【完結】ウマ漢 〜燦々レーシング〜   作:プレブレム

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35R ヒノマルの『罪』

 昼食後の砂の上。熱せられたそれは人もウマ娘も裸足ではまともに行動出来ず、靴という壁がなければ誰もが狂い踊るであろう。ハリボテエレジーはそんな中で自然な脚で歩いていた。そして誰かは聞くだろう。「熱くないのか」と。だがそれ以外エレジーは熱い状態になっている。

 ジャパンワールドカップ、略してJWC。それは夏合宿が終わるとすぐやってくるもので、十月第二日曜日には世界中のへんてこなウマ娘が集う。そのへんてこの中に当然、エレジーは含まれており、また彼女の親友チョクセンバンチョーも然り。彼女たちは唯一の栄光のために研鑽していたのだが……

 

「なんであんたこんなバカみてェな条件で!」

「いいだろう? いくばくか私が有利になる」

 

 エレジーが裸足なのははっきり言ってズルだ。作戦と呼ぶには少し卑しく、反則というには悪どくはない。バンチョーは彼女の耐久性に感嘆しつつも毒づき、目を細めて、いわゆるジト目で睨んでいるのだ。だがハングリー精神の強いエレジーには効果なし。平然とした態度で走り出したのだ。

 一方その頃、エルは水着に着替えてスタミナを鍛えていた。波に揉まれながら進むというのは困難であり同時にパワーも鍛えるのには最適解だ。隣には万一のことがあったようにゴムボートを漕ぐ木場とタキオンが声をかけていた。

 

「エル! フォームを崩すな! 疲れているからこそ、疲れないためのフォームだ!」

 

 現在エルは折り返し地点に立っておりあとは波と共に浅瀬を目指すだけ。少しだけ体勢を崩した。しかしそれが間違いだった。

 

「馬鹿野郎! 波にさらわれているぞ!」

 

 木場が投げ出した浮き輪に捕まるとエルはなんとかゴムボートに上がった。油断していた彼女は波の速さに押されてしまい沈みかけたということだ。流石に彼女はこれには反省して頭を下げた。

 その様子に木場は注意を一言だけ入れてそれ以上は咎めなかった。無茶をさせているのは自分だと木場も理解している。だが、もともとマイラー気質の彼女に2400メートルのジャパンCを勝たせるためには仕方ないことなのだ。

 

「次は絶対に油断するなよ。おまえは俺の大切な教え子だからな」

「了解デス! それにしてトレーナーさん。ヒノマルは元気なのデスか? エルはそれが心配デス……」

「あー。確かに今日のことはやりすぎたかもしれねぇ。反省するわ」

 

 三人が乗ったゴムボートは特になにも起きないまま浅瀬に着いた。あとは平穏な波の音がみんなの耳にするすると入っていくだけだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 若干古びた施設の床は歩くたびギシギシと音を立てる。木場は速る拍動に重ねながら真っ直ぐ歩く。そしてヒノマルのいる()()の部屋の前に着く。木場は一抹の不安を抑えるように息を吐く。そして引き戸を思いっきり開けた。

 部屋の端にヒノマルが赤い陽に照らされながらこじんまりと寝息をたてる。異常なく部屋にいてくれた安心感から彼は大きなため息をついた。

 

「ヒノマル、飯食ったら早く風呂入れよ」

 

 ヒノマルが男という関係上、ウマ娘が使う大浴場には入れない。そのため男性職員に混ざって入ることになるのだが、ヒノマルも思春期の男子である。彼は誰もいない時間帯に──極端に早いか遅いか──風呂に入る。木場もある程度は理解を示している。だからわざわざこの事を伝えにきたのだ。

 だがヒノマルはあまりにぐっすりとしている。このまま起こしてやるのもかわいそうだ。木場はそれ以上、体を揺らすことをせず、タバコを取り出して喫煙所に向かった。

 おおよその人間が嫌う匂いの中、木場は紫煙を吐き出した。体中に悪いものが入っている自覚はあるが彼は止めることはない。むしろその背徳感に心地良さを見つけていた。そして灰皿に火を押し付けようとすると、耳障りなノック

が聞こえた。振り向くとそこにはカフェのトレーナー、東がいた。

 

「なんの用?」

 

 ぶっきらぼうに答えた。

 

「やだなぁ。僕と木場さんの仲じゃないですか」

「うるせぇ。わざわざこんな所まで来やがって。一人の時間ぐらいよこせ」

「そうは言ってもですね、木場さん。ヒノマルくんが浴場に行きました」

 

 その情報になんの意味がある。木場は軽くあしらったが、どうやら東にとっては重要そうなことである。彼はじっと木場の瞳を覗いた。

 

「な、なんだぁ」

「ヒノマルくんの秘密を知るチャンスですよ。行かなくてもいいんですか?」

「ばーか! わざわざ思春期の子供に嫌われるようなこと」

「これどうぞ」

 

 尊敬する先輩を押し退けてまで東が渡したのはコピー用紙だった。そこには古い記事が貼ってあり、その年は十年ほど前である。

 すると木場は動悸が止まらなくなっていた。見出しから小見出し。さらには本文と目を進めるたびにその瞳は大きなものへと変化した。

 

「おまえ。これをどこで!?」

「知り合いの伝手ですよ。苦労しましたよ」

 

 東は肩をすくめた。探し出すのに相当時間をかけたらしく一部法外的手段にも乗りかけたぐらいだ。だがその苦労は木場の耳には入ってなかった。記事を東に押しつけるとヒノマルの許へと軽い駆け足になった。

 

「ちょっと、木場さーん! まあいいか」

 

 東はクシャクシャになった紙を元に戻し、今度は自分が読み始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

 大浴場はとても広く、ヒノマルだけならば泳ぐことも可能だ。だが行儀の悪いことはしない。というかできない。痛めた脚を早く治すためにも余計なことはやらない。彼は風呂に浸かると外の見える景色に黄昏た。

 悩みがわかったとはいえ、だからなんだというのだ。ヒノマルの中で何かが劇的に変わったわけではない。ほんの少しだけ、自分について分かったような気がする。それだけで自己否定が無くなるわけではない。

 

「そうだよ……だからなんなんだよ」

 

 ヒノマルの走る目的は変わらない。せめて生まれてきたなら名を残そう。ずっと同じ思いだ。そしてそこに私欲はあってはならない。これは償いであり楽しむものではないのだから。

 

「また一日、過ぎたな」

 

 日も暮れて暗闇がやってきた。さらには雲もやってきて光を遮断する。すっかり月も隠れた夜だ。

 風流がないなと呟くと引き戸開けられる音がした。

 

「よお。元気か」

 

 木場が現れた。当たり前だが纏うものはなく美しい筋肉が丸見えだ。ヒノマルは逃げるように湯船に浸かり彼と向き合った。その睨む目は逆鱗を触れられた竜のように爛々と光っている。

 

「何しにきた」

「んなの決まってるだろ。裸の付き合いってヤツだ。隣──いやそのままでいいわ」

 

 互いに睨み合うように浸かった。互いに一歩も動かず事態は耐久戦へと変化した。だがヒノマルのほうが浸かっていた時間が長い。みるみるうちに顔を真っ赤にさせてふらふらお頭を揺らしている。だが決してその目は変わりなく睨み続けている。

 

「なあ。俺が憎いか?」

「そんなわけない。でも、怒ってはいる」

「走らせなかったからか」

「違う! なんで俺とおんなじ時に風呂に入ってきたんだ!」

「悪りぃ。でもよ、おまえの過去を少し知った」

「ッ──! まさか」

 

 そこでヒノマルは転倒した。予想していた木場は急いで駆け寄った。そこで彼の一番の秘密に触れたのだ。

 

「うッ! ヒノマルがずっと素肌を見せなかったのはこういうことか!」

 

 そこには爛れた皮膚がこびりついていた。ヒノマルがずっと罪の証と呼び続けたそれは背中にこびりついていた火傷痕のことだったのだ。

 そして木場の脳裏に先程読んだ記事が思い出された。その記事の見出しは『唯一のウマ男、放火』。その時期から照らし合わせると実に幼少期のヒノマルの背に焼き付けられたのだ。その痛々しさに木場は目を背けたくなった。だがやっと知れた教え子の過去なのだ。手放すつもりは毛頭ない。すぐに湯船からヒノマルごと上がると彼はヒノマルの部屋でじっと座って待っていた。

 数十分だった時、ヒノマルは目を覚ました。一瞬木場を睨んだがすぐに諦めににた表情になった。

 

「やっと起きたか。ヒノマル、おまえの過去を教えてくれよ」

「……嫌だって言ったら?」

「今は聞かねぇ。おまえに辛いもん、思い出させるもんな。でもよ、おまえの口から聞きたい。純粋に心配なんだよ」

 

「意地でも聞いてやる」と付け加えると木場は服を投げた。ヒノマルはなんとか受け取ると無言で着替え始める。

 

「……トレーナー。俺の部屋に来てくれ」

「ん、わかった」

 

 木場は頷いた。それ以上何かを言うわけでもなく天井を見つめた。

 

 

◆◆◆

 

 

 重たい話になるのはわかっている。話すことが辛いのもわかってる。だがトレーナーとして、導く立場としてヒノマルを受け止めてやらなければならない。ゆっくりと一歩を進める。

 部屋につけばヒノマルが椅子にちょこんと座ってる。髪が垂れていて顔は見えないが分かってしまう、そんな雰囲気だった。木場は真正面に座ると少し口角を上げた。

 

「久しぶりだな、こうやってゆっくり会話するのは。俺も叱ってばかりは疲れるからよぉ。絶対におまえを拒絶もしない。ゆっくりでいい。話してくれ」

 

 ヒノマルの首が上下に動く。

 

「俺は、見ての通り男だ。だから病院にいたときから家にいるときも、記者はずっといたんだ。だから父さんと俺は何も言わず実家から遠くへ行ったんだ」

 

 たかれるフラッシュ。その眩しさを忘れたことはない。

 

「前にも話したよな。母さんは俺を産んだ時に亡くなったって。だから父さんが俺を一人で育ててくれたんだ。でも無理がある。その時に助けてもらったのが所長だ。あの人はずっと俺たちのことを気にかけてくれた」

 

 それでもマスコミの調査能力は半端ではない。ヒノマルたちの居場所は突き止められた。

 

「だから父さんは、きっと疲れたんだ。俺が憎かったんだ。父さんは自分ごと家に火をつけた。あとは……」

 

 言葉はそれで途切れた。これ以上言う必要はない。なぜなら木場がもらった記事。そこにはその真実が書かれている。

 

「つまり、そこでおまえは背中の火傷を負ったのか」

「うん」

 

 だが木場は訝しんだ。なぜなら記事の見出しは『愉快犯、放火』。つまりヒノマルの話とはわけが違うのだ。今すぐ聞きたいがそれは無理な話だ。今度、誰かに聞くことにした彼はヒノマルをそっと抱きしめた。

 

「辛かっただろ。俺にはなんもわかんねぇけど、一つだけ言える。おまえはなにも悪くない」

 

 鼻水を啜る音がこだました。木場は濡れた肩に目をやり、そのまま時間を過ごした。

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