インフィニット・ストラトス ――デイ・アフター・トゥモロー 作:水戸 湊
あと、下手に解説入れると自称SFファンの方とかが乗り込んできそうで怖いのもあります(PICについて調べてたら、昔そういう被害にあわれた方がいたようで)
そんなわけで、この作品はSF(すこし・ふしぎ)で進めていきます。――ああ、ザインフラウってのもいいですね。
翌日の二時限目。ISの実技演習の時間だ。
意気込みを示すように、1組の生徒たちは始業の五分前には全員がISスーツを着込んでグラウンドに立っていた。それも、そのほとんどがグラウンドに設置された『何か』に群がっている。
「あれが『
集団を遠巻きに眺めた俺は、思ったことをそのまま口にした。生徒たちが囲む輪の中には、黒い無骨な日本製IS、防御力と扱いやすさに優れた傑作機『打鉄』がいる。八千代の『イザナギ』に似たデザイン――というより後発の『イザナギ』が影響を受けているというべきか――だが、あちらの方がワンオフの試作機の分だけ形状の複雑さと威圧感がある。フルカスタムの重単車とスクーター……というのは流石に言いすぎか。
『デゼル』のような見かけない機体の登場を期待した俺の視線がやや興味を失う横で、八千代がフォローに入った。首から勾玉のような形のネックレスを下げている。ほかに装飾品のようなものは見当たらないので、待機状態の『イザナギ』だろう。
「『打鉄』はいい機体だよ。エース集めて戦争やろうって言うんじゃないからね。高い防御性能で使用者の安全は確保されることが実証されていて、なおかつ想定外のスペックをたたき出すこともないから観測者も適切な技巧の判断ができる。常にベストではないがほとんどにおいてベター。学習教材って意味じゃ最適だよ」
「教材、か」
そういえば――というまでもない、当たり前のことだが、IS学園は学校なのだ。通常の授業はともかく、ISに関してだと、なぜかそのことを忘れてしまう。それは『アイリ』の体に残る、彼女の記憶の残滓だろうか。
およそ一月の間に俺が体験した『施設』は、学校という風ではまるでなかった。一番イメージが近いのは、軍の訓練所か。すべてのスケジュールが最適化され、それに沿って人間をIS搭乗者という1パーツに変えるようなところだ。年端もいかない少女たちをそうやって訓練してでも制御しなければならない――兵器としてみたISとはそれだけ強力な威力を持つ、ともいえる。
『施設』に配備されていたISは三機、そのうちの一機は『雪の女王』で、残りは同じ『施設』の開発した専用機、そして最後の一機が訓練機だった。IS学園転入のための『アイリ』の機能評価の一環で一度だけ触ったことのある、アメリカ製IS『スワロゥテイル』。ISとしては世界水準に達した第二世代の高性能機だが、やや癖のある扱いづらい機体だった記憶がある。教育としてのIS操縦者育成は、流石IS学園の方が考えられている。
「性能的に、どうなんだ、『打鉄』は?」
「いちおう初期型からはマイナーチェンジを積み重ねてるけど、速度面ではやや不足。バススロットの広さは魅力的だけど、拡張領域が広大になる高出力武装は取り回せるだけの本体出力がないから瞬間火力も低め。逆にバランスのよさと攻撃面での安定性は流石だね。良くも悪くも実力が出る機体ってトコ」
「自分の国のISは、さすがに詳しいな」
暗記ではなく実感のある記憶として語られるスペックに、俺は軽く眉を上げた。搭乗する以上は乗機をよく知らなければならないのは当然だが、八千代のIS知識は『イザナギ』一機を動かすのに必要な量を超えていそうだ。
「国産のヒット機だからね。なんだかんだで『イザナギ』だってデータの流用とかは受けてるわけだし、IS開発に必要な仮想敵機としてはこれ以上ない汎用性だから。ま、知っておくに越したことはないっていうのもあるしさ」
「俺たちも授業ではアレに乗るのか?」
「時と場合かね。なんだかんだでISの絶対量が少ない以上、補助とかでISが必要なときは専用機、成績評価とかに関するテストは『打鉄』って使い分けてるよ」
「成績、か。1年生の段階でそこまでの優劣がつくのか?」
「基本的に運動神経のいい連中はそこそこ動かせるよ。特にバランス感覚と反射神経、コイツは重要だね。アイリだって初めてISに触ったときには苦労しただろ」
言われても、その時点の記憶はない。俺が『俺』として目覚めたときには、身体が動かし方を知っていたのだ。
さてどうだったか、と曖昧に言葉を濁した俺の反応をみた八千代は、おそらく自分の過去と重ねたのだろう、軽いため息をつく。
「IS適正とちょっとしたコネでオノゴロのテストパイロットに選ばれたときは、ISなんて簡単て感じだったけど、実際乗ってみると全然動かせなかったんだよねぇ。とにかく身体にイメージを覚えこませるために、畳に正座して瞑想じみたことまでやったよ」
ISを実際に動かす時はPICによる機動が多いが、完全自動制御で思ったとおりに動いてくれるはずのオートモードでも、感覚がつかめるまでは思い通りになど動かせない。俺も初めの頃には、身体をどう動かすかと考えて意識的にPICを作動させようとすると、逆にうまく作動しないことが多々あった。身体が覚えていた動きをひたすらに体験して感覚に刻みこみ、どうにか望む動きが出来ている、といったところだ。
「ま、今でも完璧には程遠い。日々是精進あるのみってトコだ」
自分の台詞を恥ずかしがるように小さく笑い、腕を組む。薄手のISスーツでは、視覚情報だけでも巨乳の弾力が実感できる。
「同じく、だな。この身体の真価を発揮できているとは到底思っていない」
自分自身で不足を感じているのは、『アイリ』に対する借り物の身体ゆえの劣等感だろうか。
「母国語じゃないせいかも知れないけど……アンタ、たまに変な言い方するよね」
「一応、間違ったことを言っているつもりはないんだが、な」
小首を傾げて見せる八千代に、俺は一人で小さく笑った。
そのとき、『打鉄』の周りにたむろしていた生徒たちの声が一瞬途絶え、その間隙を縫うように声が走った。
「全員整列! 授業を始める」
ジャージ姿の、織斑先生と山田先生だ。
声に背筋を震わせ、生徒たちは隊列を組むようにずれのない数本の直線となり列を作る。どこに立てばいいのか迷った俺を、山田先生が導いてくれる。
「レフティマキさんはこっちですよ」
先生二人のわき一歩前に出たところに、当然というような顔で八千代がいる。半身を長身の八千代に隠すようにして、俺も生徒たちの前に立つ。大勢の視線には慣れていないのだから仕方ない。
織斑先生が声を張る。
「二学期はじめの実技だ。一学期では基礎的な移動技術、簡単な格闘動作を教えたが、二学期からはより実践的な動きに入っていく。すなわち、飛行訓練だ」
一拍の間が空いた。俺も唐突なヒコウクンレン、の漢字変換を行うのに一拍分の時間を要し、飛ぶことだと理解した――同時、生徒たちから一斉に歓声が湧き出す。
「飛行って、やっと飛べるんですね!?」
「ここまで長かったぁー」
「やっぱIS戦は空中戦がメインだもんね!」
「そうそう、飛べないと話にならないってやつじゃん」
「静かにしろ――このままグラウンドに正座で70分座学をやりたくなかったらな」
無表情で放たれた鬼教官の言葉に、全員が反射的に背を伸ばして口を結んだ。
「よろしい。授業時間は限られている。だが、その間に一度は全員にISに搭乗しての訓練を行ってもらう。その前に基礎的な復習だが――ISの飛翔において、もっとも大きな役割を果たしているものは何だ? ――新屋布、答えろ」
「ええと……PICでしょうか」
居並ぶ生徒たちの最前列の一角にいた鏡花は、少し考えてからそういった。織斑先生は軽く顎を引く。
「正解。ISのブラックボックスにあるいくつもの超技術の中の一つであるPIC――パッシブ・イナーシャル・キャンセラーは、通常の飛行装置における揚力と質量に比する推進力を使わない、まったく新しい飛翔方法だ。具体的な現出方法こそ謎に包まれているが、我々は科学者ではないからそれを理解する必要はない。ただ、操縦者としてその使い方をマスターしろ」
気を引き締め、まるで託宣を受ける巫女のように真剣な顔で織斑先生の言葉を聞く生徒たち。八千代も俺も、同じ表情をしているだろう。
「テレビを見るのに、その原理を理解する必要はない。電源を入れるようにPICを起動し、チャンネルを変えるように自在に三次元機動を行え。必要なのは高度なバランス感覚と判断力、そして制御しきる意思だ。空中とは、地面の上とも水中とも全く別の世界だ。それゆえに訓練には危険が伴うことも忘れるな。訓示は以上だ」
織斑先生が二歩を進み、振り返る。
「イメージをつかむため、まずは『ある程度』自在飛翔できる候補生に手本を見せてもらう。矢剣、レフティマキ。ISを起動しろ」
俺も八千代も、先生にとっては『ある程度』というレベルでしかないらしい。否、むしろ元世界王者にそう認められる程度、というべきか。
訓示に心を引き締めて、軽く右耳のチェーンピアスに触れてISを起動する。
黒と白、コントラストをなす二機が空間をゆがめながら秒に満たない時間で現出する。生徒から、軽く感嘆の声が上がった。八千代との試合を見ていなかったクラスメイトの半分ほどは、『雪の女王』を初見のはずだからか。
「まずは軽く、適当なところに飛んで、空中に静止しろ」
細い指が指す先は、何本もの線が引かれた以外は何もない広大なグラウンドと、その上を覆ういわし雲の浮く青空。競い合うように、俺と八千代は宙に向けて加速する。頭の横で薄い光を浮かべる探知針が、八千代の動きを伝えてくる。こちらに寄ってくるような機動。ぶつかって来るつもりではないだろう。俺は軽く口の端をあげた。ただ飛ぶだけでは芸がない。俺が理解したことを理解した八千代が、指先で記号を描く。
PICを制御し、あえて機体の端に負担をかける。大空の中、『雪の女王』の脚部が白い雲を引く。『イザナギ』も同じことをしながらこちらに向かってくる。互いに目測で速度をあわせていく。
直撃寸前で二機はわずかに進路をそらし、交差した。そのまま半円を描いて、一気に角度を付ける。
空にややいびつなハート型を描き、その終点で俺たちは再び交差して、向かい合って静止した。地面が近いようで遠い。ビルの4,5階くらいの高度だ。少しはなれたところから、生徒たちの歓声と拍手が聞こえる。即興にしてはなかなかの出来栄えだった。
「よし、そこで止まっていろ」
勝手なことをして怒られるか、多少は感心されるか。そんなことを期待するが、織斑先生の声は平坦だった。
「自由飛行については、二人とも合格。次は、少々『不自由』な飛行をしてもらう」
「不自由……?」
八千代が眉を鋭角に上げる。先生の指先が、地面と水平に伸ばされる。
「高度6メートルを維持し、指示線に沿ってグラウンドを一周しろ。誤差は30センチ以内だ。ただしPICはマニュアルで行え」
「6メートル――これくらい、か?」
マニュアルで、というのは、IS任せにすれば簡単に出来ることだからだろう。立っている生徒の平均が150センチ程度だ。それを鑑みて、およそ6メートルと思われる地点に機体を下ろす。八千代も高度を下ろしているが、俺よりもやや高い。
30センチの高度差など、目印のない空中ではわかりようがない。自身の感覚を信じ、現在の高度を維持しながらグラウンドに引かれた線をたどる。
「……意外と、やっかい、だな」
一瞬でも気を抜けば軽く高度はぶれてしまう。しかし、線を確認するためには視線を下に向ける必要がある。視界に地面が入ってくるたびに高度を調整しつつの飛行は、かなり速度を落としてしまっている。通常の試合ではありえないシチュエーションゆえに、『アイリ』の身体も不慣れなのだろう。
それでもなんとか、グラウンドを一周して先生の下へ戻る。出迎えたのは腕を組んだ先生の声。
「矢剣、ジャスト6メートルの高度から誤差はおよそ40センチ。レフティマキはそれよりやや広いといったところだな」
「何の目印もなく、感覚で6メートル維持はキツイですよ」
正確に高度を告げられ八千代が口を尖らせるが、織斑先生は鼻を鳴らした。
「慣れない機動だから出来ないとでも言うつもりか? 高度設定はともかく、そこから上下のブレを見せている時点で制御力不足だ。――山田先生」
「は、はい!?」
唐突に話を振られた山田先生が、軽く飛びあがる。それに対する反応はせず、織斑先生は淡々と言葉を続けた。
「手本を見せてあげてください。高度6メートル、グラウンド1週です」
「あ、はい、了解です」
頷くと、たたた、と意外と軽い足音で『打鉄』に駈け寄り、ひざを突いて搭乗者を待つ機体に軽々と搭乗する山田先生。音もなく、機体が宙を浮く。全員が顔を上げて見守る中、小さな呟きが零れ落ちる。
「――いきます」
眼鏡の奥で瞳が輝くと、『打鉄』はグラウンドの線の上を、全くブレを見せない直線を描いて駆け抜けていく。その軌道はピンと張った一本の線を思わせ、そのまま軽々とカーブを描いてグラウンドを一周する。制御性に優れる『打鉄』とはいえ、慣れ親しんだ専用機を使う俺たちよりもずっと早いのは搭乗者の腕のせいだ。なるほど、『打鉄』は明確に実力を浮き彫りにするという八千代の言葉通りだった。
「PIC、マニュアルですよね?」
呆然と後姿を視線で追っていた俺たちの前に、俺たちの半分ほどの時間で空から戻って、軽々と降り立つ山田先生。八千代が呟きを漏らした。山田先生が、少し恥ずかげにはにかんで言った。
「ええ、もちろん。はっきりと機体に描かせたいコースを伝えて、地面との距離をつかんでいれば、そう難しいことでもないですよ。矢剣さんとレフティマキさんは実戦慣れしすぎているせいか、そのあたりの処理がやや大雑把なのが欠点ですね……」
「要するに、大切なのは基礎だ。他人事ではないぞ。ここにいる全員、学期中に基礎中の基礎を叩き込んで固めてやるから覚悟しておけ」
「はい!」
山田先生の言葉を継いだ織斑先生に、全員が勢い込んで返事をする。
「飛べ……、飛べぇ!」
篠原・雅は目を見開き、腕を天に伸ばす。勢いよく膝を屈伸させ、その勢いのまま一気に空へ――飛翔することはなかった。
「雅ーがんばれー」
傍らで赤川・イツキがやる気のない声援をよこしてくる。その瞳はいつもどおりの半目で、よく見ると横に立つ友人の那智・璃音に体重を預けている。『打鉄』を纏った雅は、その中心で無意味に屈伸運動を繰り返すが、ISの脚部は乾いた地面に接地したままだ。
「ふんっ! やぁ! てぃやぁ! ジュワッ!」
掛け声のバリエーションを変えようとも、雅の身体が地面から離れることはない。やれやれ、と肩をすくめる璃音が辺りを見回すと、ほかの生徒たちも同じように苦戦している。
いきなり飛べといわれて飛ぶことが出来たら苦労はしない。座学でPICの制御について一通りのことは習っているが、実践の感覚はまた別の話だ。
歩く・走るといった普段どおりの動作は何も考えずに出来たが、『飛ぶ』などという動作を行う機能は人間にはついていない。電子レンジに冷蔵庫の役割をさせるようなものだ。
「まあ、イメージつかむまでは色々やってみるしかないね。とりあえず気合でがんばれ」
教官代わりに指導役を任されている八千代が頭を掻いた。『打鉄』は4機あるため、教官と代表候補生がそれぞれ補佐についている。
「もっと肩の力を抜いて……風船になったつもりで、まずは身体を浮かせるところから。うん、いい感じですよ」
「近いイメージとしては水中だ。流れに身を任せるように身体の力を抜いていけ。そうだ、あとはISのコアがPICをイメージに最適化する」
「かるくステップを踏む感じがいいと思う。一歩、二歩で身体を軽くして、三歩目で一気に飛び上がる感じだ」
「気合だ! 気合で飛べ!」
「うおおぉぉぉぉ!」
なんだか、一部だけ補佐役の質に問題がある気がする璃音だった。それを如実にあらわすように、しばらくして回りから歓声があがった。
「飛べた……!」
「う、浮いてるっ」
「こんな感じでしょうか――これが、アイリさんの見ている世界なのですね」
山田先生、織斑先生、アイリの担当していた生徒たちは、高度に差はあれ空中へとあがっていた。雅が叫ぶ。
「ちょっと八千代、なんで私だけ飛べないじゃん!?」
「気合が足りん!」
「気合気合って、それ以外にアドバイスは!?」
「私は気合で飛んでるからねぇ」
先天的な才能の差もあるだろうが、今日はじめて飛ぼうという雅に対して「気合」としか言わない八千代は教官役には向いていない、と璃音は思う。とはいえ、璃音が代わるわけにもいかず。
「立ったり走ったりはできるんだから、バランス感覚は問題ないはずだよ。飛ぶってことに対してのイメージを固めりゃ気合でいけるって」
「最後は結局気合じゃん!? 私も先生かアイリに習いたかったじゃん……」
「あぁ? 私の指導が適切でないってか?」
「ほかのみんなは飛べてるのに、私だけ飛べてないじゃん!」
「それは気合が足りないからだ!」
「だからそれが間違ってるって言ってるじゃん!」
「あ、ちょっ、待てっ」
苛立ちのまま、雅が拳を振り上げた。八千代の制止を振り切り、雅の動きを正確にトレースした『打鉄』の拳が八千代に振られる。苛立ち紛れにしてはきちんと腰の入った重いパンチだ。篠原・雅、小柄ながら空手とテコンドーの中学全国大会出場者であることを璃音が思い出すのと同時、間一髪のところで八千代がISを展開し、手のひらで拳を受け止めた。
「あ、あぶねー……」
「だあぁ! もう! 一発くらい殴らせるじゃん!」
「アンタの拳、しかもISから生身でもらったら死ぬっての……」
冷や汗をかきながらぼやく八千代の顔に、何かが走った。口の端を上げ、挑発するように人差し指で『来い』とジェスチャーする。
「殴りたかったら、追いついてみるジャン? ほら、こっちジャン!」
「はぁ!? ――真似するなぁ!」
激昂した雅が『打鉄』を走らせる。対して逃げる八千代はPICを使用し、わずかに機体を浮かせて水平移動で背中を見せる。
「待て、この!」
手が届くかどうかというところで逃げ続ける八千代に、雅の一歩が次第に大きくなり、足首のばねを使って身体を前に運ぶ動きになっていく。滞空時間が長くなるにつれ、その動きに変化が出てきた。単純な物理法則では説明できないほどに、雅の身体が長く浮いているのだ。
視線だけを後ろにやってそれを確認した八千代が、流れるような軌道でISを空に舞い上げる。
「逃がすかぁ!」
つられ、雅も飛んだ。右の拳を突き出す動作の勢いで地面を蹴り上げ、そのまま空中に飛び出したのだ。重い金属音が響く。雅の拳を、八千代が再度受け止めた音だ。手のひらの先で、八千代が片目を瞑って笑みを見せる。
「飛べるじゃないか」
「へ?」
雅が目を白黒させて、首を振る。そこでようやく、自分が何もない空中にいることを認識したようだ。
「あ、私、飛んで――」
「おっと」
搭乗者の混乱に、機体が制御を失いかける。落下しかけた『打鉄』の腕を、八千代がつかんでいた。そのままひょい、と自分の目線のところまで持ち上げる。クレーンゲームの景品のように釣られた雅と視線が合った。子供のように目を丸くした雅に、八千代は大人びた笑みを浮かべる。
「とりあえず、空に上がることは出来たな。あとは風に身を任せて、流される感じでいい」
『イザナギ』に手を引かれた『打鉄』が、曳航されるように空に踊る。PICの慣性制御が、まるで重量などないかのように軽々と二機のISを宙に浮かせているのだ。高度を上げ、下げ、全身で風を感じながら、2機の軌跡が空に描かれる。
「すごい――」
雅の言葉は慣性に囚われ取り残される。最後に空中での一回転を披露し、2機の国産機がグラウンドに向け高度をおろしてくる。迎えるのは、イツキや璃音をはじめとした皆の拍手だ。先に接地した八千代が、姫君をエスコートするような手つきで『打鉄』を地面に導く。雅は唐突な地面の感覚によろけながらも、なんとか倒れずに済んだ。
「どうだ、気合で何とかなるもんだろ」
「ん……まあ、ね」
ISを収納した八千代が得意げに笑い、ISから降りた雅が口の中で言葉を転がす。
「……まあ、礼は言っとくじゃん。ありがと」
「どーいたしまして。さて、次は誰が乗るんだ?」
「じゃー私ー」
手を上げようとした璃音の隣で、すばやくイツキが応えてISに近づいていく。雅と交代し、とん、とISの中心に身体を入れる。八千代が腕を組んだ。
「よーし、まずは深呼吸。そのまま身体を浮かせてけ」
「りょーかい」
二人の練習の様子を見ながら、雅が得意げに鼻を鳴らした。
「ま、私があれだけ苦労したんだし、一筋縄では行かないじゃん?」
「……そうでもないみたいだけど」
璃音の視線の先、まるで風に流される羽根のように、『打鉄』がゆっくりと浮いていく。愕然とする雅をよそ目に、そのまま高度をあげてふわふわといずこかへ飛び立とうとするIS。
「へえ、やるじゃないか」
「八千代ー」
驚き半分関心半分で八千代が見送ると、イツキが声を投げてきた。その声も空中からだからかいつもより間延びして聞こえる。
「どーした? そのままテキトーに飛んで、降りてくりゃいいよ」
「降りられないー」
は?と目を点にした皆の視線を受けながら、眠たげに高度を上げていく『打鉄』。風船のようにゆれながら、少しずつその姿が小さくなっていく。
「助けてー」
緊張感のない悲鳴が、慣性に置いていかれ、風にかき消された。
「どうにか全員、空に上がるまでは出来たか。――まあ、これくらいできて当然だがな」
放課後。その日の実技授業の採点を行っていた織斑・千冬は、湯気の立つコーヒーを手にパソコンを眺めている。
「例年、ここで躓く生徒が何人かいますからね。今年の一年生は優秀です」
千冬の独り言を聞きつけた山田・真耶も紅茶を片手に後ろから画面を覗き込んできた。
「それを考えると、織斑君は流石でしたね。基礎訓練もなく、二回目の搭乗で空中戦を演じたんですから」
「大切なのは観察力だ。あいつは私の試合を見たことがあるからな。なまじ高いレベルを知っていたせいで、いざ実戦というときに身体がそれを思い出したんだろう。下手に基礎訓練などしていると、あいつの場合は逆にイメージが崩れてどうしようもなくなる」
湯気の奥に懐かしげな表情を隠し、コーヒーを啜る千冬の目に、画面上のアイコンがちらつくのが映った。
「……通信要請。デュノアからだな」
「デュノアさんから?」
千冬が通信を許可すると、画面にウィンドウが開き、金髪の若い女性が現れた。ボーイッシュな私服の上から白衣を纏っている。胸元のネームプレートには、『Charlotte Dunois』の文字。
『お久しぶりです、先生』
「半年振りだな。わざわざ連絡を取ってくるとは何事だ?」
『時候の挨拶は抜きにして、少し耳に入れたいことがあるんです。デュノア社の開発プラントの一角が、何者かに占拠されていたことはご存知ですか?』
「いつの話だ」
『8月後半、つい一週間ほど前のことです。占拠されていた時間はおよそ17時間。プラントの職員が減る夜間から休日の間に、施設の一部が利用された形跡があります』
「開発プラントということは、IS関連か。警備は何をしていた」
『全員気絶させられ、一つの部屋に押し込められていました。だれも襲撃者の姿を見ておらず、監視カメラにも映像は残っていません。コンピュータ管理の防衛システムも完全に無力化されていました』
「不穏な事件だな。だが、それが私と何の関係がある」
『プラントに機材が搬入され、ISの組み立てが行われたようです。データはほとんど削除されていましたが、奇跡的にサルベージできたものの中に、看過できない文字があります』
画面上の女性の姿がブレ、新たなウィンドウの表示許可を求めるアイコンが灯る。
開かれたウィンドウには文字の羅列。そのほとんどが虫食い状態で意味を成していない。千冬と真耶は、無意味な羅列を瞳に移していき――同時に一点で止まった。
「『GOLEM』だと? まさか、これは」
『はい。何者かが劣化コピーの作成に挑んだ可能性もありますが、電子戦の鮮やかさ、たった17時間でIS1機を組み立てる手際のよさ、そして『ゴーレム』の文字。私にはあの人物の暗躍を示しているようにしか見えません』
「……それを誘導するための偽装の可能性がある。だが、その無意味さがむしろ関与を仄めかせているように私は感じるな」
『一夏や、箒は今?』
「私の手の届かないところにいる。せっかく自分の道を歩んでいるのだから邪魔などさせたくはない。可能な限り、我々で対処しよう」
『同感です。……あの人を止められるかどうかは、あまり自信ないですけど』
シャルロットは、学生時代にも見せていた、気疲れした気弱な笑顔で肩をすくめる。
「子供じみた遊びに付き合ってやる期間はとうに過ぎている。いい加減自制を覚えれば、世間の憂慮の3割は消えうせるのにな」
珍しく深々とため息をつく千冬の後を真耶が継いだ。
「標的となりかねないのは、織斑君と篠ノ之さんですね。でも、彼らが目的とも限りません。ほかになにか興味を引かれることがあるならば……」
『それを理解できたら、ISを1から開発できますよ。後手に回る形ではありますが、警戒はしておいてください』
「わかっている。続報があればすぐに伝えろ」
『了解です。ああそれと、山田先生。『デゼル』の試験データは受け取りました。性能を引き出していただいているようで何よりです。このまま『デゼル』はお貸ししますから、引き続きご協力をお願いします。……では、今日のところはこれで』
通信が途切れた。千冬はコーヒーを置き、背もたれに体重を預ける。どこか遠くを見る目で、黒く染まったウィンドウの中を見つめる。
「世界が変わり早10年。その間に変わっていないのはアイツだけだ」
そんなわけでようやく動き出しそうな物語。
雅の飛翔シーン書きながら、「なにもできない素人の方が色々と話作りやすいなー」とか思ったり。がんばれ主人公。