※本編番外編。香山家に住む二人と一匹のお話。瞳巳オリジンから数年後の出来事。
「……ただいま、睡さん」
ランドセルを背負ったまま病院から帰ってきた瞳巳は、今日も浮かない顔をしていた。理由は訊かずともわかっている。
今回も、姉たちを元に戻すことは叶わなかったのだろう。自身の血を垂らしても、もう一度両目で見つめても、彼女たちは硬く冷たい石のままだったのだろう。
私も時間の都合さえつけば、ヒーロー活動の合間に瞳巳とともに隔離病棟に赴き、“個性解除実験”に立ち会っていた。しかし古今東西の文献を漁り、いろいろな方法を試しても、彼女たちは石化から目覚めなかった。
彼女たちは、両親の精神安定剤として共に隔離病棟内に安置されている。職員は、まさかその二体の石像が“かつて爆豪三姉妹だったもの”とは夢にも思っていない。真実を知るのは公安と警察トップの僅か数人、レディ・ナガン、そしてエンデヴァーのみである。
事件当初、公安委員長は「ヒーロー社会の秩序を守るため」「死刑囚を取り逃がしたヒーロー達の失態を隠すため」と称して、姉妹の石像を埋葬し、荼毘に付そうとした。それに待ったをかけたのは、他でもない。事件当時現場に居た───轟炎司だった。
彼がどんな思いで自らの失態の証を残そうとしたのか。爆豪家両親のための病院を紹介し、一生分の入院費を支払うと申し出たのか。私には想像もつかない。ただ、このことは決して瞳巳には言うなと。それだけを念押しされている。
「おかえりなさい、瞳巳。お腹空いたでしょう?今日のおやつはマフィンを焼いたのよ」
「……うん。ありがとう」
月に一度の“個性解除実験”を行い、瞳巳は沈痛な面持ちで香山家に帰ってきた。私は余計な詮索はしない。「おかえりなさい」と声をかけ、高校時代からの愛猫、おすしと共に彼女を出迎えるだけに留めた。
靴を脱ぎ、焼き菓子の香りが漂うリビングに向かう瞳巳の足に、「にゃあん」と甘え鳴きをするおすしがまとわりつく。
「わ、おすし。……くすぐったいよ」
膝裏を掠めるふわふわの尻尾が、くすぐったかったのだろう。難しい思案顔だった彼女も眉間のしわを僅かに解きほぐし、甘えたなトラネコを抱き上げた。
「ふふ。この子も瞳巳に『おかえり』って言ってるのよ。お友達のあなたが出掛けちゃって、寂しかったって」
「……えへへ、そっかぁ。ただいま、おすし」
瞳巳が、まだ十歳にもならない幼く細い両腕で猫を抱きしめ、柔らかな毛並みに鼻先をうずめる。元は痩せ細った捨て猫であったおすしが、安心しきった表情で喉を鳴らす。
一人と一匹のあまりの愛らしさに、私は思わず彼女らをまとめて抱きしめ、瞳巳の艶やかにうねる黒髪を撫でまわした。
「ね、睡さん!だから私は見た目どおりの子供なんかじゃないですってば!子供扱いしないで!」
「ふにゃあ!」
「あ~~可愛いわぁ、たまんないわぁ!可愛い猫たちがみゃあみゃあ鳴いてるみたい!」
「私は蛇なんですけど!?」
平均より“ちょっと”大きい私の胸に押し潰され、顔を真っ赤にして抗議する瞳巳はしかし、本気で抵抗をしなかった。本当に嫌ならば髪の蛇たちで私の両腕を振り払えるのに、そうはしない。
人肌が恋しいくせに、自分からは決して触れようともしない。子供のように甘えたいのに、まだまだ未成熟な子供のくせに、「私は大丈夫」と虚勢を張る。香山家のドアを開くとき、未だに一瞬だけ躊躇して、遠慮がちに「ただいま」を言う。私はそんな瞳巳の弱さを、ずっと見つめている。
けれどそういった臆病ささえも、子猫のようでいとおしかった。可愛くて可愛くて、抱きしめずにはいられない。私は込み上げる愛に任せて彼女の髪をかき混ぜ、祈りのため息をついた。
「おかえりなさい、瞳巳。ここがあなたの帰る家になりますように」
小さな囁きは、未だにぶつくさと文句を言う彼女には聞こえなかったようだ。けれどおすしにだけは、聞こえていたのかもしれない。
かつて捨て猫だったそのトラネコは耳をぴくりと揺らし、私と瞳巳に抱きしめられた隙間から顔を上げた。私の言葉に同意を示すように、高く鳴いた。
少女の傷跡は癒えない。それでも、いつか爆豪瞳巳が満面の笑みで「ただいま」と私の両腕に飛び込んでくる未来を、夢みてやまない。
木漏れ日差すリビングには、少し冷めてしまったマフィンの、胸が苦しくなるほど柔らかなバターの香りが立ち込めていた。今日も香山家は平和である。
猫のおすしとミッドナイトとの日常。元捨て猫のおすしについては、ヴィジランテ(公式外伝)参照。
『四季折々』なんてタイトルなのに季節一ミリも関係なくて草。次回以降はオリ主以外の視点で春とか夏の日常を書きたい。