【完結】君に捧げる十二の料理   作:しゅないだー

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#2 ホープフルステークスとポトフ

 

 師も走る、と書いて師走と読む。走る事が本分とも言える彼女達も大忙しなのだろうか。そんな事を考えながら、喫茶『エベレスト』の店主は珍しく忙しげに店を切り盛りしていた。

 年の瀬も大詰めといった感じで、喫茶店というより常連達による忘年会の様相を呈している。

 

「しかし今年の有記念も凄かったよな、マスターも見た!?」

「仕事してるんでそんな暇ないですよ」

 

 先代の頃からの付き合いだというサングラスを掛けた年齢不詳の常連が、くるくるとパスタを巻いたフォーク片手に興奮気味に絡んでくるのを店主は軽くいなす。

 

「いやあ来年も楽しみだ、クラシックも見応えありそうだし。マスターはどっちが来ると思う?」

 

「ウイニングチケットか、ビワハヤヒデかですか?」

 

 食後の珈琲を出しながら彼は問い返す。

 来年のレースの主役になるだろうと目されているのは、ジュニア級で既に結果を出しているその二人だった。実際に彼も仕事の傍ら、テレビ越しに彼女達のレースを目の当たりにした事がある。既にクラシック・シニア級でも渡り合っていけるのではないかと言われているその力強い走りは、素人目にも確かに他と一線を画しているように見えた。

 

「そうそう!ウイニングチケットの競り合いの強さも魅力的だし、ビワハヤヒデの──」

 

 キラキラとその瞳を輝かせながら喋り続ける常連を他所に、店主は1席空けているカウンターに目をやる。

 

「ナリタタイシン、ですかね」

「……へえ〜、そっか。あの子がトレセンにか……知らなかったな」

「見つけてもあまり絡まないであげて下さいよ、あの子そういうノリ嫌いなんですから」

 

 窓の外をちらつく雪が薄ぼんやりとした夕陽を照り返して、淡く橙に店内を染める。和やかな会話が満ちる中で、店主はただ一人その小さな足音に耳を澄ましていた。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 小さな歩幅を示すように小刻みにさくさくと柔雪を踏みしめる。手袋越しにすら指を冷やす乾風へ、そっと白い息を吐いた。

 見知った塀の傷を指でなぞる。約半年ぶりに歩く筈のその道は、やっぱり目を瞑っても歩けるような気がした。そこへ近付くほどに芳ばしい珈琲の香りが鼻孔を擽る。

 自分でも気付かぬ内に彼女、ナリタタイシンはいつしか小走りになっていた。

 いつも通りの素っ気ない外装におかしな安心感を感じて、慌てて首を振る。

 

「ほんと変わり映えしない……」

 

 軋んで少し重いその扉を開けて中へ入ると、彼女は露骨に顔を顰めた。普段の様子とは似ても似つかないほど客で賑やかな店内は、人混みを嫌う彼女にとって心地良いものではない。

 やっぱり帰ろうかな、早くもそんな事を彼女が考え始めた時。

 

「いらっしゃい」

 

 緩やかに癖付いた前髪を手で払いながら、店主はカウンターの一角を指し示す。入口から一番遠く、店内で最も静かな最奥。満席に近い店内で、そこだけ不自然に空けられていた。

 バカじゃないの、なんて誰にも聞こえないほど小さな声で呟きながら大人しく座る。

 

「よ、嬢ちゃん。元気してた?」

「……それなりに」

 

 隣に座っていた、名前は知らないが顔は見知っているサングラスの男に声をかけられる。幸いな事にその一言で彼は満足したらしく、またコーヒーカップに口をつけ始めた。

 

「さて、今日は何にしようか。食べたい物ある?」

「ううん、最近あまりお腹空かないし」

 

 寒いと色々億劫になるからね、と呟きながら用意し出す彼は「久しぶり」とも「ちゃんとやれてる?」とも聞かなかった。メイクデビュー前、最後に来た時から数日も経っていないんじゃないかと錯覚するような彼の対応に、彼女自身も不思議ながら家に帰り着いたような心持ちがした。

 

 見事あの後メイクデビューで一着を果たした彼女はクラシック三冠を狙うため、皐月賞と同じ距離であるホープフルステークスに出走する事を決めていた。それに向けトレーナーと苛烈なトレーニングをこれまでずっと行ってきた、そんな日々を過ごす内に季節は秋へ、秋から冬へ。

 そんな折、彼女はふと空腹を覚えた。食べて満たされるような、そんな物理的な空腹でなく。

 それで目標としていたGⅠレース前の最後のオフに、何となくここへ足を運んでみた。そんな事を思い返していると、ふわりとコンソメが香り立つ。

 

「もしかして、あれ?」

「そう、あれ。冬は毎年用意してるからね」

 

 そんな事を言いながら店主はほわほわとした湯気を放つ鍋から掬ったそれを、大きめのマグカップにそっと注ぐ。

 

「お待たせしました、ごろごろ野菜のポトフね。カップ熱いから気を付けて」

「子供じゃないんだから、いちいち言わなくてもいいっての」

 

 マグカップをなみなみと満たしているコンソメスープの中に、食感を残しつつも食べやすいよう小口にカットしたじゃがいもやにんじん、キャベツがごろごろと入っている。見た目以上に食べ応えがあり、添えられたバゲットが満足感を与えてくれる。

 使い慣れた木製のスプーンでゆっくりとそれらを味わいながら、スープの一滴まで彼女は飲み干した。

 

「うん……まあ、いつも通り」

「それはどうも、量はどうだった?お代わりいる?」

「ん、じゃあもう一杯だけ」

 

 空になったマグカップを受け取ると、先程より量を少し減らしたお代わりを注いで満足そうに彼は返す。その顔はとてもにこやかで、タイシンは薄気味悪さにも似た不審感を覚えた。

 

「……何?」

「よく食べるようになったなあって」

 

 バカにしてんの、と睨み付ける彼女に対して彼は首を振る。

 

「すぐに他人と比べるのは君の悪い癖……いやごめん、レースに臨むならそれは良い所なんだろうね。飽くなき闘争心ってやつかな?でもさ」

「ここでご飯を食べてる間くらいは肩肘張らなくていいんだよ。半年前より君は背が伸びてる。それで僕は満足だから」

 

 すみませーん注文いいですかー、と客が呼ぶ声にはいはいと答えながら、言いたい事だけ言って飛んでいく彼に悪態をついて、彼女は残りのスープにまた口を付ける。

 

「……人参多めじゃん、これ」

 

 口の中でほぐれるその甘みが、ただ温かかった。

 

 ─────────────────────────────────

 

 日もとっぷりと暮れ、客足が引き始めた頃。

 何とはなしに頼んだカプチーノ片手にスマホをいじっていると、やっと一心地ついたのかカウンターに戻ってきた店主が声を掛けてくる。

 

「そう言えば次のレースはいつ?」

「……もうすぐ。見に来ようとか思わないでよ」

「見たいのは山々なんだけど店を閉める訳にもいかないからね。もうすぐって事は……ホープフルステークスかな」

 

 タイシンは少し驚いたように顔を上げたが「……そうだけど」とだけ返すと、またスマホに目を落とす。

 

「レース、全然知らないんじゃなかったの」

「そりゃ少しは勉強したもの、皐月賞と同じ芝2000mのGⅠレース。クラシック三冠を取るって息巻いてた君なら当然狙うと思って」

 

 そう言いながら彼はカウンターの上に置いてある小さなバスケットを差し出す。

 

「これカカオ多めのチョコレート、一つどうぞ。甘くないし疲労回復に効くらしいよ」

 

 彼女は逡巡したが無言で一つ取ると、包み紙を開ける。思い切って放り込むとほろ苦さと爽やかな香気が口内を満たした。

 

「……ん、悪くない」

「なら良かった、お疲れみたいだったから。やっぱり練習ってハードなんだろうね」

「まあ、それなりに。でもアタシがやりたくてやってるから」

 

 その言葉を裏付けるように身体に疲労は見えても、瞳は以前にも増して蒼い熱を秘めた闘志を湛えている。きっとその学園で過ごす日々の一つ一つが、彼女の血肉になっているのだろう。なんだかそれがとても嬉しくて、店主は目を細めた。

 

「良かったら学園の話を聞いてもいい? 君が普段どんな人達と関わっているのか、どんな事を学んでいるのか」

「素知らぬ顔して何も聞かずにポトフなんか出したけど、やっぱり君がちゃんと元気してたのか知りたくてさ」

 

 別に期待されても大した話なんか無いけど、と呟きながら彼女は顎に手を当てる。

 

「……トレーナー。アタシを担当してるトレーナーが暑苦しくて鬱陶しいんだけど──」

 

 ぽつりぽつりと語るタイシンの話を、珈琲片手に彼はずっと興味深そうに聞いていた。

 

 ─────────────────────────────────

 

 いつの間に興が乗ったのか、トレーナーだけでなく友人についても話していたタイシンだったが急に押し黙った。喋り過ぎた事に気付いたようで少し顔を赤く染めている。それを隠すように不機嫌そうに彼女は店主に尋ねた。

 

「っていうかさ、マスターはなんでアタシにそんな……構う訳?」

「それは君が──」

「……君を小さい頃から見てきたからだよ。このくらいの時からね」

 

 そう言って腰の辺りを指差してみせる店主に、彼女は身を乗り出してデコピンで返事をした。額を押さえて呻く彼にふん、と鼻を鳴らすと席を立つ。

 次にここに来る事ができるのはいつだろうか、とふと彼女は考える。ホープフルステークスを乗り越えてクラシックへの切符を掴み取ったとして、きっと1日も無駄にできない。したくない。

 でも、そのまま忙しさに押し潰されるように来なくなるのは何となく嫌だ。そんなもやもやとした気持ちを抱えながら会計を済ます。

 

「確かにちょうど1000円ね、またのお越しを。寒いから風邪引かないように」

「はいはい、また」

 

 そう言って彼女が店を出ようとした時。「あ、そうだ」と店主が呼び止める。

 訝しむ彼女に見えるように、彼が『予約席』と書かれたプレートをさっきまでタイシンが座っていた椅子にそっと置く。そのまま頬杖をついて何でもないように続けた。

 

「ここ、ずっと空けておくから。だからお腹いっぱいになりたくなったらいつでもおいで」

「……気が向いたらね」

 

 何だかもっと言いたい事がある筈なのに、その一言しか出てこない自分に彼女は苛立ちを感じた。けれどマスターにはそれで十分なようで、尚更腹が立つ。唇を噛み締めていると、ふと年季の入った壁掛けテレビが目に入った。その小さな画面を指差して言い放つ。

 

「一着、取ってやるから」

 

 アタシにはレースしかない、なら言葉じゃなくレースで語る。

 ぽかんと彼が口を開けた。いつも飄々として子供扱いしてくるマスターの間抜けな顔を見て、少し気味が良い。普段のはにかむような笑いよりも、ずっと大きく顔をほころばせながら彼が頷く。

 

「うん、見てるよ。ここから」

 

 

 学園への帰り道、「お土産に」と持たされたチョコレートをポケットの中で転がす。来る資格だとか、理由だとか。元より彼女にそんな難しい事を考える必要はなかった。

 

「……お腹が空いたら、行けばいい」

 

 そう呟いて進む彼女の足取りは、来る時よりも心なしかずっと軽く見えた。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 ホープフルステークス当日。

 エベレストの店先に出してある立て黒板には『本日〇〇時から□□時までホープフルステークス観戦の為お休みさせて頂きます』と馬鹿げた文言が記してあった。

 

「さて……」

 時間になると店先のプレートをOPENからCLOSEへと変える。くすくすと常連客達が笑うのを意にも介さず、テーブル席に店主は腰を下ろした。

 カウンター内からでは壁に掛けられたテレビが見辛い。今日だけですよ、そう周りに言い訳しながら珈琲を啜る。

 

「いいのかよマスター、仕事放っておいて」

「個人経営で良かったって初めてこの店に感謝してますよ、寛大なお客様方にも」

 

 サングラスの常連の軽口に同じく軽口で応えながら、液晶越しのパドックを見つめる。

 

『6枠12番、ナリタタイシン。10番人気です』

 

「やっぱ他の子と比較すると小せえなあ……この人気も止む無しって感じだな」

 

 隣で品定めするように常連が呟く。店主も考え込むように「むう……」と唸っている。他のウマ娘と比べると確かに彼女の体格は見劣りする。面と向かって言葉で励ます事はできるが、いざ現実に突き付けられると押し黙る他なかった。

 

「そんでこの外枠か、どう転ぶかだな」

「何か問題でも?」

「まあ単純に考えりゃ内枠の方が走る距離短いしな、統計的にも内枠有利ってのが一般論だな」

 

 それを聞いて店主はしゅんと肩を落とす。それを窘めるように常連が背中をばしんと叩いた。

 

「でも勝負は一般論で片付けられない。そうだろ?」

「……ですね」

 

 出走を告げる華々しいファンファーレが店内に響いた。店主と他数人の客が息を呑む。

 

『さあ各ウマ娘、綺麗に並んでスタート!……4番ネクサスフォース、快調に飛ばしていく!』

 

 序盤、逃げや先行が位置取り争いを行う中でタイシンは最後方についていた。無理やりバ群に紛れてもその小さな身体では、好位置を維持するだけで終盤までにスタミナを使い切ってしまうからだろう。

 目まぐるしく入れ替わる順位、GⅠとはいえまだジュニア級、何人か潰れていくウマ娘もいた。だが彼、いやこの店にいる全ての人の目には彼女しか映っていない。

 

『さあ第四コーナーを曲がってラストの直線! あれは……』

 

 直線一気。一人、最後方から猛烈な勢いで追い上げてくるウマ娘。

 

『バ群の間を縫うようにして、凄まじい末脚だナリタタイシン!!』

 

 迫る影が音を置き去りにするように、今バ群を抜けた。そのまま逃げる先頭の喉首に食らいつく様にさらに速度を上げる。

 

『逃げるツーリングバイクと追うナリタタイシン!伸びる、ナリタタイシンまだ伸びる!!そのまま差し切って今一着!』

 

 店内に歓声が沸き起こる。手汗でじっとりと湿るほど強く拳を握り締めていた事に気付くと、店主は慌てて誤魔化す。

 

「……ふう、良かったですね。見事一着ですよ、やるなあ」

「そんなに心配だったか?過保護すぎんだろ、おい」

「別に?信じてましたから」

 

 揶揄うような口振りのサングラスの常連にしっしっと手をやりながら、彼はまた店を再開し始める。何でもないような顔をしながら、店主は今日の客全員に珈琲1杯をサービスした。鼻歌交じりの接客に、事情を知らない客は怪訝な顔をしていたという。

 

『ナリタタイシン、一等星の輝きを見せクラシックへと繋がる道へ第1歩を踏み出した!』

 

 画面の向こうで、ターフ上の賞賛をその身に受けながら天高く拳を突き上げるその姿が。彼の目にはただ、どこまでも美しく映った。

 

 

 

 

 




サングラスの常連
年齢不詳のおじさん。マスターの祖父の知り合いで、ウマ娘に限らずあらゆる事柄を浅くかじっている。
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