そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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第29話

 何度か前の検査協力で、シェリーは記憶喪失の謎を見抜いた。

 しかし彼女が最後まで伏せておくと決めている『あの方の奥の手』が絡んでいるせいで詳細は何も教えてもらえず、宮野明美の死亡偽装を成功させるまで待たされることとなった。

 

 

 シェリーの目的が宮野明美の生存である以上、彼女がいずれ記憶喪失の真相を教えてくれることは確定しているが、だとしてもそれまでの四年間ただ待ちに徹するつもりはない。

 

 

 それは宮野明美の死亡偽装が失敗したら教えてもらえなくなるからだし、シェリーが思い違いをしている場合に備えて、人任せにせず自分でも考えておいたほうが無難だからだし、八周目と九周目の最悪な展開を踏まえてそう在ろうと決めたからだった。

 

 

 

 八周目で、萩原はあの方によって爆殺された。

 そして九周目が始まると同時にあの方に誘拐された。

 

 

 彼がこの経緯を辿ったのは秋が八周目のあの方の動きに気づかなかったからであり、萩原があの方に目をつけられたのは秋と関わり続けたせいだった。

 

 あの方は『以前の周』で起こった事件が萩原の周囲で未然に防がれていることに目をつけ、秋に萩原を探らせることで彼がループ者か否かを確認した。

 

 自分がもっと真面目に現実と向き合っていればあの方の目論見に気づけたかもしれない。

 

 

 何より、萩原は秋が黒の組織の一員であると知っていた。

 秋が接触してきた時点で、自分が組織に探られていると分かったはずだ。

 自分の身の安全を確保したいなら、秋の接触をいなせばよかった。

 自分を探るために近づいた秋を徹底的に避けていれば、ずっと安全だったかもしれない。

 

 

 しかし萩原は秋の正体を承知した上で、何も知らないかのように振る舞い関わりを持ち続けた。

 多分それはかつての知り合いだという秋を慮ったからだ。

 萩原が八周目で死ぬ直前の会話を踏まえると、彼は秋に過去の出来事を伝えるタイミングを伺っていた。

 おそらく彼は、秋に過去を伝えるためにそばに居続けた。

 

 その結果があれだ。

 萩原は裏で暗躍するあの方に爆殺され、次の九周目ではループ者の研究のために誘拐された。

 

 

 

 自分がいなければ萩原はあのような目に遭わなかったはずだ、と思う。

 最悪の九周目は自分のせいだ、と思う。

 あの方との決戦を迎えるまでの間に、どうにかしてケジメをつけなければ、と思う。

 

 

 

 八周目の死によってタキオンを失った萩原はループ能力を失っており、『以前の周』の出来事を何一つ覚えていない。

 それにより、あの方は彼への興味を失っている。

 この状況を保つため、秋は二度と彼に接触しないと決めている。

 

 萩原から過去のことを聞き出すのは不可能。

 となれば、ケジメのつけ方は一つだけだ。

 

 

 あの方によって殺害されたあの日、萩原は何かを伝えようとしてくれた。

 萩原が過去の周に関する全てを忘れている今、これを解き明かせるのは秋しかいない。

 彼が伝えようとしてくれていた「何か」を暴く。

 これが自分にできる唯一の事だと思う。

 

 

 そしてその「何か」とは秋の過去だ。

 秋が覚えていないだけで、萩原と秋には八周目以前に面識があったらしい。

 その時の話を彼はしようとしていた。

 

 

 秋の過去は、記憶喪失の謎と直結している。

 記憶喪失の謎を解き明かせば、萩原が伝えようとしてくれていた「何か」に大きく近づくだろう。

 

 

 だから秋は、真相をシェリーに教えてもらう日をただ待つだけでなく、自ら動いて自主的に探っていく方針を打ち出した。

 

 

 

(まあ、あれこれそれっぽい考えを並び立てたところで、私は自分の目的のために『この周でも組織に入る』という選択をしているわけで、私が最悪なことに変わりはない。……いや、自分と親しい相手の事例だけを特別扱いして、それ以外の大勢に対して犯した罪はそのままにしているくせに殊勝な態度を取って楽になろうとしているんだからより最悪か)

 

 

 自分はエゴイストだ。

 この周が開始したと同時に自分の非道さを自覚したというのに、「あの方を止める」というエゴを貫き通すために犯罪者を続けている。

 

 いくら萩原の件を悔やんで少しばかり態度を改めたところで特に何にもならないし、中途半端な改め方しかできないのなら醜悪さが増すだけかもしれない。

 

 だとしても、せめて自分の罪深さを自覚していないといけないんだろうなと思う。

 

 

(だからせめて、シェリーに教えてもらうのをボーッと待ってるんじゃなくて、自分で向き合おうとしなければならない)

 

 

 

 

 そういうわけで、秋はシェリーが気づいた記憶喪失の謎とやらについて考えていた。

 

 今は、シェリーが気づいた日から何度目かの検査協力中だ。

 

 あの日以降のシェリーは今まで雑談に興じていた隙間時間を全て作業に回すようになったため、隙間時間は秋があれこれ考える時間にもなっている。

 

 

 秋は自身の思考に沈み込む。

 

 記憶喪失の謎の肝は、「何をしていたのか覚えてない空白期間は存在しないはずである」「しかし何をしていたのか覚えていない空白期間がある模様」という矛盾しまくった二つの事実だ。

 

 後者は、「萩原とかつて面識があった」とか、「どうやらスコッチと昔何かがあったらしい」などの状況証拠から導き出せる。

 

 

(で、多分。どっちがよりループと密接に関わってくるかというと、元ループ者だった萩原だ)

 

 

 あの方の奥の手が関わっている記憶喪失の謎と、組織が行なっているループの研究。無関係とは到底思えない。

 

 萩原の事例をメインに考えていこう。

 

 

(萩原は私やあの方のように元々ループ者だったわけではなく、後天的に世界の巻き戻りを認識できるようになった人物だった。言わば後天的ループ者)

 

 

 萩原の証言を元にして組み立てた理論によると、後天的ループ者とはある日を境に時間が巻き戻っても記憶を引き継ぐことが可能となり、ループ現象を認識できるようになった人間だ。

 『後悔』と呼ばれる意思によって、ループ発生・終了を引き起こす先天的ループ者と異なり、ループ現象そのものに本人が影響を与えることがない観測者である。

 

 

(……にしても、どうして後天的にループ能力を得たんだ?)

 

 

 秋ははたと考えを止めた。

 よくよく考えたら、後天的ループ者についてさっき挙げた要素以外何も知らない。

 

 

(死亡による記憶喪失説が否定されたせいで振り出しに戻ったわけだけど、また一から考えるにあたって、理解が曖昧な物事の概要をしっかり把握するところから始めよう。定義が曖昧だと思考が袋小路に入りがちだし)

 

 

 おあつらえ向きに今は検査協力中だ。

 秋はシェリーを見やった。こちらの存在など忘れたかのように、カルテと見つめ合っている。

 

 

「ちょっと聞きたいんだけど、今話できる?」

 

 

 秋が話しかけると、シェリーはやっと手を止めた。

 カルテから目を上げる。

 

 彼女はあの日以降、今まで雑談に興じていた隙間時間を全て作業に回すようになっていた。

 

 

「大丈夫よ」

 

「そもそも後天的ループ者ってなに?」

 

 

 ざっくらばんとした秋の質問に、シェリーは視線を上に放り、あごを撫でた。

 ちょっと考える素振りを見せてから、ハキハキと答える。

 

 

「第一にだけど、後天的にループ者になる方法は判明しているわ」

 

「してるんだ」

 

「タキオンを摂取すればいいのよ。タキオンを摂取した人間が、タキオンを保持し続けられる体質なら後天的にループ者となる」

 

 

 タキオン。

 ループ現象の原因となっている粒子名だったはずだ。

 

 時間の巻き戻りが何度も繰り返される仕組みは不明であり、一生解明されないだろうと聞いているが、時間が巻き戻る時に記憶を引き継げる人間がいる理由なら判明している。

 

 ループ者は体内に時間を遡行する性質を持つ『タキオン』という物質を保有しており、それがシナプスと結びついているために記憶が持ち越されるらしい。

 

 だから後天的ループ者になるためにタキオンが必要なのは分かる。分かるが……。

 

 

「それだけ?」

 

「それだけ。とは言っても結構難しいのよ。タキオンを手に入れるのもそうだし、仮にタキオンを摂取できたとしても体質面をクリアできなければループ者になれない。前の周の私がアドニスを挟んで伝言を託してきた事を考慮すると、私は体質面をクリアしていないはずよ。タキオンを入手できる立場にいた私が、姉の死を知って自分がループ者になろうと考えないはずがないもの」

 

「なるほどね。だから私はこんな面倒なことに巻き込まれているわけか」

 

「何か言った?」

 

「べっつにー」

 

 

 軽口を叩きはしたが、シェリーが伝言を託すことを思いつかなければ、組織の研究やループ現象のあれこれを知るのは不可能だったはずだ。感謝はしている。

 

 

「じゃあ、後天的ループ者だった萩原はどうやってタキオンを摂取したか、って話になってくるけど……」

 

 

 体質は完全な運だから考慮しないとして、タキオンはループ者の体内にしか存在しない粒子だ。

 滅多なことがないと摂取できない。

 

 秋は少し考え込み、やがて浮かんできた仮説を口にした。

 

 

「マッドサイエンティストのあの方が非合法な実験を行なって後天的ループ者を量産したとかは?」

 

 

 言いながら、「あり得ないだろうな」と思った。

 予想通りすぐに否定される。

 

 

「あなたへの対応だけでも、ループ能力という特別性に優越感を見出した傲慢さが見え隠れしている。実験のためだとしても他人に能力を与えるような真似をするとは思えないけど」

 

「だよねぇ」

 

 

 自分で言っておいてなんだが、後天的ループ者を人工的に作り出す実験をするにしても、大量にいる人体実験要員のどれかを選ぶだろう。

 ここで言う人体実験とは秋が協力している生やさしいものではなく、命の危険が多分にあるモルモットのことだ。

 組織を裏切ろうとした末端が定期的に補充されているので、モルモットは有り余っている。

 いくらでも実験し放題だ。

 

 

 なんら関係性のない、それも警察官を実験体に選ぶ意味がないし、彼が萩原をループ者にしたのなら、秋やバーボンを使って探る必要がない。

 萩原がタキオンを摂取したのは完全なる偶然、事故だと考えていい。

 

 

「タキオンを摂取したのは事故だったとして、そんな機会ある?」

 

「ゼロではないわ。普段させられているサンプル検出を思い出しなさい。唾液、汗、尿、涙、血液、などなど」

 

「あー、ループ者の体液に含まれてるとかなんとか」

 

「そう。タキオンはループ者の体のそこかしこから検出される。細胞はもちろんだけど、『他者への譲渡』という点においては体液が最も優れているわね。だから組織は私を窓口役にしてアドニスに体液を提供させ、そこからタキオンを抽出して研究しているのよ。特に脳付近の血管には多くのタキオンが含まれてる。真っ先に考えられるのは、頭から出血したループ者の血を被ることで後天的ループ者になったケースね」

 

「うーん、爆弾事件とかがやけに多い米花町なら考えられなくもないか」

 

 

 「タキオンを萩原に譲渡したループ者」候補はあの方と秋だけだが、あの方にタキオン譲渡の覚えがあれば八周目になってやっと動くのは遅すぎるし、彼はそんなに外をほっつき歩いていない。

 譲渡したループ者がいるとしたら、どう考えても秋だろう。

 

 

 

 確か毛利探偵事務所に転がり込む前の萩原は、爆発物処理班に所属していたはずだ。

 

 秋がついうっかり爆発事件に巻き込まれて処理に当たっていた萩原と遭遇し、ついうっかり爆発を許し、飛んできた瓦礫とかで頭を切って、たまたま近くにいた萩原に頭の血がかかったせいで、萩原が後天的ループ者になった。

 妙な説得力があって地味にあり得そうだ。

 

 

(いや、だとしても私にはそんな間抜けな経験はない。八周目以前に萩原と面識を持っていた記憶だってない。

その時期のことを忘れていると仮定するにしても、私の記憶に空白期間は存在しないし、いくつかの周を忘れている説も否定されている。萩原にタキオンを譲渡したタイミングがない)

 

 

 

 困って、秋は駄目もとで尋ねてみた。

 

 

「じゃあやっぱり記憶から抜け落ちてる周があって、その時に萩原へタキオンを譲渡した……?」

 

「前回のあなたの仮説への反論を忘れたの?」

 

 

 シェリーはピシャリと言った。

 

 

(となると私が萩原にタキオンを譲渡していた説は不可能になる。でもなぁ……)

 

 

 いくら不可能に思えても、この仮説を完全に切り捨てるのは躊躇された。

 「記憶から消えている周」の存在を持ち出さないと話が堂々巡りになる。

 

 

 しかし、シェリーの反論を踏まえた上で「記憶から消えてる周」の実在を成り立たせる仮説など思いつかない。

 この仮説に囚われ続けるのは時間の無駄のように思えた。

 秋は釈然としなさを抱えながらも、別の方向から考えてみることにする。

 

 

 

(萩原関連で他に不可解なことって言ったら……。そうだ、萩原は自分が死ぬはずの『正史』の出来事を知っていた)

 

 

 体感では何十年も前の出来事なので正確に話の流れを覚えてるわけではないが、八周目の彼は正史、つまり一周目の自分は爆弾解体中に死ぬはずだったと発言していた。

 これは間違いない。

 

 

 どうして彼は一周目の出来事を知り得たのか。

 

 当時は、自身の経験をそのまま話しているのだろうと何となく思っていたが違う。

 シェリーの話によると、ループ者がループの途中で死ぬと体内のタキオンが消失して記憶を引き継げなくなる。

 

 もしも彼が一周目で死んでいたのなら、体内のタキオンが消失して、とっくの前から非ループ者となっているはずだ。

 

 

(萩原が死ぬ予定だった爆弾処理現場に私が乱入して、突発的な乱入者によって爆死を免れたから「正史なら死んでいるはず」って発言をしたとか……?)

 

 

 いまいちピンと来ない仮説だ。違う気がする。

 

 一人で考えていても(らち)が明かないので、要点をざっくりと掻い摘んでシェリーに相談してみることにした。

 

 

「そう言えば、八周目の萩原が『一周目の自分は死ぬはずだった』って発言しているんだよね。でもループ者が死ぬと前の周の記憶を引き継げなくなるし、ループ体質ですらなくなる。もしも一周目で萩原が死んでいたのなら、萩原はループ者じゃなくなっているはずなんだけど、八周目時点ではループ者だった。八周目時点でもループ者のままならタキオン消失は起こっていない、つまり萩原はどの周でも死んでいないことになる。そうしたら今度は、一周目の自分は死ぬはずだったと知る機会がなくなる」

 

「タキオンを譲渡されてからアドニスと出会う八周目までの間に、萩原さんが死んだことがないのは間違いないわね」

 

 

 シェリーは思考するようにデスクを指で叩きながら言った。

 

 

「彼が一周目で死んでいるという情報と両立させようと思うと、タキオン譲渡が起こったのは二周目以降ということになる」

 

 

 要するに、ループが始まる→一からX−1周目の間にかけて萩原が死ぬ→X周目でタキオン譲渡、という流れだ。

 

 

「じゃあ萩原が正史の自分が死ぬって知っていたのは? タキオンを譲渡された周以降の記憶しかないはずなんだから、一周目の出来事なんて知りようがない」

 

 

 会話が進むにつれて、シェリーの顔から血の気が引いていくのが気になった。

 今や青白い顔になったシェリーが震える唇を開く。

 

 

「ループ者から聞いた、とか」

 

 

 シェリーの声は普段よりもか細かったのに、はっきりとした響きとして耳に届いた。

 水面に雫が落ちて波紋が広がる様子を想起させられる響きだ。

 

 

「多分、私たちが姉にやろうとしているのと同じことが起こったのよ。萩原さんは一周目の出来事を知っている誰かから助けられ、本来は何が起こる予定だったのかその時に聞かされた。この場合、一周目の出来事を知っているのはループ者だけなんだから、一周目の出来事を教えてくれたループ者からタキオンを移されたと考えるのが妥当でしょうね」

 

「……他のループ者がいる可能性は限りなくゼロに近いから考えないとして、候補は私とあの方。ただしあの方が譲渡者なら、八周目で動くのは遅すぎる。萩原の口ぶり的に八周目時点で五回はループを繰り返していたようだったし、あの方によるタキオン譲渡が行われていたならもっと前に誘拐が起こってるよ。……となると、その譲渡者は私ってことになるけど」

 

「……そう言っているのよ」

 

 

 意外な答えが返ってきた。

 

 認識上の一周目以前にループが始まっていた説を否定された以上、「萩原とファーストコンタクトを果たした時だと目される、何をしていたのか覚えていない時間」が存在しないという根本的な問題がある。

 時系列は「八周目以前の萩原と秋の接触」を否定しており、二人の接触の実在を示すのは萩原の証言だけだ。

 

 八周目で彼の人間性と洞察力を目の当たりにして信頼するに至った秋ならともかく、シェリー視点では萩原の証言など何の信憑性もない。

 真っ先に疑ってかかるべき代物のはずだ。

 

 

 しかしシェリーは肯定し、この思考実験を続ける。

 

 

「彼は自分が何周分同じ時を繰り返しているのか明言したことはある?」

 

「ない、けど、」

 

「八周目の、アドニス視点では初接触、その人視点では再会した時の反応で、あなたに『自分を助けてくれた周』の記憶がないことを見抜いたんでしょうね。双方が認識している周にズレがあると分かっていたから、あなたの混乱を避けるために、自分が繰り返している回数を意図的に伏せたと考えても筋は通るわ」

 

「通らないでしょ」

 

 

 彼女が言っているのは、以下の流れだ。

 

 

 一、X周目で秋が萩原を助け、その際に事故でタキオンを譲渡する。

 同時に、一周目では彼が死んでいたと本人に伝える。もちろんこのX周目とは二周目以降である。

 

 二、秋が記憶を失う。萩原を助けた周ごと、それまで経験した周の全てを忘れる。

 

 三、次のループが始まる。

 これまでの周を覚えていない秋は、この時始まった周が二周目だと誤解する。

 同時に、その直前の周がオリジナルである『一周目』だと誤認する。

 

 四、萩原と秋、二人が覚えている周の回数に違いが生じる。

 萩原は秋の様子から複数の周ごと記憶を失っているであろうことを察し、自分が何度繰り返したのかを意図的に伏せる。

 

 

 しかし秋が忘れている周など存在しないはずだ。

 シェリー本人もついさっき否定した。

 あまりにも矛盾している主張だ。

 全く話が見えてこない。

 

 

 秋は思わずこめかみを押さえた。

 声も普段の自信満々さを失い、少し疲労が感じられるものとなった。

 

 

「これまでの話をまとめると、萩原と接触して、彼が正史で死んでるはずだって伝えていたかもしれないタイミングなんて存在しないことになるよね。記憶から失われている周の存在も否定されてるし」

 

「……まあ、時が来れば教えるわ」

 

(わ、わかんね〜〜〜〜!!!)

 

 

 

 内心悲鳴をあげながら、頭の中で情報を整理してみる。

 

 

 シェリーが真相に到達した時の状況からして、秋の記憶喪失にはあの方の奥の手が関わっているのだろう。

 そして、「作らされている薬の効能が明らかになれば、あの方の奥の手が簡単に予想できてしまう」という発言から、あの方の奥の手はシェリーが作らされている薬と関係が深いことが分かる。

 

 薬の詳細は教えてもらえておらず、判明しているヒントは一つだけ。

 

 

 シェリーが作らされている薬の試作品の一つに面白いものがあるらしい。

 その名も(アレウス)の牙。

 猪と書いてアレウスと読む、いかにもあの方が好きそうな名前をしている。

 

 

 あの方が薄暗い洋館の一室で、暖炉に踊る火を見つめながら高そうなワイングラスを持ち、もう片方の手で毛並みの良い猫を撫でつつ、高笑いをして「……(アレウス)の牙」と呟いていそうなことしか秋には分からなかった。

 彼女はあの方を厨二病ジジイだと思っている節がある。

 

 

 ともかく、シェリーが作らされている薬が何なのかも、その薬の効能のヒントになるであろう試作品の猪の牙も、何に使うものなのかほとほと検討がつかない。

 その先にあるあの方の奥の手などもっての外だ。

 

 

 

 今度はシェリーが猪の牙について話していた内容を思い返してみる。

 

 そもそも、猪の牙が開発されたのは今よりも前の周らしい。

 試作品と言っても元々用意していた資料に従って作らされた形なので、何周か前のシェリーが完成させた試作品なのだろうという話だった。

 

 猪の牙が初めて完成したのはどれほど前の周なのかは不明だが、シェリーの口ぶりを思い返すと、彼女は「前回」「前々回」よりも以前だと考えているようだ。

 組織に残っている研究データを見れば、何周前のデータなのかざっくりとした予想が立てられるのだろう。

 

 

 ともかく猪の牙はかなり前の周にできた試作品であり、シェリーはあの方に命じられて実物を作らされている。

 「猪の牙を製作した経験」をシェリーに積ませることで研究の質をあげたかったのか、猪の牙の実物が欲しかったから作らせたのか、あの方の真意までは読み解けない。

 

 

 判断材料が足りない中で考えても仕方がない。

 あの方の真意は置いておき、今度は猪の牙の効能について考え出す。

 

 

 これまたシェリーの話によると、猪の牙は一見無用の長物に見える。

 地球上のほとんどの人間には何の効力も発揮しないのだから、製作中のシェリーには使い道が皆目検討つかなかったそうだ。

 

 しかし、あれは愚かしい代物だとシェリーは断じた。

 「今となっては愚かしい代物だと断言できる」という趣旨の発言をしていたのを考慮すると、ループの存在を認識しているか否かが評価の分かれ目なのだろう。

 

 ループの存在を踏まえて考えると猪の牙を何に使うのかが分かり、どのような現象をもたらす薬なのかが理解できた。

 その上で愚かしい代物だと断じた。

 

 

 

 以上が、あの方の奥の手や、秋の記憶喪失の真相を考える上で重要な、『猪の牙』の概要だ。

 

 猪の牙とシェリーが作らされている薬は繋がっており、シェリーが作らされている薬とあの方の奥の手も繋がっている。

 猪の牙とあの方の奥の手がイコールなのか、シェリーが作らされている薬を通じて間接的に繋がっているだけなのかは不明。

 しかし二つがイコールで結ばれている可能性は高い。

 

 

 名前の由来を踏まえると、猪の牙は対間宮秋用の薬だと予想されるためだ。

 

 

 シェリーがドヤ顔で告げた「猪の牙」の名前に微妙な反応をしたら、「なぜそのコードネームでギリシャ神話の知識がないのか」という旨の小言を言われた。

 言われっぱなしは性に合わないので調べた。

 そしたら察しがついた。

 

 

 そもそも秋のコードネームである「アドニス」とは、由来を辿っていくとギリシャ神話に登場する美少年アドーニスに起因する。

 アドーニス、別名アドニスは二人の女神に取りあわれた美少年だが、最終的に痴情のもつれで殺される。

 

 コードネームに愛着もクソもなかった秋は、シェリーに言われて調べた際に初めて知った。

 もっと前に知っていればコードネームに絡めた自画自賛が使えたのにと思わなくもないが、悔やんでいても話が進まないので考えないことにする。

 

 

 ともかく、ギリシャ神話のアドーニスは最終的に痴情のもつれで殺されるが、彼を殺すのが猪に化けたアレスである。アレスはアレウスとも呼ばれる。

 これが(アレウス)の牙の由来で間違いない。

 

 

 つまりシェリーがわざわざあの方に作らされた試作品は、アドーニスを殺した神の名を冠しているのだ。

 どう考えても秋を意識した名付けである。

 

 

 

 名前の由来を素直に解釈すれば、猪の牙は対間宮秋用。

 だからこそ、あの方の奥の手は猪の牙の可能性が高いと予想できる。

 

 そりゃあシェリーも匂わせたくなるし、オーディンだのトト神だの言っていた秋が理解できなかったらキレる。

 

 ともかく。

 

 

(あの方の奥の手が猪の牙だと仮定して、じゃあ猪の牙とは何を引き起こす薬なのかって話になってくる)

 

 

 神話の通り秋を殺したいのなら、わざわざ特別な薬を作らなくても一般的な毒で事足りる。

 

 また、「ループ能力を奪う=殺したも同義」という理論でもなさそうだ。

 相手のループ能力を奪いたければ、どこかの周で普通に殺すだけでいい。

 一度死を迎えたループ者がループ能力を失うことは萩原の件で判明している。

 

 

 唯一思いつくそれっぽい解釈は「記憶を消す」。

 記憶の消失はこれまで積み上げてきた自己が消えることを意味するのだから死ぬのと同義、というような理屈は成り立つ。

 この理屈は、秋が忘れている周が存在するかのような話し振りをするシェリーとも合致する。

 

 

(でも私が忘れている周があるって話はシェリーに否定されてるんだよなぁ……)

 

 

 どれだけ考えても「存在ごと忘れている周がある」という説に行きあたるが、同時にシェリーから否定されている事実が立ち塞がる。

 

 ただし、否が応に問答が中断されると共に、何かを見落としているような気持ち悪さが湧き上がってくる。

 自分は何かを見落としている。

 何かは分からない。

 

 

 判明したのは数ヶ月後。

 水族館で行われた、スコッチとの共同任務でのことだった。

 

 秋はシェリーの説明を待たずして、真相にたどり着いた。

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