と言っても彼が生まれる前の話ですので期待はずれになるかもしれません。
ウマ漢 26R
──名誉、栄光、勝利。
掴みたいというのなら覚悟を持たなければならない。一度それを持ったなら逃げてはいけない。戻ってはいけない。恐れてはいけない。
貪欲であれ。そうならば誰かがほほ笑むことを約束するだろう。
夢に叫べ、夢に狂え、夢に『駆けろ』。
願わくば幸あれ。君に結果を。
◆◆◆
日本ダービー、または東京優駿。三冠の道の中で最も歴史と名誉のあるレースである。全てのウマ娘が、そしてその関係者の夢の先である。そこには必ずドラマがあり全てを焼き尽くしてでもその冠を頂こうとするものもいる。
そのレースに挑もうとするヒノマルではあったがはっきり言って別にそこまでして取りたいとは思ってなかった。
無論、ダービーを軽んじているわけではない。だが、そこまでしてその栄光を掴みたいとまでは至らなかった。
まだはっきりとした目標がなくどうしても熱量で負けてしまう節がある彼は一応菊花賞をとることを目標にしているがそれだけでは勝てるものではない。一体どうしたものかと彼自身も悩んでいた。
そんな様子が露呈してしたのかいきなり木場は、「お出かけしろ」と言ってきた。ダービーが近いにも関わらずトレーニングをせずに遊びにいけと言っているのだ。初めは耳を疑ったが聞いた通りであった。
「エルにも休息がいるだろ。お前もちょっとぐらいやらなくだってどうってことはない」
「しかしだな、俺たちが走るのは……」
「いいから休めったら休め!!」
ちゃぶ台をひっくり返す帰すかのごとく思いっきりヒノマルを追い出した。もともと今日はフリーであり暇なので休日返上のトレーニングを考えていた。しかしそれは叶わずいつしかの年末と同じくエルと出かけることになった。
◆◆◆
二人は結局、年末にも行った例のショッピングモールに行くことにした。
エルはこの前のレースで靴と蹄鉄にかなり負荷がかかったのでそれの補充を行うことにした。靴は前にも話だが蹄鉄にだって個人の好みがある。単純に軽いものを使用してスピードの出をあげたり、重たいものを使ってパワーが出るようにしたりなどかなりの選り好みがある。
ちなみにエルとヒノマルは若干重たい方が好きであり、タキオンとエレジーはその身体の特徴から軽いものを選んでいた。
ヒノマルはあの日の買い物以来蹄鉄は自分でしっかり選ぶようにした。しかしどうしても靴自体は選択ができることはなかった。
「そういえば、ヒノマルはどこの靴を使ってるデスか?」
「あー、俺は男だからどうしても形が合わないんだ。だから前の施設からオーダーメイドに近い形で作って貰ってる」
ここで男子として弊害が出てしまった。例えば、サイズがぴったりなら必要以上に引き締まった感覚があり、かといって大きめにするとつま先がスカスカになってしまうという根本的な骨格の違いから市販のシューズを買うことができずどうやっても違和感が残ることになってしまった。
「なるほど……だからこの前靴選びに誘っても来なかったんデスね」
「あれは本当にすまなかった」
「いえいえ、そういうことなら仕方ないデス」
以前、スペやスカイなどと共にエルが店に行こうとは言ったが誘われた内のヒノマルだけ同行をしなかった。裏の事情がわかってエルは納得したがヒノマルは行かなかったことには後悔していた。どうしても孤独な感じが抜けずに羨ましかった。
その次は理髪店に行くことにした。実はヒノマルは三ヶ月以上髪を切ってなかった。そのため編入当初の写真と比べてかなり風貌が変わっており肩ぐらいにかかっていた髪の毛は今や肩甲骨の下の方よりも低いところになっていた。
そろそろ髪を括るにも手間がかかるようになり彼にとっても悪い機会ではなかった。特にどうしたいもないので最初の長さまでバッサリ行こうとしたがエルが止めに入った。
「なんで止めるんだ。普通に切り揃えるだけだぞ」
「そ・れ・が! ダメダメデース! アナタはもっとおしゃれに興味を持つべきデス! これではウマ娘として最低、最悪、ノーセンス!」
「うっ……」
ここまで言われてしまってはどうしようもない。勝てばライブのためにステージに上がるウマ娘としてヒノマル自体も多少は見た目に気を使うことはしてきたつもりだった。しかしやっているのは最低限の気遣いであり、男なのでメイクはともかくスキンケアに関しては近くの薬局で買ってきたニキビ対策のものをつけている程度だった。
せめてもの行動としてせめて髪型の意識は当然のことだ。とはいえせっかく伸びて遊べる髪も彼は邪魔だと思っている。手早く切り揃えるたいというのが本音だった。
「どうしろって言うんだ、これ」
「それは自分で考えてください!」
「……はい」
鏡を見つめたところで何か案が出るものか悩んでいると一つだけ目に留まったものがあった。それはヒノマルの青鹿毛とコントラストを成す真っ白な一本のライン。やや右側に伸びたそれはかなり目を引く目のだった。これならば、と彼は一つの案を思いついた。
「すみません。──って感じにできますか?」
そして仕上がった髪型は前と変わらず肩ぐらいまで伸ばした若干不恰好なハーフアップだったが一本だけ長めに整えられた白い髪の毛があった。果たしてそれが洒落ているかは置いておいてヒノマルなりの考えが見えた。
「どう、だろうか。その上手くやれたかはおいといて」
「ブエノ! ヒノマル、よく出来ました!」
これにはエルも満足そうな顔になった。若干恥ずかしそうなヒノマルの態度が彼女は可愛く見てえ思わず頭を撫で出してしまった。
「ちょ、やめてくれ。こんなところで!」
「いいえ! 絶対やめません!」
「俺は結構勇気出したんだぞ!」
その後二、三分は続けられた。
──もう少しだけ身長が高ければエルの手が届かないのに。
身長が2cmほど彼女より低かった彼はほんのちょっと悔しくてなった。
◆◆◆
時間もかなり経ち正午も近づいてきた。
昼食には些か早い時間帯ではあったが店が混み合うとかなり待つことになる。
「エルは何か食べたいものはあるか?」
「いやー、あるにはありますが……前例があるので……」
エルの家族の特製ソースで火を噴くことになってしまったヒノマルの前例があるため彼女は店選びにはばかるようになった。グラスいわくこれのおかげで食堂での食べ方も慎むようになっていい薬になったとのこと。
エルが選ばないならヒノマルがそうするしかないがあまり何があるかもよくわかってなかった。このままでは時間が過ぎるばかりなので至って普通の洋食チェーンにすることにした。
受付で名前を書いた二人はあと十分程待つことになった。幸い椅子が一つだけ空いていたのでそこにエルを座らせることにした。
隣の人に断りを入れてそうしようしたが何故かその人物は見覚えがあった。だがそれは誰かも分からずそのまま声をかけた、
「すみません、隣に座っていいですか?」
「ああ、一人なので──って君は」
その人物はひどく驚いた様子だった。それはヒノマルも同じで互いに口を開けたまま止まっていた。
エルだけが何も分からず混乱していたのでヒノマルを軽く揺すって質問した。
「ヒノマル、どなたデスか?」
「ああ、ごめん。この人は俺が元いた施設の所長で俺の、とう──」
「センジンヒノマル、私をそういうな。失礼、私は彼がトレセン学園に行くまで育てていたものだ」
所長は非番でありレース解説の本を買いに来ていた。そして目的の品も手に入り時間も午後に近く外食をすることにした。たまたま店先に貼ってあった広告のものが美味しそうだというありふれた理由で入ってきた。そうしたら驚くことにヒノマルとの再会、というわけだ。
所長は別々でいたかったがあちらは積もる話がしたくて半ば強制的に相席にされることになった。エルのことを考えろと彼はヒノマルに注意したが彼女自身はヒノマルの話に興味深々であり残念ながら逃げることは出来なかった。
「全く、君はだいぶ変わったな。あの時と変わっておもいっきりが良くなったんじゃないか」
「ええ、おかげさまで」
「それに、友達ができるようになるとは。友達とはいいものだ。かくいう私も特にあいつとは、」
そこで所長の言葉が出なくなった。不自然な止まり方で二人は首を傾げたが彼がなんでもないというとそのまま黙って話を聞いていた。
「ともかく、友達ができたのはいいことだ。それと人生の先輩から一言だけ。絶対に喧嘩別れだけはしてはいけない。思い返した時の苦さは忘れられない」
そこで話は一度途切れた。丁度三人分の料理が並んできた。もう少しヒノマルは話をしたかったが出てきてしまった以上熱いうちに食べてしまいたい。それは全員の意見でもあり手早く食べ終えようとした。
それから黙食が続いてしまった。どうしても居た堪れない雰囲気になってしまいヒノマルは申し訳ない気分になってしまった。
エルとの二人だけならもう少し話せることもあったが目の前には自分のトレーナー以外の成人男性がいるのだ。いつもと空気が違う。後先考えずにこんなことにしてしまったことを反省するほかなかった。
「すみません、ちょっとお手洗いに」
いきなりエルが立ち上がっていった。雰囲気を察して逃げたくなったのかなんて想像をするとウマ娘のヒノマルだけに聞こえるような音量でさりげなく耳打ちされた。
「会話、楽しんでください」
ヒノマルはおもいっきり振り向きそうになったが所長に怪しまれてしまう。それは避けたいのでどうにかして前を見続けた。
それから何秒間の沈黙が過ぎただろうか。短い時間の中でどれほどの思考が渦巻いただろうか。本当に面に向かって話すということは難しいものだ。
「……あの」
「……センジンヒノマル」
二人の会話がぶつかってしまった。だがそれは些細な問題だ。どっちが優先するかくだらない争いはいらない。ヒノマルは構わずに言葉を続けた。
「あなたは遠慮したが言わせてもらいます、父さん」
「センジンヒノマル、だから──」
「続けます。あなたは実父の親友であり、俺を保護してくれたことは聞いた時驚きましたよ。俺が外に出たいと言い出したときにあの告白ははっきり言って信じられなかった。もしあなたが本当にそうだとしたら絶対俺のことを恨んでいるはずだっておもったから。
勝手な憶測なんてわかってる! あんたがそうは思わないかもなんて分かってる! だけど言わせてください。『そんな俺を助けて育てくれてありがとう、父さん。』」
自然と涙が止まらなかった。子供が成長するというのはこういうことなのだろうか。是非ともこの喜びを味わってほしかった。
亡き親友を想いながら所長は涙を流した。
「何が人の親だ、子供の悩み一つ聴けずに」
「え?」
「いや、私の話だ。それよりどうなんだ、日本ダービー」
「それは、やるからにはとってやりたいですよ。でも勝てるか自信はありません。あとみんなが思うよりダービーには情熱がありません」
所長はその悩みに微笑んだ。ずっと生まれたことに悩んでいた彼を見ていた身としてはこうしてレースについて悩んでいることが嬉しかった。あの時はレースも何にも興味などなく淡々と生きているしかしていなかった。
とはいえ悩みを解決するのが親の役目だ。『父さん』と言われたならせめてそういうことをしてやりたかった。
「だったら、根本的な解決にはならないが、ダービーではなく『菊花賞』を取ってみなさい」
「それは、一応そうしてます」
「なるほど。これは個人的な話だが三冠の中で私は菊花賞が大好きなんだ。なぜって『最も強い』ウマ娘が勝つと言っているんだ。私からすれば一番ロマンがあって好きだ」
「……最も、『強い』」
「そう、それに憧れない奴はいない。あとはやはり『有マ記念』だ。君が初めて見たレースも」
「有馬なんですよね」
所長は深く頷いた。結局日本のレース好きの夢は大体有マ記念に帰結する。それほどまでに人は熱狂するのだ。
「あのレースに会えて三冠風につけるなら『最も愛された』ウマ娘が勝つレースだ。私はあの舞台に立つ彼女たちの目が好きなんだ」
「それは、俺も分かると思います。俺もあれで一番思い出が深いのがそれですから」
「ふふ、どうやら似ているところがあって義理の親としては嬉しいよ」
二人はその後も少しだけ談笑をしていた。それを遮ったのは一本の電話だった。そこの通知欄には木場仙太郎と分かりやすく書いてあった。所長を一人で残すのは忍びなかったが仕方ないので頭を軽く下げておいた。
「ふー、やっと行ってくれましたか」
「おや、どうしたのいうのだい」
入れ違えるようにエルが戻ってきた。
なぜかヒノマルが通話しにいったことに安心しているような言い草に所長は疑問を持った。
「じつはトレーナーさんにお願いしてヒノマルを遠ざけました」
「どうしてだい?」
「……彼は前に両親を失ったと言いました。それも自分のせいだと。アタシはそれが知りたいのデス! ただ彼がいたらあまり聴けないと思ったので」
所長は眉間に皺を寄せた。話しても良いのだろうか。そんな疑問が反芻し続ける。ヒノマルについては一度だけ部外者である木場には話したことはある。だがそれはヒノマルの産まれた日の話だけで詳しいことは黙秘していた。
目の前にいる少女はヒノマルの親友とであることには彼は確信を得ていた。少なくともヒノマルの過去にはいずれ向かい合う必要があることも彼は理解している。しかし時期尚早ではないのだろうか、そんなことを思い浮かべている。
所長はもう数秒だけ苦しそうにした。発言が足枷にならないようにどうしようかと。
だが知る権利はあるだろう。そしてそれは必ず次に進めるためには必要なことなのだ。
「わかった。その前にエルコンドルパサー君、ヒノマルに何があったかは知っているのかな」
「いえ、彼は全然話さないデス。デスからこうやって聴きにきました」
「……君の片言はひょっとして作っている特徴なのか?」
「いえ! 断じて! そんなことは、ないデース!!」
「うう、すまない。どうでも良い話だったね
話を続けよう。ではヒノマルの許可なく話すのも良くない。彼の両親の話と生まれた日のことを詳しく話そうか──」
エルはごくりと生唾を飲んだ。初めて知るヒノマルの過去に興味を持たないなんて無理な話だった。
だがそれは不幸の匂いに塗れた、悲しいの一言に尽きるものだった。