世間からの非難に耐えられなくなったトレーナーが、スズカさんに誘われて逃避行を選択するお話。

連載漫画の読み切り感覚で書きましたが、ご要望があれば加筆してシリーズ化する......かもしれません(まず既存のシリーズを書け)




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逃避行

「私と、どこか遠くに逃げちゃいませんか?」

 

 

 

「……は?」

 

暑さも本格的になってきた、七月の中旬。

 

青空からの陽光がトレーナー室に降り注ぐなか、俺の担当バ──サイレンススズカは、どこか悪戯な笑みを浮かべながら問いかけてきた。

 

「お仕事もお休みして、学園の子が誰も知らないような場所を転々とするんです。初めての土地、初めての出会い……きっと楽しいですよ」

 

「……ええと、待ってくれ、さっぱり話が読めないんだが」

 

さも決定事項であるかのように話す彼女を右手で制し、説明を求める。

 

彼女が突拍子もない発言をするのは、今に始まったことではない。しかし、今回のそれは明らかに異質なものであり、彼女の意図しているものが何なのかが微塵も理解できなかった。

 

俺の困惑を察したのか、スズカが説明を始める。

 

「……トレーナーさん、私たちが契約を結んだ日のこと、覚えていますか?」

 

「そりゃ、忘れるわけがないさ……」

 

彼女の問いかけが耳に入るや否や、当時の記憶がフラッシュバックする。

 

前のトレーナーの方針が身体に合わず、思うように走れない苦しみから”もう走りたくない”と感じるほどに追い詰められてしまっていたスズカ。

 

そんな彼女の気分転換になればと、学園から離れた、景色が綺麗で思いっきり走れそうな場所まで案内して──。

 

「もしかして、俺に同じことを......?」

 

「はい、そういうことです」

 

「……心当たりがないな」

 

嘘をついた。心当たりは、山ほどある。

 

それを分かりきっているかのように、スズカは淡々と言葉を羅列する。

 

「……ビニール袋に詰められた、大量のエナジードリンクの空き缶。悪夢にうなされながらの仮眠。スマホや雑誌を見ながらのすすり泣き」

 

「…………」

 

「そして何より、メイクで隠していてもわかるほどの、今にも倒れてしまいそうな虚ろな目……」

 

「……よくご存知で」

 

困った。スズカに知られたくなくて隠していたことが、全部お見通しだったとは。

恥ずかしさと申し訳無さが入り混じり、つい彼女から目をそらしてしまう。

 

「原因はおそらく、練習中に負った私の怪我と、それについての大衆の反応……違いますか?」

 

「さあ、ね」

 

これまた図星だ。彼女のセカンドキャリアには、探偵や占い師を勧めてみてもいいかもしれない。なんて、くだらないことを考えている場合ではないのだけれど。余計な心配をかけさせないように、彼女に話しかける。

 

「別にスズカが気にすることじゃないよ。批判だって、どうせ一過性のものさ。そんなことより、友だちと遊びにでも──」

 

「そんなこと、ですか?」

 

「……え」

 

そう口にした途端、彼女を纏う雰囲気は一変し、真夏に感じるものとは思えないほどの悪寒が身体中を駆け巡る。

 

先程まで心配そうにこちらを見つめていた瞳はグンと見開かれ、突き刺すような目線へと変貌を遂げた。

 

「ど、どうしたんだよ......?」

 

その迫力に気圧され、思わず窓際へと後ずさってしまう。スズカにこんな顔ができるだなんて、誰が想像できるだろうか。

 

「”そんなこと”で済ませられるわけがありません。トレーナーさんの苦しみは、私の苦しみでもあるんです。私のことで苦しい思いをしているのなら、なおさら……」

 

「スズカ……」

 

スズカの声は徐々に覇気を失っていき、最後には聞こえるか聞こえないかのささやき声が宙に消えていった。

 

下を向き、両手に拳を作りながら絞り出すように紡いだその言葉からは、苦しみを隠し続けた俺と、その原因を作り、かつ気づけなかった自分との両方に対する静かな怒りが痛いほどに伝わってきた。

 

「……気持ちはありがたいが、どうしようもないさ。俺の指導力不足でスズカに怪我をさせてしまったことは事実だし、それを責められるのも当然の報いで……」

 

 

 

「でも、このままじゃ、トレーナーさんが壊れちゃうじゃないですかっ……!」

 

 

 

スズカの糾弾が、部屋中に反響する。

予想外の大声に、思わず身体がピクリと跳ねる。

 

「無理に隠さないでください、辛いときは辛いって言ってください! 今のトレーナーさん、本当に苦しそうで見ていられません……!」

 

「…………」

 

俺なんかのために本気で悲しみ、涙目でそう訴えるスズカ。

彼女を見ると、押し殺していた感情が徐々に芽を出してきた。

 

俺だって、精一杯やってきたのに。

 

怪我にだって、細心の注意を払ってきたはずなのに。

 

俺たちがどれだけ苦心したかなんて、大衆は知らないくせに。

 

なのに、なのに……。

 

「……なんでここまで、罵られなきゃいけないんだよ……」

 

「トレーナーさん……」

 

耐えきれずに口からこぼれた言葉は、ずっと見て見ぬ振りをしてきた本音だった。

 

「ファンや記者の言いたいこともよくわかる……わかるけど、トレーナーは機械じゃないんだ……どんなに気をつけていても、みんなと同じでミスもするし、想定外のことだって起こるのに……なんで、俺だけさぁ……!」

 

ひとたび決壊した感情のダムから、悲しみや怒りを詰め込んだ言葉が流れ出てくる。涙が、怒りが、やるせなさが、悲しみが止まらない。

 

ああ、教え子の前でこんな醜態を晒すなんて、情けないにもほどがある。俺は本当に大人なのか? いろいろ言ったけど、やはり俺が悪いのかもしれない。スズカに酷い怪我をさせたのは事実なのに、みっともなく逆ギレまでするとは。こんなどうしようもない人間は、トレーナーになんて──

 

 

 

「……トレーナーさんっ!!」

 

 

 

──刹那、俺の身体がぎゅっと抱きしめられ、ふわりと柔らかい感触と匂いに包み込まれた。

 

「え、あ……」

 

何が起こったかわからず呆然とする俺をなだめるように、耳元でスズカが優しく語りかける。

 

「もう……もう、十分です。これ以上、苦しまなくてもいいんです。これ以上今の生活を続けたら、本当に心も身体も壊れてしまいます……」

 

彼女の両腕に込められた力が、一層強くなる。

 

数瞬間をおいた後、抱きしめる力を弱めたかと思えば、目線を合わせて縋るように問いかけてくる。

 

「だから、いっしょに逃げましょう……? トレーナーさんは、今までいっぱい頑張ってきたんですから……少しくらい、ゆっくりしたっていいじゃないですか」

 

「……それは……」

 

許可なんて出していいはずがない。俺は良くても、彼女にとっては悪でしかない。

 

そもそも、いつまでを想定している? その間の学校はどうする? 寮生活は? リハビリや定期の通院は? トレーナーが担当の負担になっていいはずがないのでは? 

 

彼女を止める理由はいくらでもある。

 

言わなければ。”ダメだ”の三文字を、口にしなければ。

 

「スズカ……」

 

「…………」

 

言え、言うんだ。

 

 

 

「……俺を、助けてくれ」

 

 

 

「……はい、もちろんです」

 

 

言えなかった。

 

心が、論理を拒絶した。

 

口をついて出たのは嘆願の言葉。

 

……ああ。俺はなんて、弱い人間なのだろうか。

 

越えてはいけない一線を越えた後は、もう堕ちていくだけだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「──トレーナーさん、見てください! 綺麗な海……!」

 

「……そうだな」

 

トレーナー室でのひと悶着から一ヶ月。

俺とスズカはとある離島の海沿いで、車窓から入ってくる涼風を浴びながらレンタカーを走らせていた。

 

照りつける陽光が水面に反射して、ダイヤモンドのような煌めきを発している。

合宿のたびに海には行っていたが、ここまで透き通った青と白が混ざりあった海というものは初めて見たかもしれない。

 

「人もほとんどいませんし、ビーチにゴミもないから、見ていて気持ちがいいですね」

 

「たしかに。いわゆる穴場スポットってやつかな?」

 

「ふふっ。だとしたら、なんだか得しちゃいましたね」

 

事故を起こさないように注意しつつ、横目でちらりとスズカを見る。

口元を右手で軽く隠し、楽しげに微笑む姿が目に入り、不意にドキッとさせられてしまった。

 

素性を隠し、地方を転々とする放浪生活を始めてから、こういった感情が芽生えることが多くなって非常に心臓に悪い。彼女のプライベートな一面を覗くことが増えたからだろうか。

すかさず深呼吸をして心を鎮めさせ、煩悩を振り払おうとする。担当にこんな想いを抱くようでは、トレーナー失格だから。

 

……いや、それはスズカの誘いを受け入れた、あのときからだったか。

 

「……トレーナーさん? どうかしましたか?」

 

「あー……なんでもない。ただ、綺麗だなと思ってな」

 

「そうですよね。私もこんな海、初めて見ました!」

 

「……はは、そっか」

 

俺の葛藤に気づくはずもなく、スズカは年相応に、海を見ながら胸を躍らせている。

 

二〇代も中盤の成人男性と女子高生が、人気のないところをドライブ。

しかも女子高生は妙に楽しそう……なんというか、傍から見ればストックホルム症候群の現場にも間違われかねない。

 

(やっぱり、異常だよなぁ……)

 

ひと月を共にしても、こればかりは慣れないものだ。ふと冷静になってこの事実を思い出す度に、背筋が凍る思いになる。

 

とはいえ、なってしまったものは仕方がない。気分転換も兼ねて、スズカに話しかけてみる。

 

「……そうだ。よければ少し、ビーチを歩いてみるか?」

 

「え……いいんですか?」

 

やはり、というわけでもないが、スズカはこのビーチを自分の脚で歩きたいようだった。

 

「まあ、侵入禁止とも書かれてないし、わずかだけど泳いでる人もいるしな。大丈夫だと思うぞ」

 

「なら、走っても……!」

 

「それは禁止」

 

「うぅ……」

 

……休養期間に、何を言っているんだか。

 

いじけるスズカを軽くあしらいつつ、駐車場らしき場所に車を止める。

水着やビニールシートは持っていないが、予備のサンダルだけは用意してあったので、スズカに「裸足で歩くくらいなら」と許可を出す。

 

するとスズカは、ビーチ手前のアスファルトでもう裸足になり、小走りで海辺に向かって駆けていった。

今どき小学生でもここまではしゃがないのではと思うと、つい笑ってしまう。

 

「トレーナーさん、こっちですこっち! 足がひんやりして、気持ちいいですよ」

 

「はいはい……って、俺も裸足になるのかよ……」

 

こちらに向かって右手をぶんぶんと振り回すスズカ。そんな無邪気な彼女を見ていると、足元が濡れるかどうかだなんて、酷く小さなことに思えてくる。

 

靴を脱いで、ジーパンの裾をめくり、そのまま一歩を踏み出す。

 

「あっつ……!」

 

砂浜に入った瞬間、想像以上の熱に驚き、反射的に脚を上げる。

 

そういえば、焼けた砂が足の裏に触れる感覚なんて何年……いや十年ぶりくらいだろうか。

学生時代の自分を振り返ると、たしかに今のスズカみたいに、只々今を楽しむためだけに砂を踏みしめていた。スズカだからではなくて誰にでも、こういう時期はあるのかもしれない。

 

「ふふ。トレーナーさん、熱いんですか? はやく海に来て、いっしょに遊びましょう!」

 

「遊ぶって何して……待てスズカ行き過ぎ! スカートの替えは今持ってないんだから、奥まで行くなって!」

 

「いいじゃないですか……あ、せっかくだし鬼ごっこでもしましょうか。ドラマでよくあるやつです」

 

「いや、それやるなら砂浜だし、そもそもいつの時代の……ちょ、無言で追いかけてくるな! 怖い!」

 

慌ててスズカを追いかけたかと思えば、いつの間にか追いかけられて。

 

「うおぉ!? ちょ、海水を蹴り上げるなって! この……お返しだ、おらっ」

 

「きゃっ……! と、トレーナーさんもやってるじゃないですか……!」

 

水をかけられたかと思えば、いつの間にかやり返していて。

 

気づけば俺たちは、夕日が傾き始めているのにも気づかないまま夢中になってふざけあっていた。

 

「はぁ……はぁ……ふふっ。楽しかったですね、トレーナーさん」

 

「……あぁそうだな。そして……疲れた」

 

そして、ひとしきり遊びきった後はビーチチェアに寝転がって、充足感に包まれながら呼吸を整えた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

──トレーナーになんて、なるんじゃなかった。

 

幼いころにレース場で見た、名も知らぬウマ娘の走りに感動を覚え、それを支えたいという一心で勉強し、無事に中央トレセンのトレーナーになった。

 

良縁に恵まれ、新人であるにもかかわらず担当ウマ娘ができた。素晴らしい才能を持つ子だったが、同時にひとりだと道を見失いかねない危うさをも持ち合わせていた。

 

脆い彼女は、俺が支えないといけないと思っていた。彼女とだんだん親しくなっていくにつれて、俺でないと支えられないとまで考えるようになった。

 

今振り返れば、酷く傲慢な話だ。ろくに人生経験も詰んでこなかった若造が、思春期のエリートウマ娘という遥か遠い存在に対して、どうしてそこまで不可欠な存在になれると思ったのか。

 

……その報いは、彼女の練習中の怪我とともに返ってきた。

 

『サイレンススズカ、トレーニング中に負傷。復帰は厳しいか』

 

『サイレンススズカ突然の怪我。原因はトレーナーの技量不足!?』

 

怪我の事実を公表するや否や、こういった内容の記事があらゆる週刊誌、ネット記事から頒布され、それを受けた世間は、さらに厳しく俺を非難した。

 

仕事用のメールアドレスを開くと、一面の誹謗中傷で埋まっていた。

 

SNSを見ても、タイムラインに非難の声が乗らない日はなかった。

 

ファンレターに偽装した手紙では、俺への呪詛がたっぷりと綴られていた。

 

これが毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。

 

気づけば、昼食を食べる習慣がなくなった。

 

屋上から見える景色が、酷く灰色に覆われていった。

 

そしてそのまま、柵を越える妄想をすることが多くなった。

 

寝付いた後に見る夢は、悪夢かマシな悪夢しかなくなった。

 

限界だった。同僚からも休職を推奨された。心配の気持ちはありがたかったが、断った。これは受けて然るべき罰で、苦しみ抜くことこそが償いになると信じて疑わなかったからだ。

 

これは、俺の贖罪だ。それに抗うつもりはない。

 

だけど一度だけ、この言葉だけは吐かせてほしい。

 

たとえそれが無駄でも、惨めでも、恥だとしても。

 

果てしなく辛く、終わりの見えないこの茨の道から──

 

 

 

「逃げたい……」

 

 

 

そう口にした瞬間、どこからともなく『大丈夫』と、優しい声が聞こえた気がした。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……さん……レーナーさん……」

 

「……うぅ……」

 

「トレーナーさん! 大丈夫ですか!?」

 

「おわぁ!? な、なんだなんだ、どうしたんだ!?」

 

スズカの張り上げ声に驚かされ、まどろみからはっと目を覚ます。

視界が徐々にクリアになっていくにつれ、目尻に涙を浮かべたスズカの姿が見えてくる。

 

「……よ、よかったぁ……心配したんですから……」

 

「えっと、ごめん……?」

 

彼女が言っている意味がわからないが、おそらく自分のせいで異様に悲しんでいるスズカへの罪悪感が混ざり、つい疑問形ながら謝ってしまう。

 

「いえ、謝ることでは……気づいてなかったのかもしれませんが、トレーナーさん、さっきまですっごくうなされていたんですよ……?」

 

「……俺が?」

 

言われてみれば、熱さによるものとはまた違う、いわゆる冷や汗を身体中にかいていることに気がついた。そして同時に……

 

「だから今、俺の手を握っているのか……?」

 

「えっ……あ、こ、これは、その……っ!」

 

……スズカが俺の右手を、妙に力強く握っている理由にも納得がいった。

 

「わかってるさ。少しでも苦痛を和らげようと頑張ってくれたんだろ? スズカは優しいからな。ありがとう、助かったよ」

 

「…………どう、いたしまして」

 

手を放してからお礼を言うと、スズカは顔を真赤にして俯き、黙りこくってしまった。

 

まあ確かに、異性の手を握るなんて経験はめったにしてこなかっただろうし、俺だって少し恥ずかしいから気持ちはよく分かる。なんというか、素直に可愛らしい。

 

「……それに比べて、俺は迷惑ばかりかけてしまってるな。本当にごめん、こんな頼りない大人がトレーナーだなんて……」

 

「……止めてください」

 

「……え」

 

自己嫌悪に陥りながら話す俺を制したスズカは、再び両手を包み込むように握り、言葉を続ける。

 

 

 

「私の大好きな人を、そんなふうに言わないでください」

 

 

 

「…………だいす……はい……?」

 

 

 

突如ぶつけられた、あまりに重い言葉に脳の処理が追いつかない。

 

顔が紅潮し、心臓の鼓動はやかましいほどの爆音を鳴らし、またもや視界と脳がぼやけていく。

 

スズカが、俺を?

 

「あ、あの……ど、どういう意味の……」

 

「……もちろん、愛しているという意味です。ライクではなく、ラブ……これで、伝わりましたか?」

 

「……はい」

 

照れながらそう話すスズカに念の為に確認を取ると、この上なくシンプルな返答が来た。

もう言い逃れはできない。俺は間違いなく、スズカに好意を向けられている。

 

「……そもそも、嫌いな人のために、ここまでするわけないじゃないですか」

 

「い、言われてみれば」

 

やや頬を膨らませてそう言ったかと思えば、今度は打って変わって真面目な顔をして、話を再開する。

 

「私は、トレーナーさんが好きだから。この先もずっといっしょに居たいと思ったから。だから大切なあなたに壊れてほしくなくって、いろんな辛いことから逃げる……逃避行というものを、提案しようと思ったんです」

 

「スズカ……」

 

スズカの言葉に、徐々に熱がこもっていく。

 

「トレーナーさんは、うまく走れずどん底にいた私を救ってくれた。私にたくさん、先頭の景色を見せてくれた。うまく行かないときでも、いつまでも見守ってくれていた」

 

「…………」

 

「そんなあなたに、せめてものお返しをさせてくれませんか?」

 

言うべきことを言い終えたのか、スズカは緊張をほぐすかのように一呼吸置いた後、こちらをじっと見つめる。俺の返事を待っているのだろう。

 

……ならばケジメとして、俺なりの答えを言わなければ。

 

「……お前は未来ある学生で、俺はあくまでレース面での監督者にすぎない。トレーナーとして、大人として、このまま責任から逃げ続け、大切な人たちまでも悲しませるなんてことは許されない。償うべき罪は、最終的には償う努力をしなくてはいけないんだ」

 

「そんな……」

 

「でも」

 

そう言って割り込んだ途端、耳を垂らしながら、俯き始めたスズカの動作がピタリと止まる。

 

 

 

「……愛し合ってる二人だったら、多少のロマンスとしての逃避行ならセーフ……そう思えなくもないかもな?」

 

 

 

「……! それって……!」

 

スズカの顔が、瞬く間に明るさを取り戻す。

 

「まぁ立場上バレたらマズイから、いろいろ言い訳は考えなきゃだし、どうあがいても上からは怒られるかもしれないけど……それでもよければ、もう少し付き合ってくれないか? そうしたら俺も、元気を取り戻せる気がするんだ」

 

今度は俺が、ちらりとスズカの反応を伺う。

 

「~~~っ!」

 

見ると、おそらく喜びを噛み締めているのだろうか。スズカの身体が小刻みに震えているのがわかった。少々恥ずかしい。

 

「だったら、トレーナーさん」

 

「ん……?」

 

数秒経った後、ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳には、またしても涙が溜まっていた。

しかし今回の雫はきっと、悲しみが凝固した忌むべきものではなく──。

 

 

 

「私ともっともっと、どこか遠くに逃げちゃいませんか?」

 

 

 

そう提案する彼女の微笑みは、これからの逃げ道を照らす、希望の光のようにも思えた。

 


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