そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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第30話

 信号が赤に変わる。

 秋がブレーキを踏んだタイミングで、隣に座るスコッチがポケットからボイスレコーダーを取り出した。

 

 

「これ、ライと恋人の話題になった時の音声。二人の関係について探って欲しいって話だったろ」

 

「ありがと、後で確認しとく。そこに入れといて」

 

 

 秋はスコッチの手元から左前に視線を移し、目でグローブボックスを指し示した。

 スコッチが蓋を開けながら言う。

 

 

「って言ってもただの雑談だけどな。大した会話はできてない。本当にこんなのでいいのか?」

 

「二人の関係が良好だって分かれば十分だよ。組織の人間と交際している姉を心配しているシェリーを安心させる材料になれば、それでいいんだから」

 

 

 秋が口にしたのは表向きの理由だった。

 

 「シェリーを安心させたい」という名目でスコッチに諸星大と宮野明美の関係を探ってもらっているが、こんなもの嘘っぱちだ。

 

 スコッチと定期的に接触する口実を得るため、シェリーを理由に彼らの調査を依頼したに過ぎない。

 

 定期的に会う口実さえ設けられれば、その機会に乗じてスコッチからの信頼を稼ぐことができる。

 

 

 

 

 

 

 シェリーと手を組む条件である「宮野明美の生存」を達成するには、作戦当日までに公安警察と協力関係を結んでおかなければならない。

 そのためにスコッチのNOCバレを利用する。

 正体が露呈してあの世に逃げようとしているスコッチをいい感じに救い出し、その際に自分は組織に楯突くつもりだと伝え、彼を救った実績によって公安の協力者ポジションに収まる計画だ。

 

 しかしこのままいくと、「スコッチをいい感じに救い出す」段階で計画は失敗する。

 

 NOCバレした直後のスコッチの前に秋が現れたとして、彼は間髪入れずに自殺する。

 これまでの周で経験済みだ。

 

 だからこそ彼からの信頼を稼いでおき、NOCバレ当日に秋が現れても「一応話を聞いてみるか」と思ってもらえるようにしておかなければならない。

 さらに「公安に寝返りたい」という主張を信じてもらえるだけの実績作りも必要だ。

 

 それらをこなす機会を得るため、諸星と明美の調査報告という名目で、彼と定期的に会う場を設けて今に至る。

 

 

 

 そして。

 なぜ調査報告を走る車の中で受けているのかと言えば、報告のついでに共同任務先に向かっているからだ。

 

 「どうせなら共同任務を入れた方が時間の節約になるし、二人で会っていても怪しまれないし、スコッチの腕が気に入った」と適当な理由を並べて、定期報告のついでに共同任務の予定を入れている。

 

 共同任務があれば、任務関連の雑談にかこつけて組織の情報を漏らすことも可能になる。

 その上で、NOCバレ後に前々からスコッチの正体を察していたと明かすことで、「アドニスは潜入捜査官と知りながら諸伏に情報を流していた」という実績を作ることができる。

 

 

 一方、スコッチからしても「アドニス」に任される任務に同行できるのは願ったり叶ったりだ。

 スコッチがこの規模の任務に携わるには、秋に誘ってもらうしかない。

 

 名目上コードネーム持ちは等しく同格として扱われることになっているが、暗黙上の階級制度は存在する。

 基準は「あの方からの信頼」という分かりにくいものだが、要するに組織への所属期間、実績、嫌疑の有無や度合いなどで測られる。

 

 この階級と、任される任務の重要度は連動する。

 

 重要度の低い任務は信用の乏しい幹部に、重要度の高い任務は信頼の厚い幹部に任される。

 

 コードネームを得てから日が浅く、立てた手柄も少ないために信頼が不足しているスコッチは、数十年間あの方に仕えてきた古株と比べると裏切る可能性が高く、どうしても比較的重要度の低い任務を割り振られることになる。

 

 これらの任務をコツコツこなして少しずつ組織で成り上がっていき、重要な任務を任されるようになるには、時間がかかるし犠牲もたくさん出る。

 ショートカットできるに越したことはない。

 

 そしてショートカット方法の一つが、自分よりも上の立場にいる幹部に取り立てられて重宝されること。

 秋が演出している「頼まれた諸星の調査をきっかけに親しくなったアドニスが、任務の同行者として選んでくれるようになる」という状況もそれに当たる。

 

 

 秋が腹の裏で立てている計画を知る由もないスコッチは、「この機会を利用してアドニスに取り入り、さらに情報を得よう」と考えるだろう。

 だから向こうから動く。

 一度きっかけさえ作っておけば、後は秋から働きかける必要はない。

 組織に十年ほど所属している幹部に取り入るため、スコッチがさりげない方法で場を整えてくれる。

 計画を遂行するにあたって「なんだかやけに親切にしてくれるけど何か企んでるんじゃないか?」と余計な疑念を持たれるリスクがなくなる。

 

 

 

 信号が青に変わったのを見届けて、秋はアクセルを踏んだ。

 そのまま説明を開始する。

 

 

「今日の任務は情報と金を交換する取引。人混みに紛れて情報媒体と現金が入ったコインロッカーの鍵を交換するというオーソドックスな方法を使う。

そして取引相手は医者。社会への影響力が高い人間が主な客層の大学病院に勤務してるだけの、ただの一般人だ。取引相手としては最も安全な部類と言える」

 

 

 大事な被検体にうっかり死なれないよう、あの方が手を回した結果、秋に任されるのは直接的に命の危険がない任務である。

 大抵がこのような取引だ。

 

 ──もちろん一つ前の周で萩原を調べるまで、あの方は「いずれかの周で死んだループ者はタキオンを失う」というルールを知らなかった。

 この仕組みを作ったのは、「どうせ幹部がいるんだから有効に使いたいけど、この周で死なれると次の周まで研究が停止するから危険は排除しておこう」程度の考えによってだったはずだ。

 

 

 

「組織は、というか私は、彼から情報を買って権力者や超裕福層の病状を把握し、金儲けに役立てている。表には出せない事情もままあるから強請(ゆす)りに使ってもいいし、手術に必要な臓器の提供を待っている裕福層の人間に臓器売買を持ちかけることだって出来る。使いようはいくらでもある。

なお取引相手は一般人だから危険性は低く、自分が取引している相手が所属している組織の存在すら知らずにいる。私以外の組織の人間と会ったことがないから、私が単独で動いていると思ってるんじゃないかな。

また何度も取引をしている実績があるため、比較的スムーズに事が運ぶはず、だったんだけど」

 

 

 秋はそこで一旦言葉を切った。

 一拍置いてから次の言葉を告げる。

 

 

「どうやら泥参会(でいさんかい)へ寝返ろうとしているみたいなんだよね」

 

 

 泥参会。黒の組織には及ばないものの規模の大きい暴力団組織だ。

 銃の密輸から臓器売買まで、結構な範囲の悪事に手を染めている。

 

 

「泥参会の有力幹部である綿貫辰三が主導している臓器売買を知ってる?」

 

「いや、初耳だな」

 

 

 こりゃあ良い。ついでに泥参会の情報を渡せば、情報提供の実績が増える。

 泥参会は大規模なので警察も存在くらいは把握しているかもしれないが、詳しい事情はそこまで知らないだろう。

 

 

「組織も臓器売買は手がけているけど、日本で幅を利かせているのは泥参会だね。機能しなくなった生活苦難者支援のNPO団体を買い取って、支援対象であるホームレスたちを“利用”しているらしい。居なくなったところで大して騒がれない人間を使うんだから、足もつきにくい。まあそういうわけで、取引相手はより多くの儲けを出すために、組織を裏切って泥参会と組もうとしている」

 

 

 話しながら気分が悪くなった。

 直接手を下すわけではないにしろ、自分が関わっているのは「商品」が生まれる過程でたくさんの人が死ぬ商売だ。間接的な大量殺人と言っていい。

 

 自分はたくさんの屍を踏みつけながら生きている。おまけにこの生き方を選んだのは自主的なものだった。

 初めて組織に入った理由は覚えていないが、二周目以降もこの生き方を改めなかったのは明確な罪だ。

 

 ついでにこの周で自分の罪深さを自覚してもなお、エゴを貫くために同じ選択をしている。始末が悪い。

 

 

 しかし秋はこの思考をおくびにも出さず、淡々と言葉を続けた。

 

 

「で、取引相手の寝返り計画を知った私があの方に報告したところ、裏切る前に手を打てと命じられた。それが今日の任務」

 

「手を打つって具体的にどうやって?」

 

「現場判断でいいみたいだよ。単純な解決方法は殺害になるだろうけど後処理が色々と面倒だし、何より私は穏便派だから普通に警察へ引き渡すつもり。殺さなくてもいい時までわざわざ殺人を選びたくないし」

 

「方法は?」

 

「人混みに紛れて情報媒体とコインロッカーの鍵を交換する取引が終わったあと、私がそのまま立ち去る代わりにスコッチが取引相手を尾行する。監視カメラのない駐車場に着いたところで気絶させて拘束。前もって私が作ってきた、犯罪履歴の証拠データと一緒に本人の車に押し込んで、公衆電話から警察に匿名通報する」

 

 

 取引前に気絶させないのは、相手が最も警戒しているタイミングだからだ。

 こちらを裏切る予定なんだから、彼は気を張り詰めてやってくる。

 秋が裏切りを知っていて、手を打ってくるのではないかと戦々恐々としているはずだ。

 取引現場に人が多い場所を指定してきたのがその証拠だろう。

 

 だから無事に取引を終え、秋が立ち去ったのを確認させてから事を起こす。

 安堵したターゲットの気が最も緩むのはそこだ。

 

 

 

 秋がひとまずの説明を終えたところで、スコッチが声を上げた。

 

 

「そういや、聞いていなかったけどどこに向かってるんだ? 話の流れからして取引場所だよな」

 

「水族館」

 

「は?」

 

「水族館。取引相手の指定場所だよ。私に危害を加えられないよう、人が多い場所を指定してきたわけだ。まあ、匿名通報したあとは取引相手の足取りを警察が調べることになるんだから、容疑者が少ない場所より、多くの来館者の中に紛れ込める水族館の方がこっちもやりやすい」

 

 

 内心でさらに、と秋は続けた。

 

 

(さらに、公安からの潜入捜査官であるスコッチを同行させることで、公安に情報規制を任せられるんじゃないかって狙いもある。匿名通報が組織の手によるものだと早々に分かれば、公安案件だからと捜査を打ち切らせたり、公安が証拠を握り潰すなり、色々勝手にやってくれるだろうし)

 

 

 *

 

 

 そういうわけで二人は水族館に到着した。

 休日だからか、ほとんど空きがない駐車場に車を停める。

 

 アート性を感じさせる歪な形をした建物に入り、チケットを購入して入場する。

 この時点で結構な人混みだ。人混みに紛れて取引を行う予定だから、こちらとしてはありがたい。

 

 

 取引は奥に位置するスタジアムにて、イルカショーの最中に行われる予定だが、時刻までまだまだある。

 自然と、スタジアムに向かうついでに展示物を見て回ることになった。

 

 館内は外と比べれば暖かいが、それでもどことなくひんやりとしていた。

 通路に引かれたマットが足音を吸収し、静けさが保たれている。

 周囲は薄暗く、青い照明に照らされて水槽だけが浮かび上がっている。

 進むにつれて、深海に沈んだ感覚になっていった。

 

 二人は決められた経路に沿って歩く。横に小さな水槽が点在している。

 

 バーボンがいたら滔々と蘊蓄を述べて会話が途切れなかったのだろうが、今は秋とスコッチの二人だけだ。

 それなりに会話は途切れる。

 

 どちらも、水槽を見て思いついたことがあればそれを口にする。もう片方がそれに返す。何度か言葉のラリーを続け、話題が終わったら二人とも口を閉じる。また何か思いついたら口にする。それが繰り返された。

 沈黙による気まずさはなかった。

 

 

 それにしても、こうも魚ばかり見ていると食事を連想する。

 スコッチも同じだったらしい。

 

 

「そういえば食事済ませてきた?」

 

「軽くね。何かあった場合のリスクが高い仕事をしてるし、適当には済ませられないから」

 

 

 前線に立っている幹部たちと比べれば少ないが、こんな仕事をしていれば命を狙われる機会は何度か訪れる。

 その時に空腹で動けなかったら死ぬ。

 どんなに気分が乗らなくても、食事は摂らなければならなかった。

 

 秋はもっぱら外食の力を借りている。

 

 元々食欲不信の気はあったが、八周目でスコッチ軟禁が成功してからは、軟禁生活が終わった後も彼と過ごしている前提で動いてしまうようになった。

 食事の用意を自分でしなくてはいけないことを忘れていて、空っぽのセーフハウスに帰ってきてから思い出す。

 だから仕方なく外食に出かける。

 

 そもそも彼との生活は、まるで元々がそうであったかのように馴染みすぎていた。

 あれこそが自然体で、あるべき形だったのではないかとついつい錯覚してしまう。

 

 

「今日は何を?」

 

「回転寿司」

 

「水族館に来るのに?」

 

「入店してから出るまでの時間が短くて済むから。流れてくる皿を取って、食べ終わったらまた取ってを五回くらい繰り返したら終わるし」

 

「所要時間で外食先を選ぶなよ」

 

「食事で一番重要なのって所要時間じゃない? 特にこの近くのチェーン店なら利便性もいいし」

 

「ああ、国道沿いの」

 

「そう、そこ」

 

 

 また会話が終わり、沈黙に包まれる。

 気まずさは微塵もないのが不思議だった。

 

 

 やけに多いクラゲエリアを抜けると巨大水槽が現れた。

 微妙にカーブしているので正確には分からないが幅、奥行きともに八メートル以上はある。

 周囲に設置されたライトが水槽を照らし、幻想的な光景を作り上げている。

 

 

「綺麗だな」

 

 

 スコッチが思わずといった様子で漏らした。

 

 

「フッ……。それほどでもあるかな……」

 

 

 秋は肩をすくめて得意げに笑った。

 

 

「ごめん、水槽の話」

 

「いいよ照れなくて」

 

「あ、フグ。フグって可愛いよな」

 

 

 スコッチは対応に困ったのか、しれっと話題を変えた。

 せめて「アドニスも綺麗だよ」くらい言えばいいのにと秋は思ったが、彼にそのような振る舞いを求めるのも酷だと考え直した。

 

 スコッチの言動を振り返ってみると、スマートな振る舞いができるタイプではない。

 思い当たったのが五十回目の反芻時だったため突っ込む機会を失っていたが、彼は女性に味がある発言をする男である。

 合コンに行っても男友達と料理の美味しさについて語っていそうだ。

 

 しかもフグが可愛いと来た。

 彼の美的センスが怪しくなった今、水槽のついでに容姿を褒められても嬉しさが軽減する。

 

 

 秋もスコッチが指差すフグに目を向けてみる。

 お世辞にも可愛いとは言えない顔をしていた。

 

 

「フグは刺身の前段階でしかなくない……?」

 

 

 水槽に映った自分の顔が心底不思議そうにしている。声にも困惑が出ていた。

 

 

「いやほら、頑張って自分を大きく見せようとしているところが可愛いというか……」

 

 

 説明を聞いたところで彼の美的センスへの不可解さが増しただけだった。

 秋は心底理解できないという顔で「変な美的センスしてるね」と返した。

 

 

 

 ゆっくりとした歩調で歩いていると、マンボウが眼前を横切った。

 スコッチが足を止めて水槽に向き直る。

 

 

「マンボウが空を飛ぶって知ってる?」

 

「いや、初耳」

 

 

 秋も水槽へ体を向けて返す。

 

 

「運が良ければ水族館でも見れるらしいよ。ジャンプの理由はまだ判明してないけど、一説では寄生虫を振り落とすために飛び上がるとも言われている。他にも、ジャンプ後の着水の衝撃でほとんどが死ぬとか、日光で死ぬとか、真っ直ぐ泳ぐことしか出来ないから岩にぶつかって死ぬとか、人間に好き勝手言われているんだ」

 

 

 なんだかバーボンみたいに蘊蓄を述べ出したぞ、と秋は思った。

 昔、彼本人から聞いた受け売りなのかもしれない。

 一周目で降谷が語ったところによると、彼らは親友で幼馴染だったはずだ。

 

 

 それにしても好き勝手言われるマンボウは、オカルト話に似ていた。

 どれだけ事実に基づいていなくても、面白ければ噂は広まる。

 

 そして秋は厳密に事実を取り扱う方ではなかった。

 事実の探究はシェリーのような研究者に任せておいて、自分たちは面白い俗説をネタにダラダラと話していればいい。

 

 

 秋は与太話に真剣に向き合うことにした。

 

 

「寄生虫を振り落とすためにジャンプするけどそのほとんどが死ぬって話が正しいとして、それでも空を飛ぶ理由は? ほら、あのパネルに魚は外気に触れるだけで皮膚炎のリスクを負うって書いてある。皮膚炎のリスクと死ぬリスクを負ってまで寄生虫振り落としたい?」

 

 

 そもそもマンボウは死や皮膚炎を理解できる脳を持ち合わせていないだろうが、そこは考えずに話を進める。

 スコッチは水槽のマンボウを見つめながら言った。

 

 

アドニス(きみ)は寄生虫を振り払うチャンスよりも安全を取る、と」

 

「……確かに昔はそうだったよ」

 

「今は違う?」

 

「まあ、将来的には違っていたいかな」

 

 

 秋は忌々しい組織の研究所を思い浮かべながら答えた。

 

 詳しく説明する気はない。

 何か尋ねられる前にさっさと話を進めてしまう。

 

 

スコッチ(そっち)は危険を冒して一縷の望みに賭けそうだね」

 

 

 秋の意を汲んだのか、スコッチはそれ以上触れずにサラッと話題を変えた。

 

 

「普通に考えると、マンボウは寄生虫を振り落とそうと思ってジャンプしているわけじゃないんだろうな。遺伝子に組み込まれているから自然と跳ねる」

 

 

 進化論を思い返す。

 中卒の秋は高校生物の知識すら持っていないが、完全に趣味の雑談でシェリーが触れることがあるので概要は知っていた。

 

 

「空を飛べなかったマンボウは死んで、空を飛んだマンボウだけが生き残った。空を飛ぶ遺伝子だけが生き残る現象が繰り返されるうちに、マンボウの体に空を飛ぶ遺伝子が組み込まれたってやつね」

 

 

 だからマンボウは自分の現状に疑問を持たずにジャンプして、高確率で死ぬ。

 なんとも虚しい話だ。

 

 

(もしも自分の意思に則って空を飛ぶ選択をしたマンボウがいたとしたら、)

 

 

 例え死が待ち受けていたとしても、遺伝子が命じるままに飛んだマンボウとの間には大きな違いがある。

 今の秋はそれを理解していた。

 

 マンボウが跳ねた。ずんぐりとした体を外気に晒した。

 

 

 *

 

 

 腕時計を見ると取引の時間が迫っていた。

 

 取引相手に無断でつけているGPSの位置をスマホで確認する。

 駐車場に到着していた。

 スコッチと一緒にいるのを見られないうちに別れる。

 

 

 

 秋はそのまま、取引場所に指定されているスタジアムへ向かった。

 取引はイルカショーの最中、観客の意識が最もステージへと向く、イルカの大ジャンプの瞬間に行われる予定だ。

 取引と言っても、素早く情報媒体とコインロッカーの鍵を交換するだけなので、人目につきにくい。

 

 

 プラスチック板が横たわった観客席の、指定された座席に秋は座っていた。

 プールを見ている今の姿勢では確認できないが、観客席の後ろの、柵で隔たった廊下側にはスコッチが控えているはずだ。

 秋の隣に座った取引相手を見張れるよう、彼にはあの位置で待機してもらっている。

 

 

 少し待つと、取引相手がやって来た。

 秋は横目で彼の様子を確認する。

 隠しているつもりらしいが、不安が動作に出ていた。

 もちろん秋は素知らぬ顔を貫いた。

 

 

 じきにイルカショーが始まったが、水族館の目玉のはずなのに、館内の展示とは打って変わってショーは退屈だった。

 秋は始終「イルカが動いているな」とだけ思っていた。

 イルカが大ジャンプを見せたときは「イルカが跳ねたな」と思いながら情報媒体と鍵を交換した。

 

 

 

 

 それから、秋の出番はほとんどなかった。

 ショーが終わった瞬間、取引相手はそそくさと立ち去った。ここからは秋ではなくスコッチがメインで動く。

 顔を知られていないスコッチが駐車場まで彼を尾行して人目を忍んで気絶させ、ここで秋と合流し、取引相手を拘束した状態で車内に閉じ込めてから匿名通報をする手筈だからだ。

 

 予定通り、秋がスコッチと合流したのは駐車場で取引相手を気絶させた後だった。

 秋が到着した時、スコッチは取引相手を拘束し終えていた。

 

 

「問題は?」

 

「ない。全て予定通り進んでるさ」

 

 

 スコッチは手袋をつけた手で、拘束する前に取引相手から奪っておいたらしい車のキーを使った。

 扉が開く。取引相手を後部座席に転がす。

 

 秋も手袋をつけて、事前に用意しておいた、取引相手が関わった犯罪の経歴やその証拠が収められたUSBメモリを分かりやすい位置に置いておいた。

 

 わずか一分にも満たない作業を終えて扉を閉める。

 キーは車体の下に放った。

 

 

 

 

「さて、後は公衆電話から警察に匿名通報すれば任務が終わる」

 

 

 駐車場の出口へと歩きながら秋が言った。

 吐いた息が白く曇る。

 駐車場を出て少し歩いた場所にある公衆電話ボックスに向かっているところだった。

 コートの内側からホビーアニメのおもちゃに似た機械を取り出して見せる。

 

 

「匿名通報にはこの『怪人二十声音(せいおん)マシーン』を使う」

 

「なんて?」

 

「怪人二十声音マシーン。高性能の変声機だよ。いくらでも悪用できる発明品を百均の便利グッズ感覚で売ってる発明家に、子供のごっこ遊び用として注文した品だから、名前はこんなだしデザインもおもちゃっぽいけど性能は保証できる」

 

 

 偶然現場に居合わせた一般人のフリをしてスコッチの自殺を防ぐ作戦を取った周で、一般人に成り済ますために使った変声機がこれだ。

 まあ結局あの周の計画は失敗してスコッチは死んだが、件の発明家の商品が非常に便利であることに変わりはない。

 秋は架空の甥へのプレゼントという名目で様々な品を注文しているが、どの品も重宝している。具体的には、任務の補助として使う機会が多い。

 

 発明家の名を、阿笠博士(ひろし)と言う。

 

 

 しかしネット上で得られる阿笠の情報は、簡素を通り越して粗雑なホームページに記載された内容のみ。

 それも、視認性が著しく低い虹色のフォントでデカデカと書かれた「発明品、作ります」の文字と、ガラクタとしか思えない数件の商品例、最後に連絡先として電話番号と住所が記載されているだけだ。

 そのうえ住所がどう見ても個人宅のものとなれば、発明品を注文しようと思うやつは馬鹿としか言いようがない。

 

 その馬鹿が秋だった。

 

 秋は一周目で淀みなくホームページを検索して、記載されている住所宛てに依頼の手紙を送った。

 阿笠と何通か手紙のやり取りをし、手紙に記載された住所──住所を使用する目的で契約しているセーフハウスのもの──宛てに発明品を郵送してもらい、届いた小包をなんら警戒せずに開けたし、指示された通り口座振り込みで料金を支払った。

 

 

 秋は馬鹿の自覚があるが、見るからに怪しいホームページを純粋に信用するほど馬鹿ではない。

 というか、あのホームページを信用するのと、現実から目を逸らし続けて即興で用意したカバーストーリーを盲信するのとでは馬鹿の種類が違う。

 そこまで騙されやすかったら黒の組織でコードネームを得られるわけがない。

 

 

 つまり、秋が無警戒で阿笠と連絡を取ったのには、なんらかの理由があるはずなのだ。

 そして「なんらかの理由」のヒントは、ホームページを検索した流れにある。

 

 阿笠の評判を耳に挟んだとか、ネットサーフィンをしていたところ偶然妙な発明家のレビューを見かけたとか、実際に阿笠と出会ったなどのきっかけが全くない中、秋は一発でホームページを検索した。

 そしてホームページの中身はろくに見ずにスクロールし、最下部に書かれた住所を手紙の封筒に写しとった。

 ──この時点で依頼内容がしたためられた手紙は手元にあって、後は封筒に住所を記入するだけの状態だったのである。

 

 そして、自分がしたこの一連の動作の理由は全く覚えていない。

 動きの一つ一つは問題なく思い出せるが、動機やその時考えていたことは完全に頭から抜け落ちている。

 

 いつものパターンだ。

 自分はこういった事例をひっくるめて、記憶喪失と呼んでいる。

 

 

 現実と向き合うのを無意識に避けていた時期の秋は阿笠との出会いに対して、「持ってる人間だから運も私に味方したってことだな……。選ばれた人間にだけ啓示される天啓が降りたっていうか……」で済ませていたが、どう考えても不可解すぎる出来事だ。

 

 

 まるで、以前から阿笠のことを知っていたかのような動き。

 それでいて、阿笠に対する知識と「もともと阿笠のことを知っていた」という情報を後から根こそぎ頭から奪われたかのような……。

 

 

 

 

 秋が回想に浸っているうちに、公衆電話の前についた。

 ひとまず思考を中断して、意識を現実に持ってくる。

 秋はボックスを前にして、変声機をスコッチに手渡した。

 

 

「通報はスコッチに任せるよ。機械から出る声が──」

 

「男性の声だから、だろ。俺なら性別を偽った喋り方をする必要がない」

 

 

 スコッチが秋の言葉を無理やり奪った。

 彼らしくない話運びだ。

 彼は会話の途中で続きの言葉が予想できたとしても、他人が話しているのを遮ってそれを言い当てたりはしない。

 

 

 スコッチは変声機を受け取ると、すぅっと目を細めて言った。

 

 

「そして、機械から出るのは男にしては高めの声だよな?」

 

 

 当たっている。

 秋は内心で動揺した。

 変声機から出るのが男性の声なのは会話の流れから予測できる事だが、声質は違う。

 彼が知る由もない情報だ。

 

 秋が何か言う前に、スコッチはボックスに入ってしまう。

 彼は一一〇番に電話をかけると、数言話して電話を切った。

 すぐに出てきて、駐車場へと歩き始める。

 

 

「通報は終わった。警察が来る前にこの場を離れた方がいい」

 

 

 有無を言わせぬ声色だった。

 警察と鉢合わせるのは何としてでも避けたいので、秋もそれに倣った。

 

 

 *

 

 

 種明かしがなされたのは、再び駐車場を出た後だった。

 最寄駅へ向かう車が大通りに出た頃。車を停めようにもどこかの駐車場に入らなければならないので、簡単に逃げられない状況になってからとも言い換えられるかもしれない。

 

 

「取引相手を拘束してから警察に通報する一連の手口に覚えがあったんだ。四年前、近隣のアパートに住む男性二人が爆弾を作っていると公衆電話から匿名通報があった。警官がアパートに向かうと、二人はちょうど今回の取引相手と同じように拘束されていて、詳しい罪状が記録されたUSBメモリが近くに転がっていた。そういう話を耳に挟んだことがある。その通報者が高めの声をした男って話だったからカマをかけただけさ」

 

 

 身に覚えがあった。『正史』で萩原と松田の命を奪う爆弾犯二人の話だ。

 

 彼らと知り合った次の周、つまり一つ前の九周目から秋は爆弾犯が事件を起こす前に警察に突き出している。

 ──前々回、八周目の友情への義理立てみたいなものだ。萩原消失の真相を知った後は、そこに贖罪らしき感情も加わった。

 

 

 それまで対応していた萩原がいないのだから、秋が動かないと萩原も松田も死んでしまう。

 この周の萩原は生きているがループ中の記憶を継承できていないので、秋が動かないとやはり二人は死ぬ。

 

 

 付け加えると、伊達航の件も同様である。

 彼が死ぬ交通事故と、日下部による逆恨みの殺害を防ぐため、交通事故当日に手を回し、日下部が動く少し前にIoTテロ計画の証拠を集めて爆弾犯と同じことをする。

 日下部の動機が発生するのは二年後なので伊達の件に関してはまだノータッチだが、時期が来たら動く予定だ。

 

 八周目の伊達航殺害犯探しが無に帰すのは面白くない。

 

 

 スコッチが見抜いた通り、方法は今回と同じ。

 犯人を気絶させて拘束し、近くに犯行計画の概要と証拠が記載されたUSBメモリを置いておき、『怪人二十声音マシーン』を使って匿名通報をする。

 

 

「アドニスが立てた作戦と酷似しているどころか完全に同じ手法だ」

 

 

 スコッチは確信を滲ませて言った。

 爆弾犯を通報したのは君だ、と眼力で断言される。

 

 

 ここでスコッチの主張を認めて、「偶然犯人たちの会話を耳に挟んだから、見逃すのは寝覚めが悪くて通報した」とでも言っておけば、スコッチの信頼を得る作戦が大きく進む。

 少なくとも彼の警戒心を溶かすきっかけにはなる。

 

 

 しかし自分の仕業だと認めるつもりはない。

 爆弾犯の通報は八周目の友情への義理立てと、萩原消失の真相が判明した後は贖罪も兼ねて行ったものだ。利用するのは気が引ける。

 

 

 秋は無表情を保ったままとぼけた。

 

 

「そんな事件よく知ってたね」

 

 

 自然な動作で、しかしスコッチが気づくよう緩慢な動きで、カツカツとハンドルを指で叩く。

 NOCとknock(ノック)をかけた隠語だ。

 

 言外に、「なぜ警察しか知らないはずの概要を知っているのか」「もしかしてNOCなのではないか」と伝えて、プレッシャーをかける。

 

 これでスコッチは警察しか知らないはずの情報を知っていた理由を考えなくてはならなくなった。

 秋を追求するどころではない。

 

 

 しかし彼は平然と、雑談の調子を崩さずに言った。

 

 

「ああ、そっち方面に詳しい知り合いがいるんだ」

 

 

 バックミラー越しに確認したが、瞳孔は一定の大きさを保っていた。嘘をついていない証拠だ。

 

 確かに彼は嘘をついていない。

 公安の潜入捜査官なのだから、警察内部の知り合いがいるに決まっている。

 より正確な表現をするなら「知り合い」ではなく「同僚」になるが、彼はあえて「警察方面にパイプを持つ情報屋と繋がりがある」と誤解する表現で真実を語ることにより、嘘をついて嘘だと看破されるリスクを潰した。

 

 

 言葉遊びのようになってしまうが、嘘を見抜かれない一番の方法は嘘をつかないことだ。

 

 咄嗟に適切な表現を捻り出すのは難しいが、相手が誤解する言葉を選びながら本心を語ることができれば、本心を隠す大きなアドバンテージとなる。

 

 騙しや裏切りが横行し、情報の価値が表社会よりもよほど高いこの世界の人間は、嘘を見抜く方法に通じているためだ。

 嘘をついても瞳孔の動きや脈拍で看破される。これは訓練で隠せるものではない。

 逆に言えば、本心を話して「嘘をついている様子はない」と相手に確認させれば、発言の信憑性が跳ね上がる。

 

 

 ループによって得た知識で彼の正体を初めから知っている秋はこのやりとりに隠された真相を見抜いているが、そうでなければ完全に騙されている場面だ。

 騙されたふりをしておくべきだろう。

 

 秋は納得した顔を作って「そう」とだけ返した。

 爆弾犯の匿名通報について追求されるのは避けたいため、話は終わったと言わんばかりの雰囲気をかもし出す。

 

 秋の機嫌を損ねて「アドニス」との共同任務がたち消えたら困るスコッチは、それ以上追求してこなかった。

 

 

 互いが口を閉ざしていれば、自然と会話が終わる。

 聞こえる音は、スピーカーから流れる音楽だけとなった。

 

 

 

 それにしても。

 会話の途中から、喉に魚の小骨が引っかかったような心地がしていた。

 

 先ほどのやり取り、考えていたこと、どれかが引っかかっている。

 あの中のどれかが、最近頭を悩ませている記憶喪失の謎に通じているという直感がある。

 

 車内に流れる音楽を聞き流しながら、先ほどの会話の流れを順に思い返していく。

 順繰りに記憶を辿っていき、やがて目的のものにたどり着いた。

 

 

 ── 嘘を見抜かれない一番の方法は嘘をつかないこと。これだ。

 

 

 手がかりを発見した瞬間、雷に貫かれたような感覚があった。

 言葉にならずに意識の中をたゆたっていた思考が勢いよく組み合わさり、あっという間に真相を形づくる。

 

 

(シェリーもスコッチと同じことをやっている)

 

 

 前回の検査協力でシェリーと交わした会話が脳内で再生される。

 

 

 ──「じゃあやっぱり記憶から抜け落ちてる周があって、その時に萩原へタキオンを譲渡した……?」

 ──「前回のあなたの仮説への反論を忘れたの?」

 

 

 あの時のシェリーは「前回の反論を忘れたのか」と問うただけだ。

 明確に秋の仮説を否定したわけではない。

 

 

 シェリーは物心着いた時から組織の支配下に置かれている。

 科学者だからこそ、組織の一員だとしても裏社会を生き抜く上で必要な腹芸に富んでいるわけではない自分が、組織の人間相手に隠し事をするにはどうすればいいか経験則から理解しているはずだ。

 嘘をつかずに相手が誤解する言葉選びをするのが一番いい、と。

 

 

 

(あの時シェリーは、私の誤解を招く表現を使うことで真実を隠蔽した。それに、死亡による記憶喪失説を話した時にフルボッコにされたショックで「記憶から失われている周の存在も否定されてる」と認識してしまっていたけど、よくよく考えると、否定されたのはあくまで「死亡による記憶喪失説」だ)

 

 

 あの日シェリーは秋の仮説の穴をいくつかあげつらったが、彼女が否定したのは一貫して「秋がループの途中で死んでいる」という部分だった。

  n周目以前の記憶が欠落しており、n周目を一周目だと誤解している仮説そのものは否定も肯定もされていない。

 

 

(そうなると話が一気に変わってくる……!)

 

 

 秋は興奮のあまり、知らず知らずのうちにハンドルを強く握りしめていた。

 秋の様子がおかしいことに気づいたスコッチが何か言っているのが遠くから聞こえる。何を言っているのかまでは理解できない。

 秋の頭は、「一刻も早くシェリーに会わなければ」という感情で占められていた。

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