北村某は汁粉屋である。
立地はいい。実によい。浅草観音の裏手に於いて、客に甘味を出していた。
店の敷地に榎の枝が伸びている。
根元は塀の向こう側、寺の境内こそである。
樹齢は古い。幹は苔むし、
――この書き方だとなにやら霊験あらたかな、加護なり恩寵なりを恵んでくれそうな雰囲気であるが、現実にはさにあらず。むしろ厄介こそを運んだ。
蛇の通り道なのである。
ある時分から根元周辺、さもなければ
店主にすれば、営業妨害の極みであろう。
(今に見ていろ)
挽き切ってやると鋸片手に思案はすれど、さりとて浄域の土から精を吸い上げている植物だけに、あまり迂闊に乱暴な手に出過ぎると後の始末がおそろしい。
――祟るのではないか。
という薄気味悪さが北村の脳裏を離れないのだ。
幸い知己に修験者がいる。
月山の霊気を五臓六腑に滲み渡らせたと自称する、この男に加持を頼んだ。
幽明の秘法を駆使することで老樹の霊と交信し、その身に刃を入れる合意をどうにか取り付けてもらうのだ。
「お安い御用だ」
胸を叩いて承諾したのは、北村の提示した謝礼の額が通り相場を若干なれども上回っていたからだろう。
にしても、なんだな、こんな胡散臭い野郎ではなく、浅草寺の僧にこそ、まず真っ先に話を通すべきではないか。連中の責任を口やかましく追及し、格安で数珠をひねくらせれば、いやいっそのこと蛇公退治をやらせればいい。第三者の視点に立てば、そういう感想がおのずと浮かぶ。
しかしながらこの事態の背景は、令和どころか平成、昭和ですらない。大正の更にもうひとつ前、明治七年なのである。
百五十年も隔てられれば、社会常識、通則、規範、すべてが違う。下火になりつつあるとはいえど、廃仏毀釈の最中でもある。北村の措置はさして奇抜でなかったようだ。
儀式が済んだ。
北村は人変りしたかと思うほど晴れ晴れした顔つきで、目障りな枝を払い落した。腰のあたりの鬱血が一挙に散じた気分であった。
が、本当に散じつつあったのは、彼の魂魄こそらしい。
その夜、北村は早く寝た。胸の奥にざわめきがある。これまで感じた憶えのない不快さだった。
(眠ることだ)
意識がない間の回復力に期待してさっさと布団にくるまったのだが、残念無念、そうは問屋が卸さない。容態はむしろ悪化した。翌朝にはもう、自力歩行も覚束なくなっていた。
(こ、これはまずいぞ、まずすぎる。どう考えても、この現象はッ!)
そのまま床の中にて衰弱し、十日目には死体になった。「ぽっくり」としか言いようがない。嘘のような容易さだった。親類縁者は、
――さてこそ榎の祟りなり。
と、声をひそめて言い合った。
が、祟り云々よりも気にかかるのは、例の修験者の反応である。
仰々しい祈祷をやって、これで安心伐るも焼くも存分に召されよと太鼓判を押しながら、かかる悲境に依頼人を陥れたわけであるから責任の一端ぐらいは追及されてもよさげなもんだ。
――謝礼の金子、耳揃えて持ってきやがれ、墓前に供えろ、イカサマ野郎ッッ
そういう罵倒が遺族の中から飛んでいい。
胸ぐら掴んで詰め寄って、法廷を舞台に切った張ったが展開されるべきだろう。
ところが理屈と実際はいよいよ離れているとみえ、当時の記録をいくら漁れど該当し得る痕跡がない。運命なり不可抗力なりと諦めたとしか思えない。あるいは請求しようにも、修験者の方に先手を打たれて雲を霞と逃げ去られたか。
いっそ北村に先駈けて樹の祟りに呑まれていたと考えれば――いや、流石にこれは不謹慎が過ぎようか?
「山は遭難がないと箔がつかないやうである。蔵王なども昭和七、八年頃から遭難がいくつも続いたので、忽ち有名になり、また冬山としての魅力ももつやうになって来たやうである。夏の休みには峨々が何百人といふ人であふれたりしたのも、遭難が人を招んだやうなものといへよう、刈田から賽の磧へ降りてくると、吹く風に揺らぎながら幾本もの塔婆が、クラストした雪原に淋しく立ってゐる。仙台二中生が遭難したときのものだ。あそこへ来ると、何となく体の引締まるのを覚える」
東北帝大法文教授が、地位も名誉も完備した中川善之助ほどの男が、臆面もなく堂々と、こういう意見を紙上に述べて誰も不審に思わなかった
口は禍の元との古諺は、こんにちますます切実だ。
東京を尋常ならざる風雨が見舞った。
明治十三年十月三日のことである。
季節柄から考えて、おそらく台風だったのだろう。
瓦は飛び、溝は溢れ、街のとっ散らかりようは二目と見れないまでだった。
品川区の霊場たる東海寺では、樹齢百年を
それほどの嵐であったのだ。
さて、それから五日後の夜。
パトロール中の警官が異様なモノを発見している。
台風の残した、意外な爪痕と言うべきか。
場所はまさに先述した東海寺、横倒しに倒れたままの古松の附近。
月光が生む淡い影だまりの中で、何かがもぞもぞ蠢いていた。
(すわ、妖怪――)
場所といい時刻といい雰囲気といい、化けて出るには相応しすぎる状況である。
原始的な恐怖感情に駆られた彼を、いったい誰が責められようか。
が、それもほんの一瞬のこと。日頃の訓練、反射機能に追加された義務への服従精神が、巡査の志気を復活させた。
意を決して近付けば、益体もない。
按摩であった。
干し柿みたく皴びてくすんだ顔の按摩が、湿った土に膝を立て、衣服の汚れも厭わずに、両手を動かし、体重をかけ、せっせと松を揉んでいる。
その口元は半開きになり、涎とともに何かぶつぶつ、意味をなさない出来損ないの呟きばかりを垂れている。
(物狂いか)
あるいは年齢から考えて、痴呆の類やもしれぬ。
どっちにしろ、これなら下手な妖怪の方がまだしも始末が楽だった。
さりとて彼の着ている制服は、放置を赦してくれないのである。どこぞの屋敷の座敷牢から脱走してきた隠居であれば、やがて通報が入るであろう。そういう事態に備える意味でも予め、署内で保護しておくべきだ。巡査はなるたけ穏やかに、眼前の肉塊に声を放った。
「もし。もうし、ご老人」
「――」
が、一向に反応がない。
老いた按摩は明らかに巡査の存在自体を無視し、松の幹を揉みほぐす、意味不明な運動律を繰り返していた。
薄気味悪さと苛立ちとが相俟って、巡査の頸の血管が、どうしようもなく怒張する。
「おいっ」
気付けば声を張り上げていた。
大喝したといっていい。
それを受け、按摩の身体が
びくっ
と跳ねた。
電気でも通されたようだった。
そこからの展開こそ異様であった。
「こ、ここは何処でございます、あっ、手が痛い」
急に明晰な言語能力を取り戻した按摩はしかし、一秒前まで自分がやっていたことを、なにひとつ憶えていなかった。
鱗みたいな松の樹皮を、思い切り撫でたり揉んだり指圧したりしていたのである。
掌の皮膚は当然やぶれ、ぐさぐさに傷つき、淋漓と血が滴っていた。
その事実にも、今更ながら気付いたらしい。あわれっぽく痛い痛いと、泣くような声でわめくのだ。
その
巡査は達磨みたいに目を剥いて、松の屍骸を見下ろさざるを得なかった。
(憑きやがったか)
それ以外のどんな解釈も不可能である。思いがけなく強引に、生命を中途で断たれた松の、最後の思い出作りであろう。
正気を奪われ、前後不覚の状態で妙技をふるわされた按摩こそ、いい面の皮ではあっただろうが。
ともあれこれで松の霊が満足し、大人しく昇天してくれるのを、巡査は祈るばかりであった。
それにつけてもこの松といい、先述した浅草寺の榎といい――明治初頭の東都の樹木、ひいてはそれらを成り立たせる大地には、いったい何が潜んでいたというのだろうか。
まだ地下鉄の一本も走っていない彼の時代。新体制を、文明開化を謳歌する人々の足下では、なにが。