ウマ漢 10R
ハリボテエレジーに同室のウマ娘はいない。そして彼女の朝は早い。午前五時頃,目を覚ましたらそのまま自室にて調理を開始する。カフェテリアの豪華なメニューとまでいかなくともSNSにあげても恥ずかしくないほどの料理だった。そのまま弁当も作ればあとは片付けだけだった。
そして彼女は必ず鏡を見つめる。映るのは間違いなく自分自身。そして非力なウマ娘。とてつもなく醜いこと極まりない顔が鬱陶しかった。それでももう呪いやしない。今ならこれがあるから。
「んっ」
彼女は例の被り物をつけると部屋を出て行った。
◆◆◆
「おまえたち,府中のレース場に行くぞ」
秋の季節,再び大きなレースが盛り上がる期間になった。そして今回は東京レース場ではとあるGⅠレースが行われる。普段はそうだからと言って見に行くことはないが今回は違った。
「エレジー君が今回のレースに出走するからねぇ」
『ジャパンワールドカップ』,略してJWCとは東京芝1600mのレースであり一つ出走条件がある。それは変異種のウマ娘であること。そうであれば未勝利でも出走することができる。今回でエレジーの挑戦は二回目。
「やってやるぜ。なあハリボテエレジー2.0!」
んっ,と顔見なくてわかるドヤ顔を披露したエレジーは側頭部に書かれた2.0に指差した。よっぽどの自信からかいつも以上にハリボテからきらりとした輝きが感じられた。
「それじゃあ行くぞ!」
木場は意気揚々と車を発進させた。
◆◆◆
今回のJWCは二度目の挑戦だった。去年は三冠ウマ娘,ギンシャリボーイが優勝した。その実力はあの生徒会の三人が認めるほどだった。
「見てみろよヒノマル。おまえも変異種だと思えば親近感も湧くんじゃねぇか」
しかしそれは無理な話だった。
「えぇ……」
「変異種にもある程度カテゴリーがあってな。そこにいるのはリムジン種のハリウッドリムジンだ」
アメリカ代表としてやってきたのはとにかく身体が長いウマ娘のハリウッドリムジン。特に胴体が長いことになっていてその身長はウマ娘の平均の二倍だった。
「あそこにいるのはピンクフェロモン。やつはフェロモンを放つ」
フランス代表の彼女は恐ろしい魔性の女だった。そのフェロモンは同性相手にも遺憾無く発揮でき放たれたそれはレースを冷静に進めることなどできなくなるのだ。
「おいおいこいつも出るのかよ,バーニングビーフ」
スペイン代表は立派な双角とウマ娘とは少々異なる尻尾を有していた。その尻尾は細く先端に丸みがかかっていた。見事に鍛えられた雄々しい身体は目の前に立つすべての障害を物理的に吹っ飛ばせる力があった。
「日本からはエレジーとギンシャリ,チョクセンバンチョーか」
こっちはエレジーと同じく日本代表。生まれつきリーゼント以外の髪型がセット出来ず襟足は一定の長さまで毎秒伸びるというとんでもない髪質を受け取ってしまったのだ。
変異種のウマ娘は他にもたくさんいた。縞模様や首が長いやつ,白と黒が混ざった模様をしているやつ。はっきり言ってヒノマルよりもおかしい外見だった。
「トレーナー,親近感なんて湧くわけないだろう。というか本当にウマ娘なのか?バーニングビーフなんて特徴が牛じゃないか,ジラフなんて自己紹介じゃないか。こんなの牛娘とかキリン娘じゃないか」
「……ウシとキリンは霊長類とは根本的に違うだろ。何言ってんだおまえ」
ヒノマルは自分でも混乱した。そうだ,ウマ娘は霊長類,そこらの畜生とはわけが違うはずなのだ。ウシもキリンもヒトに似た身体を持つことなどあり得ないのだ。
「おお,やっとお披露目か。新しい勝負服」
エレジーの勝負服は全体的に茶色いようになっていた。素材は段ボールとドラム缶。胸のドラム缶素材の鎧には2.0と刻まれており,その姿は逞しくまさしくロボットのアーマーのごとくかっこよく,そして輝いていた。しかしあと一点,顔が謎の生物でなければ完璧なのだが。
「顔のせいで締まらないな」
「それがいいんだろう」
ファンファーレが鳴り響く。今日の東京は晴れ渡っていた。
『スタートしました。まず飛び出したのは一番人気無敗の三冠ウマ娘,ギンシャリボーイ』
無敗三冠。それは同じ三冠ウマ娘でもやってのけたのは彼女とシンボリルドルフのみ。現在彼女の冠は加えて二冠。去年のJWCと秋の天皇賞だ。今年,再び冠を頂戴するためにやってきたのだ。一見すると彼女にはなんの変異もなく普通のウマ娘ではあったが、それは見ていればすぐわかることだった。
『ギンシャリボーイ,すでにスシウォークを実行しているぞ!』
スシウォークとは腕を左右に振り脚を交差しながら進む走法である。主に彼女がスパートをかけた時に出す。しかし今回は開幕から披露し出したのだ。これでは最後の直線でどうなるかがわかったものではない。
「なんてことだ,エレジー!注意しろよ」
それが聞こえたのかはわからないがエレジーは最後尾でサムズアップを返してきた。
しかし,注意するのはまだ早すぎる。もうエレジーの先には例の第三コーナーがあるのだ。故に観客は沸き出す。曲がれ,曲がれと。エレジーは別に普通にしていれば曲線を進むことはできる。できないことは最高時速を保ったまま曲がること。曲がろうとすれば遠心力が身体にかかり減速する。だが今はレースをしているのだ。いちいち減速なんてすれば勝てやしない。外を回ればその分距離が長くなる。それではもたない。
勝つためには何としても『最高速度』で曲がらなければいけないんだ。どれほど己が弱く、虫ケラのごとくあしらわれても,勝利のためにはやるしかなかったのだ
──曲がれー!
ああやってやるとも。同志に満ちたエレジーはそのままの速度で──
『さぁ各ウマ娘,第三コーナーを……あぁっとここでハリボテ壊れた!コーナーに勝てない!!』
──曲がれなかった。
作られた勝負服は完全吹っ飛んでしまい,その素顔すらも露わになりそうだった。それでもエレジーは顔を見せない。再び立ち上がると懸命に前を追いかけた。
『最終コーナー曲がった,内からギンシャリじわじわ上がってきた,そして先頭にたった!ハリウッドリムジン、ピンクフェロモン追い縋るが追いつけない!しかし,大外からチョクセンバンチョォォ!!追いつけるか,追いつけるか!?』
チョクセンバンチョーの一気に追い込み。その速度は誰よりも速く,ギンシャリボーイの背に届く,はずだった。
『ここで腕を回した!回した!スシウォークターボ!まだまだギンシャ回った!ギンシャリ回った!スピンアンドッゴォォルインッッ──』
とどめの回転。その回転はあの冬季オリンピックを連覇した彼の四回転にも劣らない素晴らしいものだった。そこにいる誰もが彼女を称えた。
「「うおおおぉぉぉぉお!!!」」
『確定しました。一着一番ギンシャリボーイ。二着チョクセンバンチョー。』
確定を知らせるアナウンスが響いた。
◆◆◆
ヒノマルはどんな顔をすればいいかわからなかった。本来ウマ娘の転倒は命に関わる重大なことである。しかし誰も彼もエレジーが転倒しても反応を示さなかった。正確には,またやったぐらいの薄いものだった。
「……んっ」
エレジーが帰ってきた。先程までのレース場の雰囲気とは一転,こちらは重苦しい空気だった。
「またか」
「まただね」
「またデース」
「またなのか……」
今回のような転倒はエレジーにとって珍しくない。ヒノマルはそれを知らなかったので第三コーナーあたりの反応が一人だけ違っていた。
ドアノブが曲がった。帰ってきたと思い顔を上げたが誰も入ってこない。すると開いた隙間からエレジーの被りものと一枚の紙が貼ってあった。
「ちょっとの間、探すな」
ごとんっと落とされると扉の前のエレジーはどこかへ駆けて行った。木場は少し焦った様子でエレジーを追いかけた。
「おまえら,車の前で待ってろよ!」
しばらくすると素顔のエレジーがぽつんと立っていた。
「トレーナー,探さないでくれと言ったが」
「バ鹿野郎,だったらもっと遠くにいけ」
エレジーは口をもごもごさせた。
「すまなかった。結局今年も曲がらせてやれなかった」
「違う!悪いのはわたしの,」
その先の言葉は言えなかった。行ってしまっては昔の自分になってしまう。それを恐れたエレジーは咄嗟に顔を抑えた。エレジーはもう変わったのだ。いちいちあんなことをするのはもうやめたのだ。
「ごめんなさい。わたし,また」
「大丈夫だ。だから,次を見るんだ。俺たちはまだ夢に駆けているだろ」
もうライブの始まる時間であった。聴こえてくるのは明るい曲調だった。それは哀歌のように耳に感触を残していた。。