そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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第28話

 スコッチと接触してから一ヶ月と少しが経った検査協力の日。

 宮野明美の死亡偽装に関する報告事項が一通り終わると、秋は自身の記憶喪失の謎について切り出した。

 

 

「私が部分的な記憶喪失だって話したことあったっけ」

 

「いいえ、初耳よ」

 

 

 まあまあ重めの告白をしたというのに、シェリーは少し目を見開いただけで、過剰に驚いたりうろたえたりはしなかった。

 声のトーンも落ち着いている。

 

 他に行く宛のない人間が裏社会に足を踏み入れるケースは多い。

 この組織では訳ありの人間など珍しくもないし、そもそもシェリー自身が生まれた時から囚われの身だ。

 

 組織の人間が組織の人間に多少重めの背景を打ち明けたところで、大抵シェリーと似たような反応が返ってくる。

 前の周で気の毒そうな顔をしたスコッチが特例だった。

 

 

「もしかして今日の議題は記憶喪失とか? ループとは関係ないと思うけど」

 

「それがこの記憶喪失、存外きな臭くてさ。自分なりに考えてみたら一つ仮説を思いついたし、それも含めて相談したくて」

 

 

 現実と向き合わなくて済む絶好の口実だったからこそ深く考えないようにしてきたが、真面目に振り返ると記憶喪失にまつわる事象は謎に溢れている。

 端的に表現するときな臭い。

 

 だからこそ頭脳役であるシェリーの意見を仰ぐため、秋は記憶喪失について話すことにした。

 

 

「人に説明するときは部分的な記憶喪失って表現してるけど、何を考えて動いていたのか覚えていない時期があるんだよね。自分の行動はしっかり覚えているし記憶の空白期間とかはないけど、当時の感情だけは綺麗さっぱり抜け落ちてる。

具体例としては、裏社会に入ってこの組織に流れ着くまでの経緯が分かりやすいかな。非合法な仕事に手を染めている小さな集団を足掛かりにしてこの組織のメンバーに接触し、成果を上げて組織の一員となり、さらに成果を上げていき……っていう経緯は完璧に覚えているのに、当時の思考は丸きり覚えてない。

どうして犯罪行為に手を染めたのか。足掛かりとなった集団に加わった時に何を考えていたか。小さな犯罪に関わる過程で接触した組織の人間と、どうして繋がりを持とうと思ったのか。全部が綺麗さっぱり頭から抜け落ちてる」

 

 

 過去を思い返そうとすると経験した情景は流れるが、秋本人の感情は浮かび上がってこない。

 改めて考えると、不気味だ。

 

 

「記憶喪失の対象期間は、一周目の十五歳の時から二十七歳にかけて。新たに症状が出ることはなく、この時期の記憶だけが不明瞭。ってのがおおよその概要なんだけど、よくよく考えるとおかしいんだよ。覚えていない対象は当時の感情であって出来事そのものじゃないんだから」

 

 

 秋の記憶喪失は、「何を思って行動していたのか覚えていない期間がある」というものだ。

 覚えていないのは当時の感情や思考だけで、出来事は余すことなく覚えている。

 少なくとも、「何があったのか全く覚えていない」という、一般的な記憶喪失の形とは違う。

 

 

 しかし秋は長らく、記憶喪失によって忘れている過去がある前提で動いてきた。

 事実と矛盾した認識をしていた最もたる要因は、真面目に現実と向き合いたくないために事実を捻じ曲げて捉える逃避癖だが、その逃避方法が可能だったのは、記憶喪失の特性さえ無視すればそれが最も収まりのいい解釈だったからだ。

 

 何があったのか覚えていない期間があると考えれば、ゾッとするほど綺麗に辻褄が合う。

 

 

 

 第一に、萩原との面識について。

 

 萩原と秋が出会ったのは八周目。「毛利探偵事務所を探れ」とあの方に命じられたため、毛利探偵事務所で助手をしていた萩原を調べたのがきっかけだった。

 この時のあの方の真の目的──ループ者疑惑がある萩原を秋と引き合わせることで彼がループ者かどうかを見抜く──は、本筋と関係ないので置いておく。

 

 注目するべきは萩原と秋の出会い。秋の視点では八周目のこの時に初めて萩原と接触している。

 しかし萩原の素振りから導き出した推察と本人の肯定により、二人はそれ以前に出会っていたと判明した。

 

 この事実が判明した当時、秋は「記憶喪失のせいで覚えていない期間に萩原と知り合い、彼と知り合った過去が記憶から失われた」と考えた。

 

 もちろんこの推察は大間違いだ。

 

 萩原と知り合い、彼と知り合った過去が記憶から失われたのなら、記憶が途切れている期間があるはずだ。

 しかし秋には記憶が途切れている期間など存在しない。

 

 

 

 第二に、スコッチ。

 

 たびたび見舞われる彼への既視感や、「君は僕以上にスコッチの死にショックを受けていた」という降谷の証言がある。

 昔スコッチとの間に何かがあったと考えるのが道理だ。

 

 しかし萩原の件と同じく、スコッチと何かがあったと思われる「出来事を覚えていない期間」は存在しない。

 

 一般的な記憶喪失のように「何があったのか覚えていない期間」があれば説明がつくのに、出来事に関しては記憶が地続きなせいで全く説明がつかない。

 

 

「覚えていない対象は当時の感情であって出来事そのものじゃないはずなのに、私には出来事そのものを忘れているとしか思えない記憶の欠落が複数ある」

 

 

 秋は一度そこで言葉を切り、どこまでシェリーに打ち明けるかを考えた。

 

 スコッチに関する話は全て伏せるのが賢明だろう。

 スコッチへの既視感を説明する流れで、彼が「公安のNOC」であると察せられたら不味い。

 シェリーからスコッチの正体が組織の人間に漏れるリスクが出てくる。

 

 シェリーは科学者であって、裏社会を生き抜く上で必要な腹芸に富んでいるわけではないのだ。

 彼女が「公安のNOC」について知りすぎたら、双方の身を危険に晒す結果となる。

 

 身を守る最大の方法は知らないことだという金言に従って、スコッチ関係の話は伏せておくべきだ。

 

 

(そして萩原の件だけど……、まあ話しても大丈夫だろう)

 

 

 重大さだけで言えば萩原を含むループ関連の話に軍配が上がるが、この情報の価値を正しく理解できるのはあの方だけだ。

 組織の人間全員が価値を理解できる「公安から潜入しているNOCの情報」とは違う。

 

 萩原の本名だって、聞いてピンとくるのはあの方だけ。

 シェリーが知っているせいで引き起こされる危険はほぼ存在しない。

 

 

(それに、元ループ者である萩原の存在はループの話と直接関わってくる。情報共有しておく方が今後のためになるか)

 

 

 そう判断して、秋は説明を始めた。

 

 

「私は昔、自分で認識している以前に萩原と出会っていた。本人に確認したら肯定されたから、これは『真実だと仮定する不確かな情報』なんだけど、おかしいよね?」

 

「そうね。思考や感情はともかく、出来事を忘れている時期はないんだから、以前萩原さんと会ってたなら覚えているはずよ。アドニスは覚えていなくて、その人は覚えている真のファーストコンタクトなんて存在するはずがない」

 

 

 秋はうなずき返した。

 自分に「出来事を覚えていない期間」など存在しない。

 しいて挙げるのなら、バーで寝落ちた時くらいだ。

 眠っていたはずの数時間で萩原と出会い、またバーに戻ってきて気を失い、都合よくその記憶を忘れるなど不可能である。

 

 

「『真実だと仮定する不確かな情報』の見直しはしたの?」

 

 

 話の前提が土台から崩れるのを承知の上で、「萩原と昔出会っていた」という情報は間違いだった可能性を考えてみたのかをシェリーが問うた。

 

 真実だと仮定する不確かな情報とは、その名の通り、裏付けが取れていないが話を進めるために真実だと仮定する情報のことだ。

 

 秋とシェリーが行っているのは、立証ができない思考実験を延々と続ける行為である。

 不確かな情報の中で信頼できそうなものだけを真実だと仮定して、仮定をつなげ、最もそれらしい真相を導き出す。

 

 そしてその「真実と仮定する情報」に萩原の証言を採用すると、秋は二度目の密談で宣言している。

 

 

「私が覚えていないだけで萩原と私は以前からの知り合いだった。これは曲げられない。萩原にループ発生・終了のトリガーである『後悔』について話したときに、萩原は私の『後悔』が何なのかを察したからね。どうして察することができたのか。私が覚えていないファーストコンタクトで何かがあり、萩原が私の『後悔』を予測するに至ったと考えた方がスムーズでしょ」

 

「それは……」

 

 

 シェリーが言葉を探すように呟き、言葉を探し損ねて口をつぐんだ。

 

 

「つまり次に考えないといけないのは、『私と萩原は昔の知り合いだった』『私はそれを忘れている』『しかし記憶の空白期間はない』の三つを両立させる仮説ってことになる。前半二つは、『私には何をしていたのか覚えていない時期があるはず』と言い換えてもいい。萩原以外にも忘れている過去の存在を示す形跡は至る所にあるし」

 

 

 スコッチについて詳しく話すのは憚られるため、秋はそれだけで済ませた。

 

 

「そして、この矛盾への説明は用意してある。なにせ最近の私は頭が冴え渡っているからね」

 

 

 一度言葉を区切り、ドヤ顔を晒す。気分は真相を解明する探偵だ。名刑事でもいい。

 秋は足を組み替え胸を張ると、堂々と話す。

 

 

「私には何をしていたのか覚えていない時期がある。しかし記憶そのものは地続きで、カレンダーと照らし合わせてみても何をしていたのかを覚えていない日は存在しない。一見、『何をしていたのか覚えていない時期』なんて存在しなさそうに思える。

だったら私が出来事を忘れているのは、『存在しなかったことになっている期間』ってことになる。

ところで、ループ者がループの過程で死ぬとタキオンが消えるんだったね」

 

 

 秋は唐突に尋ねた。

 

 タキオンとは時間を遡行する性質を持つ物質だ。

 タキオンが脳細胞と密接に結びついていると、時間が巻き戻る際に『以前の周』の記憶を引き継げる。

 タキオンとはループの原因そのものだと言えるだろう。

 

 

「少し違うわ。ループ者の生命活動がどこかの周で終了した場合、次の周を迎えたとしても、その人の体内にあったはずのタキオンは観測されなくなる。観測できないほど少ない量になっただけで体内に残っているのか、綺麗さっぱり消えてしまうのかは不明よ。

ただその人は記憶を引き継げなくなっているし、『以前の周』のことを覚えていられないんだから当然時間の巻き戻りも認識できなくなる」

 

「先天的か後天的かに関わらず?」

 

「そのはずよ」

 

「だとしたら私がループの過程で死ぬと、今まで起こった出来事を全て忘れてしまう。──何周も前の私が一度死んでいるとしたら? 全ての記憶を失った私は新たに始まったn周目を一周目だと認識する。そして次に訪れるn+1周目を二周目だと思い込む」

 

 

 秋が提唱したのは、これまで一周目だと思っていたのはループの途中であるという大胆な仮説だ。

 n-1周目に死んだため、一周目だと誤認したn周目に記憶を引き継げず、「ループが始まっている」という事実すら忘れた。

 だからn周目ラストで初めて時間が巻き戻ったと錯覚した。

 

 主観における初めての巻き戻りが起こった時、「いや待て。ループはずっと前から始まってるけど、私がこれまでの周の存在ごと忘れている可能性だってある」などと考えるほど、秋は複雑に現実を捉えていない。「なんだ、またループが始まったのか」と思うだけだ。

 

 

 

 この理論を持ってすれば、度々スコッチへ覚える既視感にも、「萩原と昔出会っている」という一見矛盾した情報にも、全てに説明がつく。

 記憶から抜け落ちている周で、自分は萩原と出会い、スコッチへ既視感を覚える何かを経験した。

 

 

 

 さらに、ループ発生のトリガーでありループを終わらせる鍵でもある『後悔』が何なのか定かでないのも、一周目を誤認しているのなら頷ける。

 『後悔』が発生した一周目そのものを誤認しているのだから、いくら偽の一周目の中からめぼしいものを探したって見つかりっこない。

 本人である秋には『後悔』が何なのかほとほと検討がつかず、萩原は一瞬で『後悔』が何なのかに思い至ったのは、本当の一周目の知識があるかどうかの違いだった。

 

 

 考えれば考えるほど、全ての謎を解決できる完璧な理論だ。

 きっとシェリーは真相を見抜いた秋に関心と尊敬が入り混じった目を向け、普段の皮肉げな口調なりの賞賛をしてくれるだろう。生意気な口を叩く機会も減るはずだ。

 秋は感慨深げに頷いた。

 

 

 シェリーは逡巡するように視線を床に落とす。

 手がデスクをさまよい、砂糖瓶に突き刺さったスプーンの柄をもてあそび始める。

 手慰みにいじっているだけなので、砂糖瓶に突き刺さったスプーンは引き抜かれないでいる。

 心ここに在らずな様子だ。

 

 

 私の完璧な理論に圧倒されて言葉も出ないのかな、と秋は思った。

 感嘆の言葉を受けてどう謙遜するのかを考えておいた方がいいかもしれない。

 賞賛された時はついつい賞賛を三倍にして同調してしまうが、謙遜しておいた方が評価が上がるのは明白だ。

 

 

 秋が謙遜の言葉を考え始めてから十秒ほどが経つと、シェリーの目に焦点が戻った。

 どこか遠くを彷徨っていた意識が元に戻ってきたようだ。

 

 そして、我に返ったシェリーは言葉を選ぶ素振りを一瞬見せたあと、否定から入った。

 

 

「一見筋が通っているように聞こえるけど、アドニスの仮説には矛盾が多々あるわ。ループの途中で体内のタキオンが消えたため、ループ中の出来事を忘れたという説が正しかったと仮定しましょう。ループを知覚できる原因であるタキオンがなくなってるんだから、アドニスはループ者じゃなくなる」

 

「…………あ」

 

 

 逆に評価が上がる謙遜方法の選定から意識を切り替えるのに手間取ったせいで反応が遅れたが、言われてみればその通りだった。

 

 

 どこかの周で死んだループ者が記憶を失うのは、元々体内に保有していたタキオンを失うからだ。

 

 時間を遡行する性質を持つタキオンがシナプスと密接に結びついているために、ループ者は次の周へ記憶を持ち越せる。

 そのタキオンが失われれば記憶の持ち越し、すなわちループ現象の知覚は二度と叶わなくなる。

 

 認識上の一周目よりも一つ前の周に秋が死んでいるという仮説が正しかった場合、それ以降のループ現象を認識できるはずがない。

 

 

 おまけに、「ループ者が死亡するとループ能力を失う」という根拠である萩原の例が特殊だったとか、自分は死んでもタキオンを失わない特異な体質だ、などという反論は封じられている。

 体内からタキオンが消えて記憶を引き継げなくなることで記憶喪失が起こる、と言うのが先ほど提唱した仮説だ。

 「タキオンを失わないけど記憶喪失になる」は成り立たない。

 

 

 秋はキメ顔で見当違いな推理を語った少し前の自分をぶん殴りたくなった。

 

 

「ここで終わってもいいけど、もう少し空論を続けましょうか。話を進めるために『タキオンが消えると非ループ者になる』という条件を、『いずれかの周でループ者が死んだら、これまでの周の記憶を引き継げなくなる。ただし非ループ者にはならない』という設定に変更して考えましょう。絶対あり得ないけど」

 

 

 追い討ちをかけないでほしい。

 秋は切実に思った。

 

 こちらの切実な想いなど関係なしに、シェリーはすらすらと話す。

 

 

「あなたが提唱した『死亡による記憶喪失説』によると、流れはこうなるわ。

一、n-1周目でアドニスが死ぬ。

二、時間がリセットされたことにより、次のn周目で蘇る。

三、前周の死亡に伴い体内のタキオンがごっそりなくなっており、そのせいで記憶を引き継げない。

つまり記憶を失うタイミングは、ループ開始地点である十五歳時である。

ところでアドニスが記憶喪失を自覚したのはいつだった?」

 

 

 多分シェリーは科学者としての純粋な目的意識で話しているのだろうが、完膚なきまでに仮説を否定される様は死体蹴りに等しかった。

 秋はうめき声が漏れないよう気を配りながら答える。

 

 

「……私視点でループが開始する以前の時期。一周目の二十七歳」

 

 

 ちょうどスコッチのNOCバレがあった日なのでよく覚えている。

 記憶喪失を自覚した時期は二十七歳の十二月で間違いない。

 

 完敗だった。秋の仮説は完膚なきまでに封じられた。

 

 

 しかしこのまま終わるわけにはいかない。

 秋はどうにか空気を払拭しようと、雑な話題転換を試みた。

 昔よりは多少成長したつもりだが、自分の恥ずかしい失敗を誤魔化さず受け入れられる域には達していない。

 

 

「あー、その、なんだ、髪の毛切った?」

 

「ここ最近忙しくて美容院に行けてないわ。見れば分かるでしょう」

 

「じゃああの方の奥の手って?」

 

「……」

 

 

 途端、シェリーは予想外の反応をした。

 雑すぎる話題転換にジト目を向けて「お姉ちゃんの無事が確定するまで教えないって言っているでしょ」と呆れ声で言われるかと思っていたが、彼女は表情を凍りつかせた。

 表情を硬直させたまま一点を見つめる。

 

 しばらくすると、彼女の表情が急変した。

 一瞬だけ瞳に昏く輝く好奇心を宿し、歓喜に唇を釣り上げる。

 

 シェリーだ、と秋は思った。

 冷たいものが背中を駆け抜ける。

 垣間見えた彼女の表情は、普段見ている皮肉屋で姉が大好きな少女ではなく、組織が作り上げた冷血な科学者のものだった。

 

 

 しかし、一瞬見えた気がした『シェリー』の姿はすぐさまかき消えてしまう。

 残ったのは、ひどく疲れた様子で口元に手をやる十四歳の子供だけだった。

 顔には自身への嫌悪感がありありと浮かんでいる。

 

 表情は凍りつき、肌は血の気が引いて紙よりも白くなっている。

 視線は何かから逃げるようにさまよい、焦点を結ばない。

 口元に添えられた指が震え、喉が何度も動く。口の渇きをどうにかしたいのか、幾度も唾を飲み込んでいる。

 

 秋は取り乱す彼女の姿を見て初めて、彼女の顔つきに幼さが残っていることに気がついた。

 背負っているものの大きさのせいか、実際よりもさらに身体が小さく見える。

 先ほど見せた表情からのあまりの変わりように、自分が見たのは白昼夢だったのではないかとすら思えてくる。

 

 

「シェリー……?」

 

 

 躊躇いがちに呼びかけると、彼女は自分にほとほと嫌気がさしたと言わんばかりの自嘲的な笑みを浮かべて首を振った。

 

 

「なんでもないわ。ただ、自分に染み付いた性質に嫌気がさしただけだから」

 

 

 話が掴めないにも程がある。

 秋は反応に困った。

 数秒間居心地の悪い沈黙が訪れる。

 

 これではいけないと思ったらしく、数秒の逡巡の末にシェリーが付け加えた。

 

 

「今気づいたのは、一見不可解な記憶喪失の真相よ。これだけは伝えておく」

 

「!」

 

 

 彼女はこの一瞬で、記憶喪失の謎を解明したと言うのか。

 秋は驚愕のあまり目を見開いた。

 

 シェリーは蒼白な顔で、「でも」と続ける。

 

 

「でも今は言えない。その代わり、いずれ必ず教えると約束するから」

 

「……だろうね」

 

 

 秋は一拍置いてから答えた。

 

 直前の会話を踏まえると、あの方の奥の手というワードがきっかけとなってシェリーは何かに気づいた。

 その「何か」は、記憶喪失の謎を解明できるものだった。

 

 あの方の奥の手が絡んでいるのなら、続く言葉は決まっている。

 

 

「記憶喪失の真相を教えるにはあの方の奥の手が何なのかから説明しないといけないか、記憶喪失の真相を教えるとあの方の奥の手が簡単に予想できてしまう。だから今は言えない、と」

 

 

 秋は半目でシェリーの考えを代弁した。

 お決まりのパターンだ。

 

 シェリーと秋の視線が絡み合う。

 普段の生意気で堂々とした態度を思うと信じられないことに、シェリーの瞳が懇願するように潤んだ。

 

 数秒彼女の瞳を見つめてから、ふいと視線を逸らす。

 

 

「まあいいよ、宮野明美の生存が確定した段階で教えてもらえるなら。元々そういう取り決めだしね」

 

 

 どうせ追求したところで教えてもらえないから先手を打つ。

 それに、この状態の彼女を問いただすのは躊躇われる。

 

 

(今引いたところで、無事に宮野明美の死を回避できた時に全てを教えてもらえるのは確定している)

 

 

 秋は心中で呟いた。

 一時撤退の判断を下したのは、これが最もたる理由だった。

 

 宮野明美の死を防ぐというこちらの条件を達成すれば、シェリーは絶対に全てを教えてくれる。

 この周であの方との決着をつけると秋が決めた以上、彼女は情報を出し惜しみできない。

 

 秋があの方に敗れたら、またループが起こる。

 巻き戻った時間の中で物事は『正史』通りに進み、宮野明美は死ぬ。

 それが何度も繰り返される。

 秋があの方の手中に落ちている以上、今回のように姉を助けるチャンスすら得られない。

 

 シェリーが宮野明美を助けたいなら、あの方との決戦を控えている秋を情報不足のまま放り出すわけにはいかないのだ。

 

 急いで聞き出さなくても時が来れば全てが分かる。

 

 

 *

 

 

 シェリーはあの日を境に、忙しさに拍車をかけたようだった。

 検査協力を利用した密談の際も、隙間時間を使って研究データと向かい合っていることが増えた。

 受けさせられる検査の種類も増えた気がする。

 

 具体的に何をしているのかは知らないが、彼女が見抜いた真相が原因なのは間違いない。

 

 シェリーを直接問いたださないと決めた以上、秋は無言を貫いている。

 無言を貫きながら、あれこれ考えている。

 宮野明美の生存が確定するまで聞かないと約束したが、個人的に考えたり探ったりしないとは言っていない。

 

 

 教えてもらえるタイミングをボーッと待っているのは愚策中の愚策だ。

 直接シェリーを問いただすのは避けるにしても、自分の頭で考えることをやめてはいけない。

 

 

 例えば、宮野明美を助ける計画が頓挫したらシェリーは必ず口を閉ざす。

 秋はもう一周余分にやり直して、今度こそ明美を助ける代わりに全ての情報を教えてもらう約束を彼女と交わさなくてはならなくなる。

 

 

(この私が失敗するなんてあり得ないけど。あり得ないけど!! 万が一、いや、億が一失敗した場合、真実を知るまでにさらに十五年プラスでかかる。加えて、今回気づいた『何か』を次の周のシェリーが気付いてくれる確証もない。別方向からアプローチしておくのが無難だ)

 

 

 さらにごくごく低い可能性だが、シェリーが思い違いをしている場合もある。

 自分でも考えておいた方が成功率が上がるのは間違いないのだから、考えておくのが一番だ。

 

 

 そのためあれ以降の検査協力では、シェリーが自分の思考に没頭し始めて手持ち無沙汰になると、あれこれ考えるのが定番となった。

 シェリーも秋のこの思考を察しているだろうが、一言も触れずにカルテに集中している。

 

 

 二人とも表層で無言を保ちながら、水面下で思考を巡らせているのが、ここ最近の検査協力の空き時間の光景だった。







補足


原作7年前
警察学校組22〜23歳
(萩原の誕生日は11月7日以降だったと思われる)

原作時空
警察学校組29〜30歳
(降谷はまだ誕生日を迎えてない)

原作3年前
警察学校組26〜27歳
(景光と同年に殉職していて当時の年齢が26歳だと明かされている松田は、殉職の日にまだ誕生日を迎えていなかったことになる。
戸籍上の誕生日が秋(季節)である主人公は、十二月のスコッチNOCバレ時点で27歳になっている。)


という設定で書いています。
間宮秋は警察学校組と同い年です。
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