「さつまいもがある日突然話し出す……だなんてまるで思いもしなかったような顔をしているな」
目の前で仁王立ちする紫色のマテリアル――つまりさつまいものことだ――は、どちらに顔がついているのかわからせないまま、さらに、どこから声を出しているのかも何ら悟らせないままにぼくにそう語りかけた。
一瞬の静寂のあと、突然、くるりん、と優雅にさつまいもは縦に回転した。
「風光明媚。その言葉が似合うさまがこれだ。そうだろう?」
キザに笑うさつまいも。名前はまだ無い。そしてまた縦回転。右横回転、それも180度に。
その次は左横回転180度。迅速に。
正面を向いたさつまいもが言う。
「知りたかったんだろう。世界の真実を」
呆気にとられて顎を大きく伸ばしていると、さつまいもは何やら不思議なモノを見るかのようにこちらを覗き込んできた。
「品種なら紅はるか」
そういうことを聞いているんじゃない。ぼくは狂ったのか。
「狂ってはいない。しいていうなら日常の範囲から大きく逸脱してしまったのさ。シンギュラリティだ」
やはり狂ってしまったのではないだろうか、ぼくは。勉強のしすぎだ、ぼくは。いまの時代になぜ我々が四書五経など強制的に学ばないといけないのか、全然わからなかったが、もしその学びて時に習うことの結末がこんな馬鹿げた妄想空想奇天烈強烈幻覚前後不覚に陥らせるのならば、勉強なんてする必要はなかったのではないか、今となってはもう、そうとしか思えないのだ。
「人はみな異常なんだよ。殊に、自分が正常だと勘違いしている輩ほど異常なものさ」
わかった。これは白昼夢だ。
「そうやって辻褄を合わせたがるんだ。わかるかい。諸君らはそれを認知的不協和というラベリングで何やらわかった気になっている」
さつまいもが話すなんて全然現実的じゃない。
「逃げるな、食物繊維から!」
さつまいもは咆哮した。かつてない地響きが部屋中を襲う。ゆれ。そうか、ぼくは部屋に、それも自室にいたのか。自室に。
「逃げることは悪いことばかりではない。ただ、よく知りもしない未知から逃げることが本当に諸君らの人生の中に燦然と輝く、まあ輝いていないのかもしれないが、あるかもしれない崇高な目的、その崇高な目的を達成することに寄与するのか? 答えてみせよ!」
たしかにぼくは逃げてばかりだ。これまでも。そしてこれからも。
しかし人生の目的などない。
「目的がない。それもいいだろう。何よりこのさつまいもにもないのだ。なにせ名前がないのだから」
確かに名前のついたさつまいもなど聞いたことがない。
「マックジョブという言葉があるだろう。マクドナルドなどの仕事で働く人々のことを、下衆共が揶揄して笑う言葉だ。諸君らはそういう下品な言葉をたやすく作り出す。いったいなんのためだ」
咳払いをしてさつまいもはここで一息吸う。
「いいか。嘲笑は何も生み出さない。わからないことはないだろう。何年も生きてきた諸君らならわかるはずだ。光だ」
自室に突然、強光が照射された。どこからともなく光が差し込まれはじめた。まばゆいという次元ではなく、あえて表現するのなら、かなりまばゆいというのが適切だろうか。そのかなりまばゆい光が収束して、一つのさつまいもでない物体が目の前に立っていた。
「さつまいもだよ。おかわりのさ」
「おわかりのさつまいもだ」
いったい何が起こっているのか全然わからない……」と言いたげな顔をしているな」
「無理もない。私はアヤムラサキ。見たことも聞いたこともないから、いったい何が起こっているのか全然わからない……と言いたげな顔をしているのだろう。品種だよ」
「ドイツ語に男性名詞・中性名詞・女性名詞があることを不思議に思ったことはないかい。日本語にはそんなものはないのにな、などと思ったことはないだろうか」
「さつまいもはさ、女性なんだよ。品種を見よ」
光でまだ目の前がぼやけている中で2人のさつまいもはわけのわからぬ戯言をずっとぺちゃくちゃと話し続けていた。
わからない。
「何事も世の中はわからないことばかりだ」
でもぼくは本当に何もわからないんだ。
「わはは!!」
「誓え。正義を」
どういうことなんだろう。
「正義を誓え」
ぼくはわからない。
「いつもそばにいよう。この紅はるかが」
ぼくはさつまいもに正義を誓った。