爆豪瞳巳は、夏の夜空を見上げた。ほんの少し、世界を好きになれそうな気がした。
「ファイト、ファイト~!Plus Ultra!」
「ひぃっひぃぃ」
「声が小さいわよ!ほら、復唱!」
「プ"ル"ス"ウ"ル"ト"ラ"ァァァおえっ」
「ンン~~青春の叫びだわぁ」
おかしい。私は色んな意味でハイセンスなヒーロー、ミッドナイトに弟子入りをしたはずだ。「ヒーローにならなくちゃいけないんです」とカッコいい感じで、キリッとバシッと宣言をしたはずだ。
それがどうしてこんな──昭和のスポコン漫画ばりの泥臭い修行を?
「ちがう……私が思うミッドナイトの弟子ってもっとこう、効率のいいスマートなトレーニングをするはずで……期待してたのは頭を使う立ち回りの指南とかで……こんな亀仙人式昭和脳筋マラソンでは断じてなくて……!」
「ハーイ、ぶつぶつ文句言ってる余裕があるなら、あと一周追加ね」
「あ"あ"あああ」
いや。全身に重り背負って、夕日に向かってマラソンて。昭和の漫画でしか見たことないよ?ドラゴンボールか?私をスーパーサイヤ人に仕立て上げる計画か?純粋で優しい瞳巳ちゃんが、ミッドナイトへの強い怒りによって覚醒するのか?
「おのれ鬼畜SM嬢、露出狂……!七歳の弟子にこんな仕打ちを……!」
「三周追加。あと、あなたを私の弟子にした憶えはないわ」
私が息も絶え絶えに走るそこは、だだっ広い空き地だった。昼は人が滅多に寄り付かない上、土地の所有者も曖昧なので、「これ幸い」と近隣の住民が廃車や壊れた家電を夜な夜な廃棄していく。そんな場所だった。
ミッドナイト指導の元トレーニングをはじめて、三ヶ月。私は毎日学校が終わってすぐ、この寂れたゴミ山でひたすら筋トレをさせられている。
ミッドナイトに電話をしたあの日から、ずっと。一日二時間、打ち込んできたのは個性を伸ばす練習でも、ヒーローの心得の授業でもない。地獄のマラソン、そして筋トレだけだった。まさに脳筋。
空き地周回マラソンと地味な筋トレを終え、「思ってたのと違う……ミッドナイトのイメージと違う……」とぶつくさ呟きながらも頭を下げ、「今日もありがとうございました」とお礼を告げる。
彼女は汗だくの私の額と髪をふわふわのタオルで拭い、「よく出来ました」と満面の笑みを浮かべた。小学生にウェイトジャケットを着せて限界マラソンをさせたとは思えない、女神の微笑みだった。まさに飴と鞭。
「今日もよく頑張ったわね、瞳巳ちゃん。ご褒美の飴をあげましょうね」
「ちょっと。私、中身は十六歳って言ったじゃないですか。汗くらい自分で拭けるし、飴もいりません。子供扱いやめてくださぅゎ力強ぃ」
「そうやって嫌がられると、私……燃えてきちゃうわ!」
「鎮火して!頭わしゃわしゃしないでぇ!」
そう、私はミッドナイトにだけは、これまでの事情を洗いざらい吐いている。本当は隠し通したかったのだが、彼女はそこまで甘くなかった。電話をした当初、彼女は「ヒーローになる」と言ってきかない私をやんわりと宥めるだけで、全く取り合ってくれなかった。
この世界の七歳の子供は、誰もがヒーローを夢見る。私が電話をしたのも、そんなきらきらとした憧れからだと思ったらしい。
しかし、違うのだ。私はヒーローになりたいのではない。ならなければいけない。いたいけな、生温い憧れなんかではない。
そんな事情を理解してもらうため、仕方なくこれまでの経緯を説明した。私は前の世界で一度死んでいること。記憶喪失なんかではないこと。以前の世界に個性なんて超常現象は存在しなかったこと。……さすがに、「あなたたちは漫画の登場人物です」という事実は伏せておいたが。
電話では伝えきれないから、と訪ねた彼女の家で、ミッドナイトは終始黙って私の懺悔を聞き届けてくれた。荒唐無稽な私の話を信じてくれた。
彼女は艶やかなグロスの乗った唇を震わせ、言葉を紡いだ。
「……そう。わかったわ。でも、あなたを弟子にはしない。私が教えるのはこの世界において身を守る手段と、個性との向き合い方だけ。それでもいいと言うのなら、」
私はその時、ミッドナイトお気に入りのソファーにちょこんと腰掛けていた。私のために片膝をついて目線を合わせる彼女を、ただ見つめていた。
「今さらだけど、改めて自己紹介をしましょうか。私は香山
ミッドナイトは言葉と共に、私の目線に合わせて屈めていた膝を真っ直ぐに伸ばし、立ち上がった。長身の彼女の背に、照明の逆光が降り注ぐ。遥か高みから、凛と言葉が降りてくる。
「あなたのお名前は?あなたの声で、ちゃんときかせて」
私は眩しさに俯きたくなる気持ちを必死に堪え、高みを見上げた。逆光に色彩を深める夏空の瞳は、自信に満ちた星々の煌めきに溢れていた。
彼女は、プロヒーロー・ミッドナイトとは名乗らなかった。"香山睡"と、一人の人間の名を告げた。
漫画の登場人物は、ここに生きる生身の人間だった。私に手を差し伸べる、あたたかい、一人の女性だった。
「……私は爆豪瞳巳です。"ちょーかっこいいヒーロー"を目指してます」
伸ばされた手を取ると、香山睡は私の小さな掌を握り、力強く引いた。ソファーに座っていた私は、よろめきながらも反射的に一歩踏み出し、立ち上がる。
俯きがちな幼い背中を叱るように撫で、彼女は言った。
「堂々と立ちなさい。笑いなさい。そしていつか、あなたは───」
続くその言葉の意味を、十年が経った今も見つけられずにいる。
***
ご褒美の飴を無理やりランドセルに突っ込まれたり、もみくちゃになるまで散々撫で回されたあと。私は彼女曰く「小さなヒーロー」たちと共に、家路を歩いていた。
私の両親と高校生の姉二人は、記憶喪失になった挙げ句トラックに突っ込むというトンデモ経歴を持つ末娘をひどく心配している。ミッドナイトとの修行が終わった夕方、爆豪勝己、緑谷出久が私を迎えに来るのは、家族たっての依頼があったからだ。
「ね、ねえ!ミッドナイトって、さいきんにんきのヒーローなんだよね?お母さんがニュースでみたっていってたよ!そんな人に弟子入りできるなんて……瞳巳ちゃんすごいよ!」
「いやぁ、まあ……弟子って訳じゃないんだけどね。それに毎日筋トレだけだし、たまにお人形みたいに着せ替えられるし……出久くんが羨ましがるようなもんじゃないよ」
ヒーロー大好きな出久が、芽吹く新緑の大きな両目を輝かせて早口で語る。私はそんな彼に苦笑し、日頃の苦労を話してみせる。けれど小学生からすれば、プロヒーローと知り合い、というだけで憧れの対象となるようだ。
出久はしきりに「いいなあ」を連呼し、本物のヒーローからどんな教えを受けているのかを聞きたがった。
素直な幼馴染みは小学一年生という幼さも相まって、とてもかわいらしい。思わず表情筋が溶け、好き勝手に跳ねたふわふわの髪を撫で回したくなってしまう。
「いいなあ、僕もいつかオールマイトの弟子に……!」
「うんうん。なれるよ、出久くんなら。あたしが保証する。……だって主人公だし」
「ほんと!?あ、ありがとう瞳巳ちゃ、」
「バーカ。むこせいのデクにはむりだろ」
「勝己くん……」
もう一人のご近所さん、爆豪勝己は、自らの個性をアピールするように掌から火花を散らした。勝己は出久を睨み、次に私を見据えた。
つり上がった大きな赤い双眼は、小学生を怯えさせるには十分な迫力だろう。か弱い美少女の瞳巳も、昔は蛇に睨まれた蛙のようにこの眼力を恐れていたのかもしれない。無条件で言うことを聞いていたのかもしれない。
しかし残念。今の私の中身は十六歳なのだ。小学一年生の威嚇なんて、「微笑ましいなぁ」としか思えない。そんな態度に苛立ったのか、勝己は攻撃の矛先を出久から私へと変えた。
「瞳巳もニヤついてんじゃねえ。てめェのこせいなんか、"睨んだ相手を一瞬びっくりさせる"だけのクソザコだろ?モブこせいのくせに、なにヒーローなんかめざしちゃってんだよ!トラックにひかれかけるのろまなアホのくせに!」
「うんうん分かるよ。勝己くんはあたしがヒーローデビューしてテレビに映ってモテモテになるのが怖いんだよね?瞳巳ちゃん、髪サラサラだしおめめもキラキラだし、ちょーカワイイもんね~」
「ぷっ……!」
ふぁっさぁ……とシャンプーのCMさながらに黒髪をかきあげる私に出久が吹き出し、「てめェら笑ってんじゃねえ!」と勝己が苛立ちに掌から爆炎を発生させる。
「きゃー!ヴィランが怒ったぁ!出久くん逃げよ!」
「あはは!まってよ瞳巳ちゃん!」
「だれがヴィランだザコども!じごくのそこまで追いつめてひねりつぶしてやっからなぁ!」
「そーゆーとこだよカツキーヌ」
「そのふざけたよびかたヤメロ!」
私たちは空き地からの家路を、沢山のがらくたが詰まったランドセルを弾ませ、じゃれあいながら駆け抜ける。
遠くの十字路に大型のトラックが見えた。途端に勝己が血相を変えて追い付き、私の腕を掴む。
「瞳巳」
どうやら私は、彼の心にも深い傷を負わせていたようだ。まあ普通そうなるか、と苦笑する。
従兄妹が、幼馴染が、目の前でトラックに轢かれそうになったのだ。しかもなぜか満面の笑みで、自らの目をはっきりと見据えながら。そんな恐怖体験、トラウマにならない方がおかしい。むしろよく私の送迎なんて出来るな、と遥か歳下ながら感心してしまう。
「瞳巳、かってに走るなよ」
──爆豪勝己は、無個性の出久を虐げる屑だ。
はっきり言って、中学までの彼の行動は最低最悪だ。高校に入ってからも、たくさんの人を言葉で、行動で傷付ける。たとえ彼が遠い未来、出久に頭を下げたとしても。誰も彼の罪を拭い去れない。
けれど彼も最早、漫画のキャラクターではない。彼には、人間の心がある。私と親友を救わなかった、傍観者たちとは違う。勝己は、私を諦めないでいてくれた。
勝己はあの日、幼馴染みの少女を助けようと走った。自らが轢かれる危険もかえりみず、両親の制止を振りきって。一心にこちらに手を伸ばす、涙に揺らめく陽炎を憶えている。
以前、私は彼に問うた。「なぜ私を助けようと走ったのか」と。勝己は「今さらそんなこと」と至極面倒くさそうに頭をかきながら、呟いた。
「しらねえ。からだがかってにうごいてた」
私は思考を現在に戻し、痛いくらいの強さで腕を掴む勝己の指先を、一つひとつ丁寧にほどいていった。
「ありがとう。"あたし"はもう大丈夫だよ、勝己くん」
「……てめェがケガしたら、俺がおばさんにしかられるだろ」
いつのまにかたどり着いていた自宅前で、心配性の姉二人がこちらに手を振っている。母や私とよく似た、長い黒髪に金色の双眼の、美しい双子の姉妹だった。彼女たちは、日本初の双子ヒーローになることを夢見ている。
「瞳巳ちゃんおっかえりー!今日はカレーよ!」
「イズクくんとカツキくんも食べてくでしょー?」
「「「カレー……!!!」」」
私たちは顔を見合わせ、弾けるような歓声をあげた。競うように靴を脱ぎ、リビングへと走った。毎週金曜日は娘の送迎のお礼も兼ねて、うちで二人分の夕食を用意すること。それが緑谷家、爆豪家の新しい約束ごとだった。
「あら二人とも、いらっしゃい」
「ちゃんと手を洗えよ?あとうちの娘が可愛いからってちょっかい出すなよ?」
「やめてよパパ……!」
温かな家庭だった。
姉二人は雄英の普通科に通いつつヒーロー科への編入、ひいては双子ヒーローデビューを目指している。私は、プロヒーローに目をかけてもらっている。
誰もが羨む、仲の良い家庭だった。私も違和感はまだあるものの、最近では自然にパパ、ママ、お姉ちゃんと呼べるようになった。
私の個性は、"睨んだ相手を一瞬だけびっくりさせる"という、何とも華のないものだった。勝己が言ったとおり、プロヒーローを目指すにはあまりに弱すぎる。
だが、私には希望があった。私にはあのミッドナイトがついている。家族や出久の応援がある。瞳巳ちゃんが思い描いたあの衣装を、きっと身に纏える。その頃には雄英で成長した勝己も、ヒーローになる私を祝福してくれる。多くの人を救い、犯した罪を償える。
私は大好きなカレーを平らげ、大盛りのおかわりをよそった。この幸せを分かちあいたくて、頬にご飯粒を付けながら、出久と勝己に満面の笑みで語りかける。
「勝己くん出久くん!うちのママとお姉ちゃんの料理おいしいでしょ!」
「うん、おいひぃー!おかわり!」
「別にフツー。…………おかわり」
家族五人と、頬にご飯粒をつけた幼馴染み二人。最後の晩餐は賑やかに、駆け足で過ぎ去っていく。
その日の就寝前、私は部屋の窓から夏の夜空を見上げた。睡さんの、自信に満ちた煌めきを思った。彼女がくれた花モチーフのヘアピンを指でなぞり、眦を緩めた。
私は、優しい人間に恵まれている。もう、彼らを"漫画のキャラクター"だとはとても思えない。勇気を振り絞って彼女に電話をかけてから、三ヶ月が経っていた。
最近の私はほんのすこしだけ、世界を好きになれた気がする。
ストレリチアの花言葉は「輝かしい未来」「寛容」「万能感」