そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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※本文での時間経過の描写に矛盾があったため、前話(第25話)の描写を一部変更しました。
本編現在の時間設定が「明美が死ぬまであと四年」から、「明美が死ぬまであと五年」に変わっています。
現在(第26話時点)では、シェリーと手を組んでから三ヶ月が経過したところです。

ややこしくなってしまい、申し訳ありません。
(時間の経過に関する描写が変わっているだけなので、前話を読み返す必要は全くありません)



第26話

 検査協力のため、そして検査協力を隠れ蓑にして行う密談のために秋が研究室へ足を踏み入れ、後手に扉を閉めると同時に、シェリーが第一声を発した。

 

 

「要求を飲むわ」

 

 これだけだと理解し難いと思ったのか、彼女は秋の返事を待たずに言葉を付け加える。

 

「あなたの要望通り、姉の生存が確定したタイミングであの方の奥の手を教える。その代わりに、絶対あの方をどうにかしなさいよ」

 

 シェリーの眉根はむっつりと顰められていた。

 さらに彼女は秋を出迎えるために椅子を扉側に回転させただけで、座ったまま足と腕を組んで喋っている。

 シェリーは全身で「不服である」と主張していた。

 

 

「姉を助けるという私の目的を達成するには、あの方の無力化とループ終了という二つの条件を満たさなければならない。どのみちアドニスにこの二つを達成してもらう必要があるんだから、あなたが乗り気になっているこの機会に乗じるわ。

そしてアドニスがこの周であの方との決戦を迎えるつもりでいる以上、情報を出し惜しみして良いことはない。アドニスが失敗するリスクが高まるだけであり、アドニスが失敗したらあの方を止める人がいなくなる。そうなったらループは永続的に続き、姉は以降の周で死に続ける。

あなたは要求を飲むかどうか私に選ばせるような口ぶりでいたけど、選ぶ余地はなかった。意地が悪いわね」

 

「ごめんごめん」

 

 秋は「シェリーに言われたくないな」と思ったが、思うだけにとどめて軽く謝っておいた。

 知識方面のバックアップを全面的に受けるために、シェリーとの協力関係を良好に保つ必要がある。気を悪くさせる発言は避けたい。

 

 

「でも、五年後にあの方の奥の手を知れるのが確定したのは助かる。絶対にあの方を無力化すると約束するよ」

 

「姉の死亡偽装を成功させて、計画通り公安警察に保護してもらえたら、その報酬としてあの方の奥の手を教えるのよ。確定したわけじゃないわ」

 

「そうかな。この私が前に立って計画を進めるんだから失敗のしようがないと思うけど」

 

 秋はいつもの調子で自信満々に言った。

 一方で、シェリーはこれまたいつも通りに半目になる。

 

「だから不安なのよ。姉を助けるための計画って、要するに入れ替わり作戦でしょ。姉が十億円強奪を成功させた後にジンに撃ち殺されるから、その前に姉に変装したアドニスと入れ替わっておいてアドニスが殺されたふりをして、『宮野明美は死んだ』と組織に誤認させる。その上で生き残った姉を秘密裏に公安警察に保護してもらうっていう」

 

「そうだね」

 

「私なりに改めて計画を振り返って思い出したんだけど、貴方の演技、売名目的でチョイ役として映画に出る若手タレントと同程度だったじゃない」

 

 一瞬、言われた意味が分からなかった。

 秋は記憶の糸をたぐり寄せ、ややあってシェリーがいつの話をしているのか理解する。

 

「……ああ、三ヶ月前にこの部屋を調べた時の」

 

 

 シェリーが言っているのは、この個室に盗聴器や隠しカメラが仕掛けられていないか確認する際に行った演技のことだ。

 検査協力を隠れ蓑にして密談を行うにあたって、この部屋があの方に監視されていないことを確定させる必要があった。

 

 結果として、監視ツールは一切仕掛けられていないと判明したためこうして密談が行えているわけだが、当時の様子を思い返すと、確かにシェリーが主張するように演技が疎かになった瞬間があった。

 自分でも棒読みだったことに気づいて冷や汗をかいたから印象に残っている。

 

 

 それにしても「売名目的でチョイ役として映画に出る若手タレントと同程度」とは双方に失礼な、なかなかの暴言だ。

 シェリーは年上を敬うという概念を知らない少女だし、仕方がないのかもしれない。

 いや、どうだろう。思い返せばこのような態度を取られているのは自分だけな気もする。

 

 どれだけ好意的に解釈しても「親しみを持たれている」としか言いようがない台詞だったが、秋はいつも浮かべている──と自分では思っている──余裕げな笑顔を保った。

 

 

「シェリーは二つ間違えている。一、芸能人並みの容姿だって褒めてくれるのは嬉しいけど、相手を褒める代わりに誰かを貶すのは良くない。二、私はそこらの芸能人よりよっぽど顔がいい。……何か言いたげな顔だね。『一』について話した舌の根が乾かぬうちに、自分と芸能人を比較する物言いをしているのが引っかかったとか? 私の顔の良さが異次元なだけであって他の人を貶す意味合いはないよ」

 

 シェリーはため息混じりに言った。

 

「どんな認知の歪みをしてるのかと思っただけよ」

 

「認知の歪みについてよく指摘されるんだよね、なぜか。やっぱりあれかな。私はちょっと人智を超えすぎた存在なわけだから、別の見方をすれば人智を超えすぎた存在と最も近い場所に常にいることになるわけで──」

 

「いつものそれは置いておいて」

 

 

 シェリーは無理やり秋の自画自賛を終わらせた。

 話題が話題なので、流石の秋も素直に口を閉ざしておく。

 

 

「姉に変装したアドニスは、ジンに撃ち殺されたふりをしなければならない。現場にいるのはジンとウォッカだったわね」

 

「うん」

 

「つまりアドニスは、二人を完璧に演技で欺かなければならない。現場に来たのは宮野明美に扮した別人ではないかと彼らが疑う余地を完全に潰し、宮野明美を殺したと思い込ませる必要がある。ウォッカはともかく、ジンを騙すにはかなりの演技力が要求されるはずよ」

 

「……それが?」

 

「盗聴器やカメラがこの部屋に仕掛けられていないかチェックした時のあなたの演技力を思い返すと、正直かなり不安があるわ。ちょっと棒読みだったし」

 

「……」

 

 秋は気まずさから目を逸らした。

 しばらく目を泳がせながら言葉を練って、再び視線をシェリーへと戻す。

 

 

「……棒読みだったのは認めるし、あの時と同じ演技力のまま宮野明美と成り代わるとしたら、計画を不安に思うのも分かるよ。そのうえで言い訳させてもらうと、あの日は準備不足だった」

 

 

 秋の演技は資料収集から始まる。

 度重なる現実逃避によって自分の感情に鈍くなってしまった秋は、自分の感情を引っ張り出してまるでそうであるかのように振る舞うオーソドックスな演技方法を取れないからだ。

 代わりに、必要になりそうな演技を大量にインプットすることでそれらしい動きや表情、喋り方を可能にしている。

 

 この下準備を終えておけば、あの日の演技も筒がなく済んだはずだった。

 普段の高すぎる自己評価を抜きにした客観的評価を下すとしても、下準備込みでの自分の演技力はそれなりのものだと自負している。

 プロすら欺く迫真の演技は無理でも、ジンを含む幹部連中を誤魔化せるクオリティーは保っているはずだ。

 そうでなければ、スコッチを生かしていると察したジンにとっくの昔に殺されている。

 

 

 ではなぜ監視カメラと盗聴器を探したあの日にも下準備を万全に終えておかなかったのかと言えば、したくてもできなかったのである。

 

 当然ながら、下準備をするにはどのような演技をするのかを事前に把握しておかなければならない。

 あの日の演技内容を例にすると、「虫らしき影を見たシェリーにスプレーを押し付けられて退治を任される」という概要を事前に把握しておく必要がある。

 この概要から、「虫らしき影を見たと言われた時の反応」「シェリーの頼みを聞き入れるまでの流れ」「虫探しのふりをしながら盗聴器や隠しカメラを探す」という仔細を割り出し、それぞれのシーンで必要になる演技を事前にインプットしたり、当日の流れをイメージしておくわけだ。

 

 しかし個室探索の時は、「虫らしき影を見たシェリーにスプレーを押し付けられて退治を任される」という概要を事前に知ることができなかった。

 個室探索の計画を立てた時、秋が何かいう前に「当日までに口実を考えておくから、話を振ったら適当に合わせて」とシェリーに言われてしまったからである。

 残念ながら、「演技に不安があるから事前に概要を把握できるとありがたい。できれば今口実を決めておきたい」と言い出す勇気が秋にはなかった。

 

 一つ、「まあこれくらい大丈夫だろう」という過信。

 二つ、事細かく演技内容を事前に決めておくと素人のシェリーがやりにくいのではないかと気を遣った結果。

 三つ、宮野明美との入れ替わり計画を語った直後に演技に不安があると打ち明けたら、協力関係が無に帰すのではないかという懸念。

 

 主にこの三つが理由で秋は口をつぐむしかなく、結果ちょっと棒読みになった。

 

 

 秋は回想を終えると、自分の情けない部分を伏せて「準備不足」の詳細をシェリーに説明した。

 締めくくりの代わりに、シェリーが結論をまとめてくれる。

 

 

「つまり、事前の情報収集さえ完璧に行えば、演技でジンを欺けるのね」

 

「そうだね、どんな演技が必要になるのか事前に把握して、演技中の振る舞いをシミュレーションしておけばジンくらい騙せる。演技が生業のベルモットはどうか分からないけど」

 

 

 実際、秋はジンを演技で騙すのに成功している。

 

 八周目──萩原と知り合って伊達航殺害回避だのなんだのやっていた周──では、毛利探偵事務所に向いた疑いの目を逸らすために萩原やバーボンと共謀して一芝居打っているのだが、ジンは完全に騙されていた。

 

 正直、ベルモットはどうか分からない。

 毛利探偵事務所を庇う言動をしていたし、演技だと気づきながら黙認していた線だってある。

 

 しかし明美死亡偽装当日に対峙するのはジンとウォッカだけだ。

 演技がベルモットに通じなかろうが関係ない。

 

 

「だからまあ、作戦決行日の演技を成功させるための資料収集が必要になるわけだ。こっちで勝手にやるけど、一応伝えとく」

 

 

 資料収集。つまり少しばかりプライバシーを侵害する。

 

 秋がその気になればシェリーに気取られずに宮野明美の調査をするなど造作もないが、万が一ということがある。

 万が一明美のプライバシー侵害がシェリーにバレた時、事前に話を通していなければ信頼関係が破綻するだろう。

 事前に伝えておくのが安牌だ。

 

 そう考えると、シェリーが自分からこの話題を出してくれたのは幸運だったかもしれない。

 自分から演技力の不安を指摘している以上、代案もなしに計画に意を唱えられないだろう。

 

 

「………………分かったわ」

 

 秋の予想通り、苦虫を噛み潰したような表情をしてではあったがシェリーは了承した。

 

 

 

 *

 

 

 

 宮野明美生存計画に関する話が終わったことで、話題は自然とループ関連の情報提供に移る。

 話題が切り替わったきっかけは、シェリーの言葉だった。

 彼女は測定の準備をテキパキと進めながら流暢に話す。

 

 

「さて、主要な情報は前回の検査協力であらかた教えてもらえたと思うから、質問を受け付けるわ」

 

 前回の検査協力で行ったのは、秋からシェリーへの情報提供だった。

 つい最近までループ現象の存在すら知らなかったシェリーが元々持っている情報など高が知れているから、彼女に秋が知ってる情報を教えて推察の材料を与えるところから始めるべきだと考えたためだ。

 それでループ発生・終了条件が判明したのだから、結果は上々だった。

 

「知りたい事柄を一つずつ質問してもらえたら、知っている範囲内での知識を元に組み立てた仮説を提供する。必要なら知りうる全ての情報を教えもする。仮説を組み立てるにあたってアドニスへのヒアリングが必要になるかもしれないけど、細々としたことはその都度教えてもらう。いいわね?」

 

「もちろん」

 

 要するにQ&A方式だ。分かりやすくていい。

 

 

「それじゃあ早速聞くけど、あの方がループを利用して進めてる研究の全貌って?」

 

 脳波測定用のヘッドギアから出ているリード線を脇にどけながら、秋は真っ先に尋ねた。

 

 組織の研究について自分が知っているのは、時間を遡行する性質を持つ物質にして、ループ者が以前の周の記憶を引き継げる原因である『タキオン』が関わっていることのみ。

 組織の研究内容がループ関連であることは疑いようがないが、何を研究していて何を目的としているのかは未だに知らない。

 組織の研究そのものについて尋ねるよりも優先するべき事柄が色々とあったせいで、なんだかんだ今まで知らずに来た。

 

 

 研究の目的を把握するのはあの方の行動原理を把握するのと同義だ。

 ここを押さえれば彼の行動が一気に読みやすくなる。

 秋は自然と前のめりになった。

 

 

「知っての通り、私たち研究者にはループ現象の存在すら知らされていなかった。あの方から与えられている情報は微々たるものよ。その上で、あの方から教えられている情報と、私たちが命じられている研究の内容と、ループ現象の実在を組み合わせて導き出した答えならあるわ」

 

 シェリーは前置きから始めた。

 

「まず、組織が力を入れている研究は二つに分けられる。薬学関連のエキスパートたちが集まるこのアレウス棟で行われる研究と、向かいのクロノス棟で行われているタキオンそのものを調べる研究」

 

 

 秋の頭に真っ先に浮かんだ感想は、分かりにくい名称だな、だった。

 アレウス棟やらクロノス棟は、どうせあの方の趣味だろう。

 組織内で使われる用語にカタカナがやけに多いのもポストが赤いのもあの方のせいだ。

 このような言い回しが好きな人物にとっては天職だろうが、秋はとことん馴染めない。

 

 分かりやすく「製薬棟」「タキオン棟」と呼ぶことに決めてからシェリーの言葉を咀嚼し、次に浮かんできた感想を口にする。

 

 

「だから棟が二つ並んでるんだ」

 

 

 続いて秋の頭に浮かんだのは、先ほどの呑気な感想とは対照的な光景だった。

 八周目の終盤に製薬棟の窓から見た、爆発したタキオン棟。

 

 秋は八周目──萩原と知り合った周の最後あたりで、公安への協力を余儀なくされた。

 その流れで、組織壊滅作戦のどさくさに紛れて製薬棟から研究データを盗み出す役目が課せられることとなる。

 一方で降谷の協力者に近い立ち位置だった萩原は、隣合ったタキオン棟に設置された爆弾を解体する作業を任されていた。

 

 しかし彼が爆弾を全て解体し終えた時に、タキオン棟で原因不明の爆発が起きる。

 棟同士が隣り合っていた関係で、秋は友人が木っ端微塵になる瞬間を窓から目撃する羽目になった。

 

 要するにあのとき秋がいたのがこの製薬棟、萩原がいたのがタキオン棟だ。

 

 

「にしても隣のタキオン棟。タキオンの研究をしてるって割に、タキオン保持者の私はほとんど入った経験がないんだけど」

 

「クロノス棟」

 

「……分かりやすい方が良くない?」

 

「アドニスがクロノス棟に足を運ばなくても、私との一対一で事足りるシステムになっているのよ」

 

 

 シェリーは折れてくれなかった。

 

 

「言わば私は窓口役ね。クロノス棟の研究で使うタキオンの入手や、簡単な検査の代行は私が担っているわ。例えば普段やらせてる唾液提供。提供してもらった体液に含まれているタキオンを抽出して、クロノス棟の研究者に届けるのも私の役目なの。この仕組みなら、アドニスが接する研究者は『シェリー』で固定される。製薬(アレウス)棟所属のヒラの研究員よりも、薬物のエキスパートで有名なシェリーの方が製薬の印象が強く、カモフラージュに適している」

 

「なるほど、目眩し目的か」

 

 

 シェリーが前に出ていれば、協力させられている研究は製薬関連だろうと秋は考える。

 ループ現象と結びつきにくい。

 

 

「だからアドニスがクロノス棟に足を踏み入れるのは、私の個室では扱いきれないような大掛かりな検査を受けるときか、窓口役の都合がつかない時だけよ。クロノス棟に入りたければ、姉殺害を知った私が脱走した後に、タキオンに関する重大な事実を露呈させることね」

 

「参考にさせてもらうよ。予定はないし、方法に心当たりもないけど」

 

 

 軽い脱線を経て、シェリーは本筋に戻った。

 

 

「そして、アレウス棟・クロノス棟で行われている研究と同じくらいあの方が執心しているのが、世界中の高名なプログラマーを集めて作らせようとしている機械よ。あの方の目的はこの三つを組み合わせて成せるものだと私は考えているわ」

 

 

 シェリーは一瞬考える素振りを見せ、言葉を飲み込む仕草をしてから言った。

 まるで本来言う予定だった言葉の代わりに別の言葉を用意したかのような仕草だった。

 

 

「クロノス棟で行われているタキオンそのものを解明する試みと、私が作らされている薬と、高名なプログラマーを集めて完成させようとしている機械。これらを合致させ、ループ現象という型にはめ込むと、あの方が為そうとしている物事が見えてくる。──彼の目標は、自在にループ現象を操ることよ」

 

「あー、ぽい」

 

 秋は胴体を背もたれに投げ出した。

 意外性がなくて面白みがない、おおむね予想通りの答えだ。

 悪の組織の親玉がループ能力を持っていたら、より使いこなそうと考えるのも分かる。

 

 ループ能力の研究のために組織を作ったのか、組織を作った後でループ能力が発現したのかは不明だが、自分とあの方の二人が揃って初めてループが起こる事実を踏まえると、秋が生まれる前に『トリガー』がいたでもない限り後者だろう。

 

 

 まあ、ここら辺は考えても仕方のないことだ。

 

 秋にとってループとは自分の感情を起因として引き起こされるとは言っても、人間には介入不可能な現象だった。「そう有るもの」として受け止めているだけで、真剣に考察する対象ではない。

 あの方の思考を理解するために彼の視点で考えることはあるが、仕組みを解明したいと自発的に思わないし、興味もない。

 

 

「反応が随分と軽いわね」

 

「我々は神でもあり悪魔でもあるだとか、その気になれば永遠の時を生きられる方法が云々って前々から聞いてるからね。確かにループ現象を自在に操るのは見方によっては神でもあり悪魔でもあるだろうし、ループ現象を自在に操れれば永遠の時を生きるのも可能だろうなって納得はあるけど、それだけかな」

 

 

 正直、心底どうでもいい。

 そう締めくくって、秋はシェリーの次の言葉を待った。

 

 あの方はどのようにしてループ現象を操るつもりなのか。

 どうしてシェリーはその結論に至ったのか。シェリーが作らされている薬と、プログラマーを集めて作ろうとしている機械とは何なのか。

 これらの説明が続くはずだ。

 

 しかし、秋の予想に反してシェリーは口を閉し続けた。

 話は終わりだと言わんばかりにコーヒーカップへ手を伸ばす。

 

 

(あれ?)

 

 

 思わず目を瞬いてしまう。

 あの方の目的が自在にループ現象を操ることだと見抜いた経緯の説明が半分もなされていない。

 続いて、先ほどのシェリーが一瞬考える素振りを見せた後に言葉を飲み込む仕草をしたのを思い出す。

 

 秋は確信した。

 意図的に一部の情報を伏せられた。

 

 しかし感情を表情に出すことはせずに、何も気づいていないふりをして直球で尋ねる。

 

 

「その結論に達した理由の半分も説明してもらっていない気がするんだけど。製薬棟でしている研究と機械の詳細は?」

 

「今は言えないわ。私が作らされている薬の効能が明らかになったら、あの方の奥の手が何なのか予想できてしまう。せっかくのジョーカーをみすみす手放せないもの」

 

「……」

 

 

 シェリーが言う『ジョーカー』とはあの方の奥の手のことだ。

 奥の手が何なのかは明美を無事に助けられた後教えると約束することで、秋が情報だけ手に入れて約束を反故にするのを防ぐ。

 だから最後まで隠し持っておく切り札(ジョーカー)、という理論らしい。

 言動は本人の自由だと明言した上での言及だが、秋は彼女の言い回しについていけないことがある。

 

 

 シェリーによると、あの方は奥の手を隠し持っているらしい。

 そして秋は、シェリーの主張は正しいと考えている。

 あの方の行動を振り返ると、やけに詰めが甘い印象を受けるからだ。

 俗な言葉で言うと舐めプ状態である。

 

 あの方は、とんでもなく頭が切れてついでに顔が国宝級に良く、何よりループの存在を知っているからこそ唯一の脅威になり得る秋を放置している。

 いくら前半は自称でしかなく、あの方視点では「どれだけ繰り返しても目と鼻の先にある真実に気づかない、恐るるに足らない存在」だとしても、あまりにも対応が甘っちょろい。

 

 彼は手間さえかければ潰せるリスクを放置している。

 秋へのカモフラージュのために萩原を殺すのをサボったのはもちろん、いくら研究のためとは言え、シェリーと密談し放題な環境を用意してしまったのもそうだ。

 

 多少のミスが生じたところでどうとでもなると言わんばかりの大胆な振る舞い。

 すでに保険をかけているからだとシェリーは断言した。

 秋もその主張に納得した。

 

 シェリー曰く、その保険があの方の奥の手であり、すなわち彼女の切り札(ジョーカー)だ。

 

 

 シェリーが作らされている薬や、あの方がプログラマーに作らせようとしている機械の詳細を話したら、芋づる式にあの方の奥の手が判明してしまうから言えない、で話が終わると思いきや、シェリーはもったいぶった雰囲気で言葉を続けた。

 

 

「でもまあ、これだけだと何だから一つだけ教えてあげる」

 

 

 匂わせである。

 五年後に教えると言ったは良いものの、自分が抱えている特大級の情報の凄さをチラつかせたくなったらしい。

 

 気持ちはよく分かるので秋は温かい目を向けておいた。

 シェリーは秋の優しさを受けて、バインダーで頭を叩いてきた。

 ヘッドギアを被っているため痛みはないが、感謝の意を表すにしては独特の方法だ。

 

 

「あの方が渇望している薬の試作品の一つに面白いものがあるのよ」

 

 

 シェリーは人の頭を叩いたばかりだとは思えないほど自然に座り直すと、しれっと話を続けた。

 肝が太い。十一歳年上の幹部を嵌めて、姉を助けさせる約束を取り付けるだけある。

 

 わざわざ話を蒸し返すのも大人気ないので、秋は彼女の話に耳を傾けた。

 

 

「試作品と言っても、元々用意されていた資料に従って命令された私が作った形だから、何周か前の私が完成させた試作品なんでしょうね」

 

 

 あの方は研究結果を次の周に持ち越して、そのデータを新たな周の研究者に与えて、前周の続きから研究を始めさせる方法を取っている。

 こうすれば直前の周の続きから研究を始めさせることができ、ループを重ねるごとにどんどんと研究が前に進んでいくこととなる。

 

 この周のシェリーが元々用意されていた資料に従って試作品を作るよう命令されたのなら、『以前の周』で開発されていた試作品の資料をあの方が用意し、適当な研究者に資料を与えて同じものを作らせた、というプロセスが裏にあったと考えるべきだ。

 

 これだけだと『以前の周』がいつ頃を指すのかを判断するのは不可能だが、シェリーは「何周か前に試作品は完成していたはず」と断じた。

 研究の進み具合から、『以前の周』がいくつか前の周であると推測できたのだろう。

 

 

 シェリーは試作品に関する説明を続ける。

 

 

「作りながら、何に使うのか皆目検討が付かなかったわ。地球上のほとんどの人間には何の効果も発揮しない無用の長物にしか見えなかったもの。でも今ならこう断言できる。あれは愚かしい代物よ。そしてその試作品の名前はあの方が直々につけた」

 

 

 シェリーは一度言葉を切ると、コーヒーを一口飲んだ。勿体ぶっている。

 カップを置き、足を組み替える。めちゃくちゃ勿体ぶっている。

 

 理知的な双眸で秋を真っ直ぐ見つめ、やや弧を描いた唇を開いて彼女は言った。

 

 

「──(アレウス)の牙ってね」

 

 

 ヒュッと息を呑む場面だったのかもしれない。

 極限まで目を見開いて、呆然と座り尽くしても良かっただろう。

 少なくとも、シェリーがそのような反応を望んでいたのは明白だった。

 

 対して、秋は数秒フリーズした後首を傾げた。

 

 

「…………で?」

 

 

 そもそもアレウスって何だよ、と言うのが率直な感想だった。

 製薬棟の正式名称と同じだから重要な試作品だったのは確かなのだろうが、だからどうしたと言うのが本音である。

 

 シェリーは数秒の逡巡の末に言った。

 

 

「ちなみに猪と書いてアレウスと読むわ」

「それはそれは……」

 

 

 なんともまあ「らしい」ネーミングだ。秋は余計反応に困った。

 リアクションがお気に召さなかったらしくシェリーが眉を寄せる。

 

 

「他に何かないの?」

 

「他にって……。神を自称する勢いのポエムジジイが好みそうな名前だとか?」

 

「……」

 

「あっいや! 私は組織に蔓延している喋り方を馬鹿にしている訳じゃなくて嫌いな奴の喋り方に難癖つけてるだけだから、シェリーは全然気にしなくていいよ、うん。組織系統の口調でも好感持ってる相手なら完全スルーだし、創造性があっていいと思う。そういう人が新しい何かを生み出したりするものだよ、多分」

 

「何ちょっとフォローしてるのよ。元はと言えばそのコードネームでギリシャ神話を全然知らないあなたもこの妙な空気の一因じゃない! というか、前にトト神だのオーディンだの言ってたくせになんで知らないの!?」

 

 

 シェリーは徐々に語気を荒げていった。

 

 言われてみれば、シェリーと協力関係を結んだときの自画自賛で知識の神の名を引用した気がする。

 そのためにシェリーはある程度神話の知識が秋にあると判断し、あの匂わせ方を選んだらしい。

 

 

 しかし、実のところ秋に神話の知識は全くない。

 秋が知っているのは本屋で売られていた「よくわかる神話入門」の初めの三十ページ分の知識と、希釈されたネットの情報だけだ。

 

 あの方と同じような語彙で話す同僚の発言内容を理解するために神話の入門書を読もうとしたものの、よくよく考えたら仲の悪い同僚の言ってる意味を知るために努力するのは腹立たしくて途中でやめたのである。

 

 というか、読んだはずの三十ページに何が書いてあったのか思い出そうとしても全く思い出せないので、「よくわかる神話入門」の知識はカウントしない方がいいかもしれない。

 

 

 ではなぜこんなザマなくせに自画自賛に知識の神の名を引用したのかと言えば、「知識の神」でネット検索をかけて出てきた名前を誦じただけだからだ。

 

 秋は自画自賛が湯水のようにスラスラ口から出てくるナルシストを演じているが、被っている皮を剥いでしまえば自罰意識と自己嫌悪が渦巻いている、ナルシストとは正反対の本質を有している。

 

 身に染みた習性によって無意識でも自賛を諳んじることは可能だが、ボキャブラリー豊かに自分を褒め称え続けるのは難しい。

 何もしないと単調かつ同じ語彙を何度も繰り返すことになる。

 

 だから秋は自主的に自画自賛の語彙を増やすべく、定期的に使えそうな用語をググって自画自賛用のキーセンテンスを用意している。

 ナルシストを演じるための努力の一環だ。

 

 

 この涙ぐましい舞台裏を知らないシェリーが、秋がある程度神話の知識を有していると考えるのは当然だろう。

 あの匂わせ方を選び、滑った八つ当たりをしてしまうのも仕方がない。

 

 秋はこの件に触れないことにした。

 下手に触れて、シェリーにキャラを作っていることを感づかれても困る。

 

 

 とりあえず意味深な笑顔を浮かべて誤魔化すことにする。

 この時のコツは、シェリーの呆れ目を気にしないことだ。

 

 今回もシェリーの呆れ目を無視して、秋は笑顔を作ったまま考えに耽る。

 

 シェリーの口ぶりからすると、どうやら猪の牙はギリシャ神話から名前を引っ張ってきているらしい。

 言われてみればタキオンを研究しているクロノス棟もギリシャ神話に登場する名称だった気がする。

 確かジンあたりが周りくどいメールの文面で使っていた。

 

 

 秋はゆっくりと足を組み替えて胸を反り、口を開く。

 

「…………………あの方が完成を渇望している薬の試作品だっていう(アレウス)の牙のアレウスはまんまこの製薬棟の正式名称だし、タキオンを研究しているクロノス棟も同じくギリシャ神話から取られた名前なんだろうね。つまり、」

 

「つまり……?」

 

 シェリーが期待を隠しきれない声色で聞き返した。

 

「あの方の名付けのブームがギリシャ神話である、とか?」

 

 シェリーの目が澱んだ。

 

「もういいわ」

 

 そして匙を投げられた。

 

 検査協力中の密談は、基本的に毎回こんな感じで進行している。

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