蛇に花房、石に飴玉   作:鳥市

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※オリジナルキャラクターとして、発目明の姉妹を登場させています。


13. 爆豪瞳巳と地獄の発目姉妹

 昔々───という程でもない、十数年前。あるところに、とても仲睦まじい夫婦がいました。

 夫婦は、人々に慕われる人格者でした。優れた個性を持ちながらそれを鼻にかけない、立派な人間でした。彼らは「無個性の人々に希望を」と呼び掛け、各地をまわって根気強く演説し、優しい世界を作ろうとします。二人は、有名な活動家でした。

 夫婦は可愛い一人娘に説きます。「個性の有無なんかで人の価値は決まらないよ」「無個性だからって、差別してはいけないわ」と。

 

「お父さん、お母さん。わたし、この人と結婚するわ。もちろん許してくれるわよね?」

 

 ある日娘が自宅に連れてきたのは、いかにも善良そうな、柔らかな桃色の髪が特徴的な若い男でした。明るい性格で、好奇心が旺盛で、聡明な研究者。誰が見ても、素晴らしい若者でした。しかし、彼は───無個性でした。

 心優しい夫婦はもちろん、彼との結婚を───認めませんでした。あれこれと理由をつけ、人を雇い、その仲を無理矢理に引き裂きました。

 

 夫婦は、一人娘を深く愛していたのです。無個性の男と結ばれ、苦労の多い人生を送ってほしくはなかったのです。“普通”の人と“普通”の人生を生き、“普通”の子どもを授かってほしかったのです。

 

 けれど娘の腹には既に、双子の生命が宿っていました。夫婦が危惧したとおり。産み落とされた双子の片方には、個性が宿りませんでした。

 

 無個性の人間は、世界総人口の二割と言われています。その事実だけを見れば、「無個性とは、それほど悲観することではないのでは?」と思うかもしれません。しかしそれは“全ての世代”をあわせた数字です。

 第四、第五世代と呼ばれる“新しい世代”で、個性という名の異能はより強力になりました。無個性の人間は伴侶を見つけられず、ほぼ淘汰されました。今では二つの学校をまわってやっと一人、いるかいないかの割合です。

 

 そんな可哀想な少数者が虐げられるのは、当然でした。だって彼らを貶めることで、誰もが簡単に“勝ち組”の気分を味わえます。【髪を一センチ伸ばせる】【指先から水を一滴出せる】程度の、毒にも薬にもならない個性の人々も。無個性を嘲笑することで、簡単に“気持ちよく”なれます。

 

 可哀想な少数者を守るものが現れるのも、当然でした。だって彼らを守ることで、誰もが簡単に“善い人”の気分を味わえます。「無個性だって、君は素敵だよ」「無個性だって出来ることは沢山あるよ」と優しく声をかけるだけで。何の取り柄もない人々だって、簡単に“気持ちよく”なれます。

 

「どうして?」

 

 娘は嘆きます。何故、わたしは愛しい人と引き離されなければならなかったのか。無個性とは、それほどの罪悪なのか。敬愛していた両親の言葉は、全て偽りだったのか。何故───こんなにも可愛い娘が!こんなにも懸命に生きる命が、“無個性”の一言で蔑まれ、石を投げられ、踏みにじられるのか! 

 

「どうか答えを」

 

 娘は、双子の姉妹に名前をつけました。分かちがたい、二つで一つの名前を贈りました。

 

 ***

 

「どうかお答えくださーい!」

「一言でいいんで!」

「キミ、ヒーロー科? 個性何? カワイイね、華があるよ! うちの局でヒーローの卵を集めた番組作るんだけど、興味ない?」

 

 戦闘訓練の次の日。朝の雄英高校正門には、多くの報道陣が詰めかけていた。

 彼らの目的はひとつ。「雄英の教師になる」と電撃発表したNo.1ヒーロー・オールマイトが行う授業についての取材だった。

 

 私は「そういえば原作にもこんな描写あったな~」と、生真面目にインタビューを受ける飯田くんを横目に、あくびをしながら校門をくぐろうとした。

 した、のだが───ヒーロー科の私はあっという間に何人もの取材陣に囲まれ、マイクを向けられてしまった。

 雄英の制服は、どの科も全く同じに見えて実は少しずつ違う。ヒーロー科は、ブレザーの胸元と袖に二本のラインが入っている。対してサポート科は、三本のライン。普通科と経営科にも、そのような違いがある。一目見ただけで、どこに所属する生徒か識別できるようになっていた。

 

 記者たちは、道行く生徒の制服に注意深く目を光らせていたのだろう。素知らぬ顔で校門に向かう私を目敏く見つけ、「ヒーロー科だ!」「逃がすな!」と囲んだ。アマゾンで密猟される蛇の気持ちになった。

 

 記者の他に何人か居るテレビ局の人間は、私の顔と体を不躾に眺めまわすなり「今度の番組に出ない? ヒーロー科所属ってことは、有名になりたいんでしょ?」とにじり寄ってくる。

 たしかに、瞳巳ちゃんは可愛い。両親も姉も揃って美形だし、スタイルだって良かった。家族らに似ている瞳巳ちゃんが可愛くないはずがない。

 それに加え、私はミッドナイトの艶やかな唇やネイルに憧れ、少しでも近付こうと真似ている。彼女のように綺麗でいい香りがする黒髪になろうと、バスタイムの手入れも欠かさず行っている。

 ……彼女の愛用品は多くがブランド品でお小遣いでは手が届かないため、色つきリップクリームや雑貨屋で買える物での代用なのだが。

 

 とにかく、そんなお洒落で可愛いくてスタイルが良くて成績優秀で天下の雄英生でしかもヒーロー科でさらに五条悟みたいなミステリアス目隠しであまつさえ性格すら爆発的にステキという究極生命体・爆豪瞳巳は、あっという間に記者たちの壁に行く手を阻まれてしまった。

 

「オールマイトの授業についてと、あなたの個性を教えて!」

「名前と顔出して放送していい? きっと君のファンができるよ!」

「ちょっと、彼女はうちの番組に出すんだよ!」

「カメラまわすから、その邪魔な目隠し取ってー!」

「───……」

 

 四方から矢継ぎ早に話しかけられ、何も聞き取れない。しかも、許可も出していないのに何人かの記者は勝手に写真を撮っている。

 私は「話にならない」と呆れ、逃げ道を探した。相手がヴィランや悪質なナンパなら、正当防衛としてこっそり個性を使うなど、いくらでも切り抜けようがある。

 だが、海千山千の記者相手にそれはまずい。わざわざこの学校に正面切って喧嘩を売る阿呆はいないと思うが、個性を使い彼らを強引に退かして、「黒髪に黒目隠しの雄英生に脅された」なんて大袈裟に書かれては、ミッドナイトや相澤先生にも迷惑がかかる。

 

 さて、どうしようか。遅刻すれすれ覚悟で適当に応答し、解放してもらおうか。それとも、泣き真似でもして退き下がってもらおうか。

 頬に手をあてながらそう思案した瞬間。私の体を新緑のツルが包み、軽々と持ち上げる。

 

「ワッ……ワァッ……!」

 

 驚きすぎて、ちいさくてかわいい生き物のような声が出てしまった。

 上空から、口を間抜けに半開きにした記者たちの顔を見下ろす。彼らの頭上を通り、ツルの主の元へと着地する。

 

「大丈夫ですか? 楽園の蛇」

「塩崎さん……!」

 

 髪から長いツルを伸ばした少女───塩崎茨がこちらを見つめ、静かに口を開く。後光の如く降り注ぐ朝陽を背景に若草色の髪を揺らす姿は、ステンドグラスに描かれた宗教画のような静謐を湛えている。

 白百合の少女の登場に、先程まであんなにも騒がしかった取材陣が、水を打ったように静まり返った。

 

「行きましょう。遅刻してしまいます」

 

 塩崎さんは彼らを気にも留めず、門に向かった。息を飲んだ記者たちが彼女のための通り道をあける光景は、さながら『モーセの海割り』だった。

 記者たちから離れ、門をくぐる。意外にも強気な塩崎さんの姿に、胸がじんわりと熱を持つのがわかった。

 

「塩崎さんかっこよかった……! 助けてくれてありがとう」

「いいえ。貴女には試験のときの大きな恩がありますもの」

「それはこちらも同じよ。……でも、堂々と個性使っちゃったわね。先生方には見られてなかったと思うけど」

「……お、大勢に囲まれた貴女が困っているのを見たら、つい……体が勝手に……」

「ン°」

 

 しゅんと俯く長身の彼女を、感情に任せて抱きしめてしまいたくなった。何かとボディタッチが多く、愛情表現がストレート。それがミッドナイト教育である。

 しかし入学式の日のように飛び付いては驚かれてしまいそうだったので、髪に咲かせた蛇を伸ばし、隣を歩く塩崎さんの腕に控えめに絡めた。一匹の黒蛇が、心なしか嬉しそうに制服越しの腕にすり寄る。

 

「……少し、くすぐったいです」

「あら。あなたのツタも柔らかくてくすぐったかったわ」

「まあ……」

 

 にっと笑って覗き込むと、彼女は品良く指先を口元にあて、慈愛に満ちた双眸で微笑んだ。

 

 

 

 

「じゃあまたお昼にね」

「はい。午前の授業も励みましょう」

 

 彼女とは廊下で別れ、A組の扉を開く。HRにはまだ時間があるが、教室にはすでにほとんどの生徒が揃い、いくつかのグループを作って談笑していた。

 私の席は教室の一番奥だ。教室を横断し、全員に「おはよう!」とにこやかに挨拶をしてまわる。私は蛇という“人間が本能的に嫌悪する生き物”に関する個性だ。しかも目隠しで目元を隠しているため、表情が伝わりにくい。だからこそこうして分かりやすく朗らかに振る舞い、ミッドナイトのような誰にでも好かれる人間になろうと努めている。

 

 漫画を読んでわかってはいたが、この世界の民衆の差別意識は、はっきり言って酷い。『個性で性格を判断するのはやめよう!』なんてポスターが至る所にある時点で、実情はお察しである。

 個性の内容で人となりを判断し差別する者が、少なからず存在してしまうから。だからこの手のポスターは、私が幼いころからいつまでも、どこにでも掲示されたままだ。

 

「爬虫類系個性は冷血で、人の心がない」「蛇個性は縦に長い瞳孔が怖くて気持ち悪い」など、私たち家族も陰で散々言われてきた。

 ───その度に喧嘩っ早い父が飛び出して行って、「オレの宇宙一カワイイ妻と娘たちを侮辱すんじゃねェ蠅共が!」と爆豪家特有の導火線の短さで相手に殴りかかっては、慌てた母や姉に取り押さえられていた。【見た者を一瞬驚かせる】個性を持つ母に蛇睨みされ、【腕を蛇に変形させる】個性を持つ姉二人に、ぐるぐる巻きにされていた。ちなみに幼い私はその見事な連携プレーを見て爆笑していた。爆笑瞳巳である。

 そんな父の兄である勝さんは、一見すると『爆豪』なんて物騒な苗字が似合わない大人しい人だ。だが、ヒーローを目指していた学生時代は今の勝己程でないにせよ、勝気だった……と、父から伝え聞いている。

 

「……んふふ」

「おはよ〜瞳巳ちゃん! なぁんかご機嫌だね? 朝からいいことあった?」

 

 ぱたぱたと駆け寄ってくる透ちゃんに顔を向け、ゆるむ口元に片手を添えた。

 

「おはよう透ちゃん。……ふふ、思い出し笑いしてただけよ」

 

 今いる全員に挨拶をし、一番奥にある列の前から二番目、自分の席に座る。鞄を机に置きながら半身を捻り、後ろの出久に「腕はもう大丈夫?」と訊くと、前方を気にしたぎこちない様子で「うん、ありがとう」と頷いた。

 勝己は彼の小声に僅かに反応はしたものの、いつものように振り返って絡んできたりはしなかった。

 

 戦闘訓練があった昨日の放課後、出久は呆然自失で校舎を後にする勝己を追い、「これは人から授かった個性なんだ」と打ち明けた。

 見下していた幼なじみと正面きって戦っての敗北、雄英で出会った“敵わないかもしれない同級生”の存在に、彼の矜持は無惨に切り裂かれた。

 私は原作に於いて重要な意味を持つその“イベント”が正しく行われるさまを、物陰から眺めていた。

 

『氷の奴見て、敵わねえんじゃって思っちまった!ポニーテールの奴の言うことに納得しちまった……!』

 

 自分こそは選ばれた存在だ、ヒーローなんか簡単になれる。有象無象とは違う。弱いくせに何度叩いても立ち上がってくる、理解できない幼なじみ。そんな不気味なデクだって、遥か下層のモブでしかない。

 そう信じきっていた十五歳の少年にあの授業が、敗北が、どれ程の苦痛をもたらしたか。現実を認められず歪み、悪に堕ちてもおかしくない出来事だろう。

 それでも彼はまるで痛みを塗り替えるように、大粒の涙を流して吼えた。

 

『こっからだ!いいか!?俺は……!俺はここで一番になってやる!!そんで……!これ以上、俺の家族を死なせねぇ!!アイツを、瞳巳を三度も死なせてたまるかよ……!!』

 

 この“イベント”を、最後まで見届けたかった。けれどそれは出来なかった。涙に歪む陽炎(かげろう)の瞳があんまり幼いので、私は過ぎ去った日々を思い返して俯いた。思い出の中の彼はいつも、泣いてばかりいる。

 

 彼らが去った後も物陰に座り込んだままの私の頭上に、音もなく大きな影が差す。

 

「やあ、爆豪少女!」

「……オールマイト」

 

 姿を隠していたというのに、No.1ヒーローである彼には容易く見つかってしまった。彫りの深い顔立ちを見上げると、オールマイトは思慮深い眼差しでこちらを見つめていた。

 

「なんというか……君たち幼なじみは、複雑な関係なんだね」

「……大丈夫です。出久も勝己も泣き虫だけど、強いですから」

 

 偉大な英雄を前に、いつまでも脱力して座り込んでいるわけにはいかない。膝に力を込めてゆらりと立ち上がると、スカートのポケットから金色がひとつ零れ落ちた。

 

「あっ」

 

 一秒もかからず地面に落下すると思われたそれは、「おっと失礼!」という言葉と共に受け止められた。オールマイトが常人離れした反射神経で、地面に落ちる前の金色を拾い上げたのだ。瞬きの間の、驚異的な速度だった。

 大きな掌にちょこんと乗る飴玉の包みを見て、彼は劇画調の顔を綻ばせる。

 

「あれ?この飴は……私がイメージキャラクターをしている『ヴェリタースオリジナル』じゃないか!これイイよね!バターとキャラメルの懐かしい味がしてさ!」

「あ……か、勝己が昔、『こんな素晴らしい飴を貰える君は、特別な存在だ!』っていうあなたのCMの真似をしてくれて……それ以来落ち着きたい時とか、舐めるのがくせになっちゃって……」

「あの爆豪少年が!?微笑ましい思い出だね」

「……んふふ。よかったらそれ、お一つどうぞ。たくさん持ってるので」

 

 昔の思い出を語ってしまい何となく気恥ずかしくて、髪をくるくると指に巻き付けながら言う。オールマイトは包みを開けてそれを口に入れ、「うん、変わらない味だ!」と嬉しげに口角を上げた。

 

「ひほは皆、はへかにとっての特別な存在はからね」

「なんて?」

 

 オールマイトはもごもごと飴玉を転がしながら言葉を紡ぐと、細かな傷跡だらけの無骨な掌を私の頭に置いた。分厚く大きな手で撫でられ、まるで普通の子供に戻れたような───そんな錯覚を覚えた。

 

 

 

 閉じていた目蓋を開き、目の前の背中を見つめる。

 朝のHRまではまだ時間がある。私は普段より俯きがちに座る勝己の背に、指で文字を書いた。「触んなブス」と身をよじるので蛇で両腕ごと体を拘束し、素早くメッセージを書ききる。

 

『がんばれ泣き虫!』

 

 勝己は怒り狂って暴れていたので何を書かれたか気付かなかっただろうが、それでいい。何があっても勝利を見据える彼に私がどれだけ救われているかなど、生涯知らなくていい。

 

 そうこうしている内に相澤先生がやってきて、朝のHRが始まった。「急で悪いが、君たちにはこれから……学級委員長を決めてもらう!」という宣言に、A組は「学校っぽいの来た~~!」と歓声をあげた。

 クラスのほぼ全員が学級委員になりたいと手を上げるが、私は挙手しなかった。どうせ最終的には出久が飯田くんに委員長を譲り、副委員長は八百万さんになる。ならば無駄な立候補はせず、出久に投票しよう。もう一人の幼なじみにもエールを送っておこう。そう思っていたのだが。

 

「なんで私に一票?」

 

 私は立候補すらしていない。では一体誰が私の名を書いて投票を?匿名で白紙に名前を書くタイプの形式だったので、見当もつかない。輝かしい英雄精神を備えた者ばかりのこのクラスで、「委員長に相応しい」と思われるだけの行動をした憶えもない。

 HRが終わって休み時間に入ったが、深く考え込む暇はなかった。

 

「失礼!ここに爆豪瞳巳さんはいらっしゃいますかいらっしゃいますよねアッいらっしゃいましたね!」

 

 突如として勢いよく開かれたA組の扉。ジョジョであれば『ドバァァァン』と大きく奇妙な文字で効果音がつきそうな、一切の遠慮のない、堂々たる入室だった。

 

「ダイナミック入室☆」

「びっっくりしたぁ!えっ誰!?誰なの!?」

「少しいいだろうか!?他クラスの者は、一度扉をノックしてから入室すべきだと思うのだが!」

「ブレないわね飯田ちゃん」

 

 扉の近くにいた、名前順の早い数名が肩を揺らして声をあげる。しかしまるで聞こえていないとでもいうようにその全てを無視し、“彼女”は私の元へ一直線にやって来た。

 桃色の、特徴的な癖っ毛。いかにも好奇心旺盛そうな、萌黄色の大きな両目。私は一方的に、彼女を見知っていた。

 

「発目明、さん……!?」

 

 驚愕のあまり思わず音を立てて席を立つ私に、彼女は虚を突かれたように動きを停止し、次の瞬間嬉しげに眦を弛めた。

 

「おや、メイを知っているのですか!?フフフ、さすがは我が妹……!入学数日でもう既にヒーロー科にまでその名を轟かせているとは!やはりあの子は天才ですね!姉として誇らしいです!」

「ワッ……ワァッ……うそうそうそ、なんで発目さんが出久じゃなくて私に会いに?いやそもそも発目さんに出会うのはまだ早すぎるはず……これは流石に原作に影響が……助けて睡さ、ん───ん?妹……?姉……?あれ、制服、ブレザー、サポート科じゃ、ない……?」

 

 ぶつぶつと呟く私に、“発目明によく似た彼女”は胸を張り、高らかに名乗りを上げた。その目元には、発目明にはない黒縁メガネをかけている。

 

「お初にお目にかかります、経営科の発目(カイ)と申します!昨日の戦闘訓練の中継を授業で拝見して、あなたに一目惚れしました!」

「……だってさ、出久」

「!?ぼ、僕じゃなくて明らかに瞳巳ちゃんのほう見てるけど……」

「……一目惚れだってさ、良かったね瀬呂くん」

「キラーパスやめて?カワイイ子だと思うけど話聞いてくれなそうだから隣の上鳴にパ〜ス」

「俺ぇ!?うーん、とりあえず一回デートしてから……かな!?木椰区のモールで映画とカフェとか、」

「あのですね!!」

「ウェ……」

「ブフッ」

 

 スッ……と出久に話を回してスッ……と視線を逸らされ、仕方なくスッ……と隣の瀬呂くんに笑いかけるがはぐらかされ、最終的にスッ……と上鳴くんのところにお鉢が回ってきたところで、彼女───発目解が彼のデートの誘いを遮り、再び声をあげる。(耳郎さんは無視されて若干ウェイ状態になった上鳴くんを見て机に突っ伏した)

 

「爆豪瞳巳さん!私はあなたをプロデュースするんです!他の誰でもなく、あなたを!!なぜだかわかりますか!?」

「アッワカラナイデス……蛇ダカラ日本語ワカラナイ……」

 

 勢いに気圧される私の机に身を乗りだし、発目解は不敵に笑った。

 

「私は日本No.1企業の社長になって、妹のお財布にならなくてはいけないのです。その為に私は───あなたという勝ち馬に乗るのです」

 

 

 

 

 

「───……というわけで!ご覧の資料の通り、時代はミステリアスかつ理知的なヒーロー像を求めているわけです!統計的に見ても最近は秘密主義で頭脳派なヒーローが断然ウケるんです!エッジショット然りシンリンカムイ然り!地方ヒーローでありながらチャート上位のホークスなんて経歴も本名すら不明!ですが朗らかな態度と裏腹な徹底した秘密主義がむしろ人気の一因として成立していて───ああ、ミステリアス以外の要素ではリューキュウのようなクールビューティもウケがいいですね!その点もあなたの近寄り難く涼しげな顔立ちと目を惹くスタイルは打ってつけです!デビューしたてのミッドナイトを思わせる美貌や上品な口調もポイント高いですよ!さらに言えば蛇というモチーフはグッズ化にも向いています!あ、グッズ化といえばNo.2でありながらグッズ売れ残り常連のエンデヴァーについてそのマーケティング戦略の敗因を考察したのですが───で、数年前まではCMやバラエティ番組に出るようなヒーローがランキング上位でしたが今は───私の分析では市場のこの流れが───の法則に則れば───」

 

 発目解は休み時間の度に私の元を訪れ、「さあ私と専属契約を結んで、勝ち馬……もとい、稼げるヒーローを目指しましょう!」と粘った。彼女は私をウマ娘(蛇)か何かだと思っているらしい。

 どこか別室に逃れたくても、休み時間のチャイムとほぼ同時に飛んでくるのではどうしようもない。発目解は飯田くんと同じ個性を持っているのか?と疑ってしまう程のスピードとスタミナで、私をしつこく追い回した。

 私と彼女はA組全体を駆け回って、今日何度目かの追いかけっこを繰り広げる。

 

「た、たしかにあたしは爬虫類系美少女だけど。五条悟みたいにクールな目隠しだけど。でも性格はミステリアスじゃないし無口でもないわよ!」

「イメージ戦略も経営科の仕事です!契約の暁にはその見た目に相応しい振る舞いを身につけてもらいます!理想的な受け答えも私が仕込みます!」

「あら、知っていて?蛇は人間に“慣れる”けど、“懐き”はしない高貴な生き物なのよ」

「冷たい表情に高飛車な口ぶり……素晴らしい!戦闘訓練のあの余裕たっぷりかつ堂々たる戦いは最高でしたよ!ぜひあの路線でがんばって行きましょう!」

「だからぁ、イヤよ!」

 

 戦闘訓練の生中継を見て私の“将来性に”惚れたという解は、契約書とプレゼン資料を片手にぐいぐい来る。……出久を前にした発目明さんとそっくりだ。違うところといえば、目の前の彼女は黒縁メガネをかけているという一点くらい。どうやら彼女たちは一卵性の双子らしい。

 

「戦闘訓練であの巨体の男子生徒を相手に、強気に立ち向かった姿!煙の向こうから現れた、華やかな衣装のあなた!不敵な笑みと、十五歳とは思えない余裕!これこそ、次世代に求められるヒーロー像ですよ!!」

 

 満面の笑みで語る解にはもはや、皮肉も文句も通用しない。私は半分冗談、半分本気でクラスメイトのプレゼンをすることにした。

 話が通じない人を撃退するには、同じくらいマイペースに会話を吹っかけるのがいい。運が良ければ「爆豪瞳巳って思ってたよりアレでしたね……」とプロデュースを諦めてくれるかもしれない。次のウマ娘(もしくはウマ息子)を探してくれるかもしれない。

 室内を走りながらぐるりと教室を見回した私と、心配げに見守る障子くんの視線が目隠し越しに交わる。彼に駆け寄った私はその大きな背に隠れながら、解に向かって言う。

 

「ミステリアスっていうなら、障子くんはどう?寡黙な仕事人だしクールかと思えば仲間思いだし、絶対人気出るわ!」

「え」

「ふむ、なるほど!しかしグッズ展開や各種コラボのしやすさ、若者ウケするビジュアル……即ちカネになるかどうかで言えば瞳巳さんですね!」

「……!聞き捨てならないわ。A組イチの紳士・障子くんの魅力についてプレゼンしてあげる!」

「え」

「結構です!」

 

 目を点にする障子くんの周りを、桃色と黒の髪を揺らした二人の少女がぐるぐると走り回る。クラスメイトが困っているが、相手がヒーロー科でもない普通の女子のため、どう助けたものかわからないのだろう。

 おろおろと所在なく複製腕を動かす障子くんが可哀想なので、私はA組が誇る火薬庫に助けを求めた。

 

「助けてカツえもん……!」

「ハッ、ざまぁねぇな蛇女ァ!」

 

 勝己は腹をかかえて爆笑し、歯茎剥き出しスマイルをキめていた。目尻にはうっすらと涙すら浮かんでいる。

 こ、この泣き虫毛虫めが。さっきまで背中を丸めて落ち込んでいたくせに。私は後日、勝己の体操服の内側になるべく大きい毛虫をくっつけておいてやろうと固く誓った。

 

 次なる救いを求めて、素早く教室を見渡す。そしてA組が誇るクールビューティーズに狙いを定めて走り、息を切らして舌を縺れに縺れさせ噛み噛みになりながら助けを求めた。

 

「や、やおよりょずさん、とろろろきくん!発目さん彼らはどう?絶対人気出るでしょう!勝ち馬じゃない?」

「うーん、半々の彼は父親の印象が強すぎるので却下!あと、さすがに表情筋が固すぎる!戦闘訓練でも何かこう……思い詰めている感がありましたよね。このままでは売れなそうです!」

「……?」

「低俗な会話ですこと……」

 

 八百万さんが眉をしかめ、次の教科の予習をしていた轟くんがきょとんと瞬きをする。彼なら公式イケメンサラブレッドなので解さんも乗り換えてくれると思ったが、駄目だった。言い返せない正論を突きつけられてしまった。

 たしかに初期の彼はエンデヴァーへの憎しみが大きすぎて、戦闘スタイルも表情も刺々しい。クラスメイトですら、世間話もままならない近寄り難さだ。

 八百万さんは、「さすがに大企業社長令嬢をプロデュースするのは、ご両親の圧が気になる」と言われてしまった。かくなる上はと轟くんのすぐ後ろに座っていた透ちゃんの手を取り、訴える。

 

「彼女は葉隠透、個性は【透明化】と【カワイイ】こと!複数個性持ちなのよ、すごいでしょう可愛いでしょう?スタイルだっていいし、アイドル系ヒーローにうってつけよ!」

「……俺以外の同級生にも、複数個性持ちがいたんだな。しかもこんな近くに……」

「ち、違う!轟くん違うからね!?」

 

 全力で否定する透ちゃんの背後に隠れ、ちらりと発目解の反応を窺う。しかし彼女は「やれやれ」と首を振るだけだった。

 

「たしかに透明ボディも素敵な個性ですが……次の時代が求めるテーマであるクールさやミステリアスとは違いますし、素顔が可愛いかどうかもわかりませんよ?」

「喧嘩売ってるの?透ちゃんはガワ゛イイ!もっとちゃんと見てよ!」

「わ〜、そんなに見られると恥ずかしいな!」

「見えません」

 

 爆豪家特有の意志の強さで、葉隠透をおすすめする。きらきらした色んな衣装を着せてください、握手会には通うし写真集は毎日十冊買うから、と懇願する。むしろ私にプロデュースさせてほしいとさえ思った。

 だが解も頑固なもので、「爆豪瞳巳と契約する」と言って引かない。

 

「ああそうだ、可愛いといえば。初めて見たときから思っていたのですが……瞳巳さんが付けている花のピン留め、デザインが幼いというか、古臭くて全然似合ってないですよ!あなたにはきらきらした宝石などが似合うはずです。私と契約してあなたに相応しい、もっと綺麗な髪飾りを探しましょう!」

「───……」

 

 休み時間が訪れる度に始まる追いかけっこと原作外の出来事で、ずっと前から脳は混乱していた。そこに追い討ちをかけるように、ミッドナイトから貰った大切な髪留めへの侮辱。

 頭に血が上り判断力が鈍った私は、彼女に向けて毒の滴る牙を見せ、微笑んだ。

 

「あなた、本当に───全力で抱き“絞め”たくなるくらいしつこいわ。あなたの個性は【粘着質】なのかしら?妹さんとは随分違うのね?」

「いいえ。私はメイと違って無個性なので」

 

 途端、騒がしかった教室が静まり返る。

 わいわいと囃し立てていた男子は笑顔をなくして凍りつき、呆れ顔だった女子は唇を半開きにして絶句した。私を指差して爆笑していた勝己までもが、声を失った。出久は、鮮やかな緑の瞳を揺らして彼女を見つめた。

 そして、私は。

 

「あ……ごめ、」

 

 ごめんなさい、そんなこと知らなくてと謝ろうとして、その空虚さに愕然とした。

 私はなぜ、何を、どう謝ろうとした?「雄英生は個性があるのが“普通”という前提で話してごめんなさい」?「無個性の“持たざる者”への配慮がなくてごめんなさい」?「“可哀想なこと”を言ってしまってごめんなさい」?

 ヒーロー科に入れるほどの恵まれた個性持ちの私が何を言っても、彼女への侮辱にしかならない気がした。口にしかけた中身のない謝罪は空をさまよい、続く音はなかった。

 

 四限始業のチャイムがやけに大きく鳴り、A組のほとんどが肩を震わせた。

「また来ます!」と走り去る彼女と入れ替わりに

 相澤先生が教室に入る。彼は凍りついた教室でただ一人立ち尽くす私に、訝しげに言葉を投げ掛けた。

 

「おい、爆豪②。顔色が優れないがどうした?」

「……嫌だわ、あたしは全然いつも通りですセンセー。ドライアイが進んだんじゃないかしら」

 

 

 

 凍りついた教室での授業が終わり、昼時になった。彼女は先程までのように、チャイムと同時に飛んでは来なかった。

 私はいつにも増して湧かない食欲のまま、無理矢理に足を動かして食堂を目指した。

 重い唇の端を持ち上げ、先に二人がけのテラス席に座って待っていた塩崎さんに笑いかける。優しい彼女はすぐに異変を察知し、心配そうに私の顔を覗き込んだ。

 

「顔色が悪いですが……大丈夫ですか?」

「……うん。あたしは大丈夫よ。でも」

 

 発目解は、大丈夫ではないかもしれない。きっと、心ない言葉で傷付けてしまった。迫り方は強引だったにせよ、彼女は私を気に入ったと言ってくれたのに。

 手付かずのスープを見つめて辿々しく言い淀む私の手を、柔らかな体温が包んだ。

 

「誰かに心ない言葉を言ってしまったなら、謝りましょう。そして心を込めて、寄り添いましょう。難しいことではありません」

 

 塩崎さんは慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。自分に自信がない卑屈な私は、そんな綺麗な彼女に毒々しい返答しか返せない。

 

「もし、謝ること自体がその人を傷つけるとしたら?」

「それなら今私がしているように、何も言わず手をとればよいのです。想う気持ちはきっと伝わります。貴女なら大丈夫です」

「……どうして?受験の日と入学から何日かしか話したことないあなたが、どうして大丈夫だなんて言えるの?」

「……それは……話せば長くなるのですが……実は私は中学の頃、『雰囲気が怖くて近寄り難い』と言われて遠ざけられ、友人が居らず、それで、」

「はぁ~!?塩崎さんみたいな聖女にそんな酷いこと許せない!それ言ったの誰!?こんな優しくて友達思いな塩崎さんに○×�4jtm5��awが�……!!」

「……ふふ。そういうところですよ。誰かの為に心を動かせる貴女だから、私は『大丈夫』と自信を持って言えるのです」

「そ、そんなの……!誰かの為なんて綺麗なものじゃなくて結局は自分の為で」

 

 ごにょごにょと呟く私を見て微笑んだ塩崎さんは握っていた手のひらを離し、食前の祈りを始めた。

 それが終わるのを待ってから、私もまたスープに手を付ける。“ほとんど味がしない”という違和感を堪えて食事を終えた頃───その“イベント”は始まった。

 

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに避難してください』

 

 けたたましく鳴り響く警報。我先にと狭い出入口に駆け出し、恐慌に陥る食堂。

 

「何でしょう、この警報……神聖な学舎(まなびや)に侵入者とは、なんと不届きな……」

 

 訝しげに眉を潜めるが冷静に辺りを見回し、不用意に動かない塩崎さんが呟く。テラス席に座っていた数組は、「三年間でこんなの初めてだ!」「君たちも早く逃げたほうがいい!」と言って、食べかけの食事を放り出して走っていった。

 

「どうします楽園の蛇、私たちもここから校庭へ避難しましょうか」

「……そう、ね」

 

 原作では、警報が鳴ったのは『報道陣が侵入してきただけ』といち早く気付いた飯田くんが麗日さんと協力し、「ただのマスコミです!大丈ー夫!」と言って混乱を治めていた。人波に押し流されながらも、彼は誰よりヒーローらしく行動した。そんな行動を見た出久は、やはり彼こそがリーダーにふさわしいと委員長を譲る。

 その場面を見届けられないのは残念だが、今立ち止まっていては怪しまれてしまう。皆に倣い、塩崎さんと避難しよう。そう思っていた私の蛇越しの目に、よく似た“彼女ら”が映る。

 

「ごめん、塩崎さん。先に避難してて」

「あっ……楽園の蛇!危険です……!」

「大丈夫だよ!」

 

 テラス席の開け放たれた窓から飛び込み、悲鳴飛び交う食堂に入る。窓のサッシを蹴り、勢いをつけて生徒たちの頭上を飛ぶ。

 天井に張り巡らされた換気用のダクト管に掴まり、彼女ら───発目姉妹の姿を見下ろした。二人はそれぞれ、食堂の中央と窓際にいる。距離からして、一緒に昼食をとっていたわけではないだろう。

 今にも人混みに押し潰されそうな二人の少女目掛け、急いで髪から蛇を伸ばして胴体に巻き付け、天井へと掬い上げた。三人分の体重を支える両腕が、重い。細いダクト管が軋み、悲鳴を上げている。

 

「もう、何であたしがこんなこと……。早くしてよね飯田くん!」

「ぷはっ……!助かりました瞳巳さん!冷たい態度をとっても、最終的には助けてくれる……!フフフ、やはりあなたは理想のヒーロー、」

「カイ、姉さん……?」

「───……え?」

 

 宙に浮いた飯田くんが出入口の壁に激突しながら、「落ち着いてください!」と必死に叫ぶ。瓜二つの少女たちは、時が止まったように互いに見つめ合う。

 解は、自身と同じ色をした妹の目を見て、首筋へと視線を落とした。発目明の健康的で滑らかな肌には、皮膚が裂けて引きつれたような、痛々しい傷跡があった。私は「あれ?」と首を傾げる。原作の彼女にこんな傷はなかったはずだ。

 

 警報の原因は「ただの暴走したマスコミだった」とわかり、騒ぎは急速に収まった。天井のダクト管に掴まっていた私と蛇を巻き付けて浮かせていた姉妹は、すぐに食堂の床に足をつけた。

 さすがに三人の体重を支えつつ細い管に掴まるのは、腕への負担が大きかった。ミッドナイトの肉体派教育がなければ、瞳巳ちゃんの細腕は儚く折れてしまっていただろう。

 ……などと、目の前の複雑骨折並みに複雑そうな姉妹の距離を見て、現実逃避をする。

 

「メイ……あの、ひ、久しぶり。元気そうで安心しました。発明品(ベイビー)のほうはどうですか?し、資金なら私がいくらでも、」

「そこの蛇の方!どこの誰かは存じ上げませんが、救助感謝します!では私はこれで!」

「あ、待ってメイ……!」

 

 私は一体何を見せられているのか。人様の家庭のセンシティブな場面を目の当たりにして、人は何を言うべきなのか。

 

「えっと、昼休みはまだあるし……飲み物でも奢りましょうか?」

「…………」

 

 妹に丸無視され、先程とは打って変わって無言になってしまった解に向き直り、私は自販機を指さした。

 

 

 

 

 騒動がひと段落して、ほとんどの生徒は食堂から去っていった。きっと教室に帰り、「さっきはびっくりしたね」「三年間でこんなの初めて」だとか、友人たちと話し込んでいるのだろう。

 混乱から一転して静まり返った食堂の片隅に腰掛け、砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを手に、彼女はぽつりぽつりと語った。

 

「実は、私の最愛の妹……メイとは色々あって。少し……ほんのちょっぴり、折り合いが悪いというか」

「うん、それは見たらわかるわ。存在ごと無視されるって相当なレベルよね」

「…………」

「あああごめんなさい!」

 

 彼女は食堂のテーブル備え付けの角砂糖をこれでもかと紙コップのコーヒーに入れ、ヤケ酒のように一気に呷った。それ絶対砂糖が溶けきっていないし、すごくジャリジャリしてそうだと思った。

 今にも泣き出しそうに瞳を潤ませた解が、言葉を紡ぐ。

 

「メイの首筋から鎖骨の傷、見ましたか?」

「ええ、見たわ。あんなに目立つのだもの、嫌でも目に入るわ」

「あの傷は、生涯消えないと言われました。……私が、つけてしまったのです」

「……え?」

「まだ小学生の頃です。私は無個性ということで、近所の子供から虐められていました。私とよく似ていたメイは、きっと間違えられたのでしょう。“ヒーローごっこ”をする男の子たちは、尖った石を妹に投げつけました」

「───……」

「家に帰ってきたメイは、顔も服も血塗れでした。メイは痛がって、泣きじゃくっていました。涙と血でぐちゃぐちゃになったあの子の姿は、生涯忘れられないでしょう。無個性の私のせいで、妹に辛い思いをさせてしまいました。無個性の私なんかとはまるで違う、才能溢れる可愛い妹に、消えない傷と恐怖を残してしまった。だから私も」

 

 光を宿さない双眸で淡々と語る発目解。彼女は不自然に言葉を区切り、ネクタイを解き、制服のボタンを外した。晒された目の前のそれに私は声もなく、隠した両目を見開いた。

 

「だから私も、同じ痛みを味わったのです」

 

 解の首筋から鎖骨には───妹と同じ、いや、もっと酷い裂傷が、生々しい肉の色を覗かせていた。

 

「なに、それ」

 

 掠れ声で問う私に、彼女は事も無げに衣服を割り開く。姉妹でお揃いの萌黄色を真っ直ぐにこちらへ向け、“当然のことをしただけ”とばかりに、落ち着き払った無表情だった。そこに狂気や陶酔はない。

 七色の絵の具で何度も乱雑に塗り潰したようなその瞳を、私はよく知っている。数年前の夏、毎日鏡の中で出会っていた。

 

「ええ。もちろん、()()()()でメイに与えてしまった痛みや恐怖は拭えません。私は考えました。どうすれば妹への償いが出来るか。無個性の私が、天才の妹に何をしてやれるか。その答えが、資金援助です。私はNo.1ヒーローを創り出し、お金を稼ぎ、No.1企業の社長にならなくてはいけないのです。何より発明が大好きで、でも世渡りがどうしようもなく下手くそなあの子の幸せを、支えなくてはいけない」

「卑怯だわ。そういう言い方をされたら、協力しないあたしが冷血な非人間みたい」

「卑怯上等です。あの子の笑顔の為なら。私の無個性()で他人の同情と協力を引き出せるなら、いくら石を投げられたって私は大丈夫なのです」

 

「あの子の大切な発明品(ベイビー)を一番に見るのが私でなくても、構わない」「もう二度とあの子とじゃれ合って、抱きしめ合えなくても構わない」

 昼休みの終わりが迫り、殆ど誰も居なくなった食堂で、彼女はそう零した。

 

 私は理解した。なぜまだ一年生である発目解が、起業だとか金銭に固執していたのか。なぜ、発目明が姉から目を逸らしたのか。

 なんて悲しい少女たちだろうか。なんて───。

 

「なんてふざけた姉妹」

 

 はらわたの底から、燃えるような怒りが込み上げて止まらない。目蓋を強く閉じて感情を抑えようと努めても、蛇越しの視界いっぱいに赤い光がちかちかと明滅する。

 

『ムカつく。ぶん殴ってやりたい』

 それが彼女らに思う全てだった。だって、発目姉妹は二人とも“生きている”。まだ“間に合う”。すれ違っているのなら、「どうして」と問うことが出来る。どうしても譲れないことがあるなら、殴りあって喧嘩も出来る。いつだって手を取り合って、お互いに「ごめんなさい」と言える。これからの道筋なんて、仲直りの仕方なんて、二人でいくらでも解明していける。

 それなのに、二人は互いから目を逸らして向き合おうともしない。首の傷?無個性?だから何だっていうんだ。私は───私たち三姉妹はもう、見つめ合うことすら出来ないというのに!

 

「ああ、うん。決めた」

「え?何を……」

 

 肩を落とす解の前で頷いた私は、制服のポケットから四つ折りにして皺ができた一枚の紙を広げた。その紙の一番下に短い文を追加し、そして自らの鋭利な歯で親指の先を噛み、血を流した。

 

「な、あなた血が……!」

「うるさい」

「うるさい!?」

 

 「血が出てますよ!」と騒ぐ解を無視し、細かい文字が書かれた白い紙に親指で強く血判を押す。鮮やかな赤が滴るそれを、彼女の眼前に突き出す。

 

「ほら、契約書」

「え、え?ええ?」

「それしか言えないの?あたしのプロデューサーは九官鳥以下ね。今すぐこの紙を破いてやろうかしら」

「待……ってください!なん、何で急に?」

 

 あんなに逃げ回っていたのに、と呟く彼女に、私は言った。

 

「決めたの。あなた達姉妹のふざけた関係をどうにかしてやろうって。仕方ないからあなたの計画に乗ってあげる。……だから、ねえ、約束して。私の心臓が───いいえ、次の春が来るまでに、妹さんと向き合うって」

「メイと、向き合う?……あの子は私を毛嫌いしています。今更どうにも」

「大丈夫でしょ。生きてるんだから、どうにでもなるわよ。どうとでも変われる。それに」

 

 冷めきったコーヒーを見つめて俯く発目明そっくりの姉を覗き込み、私はとびきり嫌味な笑みを浮かべてみせた。

 

「私、“最高のお姉ちゃんたち”を知っているから。そうなれるよう、プロデュースしてあげる。光栄に思いなさい?」

 

 先ほど発目明を掬い上げた時、姉を両目に映した瞬間の、揺れる虹彩を思い返す。彼女はきっと、姉を嫌ってなんかいない。

 妹のために生きる。解はただ一つの目的を叶えるために、この雄英にやって来た。この学校では誰もが持つ個性もなく、身一つで。誰もが持つ物が、自分にだけ備わっていない。周囲には、輝かしい個性にも家柄にも才能にも恵まれたクラスメイトがずらりと揃っている。

 多感な時期の少女にとってそれがどんなに精神をすり減らす環境か、私には想像もつかない。そんな彼女が報われなければ、嘘だと思った。発目姉妹の結末に、たしかな愛があればいいと思った。

 

 解は私の宣言に、呆けたように口を開いた。だが未来のNo.1企業社長は、差し伸べられた好機を見逃さない。次の瞬間、彼女は飲みかけのコーヒーの水面を揺らして立ち上がり、私の手を両手で強く握った。

 

「───……フ、フフ!やはりあなたはとんでもない勝ち馬のようです。……いいでしょう!あなたを使い、私はきっと頂点にのし上がってみせる。全てはメイの為に」

 

「契約成立です」と、私たちは食堂の大きなテーブルから身を乗り出し、固く手を握り合った。発目解は妹と同じ桃色の髪を揺らし、いかにも計算高そうに黒縁メガネを指で押し上げ、不敵に唇を吊り上げた。その瞳には、ミッドナイトに似ているとはお世辞にも言えない表情で笑う毒蛇の顔が映っている。

 彼女に手を差し出したのは、真っ白な善意からではなかった。取り戻せない過去に身を焼かれ、不器用に足掻いている。私はそんな姿を自分と重ね、身勝手に腹を立てている。全部ぶち壊して、その背中を蹴り飛ばしてやろうと思った。ただ、それだけのことだった。

 

 

 

『爆豪瞳巳 は 専属プロデューサー を 仲間に入れた !』

 

 

***

 

 

閑話(無駄話)

 

 その日の放課後、私は再び食堂を訪れていた。

 実は発目姉妹救助の際、三人分の体重で、掴まった天井のダクト管にヒビを入れてしまっていたのだ。ランチラッシュと相澤先生に報告をして、天井を見上げて破損具合を確認してもらい、私は頭を下げた。

 罰則を覚悟し「ごめんなさい」と身を小さくして謝る私(と、同じようにしゅんと項垂れる蛇くん二匹)を相澤先生は読めない表情で一瞥し、「あの人にも報告しておくよ」と言う。その宣言に顔色は一気に青ざめていく。

 

「そ、それだけはやめてください。設備の弁償ならあたしがなんとかしますから……!睡さんにはどうかご内密に……!」

「何を誤解している?」

「え?」

「『爆豪瞳巳は、人波に押し潰される友人二人を救った』そう報告するんだよ」

 

 「お前と飯田、麗日がいたから被害が最小限で済んだ」「よくやった」彼はそう言った。ランチラッシュも、「カッコよかったよ!」と親指を立ててくれた。

 

「あたしは……別に、助けようとしたわけじゃないです。ただ、嫌なこと言っちゃったから、罪滅ぼしのつもりで……それに睡さんや“あたし”ならきっとこうするって思って……」

 

 全然、格好よくなんかないです。

 足元を見つめながら呟く私に、相澤先生は大きなため息をついた。

 

「お前の行動原理は知らん。だが、お前は結果的に二人を助けた。その事実は変わらない。卑屈になるのも大概にしとけよ。……非常事態に怯えた周囲が保身に走った行動をする中、爆豪②はその先を見据えていた。今日のお前の行動は、たしかにヒーローだったよ」

 

 よくやった。先生はもう一度そう言ってくれた。

 

 

 帰りのバスに揺られながら、過ぎ去っていく景色を眺める。“生きてさえいれば、どうとでも変われる”。勢いで口をついて出た言葉が、今になって私自身に問うていた。

 

「変われるかな。書き換えられるかな」

 

 答えを数ヶ月未来の己に託し、私は暫しの微睡みに目蓋を閉じた。

 「お前はたしかにヒーローだった」「あの子の幸せのために生きる」「誰かのために心を動かせる貴女だから」「人は皆、誰かにとっての特別な存在なんだよ」

 幾度も脳裏を巡る言葉に、心臓は温かく脈打っている。


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