そしかいする度に時間が巻き戻るようになった   作:青菜

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第32話(1)

 セーフハウスの床に直に置かれたルーレットが陽気な音楽を発し、虹色の光を振り撒きながら回っている。

 音楽のリズムに乗って、七色の光が順繰りにチロチロと床を舐める。

 秋はその様子を死んだ目で見つめていた。

 

 

 *

 

 

 事の始まりは猪の牙の効能が判明した数日後。

 住所登録用に契約しているマンションの宅配ボックスに入っていた小包を発見した時だった。

 

 伝票に書かれた住所に見覚えがあったためセーフハウスの一つに持ち帰り、大して警戒することもなく開封する。

 中に入っていたのは大ぶりの機械と、コピー用紙サイズに折り畳まれた紙製の盤面。さらに、機械にマスキングテープで貼り付けられた説明書。

 説明書の表紙には太字で「レインボー双六」と書かれている。その右下には丸眼鏡をかけて髭を生やした老人のイラストが描かれており、吹き出しを使って「普段のお礼です」と喋っていた。

 

 この博士マークには見覚えがある。

 伝票の住所と合わせて考えると、送り主は怪人二十声音マシーンや小型探知機の製作者で間違いない。

 名を、阿笠博士(ひろし)と言う。

 

 阿笠博士は米花町に住む風変わりな発明家だ。

 子供のごっこ遊び用と偽れば、犯罪行為に役立つ発明品をいくつも作ってくれる。

 秋はいつも、スパイごっこが好きな甥へのプレゼントという名目で商品を注文していた。

 

 

 しかし秋には、レインボー双六という名前からしてトチ狂った発明品を注文した覚えはない。

 疑問は、説明書の一ページ目で解消された。

 

 ──いつも贔屓にしてくださりありがとうございます。心ばかりですが普段のお礼です。甥御さんにプレゼントしてあげてください。

 

 なるほど、送り主の真意は分かったが甥は架空の甥でしかない。

 秋は数秒考え込んで、ひとまず遊んでみることにした。

 捨てたり部屋の奥深くに仕舞い込むのも忍びない。

 一度遊んで、それからどうするかは後で考えればいい。

 タンスの肥やしになるのを先送りにしただけな気がするが、罪悪感はだいぶ薄れる。

 

 

 秋はセーフハウスのレイアウトを頭の中で思い浮かべた。

 ほとんど物が置かれていない殺風景な部屋だ。かろうじて食事用の机と椅子はあるが、ごくごく小さなものだから盤面を広げるとはみ出してしまう。

 床で遊ぶのが手っ取り早そうだ。

 秋は軽くため息をつくとその場に座り込んだ。床に直接盤面を広げ、横に機械を置く。説明書によると、この機械がルーレットの役目を果たすらしい。

 

 ルーレットは球体を半分に切ったような形をしていた。大きさは目覚まし時計程度で、前面にはタッチパネル式の液晶画面が付いている。

 

 説明書に従ってルーレットの電源を入れると液晶が光った。

 プレー人数を選択する画面が表示されたので一人を選択する。

 途端、ルーレットが無機質な合成音声で喋った。

 

 

『一人モードだと結果発表が行わせません。よろしいですか?』

 

(喋るんだ……)

 

 

 しかし製作者を考えれば特に不思議ではない。阿笠の発明品と意味不明な要素は切っても切り離せない関係である。

 秋は淡々と「はい」ボタンを選択した。

 

 

 こうして一人モードのレインボー双六が始まった。

 

 操作は簡単だ。

 ルーレットのボタンを押すとランダムで数字が液晶画面に映し出される。プレイヤーはその数字に従って駒を動かす。

 

 ルールの方は、おおよそ人生ゲームと同じシステムだと見て良さそうだ。

 マスの指示に従って金が増えたり減ったりする。資金総額はルーレットの液晶画面に表示されるので、おもちゃの紙幣はない。

 勝ち負けの基準はまだ未確認だが、その時が来れば説明書の該当ページを読むつもりでいる。

 

 

 そしてルーレットのボタンを押して数字が提示されるまでの数秒間、機体は七色に光り輝く。だからゲームの名前が「レインボー双六」らしい。

 秋は頭の片隅で「自分は何をやっているのだろう」と思いながら、光り輝く機体の指示に従って駒を黙々と進めていった。

 

 

 

 駒を進めながら、先日判明した記憶喪失の真相について振り返る。

 自分はあの方によって、約十一回分の周の記憶を消されていた。

 そのせいで様々な現実との齟齬が起きていた。

 

 まず何よりも、認識している『十五年間のループ』の回数。

 組織が瓦解し、逮捕された秋は公安預かりとなり、降谷からの取り調べを受ける毎日を送るうちに十五年間のループが開始した。そう長らく信じ込んでいたが、事実は異なった。

 あの時経験した巻き戻りは推定十二回目のもの。

 秋は『認識上の一周目』以前に約十一回分の周を経験しているがそれらの周を全て忘れているため、あの『巻き戻り』を初めてのものだと誤解した。

 

 ループが始まった原因である『後悔』も、『認識上の一周目』では起こっていない。記憶から消されている本当の一周目で生じたものだ。

 

 そして記憶から消された約十一回分の周で、萩原との本当の出会いや、スコッチにたびたび覚える既視感の原因となる出来事があった。

 また『記憶から消された周』のどこかで黒の組織に入る動機が生じた。だから過去の自分は、ループによって得た知識を使って効率よく組織で成り上がっていった。そう予想される。

 

 

 

 不可解な記憶喪失の原因が猪の牙だと判明したはいいが、謎はまだまだ残っているし、この事実の発覚によりさらに新たな謎も出来た。

 

 どうしてあの方は秋の記憶を消したのか。

 どうして自分は組織に入ったのか。

 『後悔』は何か。

 過去の自分とスコッチの間に何があったのか。

 萩原と何があったのか。

 萩原は何を伝えようとしていたのか。

 どうして過去の自分は萩原にタキオンを譲渡するような状況に陥ったのか。

 シェリーは「爆発事件に巻き込まれた萩原を助けようとした秋が頭を切ってタキオン譲渡が起こった」と予測したが、その仮説は正しいのか。

 

 これらは一切不明である。

 そして今考えたところで意味をなさない謎の数々だ。

 解毒剤を飲んで過去を思い出せばおおよそ判明するだろうし、逆に今考えたところで情報がなさすぎて見当すらつかない。

 確実に解毒剤を手に入れるため、明美の死を偽装する計画に注力するのが良いだろう。

 

 

 秋が思考に耽っていると突然ルーレットがチカチカと瞬き、特徴的なイントネーションの合成音声で再び喋り出した。

 

 

『テテーン! 知り合いDEATHゾーンに入ったよ! タイミングよく6の目を出さないとこのゾーンからは抜けられず、知ってる人がとことん死に続けるよ!』

 

(し、知り合いDEATHゾーン!?)

 

 

 「詐欺師に50万円騙し取られる」だの、「冤罪をかけられそうになって10万円失う」だの、「万引き犯を捕まえて5万円もらう」だの、やけに事件関係のマスが多いと思っていたが、いよいよ親しい人の死が登場した。

 阿笠からのメッセージによると、このすごろくは架空の甥へのプレゼントだったはずだ。子供向けのおもちゃならもっと平和な内容であるべきではないだろうか。

 

 秋は困惑が解消されることを期待して、レインボー双六の説明書に手を伸ばした。

 先ほどは途中で読むのをやめてしまったが、今度はざっと文末まで目を通す。

 それらしき記述は、最後のページの下端に小さな文字で付け加えられていた。

 

 ── 近所に住んでいる子供が小さかった頃を思い出して作りました。ミステリー好きな子だったので少々血生臭いかもしれません。動物の駒で緩和されていると思いますが、ご注意ください。

 

 何も緩和されてないし困惑がより深まった。

 

 

 *

 

 

 結局秋はことごとく親しい人と死別し、大量の前科がつき、そこそこ金を稼いでゴールした。

 途中からは死別、前科、稼いだ金という三つの要素をどう結果に反映してくるのかを確かめたい一心で駒を進めていたように思う。

 

 果たして結果はどうなるのかと、秋はルーレットを見つめる。

 ゴールしてからしばらく「読み込み中」画面になっていたルーレットが再び動き出し、ピカピカと七色に光り始めた。

 満を持してルーレットが喋る。

 

 

『一人モードなので結果発表はありません。お友達と一緒に再チャレンジしてね』

 

 

 そういえば、ゲーム開始の際に一人モードだと結果発表が行われない旨が忠告されていたかもしれない。

 あの時は興味がなくて聞き流していた。

 

 

(どうしようか……)

 

 

 秋は考え込んだ。

 採点方法を確認するためだけに一人二役をしてもう一度すごろくで遊ぶのは御免こうむりたい。

 完全に虚無だ。時間を無駄にしたせいで、徒労感に襲われることが確定している。

 

 そうなると、誰かに相手役を頼むことになる。

 

 

 認識上の八周目だったなら萩原と松田が候補に上がっただろう。

 しかしこの周では彼らと接点がない。

 

 後天的なループ者だった萩原は八周目に死亡した際にタキオンを失い、『前』の記憶を引き継げなくなっているから秋に関する記憶がないし、松田は普通の人間である。二人は秋のことを覚えていない。

 

 あの方による拉致が起きず、秋が犯行前に犯人を通報したため彼らが殉職する原因である連続爆破事件が防がれたこの周で彼らが元気に爆発物処理班として働いていることは確認済みだが、この周では面識がない。

 それに彼らがあの方に目をつけられないよう、これからも面識を持たないつもりでいる。

 

 萩原や松田に相手役を頼むのは、土台無理な話だった。

 

 

 ならばスコッチはどうだろうか。

 水族館の任務でよく行くチェーンの回転寿司を意図的に漏らしてからというもの、彼とは時折店で遭遇するようになった。

 本人は偶然や気まぐれを装っているし秋も騙されたふりをしているが、スコッチは『アドニス』を通じて情報収集をするため、意図的に店にやってきている。

 そして、今では回転寿司で出会ったら必ず同席する関係に落ち着いている。

 

 向こうが秋から情報を得たい以上、頼めばすごろくに付き合ってくれるだろう。

 テーブル席なら盤面を広げることもできる。

 

 しかし回転率のいいチェーン店に居座るのは気が引けるし、何よりレインボー双六で遊ぶと絶対に店員から「レインボー双六」と裏で呼ばれる羽目になる。

 レインボー双六呼びは御免だ。

 

 かと言って、別の場所ですごろくをするために改めて落ち合うわけにもいかない。

 彼との表向きの関係は「共に任務をこなすことが多い同僚」に過ぎないし、スコッチから見たら「都合のいい情報源と潜入捜査官」。

 すごろくで遊ぶためだけに呼び出すには希薄な関係性である。

 

 彼も駄目だ。

 

 

 一応ジンを始めとしたベインB作戦メンバーも検討したが、速攻で取り下げた。奴らは論外だ。

 彼らがたむろっているバーに行けば会えるだろうが、どう考えても仲良くすごろくを囲む仲ではない。

 

 それにレインボー双六をやろうと持ちかけたら、レインボー双六の入手先を話さなくてはならなくなる。

 阿笠は自覚なく悪用できる発明品を作っているし感覚もかなりズレているが、客を気遣って双六を送ってくれる善良な人物だ。裏の人間に存在を教えるのは憚られる。

 

 

 となれば、選択肢は一つ。

 

 

 *

 

 

 検査協力の日、秋はシェリーの個室へレインボー双六を持ち込んだ。

 今日行うのは体の自由が効くタイプのデータ測定だと事前に聞いている。データ測定中にすごろくで遊ぶのも可能なはずだ。

 

 秋が入室すると同時に、シェリーがペラペラと今回の検査内容について説明し始めた。

 

 

「今日行うのは近赤外光を頭皮上から脳内に照射して、大脳皮質付近での血流状態を計測することで脳の機能を計測する検査よ。

他の検査方法よりも脳の活動部位の位置情報はやや曖昧となるし、測定可能なのは脳表の皮質表面だけで脳深部の血流変化をとらえることはできない。だけど侵襲がなく、無音で磁場を発生させることもない。何より手軽。今回の検査には適しているわ」

 

 

 何を言っているのかさっぱり分からない。

 シェリーは基本的に噛み砕いて説明してくれるが、余裕がない時は専門的な表現を多用するところがある。

 猪の牙の効能が判明したのはたったの数日前。気まずさが強く残っていて、細やかな配慮ができる精神状態ではないのだろう。

 

 再度説明を求めたところで頭が痛くなる説明を繰り返されるだけだ。

 秋は部屋をぐるりと眺めて、今回の検査協力の内容に当たりをつける。

 通常時は置かれていないヘッドギア付きの機器が運び込まれているところを見るに、今回の検査ではヘッドギアを使うらしい。

 いつも通りだ。

 シェリーの説明内容を考慮すると一口にヘッドギアを使った検査と言っても色々あって毎回同じなわけではなさそうだが、「ヘッドギアを装着して大人しくしている」という秋の行動は総じて同じである。

 

 

 あたかもシェリーの説明を余すことなく理解できたかのような顔をして、秋は「なるほど」と頷いた。

 

 

「要するに検査中は自由がきくんだね」

 

「ええ」

 

「シェリーは? 何か作業とかある?」

 

「いいえ。映像は録画する予定だし、暇といえば暇だけど」

 

「ならちょっと付き合ってよ」

 

 

 レインボー双六を入れた紙袋を掲げると、シェリーの視線が自然と注がれた。

 

 

「それは?」

 

「この部屋で密談が出来るかどうか調べるために設置してもらった小型探知機あったじゃん。あれを作った発明家から送られてきた善意の品だよ。レインボー双六」

 

「れ、レインボー双六!?」

 

 

 気まずそうな態度が一変し、シェリーは素っ頓狂な声を上げた。

 その気持ちはよく分かる。

 

 

「裏社会とは何ら関わりのない一般市民を騙して依頼していてね。その際にスパイごっこが好きな甥へのプレゼントって説明をしていたら、甥へのプレゼントが送られてきた。だけど実際のところ、私に甥なんていない。持て余してるんだよ」

 

「でしょうね……」

 

「一度も使わないのは忍びないし、ちょっと付き合ってほしい」

 

 

 秋はあたかもこれから初めて遊ぶかのような口ぶりで話した。

 一人虚しく伽藍堂のセーフハウスですごろくで遊んでいた過去は知られたくない。

 

 

 *

 

 

 遊び出して十分も経つと、当初立ち込めていた気まずさは完全に吹き飛んでいた。

 シェリーは「何これ……」と言わんばかりの死んだ目でルーレットを眺めている。

 

 

(猪の牙の効能が判明したあの日のシェリーの様子を考えると、罪悪感のせいで今後ギクシャクする可能性が高そうだった。だから気まずさ払拭のためにすごろくの相手役にシェリーを選んだのもあったけど、計算通りだったな)

 

 

 きっとレインボー双六という意味不明なものを前にすれば自然と普段の調子を取り戻すだろうと考えてのことだったが、この予想は大当たりだった。

 

 

(さすが私……)

 

 

 秋はしたり顔で自分の判断能力の高さに思いを馳せる。

 七色に光るルーレットが告げる、忌まわしいアナウンスを頭から追い出すためである。

 

 

『恋人が死ぬ。10万円失う』

『友人が死ぬ。30万円失う』

『恋人が死ぬ。70万円失う』

『友人が死ぬ。30万円失う』

『恋人が死ぬ。50万円失う』

 

 

 秋はまたもや知り合いDEATHゾーンにはまっていたし、なぜか恋人と友人ばかりが立て続けに死んだ。恋人と死別した回数など二桁を超えている。

 シェリーも知り合いDEATHゾーンをぐるぐるしていて、現時点のスコアが似たようなものなのが唯一の救いだ。

 

 

 シェリーが八回目の姉の死を迎えて四〇万円を失ったことで、またもや自分の番が回ってきた。

 知り合いDEATHゾーンから抜け出す条件である六の目が出ることを祈って、ルーレットのボタンを押す。

 

 ルーレットがピカピカと虹色に光る。

 結果は三だった。

 

 

『高校生の時から付き合っていた恋人が死ぬ。100万円失う』

 

 

 秋の駒が止まったマスを見て、シェリーがハッと目を見開いた。

 

 

「すごろく内のアドニスはすでに職についている。社会人になってから恋人が何人も死んでいて、さらに高校から付き合ってる恋人が死んだってことは二股以上している計算になるわよ!」

 

「まさか、私は結構一途だよ。それに私の時間を使うに値する人間がそうもゴロゴロいるわけがない。きっと私が魅力的すぎるせいで恋人を自称する人がたくさんいたんだろうね」

 

 

 秋は自分に酔ったような笑顔を浮かべて答えた。

 完全にいつもの雰囲気に戻っている。

 

 シェリーは秋に呆れ目を向けながらルーレットのボタンを押した。

 今度はシェリーの両親が不審死を遂げた。

 

 続いて、秋がルーレットに手を伸ばす。

 出目は六だった。

 やっとこさ知り合いDEATHゾーンを抜けられる旨がアナウンスされる。

 

 

『正規ルートに戻ります。どのマス目に着くかを決めるために、もう一度ルーレットを回してね』

 

 

 指示通りルーレットのボタンを押す。

 ルーレットが七色に光り、液晶画面に映った数字と、進行マスに書かれている内容を合成音声が読み上げた。

 

 

『一です。犯罪者になる。前科ポイント100』

 

 

 シェリーは新たに登場した前科ポイントという概念について一切突っ込まなかった。完全にスルーする面持ちである。

 すでに大量の意味不明な要素が登場しているから、今更突っ込む気が起きないのだろう。

 

 秋は背もたれに体を投げ出した。

 

 

「うわー、せっかく清廉潔白に生きてきたのに」

 

「ほら、恋人が死んだショックで犯罪に手を染めたじゃない。本物の恋人よ」

 

 

 シェリーは前科ポイントに言及する代わりに、恋人ネタを擦った。

 二人で流れ作業的にテキパキとルーレットを回して駒を進めながら会話を続ける。

 

 

「まさか。この私に釣り合う人なんてそうそういないんだからポンポン新しい相手を見つけれるわけがない。そもそも私は高校に通ったことが一度もないから『高校の時から付き合ってた恋人』なんて存在しない。きっと私が魅力的すぎて、その自称恋人は存在しない高校時代の記憶を作り上げてしまったんだろうね……」

 

「へぇ、まともに学校に通えない境遇だったとか?」

 

「いや、中学までは普通に出たけど高校入学前に失踪した」

 

 

 しかも通えなくても惜しくないような低レベルの高校ではなく、それなりにレベルの高い公立高校に合格していた。

 学力が低いと勘違いされるのも癪なので、レベルの高い高校に合格していたがあえて蹴ったと主張しようか迷ったが、逡巡の末にやめておく。負け惜しみだと受け取られかねない。

 

 それに話を長引かせて、高校失踪の理由を突っ込まれて聞かれると困る。

 あのタイミングで失踪した動機は、『猪の牙によって封じられている記憶』に該当している。

 秋が一部の記憶を失っていることを目の当たりにすると、せっかく元の雰囲気に戻ったのにまたシェリーが罪悪感を覚えてしまう。

 

 

 秋が口を閉ざし、シェリーもそれ以上話しかけてこなかったため、そこからしばらく会話は途絶えた。

 無言でルーレットの指示に従って駒を進めていく。知り合いDEATHゾーンを抜けた代わりに前科ポイントがどんどんと溜まっていった。

 

 ルーレットから発せられる陽気な音楽と合成音声だけが聞こえる異様な空間が出来上がって数分が経過した頃、秋は新たな反論を思いつき、唐突に会話を再開させた。

 

 

「いやでも、この最高に素晴らしい私がそこまで好きになる人って相当難易度高くない?」

 

「あなたの自己評価はともかく、アドニスの性格だとよっぽど好きでもない限り交際に至らなそうよね」

 

「まあ私は価値がべらぼうに高い人間だからね……」

 

 

 シェリーは「コイツ前置きが聞こえなかったのか……?」と思ってそうな表情をして、無言のままルーレットを回した。

 姉が死んだ。これで九人目だ。姉が多すぎる。

 

 

「価値がべらぼうに高い人間だからこそ相手のハードルも高くなるものなんだよ。どんな状況だろうと正しい選択ができる強さを持っていて、そのくせ普段は温和で基本笑顔を浮かべてるから顔立ちそのものは冷たい感じであることが分かりにくくて、正義感が強くて真面目で、この人のためなら身を危険に晒してもまあいいかと思える相手じゃないと」

 

「あら、七色に光り輝いてるとかじゃないのね」

 

「横にある意味不明な機械じゃん、それ。私が年中光り輝いて見えるのは凄まじいオーラのせいだよ」

 

「人間って悲しい生き物よね」

 

 

 シェリーが目を伏せた。

 

 

「こうして向かい合って座っていて、共犯者で、すごろくで遊ぶ仲だとしても、今まで育んできた価値観や思考の食い違いによって真意が満足に伝わらなかったりする。今のは珍妙さが釣り合ってるって皮肉よ」

 

「珍妙……? 私はまごうことなき事実を言ってるだけなのに……?」

 

「人間って悲しい生き物よね」

 

 

 会話はここで一時中断された。

 またもや陽気な音楽と合成音声とルーレットが発する七色の光が場を支配する。

 喋り出すことで異様な雰囲気を断ち切ったのは、今度はシェリーだった。

 駒を動かすために秋が手を伸ばしたタイミングで言葉をかけられる。

 

 

「ところでさっき言ってた恋人の条件だけど、特定の人のこと話してなかった?」

 

 

 掴む際に手が滑ったせいで動物の駒が吹っ飛んだ。十数センチ分机の上を滑った駒は、かろうじて机の端に引っかかって止まる。

 秋は立ちあがって駒を取りに行こうとしたが、椅子から数センチ腰を浮かした段階で動きを止めた。

 自分の手は動揺によって微かに、本当に微かにだが震えている。

 このまま駒を戻そうとしても、手がさらに滑って机の下に落としてしまうかもしれない。

 そうなったら図星だったことが完全にシェリーにバレる。

 一回インターバルを挟んだ方がいいだろう。

 

 秋は努めて冷静な顔を装ってスッと目を逸らすと、立ち上がりざまに提案した。

 

 

「そろそろ喉が渇いてきたな。そう思わない? コーヒー淹れてくるよ」

 

「机に二つ並んでるこのマグカップは何なのかしらね」

 

 

 言われて机を確認する。すでにコーヒーは淹れてあった。

 数秒の隔たりを経て、検査を開始する前にコーヒーを用意していたことを思い出す。

 

 

「ついでにお伝えすると、ヘッドギアのコードの長さが足りないから、検査中はケトルまでの移動が出来ないわ。前もって説明したはずだけど」

 

 

 秋は無言で座り直した。

 涼しげな顔を装いながらさりげなく部屋の四方へと視線を走らせて別の話題の種を探す。

 

 

「あー……」

 

 

 時間稼ぎのため無駄に間投詞を発していると、やがて部屋の一角に目が止まった。

 

 

「そういえばあのケトルってIoT家電なんだっけ。興味深いね」

 

「研究の中核を担っている施設なだけあって研究設備には様々な最新技術が使われているし、有能な研究員には成果の分だけ良い職場環境が与えられるわ。設備や家電のIoT化はその一環ね。で、それのどこが興味深いのよ」

 

 

 シェリーの目つきがより冷ややかになる。

 秋は慌てて誤魔化した。

 

 

「昔IoT家電に関する爆破事件に関わったことがあるから、IoT家電って聞くとちょっと反応しちゃうんだよ」

 

 

 我ながら、これはなかなか上手い返しではないだろうか。

 IoT家電を利用した爆破事件にかつて関わったことがあるのはまごうことなき真実だ。嘘に信憑性が増す。

 

 

 ついた嘘に触発されて、かつて解決した伊達航連続殺人事件へと思考が逸れる。

 あの事件は普通の交通事故と、交通事故に見せかけた殺人と、IoTテロを利用した爆殺とが入り混じっていたせいでややこしかった。

 真相は、将来IoTテロを起こす予定の日下部誠が、公安への歪んだ憎悪を動機として公安の協力者である伊達を殺していた、というものだったことも思い出す。

 

 自分で認識できる速度を超えて思考が連鎖していく。

 IoT家電のケトルを起点として、最後には八周目ラストの光景に行き着く。点と点が結ばれる。

 次に出た声はこれまでとは打って変わって低く、真剣な響きを纏っていた。

 

 

「……“研究の中核を担っている施設”に最新の設備投資がなされているんなら、向かいの棟も同じだよね」

 

「ええ。それが?」

 

 

 演技ではなく本心から秋が雰囲気を一変させたのだと感じ取ったらしい。

 シェリーが目を丸くして尋ねた。

 

 意識が追いつくよりも早く、思考がひとりでに進んでいく。

 向かいの棟であるクロノス棟はタキオンそのものを調べている施設であり、認識上の八周目の萩原が不審な爆発で爆死した現場だ。

 情報の欠片が集まる。考えが収束する。

 

 途端、秋は息を呑んだ。

 気づいたらテーブルに手を叩きつけるようにして立ち上がって叫んでいた。

 

 

「シェリー! 向かいの棟の配管系統図って確認できる!? それとどこにどんなIoT機器があるのか!」

 

「配管系統図は無理だけど、フロアマップならパソコンに入っている。IoTが搭載された研究設備がどこにあるのかは、今すぐ確認できるわ。でも、なんのために……?」

 

「見せて! ──認識上の八周目で起こった、あの方による萩原殺害の手口が分かったかもしれない」

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