研究してきてるからな。もちろんお前も」
「ふっ、この物好きめ」
そう言いながらエアグルーヴはトレーナーを軽く小突くが、トレーナーは笑い返すだけだった。
「それで? 今日見る子は今ので最後?」
「ああ。一応今日見ることになっていた別チームの子たちは全員終わったな」
「てことは後はうちのチームに集中できると」
「そうだな。しっかり頼むぞ」
「任せろよ」
「ああ、任せる」
例の一件以降もますますトレーナーに相談に来るウマ娘が増えた。だがトレーナーはもう無理をしたりはしない。
彼の傍らにはエアグルーヴがいる。頼り頼られ、助け助けられながら、これからも何とかやっていくだろう。
きっとこの二人はこれから先も立派な成績を残し、多くのウマ娘の力になる。そしてこう言われるのだ。
『あれこそトレーナーとウマ娘の理想の姿』だと。