紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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来処を知らざれば去処を知らず、三界不可得の我、今より閻魔の庁に突撃し、神や仏を部下と為し、三千の美人に鼻毛をよませ、俗界三十年の鬱を晴らし申さん、また快心の事ならずや。

弾一つあたり候匇々頓首

(勝木正雄陸軍軍曹、辞世。沙河の会戦にて被弾、野戦病院に収容されるも、息をひきとる)



満蒙劫掠、敗垣断礎

 

 文明 対 野蛮。

 

 ヨーロッパ 対 アジア。

 

 キリスト教徒 対 仏教徒。

 

 一九〇四年二月に幕が上がった大戦争の性質を、ロシア政府はそんな具合に位置付けようと努力した。新聞も挙って書き立てた。これは国際法を重んじず、卑劣千万な先制攻撃をいけしゃあしゃあとやってのけ、しかも恥じ入る風もない無智蒙昧な異教徒どもを撃ち懲らす十字軍的戦争なのだと。

 

 中央の意を体するように、実際の戦場、満蒙一帯の至るところで露兵による寺院襲撃が相次いだ。仏堂の戸は蹴破られ、燈篭、香炉、美術的になにやら価値のありげなものは片っ端から掠奪されて、塑像は残らず粉砕された。これは十字架への熱烈な愛情というよりも、

 

 ――アジアの方では黄金の隠し場所として、仏像なり神像なりの胎内がよく宛てられているらしい。

 

 そういう訛伝、根も葉もない風の噂に衝き動かされた部分こそが大だった。

 

 日露戦争の期間を通して、ロシア軍による現地徴発、掠奪行為の凄まじさはほぼ蝗害と変わらない。

 

 戦局の悪化に比例して、手口はどんどん残忍になった。現地人に「日本のスパイ」の烙印を押し、処刑してから持ち主の消えた物件を悠々差し押さえるのが流行りはじめた。屋根の修理をしていただけの青年が、コサックに撃ち殺された例もある。高所に上って光の反射の信号で、日本軍に情報を流していたとの容疑であった。

 

 そういう「巻き添え」が相次いで、おそれをなした住民が集落を捨てて逃げ出すと、露兵にとってのボーナスタイムが開幕する寸法である。変異済みのサバクトビバッタを彷彿とする貪欲ぶりを発揮して、徹底的に奪って盗った。月給五百ルーブルに過ぎない士官が、なぜか毎月千五百ルーブルもの大金を故郷の家族に届けていた一事をみても、どれほど汚職が蔓延っていたか明瞭である。

 

 総司令官クロパトキンは、どうにかして「暴挙」の発生を喰い止めようと頭痛を堪えて努力した。努力は大抵、訓令の形で表現された。

 

 一九〇四年九月二十二日附、第六一四號日々命令内に於いては、

 

 

 畑および建築物の毀損によりて受けたる損失は、直ちに現金を以って住民に賠償すべし。所有主留守なる場合にあっては、損害の大小に関する調書を作成し置くべし。

 

 

 との規定がみつかるし、また同年十月八日附、第六四〇號命令内でも、

 

 

 軍最高司令官の(もと)に達したる報告に依れば、兵站部隊、給養官吏、糧秣官吏および一、二の軍隊は行軍途中住民より馬糧および食物を取り立て、これに対して全く代価を支払わず、若しくは単に極少額を支払い、且つその際下士卒は認識を避けるため肩章を取り去り居りしと。

 右に依り最高司令官は茲に再び各級の長官に命令するに、部下の監視および各部隊内の厳格なる軍紀を正確に保持するため、最も適切にて且つ効力ある規定を設くる事を急ぐべし。

 

 

 今次戦役が如何に勝利の希望に満ちているか力いっぱい熱弁し、自分は遠からず東京に於いて講和条約を決定していることだろうと胸を反らした開戦当初のクロパトキンと、この時点のクロパトキンを対照するのは、あまりに無惨なようにも思える。

 

 もちろん「各級の長官」は、彼の期待に応えなかった。

 

 現場に於いては何をかいわんや。そも兵士たちにしてみれば、司令部が無能で兵站線もロクに機能させられず、必要物資をちっとも送ってこないからやむなく現地調達にいそしんだのだ。実状はどうあれ、彼らはそのような理屈を立てて自己の良心を眠らせていた。

 こっちの違反をほじくる(・・・・)前に上はまず、てめえの仕事を全うしろというわけだ。こういう構図は軍に限らず、あらゆる組織に見出せる。

 

 

 

 やがて、寒くなってきた。

 

 

 

 冬の到来を前にして、掠奪はいよいよ窮極に達した。

 家屋を荒らす、どころではない。

 ロシア人らは家そのものを叩き壊して、その廃材を炎にぶちこみ、いっとき暖をとる燃料とした。彼らの通過したあとは、半壊の土壁だけがむなしく残った。

 

 それでも足りないともなると、いよいよ彼らは墓場に生える(やなぎ)にまで斧を打ち込む。

 

「なんということだ」

 

 数千年来、悲惨事には慣れっこである漢民族も、このときばかりは顎を落として驚いた。

 

 ――支那や朝鮮では資力を尽して親を葬らねば(たたり)があるものと思って居る。親子の情愛が果してそれ程現金なものであるか、些か驚かざるを得ない。

 

 と、波多野承五郎がかつて首をかしげた通り、儒教国家の民草は墓をことのほか大切にする。彼らの最高道徳である、

 

「孝」

 

 に直結するからだ。葬送(とむらい)への心づくしは、日本人の想像の到底及ぶ域でない。

 

 そういう墓所が荒らされた。神聖不可侵は薄紙よろしく破られて、夷狄の軍靴が文字通り、蹂躙をほしいままにしていった。

 

「この上どうして、どの(つら)さげて生き延びられよう」

 

 嘆きのあまりみずから縊れて死ぬ輩が相次いだ。国に力がないというのは、畢竟こういうことである。

 

 ところで中韓の墓というのは穴を掘らない。

 

 地に横たえた棺の上に、土を盛り上げかけて(・・・)ゆく。いわゆる土饅頭式である。

 

 以下はほとんど信じがたいほどのことだが、ロシア人らは越冬のため、この棺すら引きずり出して解体し、薪に供したそうである。中身(・・)はむろん、そのあたりに投げ捨てたきり放置した。

 

「こんな馬鹿な話があるか」

 

 終の棲家と定めたはずの安寧の床から追い出され、もし叫べたなら絶叫したに違いない。無念の屍骸に、これまた棲み処を失って、餓えが嵩じて気が狂い野生に還った犬が群がり、ハイエナの真似に精を出す。

 

 魔界の光景そのものだ。

 

 実際当時の満蒙に「瘴気」を幻視()たと書き残した者もいる。

 

 吸ったが最後、骨まで腐る地獄の大気が顔を出していたのだと。

 

 

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