(赤堀又次郎)
鉄道王の没落は、世界大戦の後に来た。
一九一四年に端を発する大戦争。トーマス・アルバ・エジソンをして「この戦争で人類の歴史は一気に二百五十年跳んだ」と唸らせた通り、一千万の
北米大陸の交通事情も、その影響から逃れることは叶わなかった。
もろに喰ったといっていい。それまでこの国で生きる一体誰が、鉄道王とその一族の光輝に翳りが差すなどと、そんな不遜な予測をしたか。
居なかった。
絶無であると断言していいほどに、彼らの勢威は圧倒的なものだった。
例えばそう、東部の都市に本拠を構える鉄道会社の頂点が、ふと太平洋を見たくなり、大陸横断旅行へと漕ぎ出したと仮定しよう。
使用するのはもちろん自社の特別列車だ。この場合、線路沿いのありとあらゆる州知事は、汽笛が聴こえる遥か前からプラットホームに待機して、その「臨幸」をうやうやしく迎える姿勢を取らねばならぬ。
もしこの用意を怠けたり、あるいは歓迎に手落ちが見つかりでもすれば、彼らの政治生命はその瞬間に閉塞したことだろう。何故なら鉄道こそ街の興廃を握る存在、「米国の事業家が巨富を成したのは鉄道と提携するか鉄道を利用した結果で、一たび鉄道なる暴君の機嫌を損じて、貨車を思ふ様に廻して貰へなければ忽ち収穫は腐るか、腐らずとも市価が崩落して後にノロノロ運ばれる等で、ひとたまりも無く参らされて」しまうからだ。
「最もよく米国を理解した英国人」ことジェームズ・ブライス、法学者にして歴史学者にして政治家にして外交官でもあるという、まことに多才なこの人物は、不朽の名著『アメリカン・コモンウェルス』の中に於いて斯く述べた。
「是等の鉄道王は米国中の偉人中に列する人々である。否寧ろ国中の最大なる勢力者と謂っても
以ってその勢威を窺うに足るだろう。
大日本帝国の尺度では、とてものこと測れない。当時のアメリカ合衆国で「鉄道」が意味するところとは、動脈であり神経であり、文字通りの生命線に他ならなかった。
なればこそソレを司るごく一握りの者達は、この人民主権の国にあってさえ王侯然たる待遇を満喫できていたわけだ。
が、しかし、潮目の変わる
これは四の五の理屈を言うより、数字を見てもらうのが手っ取り早い。一九一三年、わずか百二十五万台に過ぎなかった全米自動車登録数は、欧州大戦を間に挟むや一挙に拡大、一九二〇年時点でもう、九百二十三万台を超えてしまった。
膨張率はその後も一切衰えず、
一九二三年で一千五百万、
一九二五年で一千九百九十三万、
そして一九二六年、ついに二千万を突破して、
一九二九年の二千六百五十万台へと至る。
登録代――今風に言うなら免許交付手数料だけで三億二千二百万ドル、更にガソリン税として三億五百万ドルが毎年の如く国の懐に納まった。
しかも政府はそのカネの、ほとんど全部を道路築造にぶち込んだから堪らない。
まさに国土の改造である。世界の何処を探しても比較対象すら見当たらぬ、恐ろしく発達し整備された道路網がたちどころに
結果として、住宅地および農耕地は鉄道への依存から脱却せずにはいられない。大袈裟でもなんでもなく、歴史が変わった。同時代、日本のとある著述家が合衆国を俯瞰して、
「世界大戦前の米国は、蒸気応用と鉄道運輸による地理的辺彊開発の時代に属してゐた。大戦後の米国は電力利用と自動車輸送力による経済的辺彊開拓の時代に進み入ったのである」
と結論付けたらしいが、至言であろう。
何につけても景気のいい眺めであった。
さもあろう、
七百八十五億ドルの国民所得に支えられ、
ラジオは年に二百万セットを売り上げて、
劇場も空前の大盛況、一日当たりの入場者数は、ときに総計二千五百万を超え、
男子大学生の半分は、在学中のアルバイトで学資の全部を賄えるという疑う余地なき黄金期の只中である。
「
米国は「永遠の絶頂」に到達したと、誰もが無邪気に信奉していた。クーリッジ大統領その人でさえ、
「我が国は今や歴史上嘗てなき広汎な繁栄と恒久的平和を享受しつつある。古今に絶するこの福祉の因って来る主要源泉は、米国国民の節操と品格にある。この特質に即して行い来った我が政策が継続される限り、現下の繁栄は常に米国のものであろう」
との言説を敢えてしている。
やがて来る「暗黒の木曜日」を思うとき、この光景は悲愴とも滑稽ともつけがたい、ただひたすらに圧倒的な威力を伴う「何か」として胸を圧す。
第一次世界大戦は悲惨であった。
人類の歴史、発展を、一挙に二百五十年跳躍させる代償に、ドイツだけでも二百五十万人近い国民が、犠牲となって散華した。
いい若いものが、大勢死んだ。
その「若いもの」の死体から、まだ瑞々しい二個の
秘密裏に、ではない。
何も隠さず、大手をふるって堂々と、経過観察記録をつけて論文として整えて広く世間に発表している。なんでも性機能のめざましい回復、意気の亢進が確認できたとのことだ。
以って当時の生命倫理を推知する。
拒絶反応とかどうなってんだ、この被験者はいったい何年生きられた? ――とか、いろいろ気になる部分はあるが。
とまれかくまれこの報告が寄せられたとき、遥か極東、日の出ずる国・日本では、松村松年理学博士が蛙の性を転倒させる実験に、ちょうど取り組んでいた頃だった。
卵巣を除いたメスの蛙にオスの睾丸を植え付けて、オス化させようという試みである。この実験は、うまいこと期待通りの結果を呈した。うまくいった。
そこへドイツから、やはり睾丸をテーマに掲げた実験報告の到来である。
奇妙なシンクロといっていい。
如上の刺激が絡み合って松村は、大宇宙から啓蒙でも受けたのか、
「性の問題は未だ甚だ幼稚であるが、こゝに何かのショックによって、或は雌雄を転倒せしむるの時代が来るかも知れない」
と、ひどく意味深なことを書いている。
「親はその欲する両性の何れかを自由に産下し、また人が女性に飽きて、男性に変性し、男性に飽きて又女性に還元するの時が来るとすれば、人間社会の今の制度も、法律も、道徳も何れもが破壊せられるやうになるかも知れない。そはともかく、この問題は、他日、必ずしも不可能ではないのである」(昭和三年『驚異と神秘の生物界』)
これは味わうべきである。
なんとなれば、折に触れては世に
男だ女だで揉めるのならば、いっそ性別という概念自体、境界線をぶっ壊し、滔々たる混沌を溢れ出させてしまえばよろしい。
我ながらこれが暴論と、「森に潜んだ敵ゲリラを掃討するため、ナパームの雨で森そのものを焦土に変える」式のたわけた議論と承知してはいるのだが、しかし変革とは本来そういうものではなかろうか?
まあ、よしんば気軽に性別を取り替えられるに至ったところで、それはそれでまた新たな偏見を生み出すことは必定だろうが。「誕生以来、一度も性別をいじったことのない、いじろうともせぬ保守主義者」とか、「更に果敢に一歩を進めて人類を完全な両性生物に改造せんと目論む手合い」とか、
性別変換装置製造工場を焼き討ちしたり、両性化しないと全身から血を噴いて悶死するウィルスをバラ撒いたりするのであろう。
世に闘争の種は尽きまじ、人が人である限り。なればこそ我らを別け、隔てる全てを侵し、焼き溶かしましょう。狂い火野郎の哄笑が今にも聴こえてくるようだ。