「そういやラテアートに興味ってある?」
「ラテアート?」
人気のない店内にタイシンの訝しげな声が響いた。窓から射し込んでくる陽光がまだ柔らかい午前そこそこの事だった。微かに額に滲んでいる汗を、店主が差し出したタオルで拭う。朝方は割と涼しくなってきたものの、まだ残暑と言って差し支えない。
「そうだよ、ラテアート。移転してから客層もかなり変わったからね、そろそろ新しい事にも手を出していこうかなって」
欠伸を一つ混ぜながらエスプレッソマシンを点検する店主の後ろ姿を一瞥すると、グラスに注がれた水を喉に流し込んだ。少しぬるいのは彼の「お腹を冷やさないように」という心遣いなのだろう。
余計なお世話ばっかり、そう思いながらも心地良い温度が渇いた身体に沁み渡るようだった。
「別にない……っていうか急に何なの? 来いって言ったと思ったら、ラテアートがどうだのこうだの」
「たまには顔が見たくなっただけだよ」
グラスを空にするとタイシンは口を拭いながら、機械とにらめっこしている店主に声をかけたがのらりくらりと躱される。
モーニング奢るから今度休業日にトレーナーさんと一緒においでよ、そんな連絡を彼女が彼から貰ったのはつい先日の事だった。
嫌々ながらもそれを話すと、浮かれた様子で「いつ行く!? 明日!?」と騒ぐトレーナーを蹴り飛ばす羽目になったのを今でも覚えている。
「そういえばトレーナーさんは? やっぱり予定が合わなかった?」
「そんなんじゃないけど。アイツが『せっかくご馳走になるならお腹空かしがてらランニングしながら行こうよ! 私も付き合うから!』とか言ってさ」
「うん」
「ムカつくから途中で置いてきた」
「可哀想に」
途中で引き離されて息も絶え絶えになりながら走ってくるトレーナーの姿を真似ているのか、おちょくるような声色で話すタイシンを見て悪いなと思いながらも店主は吹き出した。
当の本人はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、壁掛けテレビから流れるニュースを見ている。
「じゃあどうする? 先に作っちゃおうか、お腹空いてるでしょ」
「……いいや、待つ。別にそんなお腹空いてないし、午後から取材入ってるけどまあ大丈夫でしょ」
「そっか。じゃあ待ってようね」
特に何をするでもなく、二人でぼんやりと映し出される番組を眺める。休日に毒にも薬にもならないワイドショーを流し見するこの時間が好きだった事を、タイシンは何となく思い出した。
「あ、これ……」
動物特集に顔を緩ませていた彼女がふと声を漏らす。釣られるように店主がテレビに目を向けると、そこにはスチームパンクな装いに身を包んだタイシンとチケットが出演するCMが流れていた。
何となく気恥ずかしいのか、頬に紅を差しながらも不機嫌そうに彼女は顔を顰める。
「鉄翼蒸気奇譚……? だっけ。CM撮影も慣れたもんだねえ」
「……別に」
オンラインゲームには馴染みがないのか、それ以上店主も特に触れる事なく時間だけが流れていく。忙しなく往来を通り過ぎる人波とは隔絶された、この静寂こそを人は求めているのかもしれない。そんな事を考えながらタイシンは窓の外に目を向ける。
やっとちょうど彼女のトレーナーがハンカチで汗を拭いながらドアの方へと足を運んでいる所だった。数瞬のち、涼やかにドアベルが鳴る。
「はぁ……はぁ……お待たせしました……」
「いらっしゃいませ、本日はわざわざお時間を割いてもらってありがとうございます」
「マスターさんご無沙汰してます〜! こちらこそ今日はご馳走に、はぁ……なりまして……はぁ……」
大きく肩で息をしながらタイシンに恨みがましい視線をぶつけつつ、彼女はその隣に座った。それを意に介する事もなく飄々と「遅かったじゃん」とだけ返す彼女に根負けしたのか、諦めたようにカウンターに突っ伏すトレーナーへ店主が声をかける。
「モーニングと言っても簡単な物ですけどね。ハムとベーコン、目玉焼きとスクランブルエッグのどちらが良いか選んでもらったら」
そう言われるとトレーナーは腕を組んで唸り始めた。その横でうんざりとした顔のタイシンを見るに、いつも優柔不断なのだろう。
「うむむ……タイシンはどうするの?」
「アタシもう決まってるから」
「えっ、いつ注文したの」
悩みに悩んだ挙句、彼女はオーソドックスなハムエッグを注文した。頷くと店主は手慣れた様子で卵をフライパンに割り落とす。空き時間を無駄にしないためかミーティングを始める二人の会話を背で聞きながら、トースターがパンを焼く音に耳を澄ます。そう時間はかからなかった。
「お待たせしました、モーニングです。冷めない内にどうぞ」
良い焼き色の付いたトーストに半熟卵のハムエッグ、瑞々しいプチトマトが添えられたサラダという一般的な物だった。特に目新しくはないがそれ故に安心感がある。手を合わせてから口に運ぶとどこか懐かしさを感じさせる味がした。
「温かい朝ご飯っていいですねえ……」
しみじみと呟くトレーナーに笑いかけると、店主はタイシンの前に角切りにしたベーコンとスクランブルエッグを乗せたトーストを置く。4つに切り分けて盛り付けてあるのは一口が小さい彼女への気遣いだろうか。
「えっ何それタイシン、私のと全然違うんだけど!?」
「アタシのモーニングってこれだから」
常連の余裕を見せつけるようにトーストを食む。ずっと馴染んできた、変わらない味に舌鼓を打つ。甘めの卵に絡んだケチャップの酸味でバランスがよく取れている。友人と食堂で食べる朝食とはまた違う、贅沢に流れる時間を隠し味にしたブレックファーストを楽しんだ。
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二人が食べ終わって人心地付いた頃。フライパンを洗いながらカウンター越しに店主が声をかける。
「食後のコーヒーをお出ししたいんですけど、その前に。実は今度ラテアートを始めてみようかと思って」
「へえ~いいですね!」
「それで試飲と何か気になる点があったら参考にさせてもらいたいんですよ。お代はモーニングで勘弁して下さい」
なるほどと頷くトレーナーを他所に「でもマスター不器用じゃん」と混ぜっ返すタイシンに不敵な笑みで店主は返した。
「ふふふ、そうロートル扱いされちゃ困るよ。まあご覧あれ」
エスプレッソの上にスチームしたミルクを注いでいき、できた円をピッチャーで真ん中から切るようにして形を整えていく。淡い茶色と白のグラデーションが映えるハートが描かれていた。目を輝かせながら写真を撮るトレーナーにタイシンが白けた視線をぶつけているのにも気付かず、店主は薀蓄を語る。
「フリーポアってやり方なんだけど、まあ一般的な物と思ってもらって差し支えないよ。なかなか上手くできてるでしょ、次は他の絵柄で描いてみようか」
得意げにタイを締め直す彼が癪に障ったのか、タイシンは悪戯っぽく口角を歪めた。
「じゃあマスター、猫描いてみてよ」
「えっ」
動揺しながらも同じようにミルクを注ぐと、ああでもないこうでもないと唸りながらピックで店主が試行錯誤する様を楽しげにタイシンは眺めていた。数分の格闘の後、納得いくものができたのかそっとカップを彼女の前に置く。
「そういえばCMおめでとう。よく似合ってたよ」
「……ほんと、回りくどすぎ」
「何の事やら」
絵柄を崩さないようにゆっくり両手でカップを回す。何とも形容しがたい歪んだ動物がエスプレッソの上で揺らめいていた。
「何これ? 豚?」
「猫だけど」
お世辞にも可愛いとは言い難いそれにタイシンは冷めた視線を投げつけながら「晒してやろうかな」と言いながら写真を撮ると、口をつける。見た目はともかくとして、まろやかな口当たりは決して悪くなかった。
ふと時計を見ると結構な時間が経っている。トレーナーに目配せすると席を立つ。
「まあ、及第点じゃない? ご馳走様」
「手厳しいなあ、お粗末様でした」
苦笑しながらドアまで見送りに出る店主の目には隈ができていた。どうせ夜中まで練習していたに違いない、バッカみたい。半ば呆れながらまた雑踏の中に足を踏み出した時、後ろからいつもの決まり文句が飛んできた。
「それじゃ、またのお越しを」
「はいはい、また」
次は期待してるから。不細工な猫のラテアートをスマホの壁紙にしながらそう小さく呟いて店を出る。何だか悪くない気分だった。
こんな感じで数ヶ月に一回程度掌編を放り込みたいなと思っているんですが
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いいよ!
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完結してるんだから大人しくしてろ