【完結】君に捧げる十二の料理   作:しゅないだー

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#9 来る春とマフィン

 

「しかし君にお茶に誘われるのは不思議な気分だな」

「まあ、たまには」

 

 とある喫茶店のカウンターに並んで座るウマ娘が二人。少しばかりレースに詳しい人ならそれが三強と名高いBNW、その内のビワハヤヒデとナリタタイシンである事に気付くだろう。

 同学年とは思えない体格差の二人は口数こそ少ないが、リラックスした様子で窓から射し込む陽光を浴びている。

 

「それにしても良い店だ、君が通い詰めるだけはある」

「安くて人が少ない事だけが取り柄だから」

 

 言われてハヤヒデが店内を見回すと、確かに休日の昼という書き入れ時にしては悲しいほど客が入っていない。もしもこれが普通の繁盛店であれば、有名人である彼女達がこれほど和やかな休暇を過ごす事は不可能であっただろう。

 

「店閉めて2,3ヶ月も山登りに行ってたんだってさ、バカだから。その間に客離れてんの」

「笑い事じゃないだろうに……」

 

 可笑しそうに笑うタイシンを窘めるとハヤヒデはまだ湯気の立つコーヒーを一口含んだ。少し粗めに挽いてあるコーヒーは、普段彼女が飲んでいる物と違い雑味がない。かといって薄い訳でもなく、コクの中にフルーティーな清涼感さえある。

 シンプルな一杯だが、それ故にマスターの腕の良さを示していた。

 

「君のマスターはどこで修行したんだ?まだ歳若いように見えるが……」

「知らない、大体アタシのじゃないし」

 

 そのやり取りを耳聡く聞いたのか、オーブンの中を確認しながら店主が首だけ二人に回して答える。

 

「昔海外にいたんだけどね、自炊できると便利だから覚えたんだ。それに楽しいし、あまり言葉が通じなくても美味しい料理を振る舞ったら意外と気を許してもらえるもんだから必死に練習したよ」

「ああ、確かに」

 

 横目で見てくるハヤヒデに「何?」とタイシンが不機嫌そうな視線を向けるのを楽しそうに眺めながら「標高3000mにバリスタはいないからね」と店主は呟いた。

 

「お待たせしました、バナナチョコチャンクマフィンです」

 

 小ぶりなマフィンがこれでもかと盛られたバスケットがそっと目の前に置かれた。

 チャンクは塊とかぶつ切りって意味なんだよ、と言う店主になるほどと二人は頷く。赤と茶のグラシンカップに収まっているマフィンは確かにごろごろとしたチョコレートの欠片とバナナで彩られていて、見た目以上に食べ応えがありそうだった。

 

「赤い包みに入ってる方は普通のチョコ、茶色い包みに入ってる方はビターチョコを使って甘さ控えめにしてあるから好きな方をどうぞ」

 

 手を合わせるとハヤヒデはそっと赤色のマフィンを手に取って口に入れる。

 軽く焼き上げられているのか、もったりとした食感を残さない舌触りの良い生地が濃厚なチョコレートとバナナによく合う。身体の奥底に染み渡るような甘味の奥に、彼女は香ばしさを感じた。

 

胡桃(くるみ)が入っているんですね」

「チョコとバナナだけだと少々後味がくどいからね」

 

 ハヤヒデの言葉に店主が頷く。ともすれば野暮ったさに片足を突っ込みかけている二つの甘さを、胡桃の香ばしさが上手く輪郭としてまとめている。

 

「うん……まあ、良いんじゃない?でもアタシにはこっち甘過ぎ」

「そっちも一つ貰っていいだろうか?」

 

 タイシンがもぐもぐと頬張っている、甘さ控えめと銘打たれている方を指差す。

 ほろ苦いビターチョコに、まだ熟し切っていない青いバナナを使っているらしく固めの食感が面白い。その分生地を少し甘めに作っているらしく、青臭さやえぐ味を上手く隠している。

 

「これはこれでなかなか……」

 

 コーヒーを啜りながらハヤヒデはほっと一息つく。春の天皇賞に向けて苛烈なトレーニングを続ける身体に、好物であるバナナを使った菓子が沁み入るようだった。

 しかし隣に座るタイシンにはその顔がどことなく物憂げに見えた。理由はなんとなく分かっている。古い店内に不釣り合いな真新しいテレビが映し出す、昼下りのニュース番組に三人の視線が吸い付けられた。

 

『皐月賞を見事制されたナリタブライアンさんですが、やはり次は日本ダービーを?』

『当然だ。勿論菊花賞も見据えている』

 

 靭やかな肉食獣を思わせる凛々しい顔付き、周り全てを好敵手と捉えている飽くなき闘争心。

 ナリタブライアン(影をも恐れぬ怪物)が皐月賞のコースレコードを更新し、一着を飾った事は少なからず話題になっていた。マスコミに対してもその自信を隠す事なく、しかしそれが嫌味に映らないのはどこまでも彼女が追い求めているのが名声などではない、血湧き肉踊る勝負だからだろう。

 

「この子凄く強いよね、確か君達が分け合った三冠を一人で総ナメにするんじゃないかって言われてるんでしょ?」

 

 間延びしたマスターの声にハヤヒデが苦笑する。カウンター越しに立つ男は本当にタイシンにしか興味が無いのだろう。

 

「妹です」

 

 タイシンの見立て通りハヤヒデを浮足立たせているのは彼女の妹、ナリタブライアンの存在だった。ジュニア級の頃から凄まじかったその走りは、クラシックに至るまで多くのレースを経験し、皐月賞で更に花開いた。

 シニア級のウマ娘ですら喰らうと評されている快進撃に、目を向けるなという方が無理だろう。

 怪物の姉であるプレッシャーは如何程ばかりか、店主は彼女が以前会った時に比べて少し窶れている原因を何となく理解した。

 そして口下手なタイシンがわざわざ彼女を連れてやってきた理由も。

 

「やっぱり身内が結果を出すとそわそわするよね」

「……焦らないと言えば、嘘になるでしょうね」

 

 店主の突然の不躾な発言に少し面食らったようではあるが、気を害した様子もなくハヤヒデはしみじみと呟く。

 

「早く追い付かなきゃ置いて行かれる。焦燥感ばかりが募る。好きだった筈のそれを目にするのも嫌になってくる……いや、君はそこまでは行ってないか」

 

 どこか懐かしく思い出すように店主は視線を中空に泳がせる。

 コーヒーのお代わりはいかが、という彼の言葉に二人は頷いた。フラスコから適温に冷まされたコーヒーを注ぎながら彼はハヤヒデに目を合わせる。

 

「まあ少しばかり君より長く生きてるおじさんからアドバイスするなら、きっと妹さんからしてみれば君はまだまだ『追い付きたい』目標だよ」

 

 慮外の言葉をぶつけられて、彼女はきょとんとした顔を見せた。普段大人びているその眼差しが歳相応に丸くなる。

 

「君は強いよ。菊花賞での走りも見事だったもの、ねえ?」

 

 突然店主に話を振られてタイシンは戸惑いながらも言葉を紡ぐ。長ったらしい励ましが得意ではない事を、彼女は自分で理解している。だから一言だけ、ずっと胸の内に秘めている事を。

 

「まあアタシは……アンタのことずっと厄介だと思ってるから」

「……それは励ましているのか?」

 

 自分は追い付かれる側、ハヤヒデはそう口に出してみる。案外悪くない響きだった。決意するようにコーヒーを飲み干すと彼女は店主に微笑んでみせた。

 

「ブライアンはきっと三冠を獲る、だが私も追い付かれるつもりは更々ありません」

「その意気その意気。それに君は『ナリタブライアンの姉』だけじゃないし、あの子も『ビワハヤヒデの妹』だけじゃない」

 

 当然と言えば当然だが、忘れかけていたそんな言葉に不思議と勇気付けられるような心持ちがする自分を、ハヤヒデは不思議に思った。無性に身体が走りたいと疼く。

 

「タイシン、悪いが私はもう戻るよ。こうも言われてはまだまだ追い付かれる訳にはいかなくなった。誘ってくれて感謝する」

「ん、分かった」

 

 荷物をまとめるハヤヒデに優しい顔で彼女は頷いた。支払いは、と財布を取り出そうとするハヤヒデの手をタイシンが止める。

「奢るよ」「いいって」というやり取りを、店主は興味深そうに眺めていた。

 

「今度はどうぞ妹さんもご一緒に、またのお越しを」

 

 店主はカウンターから出てくると恭しくドアまで付き添い、そっと開く。手を振りながらハヤヒデを見送ると、肩の荷が下りたというようにほっと一息ついた。

 

「それにしてもいきなり『今度友達連れて行くから』って君から電話が掛かってきた時は流石に驚いた、トレーナーさんの時以来だね。いや、バナナを使ってくれってリクエストまでしてくれたのは初めてかも」

「いちいちうるさいっての」

 

 彼は他の常連に「良ければお一ついかがですか」と残ったマフィンを配りながら、そっぽを向くタイシンに嬉しそうな視線を向けた。

 

「上手くあの子、励ませたかな」

「知らない」

 

 きっと彼女は敵に塩を送るなんてつもりはないのだろう。ただ純粋に友人を気遣って、不器用なりに選んでくれたのがこの店なら。

 ぶっきらぼうに返事しながら彼女が差し出す紙幣を二枚、カウンターを挟んで彼は受け取った。

 

「またのお越しを」

「はいはい、また」

 

 カウンターから見るその背中は3年の月日を経て、確かに広くなっていた。あの日一人で重い荷物を抱えながら、よろよろと歩いていた少女。その周りはいつしか沢山の人の祝福で溢れていて。

 自分も確かにあの子の糧になれているのならこれほど嬉しい事はない、そう彼は新しく店に飾った写真を眺める。近所のなんて事のない山の頂上から撮ったそれは、彼女の為だけに切り取った景色だった。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 春の天皇賞、芝3200mは果てしないようで瞬く間のようでもあった。

 最後のコーナーを回って直線、一気に仕掛ける。バ群の中をすり抜けてごぼう抜きにしていく、それでも全然アイツに追い付く気がしない。

 地面に噛み付くように足を叩き付ける。空気が痺れるように震える様を頬に感じた。

 

「くそっ……!」

 

 尚も加速を続けるが、それでもずっとハヤヒデが遠く感じる。ああ、もう。

 

「本当にアンタって厄介……!」

 

 あと少しが届かない。振り抜いた腕は彼女の芦毛に触れる事なく、虚しく宙空を切った。

 

『春の天皇賞を制したのはビワハヤヒデ!!最初から最後まで徹底して自分の走りを見せ付けました!!』

 

 肩で大きく息をしながら先にゴール板に飛び込んだ親友(ライバル)に目を向ける。

 日本ダービーでの敗北を、菊花賞での挫折を経ても、尚届かない物もある。が、それでもタイシンは不敵に笑う。走る事が楽しくてたまらないという風に。

 

「──次はアタシが勝つ」

「ああ、楽しみにしている」

 

 揃って、何度でも。

 

 

 

 

 

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