紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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一高魂

 

 朝陽が昇るや、街にどよめきが広がった。

 波紋のもと(・・)は、繁華な通りの一店舗。ヨーゼフという独り者が経営している、その入り口の戸の上に、

 

自殺につき閉店す!

 

 こんな貼紙が押しつけられていたとあっては、そりゃあ騒ぎにもなるだろう。

 

 ――あくの強い真似事を。

 

 最初は皆、冗談とばかり考えて、誰も本気にしなかった。

 なにせ壮年の未婚者だ。

 心の底に溜まる澱、解消されぬ血のくるめき(・・・・)は洞察するに余りある。名状しがたく積もり積もった鬱懐が、ついにこんな奇矯な形に結晶したに違いない。そんな解釈に落ち着いた。

 ところがいよいよ陽は高く、開店時間をとうに過ぎてもヨーゼフの店はしん(・・)として、物音ひとつ聞こえてこない。

 

 ――あるいは、まさか、ひょっとして?

 

 不安の影が、人々の心に兆しはじめた。

 こういう場合のために警察が居る。通報を受け、戸を乱打すれど反応皆無。やむなく強引にぶち破り、中に入れば豈図らんや、店主は貼紙の内容通り、梁にぶら下がって死んでいた。

 

 

 

 一九二八年十月某日、ルクセンブルク公国を舞台とした椿事であった。

 

 

 

 このとしは自殺の「当たり年」といわれた。

 欧州全体で五万人、アメリカだけでも一万五千人が自殺している。

 おまけにその動機ときたらずいぶん馬鹿馬鹿しいのも多く、ゴルフの腕が落ちたとか、髪から艶が失せたとか、極めつけには列車に乗り遅れたという、ただそれだけを理由とし、突発的に死へと走った奴もいた。

 

 一方われらが日本国は、ざっと一万二千人。

 

 熱海の海では年明け早々、つまり正月一ヶ月の範囲内にて、実に七組十四人ものカップルが入水心中を遂げてのけ、翌二月には金沢市の芸妓五名――十六歳一名、他十九歳――が一斉に毒をあおって死んでいる。

 

 まだ止まらない。更に続けて三月三日、桃の節句の当日に、小石川区の細川侯爵邸内で見知らぬ男が縊死しているのが見つかった。

 

 彼の首に巻かれていたのはなんと(つつみ)調緒(しらべお)であり、踏み台にしたのもまた鼓。とうとうたらりたらりらあ――と。なにやら夢野久作の小説にでもありそうな、妙に艶やか、かつグロテスクな構図であった。

 

 小説といえば、昭和二年に自殺した芥川龍之介に感化され、彼の模倣者――睡眠薬をガブ飲みするやつ――が引きも切らずに発生していた時節でもある。

 

 そういう薄気味悪い世相を反映(うつ)して、第一高等学校で、前代未聞・破天破戒の寸劇が実行の運びとなったのも、やはりこのとし、一九二八年――元号にして昭和三年のことだった。

 

 同校の創立記念祭にかこつけてぶち上げられたものという。

 

醜夫、鈍才、見逃す(なか)

 

 挑発的な言辞を染めた大旆により人目を集め、しかも内容に至っては、更に輪をかけて凄まじい。

 

 なんといっても、華厳の滝をセットに再現しているのである。藤村操が「巖頭之感」を遺して飛んだあの滝だ。かてて加えてその前面に、ずらりと陳列されているのは、ありゃなんだ、猫いらず・カルモチン・亜ヒ酸・昇汞水……自殺志願者御用達の薬剤ばかりではないか。

 

 演者の名前に至っては、もはや開いた口が塞がらなくなる。

 

 失恋四太郎とか過度勉造とか家庭不和子とか丙午子とか……よくまあこんな発想を形にできたものだった。

 

 で、そんな如何にも冴えない風采をした連中が、しかしひとたび舞台の上で自殺を遂げるやどうだろう、たちまち涼やかな格好をした美男美女に変化して、あらん限りの脚光・賞賛を浴びるのである。

 

 自殺者といえばなんでもかんでも美化し同情したがりな世間並の感性を、痛烈に皮肉ったものだろう。

 

 なお、言わでもなことだが、藤村操は生前に於いて一高の在学生だった。

 

 そのあたりを踏まえると、ある意味これは「身内ネタ」「身内いじり」と呼べるのか。「先輩に捧ぐ」という趣旨も、もしかしたら含んでいたのやもしれぬ。

 

 つくづく上手くできている。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 その日、北緯五十度線は忘れ難い客を迎えた。

 

 北緯五十度線――南樺太と北樺太を分かつ線、すなわち大日本帝国とソヴィエトロシアの境界である。そこへ日本内地から、林学者がやってきた。樹相の若い適当な木を指差して、

 

「あれはどっちです、日本ですか」

 

 と、案内役の巡査相手に訊いたりしている。

 

「いいえ、ありゃあロシア側です」

 

 逡巡するふうもなく、巡査は答えた。

 

「あれの一尺ばかり手前に黄色い花が咲いていましょう」

「どれどれ、どこです、ああ、見つけた、あれですか」

「あいつがちょうど五十度線上に咲いている、いい目印ってわけでして」

「ははあ、なるほど、うまいこと。――」

 

 林学者の名は市河三禄。

 

 大学で英文科に進んだ者ならあるいはピンと来るだろう。日本英語学の鼻祖にして、その名が賞にも転用された「市河三喜」の実弟である。

 

 三喜が次男、三禄が三男。いちばん上に三陽という兄がいて、これまた名前に「三」がつく。

 

 ばかりではない。

 

 父親は萬庵と号する書家であり、本来の名は三兼という。やはり「三」の字を含む。この伝統が始まったのは三禄からみて祖父の代、亥年亥日亥刻に誕生(うま)れたことから「三亥」と名付けられたのが、すなわち発端であるという。

 

 

 以上は、余談。

 

 

 三兄弟の三番目の三禄は、五十度線に近づいた。

 例の目印の黄色い花を、すぐ爪先に控えるところまで迫る。

 

「先生、どうか御用心」

 

 しゃがれ声で巡査がいった。

 

「ロシア側では極端に厳しく警戒していますから、一歩でも露領に這入(はい)ったやつはドシドシ引っ張られるんです。くれぐれもご注意ください。国際問題に発展すると、ウルサくてかないませんからなア」

「大丈夫、大丈夫」

 

 あしらいつつ、三禄は前をはだけさせ、ぼろんと陽物を取り出した。巡査の顔の筋肉が、もう見るからにこわばった。生温かい液体が、勢いよく奔り出た。

 樺太の藪、北緯五十度線上に、黄金色のアーチがかかる。

 

(どうだ)

 

 越境(・・)してやったぞと、得も言われぬ征服感を三禄はとっくり味わった。

 

 まるで「関東の連れ小便」だ。小田原征伐の最中に於いて、サル(秀吉)タヌキ(家康)()った故事。そういえば杉村楚人冠も、山頂に立つと妙に小便をしたくなると記していたか。してみると「尾籠」の一言で顔をそむけるべきでない、立派に研究に値する、あるいは雄の本能の、よほど深い部分に根を張る衝動なのではなかろうか。

 

 一応附言しておくと、三禄のこの「越境」は、もちろんなんの国際問題も起こさなかった。

 

 ついここまで書きそびれたが、この三禄もやはり一高出身である。在学中は専らボートにのめり込み、「血の小便を流すまで」オールを漕いだとのことだ。

 

 男という生き物は、いやはやまったく本当に。

 

 





火野葦平は「糞尿譚」はもとより、「麦と兵隊」の中でも糞のことを平然として書いている。しかし、あれは火野君の創始ではない。古事記には、到るところに、糞のことを書いている。糞のことを平然と描くことは、剛健素朴な味があり、日本文学の伝統の一つかも知れない。

(菊池寛)

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