爆豪瞳巳は何も知らない。私は紙面の上で踊る彼らの過去、未来、秘めた内心を垣間見ただけの、路傍の石である。
香山睡、緑谷出久、爆豪勝己をどんな手を使ってでも守り抜く。───そんな決意を抱いた、取るに足らない毒蛇である。
入学式には数十分の余裕をもって到着したというのに、A組の顔ぶれは既に八割以上が揃っていた。さすがは国内随一のエリート校、根が真面目な生徒が多いのだろう。
従兄妹である勝己にわあわあと一方的に捲し立てられた私は、クラス中の気遣わしげな視線を集めながらも、素知らぬ顔で席についた。……私の二つ後ろの峰田実が尋常ではない眼力で見つめてくるのは、気付かない振りをした。
A組は名前順で机が決められているので、同じ爆豪姓をもつ私たちの座席は当然、前後に並んでいる。
私のすぐ目の前に柄悪く腰かけた勝己は、着席してもなお後ろを振り替えってネチネチと言い募っていた。
「そのゴミ個性はヒーロー向きじゃねぇって何度も言ったろォが脳味噌まで蛇になったンかカスだいたいてめェは元がアホなんだよ自分で自分の世話も出来てねぇだろ三年前だって皿洗いで、」
「せんせ〜〜席替えを希望します」
「うっせーわ話聞け!あと教師はまだ来てねぇだろうが目隠しブス!」
「瞳巳ちゃんは今日も可愛いわ」
「あ゛ぁ〜〜〜〜!!!!」
勝己はみみっちく過去の出来事まで掘り返して、私の机を叩きながら喧しく喚いていた。蛇の目を通して周囲を窺うと、すぐ右隣の瀬呂、その前後の耳郎、常闇が、「大丈夫かコイツら」と言わんばかりにこちらを見つめていた。轟はガイダンス資料に目を落としていた。
この程度の罵声と剣幕、私は家族として慣れきっている。だが、初めてこんな光景を目にした彼らはそうでないだろう。初日から制服を着崩した男子に女子が一方的に怒鳴りつけられる状況に、困惑している。現に、A組ではどちらかというと普通の女の子よりの感性を持つ耳郎は、「助けるべきか」と迷いを帯びた双眸で私を見つめている。
優しい子だ。そんな彼女や他の生徒に、不要な心配はかけられない。私は黒髪に二匹の蛇を咲かせ、脳内で命令を下した。
「クソ蛇女ァ!無視してんじゃねぇ話聞ヴぁっ」
「♪~坊や~よい子だねんねしな~」
髪の黒蛇を伸ばして勝己の口元をぐるぐる巻きにする。さらに机に上体を縛り付け、手首を後ろで手錠のように拘束して、伸縮する髪を切り離した。
ミッドナイトとの特訓の末、私の蛇は塩崎茨のツルのように、切り離し自在になっている。伸縮・切り離し自在。目の代わりにもなるし、とても可愛い。一家に一台瞳巳ちゃんが必須になる日も、そう遠くないだろう。
勝己が窒息しないよう、さすがに鼻は塞がないでおいた。机に頬がめり込みそうなくらい頭ごと強めに縛ったが、彼なら大丈夫だろう。安全確認、ヨシ!
目を三角にするという物凄い顔芸を晒して暴れる勝己から目線を上げ、教室の掛け時計を確認する。原作で相澤先生が登場するのは、出久とお茶子が登校してきた直後だ。今の時刻は、入学式開始の数十分前。たしか出久は遅刻ぎりぎりで家を出た描写があったので、もうしばらくは落ち着いてクラスメイトと話ができるだろう。
改めて教室を見渡す。私に宛がわれた席は窓際の、前から二番目だった。窓際の生徒は先頭から順に、勝己、私、出久、峰田、八百万の並びだ。ヒーロー科の定員は、二十人。口田を押し退けて本来存在しないはずの私が入ったので、原作の並びとは一つずれている。
蛇のピット器官を通じて広範囲を赤外線探知したが、物語の主人公───慣れ親しんだ幼馴染みの気配は未だどこにもない。雄英の校舎にすら入っていないようだ。
近くに雑談できる生徒がいないかと探すが、周囲はなぜか困惑と驚きの表情でこちらを見つめていて、話しかけにくい。五条悟のような、怪しげな目隠しをしているからだろうか。……ただし峰田は充血した目で私と蛇の拘束、胸や黒タイツ越しの脚を見ていた。
そんななか、席を立って遠慮がちに歩み寄ってきたのは葉隠と尾白、そして障子と上鳴、常闇。共に入試を戦い抜いた顔ぶれだった。すぐ側でもがく勝己を三度見、四度見しながらも、上鳴がへらりと笑って片手をあげた。
「よっ、瞳巳ちゃん久しぶりー!あ、俺のこと憶えてるよな!?俺、俺だよ俺!入試で大活躍した上鳴電気!まさか会場Fメンバーほぼ全員集まるとか、奇跡だよなぁ」
屈託のない彼の言葉を皮切りに、会場Fメンバーが一斉に表情を和らげ、口を開いた。
「ね~!また皆に会えて嬉しい~!前も名乗ったけど、私は葉隠透だよ!好きに呼んでね!」
「えーと、爆豪さん、だよね?あのときは目を覚まさせてくれてありがとう。俺は尾白
「これも数奇なる“
「以前も言ったが、改めて名乗ろう。俺は障子。こんなナリだが、気軽に話しかけてくれ。級友としてよろしく頼む」
「ほわぁ」
私は元々、ヒロアカファンである。小、中学生の少ないお小遣いをやりくりし、グッズを買い集めるほど大好きな漫画だった。そんなA組の、メインキャラクターたちに囲まれている。一部にはもう既に、苦難を乗り越えた仲間として認識されている。現実味を帯びない事実に、圧倒された。
窓際席に座りながら、彼ら四人の顔を順繰りに見上げた。どの瞳も私を見つめ、一点の曇りなく煌めいている。
葉隠、尾白、上鳴、常闇、障子、塩崎。彼らは内通者でないと、確信していた。もし彼らのうち誰かがヴィラン側なら、限りある入試時間を犠牲にしてまで負傷者の救助などしない。私の呼び掛けに応え、意味のないゼロポイント討伐などするはずがない。そんなことで時間を無駄にし、不合格のリスクを背負うはずがない。
彼らは、信頼できるクラスメイトだ。“始末すべき裏切り者”ではない。勝己や出久を何度も死の危険に晒し、ミッドナイトを死に追いやる一因を作った、汚らわしい屑ではない。ならばいざという時私の味方についてくれるよう、友好的に振る舞うべきだろう。「そういえばあの時、クラスの◯◯が物陰に隠れて誰かと電話してたよ」だとか些細な情報も話してくれるよう、優しく善良な友人の素振りをしよう。
窓際の席を囲み、彼らと和やかに言葉を交わした。ミッドナイトを真似た笑みを浮かべ、凛と背筋を伸ばして佇んでいれば、誰もが爆豪瞳巳を信頼する。「君は素敵なヒーローになれる」と、誰もが私を認めてくれた。
内通者に、私の疑念を感じさせないように。裏切り者を炙り出そうと光らせる目を、気取られないように。完璧に振る舞う自信はあった。“瞳巳ちゃんの体”は、まだ十五歳の高校生だ。しかし私の中身は、彼らより十歳ほど上だ。裏切り者を見つけるまで、普通のクラスメイトとして、完璧に演じきってみせる。
「てか瞳巳ちゃん、LINEやってるぅ?交換しない?」
「ふふ、そのナンパが通用するのは平成までよ、上鳴くん」
「瞳巳ちゃん瞳巳ちゃーん!ね、最初は私と交換しよ?私が一番乗りがいい!」
「ほわぁ(仕方ないわね、葉隠ちゃんは)」
「爆豪さん溶けてる、顔面溶けてるよ!」
「大丈夫なのか漆黒の蛇!?」
「……葉隠の個性は、【人体を溶かす能力】なのか?」
「ちがうよ障子くん!?瞳巳ちゃん、元の顔に戻ってぇ!」
か、完璧に演じきって……みせる!だがそれはそれとして、葉隠透が可愛すぎる。私は蛇の目を通して、原作三十二巻まで進んでなお不明だった葉隠の素顔が見えている。こんな美少女フェイスなんて、聞いていない。
というか、全体的にA組女子の顔面偏差値が高すぎた。漫画でも、「A組もB組もみんな可愛いすぎ……顔採用か?」と思っていたが、実際に目にすると、モブ生徒との差がすごい。作画の気合いが違う。先程まで一緒だったB組の塩崎茨も、息を飲むほどの美人だった。
“瞳巳ちゃん”も、艶やかに波打つ黒髪に黄金の双眼、日焼け知らずの白い肌をした可憐な美少女だ。ミッドナイトや出久の母、勝己の両親にも、散々猫可愛がりされてきた。しかしA組女子は、そんな私もびっくりするほど可愛い。スタイルがいい。
───閃いた。もういっそ、ヒーローじゃなくてアイドルを目指さないか?歌って踊ってオールフォーワンおじさんを改心させて、ハッピーエンドでよくないか?死柄木弔も憎しみなんて忘れて、A組箱推しドルオタになったらよくないか?A組の人数分、二十色のサイリウムを振らないか?
私が宇宙猫(蛇)状態になっていると、眼鏡をかけたいかにも生真面目そうな男子生徒が、きびきびとした動作で歩み寄ってきた。
学級委員長(になる予定)の、飯田天哉だ。すごい。先程から、原作キャラしか出てこない。ここはA組だから当然なのだが。
彼はロボットじみた足運びで私たちの前にぴたりと停止すると、厳めしく眉を寄せ、左手を胸に当て右手を謎に動かし、礼儀正しく自己紹介を始めた。その右手の謎ジェスチャーがどんな意味を持つのかは、わからない。
「歓談中、すまない。ぼ……俺は私立聡明中学出身の飯田天哉という者だ」
「あらはじめまして、飯田くんね。あたしは爆豪瞳巳、個性は【蛇】よ。これからよろしくね」
「あ、ああ個性紹介まで丁寧にありがとう。こちらこそよろしく。俺の個性は……、ではなく!さっきから気になっていたんだが、そこの彼は大丈夫なのか?顔が物凄く……物凄いことになってるぞ!?ヒーロー志望として誰か助けてやろうとは思わないのか!?」
「彼?」
「目の前の金髪男子生徒だよ!君、目隠しで目が見えていないのか?」
飯田は、独特のジェスチャーで私の向こうを指し示した。その先を視線で辿ると───。
「ン゛ン゛、ング~~~~!!!」
「うわ顔」
上半身を頭ごと机に縛り付けられ口を塞がれ手首を後ろで拘束されながらも、個性の爆破を連発して怒りを表明する勝己の姿があった。白目を剥いた目の形が三角になっている。A組と癒しのひとときを過ごしていたせいで、完全に忘れていた。
私は「君が……やったのか?」とドン引きする飯田に無害な少女アピールをしようと、眉尻を下げて微笑んでみせた。
「彼は今喋れないみたいだから、代わりに紹介するわね飯田くん。こちら、爆豪勝己。私の大切な家族よ」
「タイセツナカゾク、今まさに死にかけの魚みたいになっているが!?」
「───見くびらないで。カチャトーラは、強い。そんな柔な人間じゃないわ」
「え?そ、そう……なのか?」
「そうよ」
困惑する飯田に相槌を打ち、おろおろする葉隠、尾白たち五人に笑いかけ、勝己の拘束を解く。時計を見ると、もうすぐ出久が登校し、相澤先生が教室に入るであろう時刻だ。勝手に個性を使っているところを見られたら、初日から睨まれてしまう。
最後に口の蛇を外すと、彼は人間とは思えない言葉を発して怒り狂った。
「£!クソj△、º㎖◯m)蛇gjz#~!!!!!!!!!!」
「痛い痛いカツキーヌ痛い抉れる」
立ち上がり、両掌を盛大に爆発させ、掴みかからん勢いで捲し立てる従兄妹。というか実際掴んでいる。私の髪をわし掴んで引っ張り、暴言を吐きながらアイアンクローで頭部とこめかみを圧迫している。シンプルに痛い。どうしてそんな酷い事ができるのだろう?
理由はどうあれ、聞くに堪えない暴言を吐きながら、男子が女子の髪を強く引っ張りアイアンクローをキめている。そんな光景を見て何も思わない人間は、A組にはいなかった。
「おい、君!何の罪も……ない?女子生徒に向かって暴力なんて、本当にヒーロー志望なのか!?」
「そうだよ、まあ何の罪もないことはないけど……瞳巳ちゃんが痛がってるよ金髪くん!」
「うっせクソモブ眼鏡ども!最初に手出してきたのはこのブスだわ眼鏡買い換えろや!」
側の五人と飯田は、「いだだだ」と痛みに呻く私の頭を掴む勝己の手を払いのけ、助けだした。第三者に介入された彼は、ますます以て苛立ちの声をあげた。
その矛先は、喧嘩の邪魔をした挙げ句私と勝己の間に割って入った飯田に向かった。
「つーか誰だよてめェどこ中だよ端役がぶっ殺すぞゴミカス七三」
「なっ……ブッコロ……!?」
「ヒュウ~流れるような罵倒……」
「酷いな……」
「七三は悪口に入るの?」
私の席の周囲でいきさつを見ていた上鳴と尾白、葉隠が苦笑し、障子、常闇が呆れ顔で遠い目をする。
彼ら二人の口論を眺めていると、遠慮がちにA組の大きな扉が開かれた。物語の主人公が、やっと登場したのだ。
出久はそろりと教室に足を踏み入れ、真っ先に窓際席に目をやる。苦手意識を持つ飯田と勝己を認めた双眸が歪み、しかしその近くのもう一人の幼馴染みに気付き、僅かに顔の強ばりを和らげた。手を振って「出久の席はここ」と私のすぐ後ろの机を指差すと、どうしてか幼馴染みは感極まったような、泣きそうな表情で唇を噛み締めた。
「おや?君は入試の……!」
新たなクラスメイトの入室を察知した飯田が、早足で出久に歩み寄る。後ろからやってきた麗日お茶子が出久に声をかける。さらにその背後の廊下から相澤先生が寝袋姿で現れる。にこりともしない相澤先生が、「早速だがこれを来てグラウンドに」と、困惑する生徒たちに体操着をばらまく。
原作をなぞる一連の流れを、私は他人事のように眺めていた。
「入学式は?なんでグラウンドに?……一体何をするのかな?」
ねえ瞳巳ちゃん、という不安げな葉隠の声に、私は答えた。
「さあ?あたしは何も知らないわ」
雄英生活第一の関門、個性把握テスト。
相澤消太の目を欺き、私は何も知らない少女を演じる。爆豪瞳巳は【蛇っぽいことが出来る】だけの、無害な十五歳である。
【次回予告】
「お前、手を抜いてるな?除籍処分」
「たすけて