第十五話:反逆の兆し
何故、そこまで驚異的な早さで完治させたかというと彼が所有する〝エルの書〟の魔法──〝
この魔法は基本的に死に直結する怪我だけ、自動的かつ瞬時に修復させ、術者を蘇生させることに重きを置いている。だが、命をかろうじて繋ぎとめるだけで、負った怪我全てをすぐに全快にするという完全無欠な能力ではない。
とはいえ、全治数か月の怪我を十日で完治させたのだから、そういう意味では便利なのかもしれない。
‶エルの書〟は言葉を発さない。だが、一応意思というものが存在するらしい。
そして、余程、持ち主から離れたくないようだ。一度寄生した宿主を死なせぬよう、絶命するたびに何度でも蘇らせる。
いったい何が目的なのか。持ち主をいたぶって楽しんでいるのか。だが、考えたところで答えは出ない。興味もない。
いつの日か呪いを解き、自身の滅びを目指して、ジルはいつも通り、淡々と今日を迎えるのだった。
◇
「みんなーっ! 今日から仕事の受注を再開するわよーっ!」
仮説の受付カウンターにて、
そんな彼女の声に呼応するように
そんな中、ジルはというと──
「ふぅー…」
カウンター席に腰掛け、深呼吸するように紫煙を吐きだした。指の間に、細長い嗜好品が挟まれている。
「…ジルさん。そんなに煙草おいしいんですか?」
「ああ、これ以上にないくらいに」
隣に座っているルーシィが露骨に嫌な顔をしているが、喪服の喫煙者は全く気にすることなく有害物質を肺に取りこんでいく。
何せ、十日ぶりの煙草だ。不味いわけがない。
「あのままやめちゃえば良かったのにねー」
ミラジェーンが笑顔でブラックコーヒーを出した。ジル好みに淹れたコーヒーから香ばしい香りが漂う。
あいにく煙草をやめる気は一切ない──何てことを口にすれば、また小言を言われてしまうため、ジルは無視してコーヒーを啜った。
「煙草なんて百害あって一利なしですよ?」
この間まで掟を破った新人が生意気にも、わかりきったことを口にする。煙草は身体に悪いなど都市伝説だと言いたいところだが、正直何も言い返せない。しかも多勢に無勢。
故に、自分の世界に逃げ込むことにする。眼精疲労を軽減する魔法アイテムの丸眼鏡をかけ、今朝届いた新聞を広げた。
煙草、コーヒー、活字──この三つが揃うだけで、ささやかな幸せを感じる。
文字を追いながら再びカップに口をつけ、程良い酸味を──
「もう一度言ってみろッ!!!!!」
女の怒号と共に、背中に強い衝撃が走った。眼鏡が吹き飛び、口内に含んだコーヒーを新聞にぶち撒けた。
「大丈夫、ジル!? どうせだったら、私にかけてもよかったのに!」
ミラジェーンの訳のわからない発言を無視し、ジルは後ろを振り返った。
声だけでわかったが、犯人は紅髪の鎧女──エルザ・スカーレットであった。どうやら誰かと口論していたようだ。近くにあったテーブルを八つ当たりするように投げ飛ばし、
無意識だとしたら、もはや才能としか言いようがない。わざとの可能性も大きいが、自分の不幸体質が原因でもあるとジルは半ば悲観気味に結論付けた。
それはそうと、エルザは誰と口論しているのか。彼女の睨む先には、大柄な男が人を食ったような笑みを浮かべていた。
男の名はラクサス・ドレアー。彼は怒気を漲らせるエルザに対して臆面もなく言い放った。
「この際だ、はっきり言ってやるよ。弱ぇ奴はこのギルドに必要ねぇ」
その言葉を皮切りに
あまりにも辛辣な言動にミラジェーンは居ても立ってもいられなくなった。
「もう全部終わったのよ、ラクサス! 誰かのせいとか、そういう話だって初めからないの! 戦闘に参加しなかったラクサスにもお咎めなし──マスターはそう言ってるのよ!」
だが、ラクサスの態度に変化はない。他者からの言葉一つであっさり揺れ動くほど利口ではない。
「そりゃそうだろ、おれには関係ねぇことだ。ま、おれがいたらこんな無様な目には遭わなかったがな」
瞬間、‶
自分が最も嫌っている男でさえ、やり方は気に入らないが、少なくともギルドのために尽力した。
血まみれの喪服を思い出しながら、エルザは魔法剣の柄を握った。
「ラクサス、てめぇッ!! オレと勝負しろォッ!!!」
だが、彼女が動くよりも早く、ラクサスに殴りかかる者がいた。火の
彼は無謀にも
だが、ラクサスの身体が突然雷光と化し、少年の鉄拳を難なく回避した。ナツが「あれ?」と素っ頓狂な声をあげたときには、離れた場所に瞬間移動したラクサスが高らかに笑っていた。
「ははははっ!! おれを捉えられねぇ奴が何の勝負になる!?」
さらに彼はギルドのメンバー全員に聞こえるように
「おれがギルドを継いだら、弱ぇもんは全て削除する!! 歯向かう奴も全てだ!! 最強のギルドを作る!! 誰にもナメられねぇ史上最強のギルドになッ!!!」
まるで予言するかのように、自信相応の実力者は高笑いしながら立ち去っていった。
ラクサスの傍若無人な言動に、残された
ある者は怒り、ある者は悲しみ、またある者は自身の無力さに嘆いた。
だが、ただひとり──機械的なまでに冷静な男がいた。
──ラクサス…ギルドの障害となるか?
ラクサス・ドレアー──マカロフの孫にして、
ラクサスはギルドを継いだらとは言ったが、マカロフは血筋だけでマスターの座を譲らないだろう。少なくとも仲間を切り捨てると豪語する人間には。
もしも、マスターとなったラクサスが先程の言葉を有言実行するならば、それは
メンバーの構成を戦闘力のみ重視すれば、知識や語学に堪能なレビィや、
戦闘に乏しくとも、彼らの特殊な能力が時として単純な武力よりも遥かに
彼の言っていることは、ただの独裁体制だ。周囲の諫言も聞きやしないだろう。当然ギルド内で反発は起き、メンバーの数は激減する。
そうなったら──元から評判は悪いが──
最悪の場合、闇ギルドへ堕ちる可能性も否定できない。
──ラクサスと雷神衆の監視、強化するべきだな。
ラクサスは
であれば、反逆が起こる──それだけの実力と自信を彼は持っている。いつかはわからないが、恐らくそう遠くない未来に。
──…いや、向こうの行動を待つ必要もあるまい。
‶
それは‶気に入らない〟とか、‶仲間を傷付けたから〟といった、感情からではない。
ギルドにとって不要な存在だと、機械的にはじき出したに過ぎない。
ジル・アイリスは、非人道的な言動を何とも思わない。
自身も含めて、ホモ・サピエンスという生物に対して、まともな倫理観を最初から期待していないからだ。
理不尽にギルドを破壊し、仲間を傷付け、戦争を仕掛けてきた
では、何のために戦ったと言われれば、
故に、ラクサスの言動に何の感想もない。批判する気もない。
されど、説得する気もなければ、改心させる気もない。先程のやり取りで、もはや言葉は通じないとみた。犬畜生相手に、必死になって人の言葉を教えるようなものである。
もはや、酌量の余地はない。向こうが排除してくるのであれば、こちらも同じ流儀で粛清するまでのこと。
いつものことをすればよいのだ。感情を機械的に削除し、無関心へと還元する。不要な人間を雑草に見立てて、草刈りを──
その瞬間、突然ジルの頭の中であらゆる記憶がフラッシュバックした。
手の甲に煙草を押しつける父と、見てみぬふりをする母。
磔にされている自分と、目の前で虐殺される信徒たち。
ここから逃げようと言って、突然姿を消した少女。
石や泥玉を投げつけて嘲笑っている子どもたち。
王国に寝返った親友。
下腹部を中心に十字に切断された母。
光となって消滅した、恋人。
「…ジル?」
ミラジェーンが心配そうに声をかけた。
喪服の美青年がティーカップを持ったまま、硬直している。それだけならば、彼女もここまで不安な顔をしなかったであろう。
ジルの唇の端が、狐の異名のごとく、ぐっとつり上がっていた。
目を大きく見開き、黒い水面をじっと見つめている。
怒りなのか、悲しみなのか、喜びなのか、あらゆる感情がごちゃ混ぜになった──奇妙で恐ろしい表情を浮かべていた。
一番面白いのは?
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