それは、ジルが
ジルは数週間ぶりに、マグノリアの街へ帰ってきた。
彼はギルダーツとともに仕事をしつつ、‶エルの書〟の呪いを解く方法を探して大陸中を旅していたのだ。
「それじゃあな、ジル。明日はゆっくり休めよ」
「はい、ありがとうございました」
ギルダーツと別れ、ジルはギルドへ向かった。
このまままっすぐ帰宅してもよかったが、以前ミラジェーンやエルザたちに「帰ってきてたんなら、ちゃんと言えよ!」と叱られたことがあった。
彼は数週間、長くて一ヶ月ぶりに帰っても一日の大半は自宅で過ごし、特に用事もなくギルドに寄ることはない。そして、数日経ったらギルダーツとともにまた旅に出る。誰にも告げずに。
ジルに会いたがっている者たちからすれば、ふざけるなとしか言いようがない。そんなことがあり、マグノリアの街に帰ったら必ず報告するようにしている。
ちなみに、それを横で聞いていたナツとグレイが
まったくもって、世の中、不条理である。
夕暮れを背に、ジルは街道を歩いていると、ある一団を見つけた。レビィ、ジェット、ドロイ──シャドウギアの三人組だ。
「す、すまねぇ、レビィ…」
「おれがちゃんと…」
「ううん。いいよ、いいよ。ふたりが謝ることじゃないから」
何やら、ジェットとドロイがオロオロしながらレビィに申し訳なさそうに謝罪している。
男女のもつれというやつだろうか? ジェットとドロイがレビィに片想いしているのは知っている──当のレビィはすでに秒で振っているらしい──おおかた、ジェットたちが彼女を取り合ってケンカし、迷惑でもかけたのだろう。
だが、少し様子がおかしい。気になったジルだったが、自分には関係ないと思い、すぐに関心の外へ追いやった。
このまま素通りしようとした瞬間、レビィの抱えているものが目についた。それは、一冊の分厚い本──だが、何故か、黒く焼け焦げていた。
「…レビィ。どうしたんだ?」
ただ事ではないと思ったときには、ジルはレビィに話しかけていた。
「あ、ジル…」
声をかけられた彼女は、ジルの存在に気がつくと、小さく微笑んだ。だが、どこか悲しげだ。
「ううん。何でもないよ」
読書好きの少女が首を振る。すると、ジェットが抑えた声で、されどはっきりと答えた。
「ラクサスに…レビィの本を焼かれた…」
「…なに?」
一瞬、聞き間違えたかと思い、ジルは聞き返すと、レビィが慌てて制した。
「ちょ、ちょっと! いいって、ジェット」
「でもよ…!」
「…すまない。どういうことか説明してくれ」
ジルが尋ねると、レビィは拒否したが、ジェットとドロイは怒りと悲しみを滲ませた顔で数十分前の出来事を説明した。
いつものように仕事を終えたあと、シャドウギアの三名は本屋へ寄り、そこでレビィが本を購入した。
以前から欲しかったものだったようで、帰るまで待ちきれなかったレビィは道を歩きながら読書してしまっていた。
そこで、ひとりの男と身体がぶつかった。それが、
すぐに謝罪したレビィだったが、ラクサスは怒鳴り声をあげながら彼女の持っていた本を叩き落とした。しかも、その際に雷の魔法を使ったため、本に火がつき、慌てて消火したときには見るも無残に焼け焦げてしまったのだ。
「…そうか」
ジルは小さくつぶやいた。
気の毒だとは思うが、レビィの不注意も看過できない。
「まぁ、歩きながら本を読んじゃったわたしが悪いから、ラクサスが怒るのはしょうがないよ」
「だからって、やり過ぎだろ!?」
「しかも、本を燃やすだなんて!」
レビィは頑なにラクサスは悪くないと言い張り、ジェットとドロイは怒り心頭だ。
ジルとしては、誰が悪いのかについて論ずるなど時間の無駄でしかない。
「買い直せば済む話だ。そのくらいなら、私が出す」
ジルは財布を出した。
今までレビィから何十冊も本を借り、いらなくなったものをただで譲ってもらったこともある。
今までの借りを返そうした彼であったが、ドロイが気まずそうに言った。
「…10万ジュエル」
「…ん?」
「それ一冊、10万ジュエルなんだ。めちゃくちゃ高価なやつでよ」
ジルは無表情のまま、言葉を失った。
てっきり数千ジュエルかと思ったが、まさか二桁も上だったとは。
たかが、書物──とは言いたくはないが、ぼったくりではないのか?
「ぼったくりじゃないよ。すっごいレアものなんだから」
レビィは頬を膨らませた。
「
「レビィ。話を戻してくれ」
ジルは無表情に制した。このまま話させたら、夜どころか朝日を拝むことになる。
ジル個人としてレビィの興味深い話を最後まで付き合えるが、ジェットとドロイはすでに泡をふいている。
「またお金を貯めればいい話だから。他の誰かに買われちゃったとしても、それはそれでしょうがないし」
レビィは苦笑した。
幸い、首都クロッカスの本屋にも一冊だけ同じものが置いてあるらしい。
だが、10万ジュエル──決して買えない額ではないが、普段の生活費、家賃などを考えると、すぐに用意できるものではない。
S級魔導士ならまだしも、そうでないジルたち四人が出しあっても、金額に届かない。
「…くそ…本当にすまねぇ、レビィ…」
ジェットが悔しそうにつぶやいた。ドロイも同様である。レビィは困ったように、首を振った。
「だから、ふたりが謝ることじゃないって。何も悪いことしてないんだから」
「そうじゃねぇ…!」
ジェットは拳を強く握った。
「レビィの本が燃やされちまったってのに、おれ…ラクサスに何も言えなかった…!」
「あいつ強えし、正直おっかねぇから…!」
ラクサス・ドレアーは一昨年、試験に合格してS級魔導士の称号を得た、実力者だ。気性が荒く、黙っていても周囲を威圧している。
そんな相手にジェットもドロイも、好きな女のために勇気が出せなかった自分に腹が立っていた。
ふたりを見て、レビィは「あのさぁ…」と呆れたようにため息をついた。
「あんまり言いたくないけど、ふたりが向かったところでボコられて終わりだったよ? むしろ、賢明だよ。仲間同士で争って、わたしが‶嬉しいー、ありがとうー〟って言うとでも思った?」
「だ、だけど、男として筋を──」
「ばっかみたい。たかが本のことでケンカする必要なんかないって」
「でもよ──」
ジェットとドロイがなおも、あれこれ言おうとすると、レビィは手を叩いた。
「はい! もうこの話はおしまい! 切り替えて切り替えて! 今日のことは良い教訓になったから、お金を貯めにまた明日からも一緒に頑張ろ!…ごめんね、ジル。ジルにも見せてあげたかったけど、もう少し待っ…って、あれ? いない…」
いつの間にか、ジルがいなくなっていたことに気付き、レビィたちは周りを見渡したが、美少年の影も形もなかった。
◇
ジルがギルドの中へ入ると、最初に反応したのはミラジェーンだった。椅子から立ち上がると、真っ先に駆け寄る。
「おかえり、ジル! 帰ったんだな!」
「ラクサスは?」
少年は短く問う。
いつもの無表情、いつもの静かな声だったが、
「…え? ラクサス?」
「ああ。彼はここにいるか?」
「ん、ああ…二階に行ったけど」
ジルは黙って素通りし、階段へ向かった。
「あ、おい…!」
ミラジェーンを無視して、ジルは階段をのぼった。二階にあがると、金髪の青年がテーブルに足を乗っけて、酒をあおっていた。
ラクサス・ドレアー。彼とは一度だけ会話したことがある。
初めましてと挨拶したのだが、当たり前のように無視され──ジルはまったく気にしていないが──、以後口を利いていない。
ジルはラクサスに歩み寄り、二度目の会話を試みる。
「ラクサス。少しお話が──」
「失せろ」
返ってきたのは単純にして、明確な拒絶。
「ここ、
「そうでしたか。申し訳ありません。ですが、ことは急を要します。聞いていただけないでしょうか?」
「なんだよ」
「つい先ほど、街を歩いていたレビィとぶつかり、その際にあなたが彼女の本を燃やしたと聞いたのですが──」
「知らねぇな。そんなこと」
「…では、ジェットたちがうそをついていると?」
「だから知らねぇって。てか、レビィとかジェットとか誰だよ」
「…あなたが燃やしてしまった本、10万ジュエルだったそうです。少ない収入で貯蓄して、ようやく買えたものなんです」
ジルが無表情にそう言うと、ラクサスが声を大にして笑った。
「あんなもんが10万!? カネの無駄遣いとか思えねぇな!」
「ものの価値について論ずるなど、時間の浪費でしかありません。少なくともあなたには弁償する義務がある」
威圧感を放つS級魔導士に対して、ジルはまったく怖れることなく言い放った。だが、ラクサスは反省の色を一切見せず、それどころか臆面もなく言い返す。
「弁償も何も、そもそも本読みながら道歩いているバカが悪いんだろうが」
「ええ。その通りです。ですが、故意だろうと事故だろうと、あなたが他人の財産を損害させてしまったことに変わりありません」
ジルの言葉は非難しているというより、ただ淡々と事実を突きつけたものだった。
レビィの過失、ラクサスの言い分も肯定したうえで、弁償を要求した。
反省や謝罪など求めていない。そんなものは何の足しにもならないからだ。
ラクサスは酒をあおってから、一言。
「土下座」
「はい?」
「土下座しろ。頼むときの基本だろうが。そうしたら考えてやらんでもない」
「わかりました」
ジルは即答し、何の躊躇いもなく跪いた。
両膝をつき、両手をつき、深々と頭を下げる。
恥を捨てた美少年の姿を見て、ラクサスは腹を抱えて笑った。
「ははははははっ!! 本当にやりやがったよ!!」
ラクサスはひとしきり笑ったあと、ジョッキを手に取り、ジルの頭に酒を浴びた。
「失せろ。女たらし。三度目は言わねぇ」
──あのバカ!! 何やってんだよ!!?
階段から様子を見ていたミラジェーンは額に青筋を浮かばせた。
いったい何がどうなってこんなことになっているのかわからない。だが、少なくともジルが土下座することはないし、ラクサスの言動は明らかに倫理性に欠けていた。
二階にあがって、間に入ろうとしたミラジェーンだったが、ジルを見て足が止まった。
土下座したまま、ジルの生気のない瞳が、じっとミラジェーンの顔を見すえていた。
言葉を発していない。だが、わかる。‶首を突っ込むな〟と訴えている。
ミラジェーンが動かないことを確認すると、ジルは両手をついたまま顔をあげた。
「では、どうしたら弁償してくれますか?」
「その目やめろ」
「…はい?」
言葉の意味を理解できずに聞き返すと、ラクサスは血走った目で睨みつけた。
「さっきから、その人を見下したような目やめろって言ってんだよ。殺すぞ」
「別にかまいません。殺されても死ねないので。それに、目つきに関しては
ふたりは沈黙した。
憤怒の瞳と、生気のない瞳が交錯し、数秒の時間が過ぎた。
ラクサスはため息をついた。先ほどの表情から一変、穏やかな顔で再び口を開く。
「そうか、そうか。わかったよ。
つぎの瞬間、ジルの身体が大きく吹き飛んだ。
ラクサスが椅子に腰掛けたまま、魔力を乗せた蹴りをジルの顔面に浴びせたのだ。
鼻血を撒き散らし、少年の身体が二階から宙に投げだされる。
「ジル!!!」
ミラジェーンは階段から飛び上がった。
美しい銀色の髪が大きく逆立ち、耳が長く尖る。唇に血の色のルージュが引かれ、肌が青白く変色する。爪が鋭利に伸び、両腕に爬虫類の鱗が形成される。
背中から生えた漆黒の翼をはためかせ、ミラジェーンは床に激突しそうになったジルを受けとめた。
ジルは気絶していた。身体全体に電気が走っており、ぴくぴくと痙攣している。
──どいつも、こいつも…!!!
ミラジェーンは歯ぎしりした。
記憶に蘇えるのは、傷だらけになった少年の裸体。
いったいジルが何をした? 理不尽にひとりの人間を傷付けて、何が楽しいというのだ?
「下 り て こ い、ラ ク サ ス」
美醜の女魔が二階を仰いだ。
文字通り、鬼の形相で口を開く。
「てめぇは全殺しだ」
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