【完結】君に捧げる十二の料理   作:しゅないだー

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君に捧げる十二の料理
#1 デビュー前とピザトースト


 

 

 今日も今日とてその店、『喫茶エベレスト』は閑古鳥が鳴いていた。

 立地が悪いのか、宣伝が悪いのか、はたまたその全てか。味は悪くない筈なんだけどな、そう独りごちながら手持ち無沙汰に店主はグラスを磨く。小ぢんまりとした店内は、良く言えば古き良きクラシックな内装。悪く言えば古臭い。強いて特徴を挙げるなら名前を意識したのか、店内に山々の写真が飾られている事くらいか。

 しかし今日は生憎の雨、ただでさえ少ない客足が更に遠のく。もう6月が近いのかと彼が忌々しげにカレンダーを眺めていると、涼しげなドアベルの音と共に扉が軋む。

 

 触れれば壊れてしまいそうな印象を受ける小さな身体。ふわりとうねりを打つ鹿毛。雨に濡れて冷えたのか、微かに震える大きな耳。そしてそんな物全てを霞ませる、強い意志を秘めた薄花色の瞳。

ナリタタイシン、そう呼ばれているそのウマ娘は慣れた様子で帽子を取る。外の雨足は依然として止む気配がないのだろう、傘立てに差し込む彼女の後ろ姿は少なからず濡れていた。

 

「いらっしゃい」

「……どうも」

 

 入口から真っ直ぐに向かう先はカウンターの最奥。彼女の指定席である。

 

「はいどうぞ、後これ。風邪引くから」

 

 おしぼりにお冷、それに加えてタオルを渡す。彼女は数瞬躊躇った後に、ごにょごにょと小声でお礼のような物を呟いて頭を拭き始めた。ピンと立ったウマ耳が水滴を弾く様を眺めながら、いつもの調子で店主は尋ねる。

 

「今日は何にしようか。お腹は空いてる?」

「別に、普通。何でもいい」

 

 暖簾に腕押しという言葉がこれ程までに似合う事があるだろうか、というくらいにそっけない彼女の言葉を気にした様子もなく店主は頷いてキッチンに向かう。大した設備という訳でもなく、一般的な喫茶店と大差ない。作れる物もパスタやカレー、サンドイッチやトーストといった軽食だ。

 

 少し思案すると、店主は厚く切った山型パンにトマトの水煮、少々のオリーブオイルとにんにくを煮詰めたソースを塗り始めた。その上に薄切りにしたマッシュルームや玉ねぎ、ピーマン、サラミを散らしてたっぷりのチーズを乗せ、トースターにセットする。

 

 じりじりとパンを焼く音を背に、彼はホットミルクを彼女に注いで出した。5月と言えど、しとどに降る雨は身体を芯から冷やす。

 

「サービス。震えながらじゃ味も分からなくなるから」

「そんな甘いやり方だから全然繁盛しないんじゃないの?」

 

 生意気な口を叩きながらも、彼女はぺこりと首をすくめるとカップに口を付ける。

 

「……あちっ」

 

 ここでは何があろうと彼女を笑う者は誰もいない。ふーふーと息を吹いて冷ます彼女を愛おしげに店主は見つめる。店の一角に取り付けている小さな壁掛けテレビから流れてくる歓声と、雨の音だけが店内の静寂を彩っていた。

 チーン、と素頓狂な音が辺りに響く。彼もまた「あちっ、あちっ」と呟きながらトースターからそれを取り出した。

 

「お待たせしました、ピザトーストです」

 

 畏まって言う店主に彼女は訝しげな視線をぶつける。

 

「マスターってこの時だけ丁寧になるよね」

「そりゃ僕と君は店員と客だからね」

「普段はあんまりアタシ、客扱いされてる気がしないんだけど」

 

 色鮮やかな具材で飾り付けられているそのトーストは、一口が小さい彼女の為に更に半分に切り分けられている。

 垂れるチーズに慌てながら彼女がかぶりつくのを確認すると、彼は黙って残っていた皿を洗い始めた。

 黙々と食べ進める彼女に感想を聞く事もなく、彼女もまた無駄口を叩かない。

 

「……ご馳走様」

 

 長い時間をかけて食べ終わると、彼女は口を拭きながらそう告げた。完食されて空になっているその皿が、言葉よりも雄弁にその感想を述べていた。

 

「パン、変えた?」

「分かる? 駅前に新しい店ができてさ、これが中々いけるんだよ。君も今度行ってみるといい」

「……考えとく」

 

 満足したのか彼女は顔を伏せると、流しっぱなしになっていたテレビに目を向ける。その瞳は獲物に牙を剥く獣のようだった。

 

 日本ダービー。

 

 GⅠレースであり、世事に疎い店主でもその名を知っているほどの最高峰のウマ娘の祭典だ。これを憧れとして走るウマ娘は数多くいるのだろう。

 釣られて店主も画面に目を向ける。名前も知らないウマ娘達が泥を被りながら鎬を削る。

 液晶越しからでも伝わる熱量が、煤けた店内を一瞬レース場の特等席のように錯覚させた。

 

『やった!見事勝利したのは──!ついに栄光のダービー制覇!!』

 

 気付けば一緒になって見惚れていた。けれど横で泥に塗れたターフを、その先にある賞賛を食い入る様に見つめる彼女はただの観客だと店主は思えなかった。

 この子もウマ娘なんだよな、そんな事をしみじみと考えながら彼は冷蔵庫からある物を取り出す。

 

「はい、デザート。甘さ控えめにしてあるから、糖分補給も大事だよ」

 

 卵と牛乳で作ってあるシンプルな焼きプリン。ほろ苦いカラメルソースと固めの食感が彼女を安心させる。

 

「……本当、毎度毎度タイミング良いよね」

「そろそろ欲しい頃合いかなと思ってたし。客商売なんだからこれくらいの勘は働かせて当然」

「その割には全然流行ってないし」

 

 項垂れる彼を余所にプリンを食べ進めながら、彼女はぽつりと呟いた。

 

「アタシも、走るから」

「ごめん聞いてなかった、もう一回いい?」

「……っ、だからアタシも走るようになるって言ってんの!」

 

 蛇口を閉めるとハンドタオルで手を拭きながら聞き返す店主を、キッと彼女は睨み付けた。彼女は自身の身体に課せられたハンデをよく分かっている。小さな体躯、細い手足。だからこそそれを理由に、知った顔で他人が自分に意見する事を何よりも許さなかった。

 仏頂面で自分がトレセン学園に在籍している事、もうすぐメイクデビューを控えている事を話す。思い返せば、そのウマ娘が店主に対して自ら自分の事を話すのは初めてかもしれない。気丈に振る舞っていても、心の奥底には不安が一欠片あったのか。それとも数年来の義理のようなものか。

 

 いずれにせよ、返答次第で彼女は席を立つつもりだった。上っ面に心配だけ浮かべて制止の言葉を投げ掛けてくるようなら、二度と来ない。しかし身構えていた彼女にぶつけられたのは、斜め上にトンチンカンな答えだった。

 

「それは……おめでとう?あ、でもまだ勝った訳じゃないんだっけ。ごめんね、僕そういうレースとかよく知らなくてさ。皐月賞?と日本ダービーと、あと菊花賞……有記念は聞いた事あるんだけど」

 

 何とも言えない目で彼女は店主を見つめる。

 

「ありえないでしょ、マスター浮世離れし過ぎ」

「でも君がやりたい事をやるのなら、それで良いと思うよ」

 

 その言葉を聞いて彼女は目を丸くしたあと、所在なげに視線を伏せる。

 

「……どうせマスターも本当は『やめた方がいい』とか思ってるんじゃないの」

 

 普段であれば彼女はそんな弱音にも似た言葉を吐くことはないだろう。幼い頃から知っている場所だからか、メイクデビューを控えている緊張だからか、ダービーのトロフィーを掲げるウマ娘の威風堂々とした肉体を見て少しだけ心に翳が差したのか、はたまたその全てか。

 これはこの後の一言が重要だぞ、そう苦く微笑みながらゆっくりと店主は言葉を紡ぐ。

 

「君が他の子に比べて走るのに向いてない、ってのは何となく分かる。気を悪くしたらごめん、でもね」

 

 ムッとした様子の彼女に対して慌てて手を振る。

 

「でも君は間違いなく大きくなってる、君が初めてこの店に来た時から。カウンター越しに見る君は、昔よりずっと近い」

 

 そう言われて彼女は初めてこの喫茶店に足を踏み入れた時の事を思い出す。まだランドセルを背負って、このカウンターも身を乗り出すようにしなければマスターの顔が見えなかった。

 

「だから僕は他のウマ娘なんて知らない、君自身を見て『ああ、この子はきっと走れる』って思ってる。それじゃ駄目かな?」

「……バッカみたい。格好つけ過ぎ」

 

 自分でもそう思うよ、そう笑う店主から彼女は呆れたように目を逸らす。

 

「それでこれからどんどん忙しくなるから、前みたいにここに来られなくなるかも。それだけ」

「……そっか。向こうじゃ何食べてるの?」

「え?いや、カフェテリアあるから、適当に」

「ちゃんと食べてる?」

 

 うっざ……と言いながらも返す言葉に詰まる彼女に「図星でしょ」と店主は悪戯っぽく舌を出す。

 

「君が少食なのは知ってる、それでも面倒臭がらずに食べてほしいな。あまり無理は言いたくないんだけど、食事は単なる栄養補給なんかじゃないんだよ」

 

 改まってんん、と喉を鳴らす姿に彼女は「また小っ恥ずかしい事言う気でしょ……」と小さく鼻を鳴らす。

 

「料理とは突き詰めれば、願いだと思う。健やかに育つように、その心を解すようにと」

「そして全ては願う事から始まるだろうから。僕は今は空になったあのピザトーストで君の幸せを願ってる。君の肉体は、君に幸あれと想い続ける人達の願いでできてる」

 

 そう言われて彼女は空っぽの皿に目を向ける。量こそ少なかったものの、具沢山でチーズたっぷりのピザトーストは確かに彼女のお腹を満たしていた。

 

「……どうせなら、そこは君の勝利とか言ってくれれば良いのに」

「幸せは勝利に繋がるかもしれないけど、勝利が幸せに等しいとは限らないからね」

「はいはい、そういうのいいから」

 

 彼はレースに出る事に対して無責任に「やめろ」と宥める事も、「勝てるよ!」とおべんちゃらを使う事もなかった。

 

「それでどんなレースを走るつもり?」

「マスターも言ってた皐月賞とか、日本ダービーとか。それに出るまでにやらなきゃいけない事は沢山あるけど」

「これはテレビもっと大きな物に買い替えなきゃだなあ、あんな小さい画面じゃ見えないから」

「お金なんてないくせに」

 

 お勘定、呆れた声色でそう言って彼女は財布から1000円札を取り出した。が、その言葉を遮って店主は首を振る。

 

「奢らせてよ、君のデビューの前祝いだ」

「……そういうのあまり好きじゃない」

「ならまた来てくれればいい、忙しくなっても。それがお代」

 

 すったもんだの押し問答の末、勝ったのは店主だった。不承不承といった感じで店を出て行こうとする彼女の後ろ姿に、グラスを拭き拭き声を掛ける。

 

「怪我しないように、なんて言わないよ。そんなの当然だから」

 

 少し驚いたように振り返る彼女の芯に投げ付けてやると言わんばかりに、すっと息を吸い込んで叫ぶ。

 

「勝て!!」

 

 彼女がぽかんと口を開ける。数瞬のち、その口角をほんの少しだけ歪めると可笑しそうに呟いた。

 

「マスターまで暑苦しいじゃん」

「またのお越しを」

「……うん、また」

 

 ぷい、とそっぽを向いて出ていく彼女を見送ると、店主はぼんやりと考え事をする。

 

「レース、少しくらい勉強してみるかな」

 

 客が大して入らないのをいい事に、彼はカウンターに新聞を広げる。変わり映えのしない日常に、ほんの少し彩りが生まれた。草いきれと土の匂い。ターフに向けられる賞賛が全てあの子の為にある日が来るように。そんなささやかな願い。

 

 

 

 傘を片手に彼女が店外へ出た時には、もう空は薄っすらと晴れていた。無意識に尻尾が少しだけ揺れている事に彼女は気付かない。自分への心配よりも、その勝利を願ってくれている人がいる。

 それだけで彼女、ナリタタイシンは普段自分が秘めているものとはまた違った熱が、己の内に宿ったような気がした。

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 ナリタタイシン、逆転のウマ娘。

 その道程は決して常に輝かしいと言える訳ではなかったが。

 これは彼女と。彼女の栄光と挫折の3年間を、温かな料理と共に場末の小さな喫茶店から見つめ続けた彼の二人のお話。

 

 




マスター
30代前半の男性。祖父から受け継いだ喫茶店『エベレスト』を一人で切り盛りしている。
タイシンに出す料理はいつも小口に分けたり量を調節している。

ナリタタイシン
ある事が切っ掛けで小学生の頃から『エベレスト』に通っている。家が自営業で忙しいという事もあり、暇な折には軽食を食べに来ていた。
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