悪ノ華【妖精の必要悪】   作:ギュスターヴ

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第十九話:魔人

「〝何で来ない?〟ですって? はっ、おかしなことを聞くのね。そんなの…私を見捨てたからに決まっているじゃない」

「なに?」

 

 さも当たり前のように言い放ったミラジェーンは手の甲で鼻血を拭った。

 

「あなたたちはどうせ、私をいたぶればジルが必ず助けに来ると思ったんでしょうけど、とんだ過小評価だわ。甘いわよ(・・・・)。彼はそんな人じゃない。あなたたちのそんな短絡的な考えを、あの人が予測していないとでも思って?」

 

 フリードは不気味に思った。

 自分の愛する男に見捨てられたんだぞ。それなのに、何故笑顔を浮かべることができる?

 そんなフリードの心情を察したのか、ミラジェーンは冷笑しながら理由を口にした。

 

「私はね…身体の先から魂の底に至るまで、あの人に捧げたのよ。だから私への仕打ちなんて、いくらでも受け入れられる。彼が心から(・・・)私の死を望んだのなら、私は喜んで死ぬことだってできる。これが、あの人に対する私からの〝愛〟よ」

 

 この女も狂っている──フリードはそう断じられずにはいられなかった。

 そんなもの(・・・・・)を〝愛〟などと呼んでたまるものか。そんなものは神への狂信、悪魔への崇拝と同義ではないか。

 思えば、ジルという男を愛するなどそもそも正気の沙汰じゃない。そうでなければ、あの男の全てを受け入れられるはずもない。

 

──ジル・アイリス…! 貴様は…貴様という奴は…!

 

 このとき、フリードの胸中に渦巻いたのは、途轍もないほどの劣等感であった。

 

──おれが、ラクサスの命令で…! 一同胞を嬲っているだけでもこんなにも心を痛めているというのに…! 貴様はミラジェーンを見捨てておきながら、何ひとつ心を痛めてないとでも言うのか…!?

 

「彼が私を見捨てた時点であなたたちの負けよ。今すぐに手を引きなさい」

 

 これではまるで自分の忠誠心が、目の前にいる悪魔共の歪んだ関係に劣っているようではないか。

 冗談ではない。そんなことはあってはならない。

 

「彼は徹底的にやるわよ(・・・・・・・・)。あの人がラクサスに何をするか、私だって予想つかない」

 

 命をも捨てる覚悟があるのはこちらとて同じことだ。主人に捧げた忠誠は究極にして完全。悪魔であろうと、神であろうと、誰人にも敗北しない。

 それを今から証明してやる!!

 

「フリード。あなたこそ、ラクサスを見捨てる気? 彼が半殺しにされた姿を見たくなければ──」

「黙れぇッ!!!」

 

 フリードは絶叫し、レイピアを振るった。

 

「闇の文字(エクリテュール)──‶心の傷(トラウマ)〟!!」

 

 彼の描いた文字魔法が、ミラジェーンの額に刻みこまれた。

 

 

 ミラジェーンが目を開けると、まったく違う場所に立っていた。

 どこかの山岳地帯の集落のようだ。だが、一軒だけ、燃えさかっている家屋がある。

 

 見覚えは──ある。恋人が狂った、あの日(・・・)である。

 

『──まったく、酷い様ね。あなた』

 

 頭上から女の声が聞こえた。ミラジェーンは仰ぎ見ると、美醜の魔がそこにいた。

 青白い肌に、唇に血の色のルージュ。背中からコウモリの翼を広げ、少女を見下ろしている。

 ミラジェーン・ストラウスの力の源──サタンソウル。かつて、接収(テイクオーバー)で撃退し、以来自身の(うち)に封じこめている悪魔だ。

 

 ミラジェーンが口を開く。

 

何なのこれ(・・・・・)? あなたが見せてるの? それとも、フリードの魔法?」

『さぁ? そんなことどうでもいいじゃない』

 

 女魔は興味なさそうな顔をしていた。

 

『‶魔人〟とも言われたあなたが手酷くやられたものね。その気になれば、ギルダーツやラクサスよりもずっと強いのに』

「…買いかぶりよ。私は一度ラクサスに負けてるし、ギルダーツを越えただなんて思ってない」

『いいえ。あなたはやる気がないだけ。わざと手を抜いている』

「そんなこと…」

 

 ミラジェーンはさらに反論しようとしたが、悪魔は無視して続ける。

 

『あなたはジルを守るために力をつけた。だけど、あるとき思った。強くなったからといって、あの人に愛してもらえるんだろうかと』

 

 ミラジェーンは口を噤んだ。

 

『あなたは周りに嫉妬していた。特にレビィや、リサーナ。男が守ってあげたくなるような、か弱くて愛らしい存在。あなたも、それを認めているからこそ、無視できずに妬んでいた。だけど、あの子たちは優しいわよね? あなたに気を使って、身を引いた。それが余計に腹立たしかった』

 

 無表情に紡がれる悪魔の言葉が、ミラジェーンの記憶と心をえぐる。

 

『その結果が、今のあなたよ。妖精の看板娘? とんだお笑い種だわ。好きな男に媚び、か弱い女を演じた、ただの虚構の存在』

「…私はそれでよかった。あの人の支えになれれば、理解者になれれば──」

『あなた、女神にでもなったつもりなのかしら?』

 

 悪魔は呆れたように、憐れむように言った。

 

『あなたはジルの理解者じゃない。彼の事情(・・)を多少知っているだけ。それに、あなたも気付いているはずよ。あの人は、死者と人の悪意にしか目がいかない。醜くて、残酷な世界を信じてやまない。だからいくらそばにいても、いくら肌を重ねても、一時的な幸福を感じてはいつも不安を拭いきれない』

 

 悪魔は、まるで自分のことのように大きくため息をついた。

 

『どうするかは、あなたの自由よ。せいぜい自分を殺して、足掻くことね。だけど、今はまずいわ(・・・・・・)。フリード、本気で殺す気よ?』

 

 悪魔はミラジェーンに最後の言葉を贈る。

 

『それでもなお、悲劇のヒロインを演じ続けるつもり? 今度は弟を見殺しにする? かつて、リサーナにそうしたように』

 

 その瞬間、ミラジェーン・ストラウスの深層世界に亀裂が走り、砕け散った。マグマが、暴風が、吹雪が辺り一帯を吹き飛ばし、飲みこみ、粉々に破壊した。

 

 

「どうした、出てこないのか!? ジル・アイリス!!」

 

 フリードが叫んだ。

 額に文字魔法を書き込まれたミラジェーンが立ったまま、白目を向いて気絶している。

 

「今からミラジェーンの指を一本、一本切り落として、お前に見せつけてもいい! だが、そんな時間はない! 闇の文字(エクリテュール)──‶死滅〟を使ってやる!」

 

 返ってくるのは、風の音のみ。

 だが、ジルはどこかで見聞きしているはず。フリードは続ける。

 

「はったりだと思うか!? まずはエルフマンに使う、そのあとにミラジェーンだ! お前の大切な人間が文字通り、死滅する様を──」

「フリード」

 

 女の低い声が、フリードの耳朶を打った。

 彼は前を見た。いつの間にか、ミラジェーンが目を覚ましていた。

 

──こいつ…ミラジェーン、か…!?

 

 一瞬、目の前にいる女が、ミラジェーン・ストラウスかどうか疑ってしまった。

 清楚で、可憐で、理想的な女性像を体現させたような女はどこにもいなかった。

 

「先に断言しておく。私が接収(テイクオーバー)するより、お前の術式のほうが速い」

 

 看板娘の口調が、がらりと変わっていた。

 

「だけど、それ以上に私の踏み込みのほうが速い」

 

 口調だけではない。目つきも、表情も、佇まいも、覇気も、魔力も──姿は同じでも、何もかもが別人だった。

 だが、フリードは知っている。これ(・・)が、ミラジェーン・ストラウスの本来の姿だ。

 

「もう一度言う、手を引け。それが嫌ならかかってこい。お前が…‶魔人(わたし)〟に勝てる自信があるならな」

「………」

 

 ‶魔人〟と‶暗黒〟は睨み合った。

 言葉を発さず、ただただ無音の時間が過ぎていった。

 だが、それも長くは続かなかった。

 

 先に動いたのはフリードだった。

 右手に持ったレイピアで刺突する──(ブラフ)だ。これで、あの‶魔人〟を仕留められるとは思っていない。

 本命は左手。指先で文字を──描く前に、銀色の風が疾走した。

 強く地面を蹴ったミラジェーンが刺突をすり抜け、フリードに肉薄したのだ。あっという間に、左手を掴まれた。ミシミシと骨が悲鳴をあげる。女の怪力じゃない!

 

 痛みをこらえ、フリードはレイピアを縦一閃に振り下ろした。だが、ミラジェーンの裏拳が細刃を叩き折った。拳を保護するための魔力の膜が張っている。

 フリードはすかさず、ミラジェーンの腹に膝を打ちこんだ。だが、手応えがない。女の足裏に止められた。

 動かない──フリードは戦慄した。片足立ちで立っている女の重心が、まったく動かない。それどころか、逆に押し返された。

 フリードの体勢が崩れると、ミラジェーンは右足を後ろへ下げ、脇を締めた。

 フリードは折れたままのレイピアを再度突きだす。だが、ミラジェーンの拳速のほうが速かった。

 左の握り拳がフリードの脇腹に打ちこまれた。

 

「があッ…!!!」

 

 ‶暗黒のフリード〟は悶絶した。凄まじいほどに重たい一撃。左手を掴まれていなければ、吹き飛んでいただろう。

 いったい、細身の身体のどこにそんな力がある? いや、膂力だけではない。無駄な動きが一切ない。

 そして、恐ろしいことに、妖精の看板娘は未だ接収(テイクオーバー)していないのだ。

 いち魔導士の戦い方じゃない!

 

──こ、この女、格闘戦だけならラクサスより──

 

 そのまま流れるような動きで足払いされた。フリードが地面に転倒すると、ミラジェーンの左足が右手を踏みつけた。

 両手の自由を奪われた!

 

──だったら、舌で──

 

「やらせるわけがねぇだろ」

 

 舌を伸ばしたフリードの口に、太い触手が突っ込まれた。その触手はミラジェーンの腰から伸びている。

 尻尾だけを接収(テイクオーバー)させたのだ。

 

「フリード、あなたには感謝の言葉しかないわ。本当よ」

 

 ミラジェーンは低い声で、穏やかに言葉を紡いだ。

 

「久しく忘れていたわ。〝痛み〟〝苦しみ〟〝恐怖〟──皆、これを全て味わっていたのね。それなのに私ときたら無力だと思いながら泣いていたなんて…情けなくって、殴りたくなるわ」

 

 〝魔人〟は左手を掲げた。掌いっぱいに不吉の輝きが集束される。

 

「フリード。お互い、好きな人のために骨身を削るのは大変よね。あなたの気持ちはよくわかるわ。でも、残念。あなたが次に目を覚ましたとき、全てに決着が着いているわ。…来年の収穫祭は皆で楽しみましょう?」

 

 フリードは悟った。

 罠にかけたつもりが、逆に狐に化かされたのだと。

 そして、自分の〝悪〟など、ジルのそれに遠く及ばないのだと。

 

 魔の閃光がフリードの視界を埋め尽くした。

 

 

 フリードがミラジェーンに敗北した報はジルにも直接伝えられた。場所は、フェアリーヒルズと呼ばれる女子寮──エルザ・スカーレットの部屋である。

 犬猿の仲である女の部屋に不法侵入した彼はここに身を潜めていたのだ。物を置く場所に困ったからと言ってエルザが極端に部屋を大きくしているため、隠れる場所はいくらでもある。

 

──〝刻印〟を使うまでもなかったな。

 

 ジルは錠剤を水で流しこんだ。

 

 ミラジェーン・ストラウスの身体には付加術(エンチャント)の刻印をいくつか仕込んでいる。

 身体能力向上や、魔力の増強などの効果を持つそれらは条件次第でいつでも発動できる。

 それは果たして、ミラジェーンの身を案じてのものか、それとも彼女に外敵を排除させるための事務的な処置なのかは定かではない。

 どちらにせよ、ジルがミラジェーンを見捨てたことに変わりはない。

 彼は決して囚われの姫君を助けだすような、勇敢な白馬の貴公子などではない。彼もまた人の形をした〝魔人〟なのだ。

 

──さて、フリードが脱落したからようやく自由に動けるな。

 

 暴君役のラクサスには十分踊ってもらった。後は速やかに退場してもらうのみ。

 

 ジルは煙草をくわえ、荷物をまとめ始めた。

一番面白いのは?

  • 幽鬼の支配者編
  • バトル・オブ・フェアリーテイル編
  • 過去編①x780年
  • 過去編②x782年 喪に服す
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