ギルドを出たジルは自分の行動を理解できないでいた。
いったい自分は何を言おうとした?
何故、ミラジェーンから逃げた?
彼女の気持ちに気付いていなかったわけではない。
自分にその気はなくとも、応えようと思えばできたはずだ。彼女の気が済むまで、
「あ、ジル君じゃん」
「今から仕事?」
ジルが思案にふけっていると、二人組の女が話しかけてきた。どちらとも派手な装いをしている。ヒルダとキリア──
「…ん、ああ。そうだ」
ジルは咄嗟に嘘をついた。
彼は、ふたりのことが苦手だった。彼女たちの口から出る言葉は、やたら他人への中傷だからだ。
ジルとて、その気持ちは理解できるが、毎日のように大声で言っていて、聞いてて心地のいいものではない。だが、そんな思いとは裏腹に、彼女たちはジルのことを好いている。
「あ、そういえばジル君って、ミラジェーンと仲良かったよね?」
「…仲が良いというほどでは」
それが何だというのだとジルは思ったが、とりあえず適当に受け答えしてさっさと退散しようと考えていると、相手は薄ら笑みを浮かべて話しはじめた。
「なんかね。この間あの子、男と一緒に宿屋に入っていくのを見ちゃったんだよね」
「────」
瞬間、ジルの心がざわついた。
今まで積み上げてきたものが、音を立てて崩れていくような感覚を覚えた。
そんなジルの心情に気付くことなく、ふたりはつづける。
「あの子、あんな感じだから相手に勘違いさせちゃうときがあるんだよ」
「ジル君も一応、気をつけたほうがいいよ? 他にもさぁ…」
「…すまん。行かなくちゃ…」
これ以上、聞いていられなかった。
ジルは身を翻し、逃げるように立ち去った。後ろから女たちが呼び止めようとする声が聞こえたが、無視してその場を後にする。
ジルは、激しく動揺する自分に戸惑いを覚えた。
何を心乱れることがある? 彼女たちの言葉に、何ら信ぴょう性はない。
それどころか、ミラジェーンがどこで何をしようが、自分には関係ないはずだ。
そこで再度、何故ミラジェーンから逃げだしたのかについての問いが突きつけられた。
それと同時に、彼女との約一年半の思い出がよみがえる。
美しい銀色の髪と、
首筋を切り裂いたときに抱きしめてくれた、甘い温もり。そのあと、生還したときに見せた、安堵の泣き顔。
可愛らしくも見える怒った顔。そして、時折り見せてくれる、笑った顔。
『なんかね。この間あの子、男と一緒に宿屋に入っていくのを見ちゃったんだよね』
「…ッ!!」
瞬間、近くにあったゴミ箱を蹴りつけた。ガコンッ! と、音を立て、アルミ製のゴミ箱がへこむ。
「こら! ダメでしょ、ジル君。そんなことしちゃ」
横から注意してくる声が聞こえた。
ジルが顔を向けると、花屋の中年女性が怒った顔をしていた。店主のアンジェラだ。
「…あ…アンジェラさん。…すみません」
ジルが素直に謝ると、アンジェラは小さくため息をついた。
「まぁ、ジル君も年頃だからね。色々嫌な思いはするんだろうけど、物に当たっちゃダメだよ?」
「…はい、すみませんでした」
「ん。よろしい」
花屋の店主は笑顔を見せ、作業に戻る。どうやら店前のゴミ拾いをしているようだ。煙草の吸殻や空き缶など、道端に捨てられたものだ。
「…私もやります」
ゴミ箱を蹴ったことを償うため、ジルも手伝おうとしたが、アンジェラで笑顔で手を振った。
「いいの、いいの。これもおばさんの仕事だから。…ジル君も、ポイ捨てなんかしちゃダメだよ? 特に煙草なんて、吸っても何の得にもならないんだから」
「むしろ、煙草好きじゃないんです」
それにしても、ここ最近、街道のゴミの投棄が増えているような気がする。理由を訊ねてみると、アンジェラはしかめっ面をした。
「ああ、アンドリュー君だよ」
「アンドリュー?」
聞かない名だ。
「見たことくらいはあるはずだよ。身体がおっきくて、赤毛の柄悪い人」
合点がいった。
最近、マグノリアの街に引っ越してきた男らしい。
「困った子だよ。夜中に騒ぎたてるし、注意しても聞かないし、皆迷惑してるよ」
「マスターに相談してみましょうか?」
「いいや、マカロフさんでも難しいみたいだよ? 何せ、アンドリュー君。誰かまでは知らないけど、評議員の息子らしいんだよ」
マカロフと評議院が仲悪いのは有名な話だ。
「噂じゃあ、自分のドラ息子を持て余したもんだから
「…アンジェラさんは何でも知ってるんですね」
「私も主人も顔が広いから、色んな話を聞くのさ。…ギルドの中でもごたごたがあるんだろ?」
「なにぶん、年々人数が多くなっていますから」
「にぎやかなのは良いんだけどね。でも、アンドリュー君ほどじゃないけど、癖のある子たちも入ったから。ヒルダちゃんとかキリアちゃん。あと、ジョアン君、ハリー君、それとジェフリー君」
どれもこれも、良い噂を聞かない問題児ばかりだ。それでも氷山の一角にすぎない。
「ニック君、
「そうなんですか? どうりで姿を見ないと思ったら…」
「大人しいけど、とっても良い子だったんだけどね。悪口言われたり、バカにされたりで居心地が悪くなったみたいでね。人のこと悪く言わない、とっても良い子なのに。そういう子ほど、思い悩むのかねぇ…」
まるで自分のことのように、アンジェラは重々しくため息をついた。
「マカロフさんも一応注意はしてるんだよ? でも、なんだかんだ、あの人も甘いところがあるから、問題児だからといって若いあの子たちを見限るようなことはできないのよ。自分の息子を破門させたばっかりに、ラクサス君と折り合いが悪くなっちゃったから余計にね…」
──
ジルの心が、再びざわつく。
──あんな…仲間を蔑ろにするような奴らに…。
心の中でどす黒いものが芽吹きはじめると、ジルは自嘲し、考えるのをやめた。
誰が何しようが、
「…ジル君?」
アンジェラが心配そうに顔を覗きこんできた。
「どうしたんだい? 笑って」
「…はい?」
笑っている? 何を笑うことがある?
不思議に思いながら、ジルは口元に手をやった。
唇の端が、何故か吊り上がっていた。
◇
──ミラジェーンに…改めて謝ろう…。
花屋の店主と別れたあと、ジルはしばらく街の中を歩いていた。
未だ考えがまとまっていないが、彼女に不快な気持ちにさせてしまった。怒られるとは思うが、とにかく謝罪を済ませよう。
ジルは
「──いや…! はなしてよ…!!」
女の声が聞こえてきた。これは、リサーナの声だ。
ジルは声がした方向へ顔を向けると、リサーナがひとりの男に腕を掴まれていた。
男は、大柄な身体つきをしていた。身長は2m近くもある。エルフマンよりも大きい。
そして、逆立った短髪の赤毛。先ほど話に出ていた男──アンドリューだ。
「なぁ、少しくらい良いだろ? 一緒に遊ぶだけじゃんか」
「リサーナちゃん、こいつに逆らわないほうがいいよ~?」
アンドリューの後ろには
周りの住民たちの何人かは、リサーナを不憫そうに見てはいたが、助けようとはしなかった。
当然だろう。アンドリューの体格を見ただけで怖気づく。加えて、魔導士が数名。向かっていったところで大怪我して、終わりである。
ジルは小さくため息をついた。
どこに行っても、ああいう輩はいるのだろうか? 創作の話だけにしたいものだ。
少年はリサーナたちに近付きながら、腰のホルスターから漆黒の本を取りだした。
今日の日付、曜日、時間などを確認してから、今のタイミングで使用可能な魔法を選択する。
「あ…ジ、ジル兄…」
リサーナがジルの存在に気が付いた。フードを被った少年の美貌を見て安心はしたが、それも一瞬。すぐに恐怖と悲しみで引きつった。
依然、ジルがラクサスに殺されかけた恐ろしい記憶がよみがえる。
「ジ、ジル兄、ダメだって…! わ、わたしのことはいいから──」
リサーナは逃げるよう言おうとしたが、ジルが魔導書を持っていないほうの手でリサーナの額に触れ、
「
その瞬間、リサーナの心の中で強烈な強迫観念が生まれた。
彼女はまるで催眠術にかかったかのように、細い腕でアンドリューの手を振り払った。そして、そのまま全速力で駆けだし、あっという間に姿が見えなくなった。
ジルがそれを見届けた瞬間、顔面を殴打された。
巨漢の丸太のような腕から繰りだされる、重たい一撃だった。歯が数本折れた。間髪入れず、次は腹を蹴られた。堪えられず、胃液をぶちまけてしまう。
「よ~し、邪魔したお仕置きだ」
アンドリューは少年の首根っこを掴み、そのまま路地裏へ移動した。
ジルは一切抵抗しなかった。殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、ただただサンドバッグのように暴力を受けつづけた。
アンドリューとつるむ妖精の
ただ黙って見ている者、興味なさげにとりあえずその場にとどまっている者、中には普段からジルに嫉妬していた者は喜んでリンチに参加した。
一旦殴るのをやめたアンドリューはくわえた煙草に火をつけた。
不快な悪臭が鼻腔に入りこむと、ジルは血反吐と一緒に咳きこんだ。
「あっれぇ~? お前、
アンドリューがジルの左手に注目した。手の甲に、点状の火傷の痕があった。いったい誰につけられた傷跡なのか、ジルにもわからなかった。
そして、
「おれも押してやるよ」
アンドリューは軽く言った。
まるで判子を押すような感覚で、同じ場所に煙草を押しつけた。
肌が、焼かれた。
「………ッ!!!!」
強烈な痛みとともに、ジルの脳裏で
手の甲に煙草を押しつけられたのが、人生で最初の記憶だった。
物心がつくと同時に、痛みを与えられた。
父親は喫煙者だった。アンドリューと同じ、赤毛の男だ。
「おいおいおいおい。もっと痛がってくれてもいいだろ?」
アンドリューがつまらなさそうに言った。
ジルの頭を掴み、近くの外壁に叩きつけた。
「あ。力入れすぎた」
後頭部が叩き割られた。
多量の血をぶちまけて、数回痙攣したのち、ジルは絶命した。
だが、すぐに蘇生される。〝エルの書〟に備わっている、667番目の魔法──〝ザ・モータル・キャンセラー〟が自動で発動した。
目の前で殺したはずの少年が生還すると、アンドリューは興奮した。
「うお!? すごくねぇか!? ほら、見ろ! 頭が治ってる! 頭だけ!」
「あー、何かこいつ死なないらしいぞ」
仲間のひとりが言った。
魔導士ではないアンドリューはまるで無邪気な子どものように「すっげぇな、魔法って!」と、昂ぶりを抑えられぬといった様子だ。
「じゃあ、首を斬っても復活するのか!?」
「い、いや、それはわからねぇけど…」
これにはさすがに男たちはたじろいだ。
だが、アンドリューは気にせず、ジルをうつ伏せにして押さえこんだ。
「ほら! ジョアン! お前の魔法でこいつの首、斬り落としてみろよ!」
「え…いや、待ってくれよ、アンドリュー…」
指名されたジョアンは、鋼の造形魔導士。高い魔力を持ち、S魔導士候補と言われるほどの実力者だ。
普段からジルのことを見下し、嫌悪しているとはいえ、気が引けた。首を斬り落としたら、さすがに復活しないのではないか?
ジョアンが躊躇していると、巨漢は下卑た笑みを浮かべた。
「おれの親父が評議員だって知ってるだろ? おれだって何回も釈放されたんだから、何かあっても守ってやるよ」
「いや…でも──」
「い い だ ろ ? な ?」
アンドリューは血走った目で見上げた。
有無を言わさぬ狂気じみた圧が、その目に込められていた。
魔導士たちは顔を青ざめた。相手は魔法を使えない一般人なのだが、アンドリューの体格と、腕力と、残虐性に恐怖した。
「わ、わかったよ」
ジョアンは魔法を行使した。
何もない空中から鋼の大刀を作りあげた。
ジルは押さえこまれたまま、これから自分を断頭する鈍い輝きをじっと見つめていた。
──いったい、おれは何を勘違いしていたんだ…?
仲間たちと過ごした、蒼き日々が走馬灯のように駆け巡る。
自分のために服を選んでくれたエルザの笑顔が。
街に帰ってくるたびに必ず遊びに誘ってくれるナツの笑顔が。
野良猫を見つけるたびに、毎回教えてくれるリサーナの笑顔が。
おすすめの本を紹介してくれるレビィの笑顔が。
グレイの、エルフマンの、カナの、ギルダーツの、マカロフの、皆の笑顔が。
そして、ミラジェーンの笑顔が。
すべて、霞のように薄れてゆく。
親に虐待され、故郷の住民たちに迫害された日々が色濃く思い起こされていくというのに。
──ヒトも、世界も、最初から見限っていたほうが…楽じゃないか。
刃が振り落とされた。
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