インフィニット・ストラトス ――デイ・アフター・トゥモロー 作:水戸 湊
「私はここまでだ。あとはIS学園の者に任せることになる」
「はい。ありがとうございます、バーデンさん」
日本の入り口、空港の到着ロビー。そこで俺は、背広姿のバーデンに深く頭を下げた。
あの混乱からおよそひと月が過ぎている。その間、混乱の極みにあった俺をなにかとサポートしてくれたのが、バーデンと名乗った男だった。正直、彼がいなければ俺はとうに壊れてしまっていたかもしれない。根気よく俺の記憶を手繰り寄せ、この体のことを教えてくれたのだ。
今の俺は、俺の知っている俺じゃない。それを完全に理解するのに、ひと月もの時間がかかった。
アイリ・レフティマキ。16歳。IS適性はA。出身はフィンランドとかいう北欧の国で、そこのIS代表候補生でもある。性別は――女。
そう、女だ。ISだの外国語だのというまえに、第一の違和感の壁が性別だった。一人称の通り、俺は男だったはずだ。それが今じゃ、頭に金具でもつけてストラップにでもできそうな小さな少女へと変貌してしまっている。バーデン曰く、俺の体は16年間ずっと女のままだったというが、俺の視点から見たら突然性転換させられていたのと大差ない。なまじ体のほうが動きを覚えているからか、気づくとどうしても動作が女っぽくなっていたりして、慣れないうちはだいぶ気恥ずかしい思いもした。
体が覚えているといえば、記憶とは別の領域に保存された知識は、さしたる喪失もなく残されているようだった。そのおかげで言葉で困ることはなかったし、ISの操縦すら手癖でできてしまった。頭でどうするかを考えているうちに、体が勝手に動いているのだ。
バーデン曰く、『施設』とかいう研究所の中でも、アイリという少女はすこぶる優秀なパイロットだったそうだ。おかげでISの操縦や整備で困ることはなく、そのあたりは感謝している。なにせ、優秀なパイロットだからこそ、IS学園への編入という題目で日本へと『入国』できるのだ。
IS学園への編入は、本来キャンセルか延期、もしくは交代とバーデンは考えていたようだ。そこをどうしてもと頼み込んで、体に叩き込まれた技術を駆使して見せ、相手方の説得のために必要だという試験を突破し、どうにか説得した。彼――というか『施設』にも政治的な利益があるそうだが、そんなものは関係ない。いまだに思い出せない、過去の俺の記憶。その手掛かりとなるのは、間違いなくこの日本のちのはずだ。だからどうしても日本へと帰りたかった。
空港内はクーラーが効いているが、万年雪に囲まれた『施設』とは違う夏の蒸し暑さが、ガラス越しの外の風景でも感じられる。そう感じるのは、体ではなく記憶だろう。
「日本も紫外線は強い。なるべく長袖を着て日陰を歩け。サングラスも忘れるな」
「ええ、わかってます」
あたりには半裸同然の格好で歩いている若い女も多いが、そのほとんどはアジア系の黄色人種だ。彼女たちと比べると、今の俺の素肌は雪よりも白い。日本国内ではほとんど意識しないことをどうしても考えさせられ、自分が外国人になった気がする。
たしかに体はアイリという外国人の少女のものなのだが、それに引きずられて、『俺』が『アイリ・レフティマキ』になりきってしまうことは、考えるだけで恐ろしかった。自己の消滅への忌避は、人類ならば誰もが持っているものだ。
「気をつけてな。お前の――アイリ・レフティマキの体には、安くない金がかかっているんだ」
「気を付けますよ。見送り、ありがとうございます」
本心か照れ隠しか、背中を向けてから放たれた言葉に、俺は笑みを浮かべて返した。これから別の便で『施設』へと帰還するというバーデンの背中が消えるまで、立ち止まって見送ると、一人用のカートを引いて歩き出す。
周りから聞こえてくるのは、多国籍の言葉。当然日本語が多いが、英語もかなりの割合で混ざっている。そのどちらもを聞き取れることに安堵と小さな優越感を得ながら、出国ゲートでビザを受け取った。
「日本へようこそ」
そういって笑顔で見送ってくれた男の係員にこちらも笑顔を返すと、係員は照れたように視線をそらして鼻の頭を掻いた。日本への入国履歴が書かれたパスポートをめくると、無表情な顔写真が出てくる。生真面目そうに口元をぎゅっと結んでいるのは、作り物じみて顔立ちの整った少女だ。青みがかったストレートの銀髪は肩の上で切りそろえられ、その下の細い眉の色が、それが染めたものではないことを示している。化粧をしていなくても、長いまつげや透き通った琥珀色の瞳、浮くように赤い頬と唇――そういう個々のパーツとその配置が絶妙で、人間離れした超常的な近寄りがたさを醸し出していた。
パスポートの名義はアイリ・レフティマキなので、すなわちこれが今の俺の顔なわけだが、トイレの鏡の前で見比べても、自分の顔だという実感があまりない。そっくりの姉妹のように、似ているがどこか違うのだ。中身の違いが外見にも出ているのだろうか。首を曲げると、写真ではつけていない、右耳から下がった小さなクリスタル付きのチェーンピアスが揺れる。だがまあ、それの有無が原因というわけではなさそうだ。
ついでに用を足してからトイレを出、IS学園の使いが待っているという南出口へと向かう。遮光ガラスの吹き抜けとなった玄関を出ると、すぐにむせるような熱気と太陽光が体中に押し付けられ、俺は慌ててサングラスをかける。
「迎えは……どこだ?」
口に出してのが日本語だと確認しつつ、視線をさまよわせる。周囲は出迎えの旅行会社やら家族やらでごった返しだ。そういえば、この国は夏休みの終盤に差し掛かっているはずだということを『思い出した』。
IS学園からの使いということは、それは当然女のはずだ。なにせ、ISは女性にしか動かせない。それがどういう理屈だかは知らないが、そうなっている。ともあれ、それだけを頼りに人探しをするというのは砂漠の中で石油を探すようなものだ。参ったと頭を掻くと、ふと、周囲の出迎え行列の一角がざわめいた。
「す、すみません、通してください! あ、わっ」
人ごみをかき分けて、誰かが列の前に出ようとしているようだ。胸で押し出すように人の間を潜り抜けてくるのは、まだ若い女性。周りと比べればまだ布の面積の多い服装だが、暑さ対策なのか大きく胸の空いた服から、隠しようのない谷間がのぞいている。赤いフレームのメガネ以外に装飾品のない地味といってもいい格好だが、それだけに無駄に胸の大きさが強調されている。そういう計算されたファッションなのかもしれない。
そんなことを思いながら何とはなしに眺めていると――誰かの足に引っかかったのか、女性の体が悲鳴とともに傾いた。二歩、たたらを踏み、こちらに倒れこんでくる。
「大丈夫ですか?」
気づいたときにはカートを置いて、女性のところに駆けつけて、すんでのところで女性の体を支えていた。頭で助けようと思った時には勝手に反射神経が働いていたのだ。
「あ、ありがとうございます」
どうにか起き上がりながら、丁寧に頭を下げる女性。また胸元の谷間が強調されて、俺は視線をそらす。男相手ならともかく、今は少女の俺に見せる意味はないから、これはもう天然だろう。それを裏付けるようにお辞儀でずれたメガネを直しながら、顔を上げる女性。その視線が俺の髪に移動し、口元に向かう。
「ええと――あの、失礼ですが、もしかしてアイリ・レフティマキさんですか?」
「え? じゃあ、あなたが――」
「はい、IS学園の1年生の学年副主任をしてる、山田真耶と申します。よかったぁ。ちょっと遅刻しちゃって、すれ違ったらどうしようかと思いました」
サングラスを外した俺の顔を見て安堵の息を漏らし、目を弓の形に変える顔は童顔で、やもすれば同年代にすら見える。胸の発育を除けば体も小さいのでなおさらだ。
「こっちに車を止めてあります。荷物はカート一つだけですか?」
頷くと、カートを一瞥した山田真耶――先生をつけるべきか――は軽く頷く。
「なら、トランクに入りそうですね。付き添いの方などは……」
「俺一人です」
「わかりました。では、行きましょう」
よほど急いでいたのか、既定の停車位置から車体が半分ほど飛び出していた。駐車場は空き気味とはいえ他の車にとってはさぞ迷惑だろう。ついでに山田先生の運転技術にも少し不安を感じさせる。
五人乗りの乗用車のトランクに二人がかりでカートを押し込み、山田先生がハンドルを握る。俺がじっと見つめているのに気付いたのか、山田先生は頬を掻いた。
「だ、大丈夫ですよ。運転は慣れてますから」
言葉通り、手慣れた動作で静かに車を発進させた。左側が助手席というのが、なんとなく落ち着かないのは、体どころか記憶までひと月の間で左ハンドルに慣れてしまったからか。
見覚えのない通りを車は進んでいく。
「だいたい五十分くらいのはずです。途中、休憩とか寄りますか?」
「いえ、そのまま直行で大丈夫です」
聞けば、IS学園とは、俺の記憶にある日本の場所とさして離れていないところにあるようだった。車の時計が、西暦から始まる現時刻を示している。
俺の語る記憶の断片を、バーデンはおよそ10年ほど前のものだと判断していた。それだけの時間が経過しているなど、俺に実感はない。首相の名前は知っているものと違うし、世界の情勢もかなり変わっている。だが、そんなことは俺が16歳の少女になってしまったことに比べれば昨日と今日の天気の差くらいのどうでもよさだ。
「そういえば、レフティマキさん」
「あ――アイリでいいです。どうかしました?」
名字で呼ばれると、なおさら自分のことだとわからなくなる。それに、日本人には発音しにくいはずだ。
「じゃあ、アイリさん。日本語お上手ですけど、誰かに習ったんですか? 私、外国語って英語しか話せないのでちょっと羨ましいんです」
俺は返答に詰まる。中身は生粋の日本人なのだから、むしろ離せないほうが不自然だ。だがそう返すわけにもいかない。
「あの、前にいたところで……」
「北欧の学校でしたっけ? 私が3年間受け持った子にも、ドイツの代表候補生がいたんですよ。去年、無事に卒業しちゃいましたけど」
どうやら『施設』の詳細は知らされていないようだ。緊張をほぐそうとしてくれているのか、相手が勝手に話してくれるのは助かる。
「もしかして、習ったのは男の方でした?」
「え?」
「いえ、アイリさんの一人称、日本だと男の人が使うものなんですよ」
確かに、人形じみた少女の外見で『俺』は違和感があるかもしれない。『施設』にいたときはドイツ語や英語が主だったから気にしたことはなかったが、日本語は複雑だ。ただ、これだけは譲れなかった。
『俺』は俺が俺であるということを周囲にアピールする、唯一の手段だ。肉体が『アイリ・レフティマキ』である以上、周囲も俺をアイリとして扱う。そのせいで、俺自身まで『アイリ・レフティマキ』と同化してしまいかねない。だから、せめてもの抵抗として日本語の思考の中では一人称を『俺』にしているのだ。
「それは、知っています。ただ――そう、気に入っているので」
「そうですか……なら、それはそれでいいですよ」
外国人の外見というのは、そういう部分では便利だ。多少の違和感を覚えても、外人だからという理由である程度許容してくれる。さわらぬ神に祟りなし、という精神でもあるが。
「よく来たな。学年主任、織斑・千冬だ」
山を丸ごと一つつぶして作ったような広大な敷地を持つIS学園の校舎は、入り口から車で五分ほど行ったところにあった。その応接室に通された俺を迎えたのは、スーツの似合う黒髪の女性。長身の美人だが目つきが鋭く、抜身の刃のような近寄りがたい威圧感がある。思わず息をのむ俺だが、差し出された手に少しだけ胸をなでおろした。握り、頭を下げる。
「アイリ・レフティマキです。よろしくお願いします。……あの、織斑とは、もしかして」
俺の記憶に当てはまる知識があった。ISが国際競技として認定された後の、第一回の世界大会。その優勝者が、オリムラといったはずだ。そのあとは表舞台から忽然と姿を消したのだが、IS学園の教師となっていようとは。
「さあな。今の私は一年生の学年主任、兼1組担任、兼実技指導教員だ。それだけを覚えていればいい」
そういった質問には慣れているのか、よどみない返し方だった。視線で着席を促され、俺は山田先生・織斑先生と向かい合って応接室のソファに座る。まるで面接でも受けるかのようだ。
山田先生がバッグからファイリングされた書類を取り出す。表紙には複雑なデザインの校章が印刷されている。
「ええと、これが本校の案内です。地図や規則、あとアイリさんの部屋番号などが書いてあるので、目を通しておいてください」
「IS学園は全寮制の学校だ。これまでどんな環境にいたかは知らないが、規則は絶対で24時間有効だ。決して楽ではないから、覚悟しておけ」
二人の教師が放つ雰囲気は真逆だが、相対していると中和されてちょうどよく感じられる。
「俺は一組でしたっけ?」
「そうだ」
俺の一人称には眉すら動かさず、織斑先生が頷いた。
「専用機持ちのフィンランド代表候補生らしいが、この学園ではそんなものは珍しくもない。特別扱いはされないぞ」
「他にも代表候補生が?」
「十数名在籍している。専用機持ちも数人だ。過去で一番多かった学年が卒業したから多少は減ったがな」
千冬の言葉には、どこか哀愁が含まれている。山田先生もよく見ると遠い目をしていた。そういえば、山田先生もドイツの代表候補生が卒業していたと言っていたのを思い出す。だがそれもつかの間、眼前の俺を見据え、織斑先生は姿勢を正した。
「私はこれから用があるから、失礼する。あとは山田先生に学園内を案内してもらえ」
立ち上がり、歩いて応接間を出る。それだけの動作ですら、隙がなく洗練されている。常人ではないことがはっきりと分かった。
残されたのは俺と山田先生だが、彼女が立ち上がる気配はなかった。
「ごめんなさい、実は、もう一人案内役がいるんです。私一人だと気づかないこともあるかもしれないから、生徒会の子が……」
手を合わせて謝る山田先生。ちょうどそのとき、控えめなノックの音が響いた。
「
「ああ、来ましたね。どうぞ入ってください」
ゆっくりと扉が開き、あらわれたのは、IS学園の制服に身を包んだ少女。前髪を切りそろえた闇色の長いストレートが、まるで日本人形のようなシルエットだ。一瞬日本人かと疑うほどに肌が白いのも拍車をかけている。
「山田先生、お待たせいたしました。そちらの方が?」
「はい、北欧からの転校生で、アイリ・レフティマキさんです」
「まあ。遠いところからいらしたのですね。わたし、新屋布・鏡花と申します。始めまして」
「アイリ・レフティマキです。よろしく」
ゆっくりと腰から上体を曲げる丁寧なあいさつをされ、慌てて俺も半腰を浮かせながら頷いた。たっぷりと二秒間はそうしてからあがった鏡花の黒壇のような瞳が俺を見据える。たれ目気味の大きな瞳が笑みを形作った。
「では、参りましょうか」
「ここが教室です。1年1組は廊下の端ですね」
一階の応接間から、階段を上がった二階フロアへと通されると、そこには無数の扉が並んでいる。半透明の電子表示に、1年4組と書いてあった。
4組の扉に手を当てると、自動でドアがスライドする。夏休み中だからか、一応平日の真昼だというのに教室は無人だった。前方に黒板代わりの巨大なモニターが掲げられ、生徒一人一人の机も大きめで何やらスイッチやらプラグの差込口やらがついている。設備は近未来的だが、配置だけを見ると普通の学校と相違はない。外からは夏の日差しが照り付けているはずだが、何か加工されているのか、窓の外に広がる風景からはあまり眩しさを感じない。
物珍しげにあたりを見回す俺に、鏡花が笑みを浮かべて声をかけてきた。
「こういった教室は初めてですか?」
「あ、いえ――設備が珍しいので」
『施設』ではバーデンと一対一で話すことが多かったし、留学経験などないから外国の学校なんて知るはずもない。
「そうですか。この学校、IS学園は、世界中から生徒を集めているだけあって世界最新鋭の様々な技術が使われているのです」
IS学園は世界で唯一の公的なIS操縦者養成学校だ。素質はもちろんのこと、性格、容姿まで様々な規定をクリアしたものだけが入学できる狭き門。それだけあって、投資額も半端ではないようだ。
「月曜日から金曜日まで、おおよそ9時から5時までが学生としての授業を受ける時間ですね。休日は許可を得れば外出もできますが、平日は放課後も寮内もしくは校内にいなければならない規則があります。寮にも門限がありますから注意してください。そのあたり、ちょっと厳しいですけれど我慢してくださいね」
山田先生の補足が入った。生徒を縛るためというより、宝石の原石を守るためという理由が強い気がするが、それをあえて生徒には言わないだろう。
「慌ただしいようですけれど、明日は始業式で半日授業があります。教室の使い方などは、その時に体験学習してもらいましょうか」
無人の教室を眺めていても仕方がない。俺たちは教室を後にして廊下に出る。先導は山田先生だ。そのあとを俺が続き、
「ここから順に各所を回っていきましょう。次は一度講堂に出ます」
ふと見た窓からは、校舎から廊下が続く巨大な建物がのぞいている。あそこを全部回るのに、どれくらい時間がかかるのか。にこやかに先を行く山田先生にはすまないが、楽しい学校見学というより延々と歩き続ける結構な強行軍となりそうな予感がした。
原作キャラは出せるところで出します。次回はやっとIS戦闘回です。
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