【完結】ウマ漢 〜燦々レーシング〜   作:プレブレム

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遅くなって申し訳ないです!

そして皆さまには報告があります。この作品は菊花賞をもって『未完』とさせていただきます。
理由としては単純に創作意欲が失せてきたからです。一応最終回までの道のりは作れていますがどうもそれの文章化、時間の確保、キャラへの理解が難しくなったことが理由です。ですが必ずや菊花賞というキリの良いところまでは書き切ろうと考えています。

もし別の作品で出会えることがあればその時はよろしいお願いします。


31R 夏の『障壁』

 

 なぜ、俺はこうして立っているのだろうか。

 初めて見た海は青く美しい。後ろにそびえる山も逞しく美しい。

 それらはとても力強く立ち、その存在を主張できている。

 それに対して、どうして俺はこうも弱くあるのだろうか。俺だけこの景色を前に立つこと『しか』許されないのだろうか。

 

──羨ましい、狡い

 

 目を逸らしていたかった。

 

 

◆◆◆

 

 

「やっと来たぜ、夏!」

 

 木場はバスから降りると早速パーチのメンバーを飛び出した。

 ダービーを終え、先日の宝塚記念ではサイレンススズカが見事に一着を奪い取り、夏が始まった。

 夏は基本トレーニングを積みに詰むという期間である。この夏合宿でいかにステータスを伸ばせるかが秋の本番の結果を左右する。特に今回は強いクラシック期のウマ娘が二人もいるここは余計に気だっていた。

 

 木場がしばらく海を眺める内にぞくぞくと降りてきた。そして最後に降りたヒノマルは数歩歩くと顔を横に向けた。

 目の前には青い海がある。映像では数回見たことがあったが生では初めてだ。

 鼻にツンとくる潮風、さざめく波、地平いっぱいに続く砂浜。なにもがが新しく静かな興奮が止まらなかった。

 

「海って綺麗だな」

「え、どうしたんだおまえ。おセンチな気分にでもなったのか」

「いやなに、これからが楽しみだと思って……」

 

 ヒノマルが純粋な感想を口にすると木場の肩が震えていた。いや、そこまでにはとどまらず全身まで震え、最終的に下品な笑い声を上げた。

 

「そうかそうか、ヒノマルくんは楽しみでございますか。もちろん楽しみは与えますよ〜、『地獄』のあとでな」

 

 夏合宿二年目、スタート。

 

 

◆◆◆

 

 

 灼熱の太陽の下、ヒノマルたちは……

 

「どこから待ってきたんだこのタイヤは!?」

「そんなことよりもヒノマル君、もっと早く進みたまえ」

「ゴーゴー!!」

「あーも、黙ってくださいよ!」

 

 馬鹿でかいタイヤを引きずっていた。

 それはもう、大きくてヒト二人分ほどの幅がありその上にタキオンとエルが乗っている。それを加味しなくてもそもそも重いのになぜ上に乗せた。

 その疑問に答えてくれるものは少なくともこの場にいない。あるのは理不尽なトレーニングだけだ。

 

「ヒノマルー、あと数メートルだ。いいぞ、そう、よしやったな!」

「はぁ、はぁ、辛い」

 

 その一言に尽きた。膝に手をついて肩で呼吸をしている状態に彼は驚きを隠せなかった。

 いつもの練習が厳しくないわけではない。だがなぜか合宿ではいつも以上のトレーニングをしているような気がした。

 とはいえ、レベルアップを図るにはこれくらいがちょうどいいかも知れない。そう考えながらヒノマルは進行方向を切り替えた。

 

「よし、もう一セット」

 

 復路はいくらか楽な気分だった。先程の往路より時間がかかったが引きやすい体勢の取り方がわかったので必要以上の負担をかけずに進むことができた。

 

「ハイ、ヒノマル! 飲み物デスよ!」

「ありがとう、エル」

「いえいえ、しかしトレーナーさんもハードなメニューを考えるデスね。しっかりスタミナを削って継ぎ足す、をイメージしてます!」

「ああ、全く厳しいよ」

 

 それはトレーニングに取り掛かる少し前のことだ。木場はエルとヒノマルを呼び出していた。

 

「おまえらには、徹底的なスタミナトレーニングをしてもらう」

「なぜだ? 俺に関してはスピードを鍛えたいのだが」

「ヒノマル、おまえの意見はわかる。だが二人とも、思い出せ。次の目標のGⅠを」

「エルはジャパンCデスね」

「俺は菊花賞だな」

「そうだ、そんでエルは今までマイル以上は走ったことがない。ヒノマルも幾ら元々のポテンシャルがあるといえど3000なんてそうそうねぇんだよこの距離が。

 だからこそのスタミナだ。無論、長丁場を見越したレース理論も解説する。だがやはり根本的にはスペックの殴り合いだ。それに、エルのジャパンCに関してはマジで予定していなかった。次からは要相談で頼むぞ」

「えへへ、申し訳ないデス……」

「まあ、おまえらのことは信頼している。この二ヶ月間、負けていいのは暑さだけだからな」

 

 それからスタミナ、そして根性を鍛えるメニューを中心にトレーニングをしている。

 今日はとりあえず体力を削り筋肉を痛めて、明日には休息代わりにレース展開の予想、ないし立ち回り方の指導になる。

 次の日の朝がくることが億劫になりそうだが鍛えるしかない。弱者は積み上げることでしか下剋上を果たせないのだから。

 

 

 そして翌日──

 

「じゃあヒノマル、この時の菊花賞で淀の第三コーナーで仕掛けてぶっちぎったウマ娘は?」

「ミスターシービーだ。過去に参考にさせてもらったこともある」

「よく覚えてるじゃねぇか。この作戦はおまえならできるかも知れない。菊花賞のときには頭に入れとけ」

 

 現在、宿泊施設施設の一室を借りて過去のレース展開を学ぶ場となっている。

 タキオンは木場の隣に立ち、残りが開設を聞く形になっている。その態度は三者三様でヒノマルはまじめにノートを取り板書をきっちりと書き留めている。エレジーはさらに自分での考察を逐一書き込むということまでなしている。

 一方エルは──夢の世界だ。先程の疲れに加えて彼女は単純に座学が苦手だ。今までのレースも類を見ないスペックと持ち前のフィーリング力での勝利が多い。そのため今まで木場自身も最悪予想は聴き流しでよしとしてきた。

 しかし今回のレースはそうとは行かない。故に木場は暴挙に走ることにした。彼は一気にエルの顔面に近づき──

 

「えー、それではエルコンドルパサー!」

「ケ!? ……あっ、トレーナーさん」

「シンボリルドルフの初の黒星は? 五秒以内にどうぞ」

 

──笑顔で質問した。それはもうにっこりと。それが一番似合うくらいにっこりと。

 当然そんな振りに寝起き彼女が対応できるわけもなく。

 

「にー、いち……ゼェェロォ! 正解はジャパンCだ! 次答えられなかったらタキオンの薬飲まずぞ」

「そんな!! オーノー!」

「じゃあ真面目にな、東京の直線距離は?」

「525.9メートル!」

 

 危機的状況からの即答。それほどまでにタキオンの薬は恐れられている。その効果は木場の日々の変化を見ればわかる。

 一度飲まされれば何が起こるか分かったものではない。

 

「ひどい言われようだねぇ。まあ事実だからしょうがないが」

 

 本人もこの様子。その効果は絶大だ。

 

「んじゃ続き行くぞー。エレジー、過去にバーニングビーフが起こした悲劇は?」

 

 バーニング、その単語の一文字目からエレジーの動きは終わっていた。そう、あれは第一回JWCのこと。エレジーは第三コーナーを回れずに続いた直線──

 バーニングビーフの突然の空腹にあたりは騒然とした。そして彼女は芝に食らいついた。異食症とかではなくほんのたまに起きてしまう癇癪というものでそうなってしまってはウマ娘も関係ない。前にいる全てを薙ぎ倒し、芝を美味しく頂くのだ。

 当時の日本時刻は15時35分。その時間に準えてつけられた名前が──

 

「──おやつタイム。」

「そう! 今年は起きねぇことを願うな」

 

 エレジーは得意気に鼻息を吹いた。もはや敵無し、今ならなんでもできるというような様子で机を叩いている。

 

「それじゃ次もエレジーだ。

 例えばだが、バーニングビーフとチョクセンバンチョーが直線を走っていておまえはこいつらの後ろにいる。この時すでに他のウマ娘は吹っ飛ばされてビーフの前にバンチョーだ。以上の状況になった時次の展開とおまえの勝ち筋を考えてみてくれ」

 

 エレジーはしばらくの思考のあとすぐにシャーペンを走らせた。

 まず、バーニングビーフは興奮した場合にら前にいるウマ娘を一人残らずぶっ飛ばす。その時の爆発力は最高時速75キロメートルを余裕で超え全てを灰塵とさせる。それは直線を蛇行運転するバンチョーとて例外ではなく確実にターフから消えることになる。

 しかしそのためにはあの暴れウマを捕らえる必要がある。それにはかなりスタミナが削られる。それに加えて万全を期すならば──道筋は一つ。

 

「ビーフは暴れるバンチョーを場外させる。その後かなりのスタミナが削れていると予想される。

 だがその時点でビーフの前に出れば私も吹っ飛ばされるかもしれない。だから勝負は残り50メートルを過ぎた地点。ここでぎりぎりをついて差す。」

「……グッド! そうだ。変異種、特にJWCはマジで何が起きるか予想つかないからな。安全に考慮したレース運びは懸命だぞ。だがもしおやつタイムが起きた時の想定もしていたら満点だな」

 

 木場がその時の予想もホワイトボードに書いていく。

 当たり前のようにレースの予想が書かれているが一人だけ全く理解できないでいた。

 そう、ヒノマルだ。

 

「ねえなんでレースでウマ娘が場外するんだ!? 理解不能なんだが!?」

「ヒノマル君、変異種のウマ娘は君の想像をはるかに超える。もはやフィーリングの域さ」

「なんですかそれ! 怖いですよ!」

 

 だが受け入れるしかないのだ。ヒノマルだってそのスケールに当てはまるのだ。エレジーとの付き合いが長い分、タキオンにとっては彼の方がよっぽど不思議でたまらない存在だ。

 そして数時間後。

 

「よし、今日はここまでだ。各自ストレッチ忘れねぇように。明日から身体鍛えんぞ」

 

 その日は全員が頭をしっかり使い、日はすっかり傾いていた。

 ヒノマルは身体を伸ばし、座りっぱなしで凝り固まった肉体をほぐしていた。一日中考える作業をしていた彼の脳は疲弊して糖分への欲をコントロールできない。そのため風呂の前に食事をとることにした。

 

「よし、エル一緒にご飯食べないか?」

「あ、ゴメンなさい……ちょっとトレーナーさんに聞きたいことがあるので失礼するデス」

 

 エルはバツが悪そうにノートで顔を隠したまま木場の方へ向かった。

 いつも授業では眠そうでグラスにノートを写させてもらってる彼女を知っているヒノマルはそれが意外に見えた。

 

「何してるんだろ」

「気になるかい?」

 

 疑問を口にするとタキオンが背後から首を回してきた。どうやら心当たりがあるらしく話してくれそうだ。

 

「簡単に言えばフランス語の勉強だよ」

「フランス語? 英語じゃなくてですか?」

「そう、フランス語だ。彼女は少なくとも来年のどこかで日本からフランスへと遠征する予定なんだ。だから少しでもあっちの公用語の方をね」

 

 ヒノマルはそのような話を一切聞いたことがなかった。エルの普段の様子からも特に変化はなくいつも通りだった。

 

「それって、いつから決定していたんです?」

「さあ? 私が知っているのはここまでだ。あとは本人かトレーナーくんに聞いてくれ」

 

 タキオンはそのまま歩いて行った。

 そしてヒノマルは一人寂しくぽつんと立っている。仕方ないので夕食は一人で済ませることにして食堂へと歩き出した。

 合宿施設の食堂はまだ時間も早くがらんとしていた。誰かを誘おうにも親しい仲のものがいない。ため息を吐きながら食事を受け取り、端っこの方へと腰をおろした。

 

 食堂はトレセン学園のカフェテリアより広い作りである。理由は簡単で、トレセン学園とは違いトレーナーなどといった関係者も全員入るためより大きくしなければならない。

 一番人が多く来る時間ならばいつものトレセンより賑やかでガヤガヤとしている。しかし今日は目に入る人の数が数えられる程しかいなくて静寂を放っている。

 その中でヒノマルは誰も隣にいない食事をとった。慣れた作業をこなすように食事をとるしかなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 目覚めると知らない天井が目に入った。

 なんとか布団から離れることができたが筋肉痛がビキビキと身体を引き裂く。

 

「痛てて、ってここはどこだ……」

 

 まだ完全に覚醒できておらず視界があやふやなまま立ち上がった。

 

「ん、ああそうだ。俺は合宿に来ていたんだ」

 

 そう言って部屋を見回す

 一人用になっている部屋は寮よりも狭く多少窮屈だ。しかしいつもより広すぎないため空間を独占しているという多少の罪悪感が薄れる。

 

「いつもは結構広いところで寝ていたんだな。まあ仕方ないか、俺は男で学生だから」

 

 だが寂しさを感じてないかと言われてしまえばそうである。

 もともとヒノマルだけ一人なのはパーチや同期の友人、そしてシンボリルドルフなど何人かからかは反対を受けていた。他のウマ娘や関係者はいつもと違い同室以外とも団欒ができるのに対して彼だけなのは酷であると。

 しかし前例がなく、加えて中高生の男子。安全を考慮するなら言うまでもなくだ。実際ヒノマルもそれを受け入れたため一人部屋となった。

 

「……みんなは部屋とかで盛り上がっているだろうな」

 

「いや、弱気になるな。わかっていたことだろう。それに『一人』には慣れている」

 

 髪を結い、朝食を食べ終えたヒノマルはトレーニングを始めた。

 

「しゃあ、今日は水泳、およびビーチバレーだ。各自水着に着替えてこい」

 

 命令が終われば皆の行動は早かった。

 夏合宿の醍醐味、それはプールではなく海を使ったトレーニングだ。普段とは違い開放的で水がしょっぱい。そのギャップが高揚感をもたらす。そのためウマ娘たちは毎回海でのトレーニングを楽しみにしている。

 木場も海に来たからに自身のトレーニングも兼ねて泳ぎたいと思っていた。自分の担当達が更衣室に行ったのを確認して水着を取りに行くとヒノマルが変な様子だった。

 なぜか更衣室の扉の前でしどろもどろとしてなかなか入る様子を見せない。

 

「おまえ、なにやってんだ?」

「ッ! ト、トレーナーか」

「もしかして水着作れてなかったのか?」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあなんで着替えない?」

「……」

 

 言語化することが難しいのか彼は沈黙を貫いている。このままでは埒があかない。木場は先に着替えを済ませることにした。

 

「まあ、なんかあったら言ってくれ」

「なら、待ってくれ!」

「んだよ」

「中に誰もいないとなったら何か合図をしてくれないか」

 

──意外、それは恥じらいの顔ッ!

 

「ぷぷ、え、ちょ待てよ、おまえまさか他人に身体見られるのは恥ずかしい系男子かよ」

 

 木場の語尾が一々震えている。そのうち体も大きく揺れ始めて涙さえ滲み出した。

 

「うるさい! 俺は人に裸体を見せたことが極端にないんだ!」

「あー、わかったわかった悪かった。それじゃすぐ追いつけよ」

 

──いやいや久しぶりに笑ったわ。まさかヒノマルがそんなやつだったとは

 

 木場はなかなか自分のことを話さない担当の秘密を知れてよかった、そう思っている。

 まだ何か隠し事がありそうなヒノマルにはもっと距離を詰めたかった彼にとってはまさしくグッドニュース。しかしある考えが脳裏をすぎる。

 

──いや、男子の水着は上半身露出するよな。俺は適当なシャツを着るけど大丈夫かあいつ

 

 まあいいや、その一言を添えると周りを見渡した。

 そもそもこの場所は夏合宿の時期──特に七月にはほぼトレセンの貸切になる。そのため男性トレーナーぐらいしか使う人がいないので狭い上にがらんとして変化が薄い。

 

「ヒノマル、誰もいないからとっとと着替えろ」

「ありがとう、トレーナー」

 

 ヒノマルが更衣室に入るのを確認すると木場は扉の横で一服しだした。

 しばらくしてヒノマルが着替えてきた。

 

「すまない、待っていてくれたのか」

「ああ、おまえラッシュガードきてんのか。考えたな」

「そうだ、日焼けはしたくないからな」

 

 ヒノマルは何に考えたのかがわからないが適当に答えた。

 彼の水着は学園指定のスク水、ではなくウマ娘の膂力に耐えられるように改良し、尻尾も通せるように作られた水着である。そして上半身を隠すための明るいグレーのラッシュガードだ。

 対して木場は海水浴にきたのかと言いたくなるようなラフな水着でありヤシの木の柄が入っている。加えて上から来ているシャツはボタニカルの赤がメインのアロハシャツだ。

 観光しにきたのかとヒノマルは問いたかったが意味はないことを知っている。なぜなら木場仙太郎はタバコを平気で吸う、タキオンの薬品を有無を言わずに飲む、ウマ娘を拉致するなどかなりの傍若無人ぶりである。

 

「はー、もう少し主張を抑えてくれ」

「別にいいじゃねぇか。それよりも早くいくぞ」

 

 二人が目的地に着いた時にはもう全員揃っていた。木場は念のための確認を行うと水泳の予定を伝えた。

 水泳のメニューはまさしく簡単。準備運動を済ませたものから順番に100メートルを二往復する、それだけである。この際折り返しごとに種目を替えることが必須であり四種目を全てやらなければならない。そしてそれを最低四セットこなす。

 

「以上のことを終えたものから自由行動だ。遊ぶも追加練習も良し! んで今は、午前8時15分か。よしおまえら10時までに四セット終わらせろ。念のためタキオン印の救命信号機があるからそいつを腕につけろ。それじゃ始め!」

 

 説明を終えた木場はタキオンに様子を見させて自分はこのまま気ままに泳ごうとした。

 しかし現実はそれを許してくれなかった。

 

「トレーナーくん早速ヒノマルくんからの信号だよ」

「なに!?」

 

 

 急いで救命胴衣と浮き輪を持ちながら全力で向かった。しかしレーダーを確認するとどうもおかしいことに気がつく。

 

「なんでどこにも動いてないんだ」

 

 海上なら多少動きがある筈だ。

 怪訝に思いながらも進んでいくと案の定ヒノマルがスタート地点ですくんでいた。

 その顔はいつもより蒼く心なしか魂すら見える。

 

「一応、なんでこんな苦労をかけさせたのかを聞いてやろう」

「……泳ぎ方を知らないです」

「義務教育の敗北かよ!?」

 

 木場は突っ込んでしまったがこれは仕方ないことである。ヒノマルは昔から施設いたため小学校での授業を受けたことがない。そのため四種目の泳ぎ方を全く知らないのだ。

 

「はあ、じゃあわかった。プールのトレーニングしてこなかった俺が悪かった。まず平泳ぎからな」

 

 ヒノマルは一人悲しく泳ぎの練習から始めたのだ。そして他の二人が時間ギリギリになり上がったところで無事四種目を覚えることができた。

 そして時間は過ぎて砂浜の上。タキオンを除く四人がビーチバレーをキャッキャウフフと楽しんでいた──わけではない。

 

「か、カレー!」

「連体詞、し!」

「シカゴ!」

 

 しりとりビーチバレーを行っていた。

 ルールはいたってシンプル。ビーチバレーをしながらしりとりをするだけだ。

 最初はふざけているのかと問い詰めたが木場いわく「おいおい、俺が考え無しに見えんのか? ゴルシ以上にめちゃめちゃ考えてんぞ」と説得力があるのかないのかよくわからない言い訳を吐いた。

 だが実際蓋を開けてみるとかなり難しい。

 

「ご、胡麻味噌!」

「そ……そ、わからないデース!」

「はいエルアウト!」

 

 ボールに触れたものはその誤差一秒以内にしりとりを続けなければならない。コートの中は常に二人と少なく常に忙しい。

 特にレシーブの時は辛い。瞬時にコートを移動しボールを受け止め、なおかつしりとりをしなければならない。突発的な対応が同時に求められる厳しいポジションとなる。

 現在エレジーと木場のAコンビ、エルとヒノマルのBコンビに別れているのだが……

 

「狡いぞトレーナー! エレジー先輩が喋れないことをいいことに、レシーブをサボるなんて!」

「うるせー! そもそもおまえらを鍛えるためだから俺は緩くていいんだよ。それよりゲームは続けんぞ、そらまめ!」

 

 エレジーの音なしのレシーブ、さらにそこから煽るように軽快なトスをする。インドア、ビーチ共に経験のある木場は小慣れた作業でありそこにパーチの古株エレジーとのコンビネーションが重なれば恐ろしいことこの上ない。

 見事にラインギリギリを攻めたスパイクが破裂音を伴い空を切り裂いた。

 とはいえ、身体能力の差を甘く見積もってはいけない。ウマ娘である二人には追いつないボールはほとんどない。

 

「メダカ! ヒノマルお願いします!」

「よし、貸金庫! やってやれ、エル!」

「決め技デスね! 必殺コンドルスマッシュ!」

 

 見事にエルの真上を目指すボール、これを撃てば身体能力の劣る二人は受けることができないだろう。

 だが木場仙太郎は知っている。このスパイクは必ず失敗する。そしてそれはタキオンにとっても自明の理である。唯一、エレジーだけがBコンビ以外のメンバーで理解していない。

 

「はッ──エル、もっと右だ!」

「ケ?」

 

 エルのコンドルスマッシュもといスパイクはひらりと空振りした。木場はこれを最初から理解していたためゲラゲラ笑っている。

 今の攻撃に悪いところはなかった、『インドア』であれば。

 ビーチバレーの醍醐味、それは『風』である。風の計算をしなければボールは必ず狙ったところからずれてしまい先程のような悲しい結末を迎えるのだ。

 ではなぜ木場とタキオンは予見できたのか。

 すごく簡単に言ってしまえば、経験の差である。二人はBコンビとは違い合宿に来ている回数が多い。風は時に練習を左右するので把握する必要がある。だから勝ちを確信したのだ。

 

「いやー初心者を痛ぶるのは気持ち良いぜ!」

「この指導者のクズ! トレーナー失格!」

「外道! 非道! 修羅道!」

「がーはっはっ、なんとでも言え言え! それより罰ゲーム……」

 

 地獄の1500メートルランニング!

 

 テンションが最骨頂なのか酔ったように煽りのダンスを差し込んでくる。あまりにも屈辱的だが従うしかない。そのまま二人は走り出そうとした。

 

「あ、今日はこれで終わりだからジャージで走れよ」

 

 

◆◆◆

 

 

「いやートレーナーさん容赦なかったデス」

「ああ本当にひどい男だ」

「ふふ、でも結構楽しんでますね」

 

 二人は仲良く並びながらアスファルト走っている。木場の温情で疲れやすい砂浜から補填された道にしてもらった。

 共に今日のトレーニングを振り返りながら少々ゆっくりめにゆとりを持って走った。

 

「ヒノマルの最初は驚きでした。男の子のウマ娘でしかも思い切りずっこけちゃうなんてアナタかスペちゃんぐらいデスよ」

「それは忘れてくれッ。……恥ずかしいから」

「おやおや声が小さくて聞こえないデスよー。もう一度大きな声で、ハイ!」

「恥ずかしいから言うなー!」

「アーハッハッ! 本当に大声て行きましたね。アタシはウマ娘なので最初から全然聞き取れましたデスけどね」

「……」

「顔がソースのように真っ赤デス。これはヒノマルの弱みを握ったことでよろしいデスか」

「おい、語尾が震えてるぞ。忘れてくれ」

「駄目デース。ヒノマルにはもぉぉっと真っ赤になってもらうデース!」

「なんでそんなことするんだ!」

「だってもっと笑ってほしいから、なんて言ったら信じます?」

「え、どういうことだ」

「エルはヒノマルのご両親について福井さんから少し聞きました。あまりヒノマルについては教えてくれなかったけどアナタがどれだけ辛い思いをしたのかを察せます。

 でも、アタシはヒノマルを完全には理解できていません。だから、いつかで良いんです。あなたについて話してほしい。きっとアタシ達のチームは力になれます。そう思えるようにもっと笑顔になってほしいです!」

 

──脚が動かない

 エルも数歩先で止まった。

──俺はこのまま隠したままでいいのか

 エルは彼を見つめた。

──俺の罪が軽くなったりするのかな

 エルは彼に近づいた。

──いや、そんなわけがない

 エルはどうかしましたか、と呼びかけた。

──俺はまだ許されない存在だ

 

「ごめん、何にもない。それより早く戻ろう。トレーナーがなにいうかわからないからな」

「あ、ちょっとヒノマル! そんな急に動いたら」

 

 ヒノマルが逃げるように動いたその数秒後だった、彼の脚に激痛が走ったのは。

 その身体は加速について行けず筋肉を硬直させて痙攣した。いわゆる腓返りというものだ。

 

 それだけならよかっただろう。

 もし、倒れた先が砂浜のような柔らかなものであればただの痛みで済んだのかも知れない。

 だが道は硬いアスファルト。そしてヒノマルの速度は最高までとは行かずとも既に惨事になるには充分なものだった。

 

 

 そして辺りには悲痛な叫びがこだました。

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