今日初めて『クーネル・エンゲイザー』を聴いて情緒が決壊した結果生まれた代物です。4時間くらい持ってかれました。

内容としては原曲を独自解釈したものになります。

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クーネル・エンゲイザー

 一日目

 

 

 

 

 たとえばテレビキャスターが『未曽有の危機です』と言ったところで、画面の前でそれを見ている人に危機感がいまいち伝わらないように。

 

 世界がコールドスリープに陥ったことに琴葉姉妹が気付いたのは、霜で霞んだ窓の外で凍り付いた人を見てからだった。深く息を吸い込んでしまったらしい彼は、胸元を強く抑えて倒れこみ、そのまま動かなくなった。

 つけっぱなしにしていたラジオから、『全球凍結』『予期せぬ氷河期の到来』『絶対的』……という単語が繰り返し断片的に聞こえてくる。あらかじめ録音したものをループ再生しているらしかった。肉声なのにどこか無機質なそれに、葵は耳を塞ぎたくなった。

 

 一方、茜はカーテンを閉めた。窓から冷気が染み込んで、今に自分たちも凍り付いてしまうのではないか──そんな気がしたから。あるいは現実から目を背けようとしたのかもしれない。照明が消えていないところを見るにまだ電力供給は途切れていないようだけど、それもいつまで保つのか分からなかった。

 

「お姉ちゃん……息、白くなってる……」

 

 慌てて茜は口を手で覆って、こたつの中に潜った。二人暮らしを始めて、配信業もどうにか軌道に乗って、初めての冬。張り切って買った大きめのこたつが、こんなにありがたいとは。もしかしたら大枚叩いた防音仕様の壁も、断熱に一役買っているのかもしれない。

 

「……ウチら、これからどうなるんやろ」

「わかんないよ、そんなの……」

 

 葵はどちらかと言えばリアリストな質だった。状況をよく見て、現実的な判断が下せる人で……そこに茜は全幅の信頼を寄せていたから、なげやりな葵の返事に茜は黙ってしまった。冷たい沈黙を埋めようと、茜はテレビのスイッチを付けた。夜のニュースが臨時放送を行っている。

 

 

『──要約すれば、星が落ちる直前の気候変動のようなものです。もういいでしょう、私はこれから家族と話をしなければならないのですから──』

『……以上、専門家の先生の解説でした。これをご覧になっている皆様、改めて注意喚起をさせていただきます。現在地球全体において気温が急激に低下し』

 

 アナウンサーの女性がつっかえながら資料を読み上げているのを見て、漠然と「終わるんだな」と思った。直観だけど、半ば確信に近かった。

 

「なあ、葵」

「……なに、お姉ちゃん」

「もう、生きる事しかできへんけど……ウチと、最後まで一緒におってくれへんか」

 

 葵は一瞬目を見開いて、そっか、と呟いた。

 

 

 ──お姉ちゃんは、もう、前を向いたんだね。

 

 

 葵は頷いた。或いは、俯いた。

 

 

 

 

 二日目

 

 

 おそるおそる開いたカーテンの向こうには、青と白だけの世界があった。倒れていたはずの彼は、積もった雪に埋もれて見えなくなっていた。日差しは申し訳程度にあった。

 

「……外、出れへんのかな」

「やめて、変なこと言うの」

 

 蛇口から出る水はどこかで凍ったか詰まったか、心細い量だった。葵は鍋をコンロにかけて湯を沸かし、コーンポタージュの粉を濃い目に入れた。あまり外に出たくないからと、インスタント食料の類は買い込んであった。あと、友人宅から箱詰めで送られてきた大量のみかん。茜はカーテンを元に戻し、二階への階段に足をかけた。

 

「どこ行くの?」

「窓のシャッター閉めなあかん」

「危ないよ」

「多分、これからもっと寒なる。今のうちに家の隙間をできるだけなくしとかんと」

「……私も行く」

「せやけど、コンポタ作りかけ……」

「最後まで一緒にいるんでしょ」

「……そうやったわ」

 

 おそろいのジャージの上から上着を何枚も羽織って、手袋が無いから靴下を手に履いた。1.5倍に膨れ上がった姿を見て、二人は思わず噴き出した。あんまりに着ぶくれするものだから歩きにくくて、寒さより前に階段から滑って死にかけたのは余談である。

 

「あ、開けるで」

「うん。シャッターは任せて」

「いち、にの……さん!」

 

 茜が窓を開けた瞬間、部屋中に冷気が蔓延した。顔に吹きかかる低温に葵は表情を凍らせながら、必死にシャッターを下ろそうとして。

 

「凍ってて動かない……!」

「なんやて!?」

 

 これ以上窓を開けておくのは危険だ。しかし、再チャレンジは体力的にも精神的にも厳しい。どうする? お湯すら瞬間的に凍ってしまいそうなこの厳寒の中で。

 

 葵は咄嗟にシャッターを叩いた。どん、がらがらとやかましい音が鳴る。

 

「氷、剥がせばどうにか!」

「よっしゃ、ウチも!」

 

 上下左右にシャッターをぐいぐい叩き、揺らしながら格闘すること数分。汗だくになった二人の前で、無事シャッターは閉ざされたのだった。思わずその場に倒れこんだ茜を無理やり立たせ、葵は次の窓へと向かう。

 

「ちょ、ちょっと休憩……」

「汗かいたままでいると冷えて死にかねないよ。やるなら体が温まってるうちじゃないと」

「物知りやな……」

 

 いつになく強引な葵に引かれて、どん、がらがら。どん、がらがら。ついでに一階の大窓以外のシャッターも全て閉め、ようやく茜は汗にぬれた服を脱いだ。

 

「はい、温タオル」

「助かるわ……ああ、しんどかった……。着替えたらウチがコンポタあっためなおしとくわ。ところで葵」

「どうしたの?」

「もしかして、この感じだと洗濯ってもうできひん感じ?」

「……あっ」

 

 

 

 

 三日目

 

 

 残りの世界を生きるにあたって、いずれ消費期限が来るものは早めに使っておく、或いは溜めておこう、という話になった。例えば水。この調子だといつ使えなくなるか分からないので、捨てる予定だったペットボトルに詰めて一階の大窓の傍に置いておいた。カーテンから漏れ出す冷気が、冷蔵庫の代わりになることを期待した。

 

 ご飯はある分を炊ききることにした。冷蔵庫の余りものも併せて、少しだけ豪華な夕飯。テーブルに並んだ湯気の立つそれを、「冷めないうちにどうぞ」とエプロン姿の葵に急かされる。「外寒いしすぐ冷めてしまうかもしれんな」とボケたくなるのをぐっとこらえて、茜は手を合わせた。

 

「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」

 

 茜は焼き鮭に箸を伸ばした。じわり、染みる油が食欲をそそる。米をかき込めば、炊き立ての白米としか言いようのない香りが鼻を抜けた。

 

「うまいなぁ……」

 

 そう言って、茜はなんだか悲しくなった。あかん、せっかくうまい飯食べてるのに。ひとつひとつ、噛みしめるように、食事を味わった。ぽろぽろ溢れては零れていく涙を止められず、それでも茜は箸を動かした。

 

「お、お姉ちゃん?」

「なんでもない。美味すぎるだけや」

 

 人は、「人生最後に何が食べたいか」という問いに対して答えを出せないのだと知った。いざ最後を前にしてみると、どれほど望んだ料理だとしても、食べた後に「また食べたい」と願ってしまう。

 

(……あと何回、葵の手料理を食べられるんやろか)

 

 分かり切った答えを、茜が口に出すことは無かった。やや遅れて食卓に着いた葵が、「いつでも作ってあげるから」と言った。

 

 

 

 

 四日目

 

「嘘!」

 

 葵の声に茜は飛び起きた。

 

「何や? 敵襲か? でっかい雪だるまでも転がって来たんか?」

「違う……ネットが繋がらなくなったの。私たちの動画、今日中にダウンロードするつもりだったのに……」

 

 スマホを片手に葵がうなだれる。『歌ってみた』『ゲーム実況』『雑談配信』をメインとする琴葉姉妹のチャンネルは、リアクションと声の大きい茜に対して冷静な葵が突っ込みながら進行していく動画構成でかなりのファンを獲得していた。この家も、動画収益で建てられたようなものだった。倹約家の葵がチャンネル開設当初からコツコツ溜めて買った家。配信中に歌えるように、防音設備も完備。

 

 それだけの動画数を上げたし、コメントにも丁寧に返信して、努力してきた。

 

「パソコンにあるやろ、元動画」

「パソコンは持ち運びできないし、電源が無いと使えないんだよ?」

「せ、せやな……」

 

 かなり落ち込んでいるらしい葵に、茜は焦って言葉をかける。

 

「じゃあ、スマホで動画取ったらええんちゃう? 『歌ってみた』くらいなら再現できるやろ」

「……確かに、いいかも」

「最後だし、いっぱい歌っとかな」

「……うん」

 

 

 葵は充電器を引っ張り出してスマホを繋げ、こたつの上に置いた。

 

「座りながらでもいいよね」

「ええよ。何にしよか、やっぱり作ってもらったオリジナル曲からか」

「それは最後が良い」

「トリってことやな。ウチもそれが良い気がしてきたわ」

 

 茜はスマホのプレイリストを漁った。今更デュエット曲ばっかり入っていることに気が付いて、すこし嬉しくなった。

 

「ランダム再生にして、出てきたのを歌うのはどうやろか」

「いいよ」

「よっしゃ行くで。えーと……この曲やな」

 

 

 

 

 

 

「はー、はー……久々に喉がカスカスになったわ」

「……疲れた」

 

 

 数時間歌い通しだった二人は、みかんで水分補給をしながらこたつに突っ伏していた。

 

「でも、楽しかったね」

「せやな。動画ももう出さんし、なんか懐かしくなったなぁ……覚えてる? 動画出したてのころは──」

 

 

 しんしんと雪が降る夜の中、琴葉家の窓の明かりは何時までも灯っていた。

 

 

 

 

 

 

 五日目

 

 

 お姉ちゃんははじめっから、私にはない芯の強さがあった。こんな終わり方を受け入れたくなくて、窓の外から目を背けた私とは違う。

 

 「最後まで一緒」と言われたとき、とても嬉しかった、同じくらい嫌だった。お姉ちゃんには死んでほしくない。諦めてほしくない。そんな自分勝手な願いを押し付けて、失望して、一緒に居られることの幸せすら満足に享受できない私は、お姉ちゃんの後をついて回っていた子供のころのままだ。

 

『おねえちゃんにまかせとき。うちがあおいのこと、ぜったいまもるから!』

『ほんと? おねえちゃんだいすき!』

 

 いつかの記憶を思い出す。なんとなく、外の景色が見たくなった。今なら見られる気がした。隣で寝こけているお姉ちゃんを起こさないように、そっと、布団から抜け出す。二階に行こう。シャッターのないあの部屋の窓からなら、景色が良く見えるはずだ。

 

「……やっぱり世界が眠らなかったら、すきって言ってあげてもいいよ」

 

 階段を一段上るごとに、冷気が強くなっていく。寒い。寝間着のままで来ない方が良かった。部屋の扉を開けると、そこにあった張りつめた静寂が揺らいだ。窓の外、凍り付いた街灯と電線、木々、マンション。無機質で冷たい世界。冬の深い眠りについた世界。

 

 ねぇ、そろそろ起きてよ。窓を開けて、そう言ってやるつもりだった。けれど、代わりに冷たい空気が喉を冷やし、肺を侵し、心を凍らせた。

 

 

 

 葵は、諦めた。

 

 

 

 

 

 

 六日目

 

「どうしたの……」

「なんでもないよ」

 

 何でもない人は涙をこぼしたりしない。茜は葵の頬を優しく拭った。

 

「……みかん、食べよか」

「……」

 

 大窓の傍のこたつで、みかんを剥きながら。茜はつとめて明るい声で、「もし春が来たら、一緒にお花見するのがええな」と言った。

 

「夏が来たら海や。ウチ、あんまり家事できへんけど、焼きそばだけはつくるの得意なんやで」

「……ちゃん」

「秋だったらあれやな、栗拾い。足で踏んでイガイガから実を出すんが楽しくて──」

「お姉ちゃん!」

 

 葵の声に茜は驚いて、「……すまん」と呟いた。電力が低下しているのか、はたまた外の気温がさらに下がったのか、こたつも部屋の中も数日前に比べてずっと寒くなっていた。

 

「……ごめん、おねえちゃん。でも、もういいの」

「葵──」

「もう、駄目なんだってわかっちゃったから」

 

 ぎこちない笑みだった。それを見て、茜は裏切られたような気がした。そして、気が付いた──自分は真っ先に生きることを諦めて、そのくせ希望にすがる葵の姿そのものに希望を見出していた。『葵には諦めてほしくない』などといった身勝手な願望を無意識に押し付けて、勝手に裏切られた気になっただけ。茜の心が凍り付く。

 

「葵ぃ……お姉ちゃんを許してな……」

 

 何のために泣いているのかもわからなかった。茜も葵も、もう二人しかいない家族で。それ以外に何もかも失ってしまった二人は、ただ一緒にいることが幸せのかたちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■日目

 

 

 電気、止まっちゃった。部屋が急激に熱を失っていく。タイムリミット、終わりが来たんだ。茜は葵の右手を握った。

 

「ごめんな、あおい」

「ごめんね、おねえちゃん」

 

 地球が眠って何日経ったっけ。きっと、二人はすれ違ってばっかりだった。けれど、そんなのよくあることだった。仲直り、それでいつだって二人は元通り。 

 

 

 

 

 こごえてきた。しもやけの手をこする。あんなに暖かかったはずの家の中は、いつからこんなに暗く寒くなってしまったんだっけ。まるでひんやりとした夜を閉じ込めたみたいだ。

 

 いつものように、熱を求めるように、二人は手をつないで眠った。最後の最後まで、()の体温を感じていたような気がした。

 

 

 

 

 




好きなボカロPはフロクロ(Frog96)さんです。対戦よろしくお願いします。


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