「ミラ。わたし、ジルのこと諦めることにしたから」
場所は、行きつけのカフェテラス。ミラジェーンがいつものように好物のカフェラテを飲みながら、親友のカナ・アルベローナと雑談していると、突然彼女からそんなことを告げられた。
「…は?」
唐突ということもあり、ミラジェーンは間の抜けた声をあげた。
いきなり何を言いだすんだ、この女は? そう思いつつも、カナの言葉を心の中で何度も反芻してから、ようやく返答を搾りだした。
「…何でそれをわたしに報告すんだよ?」
「だって、ミラ。ジルのこと好きなんでしょ?」
「す、好きじゃねーよ!! あんな奴!!」
条件反射で大声を出してしまったミラジェーンはふと我に返った。周りにいる他の客人に注目され、恥ずかしげに顔を伏せた。
カナが意地の悪い笑顔を浮かべた。
「またまた〜、大好きなくせに〜」
「うっせ…! そんなことより、何で諦めんの? ジルのこと狙ってたんでしょ?」
そんなことよりを強調してから、ミラジェーンは友人に理由を尋ねた。
カナがジルに恋愛感情を抱いていたことはミラジェーンだけでなく、他のギルドメンバーも知っていた。
彼女のほうから積極的にジルにアプローチしている姿を何度も目にしている。
「それがさぁ…わたしとジルの恋愛運をタロットでず〜〜〜っと占ってるんだけど、良いカードが出てこないんだよね。悪魔とか、逆位置の星とかさ」
テーブルに並べたカードをめくり、カナが渋い顔をした。
「ありえなくない? 一回もないんだよ? ゼロだよ、ゼロ。絶対何かあるって」
「それで諦めるか、普通?」
ミラジェーンは釈然としない。
彼女自身もどちらかと言うと、占いは信じるほうだ。特にカナのタロットは的中率が高い。
だが、占いだけで、男を諦める理由になるかどうかは別の話だ。
「ジルと何回かデートに行ったんでしょ? リサーナが言ってた」
「え」
ミラジェーンがそう指摘すると、今まで余裕ぶっていたカナが明らかに狼狽しはじめた。
「あ、いや…ち、違うんだ、ミラ…」
「何で浮気バレたみたいにリアクションになってんだ?」
「誤解しないでね、ミラ? 何もしてない、何もしてないから。まぁ、あわよくば一回ぐらいは良いかなぁーって一瞬思ったけど、手しか繋いでないから」
「聞いてねーんだよ」
淡々と返すミラジェーンだったが、内心では〝付き合ってもいないのに何手繋いでんだ〟と少しだけ憤った。友人のその積極的なところが羨ましく思う。
「まぁ、本音を言うとさ…」
カナの表情に影が差した。
「たまーに、ジルがふとした瞬間にすっごく怖い顔するんだよ…。あ、いや、表情はいつも通り無表情なんだけど。こう、自分の気持ちを必死になって押さえこんでるような、そんな顔」
「………」
「あー、わたしには無理だって思っちゃったわけ。闇深そうじゃん? あんな身体見ちゃ、さ」
無数の傷と、骨ばった裸体が脳裏によみがえる。
「まぁ、わたしも顔だけ好きだったってことだよ。ジルにも、ミラにも申し訳ないなって思ってね」
「…わたしは関係ねーだろ」
「あとさ。これ、誰にも言わないでほしんだけどね?」
そう前置きしてから、カナは衝撃的な一言告げた。
「ギルダーツ。わたしのお父さんなんだ」
「………」
ミラジェーンは無言のまま固まった。
たったひとつの情報を頭の中で処理するのに数十秒も経過した。
「…………今、なんて言った?」
「だから、わたしのお父さん、ギルダーツなんだよ」
「…マジ?」
「マジ」
「…証拠は?」
「そんなに信じられない?」
「当たり前だろ。共通点といったら、性欲に正直なところだけじゃん」
「わかる! って、ぅおいッ!!」
カナがテーブルを叩くと、死神のカードが舞い上がった。
「ギルダーツには?」
「まだ言ってない」
「いいの? ギルダーツ、100年クエスト行っちゃったよ?」
つい数日前、ギルダーツは100年間誰も達成していない超高難易度のクエストを挑戦しに、ギルドを出たばかりだ──本来であれば去年行く予定だったが、ジルとミラジェーンのために一年先延ばしにしていた──。
次に帰ってくるのは何年後になることか。生きて帰ってくる保障もない。
「余計言えないって。これから大変なクエストするってのに、〝わたしギルダーツの子どもなんだよ〟って言われたら仕事どころじゃないよ」
カナは苦笑した。
「ギルダーツは手足が千切れても戻ってくるって言ってくれたからね。すぐには帰ってこないだろうし、その間にS級魔導士に昇格して、胸を張ってあんたの子どもだって伝えるよ」
「ついでに16年分のお小遣いせびってやんな」
「うん、そのつもり」
ふたりは笑い合った。
「でさ。話を戻すけど、ジルとギルダーツを見ててね。何か親子みたいだなぁ~って思って。それでジルのこと、お兄ちゃんか弟みたいな感じに思えてきて、ひとりの男として見れなくなっちゃった」
「…そんなもんか?」
「そんなもんだよ。早めの段階でギルダーツに娘だって告げて、先にちゃんと親子関係になっていたら、多分変わってたかもしんないけどね」
カナは少しだけ、寂しく笑った。
「あとね。ミラにもうひとつ朗報。エルザも、ジルから距離置くみたい」
何が朗報だとミラジェーンは思ったが、言われてみればここ最近エルザとジルが会話している姿を見ていない。それ以前は、ジルの洋服選びに一緒に出かけていたらしいが…。
「性格──というか、考え方が合わないみたいでね。そういうのって、どっちが悪いって話じゃないじゃん? 〝わたし…ジルのこと嫌いになりたくない〟ってエルザ泣いちゃってさ。時間が解決してくれればいいんだけど…あ、これ、一応ジルには言わないでね?」
「…そう、なんだ」
いつも強気な彼女が泣きだすなど余程なことだ。
エルザとはいつも揉めてて、変にライバル意識を持っていたが、ジルのことで泣くほど思い悩んでいたとなると複雑な気持ちだ。
「で、こっからが面白いんだけどさぁ。泣くぐらいだったらまだ好きってことじゃん? だからわたし〝ジルのどこが好きなのー?〟って聞いたら、泣きながら〝ぐすっ…顔…〟って言っててさ。さすがに鼻水出ちゃったよ。笑うの我慢したわたしのこと褒めてくんない?」
「やめなって。本人は真剣に悩んでんだから」
咎めたミラジェーンだったが、彼女も笑いそうになった。
エルザもエルザだ。ジルの顔だからしょうがないかもしれないが、清々しいくらいの面食いだ。
そんなエルザのエピソードを笑い話として聞いていたミラジェーンだったが、途端に不安めいたものがよぎった。
──皆の心が…どんどんジルから離れていってる…?
親や故郷の人間から迫害を受けたことで、ジルは他人に対して冷めた目で見ていた。
そんな彼が、仲間たちと過ごすうちに、徐々に打ち解けていった──〝
だが、それと同時にカナが、エルザが、好きだった男から離れていく。思えば、リサーナやレビィも、彼に話しかける頻度が減っているようにも見える。
〝力には代償、魂には業があるらしい〟──妖精最強の男はそう語っていた。
ミラジェーンの心がざわついた。居ても立ってもいられず、彼女は席を立った。
「あっ、ちょ、ミ、ミラ!?」
カナが驚いた声をあげたが、ミラジェーンには聞こえていなかった。
彼女はそのまま逸るような気持ちで、ギルドに向かって走っていった。
遠くなっていく親友の背中を見ながら、カナはやれやれと苦笑した。
「ライバルが激減した途端にやる気出してんじゃないっての」
意外と奥手なミラジェーンに呆れつつ、カナはカードをめくった。
本人たちには内緒で、ジルたちの恋愛運を占っていた。
所詮は占いだが、せめて一回ぐらいは幸運のカードが来てほしいものだが、
「うへっ…」
カードを見て、カナは思わず絶句した。
彼女が引いたのは、正位置の塔だった。
◇
ミラジェーンがギルドの中へ入ると、大きな人だかりができていた。ひとつのテーブルを囲って、少年たちが歓声をあげて盛りあがっている。
ジルはいるだろうか? ミラジェーンは人だかりの中へ入っていった。
「いっけー、マカオ! ジルを負かしてやれ!」
「わかってる! ちょっと待ってろ、もうちょいで良い役揃うんだからよ」
ジルを見つけた。
相も変わらず、肩まで伸ばした黒髪と、パーカーのフードで自らの美貌を覆い隠している。
どうやらトランプで一対一で遊んでいるようだ。相手は妖精の古株──マカオだ。
何のゲームをしているんだろうか?
「あ、ミラ姉! ジル兄、すごいんだよ!」
ミラジェーンの存在に最初に気付いたのは妹のリサーナだった。
いつの頃からか、リサーナはジルのことを〝ジル兄〟と呼んでいる。ジルを兄のように慕っているということなのか。
それとも…
「さっきね、テレパシー使ったウォーレンとチェスで何回か対決してたんだけど、全部ジル兄が勝ったの!」
瞳を輝かせ、まるで自分のことのように熱く語るリサーナ。その可愛らしいところが、ミラジェーンにはとても愛おしく、羨ましかった。
「ジル兄が言うにはね、思考を読んでもチェス自体上手くないなら意味ないって!」
「言うなって、リサーナ!」
テレパシー使っても、一度も勝つことができなかったウォーレンが顔を真っ赤にさせた。
そんな中、ミラジェーンはひとり安堵していた。
ジルはいつも通り、皆と楽しく遊んでいるではないか。
どうやら自分の不安は杞憂だったようだ。
「…で? 何でジルばっかり戦ってんの?」
「ナツが言うにはね。〝最近調子に乗ってるジルと皆で十番勝負して、十連敗させてやろうぜキャンペーン〟やってるんだって」
「キャンペーンってなんだ。チェス買ったんなら、終わりだよそのキャンペーン」
こうしているうちに、ゲームが進行していく。どうやらポーカーをやっているらしい。手札を交換し、マカオが勝利を確信したところで、両者は対決した。
「よし! これなら勝てる! おら、フルハウスだ!!」
「クイーンのフォーカード」
「何でお前、トランプまで女にモテてんだ!? ふざけんなッ!!」
美少年好きの女王四人を見下ろして、マカオは悪態をついた。
完敗である。
「くっそ~。やっぱりジルはトランプとか、ボードゲーム強ぇなぁ」
悔しそうに言ったのは、ナツ・ドラグニルである。何かの勝負でジルを負かしたいらしい。
チェスとポーカーを完勝したジルは特に勝ち誇るわけでもなく、淡々と告げた。
「身体を動かすこと以外ならそれなりにできる」
「じゃあ、腕相撲だな」
「ひとの話を聞いていたか?」
ジルは運動神経があまり良くないらしい。競走や、ボール遊びで何度も無様な姿を見せている。
一切鍛えていない彼の細腕でまともな勝負などできるはずがない。
「せめて代理を立たせてくれ。勝つとわかってる勝負をしたところで何の面白みもないだろう?」
「それもそうだな」
「ありがとう。だが、秒で納得するな」
ジルを負かすことが目的のはずなのに、代理を立たせてよいものか? だが、結果が見えている勝負をしても、それはそれで勝った気がしないのは確かであった。
「じゃあ、代わり誰にする? ジルが決めていいぞ」
ジルはざっと周りと見渡した。すると、ミラジェーンと目が合った。
灰色の瞳に見つめられ、彼女の胸が切なく疼いた。だが、それと同時に、ひどく嫌な予感がした。
案の定、ジルはミラジェーンを指さした。
「代理、ミラジェーン」
「ぅおッ!? いつの間に出やがった!! ゴリラ女──」
突如、ナツが鼻血を噴き出した。そのまま床に倒れ、白目を向いたままぴくぴくと痙攣した。
グレイが引きつった声をあげた。
「ひ、人殺し!!」
「ちげーよ。ちょっと小突いただけで、ナツが勝手に死んだんだよ」
「てか、いつ殴ったんだよ! 全っっっ然見えなかったぞ! どんどん強くなってんじゃねーか!!」
「もう無理だよ! おれたち全員戦っても勝てないって!!」
「よし、わかった。腕相撲だろ? ひとりずつかかってこい。お前ら全員の腕を折るからな」
男たちは一斉に逃げ出した。
彼らが失礼なことを口にし、ミラジェーンが怒り、全員逃げる──もはや、
逃げていく男たちの中に、リサーナの姿もあった。彼女は姉のほうへちらりと振り返り、意味ありげにウインクした。
ジルが席に着いたまま、動かない。そこで、ふたりっきりになったことに気付いたミラジェーンは顔を赤らめながら妹を睨んだ。
リサーナは悪戯っぽく舌を出し、男たちと一緒にギルドから出て行った。そんなところも可愛らしいと思いつつ、ミラジェーンはため息をついて席に着いた。
「ったく…。一応、わたしも女だっての。ほっんと、ここの男ってデリカシーないよな」
「いや、むしろ彼らは君のことが好きなんだ」
ジルはぽつりと返した。
それは仲間や友人としての意味なのだろうが、ミラジェーンとしては好きな男に好かれなくては意味がない。
「…ジルはさ。やっぱり女の子っぽい女が好き?」
唐突に、ミラジェーンは静かな口調で質問した。
ここ最近不安になっていた。
ジルを守るために、力をつけ、強くなろうとしている最中だ。だが、ときどき思うのだ。強くなったからといって、肝心の男に振り向いてもらえるのか?
むしろ、女として見れなくなっていくのではないのかと。
問われたジルは突然だったこともあり、無表情のまま返答に窮した。
「…よく、わからない。何をもって、女の子っぽいとするのか…」
「そんな難しく考えなくてもいいけど…。ジルが可愛いなって思えれば、それでいい。それだな…例えば…リサーナ、とか。リサーナは、可愛いって思う?」
ミラジェーンは自分で言ってて、胸の中がえぐられる感覚を覚えた。
一方、ジルはミラジェーンの質問を頭の中で何度も反芻させながらゆっくりと答えていく。
「…リサーナ。…うん、そうだな。可愛いとは思う、猫のようで」
「小動物扱いかよ」
冗談っぽく言いながらミラジェーンは顔を背けた。
「それに比べたら、わたしなんかゴリラに例えられるしさ。馬鹿力だし。口調もこんなんだし。女の子っぽくないよな」
「………」
ジルは黙って聞いている。
ミラジェーンは胸が締めつけられたような思いだった。わざわざ自虐して、好きな男に否定し、慰めてもらおうとしている。
「おまけに…」
迫害されていた過去の自分を思い出してしまう。
故郷の住民たちに追いだされ、異形の手を見て恐怖する人たちの顔が脳裏に浮かぶ。
「わたしの中には悪魔がいて…化け物だから…」
自分は、好きな男に愛されるのだろうか? 誰かのことを好きになってよいのだろうか?
我慢しきれずに、ついに少女の声が震えはじめたそのときだった。
「いや、そんなことはない」
少年ははっきりと否定した。
「…そんなことはない」
ジルの口調はとても静かなものだった。だが、有無も言わさぬ、強い意思が感じられた。
「むしろ…お前は、他の誰よりも…」
そこで、ジルの言葉が途切れた。
「………」
ミラジェーンは顔を背けたまま、黙ってつづきを待つ。だが、ジルは口を噤んだまま、何も語ろうとしなかった。
「…ジル?」
ミラジェーンは涙目になった自分の顔を見られることを承知で、ジルのほうへ振り返った。
美しい少年は、顔を伏せて黙りこんでいた。
いったいどうしたというのだ? 何を言いたかったのだろう?
だが、結局、ジルはそれ以上語ることはなかった。
「…そうだ、用事を思い出した。すぐに行かなくちゃいけない」
「え、ちょっ、ま、待ってよ、ジル!」
ミラジェーンが慌てて呼び止める。明らかに不自然な嘘だ。
だが、ジルは取り合わおうとしなかった。自分の顔を隠すように、フードをさらに目深に被る。
「…すまない」
心から申し訳なさそうに謝罪したジルは逃げるようにその場を立ち去っていった。
ひとり残されたミラジェーンは、閉じたドアを見ながらしばらく呆然とした。
「何がすまないだよ…。あのバカ…!」
理由も告げずに逃げていった男に激しい怒りを覚えた。
だが、それだけジルのことが好きだったんだ、とようやく自分の気持ちを理解することができた。
何とも言えぬ苛立ちをどこにぶつけたらいいかわからず、ミラジェーンはテーブルに顔を伏せた。
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