【完結】君に捧げる十二の料理   作:しゅないだー

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#4 皐月賞とカツサンド

「えっと……明後日そっちに寄るつもりなんだけど。人連れて行くから、よろしく」

「……もう一回いい!?」

 

 4月上旬、突然タイシンから掛かってきた電話に喫茶エベレストの店主は文字通り腰を抜かした。大丈夫かよマスター、と寄ってくるサングラスの常連や他の客を手で制しながら聞き返す。

 

「君が……人を……!?」

「アタシのこと何だと思ってるわけ!?」

 

 電話越しにがみがみと噛み付く彼女をどうにか宥めすかして、事情を聞く。どうやらタイシンを指導しているトレーナーが、彼女がこの店にたまに通っている事を嗅ぎ付けたらしく「一度行ってみたい!」と駄々をこねているらしい。

 

「まあそれで、最近ご無沙汰だったし。顔ぐらい出しに行ってあげてもいいかな……って」

「嬉しいね、でもわざわざ連絡なんかして来なくても歓迎するのに」

 

 その言葉に彼女が押し黙る。ただ沈黙の中にも、何かを伝えようと逡巡するような吐息が混ざっている事を店主は承知していた。急かす事なく彼女が自分の言葉を紡ぐのを待つ。彼はその時間が昔から好きだった。

 

「……こんなもんかって舐められるのは嫌だから。アイツの心臓が飛び出すくらい驚くような物作って」

「了解、腕によりをかけて準備しておくよ。君の度肝まで抜いてしまうくらいのとっておきを」

 

 舐められるのは嫌だから、か。彼はそう呟くと、自分の店がまだ彼女の一部分である事にどこか安堵してほっと息を吐いた。ふと窓の外を見ると、枝垂れ桜が風に靡いて白い花弁を散らしている。あっという間に春は過ぎ去り、夏が来る。秋に吹かれて、冬を乞う。

 今のような日々がずっと続けば良い、彼は本心からそう思った。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

「タイシン……やばい、このマフィンすっごく美味しい……! ご飯前なのに止まらないんだけど、どうしよう……!」

「鬱陶しいからいちいちこっち見るなっての」

 

 ライトグリーンのパンツスーツに身を包んだ長身の女性がマフィンを美味しそうに頬張りながら、カジュアルなオーバーサイズのパーカーを着こなす小柄なウマ娘に興奮した様子で話しかける。対照的な二人が並んで座っている様を、喫茶エベレストの店主はカウンター越しに興味深そうに眺めていた。

 

「まあ君にはこういう人の方が良いのかもね」

「暑苦しいだけだし」

 

 切れ長の瞳にすっと通った鼻筋。まだ20代前半だろうか、若々しさの中にも外見だけで言えばクールビューティーという言葉がよく似合うその女性は「これ、アタシのトレーナー」といつものカウンター席に座りながら面倒臭そうに紹介するタイシンに「それだけ?」と少し不満そうに詰った。

 

「まあいいよ、初めまして! 御紹介の通りタイシンのトレーナーを務めさせて頂いています。タイシンからたまに聞いてたんですけど、いつか食べに行きたいな〜ってずっと思ってました!」

「へえ、たまに……こちらこそお会いできて嬉しいです。今日は楽しんでいってもらえれば」

 

 そう嬉しそうに言いながら店主はタイシンに目を向ける。一瞬視線がかち合ったかと思うと、ぷいと彼女は顔を逸らした。同時に話をすり替えるように、古臭い店内にそぐわない新品の大型壁掛けテレビを指差した。

 

「ってか本当にテレビ買い替えたんだ」

「お陰で火の車だよ。皐月賞はもちろんこれで観るから」

 

 前走である弥生賞では惜しくもライバルであるウイニングチケットに敗れ、2着。

 この次にタイシンが走るのはいよいよクラシック三冠の一角、皐月賞だ。まだ日はあるものの『ウイニングチケットとビワハヤヒデの直接対決』という見方をする人がほとんどだろう。ホープフルステークスを見事勝ち切った3番人気でありながら、世間の品評では二人に大きく水をあけられている。

 今もチケットやハヤヒデはトレーニングに励んでいると思うと、せっかくの休養もタイシンにとって気が気でなかった。

 固い表情の彼女と何故か食前にマフィンを頬張っているトレーナーを見やると、店主は「じゃあそろそろお出ししようかな」とキッチンへと引っ込んでいく。

 

「お待たせしました、エベレスト特製カツサンドです」

 

 程無くして店主が二人の前に大皿を置く。その上に一口大にカットされたカツサンドが大嶺の如く山盛りに積み上げられている様に唖然とするタイシンを見て、得意そうにしながら彼は続ける。

 

「好きなだけどうぞ、お腹いっぱいにするってのは嘘じゃないよ。あ、無理はしちゃ駄目だからね。余ったら僕や他のお客さんで頂くから」

 

 寧ろ俺達の分も残しておいてくれよ、なんてテーブル席から飛んでくる野次に対してうざったげにしっしっと手を振りながらタイシンは恐る恐る一つ手に取る。

 一口食むと文字通り柔らかなパンが口の中でほどけた。小口ながらも厚くカットされているカツを噛み締めると、キャロットソースの仄かな甘みがじんわりと広がる。さっくりと歯切れの良い肉は丹念に下処理をしているのが窺えた。

 

「……美味しい」

 

 二つ三つと食べ進めても一向にその山は減る気配を見せない。これだけの量を一人で作るのは相当な時間がかかったんじゃないだろうか、そうカウンター越しの店主を見上げれば、なるほど薄っすらと眠そうな目をしている。バカみたい、そんな言葉をパンと共に飲み下した。

 手に取ったカツサンドを見つめると、タイシンは料理が出されてからずっと気になっていた事を問う。

 

「って言うかカツサンドって……やっぱりそういう事なわけ?」

「そりゃもちろん、寧ろそれ以外にある? 勝負に勝つサンド! なんちゃって」

 

 破顔する店主に釣られてけらけらと隣で笑うトレーナーの脛を、タイシンはげんなりとした顔をしながら蹴飛ばした。

 

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 結局二人がかりでも食べ切る事はできず、エベレストの名に相応しいカツサンドの山は常連達の胃に収まる事となった。

 

「うっぷ、食べ過ぎたかも……アタシ腹ごなしに一駅歩いていくから。アンタは先に帰ってなよ」

「タイシンこそ門限があるでしょ。デザート食べたら帰るよ、ここは私が払っておくから」

「ふーん、払えると思ってるんだ」

 

 悪戯っぽく呟くタイシンの言葉に財布を取り出そうとするトレーナーの手がぴたりと止まった。もしかしなくてもきっとお高いのでは、そう恐る恐る彼女は店主に尋ねる。

 

「えっと……おいくらですか」

「1000円ですね」

「1000円!?」

 

 素頓狂な声をあげるトレーナーを可笑しそうに笑いながら彼女は店を出る。

 またのお越しを。はいはい、またね。

 決まり切ったやり取りの後、そのまま振り返る事なく彼女は駅へと歩いていく。いつしか外はとうに日が沈み、頼りなげに古臭い電灯がちかちかと瞬いていた。

 門限に急かされて帰るタイシンを見送ると、トレーナーはまた店内へと戻ってくる。

 

「……良い店ですね。料理もコーヒーも美味しくてお客さん達は皆朗らか」

「恐縮です」

 

 追加注文したりんごのタルトを口に運びながら店を観察する視線は、本当にタイシンにとってここが来るに値する場所なのか品定めをするようで。

 先程までの和やかな雰囲気から一転、真剣な面持ちでトレーナーは彼に告げる。

 

「食事は身体を作ります。貴方の料理は栄養学的な観点や体重管理を行うトレーナーとしての立場から見れば、今のタイシンには不適切かもしれません」

 

 手厳しいなあ、と苦く笑いながらもそれを肯定するように店主は頷く。今のタイシンはあの日出会ったランドセルを背負う女の子ではなく、多くの人の期待を一身に受ける競技者だという事をちゃんと彼は理解していた。

 

「でも私は今日の山盛りのカツサンドのような。そんな貴方が差し出す気休めがきっとこれまでのあの子の心に安らぎを与えてきた、そう思っています。またタイシンと一緒に来ても?」

 

 照れ臭そうに「もちろん」と答えながら首筋を引っ掻くと、彼は慎重に言葉を選ぶ。驕らないように、かと言って今までの彼女に対しての態度を卑下する事もないように。

 

「……僕は所詮傍観者なので。今までの彼女を培ってきたのはご両親で、これからの彼女をアスリートとして大成させるのは貴女だ。そしてそれ以上に彼女は今までも自分で自身の道を決めてきたし、これからもきっとそれは変わらない。それを重々承知の上で、一言だけ良いですか」

 

 どうぞ、と促すトレーナーに店主は深く頭を下げた。突然の事に他の客が「何だ何だ」とざわめき始めるのをサングラスの常連が「気にすんな」と静めた。

 

「あの子をどうかよろしくお願いします」

 

『トレーナー』がウマ娘の隣を共に歩み、教え導く者だとしたら。自分はそんな相棒には程遠いと彼は理解している。けれどもずっと彼女の小さな背中を後ろから眺めてきた。無愛想ながらも必ず「また」という言葉を添えて店を出るその背中を。

 勿論です、そう答えるトレーナーに安心したように店主はきっちりとタルトの代金を請求した。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 ターフへと続くトンネルの中で、光に向かって歩く三人のウマ娘。BNWとしての初戦、夥しい数の観客と彼らが持つ熱が遠く離れたここからでも身体を包んでくるようだった。

 

「やっと三人一緒に走れるね、ハヤヒデ、タイシン! 負けないよ!!」

「ああ、私もこの日をずっと楽しみにしていた」

 

 隣を歩く二人も当然自分が勝つ、と言わんばかりにやる気を漲らせている。コンディションも絶好調、一筋縄で行く相手じゃない事はずっとこの目で見てきている。

 

「でも、勝つ……勝つのはアタシだから」

 

 勝つと口に出した瞬間、タイシンの脳裏に『勝負に勝つサンド!』と爽やかに言い放った間抜けな顔が浮かび上がる。

 

「どうかしたタイシン? なんか笑ってない?」

「別に? 何でもないっての」

 

 少し心がほぐれた気がした。自分が求めるものは走る中でしか手に入らない。期待を孕んだ歓声の沸き立つ場内に、刻み付けるように足を踏み入れる。

 絶対に勝つんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クビ差で皐月賞を制したのは、ナリタタイシン!! クラシック三冠、その一つを鬼の末脚で勝ち取りました!!』

 

 その日喫茶エベレストから、辺り一帯を揺らすほどの大歓声が響き渡ったという。

 

 

 

 




タイシントレーナー
若い女性ながらトレーナー職に就いている秀才。外見から冷たい人間と誤解されがちだが、その本質はお喋り好きのロジカルな熱血硬派である。
タイシンのキレのある末脚に魅せられ専属トレーナーとなった。
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