そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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第27話

 宮野明美。二十一歳の大学三年生。

 静岡県の有名国立大である南洋大学に通っている。

 

 一年前に交通事故を起こしたのがきっかけで恋人が出来たが、大学の友人には明かしていない。

 諸星大の堅気らしからぬ雰囲気を感じ取ったのもあるかもしれないが、もっともたる理由は悟られることなく周囲の人間と一線を引くためだろう。

 

 彼女は賢かった。

 大学内では明るくて優しい、思いやりのある人物として通っているが、特別仲がいい相手を作らずプライベートな情報──特に妹や組織の存在を悟られないよう立ち回っている。

 

 しかし彼女の優しさは愚かさと同義だったし、彼女の賢さには「表社会の人間にしては」が付いた。

 卒業生の多くが地元の大企業に就職する有名大学に通ういわゆる勝ち組ではあっても、妹が所属する組織に対してはあまりにも無力だ。

 

 組織に貢献して自身の立ち位置を上げる才能もない。

 妹を助けるために十億円強奪に手を染めても、何も変えられないうちに呆気なく殺される。

 

 そして、人前では笑顔を絶やさないくせに、夜になると時折一人きりの自室で涙を流す。

 彼女の自室を盗聴し始めて知った事実だ。

 

 

(元々、盗聴にまで手を染めるつもりはなかった。普段の様子を観察して、参考用の映像をいくつか撮って終わるはずだったんだけどなぁ……)

 

 秋は内心でひとりごちる。

 

 盗聴が必要になったのは、明美が弱い部分を頑なに隠し、組織に関する感情を気取らせないせいだった。

 組織へ向ける諸々の感情を人前で微塵も出さないのだから、ジンと対峙するときに見せるであろう無謀さ──勇敢さとは呼びたくない──の片鱗を知るにはプライベートな空間に踏み入るしかなくなる。

 止むを得ず盗聴に手を出しても仕方がないだろう。

 

 しかし、この理屈がシェリーに通じるわけではない。

 シェリーに盗聴行為を知られれば、間違いなく顰蹙を買う。

 

 だから秋は、報告をごく一部に留めていた。

 今しがた報告したのは、演技の対策のために拠点を静岡に移して明美の観察に努めていることだけだ。

 

「観察って具体的には? 資料がどうとか半年前に言ってたわよね」

 

「……尾行と録画?」

 

「プライバシー」

 

 シェリーは低い声で呟いた。

 

 秋は前もって用意しておいた屁理屈で答える。

 

「プライバシー侵害の概念が大事なのは分かるけど、いくら相手を助けるのが最終目的とはいえ、誰かを監視・調査するときはプライバシーは犠牲になるものだよ。凄腕のエージェントが小学生女児を陰ながら守るときだってひたすら盗聴し続けるしかない。エージェントはストーカーと揶揄されるのも覚悟の上で守ってるんだよ」

 

「なんなのよその妙にピンポイントな例え話は」

 

 

 シェリーは半目になりながらも、さらなる追求は控えてくれた。

 

 

 そんな感じで演技対策は進んでいる。目立った問題はないから、順調だと言えるだろう。

 

 

 *

 

 

 演技対策と並行して行わなければならないのが、公安とのツテ作成だった。

 

 宮野明美の死を防いだ後は、生きながらえた彼女を秘密裏に公安警察に保護してもらわなければならない。

 そのためには事前に公安へ話を通しておき、共謀する必要がある。

 

 しかし突然組織の幹部が「宮野明美がもうすぐ殺されるから、協力して彼女を助けてほしい」と言い出しても信じてもらえるわけがない。

 作戦決行日よりも前に公安からの信頼を得て、定期的に連絡を取り合う、協力者のようなポジションに収まっておく必要がある。

 

 じゃあどうやって協力者になるのかと言うと、スコッチのNOCバレを利用する。

 

 これまで通りNOCバレして自殺しようとしていたスコッチをいい感じで救い出し、いい感じで公安への協力を申し出て、いい感じに協力者ポジションに収まる。

 

 そのために不可欠なのが、NOCバレまでの間にスコッチからの信頼を得ることだ。

 なにせ彼の自殺の覚悟はとてつもなく固い。

 

 信用されていない状態の秋がNOCバレ当日に姿を表したら、その瞬間自殺される。

 そうでなくとも、「スコッチを助けたい」と申し出た瞬間、「油断させて自殺の手段を奪い、拷問して情報を吐かせるつもりなんだな」と判断される。そしてスコッチは秋の隙をついて死ぬ。

 これまでの経験から、絶対にそうなると言い切れる。

 

 だからこそスコッチのNOCバレまでの間に彼と関わりを持ち、NOCバレ当日に秋が現れても「一応話を聞いてみるか」と思ってもらえるだけの信頼関係を築かないといけない。

 

 そして、スコッチがコードネームを得た今の時期が、最も彼に接触しやすい時期だった。

 同じコードネーム持ちになったため、接触の口実が作りやすい。

 

 

 *

 

 

 東都の夜は空と地上が反転している。くすんでいて星が見えない空と、地上を埋め尽くす無数のライト。

 遠くに見える高速道路は街路灯とヘッドライトの光で埋め尽くされていて、さながら天の川のようだ。

 

 向かいのビルも例に漏れず、窓という窓から光を発している。

 埃っぽい倉庫とは対照的だ。

 

 秋は積まれた段ボールの影に隠れて双眼鏡を覗き込む。

 

 不法侵入したビルの倉庫と同じ高さにある、大黒ビルに併設されたバー『カクテル』に照準を合わせて、バーカウンターの横側についている窓から店内の様子を確認する。

 

 カウンターに座る男一人を除いて他に客はいない。

 スタッフもバーテンダーだけである。

 

 男は背中を丸め、背後にある入口をしきり気にしている。

 振り返って入口を何度も確認するのには抵抗があるらしく、頭の動きは最小限にして目を極限まで横に移動させることで背後を探ろうとしている様子だ。

 

 おまけに手元も騒がしい。

 彼は落ち着きなくグラスに手を伸ばし、引っ込めて、また伸ばす動作を続けている。

 

 

 組織との取引を控えた一般人が挙動不審になるのは見慣れた光景だった。

 イレギュラーが発生していないのを確認して、秋は双眼鏡を下ろした。

 

 ビル群を眺めながら男の情報を思い返す。

 

 彼は大金と引き換えにプログラマーのリストを引き渡す約束を組織と交わした一般人だ。

 リストを引き渡す相手が犯罪組織に所属していることすら知らず、「怪しい人間と取引をする」としか認識していない。

 だから指定されたバーが特殊な場所であることも、変な気を起こす素振りを見せたが最後脳天を撃ち抜かれることも、何も知らずにいる。

 

 

 バー『カクテル』は組織の息がかかった酒場だ。

 バーテンダーの目の前で客が脳天を撃ち抜かれても、タイミングよく銃弾の軌道から逃れた待ち合わせ相手が平然としていても、スタッフは何にも触れずに粛々と掃除を行う。

 殺害も視野に入れた取引をする際に専ら利用される店舗の一つがあのバーだった。

 

 

 他に客がいないのも、取引相手が狙撃しやすい位置に座っているのだって、バーテンダーに誘導された結果だ。

 男は、その事実に気がつく素振りどころか、違和感を覚える素振りも見せない。刻一刻と近づく取引に冷や汗を滲ませるだけ。

 

 

 ああいう人間は裏社会に関わるべきではないとつくづく思う。

 飛び抜けて賢いわけでも目を見張る技術があるわけでもなく、力を持たない者は魑魅魍魎の巣窟に足を踏み入れるべきではない。

 もっと悪いやつに利用されて終わる。

 

 

 

 ──規則的な足音がした。

 足音の主は鍵がかかっているはずの扉を迷いなく開ける。鍵がかかっていないと知っている証拠だ。

 すでに到着している観測手がピッキングし終えていると連絡を受けていたのだろう。

 

 ギィッと鈍い音を立てて扉を閉めてから、スナイパーが近づいてくる。

 段ボールの影から出ると、フードをかぶってギターケースを背負ったスナイパーが闇に佇む影が見えた。

 

 

 スコッチと()()()()()()とき、秋は決まって彼が闇の気配を纏い冷たい眼光を覗かせている事実に驚く。

 想像以上に背が高く、がっしりとした体型をしていることを漫然と意外に思っている。

 

 今回も同じだった。

 記憶よりも背が高くて、思っていたよりひょろひょろしてなくて、予想以上に組織の空気に溶け込んでいる彼を見て何故か驚く。

 誰かの面影が心を掠める。

 

 

「事前に聞いていた観測手とは違うようだな」

 

 

 スコッチが、秋の右手にある観測手(スポッター)専用の双眼鏡を目に止めて警戒を緩めた。

 

 

「ああ、都合が付かなくなってね。代わりに私が派遣されたんだよ」

 

 

 可哀想に、本来の観測手は少なくとも数時間トイレから離れられないだろう。強力な下剤を盛ったのだから当前だ。

 

 

 彼と話すのは久々だった。秋は生意気で傲慢そうな笑みを作る。

 

 

「私はアドニス。よろしくね、スコッチ」

 

 

 コードネームを告げた瞬間、スコッチは目を見開いて小さく息をのんだ。

 幹部になって間もない『スコッチ』と比べて、目の前の女はかなりの格上だったからだ。

 

 コードネーム持ちは同格として扱われることになっているが、馬鹿正直に「ルールでは対等だから対等な関係性でいましょう」とはならない。

 コードネームを得た時期、今までの功績、あの方からどれだけ目をかけられているか、生まれ持ったカリスマ性。などなど。

 名目上は対等と謳いながらも、コードネーム持ちは自分たちの共同意識によって、明文化されない階級に振り分けられる。

 

 

 例えば組織の二番手はラムだし、実行部隊の総括を務めるジンやあの方の寵愛を受けているベルモットは幹部の中でも頭ひとつ抜けた立場にいる。

 キャンティやコルンを含めたジンと愉快な仲間たちのあそこら辺だって、重要な任務を請け負うことが多いエリート集団である。

 

 

 そして任務と暗黙上の階級は連動する。

 重要度の低い任務は下級幹部に、重要度の高い任務は上級幹部に割り振られる。

 

 

 スコッチはコードネームを得てから日が浅く、立てた手柄も少ないために信頼が不足している。

 数十年間あの方に仕えてきた古株と比べると裏切る可能性が高く、どうしても比較的重要度の低い任務を割り振られることになる。

 

 

 一方で所属の長さとあの方の特別扱いによって「コイツは滅多に裏切らないだろう」枠に入れられている『アドニス』は、危険が少ない代わりに秘匿性の高い任務に駆り出されるケースが多い。

 組織との繋がりをリークされると困る相手との取り引き、機密情報の受け渡し役、組織が携わったと知られたくない一般人の暗殺なんかがそうだ。

 

 

 スコッチの経歴で任せられる任務と、秋の立場で任せられる任務が被るはずがない。

 

 彼の驚きと疑念は最もだった。

 

 真っ先に警戒したのは監視役だろうか。

 潜入捜査官や敵対組織のスパイが新人幹部に紛れ込んでいるのを懸念した組織が監視役をつける。

 あり得そうな話だが、今回は違う。

 

 

 彼は舌の上で転がすように聞かされたコードネームを復唱した。

 

 

「アドニス……」

 

「その反応は名前が通っているようだね」

 

「ああ、得体の知れない幹部だとか、詳細不明の特別扱いを受けているから極秘の任務を請け負っているんだろうとか、色々言われているよ。上層幹部の誰かがただの自画自賛ポンコツ女呼ばわりしていたなんて話もあるけど、ネームレスの僻みによる虚言だろうし」

 

「ああ、そうそう。虚言虚言。嫌になるね」

 

「にしても、どうしてアドニスがこの任務に? 下っ端に任される規模のはずだろ」

 

 

 予定されていた観測手に下剤を盛ってまでこの任務を請け負ったのは、スコッチと接触して公安とのパイプを作る布石を打つためだった。

 

 しかし、これを馬鹿正直に言えるわけがない。

 

 秋は質問から逃れるため、自然な動きで窓の下を見おろす。

 タイミングよく全身黒色の男がビルに入っていくのを見つけた。

 取引を担当している組織の人間だ。

 

 

「おっと、もうすぐ取引が始まるみたいだ。準備した方がいい」

「ああ」

 

 

 秋の視線をたどったスコッチが返して、床に膝をついた。ギターケースからライフルを取り出す。

 そうして会話は中断された。

 

 スコッチの手が、どんどんとライフルを装着していく。

 迷いのない手つきを見て嫌でも思い出す。

 潜入捜査官である彼は人を殺している。

 

 その事実が頭に浮かんだ瞬間、得体の知れない違和感がよぎった。

 自分が知っている彼と今目の前にいる彼との違いに戸惑う感覚がある。

 

 この違和感は、一つ前の周で自分(間宮秋)すら助けたのに、秋よりもよっぽど生きる資格のある人々を平然と殺す矛盾が由来ではない。

 起点はそれよりもずっと前、心のもっと深い場所にある何かだった。

 

 

(まただ)

 

 

 考え込むように、一瞬目を伏せる。

 

 スコッチと顔を合わせるたびに湧き上がってくる妙な感情はずっと昔からあった。

 この奇妙な感覚が現実逃避の邪魔になると直勘していたために言語化せずに来たせいで、はっきりと自覚したのはつい最近だが。

 

 

(裏を返せば、スコッチへの妙な感情は逃げたかった現実──記憶喪失の真相と繋がっている)

 

 

 自分の記憶喪失は、今まで認識していたよりもずっときな臭く、入り組んでいる。

 そして自分の過去にはスコッチが密接に関わっているはずだと秋は直感していた。

 

 

(諸々を単純に解釈すれば、昔の私とスコッチとの間には何かがあったことになる)

 

 

 第一に降谷零の証言。

 一周目の自分は、屋上でスコッチの死体を見て降谷以上に絶望していたらしい。

 

 第二に、度々感じるスコッチへの既視感。

 思い返してみれば、今日のようにスコッチと誰かの面影が重なることは何度かあった、と思う。

 

 曖昧な表現なのは彼への既視感がよぎるとすぐさま頭の外に追いやっていたからだ。

 彼への既視感を自覚すると、この不可解な現象について考えなくてはならなくなり、やがて記憶喪失の謎に繋がってしまうのではないかという恐れから、見て見ぬ振りをしてきた。

 

 

 こうして考えてみると、現実逃避の名の下に自分がどれだけ盲目状態になっていたのかが実感できる。

 

 

(……まあ、今考えるべきことは他にもっとある。記憶喪失の謎は次の検査協力でシェリーに相談するとして、今は任務と計画に集中しないと)

 

 

 秋は意識を現実に引き戻した。

 

 

 *

 

 

 取引は筒がなく行われたため、結局狙撃手の出番は回ってこなかった。

 バーに直接赴いた取引役から撤収の合図がなされる。

 

 秋は現場から立ち去る前にスコッチへと向き直った。

 毎回スコッチが組む相手に下剤を盛っていては怪しまれる。今日、彼と定期的に会う口実を取り付けなければならない。

 

(どう切り出そうか……)

 

 秋は少し迷って、素直に心に従うことにした。

 一から芝居をしたとしても、自分の場合どうしても嘘臭さが出る。

 それならば気になったことをそのまま口にして、それを起点として口実作りへとつなげた方が良い。

 

 

「殺人をどう思ってる?」

 

「どう、って?」

 

 ここからは完全にアドリブだ。

 秋は話の持って行き方を決めるために高速で頭を回転させながら、それらしい理由を付け加える。

 

「スコッチは見るからに育ちがいいタイプでしょ。まともな倫理観の中で幼少期を過ごした奴はどう考えるのか気になってさ」

 

 スコッチの表情が困惑から納得へと変わった。

 

「歯並びの良い白い歯で、姿勢も良い。黄ばんだすきっ歯で、重心を前に出した歩き方をしていて擦り切れた靴の踵を踏んでいるステレオタイプには該当していない。だったら姿勢や歩き方を矯正してもらえる環境で育ったのかなって」

 

「正解だよ。よく分かったな」

 

「隠してもいないくせに」

 

 

 スコッチが育ちの良さを隠していないのは立居振る舞いから瞭然だ。

 裏社会に流れ着く経緯などいくらでもあるため、育ちが良さそうだからと疑念の対象にはならないし、逆に隠していた方が疑われる。

 

 というか、先ほど話したステレオタイプは末端中の末端から脱せぬまま、じきに下手を打って死ぬ。

 コードネームを得られるのは、それなりの教育を受けられた人間だけだ。

 情報を得るために組織で成り上がる予定なら、真っ当な教育を受けた設定で潜入するのが正しい。

 

 

「殺人をどう思っているかだったな。これが一番の選択だと信じているし、割り切ってるよ」

 

 

 スコッチはキッパリと答えた。鈍色の瞳に真っ直ぐ射抜かれる。

 本心からの言葉なのだろう。

 正義を遂行するには手を汚す誰かが必要で、自分が抜擢されたのなら辞退せずに引き受ける。

 代わりがいるとしても真っ先に話が来たのが自分なら、自分が適任なはずだから。

 彼の心情はこんなところだろうか。

 

 

(にしても、上手い)

 

 スコッチの心情を想像する一方で、秋は舌を巻いた。

 

 彼が組織への潜入で使っている来歴では、母親の治療費を稼ぐために犯罪に手を染めたことになっている。「金を稼ぐために手段を選ばないが親の治療費を稼ぐ善良さはある男」が彼の設定だ。

 だいぶ前の周に調べた。

 

 つまり彼の答え方は、潜入用の設定に沿っている。

 スコッチが潜入捜査官だと知らずにあの言葉を聞けば、「病気の母親の治療費を稼ぐにはこれが一番の選択だと信じてるし、割り切ってる」となる。

 

 彼は嘘をつかずに相手が誤解する言葉選びをした。

 賢いやり方だ。一部の情報を伏せながらとはいえ本心を話したのだから、嘘をついていると見抜かれる事はない。

 ネックなのは「咄嗟に適切な言葉を選ぶのは難しい」という一点だけだが、スコッチは難なくクリアした。

 

 

「ああ、病気の母親を助けるために裏社会入りしたんだっけ」

 

 

 秋は表向きの彼のプロフィールを、軽い調子で誦じた。

 本当は、ずっと前の周に数日かけて調べたから知っているに過ぎない。

 しかしスコッチの視点では、今しがた合同任務が決まった新入り幹部の情報すら把握していることになる。

 これで自分が有能であると印象付けることができる。

 

 なにも有能なふりをしたいとか、スコッチの前でいいところを見せたいという私情で誦じたわけではない。

 NOCバレの際にスコッチを助けた後も公安と協力体制を結び、宮野明美保護を打診できる下地を作っておくための布石だ。

 公安だって、無能な幹部よりは有能な幹部と協力体制を築きたいだろう。

 

 

 窓の外とは対照的な闇の中で秋は追及する。

 

 

「割り切ってるとは言っても罪悪感や抵抗感はある? 殺人は許されないと思ってる?」

 

「……どうしてそんな事を?」

 

「別に躊躇う必要はないよ。殺人に忌避感を持っているのと任務を遂行するのとは矛盾しないんだから。気軽に答えてほしいな」

 

 軽い調子で言いながらも、ただ一つの答えを期待していた。

 許されないと断言してほしい。

 なぜかは分からない。

 

 もしかしたら、将来宮野明美が行う十億円強奪事件で、警備員と共犯者二人が死ぬ予定だからかもしれない。

 自分は、明美が将来選ぶ手段を糾弾したくてたまらないのかもしれない。

 

 彼女に対してやけに当たりが強い自覚はある。

 明美を表する言葉はどれも、自然と露悪的なものになる。

 

(だとしても、なんで……?)

 

 宮野明美の何がそこまで癪に触るのか。

 彼女との接点はほぼないに等しい。

 ならば誰かと重ねているのだろうか。

 

(私が最も厳しい評価を下してて、糾弾したくてたまらない相手と言えば──)

 

 思考は一秒にすら満たないわずかな間に行われていた。

 秋の思考が結論に達する前に、スコッチの返事が来る。

 

 

「まあ、許されないだろうな。俺たちが奪っているのは命だけじゃない」

 

「ジンには言わない方がいいね。アイツすぐにNOCと結びつけるから」

 

 秋は思考を中断し、肩をすくめた。

 その後窓の外を一瞥する。ネオンライトが瞬いていた。

 そろそろ誤魔化しと本来の目的に入るべきだと判断する。

 秋は意識して真意の読めない軽薄な笑みを浮かべた。

 

 

「でもまあ、その答えを聞いて安心したよ。見込み通り姉を思う妹心にも理解を示してくれそうだ」

 

 彼が興味を示したのが瞳の動きで分かった。

 

「代わりの観測手役を受けたのは、スコッチに折り入って頼みがあったからなんだよ。諸星大と仲いいでしょ。確か最近与えられたコードネームはライだっけ」

 

「妹……となると、科学者だって言う、ライの恋人の妹か」

 

「そこまで話してるんだ。いいね、思っていた以上に親しそうだ」

 

「それほどでもないさ。同じスナイパーとして組む機会が多いから自然と雑談するだけで」

 

 

 スコッチは否定したが、あの赤井秀一が組織の幹部と和気藹々と雑談するとは思えない。

 スコッチの性格や雰囲気が彼の態度を軟化させているのだろう。

 いくら偽りの関係とはいえ、弱みにもなり得る恋人の情報を明かすだなんて相当だ。

 

 

「妹──シェリーとは個人的に仲が良くてね。一般人として過ごせているはずの姉が見るからに怪しい男と付き合い始めて心配だって相談されたんだよ。だから優しい私は協力を申し出た」

 

 真実にかすっている部分がごく僅かにあるものの、大半が嘘で構成された言い分だった。

 

「とはいえライはコードネーム持ちの幹部。私自らが動いたら勘づかれる可能性はゼロとは言えないし、バレたら面倒なことになる。だから元々仲の良いスコッチにメインで動いてもらえたら助かるんだよ。シェリーの姉である宮野明美とライの関係を探ってほしい」

 

 

 秋が描いた筋書きはこうだ。

 

 明美の人となりを知るには、私生活の何割かを占めるであろう恋人との関係性も探れた方がいい。

 しかし相手はあの方がやけに恐れているFBI捜査官。

 下手に近づくのは怖い上に、「ライの周辺を探っている」という他の周と異なる動きをあの方に勘づかれたら面倒だ。

 だからスコッチを介して情報を得る。

 

 その上で、スコッチには一部脚色を交えた説明をする。

 嘘の動機によって宮野姉妹を気にかけていると印象付けておけば、いざ明美を保護する段階になっても裏を勘ぐられることはないだろう。

 

 

 そして、宮野明美の調査とスコッチへの取り入りを同時にこなす、この当意即妙で柔軟で天才的な計画で留意する点は、明美の調査はあくまでおまけであることだ。

 新事実が判明しなかったら判明しなかったで、スコッチと定期的に接触できていればそれでいい。

 ジンとウォッカ相手に宮野明美のフリをする際に、諸星大関係の情報が必要になるとは思いにくい。

 プラスアルファであるに越したことはないが、無いなら無いで特に困らないのである。

 

 

 秋がこの申し出をした時点で、スコッチが話を引き受けるのは確定していた。

 

 幹部になったばかりの彼に任されるのは、幹部が扱う任務の中では重要度の低いものだけだ。

 手に入る情報の重要度も、任される任務に比例する。それなりに有用ではあるが、決して中核には食い込めない。

 組織の致命傷になり得る情報を得たければ、コツコツと組織内で手柄を立てて地位と信用をもぎ取るしかない。

 多大な時間と多大な犠牲が必要になる。

 

 だが、もしも『アドニス』に協力したら。

 

 アドニスはよく秘匿性の高い任務を請け負っている。

 組織との繋がりをリークされると困る相手との取り引き、機密情報の受け渡し役、組織が携わったと知られたくない一般人の暗殺、などなど。

 

 アドニスの頼み通りに諸星とその恋人の様子を探れば、アドニスに取り入ることができるのではないか。

 その過程で、彼女から情報を引き抜くことができるのではないか。

 一足飛びに、組織の喉元へと食らいつけるのではないか。

 

 スコッチはそう考える。

 

 もちろん自分に都合が良すぎると警戒心が囁くし、罠である可能性もよぎるだろう。

 しかしリスクを考慮してもなお、リターンが圧倒的に多い。

 

 スコッチは間違いなく話に乗る。

 

 

 秋の予想は数秒後に証明された。

 スコッチは頭を駆け巡っていたはずの数々の思考を全く悟らせない笑顔で、雑談の雰囲気を崩さないまま平然と言った。

 

 

「分かった、やってみるよ」

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