蛇に花房、石に飴玉   作:鳥市

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2. スノードロップ

【メドゥーサ】とは……ギリシア神話に登場する化物。ゴルゴン三姉妹の末娘。髪は無数の生きた蛇で、青銅の腕と猪の牙を持ち、下半身はとぐろを巻く巨大な毒蛇。その瞳を見たものは石化し、死に至る。

 元は人間であったが、呪いにより醜悪な姿に変えられた。

 

 ***

 

 爆豪瞳巳(ひとみ)は、史上最悪の(ヴィラン)である。

 私はこの世界に生きていた六歳の少女の人生を奪い、自我を殺し肉体に寄生する、化物以下の人殺しである。

 そして元の世界の親友も。私なんかを庇わなければ、命を失わずに済んだ。彼女こそ、生き残るべき英雄だったのに。

 

「記憶喪失、ですね」

「そんな……!」

「治す方法はないのか!?金なら借金してでも工面する!どうかお願いします!お願いします……!」

「そう言われましても。娘さんのは、個性事故でもない原因不明の記憶喪失でして……」

 

 トラックに引かれかけ、しかし偶然通りかかった女ヒーローによって奇跡的に生き残ってしまった私は、泣き崩れる"家族"をただ眺めていた。

 

 両親は、「元の世界に帰して」と狂ったように泣き叫ぶ娘を、すぐさま病院に担ぎ込んだ。そこで頭にいくつもの電極をつけられ、よくわからない検査の数々を受けた末、首を捻った医者が出した結論が、こうだった。

 

「原因不明の記憶喪失」

 

 無情な診断書を握り締め、愛娘を襲った突然の悲劇に絶望する"見知らぬ父母"と、"見知らぬ二人の姉"。病院からの帰り道の空気は、鬱々と沈みきっていた。

 

 他人の家の匂いしかしない"自宅"まで付き添ってくれた女ヒーローが、私の頭を優しく撫でる。凛と背筋の伸びた、しなやかな女性だった。彼女は地面に片膝をつき、私と視線を合わせた。

 決して手の届かない宝石のような、目映い夏空のような。揺らがぬ意志を湛えた瞳だった。

 

「困ったことがあったら……ううん、何もなくても。いつでもここに電話しなさい」

 

「あと、これは元気の出るおまじないよ!」と片目を瞑っておどけた黒髪の女ヒーローは、私の前髪を一房掬い、花柄のピンでとめた。

 何度も振り返り、気遣わしげに去っていく彼女の背中を見送り、私は手元に残された一枚の名刺を見下ろした。

 

【プロヒーロー・ミッドナイト】

 

「はは」

 

 私は乾いた笑い声を漏らし、小さな紙片をポケットにしまい込んだ。

 爆豪勝己が存在する。ミッドナイトが存在する。ここは、たしかに漫画の世界だ。大好きだった漫画の世界だ。

 だがそれは、私に何の喜びももたらさなかった。私は元のあの世界で生きていたかった。個性なんか、いらなかった。大大大大好きな親友と、平凡で退屈な高校生活を送りたかった。

 

 ***

 

 異世界で幼女に転生した。

 ファンタジー小説では、よくある設定だ。大抵の主人公は最初こそ戸惑うものの、「ま、仕方ないか。やれやれだぜ」と環境に順応し、新しい家族と生活し、仲間を作り、楽しく生きていく。帰る方法探しは早々に諦めて、それからは元の世界など思い出しもしない。

 その場所で"生きていた"筈の幼女──元の身体の持ち主のことなんて、誰一人として気にもかけない。日常は、主人公を中心に都合良く回っていく。

 

 けれど、現実は物語のように上手くは行かない。少なくとも、私はそうだった。

 

「ほら、瞳巳ちゃん。この前家族でピクニックに行った時の写真よ。何か思い出さない?」

「瞳巳。これはお前が勝己くんと出久くんと川遊びをしたときの──」

「瞳巳ちゃん!これはお姉ちゃんたちと三人でパパのお弁当を作ったときの──」

「瞳巳ちゃん、お願い思い出して──」

 

 家族は愛娘を、可愛い妹を取り戻そうと必死だった。家中のアルバムを見せ、何かに憑かれたように思い出を語る家族に、私を追い詰めようという悪意など一切なかった。

 しかし、彼らが"瞳巳"と名前を呼ぶ度に。これ以上俯けないくらい俯いて、「ごめんなさい、何も思い出せません」と頭を下げる度に。彼らの顔が絶望に歪む度に。私の精神は摩耗していった。

 

「あーごめん、思い出せないっていうか私は最初からあなた達の子供じゃないし。最初から他人なんだわ。ピクニック?川遊び?お弁当作り?思い出すも何も、私そんなことしてないって!ウケるわ。私の家族はあなた達みたいな金眼の美形じゃないし、第一私は今年高校生の十五歳なの!六歳児なんかじゃないの!この歳で幼稚園の制服とか、何の罰ゲーム?──に見られたら爆笑されちゃうんだけど」

 

 真実を言えたら、どれだけ楽だっただろう。

 

「あなた方の大事な末娘は、もう居ません。異世界人の私が中に入ったので、多分死にました。記憶喪失?家族の絆パワーで思い出す?あ、そーゆーの無理です。だって、最初から別人ですので。六歳児?いや私十五歳の女子高生ですよ。サイン、コサイン、タンジェントの計算でもしてみせましょうか?」

 

 言えるわけが、ない。

 日々窶れ、鬱々と生気を失っていく両親。桜色の唇から血が滲むほど噛み締め、痛ましく目蓋を腫らす、年の離れた姉たち。

 新築の一戸建てに広い庭、絵に描いたような幸福を体現していた家庭は、私の転生により失われた。この少女の肉体に寄生した、私という毒虫のせいで。

 

 だから十五歳の私は悲鳴を上げる本心を押し殺し、六歳児の無垢な笑顔で"瞳巳ちゃん"を演じる他なかった。

 

「パパ、ママ、おねえちゃん。だいじょうぶ、きおくがなくたってあたしはみんなのこと、だいだいだーいすきだもん!」

「瞳巳ちゃん……!」

 

 美しい顔をした他人たちが、感激の涙を浮かべて私を抱きしめる。六歳の私は、「きゃー」と愛らしいソプラノの歓声をあげ、はしゃいで見せる。

 

 幼稚園では、同い年のお友だちとおままごとをして、泥団子をつくって、「ほめてほめて」と大人たちに見せびらかした。欲しくもないお人形を欲しいとねだり、あくびが出る程退屈な幼児向け番組に笑顔を作った。

 私の努力は、すぐに形として表れた。家族に笑顔と活気が戻ってきたのだ。

 

「そっか。これが正解だったんだ」

 

 私は、爆豪瞳巳にならなければならない。これは贖罪だ。

 私の転生は、何の罪もない幸せな家庭を曇らせ、あわや崩壊させかけた。

 家族とのピクニックを、幼なじみとの川遊びを、二人の姉とのお弁当作りを。日々のささやかな幸福を心から楽しんでいた女の子の、輝かしい未来を奪った。

 

 故に、爆豪瞳巳は史上最悪の(ヴィラン)である。

 私はこの世界に転生してしまった。僅か六歳の女の子の人生を踏みにじり、理不尽に簒奪し、寄生し、殺し尽くし。

 「逃げて」「走って」と胸を突き飛ばした親友の、決死の覚悟を無駄にし。ここで息をしている。

 「そんなこと望んでいなかった!」なんて言い訳は、彼女たちの死体の前では通用しない。

 

「許さないでね。瞳巳ちゃん」

 

 少女とその家族は、私という殺人者を決して許さないだろう。幼なじみだという爆豪勝己も、緑谷出久も。ヒーローになる運命を約束された彼らも、化物は救えない。

 私は少女の部屋の勉強机に腰掛け、日記を開いた。そこには辛うじて判読できる拙いひらがなで、彼女の将来の夢が書かれていた。

 

『ちょーかっこいいひーろーになって、こまってるみんなをたすける!』

 

 オールマイトのような、沢山の人を救えるナンバーワンヒーローになること。それが彼女の夢だった。

 幼い少女は時間をかけ、一生懸命に頭を悩ませたのであろう。ひらがなの傍らには、未来の自分が着る予定のヒーローコスチュームが描かれていた。

 魔法少女の衣装のような、華やかなパーティドレスのような。何度も消しゴムをかけ、描き直した様子が窺える力作だった。

 

「ドレス、素敵だね。きっと着るよ、瞳巳ちゃん」

 

 机の引き出しから、一枚の名刺を取り出す。私は心配性の両親から与えられた子供用携帯を開き、細く頼りない指先で、彼女へと繋がる数字を入力した。

 

『──もしもし、ミッドナイトよ。救助要請の方かしら?ヴィランに襲われたとか?今日はオフだけど、緊急ならすぐに駆け付けるわよ!』

 

 数回の呼び出し音の後、彼女が凛と頼もしい口振りで電話口に出る。私は震える呼吸を落ち着かせ、唇を開いた。

 

「──私、ヒーローにならなくちゃいけないんです」

 ミッドナイトさん。私を弟子にしてくれませんか。

 

 この世界に生まれ落ちて、一年。爆豪瞳巳は今日、七歳の誕生日を迎えた。

 

 




スノードロップの花言葉は「希望」「慰め」「あなたの死を望みます」
少し暗めの話が続きましたが、次はちゃんと明るいです。
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