薄暗い部屋の中を月明かりだけが照らしている。今は黄金色に見えてあたたかさを感じるがその日は一段と青白い月が見えていた。あの日から彼は自分を許せなくなっていた。遠い遠い、父との記憶。
◆◆◆
パシャリ。
田舎ではそうならない音が空気を裂く。隆二は聞き慣れたくなかったそれにため息を吐くと息子の名前を呼んだ。
「ヒノマル。ごめんね、いつもいつも。こっちに来ようか」
彼の息子は産まれてまもない、数ヶ月も経っていない赤子だ。そして人間にはない耳と尻尾を持っている。この子こそが巷で話題のセンジンヒノマルだ。
ヒノマルは無邪気に笑うと手を伸ばした。隆二はその手に触れ慈しみ、同時に憎らしくもあった。というのもそれはヒノマルの出生に原因がある。
「ヒマちゃん、しっかり!」
ヒノマルの母、ヒマワリは流産を経験していたということもあり若干、精神的に衰弱していた。そこに出産後の大量出血が重なり他界した。
なにもせず逝ってしまったわけではなく医師たちも尽力した。だが敢えなくそれも終わり、ヒノマルだけを残して彼女は帰らぬ人となった。
「ごめんな。情けない父親で。こんなにも可愛いおまえを、憎む俺を許さないでくれ」
再び我が子の頬を隆二は撫でる。せめてこうやって触れることが唯一の父親としていられるのだと零しながら。
そして水を差すようにインターホンがなる。毎日のようになるそれは時間を考えずにやってきたりもする。ピンポンとうるさいそれは大概マスコミのものだからと彼は無視を極めた。
こうなること覚悟をしていなかったわけではない。そもそもヒノマルが男だと発覚した時点でどうなるかは想像に難くなかった。
「大変伝えにくいですが、男の子です」
ヒマワリのお腹も大きくなったころ、検査をすればありえない結果が出た。
「あの、俺たちの子供はまたウマ娘なんですよね」
「そうです。前回と同じように頭の方に耳が見えますよね。ですが完全に男の子の特徴があります」
「……それじゃあこの子は、いったい」
「分かりません。ただこのことはできるだけ秘匿しておきます」
二人は受け入れるしかなかった。否定したところでお腹の子が女の子になるわけではない。そして同時に眉間に皺が寄った。間違いなく産まれてくる子はまともに生きることは限りなく不可能に近い。それを理解できないほど、お気楽には生きていない。
だがどうすれば良い。こんな事例は過去を遡ってもあるわけがない。妊娠することは二回目でも、子育ては初めてだというのにこれ以上の重圧をどう背負おうか。それを思えば隆二は自然と拳を握りしめていた。
だがそれをすぐに彼は解いた。周りを見れば皆は怖いものを見ているような目線をかけられている。彼は「すみません」と謝ると脱力した。
時はすぎて出産予定日の二週間前になった。近いうちにヒマワリは入院することになるため家族ぐるみで準備を行っていた。
母に従い準備をしていた隆二は部屋の隅でちぢこっているヒマワリを見つけた。
「どうしたの」
触れたその手は大きく震えていた。そして何かが壊れるように彼女は涙を溢れさせる。
隆二はわけもわからず汗をかく。しかし彼女の開く口を見ると戸惑いは消えた。
「私、今更不安なの。またお腹の子供を失うんじゃないかって」
当たり前のことだ。流産をしておいて不安なわけがない。その時は赤ん坊は子宮から出てこれたが衰弱した様子で出てきた。懸命な処置をしても復活することはなく、そのまま他界。
そして今度はまた同じことが起きるのではないか、それが恐ろしくて仕方ないのだ。
「やっぱり怖いわけないよね」
「うん。とっても怖い」
「でもね、やっぱりどうしようもないんじゃないかなって。そう思うんだ」
「どういうこと?」
「ほら、あの時は元々お腹の中の子はあまり成長できてなかったって先生と言っていた。でも今回は違うだろ。きっと前回とは違うことになると信じてるけど、どんな時だって意外なことは起きてしまう。
だからね、これ以上悩んでも仕方ない。忘れようとは言わないけど、考えないでいこう。あの子はあの子、この子はこの子ってね」
そして出産予定日がきた。その日は珍しく雪の降って、頬が真っ赤に染まる。はやる気持ちを抑えながら隆二は仕事を早く終えて、それこそウマ娘のように病院へ駆けつけた。
急いで、静かに病室に着くと看護士が状況を伝えた。曰く、難産であると。ただ隆二はそれを聞くことしかできず見つめるほかない。
どくん、どくん。誰の鼓動だろうか。彼は自分の鼓動のうるささに自分のものだと認識できていなかった。それほどまでに感覚が
「あぁ。なにやってんだよ」
思わず自分を殴りたくなる。だが衝動を抑えて近くの椅子に座った。天を見つめて何になる。ただ「ぼー」としてどうしたい。このままなにもできないのか。もどかしくて頭を掻きむしると小さな着信音が聞こえた。
「ユーイチ?」
電話の主は大親友、福井悠一のものだった。
「もしもし」
「やあリュージ。僕だよ」
「ひ、久しぶり」
「どうしたそんな声を震わせて……なにかあったのか」
「色々とね」
隆二は身に起こった全てを話した。ヒノマルのこと、そしてそのお産に立ち会っていることを。
「そうか。それはすまないね」
「いいよ。むしろ気が楽になった」
「よかった」
そして電話の向こうで少しだけ唸り声が聞こえた。それが止むとコホンと一息ついた悠一は澄ました声で話しかけた。
「よかったら、子供は僕が預かろうか」
「え?」
「恐らくだが、君たちには予想もないくらいに重圧もかかるし子供だってそれを食らう。きっと二人だけだと耐えられない。だから──」
「ユーイチ」
どすの効いた声だった。
「俺は、親として子供に向き合いたい。だからおまえに頼りっぱなしはダメだと思う」
「でも、それじゃ」
「だからユーイチに全部頼るのは最後だ。俺たちになにかあった時に頼んだ、親友」
そしてできるだけ明るい声で言い放った。向こうからは嗚咽に似た声が聞こえた。そしてなにかを啜る音がしたと思ったら返答がきた。
「わかった。でも僕にもサポートさせてくれよ、親友」
「うん。ありがとう!」
そして病室に戻り、悲劇は起こった。最初で最後の家族写真はここで撮られたのだ。
「ヒノマル。最期にヒマちゃんはさ、おまえの名前を言ったんだよ。声が消えそうな中で振り絞って、やっと言ったんだ。俺の相談無しにね」
隆二は悪戯っぽく笑うとヒノマルの頬をつついた。それは柔らかくてすべすべして──
「戦いの神様のように立派に勝ち、太陽のように輝く。それがおまえの名前、
──お日様の香りがした。
「なあヒノマル、遠くに引っ越そうか」
◆◆◆
悠一の車で揺られて小一時間、二人は外に出ると一戸建の木造の家の前にいた。
「僕の持てる限りの伝手で見つけた空き家だ。住宅の密度も薄いしいいところだろう」
「うん。ありがとう」
「それじゃあリュージ、元気でな。ヒノマルも」
ヒノマルはくぅくぅ眠っている。その頭を優しく撫でるとユーイチは足早と去っていった。
新しい生活が始まる。親の助けはないが自分一人で立派な父親になる。隆二は決心を掲げて扉を開けた。
「予想していたけど酷いな」
だが数日後、もうここを嗅ぎつけたメディアがやってきた。一時間に二度ほどなるインターホンはもはや故障を願うくらいにはうざったい。彼は無視を極めながらひたすらに育児に手をかけた。
そもそもここにやってきたのは他人に迷惑をかけないためだ。近隣の住民はどうなのかと聞かれればそこまでだが、とにかく彼は身内に被害が行くのが嫌だった。そのためシングルファーザーとしてここまで逃げてきた。マスコミがやってくることは寧ろ計算内であり、彼からすれば良いことであった。
そして二年が経った。ヒノマルは成長が早くすぐに歩けるようになりよく散歩に連れていた。マスコミもそろそろ少なくなり時間を図って出歩くようにはなってが、それでも密着したりする輩はいるものだ。
「すみません、お話いいですか」
「こっちは時間がないので」
「一言だけでも! 息子さんについて」
「本当にすみません。どいてください」
こんな具合で来ることもあり、酷い時は五社連続で来たりといらぬモテモテ度を発揮するときもある。そんなことから隆二は粘り気のないスライムのように伸びきってしまった。それでも彼は頑張るのだ。愛する妻の忘形見に恥じないため、息子のために。だから隆二には限界がなかった。困難を跳ね除ける力が確かにあったのだ。だがこの問題は彼だけのものではなかった。
ある日のこと、いつものようにインターホンがなったと無視をした。だが今度はどうもしつこく帰らない。重たい腰を持ち上げて戸まで行くと不思議とそれを開けたくなくなる。だが開けなければいけないと思いっきりに開けてやった。すると目の前には近所の人たちがいた。
「あれ? みなさんおそろいで……」
「あのねぇ、あんたが悪い人じゃない事はわかってんだけどね」
──でていってくれ
仕方がないことだ。隆二やヒノマルのことで近隣住民たちは飛び火を喰らって気分がいいはずがない。理解していなかったわけではないがこれはマスコミの波よりも、痛い一撃を残していったのだ。
「ヒノマル、どうしよう。俺疲れちゃったよ」
一日を置いて夜、出来事を整理した。
隆二は他人様に迷惑をかけまいとここまでやってきた。だが結局、ヒノマルのせいで誰かに迷惑をかけている。彼はどうすることもなく若干疲れが見え始めた。床にへばりついた。
その時だった家の中に煙が充満していると気づいたのは。
◆◆◆
傷が久しぶりに痛んだ。ヒノマルは目が覚めると隣にいる木場に驚いた。なぜここにいる。
だんだんと思い出せば、精神の安定するまでと木場が同じ部屋で寝ることになった。だからここにいた。それを思い出すとのっそりと立ち上がり窓を見る。
なぜ今になり父を思い出す。そこには見たくないような、記憶がある。ヒノマルは再び目を閉じると景色に合わせて記憶を辿った。