そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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※連続投稿です。


第31話(2)

 猪の牙とは、シェリーが作らされている薬の試作品だ。

 

 煙に巻かれてきたため、「シェリーが作らされている薬」が何なのかは不明。

 よってその試作品である猪の牙の効能も謎に包まれている。

 

 シェリーは「作らされている薬の効能が明らかになれば、あの方の奥の手が簡単に予想できてしまうから教えられない」と語った後に、「でも、これだけだと何だから」と、『猪の牙』の名前だけを教えてくれた。

 

 

「名前しか教えてもらえていないけど、あの日の会話の流れを踏まえれば、猪の牙の名前そのものがあの方の奥の手に関する重要なヒントだってことになる。シェリーが口走ったから、後日ギリシャ神話の概要を調べたよ。猪の牙とは、ギリシャ神話に登場する美少年アドニスを殺したアレウスを指している。そうだね?」

 

「……ええ」

 

 

 シェリーが言葉少なく答える。

 猪の牙の名前を出してから、彼女の表情と声と体の強張りが格段に増していた。

 彼女の態度を不思議に思いながらも、言葉を続ける。

 

 

「そして猪の牙という名前はあの方が直々に付けた。アドニスのコードネームを冠する私を意識した名付けだ。死以外が原因でn-1周目までの記憶が消えていると考えると、その原因はアドニスを殺したアレウスに準えて名付けられた『猪の牙』である可能性が高い。もっと言えば、あの方の奥の手とは猪の牙そのものだ。違う?」

 

 

 秋が言い終えると、シェリーはハッと短く息を吐いた。

 顔の蒼白さで、呆れの発露ではなく自分を落ち着かせるためのものだと分かる。

 息を吐き終わる時など、唇の震えにつられて息までもが震えていた。

 

 その反応が、秋の主張の正しさを告げていた。

 

 

 数秒の間を置いて、シェリーが言葉を発する。

 

 

「アドニスの仮説は概ね正しくて、間違っていたのは記憶喪失の原因だけだと判明したら、記憶喪失の原因は何かって話になるでしょう。……言いたくなかったのよ。いつか言わないといけないとは分かっていても、出来るだけ先送りにしたかった」

 

 

 彼女は頑なに視線を机の木目に固定したまま、淡々と話し始めた。

 それでも声の震えと目にうっすらと浮かぶ涙は隠しきれていなかったが、秋は気づかないふりをして彼女の言葉にじっと耳を傾けた。

 

 

「猪の牙とは、この十五年間のループ中に蓄積された『タキオンと密接な関係にある記憶』へのアクセスを阻害する薬よ。タキオンと密接な関係にある記憶──要するに時間の巻き戻りによって『前』の周から持ち越した記憶の事だけど、それを思い出せなくする」

 

「!」

 

「そもそもループとは、以下の仕組みによって、『次の周』に記憶を持ち越したループ者が時間の巻き戻りを知覚することで成り立っている現象よ。

一、時間が巻き戻る。

二、体内に時間を遡行する性質を持つ物質タキオンを保有するループ者の脳には、タキオンと密接に結びついたシナプスがあり、それによって『タキオンと密接に結びついた神経パルス』が誕生する。まあ、脳のデータがタキオンと密接に結びついてると理解してもらえばいいわ。ともかく、そのデータ──記憶はタキオンごと時間を遡行する。

三、巻き戻った先のループ者の脳に、タキオンと結びついた記憶がインストールされる」

 

 

 シェリーは指を折って数え終わると秋をチラリと見上げた。

 話しているうちに落ち着いてきたらしく、目の表面は乾いていた。

 秋は慌てて頷き返して話についていけていることを示す。

 

 

「猪の牙は『タキオンと結びついた記憶』へのアクセスを阻害する。『タキオンと結びついた記憶』とは、ループ者のみが持ち越せる以前の周の記憶だから、猪の牙投薬は、十五年間のループに関する全ての記憶の忘却を意味する」

 

 

 シェリーが一度言葉を区切ったタイミングで、秋は口を開いた。

 思考をそのまま言葉に変換していく。

 

 

「……だからあの方に猪の牙を飲まされた私は、n-1周目までの出来事も、周の存在すらも忘れてしまった。以前の周で身につけた技術は、いつ身につけたのか覚えていないけど使えるようになっていた! それ以前の周の出来事を元にしてn周目で動いていたから、行動の動機が忘却された後は、『妙に上手く組織で立ち回れたけど、なぜそう動いたのかは覚えていない』という状況が出来上がった……!」

 

 

 強まっていく語気とは反対に、内面は意外なほど静けさを保っていた。

 頭の芯がスッと冷える。

 冷静に思考が進む。

 

 これが不可解な記憶喪失の真相だ。

 あの方の奥の手はすでに一度使われていた。

 秋は認識上の一周目で『(アレウス)の牙』を飲まされて、それ以前の周の出来事を全て忘れてしまった。

 

 

 そして、いざとなれば前と同じように猪の牙を使って秋の記憶を消せばいいと考えているから、あの方は余裕綽々だった。

 一度成功しているからこそ慢心が生まれているのだろう。

 

 

 シェリーが組織の研究の詳細を長らく伏せてきたのは、研究内容が記憶消去に繋がりかねないからだ。

 秋に組織の研究内容を教えることで、「あの方はループ者の記憶を消す手段を持っているのではないか」と推測されて、自分が教える前にあの方の奥の手を予測されては堪らない。

 

 

 これまで腑に落ちないまま宙ぶらりんになっていた疑問の数々が脳裏を駆け巡り、全てが因果の糸で結ばれていった。

 外界を流れる時間で換算すると、十秒にも満たない間のことだったと思う。

 しかし秋の主観では、もっと長い時間に感じられた。

 

 

 

 情報の整理が終わって、脳の階層が切り替わる。

 意識が過去からこの場に戻ってくる。

 秋の目は再び食卓テーブル越しに座るシェリーを映した。

 続いて、話を先に進めるための質問がすんなりと口から出た。

 

 

「猪の牙が消す記憶に、この十五年間のループ限定だなんて条件がついてる理由は?」

 

 

 猪の牙は、この十五年間のループの記憶に限定して記憶を消すという話だった。

 しかしループはこの十五年間の繰り返し以外にも複数存在する。

 なぜ今のループが取り上げられたのか。

 偶然か、何らかの意図があるのか。

 

 

 シェリーは抑揚のない声で答えた。

 

 

「あくまで試作品だからよ。目指しているのは全てのループの記憶を消す薬だけど、それだと範囲が広大すぎるから、まずはこの十五年間のループに限定した記憶消去薬を作ることになった」

 

「試作品ねぇ……。そもそも、猪の牙を土台としてあの方が作ろうとしていた薬って何?」

 

「あの方は『タキオンと結びついた記憶』を自由に選んで脳から削除する手段を模索しているわ。猪の牙を元にした薬品開発は、薬による記憶の削除を目的としたアプローチよ。私たちが作ろうとしているのは、任意の『タキオンと結びついた記憶』を脳から削除する薬」

 

 

 突拍子がなさすぎる話に、秋は思わず眉をひそめた。

 何度も時間が巻き戻って同じ時が繰り返される時点で今更だが、あまりにも現実離れしている。

 

 秋の反応を汲み取ってシェリーが付け加えた。

 

 

「専門知識がない人でも理解しやすいよう、簡単に表現するとだけどね。

あまりにもたくさんのループを経験すると脳が『持ち越す』記憶の量に耐えきれなくなるのは明白でしょ。その前に記憶を自由に削除できる手段を確立させておこう、というのが研究の趣旨よ。

十五年間のループの中から任意の記憶を選んで削除できる薬だと条件が厳しすぎるから、その前段階として、十五年間のループ全ての記憶を一括で消す薬から作らせた」

 

「どうしてそんなことを……?」

 

「前にあの方の目的の予測を話したことがあったわね。あの方の目的はループ現象を自由自在に操ることだ、と」

 

 

 確かに言っていた。

 あの時はその根拠や、組織が行っている研究の三本柱──タキオンそのものの研究、シェリーたち科学者に開発させようとしている薬、世界中の高名なプログラマーを集めて作らせようとしている機械──について何も教えてもらえず、消化不良となっていたが。

 

 

 

「以前濁した、私たちが作らされている薬品とは、さっき言ったように『任意のループに関する記憶を脳から消去する薬』よ。あの方がプログラマーを集めて作らせようとしている機械は、どの記憶を消すのかを設定するための手段。

前に『脳の電気信号を解析して記憶をデータ化する、面白い研究がある』って話したことがあったけど、まさにこの話に繋がってくるわ。

脳の働きとは電気信号のやり取りだと言える。だからタキオンと密接に絡まった記憶をデータ化して解析し、不要な記憶を割り出す機械を、世界中から集めたプログラマーに作らせる。そして私たち研究者が完成させた、『任意のループに関する記憶を脳から削除する薬』によって、機械で割り出した不要な記憶だけをピンポイントで消す。

そうやって次の周へと『持ち越す』データ量を軽減し、記憶がインストールされる際に『新たな周』の脳へかかる負担を軽減することで、好きなだけ『巻き戻る』ことを可能とする。

これがあの方が思い描いている未来よ。

時間の巻き戻りを引き起こすための条件を揃える必要はまた別で出てくるけど、『トリガー』の片割れであるアドニスがあの方の支配下にいるんだから、いくらでもやりようはある」

 

 

 あの方の目的はループ現象を自在に操ることだとは、以前より知らされていた。

 あの時は「あの方らしい」と思うだけで大して驚かなかったものの、こうして詳しい内容を聞くと壮大さに目が眩む。

 

 果たしてどれくらいの確率で可能なのかは専門外だから分からないが、あの方が真剣に取り組んでいてシェリーたち優秀な科学者が真面目に研究してるのなら、それなりに望みはあるのだろう。

 

 

 

「ただ一つ付け加えると、猪の牙は失敗作だったわ。あの方が目指していたのは完全に脳から記憶を消し去る手段だけど、猪の牙には対象の記憶へのアクセスを阻害する効果しかなく、ループの度に持ち越されるデータ量は変わらなかった。

この結果を受けて、組織はアポトーシスを利用した記憶削除薬の作成へと舵を切っているんだけど、これは主題と関係ないわね」

 

 

 シェリーはテーブルに乗せた両手を強く握りしめて、淡々と言った。

 

 

(待てよ……)

 

 

 秋はピタリと動きを止めて一点を見つめる。

 

 シェリーは先ほど、「猪の牙には対象の記憶へのアクセスを阻害する効果しかなく、ループの度に持ち越されるデータ量は変わらなかった」と言った。

 記憶は消されたわけではない。

 封じられているだけだ。

 

 

 顎に添えていた手がダラリと落ちた。

 目が極限まで見開かれる。

 あの方が描いている計画の全貌を聞いた時よりもよほど、秋は驚愕を露わにしていた。

 

 

「猪の牙の効能は『記憶へのアクセスを阻害する』だけであって、記憶を抹消しているわけではない。過去の出来事は頭の中にあるんだから、アクセスを阻害している原因を取り除けば、私は過去を思い出せる……?」

 

「そうよ。だから私は、アドニスの記憶喪失の真相に気づいてすぐ解毒剤の製作に取り掛かったわ」

 

 

 シェリーは無機質な態度を崩さず、温度のない声で肯定を告げた。

 

 

 あまりの衝撃によって、頭が一瞬フリーズする。

 数秒のラグを置いて再び動き出す。

 まだ働きが鈍いままの頭で、記憶喪失の謎にいち早く辿り着いてからのシェリーの様子を思い返した。

 彼女はあの日を境に、忙しさに拍車をかけたようだった。

 あれは組織から課されている研究に加えて解毒剤の作成も行っていたからだったのか。

 

 秋はカラカラに乾いた喉を無理やりこじ開けた。

 

 

「じゃあその薬を飲めば、」

 

「あなたは失った記憶を取り戻すことができる」

 

 

 驚愕と歓喜がごちゃ混ぜになった感情が全身を駆け抜けた。

 

 

 過去に何があったのか、萩原が何を伝えようとしていたのかを解き明かすと決めたものの、その方法は長らく不明だった。

 今ある情報を組み立てて推論を重ねていこうにも、圧倒的にピースが足りない。

 

 シェリーの反応から、記憶喪失の謎は自分の過去と繋がっている確率が高いと予想はしていたが、まさかこうも一気に道が開けるとは。

 

 

 *

 

 

 アドレナリンの過剰放出が終わり興奮が引いてくると、未だにシェリーの態度が硬いことに気がついた。

 無表情を保った顔は不自然に強張り、テーブルの上で握りしめられた両手は力を入れすぎて白くなってきている。

 遅れて、彼女が過剰なほど淡々とした調子を貫いていたのを思い出した。

 あの態度は本心を隠すために平静を装おうとした結果なのかもしれない。

 

 それを起点に考えていくと、一つ不可解な事実が浮かび上がってきた。

 

 

 

 シェリーはあの方の奥の手について散々勿体つけながらも秘匿してきた。

 宮野明美の生存を確定させるため、作戦成功後にあの方の奥の手が何なのかを教える約束を取り付けていたからだ。

 

 

 そして、あの方の奥の手とは猪の牙のことだった。

 いくら秋があの方にとって不都合な真実を知ったとしても、記憶を奪ってしまえば簡単に無力化できる。

 事実、秋は一周目だと誤認していたn周目で猪の牙を飲まされており、そのせいでn周目以前に経験した約十一回分の周について全てを忘れている。

 

 

 シェリーが初めてあの方の奥の手の存在を明かし、奥の手が何なのかは姉の生存が確定してから教えると主張した時点では、秋がすでに猪の牙を飲まされていることが判明していなかった。

 当初シェリーが思い描いていた構想では、明美が公安に保護された後に猪の牙の存在を明かし、秋に注意を促すだけで終わるはずだったのだろう。

 

 

(だけど私が記憶喪失の謎について相談した時、すでに一度猪の牙が使われていることが判明した)

 

 

 既に猪の牙が使われているのであれば、記憶を封じる薬の存在を教えて注意喚起するだけでは不十分だ。

 少なくともシェリーは姉の無事のために、「最終的にあの方を無力化する」という秋の目標に賛同し、協力する立場にある。

 

 いずれ待ち受けるあの方との対決で秋が勝利する確率を上げるには、消された記憶が何なのかを把握するべきだ。

 だからシェリーは解毒剤の開発に着手した。

 

 

 ……という物事の流れはわかるのだが、一つだけ不自然な点がある。

 

 

「私の記憶喪失が猪の牙によるものだと気づいた時点で、それを明かさなかった理由は? 全てを秘密にしておくより、猪の牙による記憶喪失を明かして、解毒剤が成功報酬だって私に持ちかけた方が有利なはずだ」

 

「──ッ」

 

 

 無機質な態度が崩れた。

 彼女は息を呑むと目線をさまよわせ、とうとう再び俯いてしまう。

 

 

「……言えるわけないじゃない。猪の牙を作ったのは他でもない私なんだから」

 

 

 か細く、小さな声だった。

 どこか自分自身を嘲笑っているような響きもあった。

 

 予想外の答えと反応に、秋は目をしばたく。

 

 

「アドニスに課せられている検査協力とは別に、組織は人体実験を行っているでしょう。逃げ出そうとした末端の人間や、始末する代わりに運ばれてくる一般人を使った、非合法な実験。姉に何が起こるのか知る前の私は、人体実験に罪悪感を持ったことがなかった。得られたデータはただの数字だった。実験に高揚感すら感じていた。

だからこそ、姉の未来を知ったときはゾッとしたわ。世界が全て崩れ落ちた。私たちがやっているのは何なのか理解してしまった。私が何を壊してしまったのか」

 

「うん」

 

 

 秋は曖昧に相槌を打った。

 

 シェリーが何を言わんとしているのかはよく分からないが、組織の異様な空気感に晒されていると倫理観が狂うことは身に染みて知っている。

 

 組織は一つの大きな化け物だ。

 禍々しくて、どれだけ心を強く持とうとしても取り込んだ人間を染め上げる。

 潜入捜査官が倫理観を壊されるケースはままあるが、それはこの異様な空気感のせいだ。

 

 選び抜かれた精鋭ですら組織という大きな魔物に心を蝕まれる。

 生まれ落ちた時から外の価値観に触れる機会を奪われ続け、順応しなければ自分と姉の命が吹き飛ぶ環境下に置かれていたシェリーの認識がねじ曲がるのは当然だろう。

 

 それなのに、真っ当な倫理観を捨てきれずに組織に反感を持ち続け、自分がさせられている研究の醜悪さに気づく段階まで至れた事実は賞賛に値する。

 

 

 しかしシェリーは青白い顔のまま、自分の腕をかき抱いた。

 

 

「……理解して、悔いたつもりだったのよ」

 

 

 シェリーが顔を上げる。

 目元が不自然に強張っていた。

 彼女は眉を下げて引き攣った笑みを晒すと、まるで自分自身を嘲笑っているかのような顔と声で、言った。

 

 

「私はね、あなたが猪の牙によって記憶を失ったと気づいた瞬間、自責の念に駆られるんじゃなく、自分の理論が正しかったことに歓喜したの。私が作った薬によって記憶を封じられた人がいると知って、真っ先に狂った科学者の喜びが顔を出した」

 

「……」

 

「私が何も考えずに好奇心に身を委ねた結果害した相手が、血も涙もない犯罪者だったらまだ良かったでしょうね。

だというのに、記憶を失う前のアドニスは、頭から出血するような危険を冒してまで、萩原という警察官の命を救っていた。どんな事情があったのかは分からないけど、あなたの様子を見ていると、他に狙いがあったというよりは純粋に命を救っただけではないかと思えてくる。

人を殺す算段は割とガバガバなのに、人を救う手段はすぐに思いつく。

バレてないと思ってるかもしれないけど、あなたは姉が死ぬ未来を知って不安定になっていた私を気遣っていた。悪意を持たれたら情報を一部伏せられるかもしれないから心象をよくしておいた方がいいとか、私に精神を病まれたら作戦が頓挫する恐れがあるから適宜フォローが必要だとか、何かしら理由をつけていたんでしょうけど、私には善意に思えたわ。少なくともアドニスは骨の髄まで真っ黒に染まった悪人ではない。

一つ前の周の私が『アドニスなら言いくるめて姉の死を防ぐ手伝いをさせられるのではないか』と思う程度には情がある。

それに、アドニスは償うためにあの方を倒すと宣言した。悔いて償おうとした。少なくとも罪悪感を持ち合わせている」

 

 

 告白を聞くうちに、なんとなくシェリーの感情に当たりがついた。

 きっと自分と同じだ。

 彼女は罪の炎に焼かれている。

 

 環境に順応するしか選択肢がなかったシェリーと、いくらでも抜ける機会はあったのに私利私欲のために組織にとどまり続けた自分とでは罪の大きさは天と地ほども違うが、似たような感情は抱えているのだろう。

 

 秋は、自分への嫌悪感を込めて吐き捨てるように言った。

 

 

「……随分と好意的に見てくれているんだね」

 

 

 シェリーと違って、自分は楽な方へと流され続けて罪を重ね、罪を自覚した今もエゴを貫くために犯罪行為を続けている、醜悪な人間だ。

 シェリーは自分を必要以上に糾弾するために被害者を過大評価しているだけなのだろうが、だとしても胃のあたりがムカムカする。

 

 

 シェリーは秋の言葉が聞こえなかったかのように言葉を続けた。

 

 

「……もしも、アドニスがどうしようもない理由があって組織に入った過去を持っていたら。その記憶が、猪の牙によって消されたんだとしたら。

気づいたら大犯罪者になっていて、その動機を全く覚えていないという状況にあなたが突然放り出された被害者だとしたら」

 

 

 無駄な仮定だ。

 どんな背景があろうと、本来判断能力が培われているはずの年齢の人間が罪を重ね続ける選択をしたのだから、抱える罪の大きさは変わらない。

 

 

「だとしたら、私が作った薬がかつてのアドニスを殺してしまったんじゃないか。猪の牙がすでに投薬されていると確信したあの日から、そう思えて仕方がない」

 

 

 目元が痙攣したのを秋が見咎めた途端、さっと俯いて、吐き出すように言う。

 

 

「記憶を失う前のあなたはどんな人だったの? 私が消してしまったのは誰だったの?」

 

 

 

 シェリーのつむじを眺めながら、罪を糾弾されたいんだろうな、と秋は思った。

 罪悪感に苛まれ続けている人間にとって、罪の糾弾は甘美な救済だ。

 

 しかし秋は彼女を楽にしてやることはできない。

 他者を裁く資格がないのはもちろん、何を壊してしまったのかと嘆き、糾弾されるのを待っているのは自分も同じだ。

 その先にどのような道があるのか、「正しい」道は何なのか、どう導いてやるのか正解なのか、何一つ分かっていない。

 多分それは司法の役目であって、自分の手出しは不要なのだろう。

 

 

(私が言えるのは、猪の牙によって記憶を消された被害者として、加害者であるシェリーへかける言葉だけだ)

 

 

 秋は目の前に座るシェリーを見つめた。

 確か十五歳になるのだったか。普段は大人顔負けの口を聞いていても、小さな身体をしている。こうして肩を丸めていると一層際立つ。

 

 三年後に控える明美救出作戦を終えてすぐ、『正史』と同じ状況を保つために彼女は組織を抜ける予定だ。

 組織が滅ぶまでシェリーが生きながらえることは以前の周で判明している。

 彼女には未来がある。成長途中の体がその象徴に思えた。

 

 

 無意味に右手を首裏に持っていきたくなるのを堪えるために、膝の上で手を握りしめる。

 適切な言葉を選ぼうとするといつまで経っても切り出せなさそうなので、無理やり口を開いて話しながら次の言葉を考えることにした。

 

 

「萩原がループ者だと初めて知った時──初めてってことはないのかな。『記憶から失われてる周』で接点があったんだから。……とにかく、記憶喪失の私視点で初めて萩原がループ者だと知った時って意味なんだけど、もしも彼と敵対したらどうするかは早い段階で考えた。ループ者にとって、同じく前の周の記憶を継承できるループ者は脅威だからね」

 

 

 やはりと言うべきか、何も考えずに話し始めたせいで切り出し方はグダグダだった。

 ちょっと恥ずかしい。

 しかしこういう恥ずかしさは、意識した途端一気に増すものだ。

 力づくで羞恥心に蓋をして、勢いで言い切ってしまう。

 

 

「私が出した結論は、麻薬か何かを大量に摂取させて脳を破壊し、巻き戻った以降もそのデータが『過去の体』にインストールされるようにしてしまえ、ってものだった。そうすれば以降の周の萩原は、時間が巻き戻ると同時に廃人の人格をインストールされ続けることになり、私の邪魔をする余裕なんかなくなる。

ところで私はn周目に、あの方にとって都合の悪い事実を掴んでいたか、彼にとって都合の悪い思想を持っていたか何かで、その記憶を消すために『猪の牙』を飲まされた。そうだよね?」

 

 

 シェリーが無言で頷いた。

 頷くというよりは頭を小刻みに振ると形容した方が近しい動きだった。

 

 

「あの方の手元に猪の牙がなかったら、彼は私が考えていたのと同じ方法で脳を破壊したはずだ。ループの途中で生命活動が停止すれば体内のタキオンが消失してループ能力を失うと知ったのは、萩原を誘拐した『認識上の九周目』。『認識上の一周目』のあの方はこの事実を知らなかったから、私を無力化するには猪の牙を飲ませるか廃人にするしかなかった。

シンプルに考えよう。この薬があったから私は廃人にされなかったし、解毒剤を飲めば記憶を取り戻せることが確定した。私は救われたと思っているよ」

 

 

 やっとシェリーと目が合った。

 視線と視線とが交錯する。

 彼女はくしゃりと顔を歪めて呟いた。

 

 

「……そういうところよ、本当に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次の話から下書きのクオリティーが著しく低くなっているため、次回の投稿までにいつも以上にお時間を頂くことになるかと思われます。
次回の投稿がいつになるのかは不明です。
32話から5章ラストまでのプロットを詳しく作り込んでから次話を投稿する予定ですので、気長にお待ちいただけると幸いです。

また、最新話の解説が下にあります。
独自用語がいろいろあって難解になってしまっているので、情報整理にお役立てください。



【第31話(1)、(2)で明かされた真相の分かりやすい説明】

・秋は『猪の牙』という薬によって『認識上の一周目』以前の記憶を封じられている

・認識上の一周目=1話冒頭の時空。

・1話冒頭の流れを振り返ると、組織壊滅後に逮捕されて公安預かりになっていた秋(アドニス)は降谷から取り調べを受ける日々を送っていたが、ある日寝て起きると15年前に戻っていた! ループが始まった! という導入になっていました。
しかし実はもっと前からループは始まっていて、1話冒頭の『巻き戻り』は何回目かのものだったけど、記憶を封じられている秋は「今回初めて時間が巻き戻った」と誤認した。


この三点が真相の中核となっています。


「じゃあ忘れている周で何があったんだ?」
「それを知るには、解毒剤を飲んで封じられてる記憶を思い出さなければならない」
「解毒剤を入手するには、明美の死を防ぐ必要がある」
「予定通り明美死亡偽装計画を成功させるために動くぞ!」

という流れに今後なっていくので、上で挙げた三点を抑えておけば(ところどころ分からない箇所が出てくるかもしれませんが)後は雰囲気で読めるかと思います。
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