蛇に花房、石に飴玉   作:鳥市

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【幼少期~ミッドナイトとの生活】
1. 田園の幸福


 爆豪瞳巳(ひとみ)は、その日を決して忘れない。

 

 それは、理想的な春の日のことだった。

 からりと晴れた空はどこまでも青く澄み渡り、遅咲きの桜が儚げに花弁を散らす。鶯の趣ある鳴き声が、高らかに歌う。

 

 四月八日、早朝。私は緩みきった頬を隠しもせず、駅のホームに立っていた。今日は、これから通うことになる高校の入学式だった。

 ずっと憧れてきた私立学校の洗練されたデザインの制服を見下ろし、「夢じゃないよね?」と改めて喜びに打ち震える。

 

「ねえ、制服似合ってる?リボン曲がってない?スカート短すぎないかな?」

「ハイハイ、似合ってる似合ってる!もう、それ何回言うのよ?次言ったら引っ叩くからね」

「親友に向かって酷すぎない?」

 

 傍らには、同じ制服に身を包んだ少女が一人。彼女は中学からずっと同じクラスで、一番の親友だ。「受かる訳がない」と担任にも言われてきた難関校の辛い受験勉強も、彼女と一緒だったからこそ堪えられた。

 

 やがて時刻通り到着した電車に、二人仲良く乗り込む。山に囲まれたド田舎とはいえ、朝の車内は座席とつり革がちょうど埋まる程度には、混み合っていた。

 高校の最寄り駅まで、あと三十分ほど。いよいよもう少しで、憧れの学校に到着する。

 一年間、脇目も振らず机に向き合ってきた。その努力が、ようやく報われる。大好きな親友と共に、ずっと目指してきた高校に通えるのだ。

辛い努力が実を結んだ。一番の友人とあと三年間も一緒に居られる。こんな幸せが他にあるだろうか?

 

「いや、ない!」

「うるっさ……」

 

 私は甘えるように親友の肩に寄りかかり、改めて彼女への感謝を口にした。

 

「いつもありがと、──。ずうっとそばに居てね?」

「何よいきなり、気持ち悪い」

「ひどい!」

「……そんな当たり前のこと、わざわざ口にしないでよね」

 

 「あたしたちにそんな約束、必要ないでしょ」と、彼女は耳まで赤く染め、もごもごと呟いた。私の親友が今日も可愛いすぎる。溢れる感情を抑えきれず、私は瞳を潤ませ、人目も憚らず彼女に飛び付いた。

 

「嬉しい!大大大大好きだよ!」

「こわ。特級過呪怨霊リカちゃんか」

「失礼な。純愛だよ」

「あんた本当、その漫画好きよね」

「うん。ヒロアカと同じくらい好き!」

「それの新刊の発売日、今日だったわね」

「そうそう、待ちに待った三十三巻!いつもの本屋さん寄ろうね!」

「……仕方ないなぁ」

 

 じゃれ合う華の女子高生たちを、乗客が微笑ましげに、あるいは苦笑いで横目に見る。ありふれた、しかし幸せな時間だった。ローカル線の、どうということはない田園の幸福の一幕だった。

 

 朝のニュース番組で見た"県内で逃亡を続ける連続殺人犯"のことなど、この場の誰の頭にもなかっただろう。

 連日のニュースで放送される凄惨な殺人事件を見て、人々は悲痛に眉を寄せる。「可哀想に」「何て酷い事件だ」と、心を痛める。

 けれど内心では、こうも思っているはずだ。

 

「殺人事件?平凡に生きる自分には一生、関係ない世界だよ」「偶然通り魔に鉢合わせるなんて、あの人は運が悪いなぁ」と。

 他人の不幸なんて、そんなものだ。たとえ目の前で誰かが襲われていたって、「俺が、私が助けなきゃ!」と飛び出せる善良な人間が、世界にどれだけいるだろうか。

現実は、物語のように美しく出来てはいない。

 

 全ての悲劇は、遥か遠い他人事だ。私もそうだった。この平凡な世界に生まれて、十五年と少し。ニュースで見るそれらは、全くの別世界の出来事だった。「かわいそう」と一瞬表情を曇らせるけれど、一時間後には忘れてしまう。私の穏やかな日常に、そんな悲惨な事件が起こるはずが無い。そう信じていた。

 

 普通に高校に入学して、普通に部活をして、普通に恋愛をして。普通の家族に囲まれて、三年後は普通に高校を卒業して。そこには当然のように、大好きな親友がいる。私はきっと、しわくちゃのお婆ちゃんになるまで平穏無事に生きていく。

 そこに何の疑いもありはしなかった。

 

 

「…………っ!」

「んー?」

 

 彼女が、声にならない悲鳴をあげた。冷静で頼りになる親友の温かな体温に身体を預けきっていた私は、「どうしたの?」と間延びした声をかける。

 突然お腹でも痛くなったのだろうか。勝手にそう推測した私は緩慢な動作で身を離し、彼女の薄い腹を見下ろし───。

 

「なに、それ」

 

 親友は問いに答えず、私を突き飛ばした。

 

「にげて」

 

 恐らく、そう言ったのだろう。しかし、声はなかった。いや、言葉を発することなど出来るはずもない。

 彼女の腹には───血に濡れた鋭利な刃物が、深々と突き刺さっていたのだから。

 

 静まり返っていたローカル線の車内に、嘘みたいに赤い液体の粘着質な水音が響き渡る。通勤中の乗客はすぐに異常を察知した。悲鳴をあげ、我先にと縺れ合い、車両間のドアを押し開き逃げ惑う人々。

 

 親友の背後には、明らかに正気とは思えない血走った双眼をした男が立っていた。立ち込める生臭い鉄の匂いを楽しむように、不気味に笑っていた。

 男が、少女の腹にうずめた刃物を引き抜く。真っ直ぐに私を見据えたまま、こちらに歩み寄る。彼女の傷口から滴る夥しい血液は、胸を突き飛ばされ数歩離れた私の足元に届く程、凄まじい量だった。現実味の欠けた光景に、唇を無意味に開閉させ、立ち尽くすことしか出来なかった。

 男が、私の頭上に刃物を振りかざす。私はあまりの恐怖に瞳を閉じることしか出来ず、何の覚悟も出来ぬまま呆気なく死───、

 

「はしって、」

 

 微かに聞こえた不明瞭な絶叫に、閉じた目蓋を大きく見開く。

 想像した痛みはやってこなかった。切っ先は、私のブレザーの肩を切り裂き、僅かに皮膚を撫でただけだった。

 

 少女が、崩れ落ちた瀕死の彼女が、男の足にすがって狙いを逸らしていた。真新しいブレザーを、夥しい血液で汚して。彼女は歯を食い縛り、獣のような形相で、男に食らいついていた。私なんかを、救うために。

 

 "狩り"を邪魔された男は、忌々しげに舌打ちをする。そして狙いを再び彼女に向けると、赤黒く濡れたそれを、何の躊躇いもなく振り下ろした。

 彼女の心臓に、向けて。

 

 

 

 中学の三年間、ずっと一緒にいた女の子。私なんかよりずっと頭がよくて、美人な女の子。辛い受験勉強も、一緒だったからこそ逃げずにいられた。憧れの高校に行くという夢を、叶えさせてくれた。彼女は、何の取り柄もない私の理想そのものだった。

 ずっと一緒に居られると思っていた。三年間同じ高校に通い、もっともっと仲良くなれると思っていた。

 きっと、自分達は大人になっても変わらないのだろう。月に一回は集まって、居酒屋にでも行って、仕事の愚痴を溢し合うのだろう。そして、お互いの結婚式には友人代表としてスピーチをして。もしもどちらかに子供が生まれたら、自分の子供同然に可愛がって。それで、それで───。

 

「ぁ、あ」

 

 あれ?それで、なんだっけ?

 何で私、こんな夢を見てるんだっけ?

 目の前の男の人、誰だっけ。───はどうしてそんなところで目を開けたまま寝転がってるの?

 視界が酷く霞んで、何も見えない。

 

 誰かが、刃物を振りかざした。刹那、右の眼球に走る激痛。自らが発しているとは思えない、獣の咆哮。

 真新しい白のワイシャツが、赤黒く染まっていく。大好きな彼女とのお揃いが、無惨に切り裂かれていく。

 

 こんなにも痛いのに、吐き出す血の塊で呼吸も出来ないのに、それでも、夢は覚めなかった。襲い来る激痛は無情にも、「これがお前の現実だ」と嘲笑うだけだった。

 死の間際で異様に研ぎ澄まされた聴覚が、かすかな物音を拾う。倒れ伏した血の海から視線をあげ、残された左の眼球を彷徨わせる。

 閉じられた車両間のドアから幾人もの傍観者の、()()()

 

「たすけて。わたしたちをみすてないで」

 

 私は泥の中もがき、必死に手を伸ばす。彼らは扉を閉じたまま、痛ましげに目を逸らすだけだった。その一枚の扉を開けて無力な私たちを助けようとする英雄は、ひとりとして居なかった。

 大好きな親友の絶望に見開かれた瞳を、左の目で見つめる。彼女を、私を救わない世界を呪った。血走った、化物の瞳でこの世のすべてを睨み上げた。

 二人分の赤に濡れ光るリノリウムを蛇のように醜く這いずり、声なき絶叫を吼え立てる。

 

「死ね。みんな死ね」

 

 こうして、私の平凡な生涯は幕を閉じた。

 

 

 ***

 

 

 目映い光に意識が急浮上する。

 幾人もの賑やかな談笑の声、陽気な音楽が流れている。まるで、昼間のバラエティ番組のような。

 私はぼんやりと定まらない思考のなか、「あれ?」と首を傾げる。

 

 私は今、たしかに死んだはずだ。というか右目に深々と刃物を刺され、全身を滅多切りにされ、死なない方がおかしい。

 だというのに、私はこうして"私"として思考している。両目に感じる光が眩しい、と思うことができる。潰されたはずの右目にも、たしかな感覚がある。先程までの激痛は、体のどこにもない。

 これは、もしかして。

 

「私たち、助かった……?」

 

 乗客の誰かが助けてくれたのだろうか?

 え~やだ、じゃあ「皆死ね」とか酷いこと言わなきゃよかった。怖い顔で睨んじゃってごめんね。一番くじで当てたオールマイトフィギュアあげるから、許して。

 

 高鳴る鼓動を抑え、瞳を開く。ここは病院だろうか?隣に親友はいるだろうか?

 しかし真っ先に視界に飛び込んで来たのは、鏡に映る幼い女の子の姿だった。

 

「え……?」

 

 濡れたような長い黒髪に、異様な煌めきを放つ金色の瞳。明らかに異質な雰囲気を纏った幼女が、こちらを見つめていた。

 その世にも美しい瞳をした幼女は、小さな唇をぽかんと開き、真っ直ぐに私を凝視している。

 私は彼女に向かって慌ててへらりと笑みを浮かべ、早口で自己紹介をした。世の中は世知辛い。状況はわからないものの、幼女に「このお姉ちゃんあたしのこと変な目で見てきた!不審者!」と叫ばれてはたまらない。社会的に死ぬ。せっかく生きていたのに。

 

「あー、お姉ちゃんはふしんしゃじゃないよ?ただ、目がさめたら君が目のまえにいただけっていうか……?あれ、んん"っ、あれ?こえが、たか、い……?」

 

 明らかに普段のものより一オクターブ以上高い声に、舌足らずな発音だった。例えるならそう、未就学児のような。目の前で私と同じく首を傾げる幼女くらいの、澄んだソプラノだった。

 あの男に刺された後遺症か何かだろうか。私は原因不明の不調に眉をしかめ、咳払いをし、喉をさする。鏡の中の幼女も、全く同じ動きをする。

 ……どうやら、私は夢を見ているようだ。頬をつねる。普通に痛い。

 

「ゆめ、だよね?」

「もう!さっきから何してるの?──ちゃん?」

「ヴぁっ」

 

 背後から聞こえる声に飛び上がり、椅子からずり落ちて尻餅をつく。お尻がとても痛い。首を捻って反射的に声の主を見上げると、三十代半ばから後半くらいだろうか。世にも美しい女性が、柔らかな笑みを湛えてこちらを見下ろしていた。

 洒落た膝下のスカートに清潔感のあるブラウスとカーディガンを羽織った彼女に、見憶えはない。病院の看護師、ではなさそうだ。妙に視界が狭く、低くてよく見えないが───今いる部屋も、どこにでもある普通のリビング、といった感じだ。

 

「ええと。あなただれ、ですか?ここ、びょういんじゃないんですか?」

「ふふ。なぁに、それ。新しいおままごと?『記憶喪失ごっこ』?」

「は?いや、おままごとって……わっ!」

「よいしょ」

 

 彼女が、尻餅をついたままの幼女を抱き上げる。人間にはあり得ない黄金の双眸が、いとおしげにこちらを見つめている。まじまじと視線を返すと、その涼し気な顔立ちや蛇のような瞳孔は、幼女にとてもよく似ていた。だがしかし。

 

「ええ……おやこでおそろいの金色カラコンとか……引くわぁ……」

「え?今なんて?」

「なにもいってないです」

「今日の───ちゃんは、なんだか変ねぇ」

 

 何とも現実感を伴った夢だった。

 見知らぬ美女によると、今日は金色の目をした美幼女(という設定の私)の誕生日らしい。今は真新しい桜色のワンピースに着替え終え、大きな姿見の前に座っていたところ……らしい。

 お上品でお清楚なお顔をしてお幼女におカラコンを入れる鬼畜ギャルママ(?)は再び私を椅子の上に下ろし、蛇のように黒々と艶やかな髪を櫛ですく。

 

「もうすぐ勝己くんが来るからね。可愛くして、驚かせてやりましょうね」

「だから、だれぇ……?」

「もう、その遊びまだ続けるの?爆豪勝己くんはパパのお兄さんの子供。あなたと同い年のいとこじゃない」

「むすこにヒロアカキャラのなまえつけたの?やばいオタクじゃん」

 

 私は戦慄した。夢の中とはいえ、そんなヤバめのオタママが存在するのか。そして私はその爆豪勝己(偽)の親戚という設定なのか。

 

 清楚系ギャルママ(?)が髪を結い終わった直後、軽やかなチャイムの音が鳴った。どうやら爆豪親子(偽)が到着したらしい。

「はーい」と嬉しげに返事をし、彼女は私の手を引いて玄関に駆けていく。夢の中にも関わらず、繋いだ手は奇妙に生温かい。

 

「このゆめ、はやくさめないかなぁ」

 

 不気味なまでに五感が生きた夢を、気持ちが悪いと思った。何故だろう、先程から鳥肌が止まらない。

 尻餅をついた時の痛みが、まだ残っている。私の母親、という設定らしい女性の石鹸の香りも、鼻腔に留まって消えてくれない。

 

 見ず知らずの女性に手を引かれ、玄関に到着する。彼女が扉の施錠を解除し、押し開く。

 

「あ、あ」

 

 金髪の、いかにも気が強そうな女性と、控えめな茶髪に眼鏡の、物腰の柔らかそうな男性。そして───金髪に赤い双眸の、不機嫌な少年は。

 

「ばくごう、かつき」

 

 頭が痛い。どうか夢であってくれと願った。

 夫婦はあの漫画の狂信的なファンで、息子に好きなキャラクターと同じ名前をつけた。髪もブリーチして、赤のカラコンを無理矢理入れた。彼らはそんな、世にも恐ろしい虐待親なのだ。

『ばくごうかつき』と呼ばれる目の前の彼は、『爆豪勝己』とは何の関係もない、普通の少年なのだ。

 そうであってほしいと、思ったのに。

 

「あ"?てめェじろじろこっちみてんじゃねーよ!」

「ひ、」

 

 少年のふくふくとした小さな掌から、音を立てて爆音と、白煙が上がる。

 誰もその明らかに異常な光景に、何も言わない。"母という設定の誰か"は穏やかに「あらあら、そういえば勝己くんの『個性』は『爆破』だったわね~」と微笑むだけだ。

 

 

「たすけて」

 

 私は堪えきれず、転げるように『爆豪勝己』を押し退け、飛び出した。愛らしいワンピースの裾を翻し、靴も履かず。息も絶え絶えに、真昼の車道に躍り出た。

 

 おかしい。何もかもがおかしかった。

 こんなに息を切らして走っているのに、どうして目覚められない?裸足で駆けるアスファルトはこんなにも痛いのに、どうして夢から覚めない?

 

「たすけて、───!」

 

 親友の名を叫び、細い喉から血反吐を吐くように救いを求める。リボンをつけて完璧に結われた黒髪を振り乱し、狂ったように走り、叫ぶ私を、誰もが気味悪そうに見ていた。けれどそんなことはどうでもよかった。

 私は絶望に狂乱し、とても正気ではいられなかった。

 

 これは夢ではない。

 本当はもう、わかっていた。私はたしかに生きている。でも、でも、でもそれは、身を挺して私を守ろうとしてくれたあの子と───大大大大好きな親友と同じ世界では、ない。

 

 この世の誰より英雄だったあの子は、死んだ。賢く美しかった彼女は、どこにもいない。

 臆病で鈍くさくて何の取り柄もない私は、私が、私だけが───生きている!

 

「お願い帰して、元の世界に帰して!誰か、誰かたすけて!」

 

 耳をつんざく警告音(クラクション)が鳴る。大型トラックが、一直線にこちらに向かって来ていた。

 もう、何でもよかった。この悪夢も何もかも終わりにしたかった。親友に会いたかった。彼女に謝らなければならないことが、たくさんある。

 

 

 

 幼い少年が、燃える一等星の双眼に大粒の涙を浮かべ、必死にこちらに駆けてくる。今にも死にそうな酷い顔で、今まさに死にゆく私に手を伸ばす。

 

瞳巳(ひとみ)───!!」

 

 涙に揺蕩う陽炎(かげろう)の瞳があまりに美しいので、私は思わず声をあげて笑ってしまった。

 馬鹿だな。どうして君がそんなに泣くの。

 

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