【完結】君に捧げる十二の料理   作:しゅないだー

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#3 バレンタインとドライカレー

 ホープフルステークスから1ヶ月が経ち、正月ムードも早々に過ぎ去った2月の初め。

 喫茶エベレストの店主は閉店した後の薄暗い店内で、バレンタインに向けたメニューを思案していた。年齢不詳のおじさんやのんびりと日光浴に励むおばあ様方、いつも目を血走らせて生き急いでいるサラリーマンなど常連の殆どがこんな可愛らしいイベントとは無縁であるが。

 だからこそ新規顧客獲得のチャンスでもあるぞ、そう息巻いてペンを握る。確か今若い子にははちみー? とやらが流行っていると聞く。七味の仲間か何かだろう、チョコと上手いことあれそれすれば形にできるかもしれない。

 

「よし、いけそうだな……他にバレンタインと言えば……」

 

 彼がこの時期になるといつも思い出すのはバレンタインとドライカレーだった。無縁のようにも思えるその二つが、彼と初めての小さな常連を結び付けたある日の事を。

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 初めて彼がタイシンと言葉を交わしたのは、ちょうど七、八年前の今くらいの頃合いだっただろうか。日本に帰ってきて祖父が遺していた喫茶店を継いだは良いものの、ろくに手入れもされていなかった店内の大掃除、離れていった常連。頼りになる人もおらず、ほぼ新規開店のようなものだった。

 店内に未だ転がる荷物から逃避して店先を掃いていたある昼下がり、彼はそのウマ娘と出会った。いわゆる本格化にはまだ程遠いであろうその少女は、風体から察するに小学生のようだった。

 

「……」

 

 下校途中に転げて擦りむいたのか、その膝からは血が流れ出している。身の丈に合わない大きなランドセルに沢山の荷物を抱えた細い手足は痛々しさすら感じさせた。

 見ていられなくなった彼は、深く考える事もなく声を掛けた。

 

「ええと、君。大丈夫?」

「……っ、大丈夫じゃないって言ったらどうする訳?」

 

 警戒心に満ち満ちた噛み付くかのような返事と、その蒼い瞳に背筋が伸びる。客に貴賎も年齢もない、そう言っていた祖父の姿が脳裏に蘇った。埃臭いエプロンを叩くと中腰になる。

 

「そりゃ……とりあえずその膝手当してからお家に電話かな。変な事するつもりじゃないから、いや本当に、防犯ブザーとかやめてよ」

「親はどっちも仕事だから電話かけても意味ない。もういい? 早く帰りたいんだけど」

 

 つんけんとした物言いに身が竦むようだった。ただここで放っておくのも些か体裁が悪い。何よりこの子にとって良くないだろう、そう判断して思考を回す。が、何も思い付かない。

 

「じゃあ……じゃあお茶飲んでいかない? どうせ開店したばっかりで客なんていないから、僕がこの店の主人なんだけど。君がお客さん第一号だ」

 

 そのまま帰すのも忍びなくて咄嗟に出た言葉に、彼女は目を丸くした。店主の後ろにそびえ立つ喫茶店のような何かをじっと睨んでいる。

 

「……まあ、別に良いけど」

 

 強気に振る舞っていてもやはり怪我が辛いのか、殊更に彼女がごねる事はなかった。ほっと一息つきながら彼は店内へと案内する。

 

 大人びた子だな、というのが彼女、ナリタタイシンに対しての彼の第一印象だった。後から聞くと彼女の実家は自営業を営んでいるらしく、幼い頃から自分の事は自分でやっていたとか。

 招き入れたは良いものの、まだ荷解きも終わっていない店内に対して彼女は猜疑の視線をぶつけながら、カウンターの最奥によじ登るようにして腰掛けた。とりあえず擦りむいていた膝を消毒して絆創膏を貼ると、もごもごとお礼のような何かを言われる。

 

「それじゃどうしようか、何か食べたい物ある? ジュースもあるし簡単なお菓子くらいなら用意できるけど」

「いらない、甘い物好きじゃないし。それになんか……不審者みたい、物で釣ろうとするの」

 

 完璧に出鼻と心を挫かれた。こんな小学生相手にもろくに接客できずにこの先やっていけるのだろうかと不安になりながら、マグカップに注いだホットミルクを出す。

 やはり外は寒かったのか、彼女はぺこりと軽く頭を下げるとちびちびと口を付けて飲み始めた。気まずい沈黙が流れる。

 

「……じゃ、ごちそうさま。はい」

 

 そう言って彼女はランドセルの横ポケットから折り畳まれた1000円札を取り出してカウンターに置いた。きっと何か困った事が起きた時の為に彼女の両親が持たせているのだろう。彼は慌ててそれを突き返す。

 

「貰えないよ」

「なんで? アタシが子供だから?」

 

 不機嫌そうにタイシンが問う。店主はまだ彼女と出会ってそう時間も経っていないが、その内に秘めたややこしさを嫌というほど理解しつつあった。

 物怖じする事もない強気な態度は、明らかにウマ娘として恵まれていない体躯へのコンプレックスの裏返し。いや、それは少し違うだろうか。

 自分を哀れむもの、哀れみの影に隠れて嘲るもの、手を伸ばしても届かないもの。それら全てを見返してやると言わんばかりに、彼女は懸命にその細い脚を踏ん張っていた。

 

「そんな事じゃないよ、単に代金を貰うほどの事を君にしてないだけ」

「……いいって言ってるでしょ」

 

 払う、貰えない、払う。いい歳をした大人と小学生ウマ娘が真剣に押し問答をする様は、傍から見れば滑稽だった。

 

「分かった分かった、じゃあこうしよう! それは貰う。その分僕は君に何かを与えてみせる。これでどう?」

「はあ……好きにしたら?」

 

 どうしても彼女が払うつもりなら、せめてそれに見合ったサービスをする。それが彼が何とか導き出した妥協点だった。彼女が何を望んでいるのか探り出す為、時節の話題を絡めて振ってみる。

 

「そうだなあ……もうすぐバレンタインだけど、君は好きな男の子とかいないの? 面白いチョコの作り方とか教えてあげようか」

「男子なんて皆子供だし、友チョコ交換とかしないからいい。大体アタシ甘い物嫌いだから」

「ふーん……」

 

 意固地な態度とその言動から、日頃彼女がどのような環境にいるのか窺えるようだった。

 顎に手を当て店主は思案すると、少しだけ待ってくれるよう頼み外に飛び出して行った。それに困惑しながらも大人しく彼女が待っていたのは、つんけんした態度の裏に隠れている本質ゆえだろうか。やる事もなく、仕方なしにタイシンは店内を眺める。

 山、山、山。誰が撮った物かも、それが何処かも定かでない写真が店内に飾られていた。

 朝焼けを写したその荘厳な情景は、どこか寂しさを湛えている。それが不思議で彼女はずっと山頂から撮られたのであろう雲海を眺めていた。

 

「お待たせ」

 

 忙しなげに鳴るドアベルがタイシンを薄暗い喫茶店に引き戻した。両手いっぱいに荷物を提げて戻ってきた店主は相当急いでいたのか、大きく肩で息をしている。玉ねぎやにんじん、豚挽き肉が覗いている袋をカウンターの上に置くと彼は高らかに言い放った。

 

「ドライカレーを作ろう!」

「……なんて?」

 

 

 ─────────────────────────────────

 

「玉ねぎはみじん切りにして……じゃ、君はこの人参をすり下ろしてくれる? 一応すり下ろし器も子供用のやつあるけど」

「普通のでいい」

 

 タイシンは何故か今日出会ったばかりの、オンボロ喫茶店の主人を名乗る胡散臭い大人とドライカレーを一緒に作っているこの状況に少なからず混乱していた。

 それでも彼女が拒絶しなかったのは、怪我を手当してもらった申し訳無さのような感情があったからかもしれない。比較的簡単なドライカレーとはいえ、自分を工程に組み込みながらも手慣れた様子で進めていく彼に彼女は内心で舌を巻いた。

 

「さて、今回のポイントは隠し味にこれを入れること」

「チョコレート……?」

「ご名答」

 

 そう言って店主は袋の中から取り出したそれを鍋の中に少量溶かし入れた。スパイスがより一層キッチンに香り立つ。

 

「これを一欠片入れてやるだけでコクや深みがグッと増すんだよ、不思議な事に」

「……ふーん」

 

 料理が仕上がるにつれてお化け屋敷のように思えた古い内装が、少しずつ馴染み深く感じるようになっていく自分がタイシンには少し可笑しく、同時に何だか名残惜しくも思えた。

 無事に完成したそれを味見すると、確かに言っていた通りまろやかなコクが口一杯に広がる。舌鼓を打つ彼女を満足げに眺めると「まだぼったくりのような気もするな……」と呟きながら、店主はタッパーへ詰めた出来立てのドライカレーをその小さな手に持たせた。ほのかな温かさが手の平に伝わってくる。

 

「な、なに……?」

 

 事態を飲み込めない彼女がおっかなびっくり尋ねる。

 

「お父さんお母さん仕事なんでしょ? 夕食に持って帰ってあげるといい、きっと喜ぶから。チョコも入ってるし少し早めのバレンタインも兼ねて」

「ホットミルクとドライカレーのテイクアウト。それに怪我の手当も含めて1000円頂きます」

 

 今回これを作ったのはさ。唖然とする彼女を他所に、そう始めながらつらつらと店主は語る。

 

「別に好きって惚れた腫れただけじゃないからね、家族や友達に対してもそう。でも君に、いつか本当に感謝を伝えたい人ができた時にさ。それを伝える(すべ)を一つでも増やしてあげられたらって。だから一緒に作ったんだ」

「……そんな人、できる訳ないし」

 

 だから、いつかね。眩しそうに彼は目を細めると、芝居がかった仕草でタイシンの手を握る。

 

「バレンタインには可愛いチョコレート! なんて誰が決めた? 勝ち方なんて星の数ほどある、君は君のやり方でやればいい」

 

 勝ち方なんて星の数ほどある。

 天から与えられた才に、周りとの差異に。幼いながらも絶望感を覚えていた彼女にとってその言葉は、まるで一条の光のようで。

 

「それで……君が情けをかけられるのが嫌なら、1000円で良い。本当はそんな物いらないんだけど、1000円で君の身も心もお腹いっぱいにしてみせる。だから気が向いたら、またのお越しを」

「……うん」

 

 外はもうすっかり橙色に染まり始めていた。店主がドアまで送ると、彼女はぽつりと口を開く。

 

「アンタのこと、なんて呼べばいいの」

「それはまた来てくれるって事かな」

「うるさい」

 

 お客さんが一人増えた、ひとまず安心だねえとか何とか笑いながら店主は畏まってタイシンに向き直る。

 

「そうだね、じゃあマスターで。僕らは客と店員だからね、対等だもの。畏まってほにゃららさんなんて呼ばれる方がぞっとする」

「マスター……なんかあんまり似合ってない気がするけど」

 

 彼は苦笑すると腰をかがめ、彼女に目線を合わせた。まるで気の置けない友人のように。

 

「僕も歳下だからってナメた態度を取るつもりは毛頭ない。だから君、って呼ぶ事にするよ。友達みたいに」

 

 御両親に見せてね、そう言うと思い出したように彼は彼女の小さな手に一枚の名刺を握らせる。

 

「一応大事な娘さんをお預かりしたんだから、身元ははっきりとさせておかなきゃ。まだ作り直してないのが申し訳ないんだけど」

 

 一呼吸置いて彼は絞り出すように呟いた。

 

「君と僕は似ている気がするから。きっと友達になれる」

 

 荷物一杯で大変だろうから家まで送ろうか、と言う店主を留めてタイシンは別れを告げた。自分で歩ける、と。少し埃臭い店内とスパイスの香り、隠し味のチョコレート。

 それらに背中を押されるように店を出ると、力強い足取りで彼女は家路を歩み始めた。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 自分と似ている気がするから、なんて言ったっけ。苦笑しながら懐かしむように店主は言葉をなぞる。きっとそれはこの数年来の付き合いの中で、彼が吐いた唯一にして最大の嘘だろう。

 あの日、彼はそのウマ娘(ナリタタイシン)の瞳に魅せられた。

 恵まれない体躯にも、まだあどけなさの残る少女には酷な環境にも。彼女は何一つとして闘う事を諦めるつもりがなかった。見返してやると、ざまあみろと吐き捨ててやると、その瞳には常に蒼い焔が燃えている。今より高い所へ一歩一歩、常にその脚を止める事はない。

 それがあまりにも眩しくて、その道程をカウンター越しにずっと見守っていたかった。近くて遠い、この場所から。

 

 大人になっていく彼女は一体誰にあのドライカレーを作るんだろうか。

 楽しみは幾つあっても良い。シャッターを下ろした店内でそっと目を閉じて、彼はいつかきっと来るであろう彼女の幸せを願う。

 

 

 

 

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