紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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金、金、金、金、金は何処?

 

 昭和七年はゴールドラッシュの年と言われた。

 

 水底(みなそこ)に沈んだ宝船、山奥に秘められし埋蔵金、海賊どもが無人島にたっぷり集めた略奪品――。

 

 未だ見ぬ幻の黄金を求めて。遥かな時の砂の中から我こそそれを掘り出さん、と。日本全国津々浦々、誰も彼もが寄ると触るとその話題で持ちきりで、度を失った狂奔ぶりは、恰も熱病の集団感染の観すらあった。

 

 必然として、この状況を利用しようと企む連中が出現(あらわ)れる。

 

 金貨やプラチナを満載したまま日本海海戦の砲火に沈んだナヒーモフ号引揚會を皮切りに、

 

 リューリック号、スワロフ号、アンナ・ローザンヌ号、神力丸の金塊引揚げ、

 

 小栗上野介が赤城山麓に隠したという金塊探し、

 

 猪苗代湖に沈められた葦名勢の大判小判、

 

 果ては新興宗教「明道會」のお告げに基くロマノフ王朝の遺産探しに至るまで。

 

 まったく「雨後の筍の如く」としか表現の仕様が見当たらぬほど多種多様なプロジェクトがごく短期間中に動き出したものである。

 

 彼ら「黄金探索団体」の株券が世間に対して発揮した吸引力は物凄く、もはやダム穴以上であった。

 

 晴れて金塊が発見された暁には、投資した額の数十倍数百倍をお返しする――。

 

 そんな謳い文句を武器として、いったいどれほどの人心を幻惑したのか。

 以下の数字でおおよそ察しがつくだろう。

 

 

 ナヒーモフ号………………三十三万千八百円

 リューリック号……………六十二万百二十円

 スワロフ号…………………五十七万三千四百円

 アンナ・ローザンヌ号……三十六万五千四百円

 

 

 沈没船関連だけでも百七十九万七百二十円を計上している。

 現代の貨幣価値に換算して、ざっと三十六億円という途方もない額である。

 昭和恐慌経験直後の日本社会、「殺人的不景気」にさんざん苦しめられた人々が、どうしてこうもあっけなく財布の紐を緩める気になったのか。

 

 摩訶不思議としか言いようがない。

 

 カネの香気を嗅ぎつけて、終いにはカナダ人まで株式募集にやって来た。

 

「日本の皆さん、エドワード・デイビスをご存知ですか――」

 

 伝説的な「カリブの海賊」、イギリスが誇るバッカニアの雄である。

 彼によって略奪された莫大な量の金銀財宝、そのほとんどは中米沖の無人島、ココ島の何処かに人知れず隠され、今も未発見のままという。

 

「それを見つける」

 

 というのが、カナディアンらの吹いてまわった宣伝文句に他ならなかった。

 

 同島にはかねてより多くの財宝伝説が渦巻いていたが、今回我々がキャッチしたのは非常に確度の高い情報で、発見は九分九厘間違いない。間違いないが、もしも万一ハズレであっても損はないよう二段構えの手を打ってある。

 

「それはこの歴史的大捜索の一部始終をフィルムに収め、血沸き肉躍る壮大な映画に仕立て上げ、世界の各都市で興行するプランであります。それだけでも出資額を取り戻すには十分という計算だから、どうかご安心めされたく」

 

 事実として遥かな後年、ココ島をモデルに撮影された『ジュラシック・パーク』が大ヒットを記録したから、まんざら無謀な試みとも言い切れない。

 

 とまれバンクーバーの「有志団体」がこの話を持ち込んだのが、昭和七年八月のこと。

 

 それから僅か一ヶ月を出でぬ間に二万五千円を掻き集めたというのだから、ゴールドラッシュの狂熱は、まだまだ日本列島に充満したままだった。

 

 

 

 国民が白昼夢から醒めるには、翌・昭和八年九月十三日まで待たねばならない。

 

 

 

 この日、ナヒーモフ号引き揚げのため募集された三十三万円の内、およそ三万円が使途不明になっているということで、会計理事の席にあった牧田弥太郎弁護士が警視庁捜査第二課に召喚された。

 

 そのどよめきも未だ去らない、同年十二月十一日。今度はアンナ・ローザンヌ号引揚會が摘発される。

 実はアンナ・ローザンヌ号なんて名前のフネは最初から地球上に存在しない、まるきりデタラメの作り話で、集めたカネは悉く、幹部の私腹を肥やすために使われていたと発覚したのだ。

 

 ――人間の屑め、なんたる欺瞞。

 

 被害者一同、髪の根まで真っ赤になって激怒した。

 

 更にもう一つ年を跨いで、昭和九年三月二十七日。スワロフ号引揚會にも検察当局のメスが入れられ、三十数万円にも及ぶ、幹部連中の「使い込み」暴露と相成った。

 

 この時点でもう世間の熱は秋の湖水よりも冷ややかなものになってはいたが、それでも一縷の望みをリューリック号に繋ぐ者も少なからず居たという。

 なにせ、この會の會長を務めているのは押しも押されぬ代議士先生、小泉又次郎その人なのだ。

 

 第八十七~八十九代内閣総理大臣、小泉純一郎の祖父に当たる人物である。

 

「いれずみ大臣」の声望は偽物ではなく、四つの引揚げ団体のうち最大額の六十二万百二十円を集めたという点からも、信頼の厚さが窺えるだろう。まさか「いれずみの又さん」が、わしらを騙すはずがない――。

 

「小泉先生、ちょっとお話いいですか――」

 

 が、結局はリューリック号も駄目だった。検察により七万円の使途不明金が発見されて、小泉はその償いに、無用な手傷を負う破目になる。

 

 ――斯くの如く。

 

 昭和七年に立ち現れて、瞬く間に世を席捲した華麗な夢は、畢竟巨大な幻滅のみを残して去った。

 なんともはや、悲愴とも滑稽とも言いようがない。

 

 





金のなる木は路傍に生えては居らず。功名の山は程遠く、富貴の園は路遥か也。
(杉村楚人冠)

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