インフィニット・ストラトス ――デイ・アフター・トゥモロー 作:水戸 湊
まあ、その。
とりあえずタイトルのMTG縛り外すかな、というヘタレ具合。(追記:外しました
扉を開いたとたん、全身を包み込むようなさわやかな冷気が肌をなでる。
廊下に引かれたものとは違った文様の絨毯をローファで踏みながら入った部屋は、狭いとも広いともいえない、まさしくちょうどよいといった塩梅を感じさせた。
入り口の左右にはユニットバスとクローゼット。その奥にワンルームがある。ワンルームといっても安アパートのような何畳一間といった風情ではまるでなく、まるでホテルの一室だ。
ベッドや机は重そうな木製で、衣装掛けやスタンドライトには細かな装飾が施してある。壁には小さな額縁に入った絵が収められている。左右にカーテンを開いた大きなガラス戸からは、晩夏の夕日が見えた。
「どこの避暑地だ、ここは」
思わずそんなつっこみがこぼれた。
「一応近くには街もあるのですけれど……。この寮からは方角的に見えないので、午後の夕日は絶景なのです」
ガラス戸にくっつくほどに顔を寄せて水平線に落ちる夕日に顔を染める俺を見て、横に立った鏡花は笑顔で言った。外装やロビー、廊下など以上に、この部屋には慣れそうになかった。普通に行き交うところならばともかく、生まれてこの方こんな部屋で寝泊りした経験はない。それは『俺』と『アイリ』の共通見解だった。
「とりあえず、汗を流されたらいかがでしょう。この部屋はいささか涼しすぎるのです。おかぜでもひかれては大変なのです」
「……そうだな。シャワールームはそこか?」
「はい。アイリさんのお荷物も届いているようですね。お着替えはそちらに?」
見れば、少女一人が寝るには大きすぎるふかふかとしたベッドの脇に、ぽつんと小さなトランクがおいてあった。数時間ぶりに出会った旅の友の存在が、少しだけ浮き足立った気持ちを抑えてくれた。
「持ってきたのは制服と寝巻きだけだが――寮なら制服でいいな」
「はい。一応私服も可ということになっていますけれど、皆さん大抵は制服ですごされているのです」
それを聞き、俺はトランクを開き、ベッドの上に替えの下着を放る。装飾のない薄いショーツとスポーツブラ。男物の下着はまるで体型に合わないので、このあたりが実用性と羞恥心の妥協点だ。鏡花が差し出してきた白いタオルを受け取り、制服の上着に手をかけた。
他人の前で下着姿になるのは恥ずかしい――なんて言っていたらやっていけない。それは相手もそうだろう、と思って鏡花を見れば、やはり特に気にしているそぶりはない。笑顔の深みが増している気がするのは――気のせいだ、きっと。
「お先に」
「はい」
見せるといっても下着までだ。さすがにその下はユニットバスに入ってから脱ぐ。
「着替えは籠に入れておけば、洗濯されて帰ってくるのです」
外から鏡花の声が飛び、視線をさまよわせれば、バスルームの端に大きな網籠が口を開いている。寮生活なんて洗濯は自分たちでするものだと思っていたが、本当に至れり尽くせりのようだ。
シャワーは冷水と熱湯を併用して水温と水量を調節するタイプだ。手のひらで湯を転がして調整しつつ、肩からシャワーを浴びる。ふう、と吐息がこぼれた。全身の汗と疲労が流れ落ちていく。ゆっくりと湯気で白く染まる視界。身体の力を抜くと、小さく薄いなで肩が視界に入る。傷一つない真珠色の肌を、つ、と水滴が流れていく。
『アイリ』の身体は、元々が白すぎるせいもあって、あまり長い間湯を浴びていると真っ赤になってしまう。最初のころはそれでバーデンにも驚かれた。
元々『施設』ではサウナがメインだったこともあり、日本のシャワーは懐かしい。痛いほどの高圧のシャワーは、日本以外の国ではあまりないようだ。
疲労が抜けるにしたがって、軽い眠気まで襲ってきて、俺はシャワーを止める。ぴんと指先の水をはじき、どんな生地を使っているのかやたらモコモコとしたタオルに顔を埋める。
これから、どうなるのだろう。ここまでは、バーデンや先生の言うとおりに案内されて指示をされてきた。これからはそうもいかないだろう。
どんな風に学園生活を送るか。どんな風に生きていくか。
『アイリ・レフティマキ』として生きていく――そういうのも、無くはない。望まずとも、そうしなくてはいけなくなる可能性は十二分にあるし、この身体は生きていくのに不自由なスペックではない。むしろ相当恵まれている。だが、何の抵抗もなくそれを受け入れるということは、『俺』自身の存在を否定するのと同義だ。
そのあたりの折り合いを付けられるか。俺自身の過去を見つける、もしくは切り捨てることができるか。それが、俺の人生を左右するだろう。
とはいえ、そんなことは大雑把な概観にすぎない。今ここでどうできる問題ではない。今気がかりなことといえば、
「リーゼ・ベーレンスか」
口に出しても、しっくりくる名前ではない。なにか引っかかるものもない。そのあたりは、あるとすれば『アイリ』自身の『記憶』に収納されているだろう。リーゼについては、対応に迷うところだ。向こうは『アイリ』を知っているのだ。素直に事情を打ち明けてよいのかもわからない。認識コードは切り替えてあるものの、公には存在しないISである『雪の女王』にかかわる問題でもあるから、俺一人の判断で判断していいのかも難しい。
ならば、とりあえずは『アイリ』という名の『俺』として行動するのがベターだろう。『アイリ』になりきるつもりも、『俺』として無理に振舞うこともない。可能な限りの自然体――それが、一番問題を引き起こさなくてすむのではないだろうか。
胸元にタオルを押し付けると、柔らかな脂肪がつつましい抵抗を返してくる。この違和感は、なかなか慣れるものではない。
翌日。教室の前で、山田先生に連れられた俺は所属予定の1組の前にいた。扉の中に、三十人弱のクラスメートがいると思うと、少し背筋が冷たくなった。
「じゃあ、私が呼んだら入ってきてくださいね」
「了解です」
「緊張、してる?」
「……まあ、それなりに」
「大丈夫よ。みんないい子達だから」
柔和な笑みを見せる山田先生だが、転校など初めての経験だ。一学期が終わりだいたい打ち解けたであろうクラスの中に、いきなり放り込まれてうまくやっていける自信などあまりない。幸い、同室の鏡花が同じクラスだというから、そこから交友関係を伸ばしていけるかもしれない。
俺の顔から期待と不安を読み取ったのか、山田先生は、大丈夫、と肩を軽くたたく。
「私が合図をしたら、入ってきてください」
教室のドアが開き、廊下にざわめきがあふれ出る。それを掻き分けながら山田先生が教室に入り、ドアを閉めると、とたんに静寂が空間を満たした。
俺はかばんを床に置き、ドアの脇の壁に背をつけながら合図を待つ。小さく山田先生の声が聞こえてくる。
と、廊下の端から、誰かの駈ける音が聞こえてきた。近づいてくる。音を引きつれ、こちらへ向かってくる女子生徒がいた。
始業のチャイムは鳴っているはずだ。両足で高さの違う白いニーソックス、纏められた髪の毛のはね方、額に薄く浮いた汗をみるに、遅刻に気づいてあわてて寮を出て走ってきたという風だ。
女子生徒が私の姿を確認し、歩調を緩めた。
「ごめん、ちょっと失礼」
顔の前で手を立てた彼女の意図を察した俺がスペースを空けると、女子生徒は壁に背を貼り付けてドアののぞき窓を恐る恐る顔を近づけ――うげ、と息を吐いた。
「ホームルーム始まっちゃってるかー……サイアク」
どーしよ、と力を抜いて壁に寄りかかる女子生徒。身長はやや高めで、170センチ近いだろう。制服のリボンは一年生のものだが、ラインのはっきりしたつり目気味の顔立ちは大人びて見える。身長に比例して成長したのか、制服を押し上げる胸のふくらみがややきつそうだ。オレンジに近い茶髪を縛るゴムを一度取り、頭の後ろでポニーテールに結びなおしつつ、彼女は横目で俺を見た。
「アンタも遅刻? っていうかどこの組?」
「いや、俺は――」
『レフティマキさん、入ってください』
答えようとした声に重ねて、山田先生からドア越しの声がかかる。女子生徒が合点がいったと手を打つ。その顔が、何かを思いついたようなものに変化する。
「そういえば、転入生がくるんだっけ。……じゃあさ、お願いがあるんだけど」
「別に、いいけれど」
転入早々、どころか会って早々に何を頼まれるのかと身構えた俺に、女子生徒は再び顔の前で右手を立て。
「うまくみんなの注意をひきつけてくれない? その間に、後ろの扉からこっそり入るからさ」
「そんなことか――まあ、やってみる」
何を言い出すかと思えば、なにやら姑息な計画を思いついたようだ。転入生が入ってくれば嫌が応にも注目は集まるだろうし、それくらいならお安い御用だ。
『レフティマキさん?』
声だけでも山田先生が首をかしげているのがわかる。あのどこかほうっておけない先生を不安にさせないためにも、早く入らないとまずい。
「じゃ、頼んだ」
そそくさと、教室の後ろ側のドアへ移動する女子生徒。それを横目で見ながら、俺は意を決して軽くドアをノックする。
「入ります」
音もなく自動ドアがスライドし、その瞬間に無数の視線が全身に突き刺さるのを感じた。自分が緊張しているのを自覚しつつ、平常心と言う言葉を刻みながら教壇に立つ山田先生の脇に立った。
「今日から転入した、アイリ・レフティマキさんです」
「アイリ、です。よろしく」
自分の名前としては未だなじまない単語を放ちながら、視線をさまよわせる。整列した机とそろいの制服の女子生徒たち。それぞれ顔立ちは違えど、個性を押しつぶして背景としてしまうのが制服のすごいところだ。
と、背景の中に見知った顔を見つけた。軽く手を振る鏡花に、少しだけ緊張がほぐれる。
「ええと、アイリさんは前にいた学校の都合でこの時期に転入となりました。フィンランドの代表候補生ということでISに関しては皆さんも習うことがあるでしょうし、IS学園はもちろん、日本にも不慣れということなので、みなさん仲良くしてあげてください」
はぁい、と声をそろえる女子生徒たち。満足げに微笑む山田先生。音もなく開く後方の自動ドアから、身をかがめて侵入する影。
「先生、俺の席は――」
「レフティマキさんの席は、窓際の最後尾です。新屋布さんの隣ですね」
脱力感が程よく緊張を和らげてくれた。一応頼まれ事は遂行してやろうと、先生の目と興味をそらす。反対側、壁側の空席に着いた女子生徒が目立たないように頭を下げる。
「では、レフティマキさんも席についてください。ホームルームはこれで終わりです。――あと、矢剣(やつるぎ)さん、今日は多めに見ますけど、次の遅刻は許しませんよ」
「あー、やっぱバレてました?」
どっと笑い声が沸いた。矢剣というらしい女子生徒は後ろ手で頭を掻いてあいまいな笑顔でごまかしている。あまり反省の色の見えない顔に山田先生は軽く憤慨しつつ、ヒールを鳴らして教室を後にする。
「お疲れ様です」
「本当にな。緊張で肩がこった」
ホームルーム終了後のざわつきの中、隣席の鏡花がねぎらいの言葉を投げてきた。肩を揉む動作をする俺に笑顔を浮かべる鏡花。そのまままったりと授業までやり過ごせれば――などという幻想は、次の瞬間に叩き壊された。
「ねえねえ、レフティマキさんてって何処の出身?」
「ISどれくらい動かせるの?」
「専用機もちってホント?」
気づいたときには、俺の机には何人ものクラスメイトが押し寄せていた。それだけでなく、遠巻きにほかの生徒たちも視線をよこしている。
「あー、ええと」
「肌しろーい。ファンデつかってる?」
「紫外線対策とかってどーなの?」
やいのやいのと一度に質問され、何処から答えるべきかと窮していると、さらに問いかけの嵐だ。鏡花に救いを求めようとしても、二人の間は好奇心旺盛なクラスメイトで阻まれている。と、救いの神は人ごみの背後から割って出てきた。
「あーはいはいちょっと通して。クラス代表さんがお通りだよ」
あの、矢剣とかいう女子生徒だ。
「いやー悪いね、せっかく注意そらしてもらったのに、みつかっちったわ。幸いお咎めなしだったけどさ」
「八千代、知り合いなの?」
「廊下で逢ってさ。うまく教室に潜入しようと思って注意そらしてって頼んだんだ」
ほかの女子生徒に問われ、いたずらっぽい笑みで返す。矢剣・八千代がフルネームなのだろうか。
「てなわけでまあ、初日から遅刻してナンだけど、矢剣八千代、このクラスのクラス代表だ」
「クラス代表?」
「ま、委員長みたいなものかね」
俺が首を傾げて見せると、八千代は中空を見て言葉を捜す。
「わかりやすく言うと……あー、クラスに一人、まとめ役みたいなのがいるんだ。このクラスは私がクラス代表で、委員会の出席とか先生のつかいっ走りとかしてる」
要するに雑用係さ、と八千代は言った。周りの生徒も頷く。委員長と聞くと優等生というイメージだが、生徒と先生の間を取り持つような係りなのだろうか。
「八千代は代表ってイメージあまりないけどね」
「そもそも一学期に立候補者が八千代しか居なかっただけだしね」
「まー誰もやらないから八千代でいいやって感じ?」
「テキトーに任せた、略して適任ってやつだね」
「アンタら好き勝手いってくれやがんなー」
半目でわざとらしく睨む八千代だが、本気で怒っているわけではなさそうだ。ほかの生徒たちも口ぶりとは裏腹に八千代を信頼してはいるようだし、クラスのまとめ役としては適任なのかもしれない。
「ま、そーゆーことで、わからないこととかは一応私がフォローすることになってるからさ。よろしく」
「――よろしく」
「あら、八千代さん。フォロー役ならば私も勤めさせていただくのです」
長身の八千代の肩辺りからひょいと頭を出すのは鏡花。目を弓の形にしながらも、有無を言わせない静かな圧力を放っている。妙な凄みに、八千代が頬を掻いた。
「ん、ああ、鏡花がそういうなら、鏡花に任せてもいいんだけどさ」
「サポートは大いに越したことはないのです。私だけでは不足があるやもしれませんし、八千代さんと力を合わせてアイリさんをお手伝いさせていただきます」
「ええと……とりあえず、二人ともよろしく頼むよ」
なにか妙な張り合いを見せる鏡花にわずかな驚きを得つつも、俺は二人の間に割ってはいる。
「なんか色々と設備もすごいし、使いこなすのは大変そうだからな」
「まー今日は半日授業だし、体験入学って感じじゃないかな。カリキュラムとかけっこー進んでるし、よかったらノート見せるよ」
「必要だったら頼むかもな……」
昨日の晩、鏡花に頼んで夏休みに入る前の授業内容は確認済みだ。日本に来る前にIS学園から資料と課題ももらっている。専門たるIS関連の授業は基礎レベルでも相当難しいし、その他の一般教養科目に関してもただの高校レベルではない。『アイリ』のIS知識と情報処理能力がなければ、とうてい二学期から授業に着いていくのは無理だっただろう。
と、頭上でチャイムが鳴った。
「いけね、初っ端から織村センセの授業だっけ?」
「ヤバっ――全員撤収!」
「織村先生の来室まで、およそ13秒!」
「配置につけ、教科書準備ぃ!」
八千代が顔を上げると、周りの生徒たちがいっせいに騒ぎ出した。蟻の子を散らすように、皆が自分の席に小走りで戻っていくのだ。何事かと目を左右にやるが、隣席の鏡花は慣れているのか平然と鞄から教科書を引き出している。
「じゃ、また後でっ」
八千代もそれだけを残して席に向かう。チャイムが鳴って十秒後には休み時間の喧騒は鳴りを潜め、静謐で厳粛な雰囲気が教室中を満たしていた。一瞬の変貌振りに俺は目を白黒させながら、皆に習って教科書を机に出す。
3秒後。開いたドアから現れたのは、長い黒髪にスーツ、空気を凍りつかせるような緊張感を放つ、織村千冬その人だった。ヒールを鳴らしてごく自然に教壇に立つ、それだけですべての生徒が息を呑んで背を伸ばした。
「全員、席についているな。よろしい。新学期の初めだが、私の授業は平常どおり行う。教科書は125ページ。一学期での座学による基礎動作はマスターしている前提で進めるぞ」
あわせたように同時に、皆が教科書を開く。どれもこれも使い込まれ、あちこちに付箋やドッグイヤーが見える。そんななか紙の匂いのしそうな新品の教科書をめくった俺を、織村先生が視線で指す。
「レフティマキ、転入生だからといって着いていけないということはないだろうな。今日の授業は二学期に行うカリキュラムの俯瞰だが、その後に一学期の総まとめテストを実施する。夏休み中に呆けていなければ問題のない難易度のはずなので、70点未満の者は追試を用意している」
その言葉に、げ、と声が漏れそうになるも、液体窒素を固めたような視線で制され、息を呑むにとどめる。
「では、まずは二学期最初に行う内容だが――」
「おう、大丈夫?」
「なんとか……」
机に突っ伏したままの俺に、頭上から八千代の声が降ってきた。
「初っ端から織村センセの授業とはツいてないね。まあ、私たちも最初は大変だったよ」
苦笑する八千代。ほかにも同じような笑い声が聞こえる。
たった70分間の座学とは思えないほどに体力が消耗していた。脳を使うのはカロリー消費が大きいというが、まさにそれを実感させられた。緊張ではなく疲労で肩がこったくらいだ。
授業の内容は事前学習と元々の知識のおかげでどうにか着いていくことができたが、大まかな俯瞰だけでも相当に濃厚だった。おまけにテストは普段感覚的に処理しているようなことまで細かく理論を説明させられ、思わぬところからの出題も多く、時間ぎりぎりまで粘っても自信がある出来とは言い難かった。これで追試まで受けた日には脳が死んでしまうかもしれない。
相当にハイスペックなはずの『アイリ』の体でさえこのざまだというのに、ほかの生徒たちは大したことでもないように振舞っている。一学期分の差はなかなか大きい。
「お疲れさまなのです。織村先生の授業は厳しいですけれど、その分以上に得るものがあるのです。がんばってください」
鏡花の声が、八千代と反対側から聞こえた。と、その声が耳の後ろに移動する。
「よろしければ、マッサージでもさせていただくのです」
肩に手が添えられた――と思うと、次の瞬間、指先に力がこめられる。ぐいと指先が肩に押し込まれ、
「あ、あぁ……!?」
突然の衝撃に混乱を得るも、それ以上に膿を出すように疲労がため息と一緒に吐き出される。こわばった全身から一気に力が抜けていく。再びの一撃。指が肩甲骨の隙間に入り込むようななんともいえない感覚が、さらに力を抜いていく。
「なんだ、これ――すごく……」
台詞を言い切る前に、強く肩をもまれて言葉が切れてしまう。
「いいでしょ? 鏡花のマッサージ技術は超一流だからね。ふふふ、すごいエロい顔になってるよ~君ィ」
「エロ、いって――んんっ」
八千代の芝居がかった台詞で背後からの指が鏡花のものと知ったが、だからといって何ができるわけでもない。指の一撃が入るたびに、息を吐いてしまう。自分のものとは思えない、あえぎ声にも似た熱い吐息が耳朶を打つ。顔が真っ赤になっているのがわかったが、抵抗する力も出てこない。制服越しのはずなのに、直接筋肉をこね回されているような感じだ。
「はぁ……ああ……こ、んなっ――」
「力を入れても、疲労が増すだけなのです。こわばった筋肉をほぐすと、それだけ疲労が早く抜けるのです」
「わかる、けど、無理――なか、指、入ってくると……変な感じ……」
「おとなしく快楽に身を任せるのです。私なしではいられない身体にしてさしあげるのです」
「こんな……快楽なんかに、負けたりいぃッ」
ひときわ強い一撃に、歯を食いしばる。脳髄がしびれるような心地よい衝撃が全身に伝わるが、弛緩した身体はろくな反応も返すことができない。
「アイリさん、今押したのが『膏肓』という一番気持ちのよいツボなのです。ふふ、やはりここの快楽には耐えかねますか?」
「わ、かった、から――そこぉ、やめてぇ……!」
「まだ、疲労が抜けきってはいないのです。ずいぶんと溜め込まれているようですね……この機会に、すべて出して差し上げます」
「……!」
もはや声を出すのも億劫なほどに力が抜けた俺は、打ち上げられたマグロのごとく鏡花の指に身体を蹂躙されるしかない。身体が熱くなり、ゆっくりとはく息まで熱い。
ただ肩を揉まれているだけだというのに、無防備に身体を投げ出してしまっている。そこに、幾度も鏡花の指が入り込んでくる。骨と骨、肉と肉の間を掻き分けて体の奥にあるものを小さな指先がなでるたびに、唇を割ってあえぎ声のような小さな息が零れ落ちる。
「ふぅ……終わりました」
ようやく鏡花の指が離れたとき、俺は小指ひとつとして動かすことができなかった。
しかし、首筋に熱いものを感じた瞬間、ざわりと鳥肌が立ち、まぶたを見開いて跳ね起きる。
「な、なん――」
「すみません。アイリさんの白い肌が薄く汗を浮かせて赤くなっているのがあまりに美味しそうで、つい……」
恥じるように顔を伏せて鏡花が言う。つい、何をしたというんだ。
まったく、と椅子を引いて立ち上がると、重荷を下ろしたように肩が軽いことに気づいた。まるで肩が取れてしまったかのような軽さに、思わずぐるりと肩を一蹴させて感覚を確かめる。
『アイリ』の身体にたまった疲労がそれだけ多かったのと、鏡花の技術が確かだという証ということか。『施設』では健康面に気を使った――ただしい言い方をすれば『管理』された――トレーニングを行っていたが、精神的な疲労というものもあるのだ。
「まあ、ありがとさん。疲れが取れたのは本当だよ」
「そうおっしゃっていただければ幸いなのです」
「傍からみてると公開百合ごっこだったけどね。アンタらいいコンビだわ」
からかい混じりにいう八千代の頬は、わずかに赤く染まっている。はっと周囲の女子生徒を見ると、どいつもこいつも目をそらしやがる。
「よろしければ、八千代さんにもして差し上げましょうか? ベッドの上で――」
「あー、いや、私はそーゆーのいいから! マジで!」
「あら、本当は横になってマッサージをしたほうが効率がよい、というお話なのです。他意はないのです」
顔をトマトのように真っ赤にする八千代に変わらぬ笑顔で言い放つ鏡花は、八千代より一段上手だった。
チャイムが鳴る。次は基礎教養の英語だ。織村先生のときとは違い、生徒たちはダラダラと席に戻っていく。IS学園が厳しいというより、織村先生が別格なのだろう。
次回、VS八千代。戦闘メイン回、の予定。
予定は未定。進捗率80パーセントくらい。