鍾離先生と鉄の魔神   作:メラニンEX

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序話

 

───あなたの焔は、信仰と讃美によってではなく、金槌と金床を叩く音によって受け継がれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

日暮れどきのことだ。スメールはオルモス港から北上する道の途上。見渡す限り、草神の加護に慈しまれた樹木や草花が落陽の光を受けて、薄く赤に照り映えている。雲ひとつない空は、ちょうどくすんだ水色、落陽の赤、それから徐々に紺色が東の端から覗き始めて、えも言われぬ美しい色合いに染まっている。そんな折のことだった。

 

 

「あーっっっ!!オイラ、もう怒ったぞ!なんでこいつら、さっきから全っ然進んでくれないんだよお!」

 

きゃいん、と。とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったらしいパイモンの声に、旅人も困った顔で空中でジタバタと怒りのステップを踏む、小さな相方を見上げた。パイモンの怒りも分からないではない。というか、彼女が怒らなかったら自分が怒る。

 

ムカつくことに、パイモンと旅人を現在進行形で困らせている元凶──六頭の駄獣といえば、毛むくじゃらの顔でムシャムシャと呑気そうに足元の草を食んでいる。旅人はため息をついた。何事も安請け合いは問題の種である。

 

 

 

元はと言えば何の変哲もない、冒険者協会から打診された任務だった。スメールのオルモス港から璃月港まで、珍しいことに駄獣を使った陸路で行く商人の、少し期間が長めの護衛。本来は船を使った方が距離も時間も短く済むのだが、璃月はこの時期たいへん船が多く入港するため、制限を掛けているのだとか。

報酬も妥当で、フォンテーヌのゴタゴタが片付いてちょうど暇になったこともあり、旅人とパイモンはその仕事を請け負った。もともと、近日中に璃月で開催されるお祭りに参加するため、璃月に行こうと思っていたこともあり、ちょうど良いタイミングだったのだ。それが3日前のこと。

 

ところが。護衛の仕事が始まる前日に、依頼主である商人が腰を強打してしばらく歩くことができなくなってしまい、当然陸路の長旅は不可能。しかし先方から代金を受け取っているため、商品の受け渡しをしないというのも無理。そんなわけで、本来護衛の仕事だけのはずが、なんと商品の運搬まで2人は請け負うことになってしまったのである(もちろん、その分報酬ははずんでもらったのだが)。

 

2人も若干難色は示したものの、『駄獣引いたことない?大丈夫大丈夫!!この子達、大人しいし言うこと聞くから!ねえ頼むよ!お願いお願いお願い!!!』という土下座せんばかりの商人の頼み方と、『まあこれまで色々やってきたし、何とかなるだろう』という自負心で、パイモンと旅人は荷物を積んだ六頭の駄獣を引いて、オルモス港を出発した、のだが。

 

 

ここで話が冒頭に戻る。この6頭の駄獣たち、自分を引いているのが手慣れた主人ではなく、何やら不慣れな新米であることを早々に見抜いたらしい。それからと言うもの、旅人たちがいくら手綱を引っ張ろうが、おやつをやろうが、ちょっとキツイ声で命令を出そうが、旅人たちを舐め切った獣たちはどこ吹く風。自分たちのやる気のある時しか、スムーズに歩こうとしないのだった。

 

 

風魔龍を退け、魔神オセルを封印し、雷神と一騎討ちをし、あらゆる苦難を乗り越えて栄光を手にしてきた旅人といえども、荷物を運ぶ駄獣相手では手荒く扱うわけにもいかない。フラストレーションを溜めまくりながら、2人は言うことを聞かない駄獣たちの尻を叩き、ようやっとのことで璃月港までの道のりの半分ほどまで来ているところだった。

 

 

「まあまあ、落ち着いてパイモン…。もうこうなったら、後1時間は動かないよ、この駄獣たち。しょうがないからここで暫く休んでいこう」

「ええ〜〜!?明日の朝までには璃月港に着こうって、言ってたじゃないか!良いのかよ、こんな所で休んでて!?」

「よくないけど…ほら、パイモンもずっと怒ってて疲れたでしょ。おやつのパイ、食べて良いよ」

「パイ!!!……しょうがないなあ、こいつらの食事が終わるまで、オイラもパイ食べながら待ってやるか…」

 

風スライムみたいに怒っていた、小さなガイドがもちゃもちゃパイを頬張るのを尻目に、旅人は駄獣の手綱を近くの木にでも結びはじめた。食欲に忠実に生きている彼らとはいえ、これまでの道のりで道草を既に食いまくっているのだ。休んでいる間に遠くに行かれたりしたら、ただでさえ遅れ気味の旅程が崩壊してしまう。

 

短い旅路の間ですっかり慣れた様子で、一頭一頭の手綱を木にひっかけ、ちょっとやそっとでは外れないよう縛っておく。そうして、最後の駄獣の手綱を結び終わったときのことだった。手綱にあまりゆとりを持たせずに縛っておいたのが気に入らなかったのか、その駄獣は嫌そうにブルブルと身じろぎ、その背に積んだ商品に隙間があったのだろうか、小さい積荷のひとつが、ころん、と背から落ちた。

 

 

その駄獣が、道の1番端に立っていたのもよくなかった。素晴らしい反射神経で旅人が積荷をキャッチしようとしたのも虚しく、それは勢いよく道から転げて、下の茂みに突っ込み、何度かゴロゴロとぶつかる音を響かせた後、あっという間に見えなくなった。

 

「……うわあ……」

「ん?どうしたんだ、旅人?」

美味しそうにパイを齧っていたパイモンが、頭を抱えた旅人を見て不思議そうに首を傾げる。荷物がひとつ落ちた、と道の下を指して言うと、その小さい顔がサッと青ざめた。

 

 

「ええええ!だ、大丈夫なのか!?荷物なんだからもし中身が壊れてたりしたら、全額弁償!とか言われるんじゃ…ひい!」

「いや…割れたりする音は聞こえなかったけど…。とりあえず、積荷を取りに行ってくるよ」

「おう!気をつけろよ!」

 

 

ちょうど2人が休んでいた場所は、崖、と言うほど高くはないが川を挟んだ橋の袂であり、見下ろすとそれなりに離れた下方に、まばらな樹木と砂利混じりの河原が見えている。歴戦の旅人には、どうと言うことのない高さだ。飛び降りようと旅人が構えたところで、ふと、声がかかった。

 

 

 

「───もし。どなたか上で、荷物を落とされませんでしたか」

「「えっ」」

 

パイモンと旅人は思わず顔を合わせた。声は下から聞こえていた。人影、は2人の位置からは確認することができない。眼下には樹木がぽつぽつと生えていて、声はそのあたりから発されているようだった。成人男性にしては少し高い、きれいなアルトボイスだ。歳の頃はよく分からない。まだ若い青年にも、中年の男性のようにも思えた。

 

「えーっと、茶色い革袋に入れた荷物なら、オイラたちが落としちゃったやつだ!お前が拾ってくれたのか?」

「はい。茶色の袋の荷物でしたら、俺が拾っていますよ。手触りからして、恐らく中身も壊れていないと思います」

「よかった、ありがとう。今そっちに受け取りに行くね」

「いえ、それには及びません。俺もちょうど上に上がる所でしたし、ついでに持っていきます。少し待って下さいね」

 

 

柔らかな声は、何でもないことのようにそう続けた。親切なその言葉に甘えて旅人はパイモンと上で待つことにして───数分。

 

「…………遅くないか?」

「遅いね」

 

声の主が、全然来なかった。もう、え?と言うくらい来ない。いくら何でも遅すぎである。これは積荷、持ち逃げされたか?とか2人は考え始めた。

この場所に辿り着いたのは日暮れどきだというのに、今やすっかり日は落ちてしまい、紺碧の空には水晶を砕いたような星々が輝き始めている。涼やかながら、奥底に湿気の混ざったスメールの風が旅人の金髪を撫ぜ、はらはらと舞うそれに目をすこし細め、ぱちぱちと瞬きをした、次の瞬間。

 

 

 

───ふと横を見ると、見知らぬ青年がひとり、旅人のすぐ傍に立っていた。一瞬の出現、と言う風でもなかった。青年はまるで、500年の昔からここにいましたよ、と言うような具合で、スメールの翠緑の景色に馴染み、溶け合いながら、微笑んでいた。

 

「こんばんは」

「………びっくりした。こんばんは?」

「そそそそんなこと言ってる場合か!お前、どこから来て、いつの間に近づいてきたんだ!?全然気づかなかったぞ!」

「下からさっき上がってきました。何度かお声がけしたのですが、気付いておられなかったようなので、近付いたのですが…でも、驚かせてしまったのならすみません。俺はどうにも影が薄くて」

 

青年は、少しばかり申し訳なさそうな顔をした。その柔らかい、耳馴染みのよい響きのアルトボイスを聞いて、旅人は目の前の青年と、先ほど荷物を拾ってくれた声の主がやっと結びついた。

 

簡素な旅装に身を包んだ、痩身長躯の人物だった。温厚そうな顔立ちに眼鏡をかけていて、薄墨色の髪をうなじでひとつに結んでいる。スメール人のようには見えなかった。どちらかというと璃月人の顔立ちに近い気がする。外見も、声と同じように年齢が不明瞭だった。30手前と言われればそう見えたし、実は40代ですと言われてもギリギリあり得ないこともない。ように見えた。

取り立てて目立つところのない容姿の中で、腰にぶら下げた風の神の目だけが、鮮やかな緑青色を光らせている。

 

「これ、先ほどの荷物です。お二方のもので間違いないでしょうか?」

「おう!そうだぞ………って、お前がさっき落とした荷物を拾ってくれた奴なのか!いきなり横に現れたから、誰かと思っちゃったぞ!」

 

パイモンは言われて初めて、青年の正体に思い至ったようで、青年の周りを忙しない蜂みたいに飛び回りながらじろじろと眺めていた。旅人は差し出された荷物を受け取り、念のため中身を確認しておく。皮袋の中には緩衝材に包まれた鉄の風鈴、小さな鉄瓶、火箸が何組か。細々とした鉄製品は分厚い緩衝材が仕事をしたのか、見たところ曲がったり折れたりしているものはなさそうだ。旅人はほっと安堵の息をついた。

 

「中身はなんともなさそう。ありがとう、拾ってくれて助かった。えっと、貴方は…」

旅人の問いに、ああ、と青年は人好きのする笑みを浮かべたまま、軽く胸に手を当てた。

「俺は宿雨(しゅくう)と言います。璃月の生まれですが、長らくスネージナヤで働いていて、今日は休暇でこちらに」

「オイラはパイモンで、こっちは旅人だ!よろしくな、宿雨!」

「よろしく」

 

パイモンの簡単な自己紹介に、宿雨と名乗った青年はもちろん知っています、と頷いた。

「お二人のお顔はスチームバード新聞で拝見したことがありますし、俺の勤務先でも貴方たちは有名人ですから。モンドの栄誉騎士で璃月の大英雄、稲妻やスメールでも活躍された方だと聞き及んでいます」

「ふふん、オイラたちの活躍ぶりもいつの間にかこんなに広まってたみたいだな!オイラもお前のガイドとして鼻が高いぜ!」

「ええ。そんな貴方たちは…」

青年はひょい、と旅人たちの背後を覗き込んだ。

「…お仕事の最中でしたか?確かお二方は冒険者協会の所属でしたね。もしやお邪魔をしてしまいましたか」

 

 

相変わらずもしゃもしゃと草を食べている駄獣を見て、宿雨は気を遣ったようだった。

「気にしなくていいぞ!オイラたち、ちょうど休んでるとこだったんだ。何せコイツら、ぜーんぜん働いてくれないんだからな!」

パイモンもよほど鬱憤が溜まっていたのか、自分たちは璃月に荷物を運ぶ任務の途中なこと、駝獣たちの主人が怪我をして一緒にいないこと、そのせいでちっとも駝獣が言うことを聞いてくれなくて時間が掛かっていること───を、わっと勢いよく話した。

その怒涛の愚痴にも宿雨は驚いたり、嫌がったりする様子もなくうんうんと相槌を打ち、聞き終わると心底同情したように「大変でしたね」と2人を労った。

 

「仕事が予定通りにいかないと、焦るものですよね。特に、貴方たちにとってあの駄獣たちは依頼主の持ち物ですから、手荒く扱うわけにもいかないでしょうし…さぞ疲れたことでしょう。本当にご苦労さまです」

「そうなんだよな!しかも、商品の受け取り期日が明日なのにのんびりしちゃって……駄獣にそれを分かれってのが無理なことは、オイラも理解してるけどさ…」

「ああ。先ほど拾った積荷も鉄器でしたし…なるほど、貴方たちは『二鐘祭』の為の商品を運んでいたのですね。祭りの日程から考えると、期限ぎりぎり……ふむ」

 

何やら思いついたらしい宿雨は、2人に向き直って駝獣を指し示した。

「ここでお会いしたのも何かの縁。俺は駄獣のような動物たちと、ごく簡単な意思疎通が可能です。良ければ、もっと早く歩いてくれるよう、彼らに頼んでみましょうか。もちろん出会ったばかりの俺のことを怪しいと思うなら、お断り頂いても構いません」

宿雨の言葉に、旅人とパイモンは驚いて顔を見合わせた。

「ええっ!お前動物と話せるのか!?旅人、ダメ元で頼んでみようぜ!これ以上遅れたら本当に期限に間に合わなくなっちゃうぞ!」

「そうだね、他に駄獣を歩かせる手段もないし…それじゃあお願いしてもいい?」

 

 

わかりました、と軽く青年は頷いて、繋がれている6頭の駄獣たちの元へと歩み寄った。真ん中の駝獣の近くでしゃがみこむと、何やら耳元でひそひそ、と話し始めた。すると草を食んでいた駄獣がおや、と言うように口を止めて彼の方に顔を向ける。その時に、旅人やパイモンより随分高身長ゆえに、今までは見上げっぱなしだった宿雨の後頭部が初めて旅人たちの視界に映った。

 

薄墨色の柔らかそうな癖毛が、さやかな月明かりに照らされて白く輝いている。その中に、髪にほとんど埋もれるような様子ではあったが、2人の目に留まるものがあった。

 

(……あれ?角?)

(角だね)

 

一本の角である。

象牙のような色をしていて、わずかに先端がカーブしているそれが、宿雨の左の側頭部から生えていた。子供のヤギみたいな、ごく小さなものだ。こうやってまじまじ見ることでもなければ、有るか無いかなどほとんど分からないだろう。

 

 

テイワットには、純粋な人外や人外と人間の混血児が少数存在している。事実、旅人たちの知り合いにも七神たちのような魔神や仙人、スクロースやディオナ、甘雨や煙緋のような混血がいる。彼らの全てが動物と意思疎通が可能ではない(と思う)が、宿雨ももしかするとそういう類なのかもしれないな、と旅人はぼんやり考えた。

 

 

そんな2人をよそに、宿雨の『意思疎通』は順調なようだった。さっきまで草を食いまくっていた駄獣たちが、打って変わって甘えた様子で彼の手にすり、と頭を擦り付け、優しげに囁く声にじっと耳を傾けている。淡い月明かりの下、青年の周りで憩う獣たちの姿は、一枚の絵画のようでもあった。やがて宿雨は、

 

「……ええ、そう、そうです。貴方たちの主人は生きていて、無事です…………そう。その為にはまず、この人たちに従って歩かなくては…」

という言葉を最後に、立ち上がって2人の方を振り返った。几帳面そうに膝についた土を払って、宿雨は満足げに親指を立てる。

「もう大丈夫そうです。彼らはどうやら、見慣れた主人がいなくて、不安だったり拗ねてしまっていたようですね。今話したところ分かってくれたので、これからはキチンと歩いてくれることでしょう」

「しゅ、宿雨ぅ〜〜〜〜!?ありがとう!!お前ってホントにいい奴だな!オイラ、この調子で璃月港に辿り着けるかすっごく不安だったんだ!ううう、ホッとしたぞ〜!!」

 

パイモンが感激のあまり、紺色の翼をキラキラさせながら飛び回り、青年は「そんなに誉めなくとも…」と謙遜した様子で飛び回る妖精を器用に避けていた。

 

「色々ありがとう。さっきから貴方に助けてもらってばかりだけど、何かお礼をした方がいい?」

「お気になさらず、これも巡り合わせです。俺はモラに困っているわけでもないので大丈夫ですが……そうですね。貴方がたは荷物を璃月港に運んだあと、何か急ぎの予定はお有りですか?」

 

旅人の問いかけに、宿雨はちょっと考えてから逆に質問を返した。

「ええっと。二鐘祭の間は璃月港で観光したり、友だちと遊んだりするつもりだけど‥何か急ぎの仕事とかはないよ。今のところは」

「それでは…後ほど俺が貴方に簡単な仕事をひとつ、依頼するのはどうでしょう。それで、貴方の言うお礼の代わりと致しませんか」

「いいね。構わないけど、内容は?」

 

 

青年はやはり、穏やかに微笑んだ。たおやかで一つの含みもない、春先の暖かな雨にも似た、静かな笑い方だった。細まった彼の目は、くすんだ紫と橙が溶け合った、朝焼けのような美しい色を湛えていることに旅人はその時になって気づいた。昔どこかで見たような、それでいて世にそうはいない、めずらかな色彩だった。

レンズの向こう、眼窩に朝焼けを宿した男が、夜を背にして立ち上がる。

 

「それはまた、あとで。───乗り掛かった船です、駄獣たちがやる気を無くしたりしないよう、璃月の国境までは俺がお送りましょう。さあ…明日中に璃月港に着こうと思ったらそろそろ出発しなくては。短い旅路ですが、どうぞよろしく。旅人さん、パイモンちゃん」

「おう!それじゃあ、出発!!」

 

 

かくして旅人とパイモン、6頭の駄獣たち、それから宿雨と名乗った親切な青年の短い旅が始まったのだった。2人と6頭分の足音、背中に積んだ鉄製の荷物が触れ合うガチャガチャと言う音、密やかな話し声。道行く旅人たちの頭上を白々とした月が、さやかに照らし出している。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「ところで、宿雨は璃月の出身なんだよな。オイラたち、二鐘祭に参加するの初めてなんだけど、宿雨はもう何回も参加してるのか?」

「二鐘祭ですか?もちろん、何度も参加していますよ。流石に海灯祭に規模は劣りますが、こちらは各地から職人たちが集いますから大変賑やかで…祭りの場しか手に入らない品も沢山ありますし、きっと初めてでも楽めますよ」

 

 

───二鐘祭(にしょうさい)

海灯祭や月添い祭と並ぶ、璃月の伝統的な祭りのひとつだ。ただ、前者ふたつと大きく異なる特徴がある。それが、もとは鍛治職人たちの為の祭りであり、取り扱う品のほとんどが鉄器を始めとした金属製品に特化しているという点だった。

毎年のように趣向を凝らしたテーマが出され、ミニゲームの屋台や美食、工芸品などさまざまな屋台が出される海灯祭とは違い、祭りの期間内の璃月港は見渡す限り金属の輝きで眩しいほどだと言う。

 

髪飾りや首飾り、指輪などの装飾品を始めとして、金属を使った鈴や銅羅や横笛などの楽器、鋏や包丁、火箸や薬缶などの日用品。鏡や時計はもちろん、1番人気なのは剣や槍を始めとした武器や防具。果ては最近になって、『金属でできている』を言い訳に大型の砲台を売ろうとした者もいたのだとか──流石に禁止されたらしいが───その他小型のマシナリー、金属製の建築資材、古くなった金属製品の買い取りや修理専門店、エトセトラエトセトラ。

 

とかく、鍛治職人が携わったり金属に関わることならほぼ何でもいい、というような具合らしい。出店はそういった職人たちに限られているが、買う方や祭りの参加にはもちろん制限なし。一年に一度、二鐘祭にしか出店しないような熟練の職工もいるらしく、この時期に奮発して武器や調理道具一式を買い換えるものも多いのだとか。昔は璃月国内で行われていたのが、近頃は国外からも参加する者も増えつつある、鍛治職人と金属の祭典なのだ───打って変わって大人しく歩くようになった駄獣の手綱を引きながら、宿雨はそう説明を締め括った。

 

 

 

「へえ〜〜〜!海灯祭とはだいぶ毛色が違うんだな!それでそれで、美味しい食べ物の屋台なんかはあるのか!?」

「そうですね、そこまで数は多くないと思いますが、多少は出るかと。璃月の鍛治職人たちがよく食べる塩漬けの肉や飴なんかは、二鐘祭の名物です。特に飴は、色々形も凝ったものがあって面白いですよ…しかし」

宿雨はちょっと肩をすくめた。

「俺が最後に二鐘祭に参加したのは、いつだったかな……とにかく俺は長らく璃月を離れていましたので、最近の祭りがどんな風になっているのかについては、噂でしか知りません。祭りの詳細は本番で楽しみにしておいた方が良いでしょう」

「宿雨は今年の二鐘祭にも行かないのか?」

 

青年はええ、と軽く首肯した。

「もう少しで休暇が終わってしまいますので。仕事が始まるまでに、余裕を持ってスネージナヤに戻らなければ…」

「お二人も二鐘祭で買いたいものは決まっていますか?祭りに出店する店の中には、人気の高いものもありますから、前もってどの店に並ぶか決めておいた方が、欲しい品が手に入る確率も上がると思いますよ」

「!旅人、オイラが持てそうなサイズの剣、置いてるかなあ?もしあったら買いたいぞ!オイラのへそくりと相談だけど……」

 

まだ始まってもいない祭りに、早速そわつき始めたパイモンである。小さな足が待ちきれないように、空中をパタパタ踏んでいる。旅人も欲しい金属製品はあったかな、と思案を巡らせた。

 

「俺は最近コンパスの調子が悪いから、買い替えたいかも。あと剣のお手入れ道具なんかも…パイモンのサイズに合う剣があったら買ってもいいね。でも剣なんか持ったら重くて飛べなくなるんじゃないの、パイモン?」

「飛べるに決まってるだろ!バカにするなよ!」

 

からかいの言葉にぷりぷり怒り出したパイモンを、旅人と宿雨が微笑ましげに見ていたところで、旅人はふと考えた。ついさっき知り合ったばかりで、ひよんなことから短い旅路を共にすることになったこの宿雨という青年の、素性については未だに謎のままだ。探るわけではないが、気になる点ではあった。

 

璃月から離れてスネージナヤで暮らしているらしいし、商人だろうか。それとも商会なんかで事務や経理の作業をしていてもおかしくはなさそうだ。あとは完全に穏やかな物腰からの偏見だが、小説家や音楽家などの文化的な職業についていそうでもある。

思い浮かべた職業は、どれであっても「それっぽい」のだが、それでいて働いている姿を絶妙に想像しにくい。結局旅人は直接尋ねることにした。

 

「さっき休暇が終わってしまう、って言ってたけど宿雨は普段どんな場所で働いてるの?」

「えっ」

「確かに!オイラも気になるぞ………いや!待ってくれ!当ててやる!えーと、小説家!じゃなきゃ商人!」

 

素朴な驚きの声を上げた宿雨に、パイモンも俄然気になってきたらしい。紺色の大きな瞳がキラン、と光った。

 

「…何だか唐突ですが…どちらも違いますね」

「音楽家!」

「違います」

「書道家!」

「ホテルマン」

「いいえ」

「一周回って冒険者!…は違うか。好きに休み取れるもんな」

「はい。違いますね」

「……学校の先生、とか?」

「おや」

 

外れっぱなしだったのが、初めてビンゴが出たのだろうか。意外そうな顔をした宿雨に、パイモンが「当たりか!?」とピカピカの笑顔で問いかけた。

 

「そうですね、教師も俺の職務の一環ではあります。とは言えどこの会社でも、下っ端はさまざまな仕事を掛け持ちするのが常でしょう?俺もその例に漏れず、所属している組織の中で、教師や他の手の足りていない職務を何個か担当している、という形です。なので、年中ずっと教師をしている…というわけではないですね」

「へ〜!でも宿雨、先生やってるのなんか似合うなあ!オイラ想像つく気がするぜ!『はい、座ってくださいね。それでは158ページを開いて…寝ている人は順番に当てますよ』とか言ってるんだろ?」

「あはは!パイモンちゃんは想像力豊かですね。俺はあまり授業で寝ている生徒を起こしませんが…今の声はかなり似てました。………しかし、」

 

旅人たちの前を、駄獣の手綱を取りつつゆったりと進んでいた宿雨が顔だけで振り返った。夜闇の中で、彼の美しいグラデーションを宿した瞳が不思議そうに瞬くのが見えた。小首を傾げる動作に従って、薄墨色の髪が彼の肩を滑り落ちる。髪の先に結んでいる、玉の飾りが涼やかな音を立てた。

 

「しかし、お二人とも俺の勤め先について、気付いておられなかったんですね。なんだ、とっくにご存知なのかと思っていました」

「お前の勤め先ぃ?オイラたち、さっき知り合ったばっかりなんだから、そんなこと知ってるわけないだろ?職業だって今知ったんだから」

「それはそうなのですが。ほら、でも一応、こうして目立つくところにしてるわけですし。やはり俺の影の薄さが問題かもしれませんね」

 

ほら、と宿雨が首に巻いている襟巻きを指差した。白い薄手の生地の上に、確かに何か刺繍のようなものが縫い取られているのが見えたが、夜の暗さで分かりづらい。今夜は風が早く、流されゆく雲が月を隠しているからだろうか。

 

つかの間、月が雲の間から地上を照らし出す。

銀の糸のような、ひそやかにきらめく光を反射して、宿雨の白い襟巻きが冴え冴えと輝いていた。冷ややかな白地の上、月明かりのような銀の刺繍。

その模様は、旅人もパイモンもよく知る『三つ目』を模っていた。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・

「──俺は、ファデュイの所属です」

「より正確に言うと、ファデュイの養成学校で座学講師を務めたり、その他色々雑用をしている、しがない窓際構成員ですが…。まさか本当に気付いていなかったとは!すみません、てっきり俺の所属元に気づいているものだとばかり勘違いしていました」

「…………ファデュイ?…お前が?」

 

ぽかんと、間抜けな声で、オウムのように宿雨の肩書きを復唱したパイモンとは裏腹に、旅人は襟巻きの刺繍を認識した瞬間に腰の剣に片手を掛けていた。

駄獣を引く手綱は持ったまま、足は止めない。その上で、いつでも戦闘に入れる体勢を取った旅人に、宿雨は困ったように笑った。殺気の欠片も存在しない、素朴な申し訳なさのみが青年の顔にはありありと浮かんでいる。

 

「はい、俺が。ファデュイなのですよ」

「えぇええぇえええ!?ファファファファデュイ!?なんでだよ!!オイラたちになんか用があって近づいて来たのか!?」

「…どうして、黙ってたの?」

「俺は今休暇中で、ファデュイの仕事中ではないからです。それと、単純に訊かれなかったから。訊かれたら正直に答えたでしょうが……困ったなあ、しばらく国外に出てないと、勤め先の外聞の最悪さをどうも忘れてしまいますね。いや、申し訳ない」

宿雨は呑気そうに、ぽりぽりと癖毛を掻いた。

 

ファデュイ。愚人衆。

悪名高い、冬国スネージナヤの組織。謀略と強大な武力でもって知られる肩書きは、宿雨という礼儀正しく、温厚な青年にはまるで似合っていなかった。これならまだ、「実は稲妻で武士をやってます」とか「エルマイト旅団所属です」とか言われた方が信じられる気がする。ただ何となく、職業を尋ねただけなのにとんだ薮からヘビを出してしまった旅人だった。

 

 

これまで各国を巡る旅の最中、幾度となくファデュイと旅人は剣を交えてきた。末端の構成員から、「執行官」と呼ばれる幹部たちまでその数は正確には把握しきれないほどだ。無論、ファデュイに属する兵士たち全てが悪人なわけではないことも、旅人は理解している。構成員の中には温厚な人物も、上層部に反発している者もいれば、執行官の中にも話が通じる手合いはいるのだ。旅人自身、成り行きでファデュイたちと手を結んだこともあるのだから、それは知っている。

が、それを差し引いてなお、名乗られれば警戒せざるを得ないのが、ファデュイという組織だった。

 

 

「…………何か、俺たちに用があって近付いてきた?それとも偶然?」

「偶然です。でも、この状況でそれを信じろと言っても難しいですよね。ひとえに所属を名乗らなかった俺の落ち度ですが…ふむ、短い旅路と言っても怪しげな人物と居るのは貴方たちにもストレスでしょう。どうします、俺はここで抜けた方が良いですか?」

 

手綱をぱっと離した青年に、躊躇いの色はない。旅人やパイモンが抜けてくれ、とひとこと言えばそのまま去っていきそうな様子だった。2人は思わず顔を突き合わせる。

 

 

(どうするんだよ、旅人…璃月との国境まであとそんなに離れてないけど…)

(こっちに敵意があるようには見えないけどね…襲う場面なら今まで幾らでもあったわけだし…)

(でも休暇中のファデュイが、ほんとーに偶然オイラたちと遭遇するなんてあり得るのかあ?)

 

ひそひそ囁き合う旅人たちをよそに、手持ち無沙汰の宿雨は駄獣の毛をねじねじと弄っていた。呑気なことである。それから、何かに気づいたように青年は2人に声をかけた。

 

「あ。もし俺が貴方たちに襲いかかったり、そういったことを懸念しておられるのなら、心配はいりません。俺は旅人さんより遥かに弱いですからね。俺が貴方に掴みかかったとしても、貴方の腕前なら一瞬でボコボコにできると思います」

「堂々と言うなよ!恥ずかしくないのか、お前!」

「いいえ?弱いのに強いと虚勢を張るのは恥ですが、弱いことを弱いと言うのはただの事実です。恥も何もありませんよ」

 

情けないことをキッパリ言い出す宿雨に、パイモンも旅人もずっこけたような心持ちで、半目になった。

まあ、彼の言うことは正しい。手練の武芸者である旅人には、宿雨と自分の実力差がはっきりと認識できていた。宿雨もそれなりに武術は修めてはいるようだが、神と渡り合ってきた旅人からすれば一枚も二枚も落ちた腕前に見えた。戦えば間違いなく、こちらが勝つだろう。

 

はあ、と旅人はため息をつく。なんだか毒気を抜かれた気分だった。警戒してるこちらが馬鹿みたいである。

 

 

 

「………いいよ、抜けたりしなくて。どうせ璃月の国境まで近いんだから、一緒に行こう」

「そうでしたか。つくづく、不快な思いをさせてしまってすみません」

「旅人が良いんなら、オイラも構わないけどさ……いきなりファデュイだって名乗られたら、誰だって警戒するんだからな、まったく!!」

ぶつぶつ文句を言ったパイモンは、ひょろりと細い、いかにも武張ったところのないファデュイをじろりと見た。その視線に、宿雨は変わらず柔らかな笑みを返す。

 

「ファデュイにも色んな奴がいるのは知ってたけど、お前みたいな…ぜんぜん戦うのに向いてなさそうな奴もいるんだな。公子とか、淑女とか、よく見るファデュイの兵士たちとか…ああいう奴らだけじゃないんだなあ」

「なにぶん、規模の大きい組織ですからね。前線に立つ戦闘要員だけでは成り立ちません。俺のような運動嫌いの非戦闘員も必要になってくるのですよ」

 

 

養成学校か、となんだか意外な気持ちで旅人は宿雨を見た。確かにあれだけ大量の兵士たちを抱えているのだから、彼らを育成する学校があるのは必然なのだけれど、今聞くまでその存在を想像したことは一度もなかった。

学校、あるんだなあ…ファデュイはどこの国のどの地域行っても必ず見かけるせいで、もはやミントとかスイートフラワーみたいなテイワットあるある風景だと認識しかけていたが、そんなファデュイ一般兵士たちも、宿雨の生徒だった時期があるのか…。旅人はしみじみ思ってしまった。

 

今までの旅路の中で、出会ってきたファデュイの幹部──執行官たちも、そろそろ片手では納まらなくなっている。淑女、公子、博士、召使、散兵………は、現在はもういなかったことになっているが。彼らの中にも、宿雨が教えた人物はいるのだろうか。旅人は考えた。

 

 

「今の執行官たちも、養成学校に通ってた時期はあるの?」

「執行官、ですか?ううん…珍しいですね。彼らのような卓越した才を持つ人は、大抵上層部のスカウトですし。一般の兵からの叩き上げで、執行官まで上り詰めるのはごく稀です」

 

───ああ、でも。宿雨は骨ばった細い指を、思案するように顎に当てた。

「現在11位の公子殿なんかは、養成学校の卒業生ですね。何年か前までは、俺の担当する講義にもいた記憶があります。懐かしいな……旅人さんは確か、璃月で彼と面識があったと噂で聞きましたが」

「面識っていうほど、穏やかなものじゃなかったけどね…」

 

 

旅人の脳裏には、目にハイライトのない青年が血飛沫を纏いながら「相棒〜!」と元気よく手を振っている。旅人は慌てて頭をふりふり、幻影を追い払った。やめて欲しい。なんだその呼び方は。

そんなことをよそに、昔日を思い返すかのように微笑みを深めた宿雨は、彼は変わらず荒事が好きなのでしょうね、と独り言のように呟いた。

 

「公子、学校で問題児だったのか?」

「まあ、程々に…。養成学校は人数が多いので、個人的な付き合いなどは殆どありませんでしたが、我々教師陣の間では有名な生徒でしたね」

「すっごい目に浮かぶなあ…」

「手を焼かせてたんだろうね…」

 

ファデュイの養成学校教師たちのことを思って、旅人もパイモンも哀れみの情を抱いてしまった。

「公子」タルタリヤ───ファデュイ執行官第11位の座につく青年とは、璃月からの知り合いだ。ファデュイ最高幹部らしい非情さを持ちつつも、平時には快活で気前がよく、「博士」などと比べれば話が通じる部類でもある。ファデュイ内での肩書きはともかく、彼個人とはなんだなんだ腐れ縁を続けているのだが。いかんせん、彼は超のつく戦闘狂だった。

 

強者との闘いをこよなく愛し、世界征服の夢に目を輝かせ、神との手合わせを切望する彼である。今の時点で部下の言うこともあんまり聞いてなさそうなので、幼い頃のタルタリヤはさぞかし上官や先輩、宿雨たち教師の頭痛の種だったに違いない。見たことも聞いたこともない彼の過去だが、偏見と憶測で旅人たちはそう決めつけた。

 

 

「公子殿の昇進速度は、ファデュイの歴史でもトップクラスでしたから…今では俺より遥かに地位が上の御方です」

「養成学校の先生って、あんまりファデュイの中じゃ偉くないのか?」

「全く偉くないですね…せいぜい中の下か、よくて中の中あたりでしょう。ファデュイの中でも不人気職ですし、出世コースからかけ離れた地位ですからね」

 

と、まあ。駄獣たちを引きながら、ファデュイの構成員と交わしているとは思い難いほど、とりとめのない世間話や雑談はその後しばらく続いた。やがて、その会話を続けるうちに、スメールの翠緑に彩られた風景の切れ間から、璃月の険しい山岳地帯が見え始めた。

 

 

 

 

 

切り立った崖の立ち並ぶ、璃月きっての鉱石採掘地帯「層岩巨淵」である。未だ見えてはこないが、その遥か向こうに商業の都、璃月港がある。七神でもっとも古い神が治め、そして永劫に去って行った岩の国、璃月。その国境が近づき、宿雨との短い旅の終わりが迫っていた。空はまだ、そのほとんどが紺碧の帳に覆われてはいたが、1番東の端に薄明るい桃色の光が滲み始める時刻だった。

 

「ああ、そろそろ璃月との境ですね」

「そうだな!宿雨はここまでなんだっけ」

「はい。俺は、ここで。お二人とは奇妙な縁でしたが、良い時間を過ごさせて頂きました。それで、旅人さん」

宿雨は旅人に、引いていた駄獣の手綱を渡すと、こちらの意図を伺うように、軽く首を傾げた。

 

「先程は、『俺がひとつ仕事を依頼して、それでお礼の替わりとしませんか』と提案しましたが…俺がファデュイだと名乗った今は、どうお考えでしょう?大した内容ではないし、貴方ではない誰かに頼んでも問題ないことですので、断って頂いてもまったく構いませんが…」

 

そういえば、そんなことも言っていた。その時は彼がファデュイなどとはつゆ知らず、安請け合いしてしまったがどうしたものか。旅人とパイモンはちらりと目線を交わした。

 

「その依頼の内容ってなんなんだよ?これで、北国銀行でお金を借りてこい、とかだったら、オイラぜーったいお断りなんだからな!」

「ああいえ、ファデュイとは無関係の、俺の個人的な依頼ですよ。具体的に言うと、お墓参りです」

「「…………お墓参り?」」

 

これまた珍妙な…とは言っては失礼かもしれないが、予想だにしていなかった依頼内容である。冒険者協会に所属してから、猫探しから恋人への手紙の配達、はたまた魔物の討伐まで何でもやってきた2人だが、お墓参りそのものを目的とした依頼は初めてだった。

 

「はい。あるお墓の掃除と、お茶と何か果物でも備えてくれればそれで構いません。璃月港から少し離れた場所にあるので、時間だけ多少かかるかもしれませんが…どうでしょう、やはり難しいですか?」

「まあ……」

「そのぐらいなら…大丈夫だよ」

「行ってみたら、実はファデュイの巣窟でした!とかじゃないよな、宿雨?」

「ありませんよ。俺は部下を持てるような役職でもないですし」

 

そうして宿雨は、旅人たちの地図に墓の場所を記し、供物を買うための革袋に入ったモラを手渡すと、重ねてお手数をおかけします、と深々と頭を下げた。

薄墨色のつむじを見下ろすようにして、ミツバチよろしく飛んでいるパイモンがだけどさ、と小さな指ををふりふり尋ねる。

 

 

「引き受けるのはいいけど、そのお墓…お前の友達とか、家族のなのか?それならオイラたちが行くより、宿雨が行った方がいいんじゃないのか?」

「ああ。墓なら、妻のものです。命日が近くて…もちろん、俺が行くのが1番良いとは思うのですけども」

「おおお奥さん!?お前結婚してたのか!?って言うかそれなら尚更、宿雨が行かないとダメだろ!」

 

ギョッとしたように、大きな声を出したパイモンを咎めることなく、宿雨のやんわりした笑みは崩れることもなかった。

 

 

「ええ。俺も本当は、行きたいのです。もう長いこと、彼女の墓には行けていない…彼女は俺が行かなくても多分怒らないひとだけど。でもね」

 

宿雨は微笑んでいる。眼鏡のレンズ越しに見える朝焼け色の瞳には、混じりっけのない懐古の情が揺蕩っていた。

宿雨と言う青年は、その時になっても変わらず穏やかだった。温厚で常識的で、打算なく親切で優しかった。ファデュイに所属していると言う肩書きがいささか信じ難いほど、争い事とかけ離れた静けさをその身に纏っていた。剣より、古書。銃より筆。そう言うものが似合う人だと、漠然とそう思っていた。

だと言うのに。

 

「──あいにく俺は、生涯璃月の地を踏むことを禁じられていますので、彼女の墓所へはもう二度と行けません。それに値するだけのことを、俺はしてしまったから」

 

青年の口から出た理由に、旅人もパイモンも束の間、自分の耳を疑った。

璃月は商業と契約の土地だ。かの国の民がどれほど契約を重んじ、その基準となる法がどれほど厳格かは、パイモンも旅人もよくよく理解している。そして璃月に入国を禁じられている───璃月に大混乱をもたらしかけた公子タルタリヤですら受けていないのだ───ということは、契約の国において追放処分に値するだけの重罪を、この青年が犯したという証左に他ならなかった。

 

魔神オセルを復活させたタルタリヤたちは、追放処分とはならなかった。単純に考えて、彼は個人としてはあれ以上の罪や被害を璃月にもたらした。そういう計算になるのだ。

 

ただ、その細面には過去を悔いている罪悪感や、恥いったような色は見受けられない。遠い国の風景について語るときのような、穏やかでひとつの翳りもない表情ばかりが浮かんでいて、彼の朝焼けみたいな色の目はきらきらと澄み切っている。それが帰って、ひどく不気味だった。

 

 

「だから、毎年璃月に行く商人やファデュイの誰かに頼んで、代わりに行ってもらっているのです。今年は貴方たちが引き受けてくださって、とても助かりました」

 

自らを言外に罪人だと名乗った宿雨は、絶句している旅人やパイモンを気にするでもなくそう礼を言うと、最後尾の駄獣の尻をぐい、と押した。促されて、駄獣たちがのっそりと歩き出す。それにつられるように旅人たちは歩みを再開せざるを得なくなり───そうして最後に、青年を振り返った。

 

「もう行くといいでしょう。またどこかでお会いすることがあれば、その時は美味しいご飯を奢りますよ」

 

宿雨は積年の友人を見送る時のように、手を振っていた。ひらひらと。軽やかに。何の憂いもない、柔和な微笑みを携えて、青年は別れを惜しんでいた。

 

「───それでは、よき二鐘祭を!旅人さん、パイモンちゃん!」

 

それが最後の言葉だった。

スメールの翠緑の風景が見えなくなる頃に、旅人がまた振り返ったときには、宿雨が立っていた場所には既に人の影はなく、ただ青々とした風が一陣、吹き抜けているばかりだった。




オリジナル人物紹介
・宿雨
璃月を永久出禁になってるファデュイの人。普段は教師をしてるけど、本職は鍛治職人。
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