紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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三原山に煙立つ

 

 伊豆半島から南東約25㎞の海上に浮かぶ火山島――伊豆大島は、かつて自殺のメッカであった。

 

 厭世主義に取り憑かれた大正・昭和の若者たちは、大抵この島を火山島たらしめている三原山の噴火口か、さもなくば華厳の滝の滝壺かのどちらかに向かってその身を躍らせたものである。

 

 三原山では昭和八年だけでも804名の男性と、140名の女性、計944名ぶんの人体が煙になって天へ昇ったとされており、続く昭和九年に於いてもその勢いは途絶えることなく、男性626名、女性143名の、計769名が灰も残さず文字通りこの地上から消え失せた。

 寒心すべき数字であった。

 

 

 

 ――そんな流れを引き継ぎ迎えた昭和十年。

 

 

 

 初夏の日差しが燦燦と降り注ぐ七月三日、伊豆大島の北部に位置する元村に住まう矢崎某なる男性は、ふと思うところあっていつも見上げる三原山を単独で攻めることにした。

 

 三原山の標高自体はそう高くない。地元民だけあって、道にも重々通暁している。なんなく頂上までたどり着き、眺望を楽しみながら涼んでいると、にわかに背後が騒がしくなった。

 なにかと思って振り向くと、豈図らんや、在郷軍人服を着たまだ歳若い男性が、必死の形相でこちらに向かって駆けて来ているではないか。

 

 思わず身構える矢崎だったが、「助けて下さい」と涙ながらにすがりつく青年の語った内容は、更に常軌を逸していた。

 

「登山の途中四人組の男達と道連れになったのですが、この人達が自分達と一緒に死ななければ叩き殺すと言って脅迫するのです。途中茶屋で休んだ際に諌めようとしましたが一向聞く耳を持ってくれず、とうとう火口まで来てしまいました。しかし私には妻も子供も居るのです、どうか助けて下さい」

 

 仰天して青年の後ろへ目をやると、確かに四人組の男達が火口の端に並んで立って、こちらを睨みつけている。その眼光の異様さに、矢崎は総毛立つほどの戦慄を覚えた。

 

 尻の穴をきゅっと締め、腰の崩れを防止する。非常の覚悟を決しかけた矢崎であったが、男達は唐突に青年に対して興味を喪失したかの如く、視線を切って火口に向き合い、大声で自分の住所氏名を名乗り始めた。

 

 呆気にとられる矢崎をよそに、儀式(・・)は滞りなく進行してゆく。名乗りを終えた男どもは、次にぱんぱんと柏手を打ち、万歳を唱え、先ず一番目に黒シャツ黒ズボンの上下ともに黒装束の者が、

 

 ――這入(はい)るぞぉッ。

 

 と叫ぶや否や、その勢いのまま火口の内へ姿を消した。

 

 冗談のような容易さで、人が死んだ。

 その姿に勇気づけられでもしたかの如く、雄叫びを上げながら二人目が投身。

 パナマ帽にワイシャツ姿の三人目は、しかし前例に倣わず無言で落ちた。

 

 最後に残ったのは背広姿の、二十七、八程度の男。前の三人が跳び込む都度に手を打ち鳴らし、次に逝くべき者に向かって声援していた彼であったが、いよいよ送るべき相手がなくなると、

 

 ――最後は俺だあっ。

 

 と、明らかに意気揚々たる叫びを上げて駆け出して、火口へ向かって一直線に跳び込んだ。最後まで、その足取りが鈍ることはなかったという。

 

 

 

 その後の調べでこの四人の男達には、彼らの命日となったこの七月三日に至るまで、一切の面識が無かったことが明らかになる。

 

 

 

 彼らは一様に東京から大島へ、自殺目的で来た連中で、どうした経緯か船中にて同志者と知り、みるみる心安くなり、

 

 ――これも何かの縁だろう。折角だ、火口に向かって順々に跳び込む、リレー投身を敢行してみるというのは。

 ――面白かろう。

 

 と一決してしまったのである。

 自殺は日本の国技というのはまま耳にする皮肉であるが、だとすればこの四人など、藤村操に次いで「殿堂入り」を果たすべき「選手」たちであったろう。

 

 ただ、在郷軍人服の青年を巻き込もうとしたのが余計であり、言うなれば減点要素に違いなかった。

 

 彼は別段、死にたいともなんとも思ってないにも拘らず、ただ登山道を歩いていただけで、このリレー(・・・)をより盛大に、且つ華々しいものにしたいという狂的な願望の贄にされかけたのである。

 不運どころの騒ぎではない。もし頂上に矢崎が居らねば、四人は彼の手足を担いででも火口へ投げ込んでいただろう。

 

 この身勝手さは、近年よく取り沙汰される「無敵の人」とどこか似る。

 

 その雛型と呼ぶべきだろう。もしも山に意思があり、かてて加えてその意思が人身御供を求めて猛る荒御魂だったとしても、こんなやつらはお断りだったに違いない。

 

 

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