覚めるまでが夢だろう?
死ぬ夢を見た。静かに、眠るように死ぬ夢を。そこには確かな救いがあって、安らぎがあって、どうしようもないほどの終わりがあった。
死にたいか、と言われればそうではない。かといって生きたいかと問われればそれも否と返すだろう。死ぬにしても、生きるにしても、ぼくはどっちでもいい。それは運の神様が決める事で、ぼく自身の意思はない。
このように、ぼくはぼく自身の事についてとても無頓着だ。心臓が動いてるから呼吸する。食事をする。睡眠をする。生きる作業に、心臓の鼓動が先行する。
生きるために、生きる作業をするのではない。生きているから、生きる作業をする。義務感に近いものを生存に必要な作業に感じている。まだ生きているから、生きている。きっと、これは歪なんだろう。推量なのは、それをぼく自身で判断できないから。ぼくの生死に対するこの考え方は、ぼくにとっては紛れもなく正しいものであり、尊ぶべきものであり、遵守するべきもの。そのぼくの考えを聞いて、あるいは感じて、他者が判断する。正しい、間違ってる、素晴らしい、狂ってる。世の中にありふれたレッテルを使って、思想をラベリングする。
ラベリングされた思想はひどくチープだ。その思想を持たない人が分かりやすいように一般化し、ありふれた言語で装飾する。そこに元の価値はなく、ただ消費するための玩具に成り下がる、自慰行為に近い何か。
別にぼくの思想がチープに成り下がろうと構わないけども、ぼく以外の人がぼくの考えを測るのは嫌だなと。
そこでふと思った。ぼくは思想家にでもなったつもりか、と。冗談じゃない。ぼくはただの大学生であり、倫理の教科書に載るような偉大な哲学者ではない。せいぜいその他一般大衆として埋没するのが関の山だ。
偉大な人物は、こんな夜中に生産性のないことを考えない。
明日は1限から授業があるけど、ハイネケンを開けようと思った。明日は休もうとも。
全部、なんとなくだ。今のぼくの行動に理由といったものは存在しない。
サブスクの映画を適当に選び、再生する。
プライベート・ライアンだった。冒頭15分をリピート再生しながら、冷凍したドミノピザでも食べようか。ハイネケンを飲みながら。
目の前の映像に、大した意味はない。大衆向けに慣らされたフィルムの戦争には現実味がない。夥しい人命を消費した戦争も、金になると分かればこの通り。月額1000円程度で見られる数多の映画の一つになる。戦争が、人の命がエンターテイメントになっている。
もし今どこかで戦争が起きて、それが過去になったら。その戦争はエンターテイメントになるのだろうか。戦争の中のラブロマンス。家族のために、祖国のために戦った勇敢な若者。悲劇の中の偶像。流血の価値。平和を知り、戦争で散った子ども。生産される命、消費される命。時代が悪かった、なんて言葉は慰めにもならない。
映画を停止させて、ハイネケンを飲む。戦争映画をアテに酒を飲むな、なんて怒られるだろうか。どこかの正義感が強い誰かに。でも、この戦争はフィルムの上で、見せ物として作られたわけで。フィルムで踊るキャストは実際に命のやりとりをしたわけではない。過去にどこかで起きた戦争を台本通りになぞっているだけだ。必死そうな顔も、泣き顔も、全部フィクション。そう考えると、ばからしくなった。
ニューズウィークのアプリを立ち上げて、窓の外をぼうっと見る。ガラスに難民問題の記事が反射する。
刺々しい記事だな、と思った。言葉が強いとも。なんとなく、言葉の選び方で筆者がどちら側か分かってしまう。難民を受け入れた国で起きた内戦に近い衝突。難民排斥運動と難民側で起きた殺し合い。ミイラ取りがミイラになるみたいに、難民を受け入れた国の人が難民になりそうな勢いだった。
綺麗な建物が爆弾で吹っ飛ばされ、道路には弾痕と、赤い血。そんな『いかにも戦争中です』なんて風景をバックに誰かがインタビューに答えている。こんなのおかしい、間違っている、友達が殺された、早く支援を、人道に反している、許せない。
それと全く同じような言葉を、反対側に立つ人がインタビューで語っていた。憎悪と殺意、受け継がれるバトン。突きつけられる銃口と、発酵した宗教。お風呂場のカビよりも頑固なもの。
それを見ながら、コメンテーターは悲痛そうな顔でなにかを語っている。多分、がわだけ立派な理想論を。このコメンテーターにとって難民問題は文字通り海の向こう側の出来事だから、本当にそう思っているわけではない。莫大な流血は、いつだって現実味がない。少なくとも、海の向こう側に位置するぼくたちは、この流血をジェンガが崩れた程度にしか認識していない。
だからぼくたちは善悪を論じれない。判断すべきは当事者だから。少なくとも、ニューズウィークで記事を見ただけのぼくが、今もハイネケンを片手に流血を眺めているぼくは論じれない。ぼくが論じれるのは、ぼく自身のことだけだ。
記事の上部に被さるようにLINEのバナーが表示される。連続して4つほど。今付き合ってる彼女からだ。
『朝ご飯作りに行っていい?』
『昨日顔色悪かったし』
『今日は学校休んだほうがいいよ』
最後にスタンプ。こんな時間だというのに、奇特だなと思った。明日は彼女自身も授業があるのに。ぼくがなんとなく目を覚ましたのと同じように、彼女も目を覚ましたのだろうか。あるいは、寝れなかったのか。どっちでもいい。彼女の睡眠時間はぼくに関係ない。
彼女は、ぼくにとって6人目だ。3年ほど前に、流れで付き合った。喧嘩とかはなく、表面上は穏やかに関係性が続いている。だけども、前の5人と同じようにぼくへの不満が析出して別れるんだろうなと思う。ぼくは、そこまで褒められた人間ではないから。こんな深夜に酒を開けるし、授業も最低限落単しない程度にしか出ない。家にいる時はサブスクの映画を見るか、本を読むか。打ち込んでいることもないし、好きなこともない。フラットで面白みがない、という評価がぼくの全てだ。そんなつまんないぼくに愛想が尽きて、前の5人には別れ話を切り出された。そして、今の彼女もきっと。
それはとても素晴らしいことであり、同時に申し訳なく思う。ぼくなんかよりも良い男はごまんといるし、そんな中でぼくに時間を使うのは人生の浪費でしかない。だから、祝福と謝罪が同時に存在する。別れ話のときは。
大輪の花のような笑顔や綺麗なアーモンドアイを、ぼくが枯らしていく。別れる頃にはぼくに対する恨みで満たされた表情になり、その全てにぼくに対する毒を孕む。
君は間違ってないよ。なんて、ぼくと別れる未来の君に言う。滑稽だろうか。
彼女の両親へ挨拶も考えなくてはならない。いつ行くかではなく、どう回避するかを。ぼくは他所の家庭があまり好きではない。むしろ憎悪していると言ったほうが正しい。ぼくなんかと今でも付き合っている優しい彼女を育てた両親だ。きっと優しくて、立派で、素晴らしい人なんだと思う。だからこそ嫌だ。惨めな劣等感だと思う。満ち足りた家庭を羨み、嫉妬するなんてみっともないにも程がある。でも、子供の頃からずっとある化膿した傷口は、そんな些細なことでも痛んでしまう。
母は嫌いだ。
明日着る服すらないぼくの境遇を、知らない誰かと比べたら恵まれていると言った
自分はもっと不幸だった。自分はお前より小さい頃からずっと家のことを手伝っていた。親にもずっと殴られていた。ずっと暴力を受けていた。だからお前は恵まれているんだ。アフリカの子どもはもっと苦しいんだぞ。
そんなことを言いながら、母はぼくに暴力を振るう。お前は悪魔の子だと、お前は生きてるだけで幸せだと。生かしている私に感謝しろと。
だったら、殺してくれよ頼むから。ぼくは生きたいなんて一言も言ってないのに。今、死にたいくらい辛いのに。アフリカの子どもなんて知らない。海の向こう側の誰かの生活を聞かされても、ぼくが辛いことには変わらない。
ただ、ぼくの心を、聞いてほしかった。
父は嫌いだ。
ぼくが生まれる前に女を作って蒸発したろくでなし。母は、父の遺伝子が半分刻まれているぼくを嫌っている。お前はあいつの遺伝子が半分あるんだ、と母は発狂しながら言っていた。ぼくの悪いところは全部父の遺伝で、母が幸せになれていないのはぼくのせいらしい。そんな父の影響を薄くするために、頻繁に母はぼくを包丁で切りつけた。ぼくの血と一緒に、父の悪い遺伝子が流れると盲信して。母は流れた血に唾を吐き、ばかみたいに踏みつけた。それを見るたびに、ぼくの存在が根底から否定されたような気分になった。
ぼくは父と母のセックスの産物であり、そこに至る工程には双方の同意があった。父が最低な人間なのは当然だけど、それを見抜けなかった母にも問題がある。母は父に復讐することすらせず、2人の結果に過ぎないぼくを癇癪の道具にしている。どっちもクズで、その間に生まれたぼくはもっとクズだ。
いつだって、幸せの消費期限を考えてしまう。円満な家族、愛し合っているカップル。公園や駅、小売店で見たそれらが壊れる瞬間を考えてしまう。何年後に離婚するのだろうかとか、失礼極まりないことを。愛は永遠ではないし、人は移ろいやすい生き物だから。隣の芝生は青く見える、なんて言葉は誰にだって当てはまる。妬んだことがない人間なんて、羨んだことがない人間なんていない。そうやって人から人へと、まるで伝染病か不幸のように移ろって、最後はどうなるのだろうか。唾と恨みに塗れた慰謝料で子どもは育つのだろうか。
世の中の大人全員がそうではないと信じているが、ぼくの知っている大人……父と母は、そうだった。そして、ぼくもきっと。未だに誰かを愛せた事なんてないし、自分を許したことがないぼくは、最低の塵芥だ。
そんなクズが誰かと共にいられるわけがない。ぼくは彼女の前で笑うことをやめた。
1週間に一回、体のどこかをデザインナイフで切りつける。昔、母がしてくれたように。刃先についた血を眺めて、ぼうっと窓の外を眺める。34度後半の体温から流れる血液も暖かいんだな、なんてことを考えながら。この習慣は、今でも続いている。
思い立った時に、自殺を試みていた。今までで計4回。飛び降り、首吊り、入水、睡眠導入剤によるオーバードーズ。どれもこれも失敗に終わった。足りなかったり、準備不足だったり、通報されたり。4回も試しているのに、どれも死にきれなかった。オーバードーズは彼女に発見されて、そのまま搬送されて一命を取り留めた。
「また、死ねなかった」
思いっきり殴られた。たぶん、人生で一番痛かった。体が、じゃない。心が痛かった。
「わたしは、君の苦しみが分かんない。わたしは今まで死にたいなんて思ったことないし、辛いことも我慢すればきっと大丈夫だと思ってる。でも、それは楽しいことに少し辛い事がある人生を歩んでいるからなんだ。君は、辛いことしかしらないから……ごめんね、何もしてあげられなくて。わたしじゃ、分かんない……分かんないの……でも、君が大好きで仕方なくて……君が苦しむのが嫌で、わたし……」
そう言って、彼女はぼくを抱きしめながら泣いていた。
辛いことしか知らない、というのは正しいと思う。少なくとも、ぼくは心から笑えたことなんて一度もなかった。だけど、それに対して『ごめんね』と言うのは違うと思う。彼女が謝らなければならないことなんて、ない。少なくとも、ぼくはそばにいてくれるだけで嬉しかった。
でも、その嬉しさを希死念慮が上回ることが4回あった。たったそれだけのこと。責められるべきはぼくであり、彼女ではない。でも、彼女は泣いている。ぼくを悼んでいる。ぼくを責めずに。
この一件以降、ぼくは自殺を試みていない。生きることに前向きになったわけではなく、死にたいと思う気持ちも消えていない。漠然とした不安は変わらず隣人で、ぼくを取り巻く環境は何一つ変わっていない。でも、何となく、上手く笑えるような気がした。
この時、正しくぼくと彼女は恋人になったんだと思う。
週末はこの部屋に集まって過ごすことが習慣になった。酒を飲みながら、今週起きた取り留めもない事を話し、そのまま2人でシングルベッドに向かう。休日は彼女のショッピングに付き合うか、部屋で映画などを見るか。
死にたいな、と呟くと彼女は『一緒のお墓に入ろうね』と言って。スプラッタな映画を見たあとに、ぼくの手を握っていた。
ぼくの部屋から自宅に帰る前に、彼女はぼくに「今日もありがとう。君が生きててくれて、本当に嬉しい」と言った。ぼくはその言葉のおかげで、死にたくなる寂しい夜を超えることができた。
そんな生活が続いたある日、彼女は「大学卒業したら結婚したい」と言ってきた。
鈍く、頭が痛んだ。
彼女をいつもより少し早めに帰らせたあと、ぼくは1人で吐いた。吐瀉物には彼女と一緒に作った夕食が未消化のまま残っている。
結婚、という2文字はぼくにとって劇物だ。思い出したくもない母と、貌の知らない父がフラッシュバックする。どんなに嫌っていても、ぼくはこの2人の血を引いている。ぼくの遺伝子はごみくずで出来上がっている。そんなぼくが結婚するなんて、できない。結婚しても迷惑をかけるだけだ。現に、ぼくの元である父は母に迷惑をかけた。そして母は自分の子どもに暴力を振るう。そんな2人の合いの子であるぼくは、彼女に迷惑をかけて子どもに暴力を振るう最低最悪の屑になると決まっている。
今日はいつもより、深くナイフを入れた。
自傷行為は別に浄化を期待しているわけではない。そもそも生産地が汚染されてるから、汚れを断つとしたら元からしかない。ぼくがやっているのは、傷の上書き。母やクラスメイトにつけられた傷を、自分で上書きする。他人がつけた傷より、自分でつけた傷の方が納得できるから。自分でつけた傷の方が、効率よく自分を痛めつけれるから。ぼくはできる限り苦しまなきゃいけない。ぼくは綺麗な人間ではないから、綺麗に死ねない。
制服を着ていたとき、ぼくは頻繁にいじめられていた。小学生高学年の頃……善悪の区別がつくようになったとき、正義感を拗らせた人達数名に全治半年の怪我を負わされた。
こいつはおかしい、きっと悪い奴だ、だから殴ってもいい。
多分、ぼくの母の事を聞いて悪い人だと思ったのだろう。そんな悪い人に育てられたぼくは、きっと悪人だ。
そんな理論。たしかに理解はできるけども、いきなり殴られる謂れなんてないし、ぼくも納得していなかった。
ぼくを殴った数名は厳重注意で終わった。彼らの保護者には何も伝えず、生徒だけの問題にして、隠蔽した。ぼくの母はぼくの傷に対して何の反応も示さなかったから、これだけ静かに片付いてしまったのだろう。
その後はずっと、陰湿な攻撃が続いた。教師も生徒も、全員見て見ぬふりを続けた。小中高と、ぼくはずっと他人からの悪意に晒されてきた。
それが止んだのは、高3の夏休み前だった。大通りで信号を待っていると、トン、と背中を押された。知らない人達が、笑っていた。
そのままぼくはトラックに吹き飛ばされた。多分10m以上飛んだと思うし、確実に死んだはずだった。目を覚ます見込みはなかったはずなのに、ぼくは病院のベッドの上で目を覚ました。全身に沢山の機械つけられて。
医師は、少し当たり所が悪ければ死んでいたと。
ぼくは、なんで死ななかったのかと。
入院に対して小言を言う母は一回しか見舞いに来ず、友人も1人もいないから、ひとりぼっちのリハビリ生活が始まった。こんなに痛いのに、何で生きなきゃいけないんだろうか。これが、生きる者の義務なのだろうか。だとしたら、なんて罰当たりなんだろう。
死にたい訳ではないけど、生きていたいと思えない。
退院後は、途端にぼくに対する風当たりが優しくなった。腫れ物を扱うように。廊下を歩いていても、突然殴られたりしなくなった。ぼくにとってはそれだけでもありがたかった。
しかし、殴られたり、蹴られたり、嫌がらせをされないフラットな日常はぼくに違和感を抱かせた。数年間、ぼくの生活には常に暴力が付随していたからだろうか。夜の暴力は変わらず続いているのに、昼の暴力がないだけでここまで居心地の悪さを覚えるとは思わなかった。案外、ぼくは暴力と隣人な生活に安心感を覚えていたらしい。
ぼくは県外の大学に進学した。親元から離れたかったのと、ぼくの事を知らない人がいる場所に行きたかった。卒業式が終わったあとに、制服とアルバムをゴミ袋に詰めた。特に思い出なんてなく、思い出したいわけでもない。そもそもこの家には2度と帰るつもりはないから、ぼくの痕跡を可能な限り消しておきたい。誰かがぼくを探している、という会話を聞きながら学校を出た。この後行われるクラス会も当然不参加だ。それより、今夜は夜行バスに乗るため早く帰りたかった。
『卒業おめでとう』なんて言葉、ぼくには馬鹿にされてるようにしか捉えられなかった。将来に対する展望も、希望に満ちた生活もない。卒業というイベントは、ただの一つの区切りでしかなかった。
ぼくの高校3年間は全部、灰になった。楽しいことも、苦しいことも何もない。散らばっていて、ひたすらに空虚な3年間だった。
生き方が分からない。今年で22になるのに、やりたいこと1つさえ見つけられない。ぼくの進路はいつだって真っ白で、つまらない。周りは進学か就職か、どっちか進路を決めているのに、ぼくだけが現状にしがみついている。
死に方も分からない。4回も試しているのに、死ねなかった。なりふり構わず鉄道に飛び込めばよかったのだろうか。そうすればぼくは今、灰になれたのだろうか。
死にたいんだ。死にたいのに、死ねない。ぼくの死はパノプティコンに放り込まれている。自殺するにも、他人である彼女に許可を取らなければならない。生の自由はあるけれど、死の自由がない。それが、ぼくには耐えられないほど苦しい。死という選択肢はぼくにとって救いだった。どんなに苦しい現状からも死を選べば逃避できる。後ろ向きと笑われようが、ぼくにとって死は明日の希望だった。ぼくは、未来を奪われている。
いつなら死ねるのか。就職したら死ねるのか、結婚したら死ねるのか、子どもが生まれたら死ねるのか。それとも、彼女を殺したら死ねるのか。起きるか分からない不慮の事故とやらに縋るしかないのか。どれも正解で、どれも違う。彼女を殺しても本当のパノプティコンに突っ込まれるだけだ。それに、死ぬときは一人で死にたい。死ぬ時まで誰かの顔色を窺わなければならないなんて嫌だ。心中は趣味じゃない。
そうやって死という逃げ道を奪われたぼくは、「明日死ねるかもしれない」なんて慰めにすらならない未来にしがみつくしかないのか。なんとも情けなくて、惨めで、滑稽だ。もう、うまく笑えない。そんな希望はない。ぼくは彼女に、文字通り死ぬまで監視されている。それも悪くないと自分に言い聞かせるけど、ゆっくりと窒息させられているような苦しみは消えない。真っ白な未来の向こう側で、死を夢見ている。
急に父母がちらついて、嘔吐した。午前3時に自分の吐瀉物を処理しなきゃいけない現状に頭を抱えた。将来のことを考えた代償だろうか。どうにも、ぼくの未来と両親には切っても切れない縁があるらしく、白紙の未来を燃やした先の暗闇にはいつも両親が覗いている。過去に、自分も将来はこうなると定義したからだろうか。
10年以上前、小学生の頃の将来の夢は何だっただろうか。特に大したことを書いた覚えはないが、それでも現状のぼくよりは何かしらの未来を考えていたはずだ。具体的な職業を書いた覚えはない。幸せになりたいとか、クリスマスプレゼントがほしいとか、月に1回食後のデザートを食べたいとか、誕生日を祝ってもらいたいとか、新しい両親がほしいとか、優しい人になりたいとか。そんなことを書いていた気がする。どれも叶わなかった、遠い日の夢。幸せは遠く、クリスマスはただの日付になり、食事も最低限しかせず、誕生日はぼく自身すら忘れ、両親は屑のまま、優しくなんてなれなかった。今の夢すら、他人に奪われたまま。
アルコール臭い吐瀉物をかき集め、床を拭き、消毒をしていたらいつの間にか朝が近づいていた。飲みすぎて痛む頭を抱えて、ふらつきながらベッドに寝ころぶ。
夢に意味はない。将来の夢も、睡眠中の夢も。あらゆる夢に意味はない。ぼくはそう考えている。だから小学生のころの夢も、いまのぼくの夢も、意味はない。夢は高校卒業と同じような人生の一つの区切りでしかなく、その後も生は続いていく。夢を叶えたらはいおしまい、なんて都合の良い話はない。夢を1つ叶えたら、また次の夢を設定する。そうやってぼくたちは夢を消費していく。効率よく人生を歩むためのツールでしかないものに、意味や価値なんてあるものか。夢を売ってもお金にはならず、幸せにもならない。別になくてもいいものだから。でも、それでも夢を欲するのは80年という年月は区切らないと長すぎるから。80年を目標なく歩めるほど、人間は強くできていない。
今のぼくに、そんなものはない。22年の内、夢を持っていたのは12年程度。残りの10年は夢なんて何一つ持っていなかった。10年間は只管に苦痛で、辛かった。まるで血を吐きながら走らされているみたいで。そんな苦行を、この先ずっと。
新しい夢なんて持てない。
最後の夢は奪われたまま。
ぼくは何の展望もない弱者。
それでも、進んで行くのが生だというのなら。
生きるのに、疲れたんだ。
つう、と壊されたはずの涙腺から液体が零れる。
白の夜更け、ぼくはまたハイネケンを開けた。