紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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一杯の酒、一本の煙草はあらゆる世界の倫理道徳観よりも、私の気分を支配する甚大な力を有する。

(登張竹風)




駆けつけ一服、吸いなんし

 

 96000000000000000000000000%。

 

 この数字が何を意味するかお分かりだろうか。

 

 二次大戦終結後の、ハンガリー通貨「ペンゲー」のインフレ率である。

 

 漢数字に直すなら、九十六杼パーセント。

「京」の上の更に上、10の24乗を示す単位の領域だ。

 

 ハイパーインフレという言葉すら、もはや空しくなってくる。

 

 これはひとりハンガリーのみに限った現象にあらずして、欧州諸国のほとんどが、戦後凄まじい物価騰貴に苦しめられた。

 

 自国通貨の信用が、紙クズ以下に暴落した悪夢の時代。そんな社会では勢い物々交換という最も原始的な商取引の形態が息を吹き返してくるのだが、それにしたって何か「基準」が必要となる。

 

 価値の尺度として大多数が納得し得る、持ち運ぶのに便であり、偽造しにくく、かつ相当数が担保済みである何かが、だ。

 

 そんな虫のいい注文に見事応えてのけたのが、すなわち「煙草」であったのだ──と、『煙草礼賛』にて下田将美は書いている。

 

 二〇一九年秋季、神田古本祭りにて発掘した本書から、そのあたりの消息につき抜き書くと、

 

 

「ウィーンでは給仕人への心附けが標準的に巻煙草一本。新しいライカのカメラが煙草十二袋で買へる。

 ローマでは巻煙草二本が普通の心附けの標準。闇の女は一晩が巻煙草十袋、当時の貨幣に換算すると巻煙草袋が一箱入りで二千リラ、米貨にして二十ドルに当るのださうである。ベルリンも同じでスキー靴一対が巻煙草袋一袋、旅行袋が十本で買へる、ドイツ人は米国の煙草を手に入れても吸はないで、物々交換にばかり使ふのだと云はれてゐた。パリでは巻煙草が一袋あると、パンならば二十ポンド、玉ねぎなら二ポンド、一九四〇年の赤の葡萄酒が一瓶、コニャックなら半瓶買へる」

 

 

 ちょっとした国際通貨の姿であった。

 

『煙草礼讃』の刊行は昭和二十二年九月に於いて。敗戦からたった二年しか経ておらず、未だGHQの日本統治が強力だった頃であり、そんな時勢下に身を置きながらよくもまあ、ここまで海外情報に通ずることが出来たもの。だいぶ感心したくなる。

 

 著者たる下田将美とは、大阪毎日新聞にかつて奉職していた男。主筆、編集局次長、出版局長を兼任していた人物であり、敗戦とほとんど同時に辞任、立て続けに公職追放。

 

 直前の空襲で家も失くしていたそうだから、文字通り身一つで投げ出されたことになる。

 

 潰滅的な敗北を喫し、史上初めて他民族による支配を受けたことにより、既存のあらゆる価値観念がひっくり返って誰にも収拾不能となった、戦後まもなくのあの世間に、だ。

 

 混沌の坩堝であったろう。

 が、下田将美はへこたれなかった。

 

 

「私は戦争も終りに近くなって罹災して家も家財も一切を焼かれてしまった。夜中に激しい爆撃の火中から身を以て逃れて、その夜明け、奇麗に焼けてしまったわが家の跡に立った時、何だか一切がうそのやうな気がした。びしょぬれになった洋服のポケットを探るとケースの中に煙草がまだ二三本残ってゐた。

 私は心静かに一ぷく吸った。まだ火気の残ってゐる門前の石屑の上に立って、紫の煙をくゆらしながら焼けて坊主になった庭木を眺めてゐるうちに、何だかさっぱりした気持ちになって来た。過ぎたことは過ぎたことだ。新しい天が向ふにある。裸で出直すすがすがしさにこの一服の煙草のうまいことよと負惜しみでなく感じたのだった。私は今でもこの時の煙草の味を忘れない」

 

 

 事実、これが負け惜しみでないことを、ただひたすらな実績で、彼は証明してのけるのだ。

 

 やがて日米通信取締役として復活すると、昭和二十五年には大有社を設立、社長に就任。一国一城の主にまで上り詰めてみせている。

 

「返り咲き」は成し遂げられたといっていい。

 立ち昇る紫煙に導かれた軌跡であった。

 

 昭和三十四年、六十八歳にして永眠。

 

 崩壊前後のソ連では、赤ラベルのマルボロが通貨代わりに流通し、一箱出せばタクシーにも乗れ、トランク一杯に詰めたのならばハインドだって贖えた。そう聞いたなら、この人は何と言ったろう。

 

 さもありなんと、満足げに頷いたのではなかろうか。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 一七二三年九月四日の出来事だ。英都ロンドン、オックスフォード・ストリートに佇むとある劇場で、世にも珍奇な「較べ合い」が開催された。

 

 三オンスの煙草を、誰が一番早く吸い尽くせるかという競争である。

 

 優勝賞金は12シリング。参加条件は特になし。老いも若きも男も女も、腕に、もとい肺に覚えさえあるならば誰でも歓迎。なんなら事前の申し込みすら不要であって、当日の飛び入り参加も構わぬという気前よさ。

 

 反則はたった二つだけ。飲料の摂取と、「リング」たる舞台の上から一歩でも足を下ろすこと。

 

 この二項のいずれかが確認されてしまった場合、即座に対象は失格となる。

 

 たちまち志願者が殺到した。

 

 そして14:00、いよいよ開幕のベルが鳴る。

 

 あっという間に劇場は、濛々たる紫煙の渦に包まれた。

 

 現代人の感覚からしてみればとんでもないマナー違反にあたろうが、十八世紀のイギリスに於いては何の問題もないらしい。

 

 なにせ、この時代人ときたら教会の中でも平気な顔してパイプをふかす。

 

 スコットランドの文学者、ウォルター・スコットの『ミドロジアンの心臓』にもアンジール侯の執事ダンカンが牧師の説教中一時間半に亘ってタバコを吸い続ける描写があるし、

 

 ──他人は皆讃美歌の長いのを悦ぶようだが、自分はパイプの長い方がいい。

 

 と公の場で放言した詩人もあった。

 

 こうした気風が世間に横溢した結果、ついに教会が議会に対して苦情を言い立て、限定的な「禁煙令」を発せしむるに至った椿事もあるのだと、例の『煙草礼讃』で下田将美は説いている。

 

 

「一六六九年にマサチューセッツの植民地では特別に喫煙制限令を布くことになった。其法令は今日から見ると随分不可思議千万なもので、礼拝の日に往きでも帰りでも教会から二マイル以内の所で喫煙する者を発見した場合には十二ペンスづつの罰金に処すと云ふので、何のことはないアメリカの領海内で禁酒が航行の船に布かれるやうに、ある一定の個所で喫煙を禁ずると云ふわけなのである。記録に残ってゐる所によると新教徒で早速此罰則に引っかかって罰金を支払はされたのは、リチャード・バリー、シェディア・ロンバート、ベンジャミン・ロンバート、ジェームズ・メーカーの四人だったとちゃんと名前までわかってゐる」

 

 

 神の家たる教会でさえ一服するのだ。

 劇場だけが、どうして例外に置かれようか。

 彼らは何の疑問も持たずに点火した。

 

 競技は実に見応えのある進行をした。

 

 参加者の中に東部からの旅裁縫師と自称する男の姿があって、この人物が群を抜いて鮮やかな喫煙ぶりを発揮したがゆえである。

 

 彼の吸いぶりはおっそろしく迅速で、無数のパイプを息も継がずにとっかえひっかえするという、火縄銃の「段々撃ち」にも似通った華麗な業であったから、観客の興味と期待とは専らこの男に注ぎ、一位をさらってゆくことはほとんど確定、間違いないと思われた。

 

 ところがいったい、これはなんたるアクシデントの発生か。彼の身体に、明らかなる変調が。

 

 視線が一箇所に定まらず、顔面からは血の気が引いて蝋のよう。生きながら死体になるかの如き観を呈したではないか。誰がどう見てもこれ以上の挑戦は生命(いのち)が危険に晒される。にも拘らず、

 

 ――あと少し、あと少しだけ我慢すれば勝てるのだ。

 ――折角ここまでやったのに、無駄にするのは惜しすぎる。

 

 そんな誘惑に憑かれていたのか、本人はあくまで続行の意志を示したから堪らない。で、結果として、更に、更にとむりやり喫し続けたことで、男はとうとう、すわ断末魔のおたけび(・・・・)かと錯覚せずにはいられない、異様な悲鳴をひしり上げつつ悶え苦しみ出したゆえ、やむなく強制退場に。

 

 酒の「一気呑み」と同様に、煙草の「一気吸い」も危険千万らしかった。

 

 この裁縫士のハイペースに引っ張られ、無茶な吸い方をやっていた他の多くの選手らも、後を追うように次々棄権。

 

 結局最後の最後までリングの上に留まって、三オンス――およそ85グラム――の煙草を吸い尽くしたのは、周囲の喧騒を意にも介さず、ただ黙々と己のペースを保ち続けた老大工に他ならなかった。

 

 このあたり、ある種の童話に通ずる原理が感ぜられて面白い。

 

 喫煙競争は、その後も幾度か開催(ひら)かれた。

 

「酒の呑み較べ」や「めしの大食い較べ」に比すれば遥かに些少であるものの、それは確かにあったのだ。

 

 中心となったのは、やはり英国。際立って太く、また長い、特注品の葉巻をば、二時間内に何本吸えるかといった、頓珍漢な大会をロンドンで()ったこともある。

 

 このときは十七名の愛煙家が「選手」として立候補し、そのうち十名が一時間で根を上げて途中棄権したそうだから、「特注品」の特注ぶりがよくわかる。

 

 優勝者の記録は十本完喫。二位の者は九本半と、実力はまず伯仲していた。

 

 しかしまあ、こんなことにまで優劣を決めねば気が済まないとは、人とはつくづく勝負好きに出来ている。

 

 仏教徒なら業が深いと嘆くだろうが、筆者(わたし)はそんな性質を、却ってこころよく思う。

 

 戦い続ける喜びを。勝利を求めて必死に気血を燃やし合う、その姿こそ美しい。どんなにくだらぬ勝負でも、当事者が真剣でありさえすれば、そこには確かに清々しさが宿るのだ。

 

 

 

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